発見写真旅・展(48)――2014.11.7 清澄庭園 発見写真旅・展(48)――2014.11.7 清澄庭園

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東武カルチュアスクールの写真講座、11月は深川の清澄庭園でした。
紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられているそうですが、庭園の基礎がつくられたのは享保年間、利根川水運の要衝を押さえる関宿藩(6万石)の下屋敷だったといいます。しかし本格的な造園は1878年(明治11)に岩崎彌太郎がこの地に3万坪を取得してから。
三菱財閥の資金と、日本郵船のネットワークによって全国から庭石を集めたということで、ここは明治時代の庭園を代表する庭園とのこと。名石をごろごろと惜しげもなく転がしてあるので、庭石美術館的庭園という感じがしました。
そこで今回は通常の写真テーマ……キャプションをつけた写真をできれば5点前後のグループにまとめる……に加えて、粗選び段階でひろった石の写真をキャプションなしでランダムに並べるという「ギャラリー・石」を第2部としてみました。


今回の写真出展メンバー(応募順)は以下の4人です。
稲田 郁子(4テーマ20点)
土屋 千鶴子(4テーマ17点+ギャラリー石11点)
伊藤 朝(4テーマ21点+ギャラリー石14点)
伊藤 幸司(3テーマ25点+ギャラリー石62点)


【01】から始まる本編の写真は提出された写真をシャッフルしてランダムに並べた「仮展示」の状態のままです。この状態ですべての写真を「10秒ずつ」見ていただくと、その中にかならず「動き出す写真」「語り出す写真」があるはずです。
撮影者にとっての「発見写真旅」は撮影現場と写真選びにあって、写真選びでは全ての写真を「10秒見る」という方法を強くすすめてきました。そしてこの展示を見ていただく方にも「10秒見る」ことで「発見写真旅」を体験していただけると考えています。
その後、それぞれの写真に撮影者のキャプション(あらかじめ提出されていました)を加えたので、写真の意図が明らかにされたものも多いかと思います。この段階でも再び「発見写真旅」を楽しんでいただけると思います。
さらに写真サンプルを撮影者別に並べた索引ページも作りました。それによって複数枚セットのテーマ写真の意図も明らかになります。そのサンプル写真をクリックすると展示写真に飛ぶことができます。サンプル写真に戻るにはデリートキー(delete key、削除キー)を押してみてください。
この「発見写真旅・展」では「自由投稿コメント」を募集しています。写真番号をつけてメールでお送りください。順次掲載させていただきますのでよろしくお願いいたします。


撮影:稲田 郁子────テーマA:公園

【76】 【19】 【39】 【15】 【11】


【76】この公園のイメージは、池と石です。
【19】紀伊国屋文左衛門由来の石は立派です。
【39】早くも紅葉の始まった木もあります。
【15】スカイツリーが見える場所もあります。建物を隠すのがたいへん。
【11】公園に御馴染みの老人と鳩。


撮影:稲田 郁子────テーマB:鴨

【49】 【33】 【30】 【41】 【26】


【49】池には鴨がたくさん。羽ばたいているのを撮るのに、時間をかける。飛ぶわけではなく、雌に対するアピールなのか。
【33】軌跡? がきれい。よく見ると向きをかえたのかな。
【30】木陰でかくれんぼ?
【41】至近距離。足が立派。
【26】カモとカメです。


撮影:稲田 郁子────テーマC:橋の上で

【05】 【60】 【74】 【01】 【62】


【05】幼稚園の遠足か。賑やかだけどすぐはなれてしまった。
【60】別の園です。しゃがんでかわいいね。
【74】親子さん。もっとよく撮れなくてごめんね。
【01】本物の新婚さんのよう。いろいろポーズを撮っていたけれど、これが一番自然か。
【62】これ楽しいでしょうね。何を撮っているのでしょう。


撮影:稲田 郁子────テーマD:石を渡る

【34】 【09】 【52】 【17】 【65】


【34】園児の弾む足取りがいい。
【09】齢をとると、歩くのも慎重に。
【52】新婚さんもカメラマンと一緒に渡ります。
【17】外人さんもカメラを構えながらゆっくりと渡ります。
【65】そして最後に白鷺さんも渡ります。


撮影:土屋 千鶴子────テーマA:石と風景

【21】 【58】 【08】


【21】池の中の小島、背の低い松は体育祭、組体操のピラミッドを連想させる配置。左右の緑はカットして撮っても良かったようだ。
【58】池の水際すれすれまで足が運べるよう優しく石が配置されている。石に誘われるようにゆるゆると歩こう。
【08】撮影日は11月、が手前に映ったすすきが秋を思わせる位で紅葉には少し早い。でも芝の色は秋色かしら。池、松、建物と、てんこ盛りの写真になった。


撮影:土屋 千鶴子────テーマB:お行儀の良いもの

【46】 【54】 【27】 【72】 【50】 【78】


【46】水鳥達が池の中程にお行儀良く並んでいました。もう少し上の方に松の木を見せたほうがバランス的に良かったのかもしれません。
【54】今回お気に入りの1枚です。おじさんカメラマンがきちんと靴を脱いでベンチに上がり撮影している様がなんとも可愛らしく感じたのです。残念な事に肝心の靴が上手く撮れていませんでした。
【27】今、落ちたばかりなのかしら、ぎんなんが一つぽつんと砂利の上に。
【72】池の中に見つけました。何の為の杭なのでしょうね。
【50】濃い青みがかった実が鳥達に遠くに運んでもらうのを待っています。
【78】頭から胸にかけての赤が美しいです。ちょっとおすましをしてポーズをきめていますね。


撮影:土屋 千鶴子────テーマC:橋にて

【02】 【32】 【23】 【42】


【02】私たちのすぐ前に入園した遠足の幼稚園児たち。お行儀よく橋の上に並んでいます。池の鯉を見ているのね。
【32】池のお魚にもすぐ飽きたようですね。先生あっちへ行きたいとでも言ってるのかしら。
【23】結婚式を控えたカップルが式当日着用する衣装でカメラマンを引き連れてあの場所この場所と記念撮影。くたびれたのかな、緊張感が緩んでいるようにみえた花嫁のうなじ。
【42】右側に写っている女性は花嫁のママです。お天気が良くて何よりですね綺麗に撮ってあげてください。


撮影:土屋 千鶴子────テーマD:人面石?

【69】 【29】 【66】 【82】


【69】今にも泳ぎ出しそうな石。石の目線で松をみたつもりなのですが。撮影者の目線が石の目線になれませんでした。
【29】どっしりした男性の顔にみえませんか。それも男性が男性らしくあった古代人の。そして周りの緑は自然のネックレス。
【66】オットセイかな? 左側がちょっと長めの首。おっととこの辺で一休みですね。
【82】芭蕉の「古池や」の名句が刻まれた石です。芭蕉の奥の細道行始発点がこの近所にあるとの事で、商魂たくましい庭園側が設置を考えたのでしょうか。後ろの大きな木に負けない位堂々とした石でした。


撮影:伊藤 朝────テーマA:石の表面

【59】 【83】 【67】 【57】 【36】


【59】何ものかによって削り削られ、まるで宇宙から見た惑星のような表面。この写真をじっと眺めながら、この表面に近づいていく景色を想像する。筋のように走っている線は山脈、水の溜っているくぼみは大きな湖。ここからは見えていない所には、きっと生物がいて、植物が生えようとしているに違いない。・・・地球もそうか。なーんだ、おんなじだ。
【83】古代文字が書かれているような石。でも、もしかしたら「ような」ではないかもしれない。何年も何年もむかーし昔に、誰かが何かを伝えようとした跡かもしれない。石にも記憶があって、歴史がある。人間のようにおしゃべりではないけれど。
【67】当たり前の事だけど、石にも色々な色がある。削られていく中で色が変化したり、何か違う物質との出会いで化学反応を起こしたり。そういった色々な出来事で、日々変化していく。じっとそこに居て、自分の意思では動かない、そんな石も変化をする。そう考えれば、人間である自分なんて、意外と簡単に変わりたい自分に変化していけるんじゃないかって思う。都合がよすぎるかもしれないけど、この写真一枚でそう思えるなら儲けもんだ。
【57】エメラルドグリーンの大きな大きな滝です! 滝から落ちるまえの水面は、穏やかそうで水面がキラキラ光っているようで。落ちていく水は、一直線に落ちて行く。大きな本物の滝は見た事がないけれど、きっとこんな感じなのでしょう!
【36】色の少ない視界の中から、突然目に飛び込んできた鮮やかな色。その正体はこの石でした。それぞれではあまりパッとしない色だけど、このグリーンと赤が隣同士に並んで初めて、お互いが鮮やかに映る。偶然というのは、どうしてこうも美しいのでしょうか。誰かがではなく、何かがそう企んでいて、こうなるのでしょうか。


撮影:伊藤 朝────テーマB:ひと

【71】 【40】 【03】 【14】 【28】 【55】


【71】園児のお散歩。先生に連れられて小さな帽子が並んで歩きます。その様子が可愛くて。静かな園内ににぎやかな声が聞こえてきます。その声が楽しげで。あの子たちは、今日ここで何を発見したのかな。きっと、私達よりずっとたくさんの楽しい出会いがあったんだろうな。
【40】長ーいベンチでひと休み。「それぞれが楽しむ時間」と、「みんなで楽しむ時間」。この二つの丁度中間あたり。座っているお隣との微妙な距離から、そんなバランスが感じられる。
【03】靴を脱いで、ベンチに立って、カメラを構えて、シャッターを押す。只今、撮った写真のチェック中。まさか、そんな自分が撮られているなんて、想像もしていないことでしょう。おじさん見つけて、立ち止まって、カメラを構えて、シャッターを押す。いただきました!
【14】肩に置かれた右手。今日は天気がいいね。お昼は何を食べようか。言葉ではない、右手と肩の間で弾む音のないおしゃべり。きっと穏やかで暖かい。
【28】うわさ話でしょうか? 何をしゃべっているのか気になる二人。女性はおしゃべりが大好きですから、有料庭園でも会話に花が咲きます。何時間でも。何十時間でも。
【55】途中、園内で何回かすれ違った3人家族。男の子がとにかくやんちゃで、よく笑う。この子の身長から見る池の鯉は、恐竜のように見えているんじゃないかな。


撮影:伊藤 朝────テーマC:並ぶ石

【06】 【77】 【13】 【24】 【79】


【06】この清澄庭園では、いろいろな所に、実にいろいろな石が使われている。その中でも特に気に入ったのが、この石囲い。灯篭の一部や、柱の一部が使われているみたい。それがなんとも言えずユニークで、なんといってもお洒落!装飾品としての命がまた吹き込まれ、人の目を楽しませ続けるこの石たち。私の目には、幸せそうに映りました。
【77】水面に浮かぶ飛び石。日が当たっているのかいないのか、不思議な光の中の写真。この水面の揺れに合わせて、石もゆらゆらと動き出しそうな気配。
【13】つるんとした石畳の中に、突如として現れた車輪のような石。ここを作った人は、最高に楽しみながら作っていたんだろうなぁと思う。うっかりしていると見落としてしまいそうなところに楽しさが感じられる。見る側にこういう発見をさせ、発見に対して想像を掻き立たせる。ちょっと意地悪で、サービス精神あふれる石の庭園。
【24】足で蹴飛ばしたら、簡単にごろっと転がっていってしまいそうな、なんだか頼りない石。それでも綺麗に整列して、妙な魅力を放っている。だから、誰にも蹴飛ばされずにここにいて、歩道との境目を守っているのか。なんだか頼りないなんて言ってごめんなさい。
【79】何気ないと思ってしまえばそう。でも、よくよく見ると、好きな石とそうでない石がだんだん見えてくる。お気に入りの石を主役にシャッターを押す。お店に入ってお気に入りを探す気持ちとおんなじだ。あぁ、持って帰りたくなってきた。


撮影:伊藤 朝────テーマD:秋

【20】 【64】 【47】 【81】 【45】


【20】ひとひらの落ち葉これから次々と葉が落ちて、地面の毛布となります。みんな早く落ちてきなよと言っているような1枚。
【64】少しづつ色づきだした葉っぱ。一面が色づいた景色も素敵だけど、こうやって緑も黄色も楽しめる時期だってすてきです。この日は特に、空の色が穏やかな水色で、日の光がいっぱいで、植物が生き生きとして見える一日でした。
【47】園内の隅の方、足元にたくさんのどんぐりが落ちていました。辺りを見渡すと、大きなどんぐりの樹がそばに立っていて、時折カサッという音を立ててどんぐりを落としていました。帽子をかぶったどんぐりはよく見るけれど、洋服を着たどんぐりは初めてです。2、3枝拾って、友達へのお土産にした。
【81】虫に食われながらも一生懸命に色づいた葉。踏ん張って踏ん張って、気が付いたら誰よりも早く赤くなっていました。
【45】落ちていたザクロ。近くにももう一つあったけど、どこから落ちてきたのか確認するのを忘れてしまった。だって、すぐ目の前で結婚写真の撮影をしていたんだもん。素敵な和装。両家のご家族と、プロの撮影クルーに囲まれながら。

撮影:伊藤 幸司────テーマA:大泉水 1/2

【07】 【75】 【70】 【25】 【18】


【07】一袋150円の「鯉のエサ」を購入すれば、子どもたちにとってこんな楽しい公園はない。巨大な鯉が続々と集まってくる前に、鴨たちが真一文字に走ってくる。
【75】有名庭園の池ともなればいかにも上流階級ふうの錦鯉が主役だが、下町のこの庭園ではこんな顔つきの鯉が庶民的な振る舞いを見せてくれる。この大きな池の何処に行っても、すぐにこんな歓迎風景が展開される。このおふたりなどはちょっとおっとりした表情だったが。
【70】日本庭園の中心は池で、それを海に見立てたり、琵琶湖などの湖に見立てたりするのが一般的だ。ここももちろんそういう趣向になっているのだろうけれど、なぜか解放された水面という素朴な印象が強い。
【25】大泉水と呼ばれる池を北東の隅、芦辺の浜のあたりから見る。涼亭と呼ばれる数寄屋造りの建物は明治42(1909)に岩崎家が迎賓施設として建て、現在「東京都選定歴史的建造物」とされているという。それだけの存在感を示している。
【18】ここでは岸辺に銘石がふんだんに置かれているのがこの庭の最大の特徴だと思うけれどこんな風に美人のアオサギがいたりすると石もちょっと立場を失いかけたりする……という感じ。


撮影:伊藤 幸司────テーマA:大泉水 2/2

【35】 【10】 【44】 【12】 【22】


【35】亀がプカーッと浮いてきた。甲羅の様子からすると泥の中に潜っていた気配。泳ぎながらすこしずつ泥を洗い流しているふうだった。
【10】近くで結婚式を挙げ、ここで記念写真というおめでたい光景だとは最初わからなかった。遠目に美男美女のふたりをスタイリストと女性カメラマンが撮る様子から、結婚式場のカタログ写真の撮影かと思っていた。モデルっぽい新婚さんだったのだ。最後のほうでカメラマンが「お父様、お母様。ちょっと後ろへ」と画面から外れてもらっているのを見て、カタログ写真みたいな記念写真と納得した。紅い和傘や、新郎の扇子など、小物もどこかで見たような……。
【44】こういう親子がいると胸ワクワクで近づいていく。150円の鯉のエサがなんなのか知らないけれど、親は子どもがキャッキャッと喜ぶ瞬間のためにふんだんに撒いてくれる。水面が大きくざわつくのだ。
【12】これは清澄庭園大泉水・亀島。亀がけっこう急峻な岩場を登っていけるということを発見した。時間があれば転落とか滑落の瞬間を見たいとも思ったけれど。
【22】さてこれはなんという鳥でしょうか。庭園のパンフレットには冬の野鳥の先頭にキンクロハジロという聞き慣れない名前がある。目が金(黄)色で体が黒、羽を広げると白い線が現れるという「金黒羽白」だそうで、この前後の写真ではそれが確認できるので間違いはない。……でも、それよりも、何をどうすれば水面にこういう波紋が作れるのか、ちょっとした名人芸を見せられた感じ。


撮影:伊藤 幸司────テーマB:松

【48】 【80】 【16】 【43】 【68】


【48】専門的なことはわからないけれど、ここの松は葉がとてもやわらかく、ふくよかな感じがする。池の端にあるのもは総じて古木という感じがしないので江戸時代からの由緒……などという重厚さには欠ける。
【80】どうとう重要な場所に植えられた松。岸辺の松は、みなサイズが似ている。もちろん人よりも高いけれど、風景の中ではモデルさんが立っているという感じ。親近感からいえば読者モデルという感じか。
【16】この写真、主役は松と見えるけれど、実際に歩いてみると岸辺に並ぶ石の道が表側で、こちらは裏側という印象になる。松はこの庭では庭石に対して完全に脇役にまわっている。
【43】松の緑のこのやわらかさ。日本庭園では松は高貴な存在に見えることが多いけれど、ここでは親しみの表情をしている。
【68】たぶんこれがこの庭では最も重要な松ではないだろうか。二本の松のそろい踏みだが、なんとかこれだけのボリューム感を作り上げて、大泉水の岸辺にひとつの中心点をつくっている。


撮影:伊藤 幸司────テーマC:石 1/2

【04】 【73】 【53】 【31】 【38】


【04】立て札には「5 生駒石」と書いてある。黒々としたこの岩が5番目の展示物だということがわかる。そこで立て札を番号順に拾ってみると「1 伊豆磯石」「2 伊豆川石」「3 伊予青石」「4 伊豆磯石」「6 伊豆式根島石」「7 佐渡赤玉石」「8 伊豆磯石」「9 伊豆川奈石」……と続いて、いくつまでいくのか確認はしていないけれど「41 紀州青石」という傑作までは覚えている。でも果たして、こんなふうに(というのは美術品のように)置く石だろうかという疑いは最後まで残ったけれど。
【73】前回の小石川後楽園では「延段」が主役のひとつだった。そこで私は78番の写真にこんなキャプションをつけた。「園路は飛び石が基本らしいが、それでは単調になるというので何種類かの石を組み合わせてデザイン化した「のべだん」(延段)で要所を締めるのだという」。小石川後楽園と比べるとこの延段はあきらかに石が贅沢に使われている。
【53】自然石を輪切りにして並べたような延段。すごく大味な感じがする。
【31】石橋のもっとも基本的なかたちは、平たい石をポンと置いただけという危険思想。「石橋を叩いて渡る」という言葉は、こういう橋を前提にしているのではないかと思う。石の板が厚いからといって、安心という言葉にはつながらないのはどうしてだろうか。
【38】清澄庭園ではツワブキが重要な役目を果たしている。これはかなりアクロバチックに岩に根付かせたという感じ。


撮影:伊藤 幸司────テーマC:石 2/2

【56】 【37】 【51】 【63】 【61】


【56】大泉水の岸辺の道は水上の延段。川を渡る踏み石を大胆にスケールアップしてしまった。
【37】彫刻作品のように、石をこんなふうに置いたのはいつからだろう。これらの石は紀伊国屋文左衛門の時代ではなく、三菱財閥の岩崎が日本郵船の自社船を活用して全国から集めた時代からだろ。それでも造園の基本構造にかかわる石と、空間表現としての石との間にはちょっとした時間差を、私は感じるのだけれど……。
【51】一般的にいえば、木と石が絡み合っていたら、どちらが古いか。石でしょう。岩があって、そこに木の根が絡み合って、岩の割れ目にまで入り込んで、いつか岩と木が合体状態になっていく。そういう木と石の関係を私は山でごく普通に見てきたので、この石にはものすごく違和感がある。誰かがここに置いたという光景がどうしても浮かび上がってきてしまう。庭師がやったのだとしたら、ちょっと浅はかだな、と思ってしまう。
【63】どこの石か。名札がなかったのか、気づかなかったのか。とにかくこの狭い水面にこの石が1個あるだけで深山幽谷のたたずまいを見せてくれる。石1個の力によって、向こう岸のツワブキも、なにか別の植物に思えてしまう。はっきり言って、この石はこの庭園では孤高の存在という印象だ。ここでは異端的な姿形の石といえる。
【61】水辺の延段。ここに並ぶのは踏み石か、踏み岩か。遠足にきた園児たちがここを渡る賑やかな声を向かい岸から聞いていたけれど、ほんとうに楽しそう。水の上を歩いているのに手すりがないのだ。はしゃぎすぎたら水に落っこちるかもしれない。でもそうはならないどっしりとした石の床。ふと気づくと石はひとつひとつ違った顔つきにも見えてくる。


第2部────ギャラリー・石

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【01】撮影:稲田 郁子
本物の新婚さんのよう。いろいろポーズを撮っていたけれど、これが一番自然か。
■自由投稿コメント(仮展示中):伊藤 幸司
なんともまあ、清澄庭園の宣伝写真みたいな写真。私自身は、これは雑誌の取材で二人はモデルさんだと見ていたのですが、カメラマンが「おかあさま、すこし下がって!」と指示を出したので初めて、本物の結婚写真とわかったのです。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
時間をおいて改めて見てみると、この写真は木や花が額縁効果を発揮している好例です。左上の木、右上の紅葉、右下の黄色い花、そして左下の踏み石とそれぞれが個性を見せながらさりげなく額縁となっています。
じつはこの場所でこの位置まで「下がる」のにはこのアングルの発見が必要でした。「前景」という意識はこのあたりに立っていた(私を含めて)何人かに共通のことでしたが、どうしても前へ前へと出たくなってしまいます。一歩下がるというのは、じつはけっこう敗北感を感じることになる行為なのです。だからスナップショットでは「一歩前へ」というのが大原則。しかし第二次大戦後フランスで活躍したロベール・ドアノーの神話となっている撮り方は、最後尾で静かに待って、シャッターの嵐が消えてから自分の1枚、という撮り方。ガツガツと「撮りに行く」のではなくて、一度身をひいて、クールに全体を観察して、自分の役割を決めてから前進するという意識……それをこの写真に感じます。




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【02】撮影:土屋 千鶴子
私たちのすぐ前に入園した遠足の幼稚園児たち。お行儀よく橋の上に並んでいます。池の鯉を見ているのね。
■自由投稿コメント(仮展示中):伊藤 幸司
この写真は、じつは【01】の写真とほぼ同じ場所から撮られています。方向は約90度違うけれど。子どもたちが遠いので、個々の表情はわからないけれど、子どもたちの気持ちはよくわかる。ついほほえんでしまい、私が口癖の「10秒見ていると動き出す」写真ですね、これは。気づくと足元から周囲の緑も楽しんでいるではありませんか。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
【01】にコメントを書いた勢いでいえば、この写真は子どもたちを取り巻く緑の額縁ではあるけれど、なんといっても大きな役割を果たしているのは右下の角張った岩、でしょう。
この岩は額縁効果を生み出す要素のひとつですが、もっと大きな役割があるようです。遠近感です。これがあるおかげで、橋の上の子どもたちが感覚的にはずいぶん遠くではあるけれど、じつはひとりひとりの気持ちまで写し撮られているように思われます。つまりただ遠くに点景として見える子どもたちではなくて、写真の中心でありながら、庭園の奥行きのなかにきちんと置かれている……ということでしょうか。




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【03】撮影:伊藤 朝
靴を脱いで、ベンチに立って、カメラを構えて、シャッターを押す。
只今、撮った写真のチェック中。
まさか、そんな自分が撮られているなんて、想像もしていないことでしょう。
おじさん見つけて、立ち止まって、カメラを構えて、シャッターを押す。
いただきました!
■自由投稿コメント:




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【04】撮影:伊藤 幸司
立て札には「5 生駒石」と書いてある。黒々としたこの岩が5番目の展示物だということがわかる。そこで立て札を番号順に拾ってみると「1 伊豆磯石」「2 伊豆川石」「3 伊予青石」「4 伊豆磯石」「6 伊豆式根島石」「7 佐渡赤玉石」「8 伊豆磯石」「9 伊豆川奈石」……と続いて、いくつまでいくのか確認はしていないけれど「41 紀州青石」という傑作までは覚えている。でも果たして、こんなふうに(というのは美術品のように)置く石だろうかという疑いは最後まで残ったけれど。
■自由投稿コメント:




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【05】撮影:稲田 郁子
幼稚園の遠足か。賑やかだけどすぐはなれてしまった。
■自由投稿コメント:




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【06】撮影:伊藤 朝
この清澄庭園では、いろいろな所に、実にいろいろな石が使われている。
その中でも特に気に入ったのが、この石囲い。
灯篭の一部や、柱の一部が使われているみたい。
それがなんとも言えずユニークで、なんといってもお洒落!
装飾品としての命がまた吹き込まれ、人の目を楽しませ続けるこの石たち。
私の目には、幸せそうに映りました。
■自由投稿コメント:




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【07】撮影:伊藤 幸司
一袋150円の「鯉のエサ」を購入すれば、子どもたちにとってこんな楽しい公園はない。巨大な鯉が続々と集まってくる前に、鴨たちが真一文字に走ってくる。
■自由投稿コメント(仮展示中):稲田 郁子
子どもたちの表情しっかり写っていますね。望遠レンズを使わずにこんなに近くで撮れる場所を見つけたのがすごいかも。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
すみません、これは望遠撮影です。おだやかな日射しのこの状況では、モニターでかなりはっきりと見ながら、シャッターチャンスを待つことができます。




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【08】撮影:土屋 千鶴子
撮影日は11月、が手前に映ったすすきが秋を思わせる位で紅葉には少し早い。でも芝の色は秋色かしら。池、松、建物と、てんこ盛りの写真になった。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
キャプションに「てんこ盛りの写真になった」とありますが、まさにそう。一般的な写真教室なら主題をもっと整理しなさいといわれるところでしょう。そこでテーマインデックスのところを見てみると3点組の「石と風景」となっています。すると3点とも水際の石です。「水際の石」というようなテーマならこの写真の意味合いは変わってきます。でも、土屋さんの写真の傾向のひとつとして「てんこ盛り」に無意識に惹かれるという感じがします。それが自然にさりげなく撮った写真につながっていくことでもあるので、悪いことだとは思いません。ただ、無意識に撮れた写真があったら、もう一枚、ちょっと理詰めで「おさえ」て見ることをすすめます。感覚で撮った写真と、頭で撮った写真の間に自分がいるという発見をするでしょう。でも、もっとだいじなのは写真選び。テーマが浮かび上がってきたときには、その候補となっている写真を、もう一度「10秒」ずつ見てみてください。この写真でも背後のビルが生きてくる文脈もあるし、築山の石塔が隠し味として他の写真と共鳴して生きてくる可能性もあるからです。単純な「てんこ盛り」ではなくなるかもしれません。




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【09】撮影:稲田 郁子
齢をとると、歩くのも慎重に。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
キャプションを読むと「どこが? どこが?」という感じがします。この写真にはいろいろな要素が散りばめられているので、人も水鳥も自由に動いてもらっているほうがいいように思います。ただ、この写真が「石を渡る」というテーマを支えているために、正面中央の人たちを主役にしたのでしょう。でもこの写真、ホンワカとして、清澄庭園の和やかな気分が全体を包んでいるように思います。そういう目で見ると、刈り込んだ松もそういう空気を壊さずに盛り上げているように思えてくるし、背後の広葉樹もギリギリのところで衝立の役目を果たしていると感じます。見ているうちにこの穏やかさが好きになってくるではありませんか。そういう「気分」の写真でグループを組めると良かったのにと思います。テーマの中心における写真だと思います。




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【10】撮影:伊藤 幸司
近くで結婚式を挙げ、ここで記念写真というおめでたい光景だとは最初わからなかった。遠目に美男美女のふたりをスタイリストと女性カメラマンが撮る様子から、結婚式場のカタログ写真の撮影かと思っていた。モデルっぽい新婚さんだったのだ。最後のほうでカメラマンが「お父様、お母様。ちょっと後ろへ」と画面から外れてもらっているのを見て、カタログ写真みたいな記念写真と納得した。紅い和傘や、新郎の扇子など、小物もどこかで見たような……。
■自由投稿コメント:




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【11】撮影:稲田 郁子
公園に御馴染みの老人と鳩。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
5枚組の「テーマA:公園」の最後に、訪れる人の「やすらぎ」がきたのもなかなかのもの。2羽の鳩と5人だかの老人たちの間に見えない糸がここにはあります。私はもちろん、おおよそこのとき、この場面を見て、さらにこの道、2羽の鳩と5人だかの老人たちの間を通り抜けました。そして「あの鳩動かないね!」と思ったくらいですから、こういう写真は撮れていません。




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【12】撮影:伊藤 幸司
これは清澄庭園大泉水・亀島。亀がけっこう急峻な岩場を登っていけるということを発見した。時間があれば転落とか滑落の瞬間を見たいとも思ったけれど。
■自由投稿コメント(仮展示中):稲田 郁子
これも望遠を使ったようなアップですね。カメにも表情があるようにかんじられます。“一番上は僕の場所だ”




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【13】撮影:伊藤 朝
つるんとした石畳の中に、突如として現れた車輪のような石。
ここを作った人は、最高に楽しみながら作っていたんだろうなぁと思う。
うっかりしていると見落としてしまいそうなところに楽しさが感じられる。
見る側にこういう発見をさせ、発見に対して想像を掻き立たせる。
ちょっと意地悪で、サービス精神あふれる石の庭園。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
これは、まあ、たぶん、石臼の踏み石ですね。自然石もいいけれど、粉に轢いたか油を絞ったか、そういう前歴がわかるともっとドラマチックだと思います。が、あれだけふんだんに自然石を並べている清澄庭園に、この石を持ってきた人は怒られなかったのでしょうか、ね。




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【14】撮影:伊藤 朝
肩に置かれた右手。
今日は天気がいいね。
お昼は何を食べようか。
言葉ではない、右手と肩の間で弾む音のないおしゃべり。
きっと穏やかで暖かい。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
写真は形を撮ります。色を撮ります。うまくいけば光を撮ります。でもキャプションにあるように声なき声を撮ることもできます。写真を「つくる」人だったら正面の木がちょっと邪魔に思えるかもしれないけれど、人生のある瞬間を写真で切り取ったという意味では大漁旗を掲げたいですね。




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【15】撮影:稲田 郁子
スカイツリーが見える場所もあります。建物を隠すのがたいへん。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
じつは私、撮影が終わったところで、スカイツリーが見えたと聞いて、エッと驚いたのです。地元といっていい場所柄ですから、探せば見えるかもしれないとは思ったのですが、東京の庭園では背景として高層ビルがニョキニョキというのが普通。ところがここには中層ビルの頭しか見えてこない。煩わしさが先に立って、じつは空をあまり見ていなかったのです。このキャプションの裏にある気分、私なりにわかります。そういうなかでのベストショットだったのでしょう。あくまでも庭園の写真として。




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【16】撮影:伊藤 幸司
この写真、主役は松と見えるけれど、実際に歩いてみると岸辺に並ぶ石の道が表側で、こちらは裏側という印象になる。松はこの庭では庭石に対して完全に脇役にまわっている。
■自由投稿コメント:




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【17】撮影:稲田 郁子
外人さんもカメラを構えながらゆっくりと渡ります。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
この外国人の男性をじっくりと10秒以上見てしまいます。何かを見ています。それも漠然としてではなく、何かを、です。石の上にきちんと立っているので、石の庭の石の引力の中にいるのはまちがいありません。1秒だか、10秒だかわかりませんが、なにかに視線を完全にとらえられています。この庭にきて良かった! という感謝の気持ちさえ見えてくるようです。




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【18】撮影:伊藤 幸司
ここでは岸辺に銘石がふんだんに置かれているのがこの庭の最大の特徴だと思うけれどこんな風に美人のアオサギがいたりすると石もちょっと立場を失いかけたりする……という感じ。
■自由投稿コメント:




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【19】撮影:稲田 郁子
紀伊国屋文左衛門由来の石は立派です。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
庭石を、ここでは野外美術館のオブジェのように置いています。全国の名石というよりは、全国の主要な産地から強引にかき集めた石の鑑賞庭園というのが私の率直な印象でした。京都の庭よりははるかに明快。産地だけが書かれ、ヘンな題名をつけていないのに好感をもちました。そういう「石の美術館」的気分が、この写真にはうまく写されていると感じました。




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【20】撮影:伊藤 朝
ひとひらの落ち葉
これから次々と葉が落ちて、地面の毛布となります。
みんな早く落ちてきなよと言っているような1枚。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
落ちてきた1枚の枯れ葉がすくっと立って、スポットライトを浴びています。何を叫んでいるかは撮影者の想像だとしても、この葉っぱは、見ていると、やっぱりなにかしそうな気がしてきます。




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【21】撮影:土屋 千鶴子
池の中の小島、背の低い松は体育祭、組体操のピラミッドを連想させる配置。左右の緑はカットして撮っても良かったようだ。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
キャプションの「左右の緑」というのは、私のことばでいえば「手前の緑」になります。じつはこの写真「石と風景」という3枚組の1枚目です。3枚目の【08】に書いたコメントと同じようなことを書くことになるかもしれませんが、テーマ設定からいうと「石」が主役の写真です。主役でなくとも重要な役割を担っていてほしい写真です。でもそうではなくなっています。
石を主役の座に置いておくには、たとえば紙片で画面上部を覆って、下に下げてみてください。「島」の松のてっぺんまで隠してしまうと、「水面」と「島」と「石」と「松」の4人が登場する舞台になります。手前の緑は空間構成の重要な押さえになります。逆に下から景色を消していく場合には左右の松が完全に隠れるところまで紙片を上げると、島が主役の座に躍り出てきます。
ひょっとするとこのカメラのレンズは広角側が35mmサイズで24mm相当という超広角レンズではないでしょうか。狭い場所や人混みの中で振り回しているときには「気分」をじつにうまくとらえてくれるのですが、落ち着いて見ている光景だと意識の外周まで取り込んでしまうのです。土屋さんの写真に時々感じる「?」という部分は、その撮影視野の問題かもしれません。今度きちんと見てみたいと思います。
ですがもうひとつ、この写真の松はキャプションにあるようにいいですね、おもしろい。眼前に主役として登場するようにズームアップして、もっと大きく撮っているかもしれませんが、肉眼で見た状態で、背景が邪魔ではありませんでしたか? どうしたら主役とバックダンサーの立ち位置をくっきりさせることができるか? カメラマンはそこで立ったりしゃがんだり、右に1歩、左に1歩と状況改善の試みをしてみたくなるのです。一般的にいえば、この場合はしゃがみたくなりますかね。島の松のてっぺんが背景のあいまいなものをもう少し隠し、できれば空まで持ち上がってくれば、光景は急にシンプルな印象になるでしょう。主役にちょっとおしろいをはたいてあげるような一手間があってほしかったと思います。




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【22】撮影:伊藤 幸司
さてこれはなんという鳥でしょうか。庭園のパンフレットには冬の野鳥の先頭にキンクロハジロという聞き慣れない名前がある。目が金(黄)色で体が黒、羽を広げると白い線が現れるという「金黒羽白」だそうで、この前後の写真ではそれが確認できるので間違いはない。……でも、それよりも、何をどうすれば水面にこういう波紋が作れるのか、ちょっとした名人芸を見せられた感じ。
■自由投稿コメント:




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【23】撮影:土屋 千鶴子
結婚式を控えたカップルが式当日着用する衣装でカメラマンを引き連れてあの場所この場所と記念撮影。くたびれたのかな、緊張感が緩んでいるようにみえた花嫁のうなじ。
■自由投稿コメント:




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【24】撮影:伊藤 朝
足で蹴飛ばしたら、簡単にごろっと転がっていってしまいそうな、なんだか頼りない石。
それでも綺麗に整列して、妙な魅力を放っている。
だから、誰にも蹴飛ばされずにここにいて、歩道との境目を守っているのか。
なんだか頼りないなんて言ってごめんなさい。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
日本各地から金に糸目をつけずに大量に集めてきた自然石をふんだんに使っているこの庭園で、自然石と呼べるかどうかさえ怪しい割れ石をピックアップしてくる撮影者の心境が写っているのだと思います。立体感など、大部屋俳優から抜擢された主役トリオという感じがします。同情を込めた暖かいまなざし……ですが「並ぶ石」というテーマタイトルでラインダンサーだと位置づけているのですね。




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【25】撮影:伊藤 幸司
大泉水と呼ばれる池を北東の隅、芦辺の浜のあたりから見る。涼亭と呼ばれる数寄屋造りの建物は明治42(1909)に岩崎家が迎賓施設として建て、現在「東京都選定歴史的建造物」とされているという。それだけの存在感を示している。
■自由投稿コメント:




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【26】撮影:稲田 郁子
カモとカメです。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
こういう造形的な写真だとフレーミング、あるいはトリミングの微妙な差が重要になってきます。
この写真はなんといってもカメのガッツポーズが勝負どころでしょう。画面を上から切っていくと、水面の向こうに岸が黒い線で示されて、限りのある池の世界だと見せるギリギリのところがひとつの限界かと思います。
目を画面下部に移すと、この写真では岩の陰が、ほんのちょっとですが切れています。切れているのといないのとでは絵柄が大きく違いますからこれは残念なところです。
……というようなことは、写真の品評では一番重要なところかもしれません。でもここでは写真は撮りっぱなしのノートリミングを基本と考えています。ノートリミングということはカメラを構えたときのフレーミングに100%決定権を与えている、しかも撮影環境によってはモニターがよく見えないままシャッターを切っているという状況ではないでしょうか。私などはほとんど見ずに撮っていることも多いのです。つまりモニターが見えない状況でも撮りたいものがあったらシャッターを切っておく。そのときにカメラが肉体化していれば中心揃えでだいたいなんとかなるのです。そういう立場からいうと、この写真はアバウトではないのかもしれません。カメよりもカモの方に目が行っていたのではないかと想像するのです。トリミングでカメの主役度を高めるためには上側をカモが一列にならんでいるところをギリギリ入れるて寸づまり状態にしてみたらどうでしょうか。そういう作業は、カメラを「肉体化」するには大事かと思います。




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【27】撮影:土屋 千鶴子
今、落ちたばかりなのかしら、ぎんなんが一つぽつんと砂利の上に。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
ギンナンはもちろんイチョウの実、独特の強い臭いがあるので、この写真を見た瞬間にパッとその現実がよみがえってくる人も多いだろう。私などは食べる前のギンナンの実とこれとの間がダイレクトに埋まらないけれど、このなんだかわからない、ちょっと複雑な色合いのオレンジ色の物体と、敷き詰められた小石、そしてその小石の空白部分とこのオレンジ色物体との関係……などなど「10秒見る」に値する写真だと思うのですが、いかがでしょうか。




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【28】撮影:伊藤 朝
うわさ話でしょうか?
何をしゃべっているのか気になる二人。
女性はおしゃべりが大好きですから、有料庭園でも会話に花が咲きます。
何時間でも。
何十時間でも。
■自由投稿コメント:




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【29】撮影:土屋 千鶴子
どっしりした男性の顔にみえませんか。それも男性が男性らしくあった古代人の。そして周りの緑は自然のネックレス。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
この発見写真旅では写真にはタイトルをつけないことになっています。そのかわりキャプション(書き方や内容は自由)が必要です。昔、私もカメラマンを目指しながら文章が苦手でしたから、写真を撮る人が文章を嫌う傾向はわかります。最初はキャプションを「60字以上」としていましたが、不評もあり、この時点では「60字以上か、長めの2行か、短めの3行」というようなあいまいな条件にしています。タイトルだけで「わかる」写真もあるとは思いますが、ここでは仮展示で「裸の写真」をランダムに見ていただいた上で「キャプション」を加えた写真に仕上げるという2段階にしているので、その中間に位置する「タイトル」がしばしば曖昧さゆえに便利だという感じがお分かりいただけるかと思います。すなわち、キャプションのつけられない写真は提出しないということで内容の底支えになっています。
写真を撮る立場から言えば、伝えたいことを、できるかぎり精一杯伝えようとすべきだと思います。伝えたい気持ちのある写真(だけ)を提出したい。そういう意味で、この写真ではキャプションが見る人と撮った人とを結びつける大きな役目を果たしていると思います。写真を無言で差し出して「どうだ!」というのより、見る側にも発見をうながしてくれる可能性が多いと思うのです。今回は第二部に裸の写真を並べていますから、そういう意味でご覧いただきたいと思います。




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【30】撮影:稲田 郁子
木陰でかくれんぼ?
■自由投稿コメント:




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【31】撮影:伊藤 幸司
石橋のもっとも基本的なかたちは、平たい石をポンと置いただけという危険思想。「石橋を叩いて渡る」という言葉は、こういう橋を前提にしているのではないかと思う。石の板が厚いからといって、安心という言葉にはつながらないのはどうしてだろうか。
■自由投稿コメント:




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【32】撮影:土屋 千鶴子
池のお魚にもすぐ飽きたようですね。先生あっちへ行きたいとでも言ってるのかしら。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
キャプションと、私の印象はずいぶん違います。大きな流れのなかでは、子どもたちはこの手前の石橋のところでずいぶん長い時間魚を見ていましたから、この橋のところでは滞在時間が少なくて、アッというまに先へと行った印象がありました。しかし、です。この写真とキャプションはずいぶん違います。多くの子どもたちは池の風景に見とれています。そのほかの、こちら向きの子どもたちも、水面をのぞき込んでいます。たった一瞬の光景かもしれませんが、写真には子どもたちのそういう一瞬がちゃんと写っています。画面の中でこれだけ小さく写っている子どもたちが、しっかりと主役の座を保ってるのは、ひとつになっている気持ちが写っているからだと私には見えます。どうでしょうか。




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【33】撮影:稲田 郁子
軌跡?がきれい。よく見ると向きをかえたのかな。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
たとえば三脚を立てて撮る写真では頭を使わなければいけません。いろんな可能性のなかから、(とりあえず)ひとつの可能性を決めなくてはいけないからです。しかし手持ち撮影のスナップショットでは(極論すれば)頭を使わない方がいい。
……という観点からいうと、この写真は反射的に撮った写真です。レベル(水平)が傾いていることでそう推理できます。この次の1枚はなかったのでしょうか。
シャッターを切るときにはなにがしかの集中力が発揮されます。そこに「発見」があるはずです。それを押さえるべくシャッターを切った後、とどめの1枚を準備するのがふつうです。ここではその2枚目がなかったか、あったとしても良くなかったか、なのでしょうが、キャプションを読むと、2枚目がなかった気配が濃厚です。現場でこの写真のおもしろさを発見していたら、それを2枚目で写し撮れなかったくやしさが、すこしは感じられる文章になっているはず、と思うからです。
ではたまたま撮れていた写真からあとで発見した「軌跡?」のおもしろさだったとすれば、頭では認識していなかったけれど(無意識に)シャッターを切っている。これはものすごく重要なことです。スナップショットを「反射神経で撮る」のは正解です。ただ、できればその後の2枚目を、頭でフォローしてやると、それは(結果の良い悪いはケース・バイ・ケースだとして)自分の「発見の目」を現場で磨いていくことになります。




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【34】撮影:稲田 郁子
園児の弾む足取りがいい。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
仮展示のときにはコメントできませんでしたが、それはいろいろな人が写り込んでいてどこを起点にみればいいのかわからなかったからです。でもこの写真が「石を渡る」というテーマの1枚目に置かれた写真だと知れば、今まさに石の上にいる最後尾の2人の子どもに写真の中心があるのだとわかります。起点がはっきりすれば、いろんな人がそれぞれに過ごしている時間の中で、その2人と、その影と、水鳥たちが目に強く焼き付きます。




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【35】撮影:伊藤 幸司
亀がプカーッと浮いてきた。甲羅の様子からすると泥の中に潜っていた気配。泳ぎながらすこしずつ泥を洗い流しているふうだった。
■自由投稿コメント:




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【36】撮影:伊藤 朝
色の少ない視界の中から、突然目に飛び込んできた鮮やかな色。
その正体はこの石でした。
それぞれではあまりパッとしない色だけど、このグリーンと赤が隣同士に並んで初めて、お互いが鮮やかに映る。
偶然というのは、どうしてこうも美しいのでしょうか。
誰かがではなく、何かがそう企んでいて、こうなるのでしょうか。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
テーマ・インデックスのページで見ると、これは5枚組の「石の表面」の5枚目。造園師が選んで集めてきたという感じより、三菱財閥の圧倒的な行動力でかき集めてきた石をこれでもか、これでもかと並べた庭の楽しみ方がとてもうまく写し撮れていると思います。
だれでもここではこういう写真を撮ってみたいと思うけれど、ただ単に美しいとか、おもしろいとかではなくて、自分を映す鏡のように見るという芸当はなかなかできません。




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【37】撮影:伊藤 幸司
彫刻作品のように、石をこんなふうに置いたのはいつからだろう。これらの石は紀伊国屋文左衛門の時代ではなく、三菱財閥の岩崎が日本郵船の自社船を活用して全国から集めた時代からだろ。それでも造園の基本構造にかかわる石と、空間表現としての石との間にはちょっとした時間差を、私は感じるのだけれど……。
■自由投稿コメント:




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【38】撮影:伊藤 幸司
清澄庭園ではツワブキが重要な役目を果たしている。これはかなりアクロバチックに岩に根付かせたという感じ。
■自由投稿コメント:




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【39】撮影:稲田 郁子
早くも紅葉の始まった木もあります。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
中の島越しに涼亭を見ているのだと思います。紅葉もすばらしいけれど、日射しもドラマチックですばらしい。いいときに良い場所から撮れた写真だと思います。そこでじっくりと写真を鑑賞させていただくと、問題がひとつ出てきました。紅葉の木の下に、人がいて、石灯籠があるのでしょうか。点景としてそれもこの写真に大きなプラス要素なのですが、残念なところでもあります。もしこれが1枚目の写真であれば、その小さくて重要な点景が「わかりにくい」ことに気づいたでしょう。大きな意味を持たせる必要はないとしても、同じ意味で疑問を感じさせる必要もないのです。数十秒、あるいは数分待ってその小さな部分に「ていねいさ」を加えたら画竜点睛という結果になったと思うのです。
白状すると、仮展示の段階でそこまで見ていたわけではありません。しかし一見して、ややこしい感じがありました。紅葉を楽しむ前に、そのややっこしさがこの写真から目を離させてしまうのです。画面の中では小さいけれど、どうしてもそこに目がいってしまう。2枚目のフォロー写真を撮ることで、自分の「発見」の目をさらに磨くことができるかと思います。「反省! 反省!」の繰り返しにはなるかもしれませんが。




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【40】撮影:伊藤 朝
長ーいベンチでひと休み。
「それぞれが楽しむ時間」と、「みんなで楽しむ時間」。
この二つの丁度中間あたり。
座っているお隣との微妙な距離から、そんなバランスが感じられる。
■自由投稿コメント(仮展示中):伊藤 幸司
この気分、いいですね。日射しもものすごく気持ちよさそう。【11】の写真と比べるとハトの役割がずいぶん違います。




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【41】撮影:稲田 郁子
至近距離。足が立派。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
いろいろなことで写真をハンドリングする時間にあまり余裕がないようですが、プロのカメラマンをたくさん見てきた経験で言えば、撮った写真を自分でフォローしていくかどうかが、成長に欠かせません。カメラマンは写真を撮ればいいので、プロの場合だったらライターか編集者に渡せばいいとして、撮りっぱなしでもいいのですが、写真をフォローできる力が写真を伸ばす大きな要因となります。意外かもしれませんが、写真の下手なプロがたくさんいます。そういうカメラマンを支えているのは裏方としての力です。撮影対象に向かい合ったときに10の理想のうちの8しか撮れなくても、撮るべき対象に向かい合えるかどうかを考えたら、撮影チャンスの多い人や、短時間でひとりで仕事をしてくれる人を派遣したくなります。
こういう鳥を撮ってしまったのですから、10分でもネットで探してみると、わかるかもしれません。カモの仲間でヒドリガモ(緋鳥鴨)のメスではないかと思うのですがどうでしょうか。このとき近くに、ほとんど同じ風体ながら、頭にモヒカン風の白い線が入っているオスがいたなら間違いないんだそうです。私なら周囲の写真を見てみます。そういう意味では、仕事であれば鳥のわかる人に見てもらうことも考えて、この鳥の同定のために何枚か余分な写真も撮っておくようになります。山で見る花についても基本的には同じなんですが。
カメラマンは目の前の光景のピークに立ち会いたいと考えます。ですから撮った写真をそこで終わりにしてしまうのはもったいない。興味を延ばしていけるかどうかは別としても、撮った写真への責任の果たし方として、写っているものに対する関心(責任?)を1歩だけ深めておいていただきたいと思います。




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【42】撮影:土屋 千鶴子
右側に写っている女性は花嫁のママです。お天気が良くて何よりですね綺麗に撮ってあげてください。
■自由投稿コメント:




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【43】撮影:伊藤 幸司
松の緑のこのやわらかさ。日本庭園では松は高貴な存在に見えることが多いけれど、ここでは親しみの表情をしている。
■自由投稿コメント:




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【44】撮影:伊藤 幸司
こういう親子がいると胸ワクワクで近づいていく。150円の鯉のエサがなんなのか知らないけれど、親は子どもがキャッキャッと喜ぶ瞬間のためにふんだんに撒いてくれる。水面が大きくざわつくのだ。
■自由投稿コメント:




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【45】撮影:伊藤 朝
落ちていたザクロ。
近くにももう一つあったけど、どこから落ちてきたのか確認するのを忘れてしまった。
だって、すぐ目の前で結婚写真の撮影をしていたんだもん。
素敵な和装。
両家のご家族と、プロの撮影クルーに囲まれながら。
■自由投稿コメント(仮展示中):稲田 郁子
アケビの実でしょうか。ちょうど、陰影がついて、印象的な作品ですね。




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【46】撮影:土屋 千鶴子
水鳥達が池の中程にお行儀良く並んでいました。もう少し上の方に松の木を見せたほうがバランス的に良かったのかもしれません。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
この写真を受け取った編集者の立場になってみます。普通はレイアウト上の制約が先にありますから強引なトリミングに耐えるかどうかとまず見ます。
この写真はある全体(たとえば庭園全景というような)を見せようとする役割には向きません。どう考えても池(大泉水)の印象を伝える役割に限定されます。すると要素として大事なのは水鳥とその向こうの水面の輝き、手前にある樹木の陰、画面上部にある岸辺が入ってくるかどうかは成り行きにしたがいます。
次に画面を外側からどこまで切り落とせるか簡単に見てみます。中心は水鳥ですから上は光る水面が入っていればどこでも切れます。下は黒い影が入りますからこちらもどこでも良いのですが、陰がふくらんでいるところで切るのと、しぼんでいく段階で切るのとでは画面の中でのウエートが変わってきます。通常はしぼむところまでいれてやらないとこの影が思わぬ意味を持ってしまうことがあるので注意します。
左右はどうでしょうか。左端の陰の部分を隠すとこの池の大きさが感じられなくなりますが、水面は気持ちよく広がって、中央の水鳥が主役の座を確立します。右はどうか。右上に水鳥が2羽いますが、それを切るかどうか、入れるとしたら手前の群れの右端の鳥を入れるかどうかという選択肢を考えます。
風景写真を、フィルム運びのアシスタントをつけてもらって1日8時間で1週間見続けるというようなことを何回もやりましたが、この写真はトリミングの余裕幅が案外少ないのです。「右なりゆき」なら正方形にもできるのですが、「縦横比」をいくらか動かせるだけという感じがします。キャプションにあるようにもっと上があれば「バランス的に良かったかも」とは考えません。もうすこしゆるく撮るか、絞って撮るかだと思うのです。アマチュアの人たちの写真に対する姿勢ではフレーミングやトリミングに「絶対」を求めますが、写真作家の作品集でも、本の版型に拘束されたトリミングによってよりより表現ができると考えるのが一般的ではないかと思います。展示用プリントにしても紙のサイズに合わせるのが一般的かと思います。フレーミングに絶対価値を与えるとしたら「ノートリミング」になりますが、フィルム時代の35mmのフレーム、6×6判のフレーム、4×5判のフレームはそれぞれ縦横比が違います。ですからノートリミングには「何も隠していません」という以上の意味は込めない方がいいと私は考えています。
この写真は光と影と水鳥という3要素に絞ってみたくなります。




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【47】撮影:伊藤 朝
園内の隅の方、足元にたくさんのどんぐりが落ちていました。
辺りを見渡すと、大きなどんぐりの樹がそばに立っていて、時折カサッという音を立ててどんぐりを落としていました。
帽子をかぶったどんぐりはよく見るけれど、洋服を着たどんぐりは初めてです。
2、3枝拾って、友達へのお土産にした。
■自由投稿コメント:




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【48】撮影:伊藤 幸司
専門的なことはわからないけれど、ここの松は葉がとてもやわらかく、ふくよかな感じがする。池の端にあるのもは総じて古木という感じがしないので江戸時代からの由緒……などという重厚さには欠ける。
■自由投稿コメント:




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【49】撮影:稲田 郁子
池には鴨がたくさん。羽ばたいているのを撮るのに、時間をかける。飛ぶわけではなく、雌に対するアピールなのか。
■自由投稿コメント:




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【50】撮影:土屋 千鶴子
濃い青みがかった実が鳥達に遠くに運んでもらうのを待っています。
■自由投稿コメント:




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【51】撮影:伊藤 幸司
一般的にいえば、木と石が絡み合っていたら、どちらが古いか。石でしょう。岩があって、そこに木の根が絡み合って、岩の割れ目にまで入り込んで、いつか岩と木が合体状態になっていく。そういう木と石の関係を私は山でごく普通に見てきたので、この石にはものすごく違和感がある。誰かがここに置いたという光景がどうしても浮かび上がってきてしまう。庭師がやったのだとしたら、ちょっと浅はかだな、と思ってしまう。
■自由投稿コメント:




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【52】撮影:稲田 郁子
新婚さんもカメラマンと一緒に渡ります。
■自由投稿コメント:




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【53】撮影:伊藤 幸司
自然石を輪切りにして並べたような延段。すごく大味な感じがする。
■自由投稿コメント:




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【54】撮影:土屋 千鶴子
今回お気に入りの1枚です。おじさんカメラマンがきちんと靴を脱いでベンチに上がり撮影している様がなんとも可愛らしく感じたのです。残念な事に肝心の靴が上手く撮れていませんでした。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
これとほとんど同じときに、同じテーマで撮られた、ほとんど同じ写真が【03】です。ほんのちょっとの時間のずれ、感じた印象の違いが、それぞれのキャプションを読むと感じられます。
しかし、写真を裸の状態でランダムに並べてあったとき、この2枚の写真がどんな風に見えたか……というと、じつは私にはよくわからなかった。キャプションを読んでみると、2点の写真はどちらも「靴」が主役なのですが、それがうまく浮かび上がってこない。
今の時代、「靴」をもうちょっと見えるようにするのは簡単……かもしれせん、結果主義からいえば。しかし私が考えるスナップショットではこの悔しさを心に秘めておいてほしい。この「おじさん」が目にとまってからシャッターを押すまでのこちら側の「目の軌跡」に撮った人のセンスが隠されていると思うからです。【54】【03】ともに「自分自身で失敗から学ぶ写真」だと思います。




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【55】撮影:伊藤 朝
途中、園内で何回かすれ違った3人家族。
男の子がとにかくやんちゃで、よく笑う。
この子の身長から見る池の鯉は、恐竜のように見えているんじゃないかな。
■自由投稿コメント(仮展示中):稲田 郁子
こんな写真が撮りたかった、私のシリーズにいれたかったという、垂涎の1枚です。




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【56】撮影:伊藤 幸司
大泉水の岸辺の道は水上の延段。川を渡る踏み石を大胆にスケールアップしてしまった。
■自由投稿コメント:




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【57】撮影:伊藤 朝
エメラルドグリーンの大きな大きな滝です!
滝から落ちるまえの水面は、穏やかそうで水面がキラキラ光っているようで。
落ちていく水は、一直線に落ちて行く。
大きな本物の滝は見た事がないけれど、きっとこんな感じなのでしょう!
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
園内に置かれたたくさんの自然石をこまかく見ていけば無限におもしろいと思ったので、第二部として「キャプションをつけなくていい石の写真」をたくさん並べてみようと提案したのです。これはキャプションをつけられて「石の表面」というテーマの1枚となっています。こういう写真は膨大に「撮れるはず」なのですが、やってみるとそうはいかない。見る側のエネルギーがそうとうに必要です。簡単にいえば飽きてしまいます。すると見ているつもりなのに見えてこない。もちろん私もこの石を見ていたはずなのに、見えていません。そういう意味で今回のテーマ設定に忠実にとらえた1点といえます。




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【58】撮影:土屋 千鶴子
池の水際すれすれまで足が運べるよう優しく石が配置されている。石に誘われるようにゆるゆると歩こう。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
こういう石はしばしば流れに渡されて橋になっています。それをここでは岸辺の道としているのですが、先へ先へと導かれる気分がよく再現されていると思います。
それにしても。岸辺の道を担当した造園師はありあまる石の中から遊び心を満たせるだけのものを自由に選べたと感じました。踏み石に導かれて歩く楽しさがここにはあります。




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【59】撮影:伊藤 朝
何ものかによって削り削られ、まるで宇宙から見た惑星のような表面。
この写真をじっと眺めながら、この表面に近づいていく景色を想像する。
筋のように走っている線は山脈、水の溜っているくぼみは大きな湖。
ここからは見えていない所には、きっと生物がいて、植物が生えようとしているに違いない。
・・・地球もそうか。
なーんだ、おんなじだ。
■自由投稿コメント:




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【60】撮影:稲田 郁子
別の園です。しゃがんでかわいいね。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
仮展示のときになんでコメントを書かなかったのかわかりませんが、まちがいなく「いい写真」です。木に隠れている男性スタッフ1人を除いて、全員をひとり一人見ていくと飽きません。水鳥もいるし、じつは鯉も頭を見せています。その波紋が水面を美しく彩っています。「橋の上で」というテーマの1点としても素晴らしいと思います。清澄庭園を代表する光景だと思います。仮展示の段階でコメントしていないのが悔やまれます。




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【61】撮影:伊藤 幸司
水辺の延段。ここに並ぶのは踏み石か、踏み岩か。遠足にきた園児たちがここを渡る賑やかな声を向かい岸から聞いていたけれど、ほんとうに楽しそう。水の上を歩いているのに手すりがないのだ。はしゃぎすぎたら水に落っこちるかもしれない。でもそうはならないどっしりとした石の床。ふと気づくと石はひとつひとつ違った顔つきにも見えてくる。
■自由投稿コメント:




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【62】撮影:稲田 郁子
これ楽しいでしょうね。何を撮っているのでしょう。
■自由投稿コメント(仮展示中):伊藤 幸司
ヘンな写真。でもおもしろい。ほんとうは何があるのか、この場所を知っている私にも見当がつきません。構えているカメラの角度から想像するに、空の入った光景が、なにか、ものすごくおもしろいのでしょうね。




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【63】撮影:伊藤 幸司
どこの石か。名札がなかったのか、気づかなかったのか。とにかくこの狭い水面にこの石が1個あるだけで深山幽谷のたたずまいを見せてくれる。石1個の力によって、向こう岸のツワブキも、なにか別の植物に思えてしまう。はっきり言って、この石はこの庭園では孤高の存在という印象だ。ここでは異端的な姿形の石といえる。
■自由投稿コメント:




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【64】撮影:伊藤 朝
少しづつ色づきだした葉っぱ。
一面が色づいた景色も素敵だけど、こうやって緑も黄色も楽しめる時期だってすてきです。
この日は特に、空の色が穏やかな水色で、日の光がいっぱいで、植物が生き生きとして見える一日でした。
■自由投稿コメント:




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【65】撮影:稲田 郁子
そして最後に白鷺さんも渡ります。
■自由投稿コメント(仮展示中):伊藤 幸司
これは、これは。白鷺さんがひとに見えてきます。頭で撮るのではなくて、気分で、反射神経的に撮るというのはこういうことだ……といいたいのですが、どうでしょうか。




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【66】撮影:土屋 千鶴子
オットセイかな? 左側がちょっと長めの首。おっととこの辺で一休みですね。
■自由投稿コメント:




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【67】撮影:伊藤 朝
当たり前の事だけど、石にも色々な色がある。
削られていく中で色が変化したり、何か違う物質との出会いで化学反応を起こしたり。
そういった色々な出来事で、日々変化していく。
じっとそこに居て、自分の意思では動かない、そんな石も変化をする。
そう考えれば、人間である自分なんて、意外と簡単に変わりたい自分に変化していけるんじゃないかって思う。
都合がよすぎるかもしれないけど、この写真一枚でそう思えるなら儲けもんだ。
■自由投稿コメント:




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【68】撮影:伊藤 幸司
たぶんこれがこの庭では最も重要な松ではないだろうか。二本の松のそろい踏みだが、なんとかこれだけのボリューム感を作り上げて、大泉水の岸辺にひとつの中心点をつくっている。
■自由投稿コメント:




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【69】撮影:土屋 千鶴子
今にも泳ぎ出しそうな石。石の目線で松をみたつもりなのですが。撮影者の目線が石の目線になれませんでした。
■自由投稿コメント:




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【70】撮影:伊藤 幸司
日本庭園の中心は池で、それを海に見立てたり、琵琶湖などの湖に見立てたりするのが一般的だ。ここももちろんそういう趣向になっているのだろうけれど、なぜか解放された水面という素朴な印象が強い。
■自由投稿コメント:




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【71】撮影:伊藤 朝
園児のお散歩。
先生に連れられて小さな帽子が並んで歩きます。
その様子が可愛くて。
静かな園内ににぎやかな声が聞こえてきます。
その声が楽しげで。
あの子たちは、今日ここで何を発見したのかな。
きっと、私達よりずっとたくさんの楽しい出会いがあったんだろうな。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
何だろう。この写真のちょっと引いた感じは……と思っていたら、キャプションを読んで、自分の過去と重ね合わせて見ていた光景なんだとわかりました。石橋の上から鯉と水鳥を見ている自分をこっそり花陰からのぞき見ている……というふうに見えてきました。




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【72】撮影:土屋 千鶴子
池の中に見つけました。何の為の杭なのでしょうね。
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【73】撮影:伊藤 幸司
前回の小石川後楽園では「延段」が主役のひとつだった。そこで私は78番の写真にこんなキャプションをつけた。「園路は飛び石が基本らしいが、それでは単調になるというので何種類かの石を組み合わせてデザイン化した「のべだん」(延段)で要所を締めるのだという」。小石川後楽園と比べるとこの延段はあきらかに石が贅沢に使われている。
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【74】撮影:稲田 郁子
親子さん。もっとよく撮れなくてごめんね。
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【75】撮影:伊藤 幸司
有名庭園の池ともなればいかにも上流階級ふうの錦鯉が主役だが、下町のこの庭園ではこんな顔つきの鯉が庶民的な振る舞いを見せてくれる。この大きな池の何処に行っても、すぐにこんな歓迎風景が展開される。このおふたりなどはちょっとおっとりした表情だったが。
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【76】撮影:稲田 郁子
この公園のイメージは、池と石です。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
頭に結論を出す、という語り方であることをこのキャプションで知りました。そこで「テーマA:公園」画面に戻ってみると、この日のこの庭園の「5つのポイント」があきらかにされています。
代表選手となった5点の、それぞれの背後にある写真も見たくなります。大作への序曲という感じの、最初の1枚かもしれません。




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【77】撮影:伊藤 朝
水面に浮かぶ飛び石。
日が当たっているのかいないのか、不思議な光の中の写真。
この水面の揺れに合わせて、石もゆらゆらと動き出しそうな気配。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
石の写真だけれど、光の写真。それ以上のことはあんまり考えていないようだけれど。




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【78】撮影:土屋 千鶴子
頭から胸にかけての赤が美しいです。ちょっとおすましをしてポーズをきめていますね。
■自由投稿コメント:伊藤 幸司
庭園の入口でもらうパンフレットに、清澄庭園で見られる野鳥の情報が出ています。「冬の野鳥」には「キンクロハジロ、ホシハジロ、オナガカモ、ヒドリガモ、など」とあります。ネットで簡単にその写真を見ることができます。じつは私はその4種を見たことも聞いたこともなかったので、自分が撮ったのがどれか探したら【22】がキンクロハジロだと知りました。これはホシハジロ。
撮ってしまった写真を調べるというのは、じつは私の本職として『宮本常一 写真・日記集成』(全2巻・別巻1、毎日新聞社・2005)で平嶋彰彦、中村鐵太郎さんとの3人タッグをおおいに楽しみましたが、お二人にはいずれゲスト参加してもらいたいと考えています。何を撮ったかわからない写真を謎解きしていくおもしろさを自分の写真でやってみてほしいと思います。それにハマるタイプの人も多いはずです。




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【79】撮影:伊藤 朝
何気ないと思ってしまえばそう。
でも、よくよく見ると、好きな石とそうでない石がだんだん見えてくる。
お気に入りの石を主役にシャッターを押す。
お店に入ってお気に入りを探す気持ちとおんなじだ。
あぁ、持って帰りたくなってきた。
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【80】撮影:伊藤 幸司
どうとう重要な場所に植えられた松。岸辺の松は、みなサイズが似ている。もちろん人よりも高いけれど、風景の中ではモデルさんが立っているという感じ。親近感からいえば読者モデルという感じか。
■自由投稿コメント(仮展示中):稲田 郁子
松と鴨と池の向こうの池、配置がよいですね。




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【81】撮影:伊藤 朝
虫に食われながらも一生懸命に色づいた葉。
踏ん張って踏ん張って、気が付いたら誰よりも早く赤くなっていました。
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【82】撮影:土屋 千鶴子
芭蕉の「古池や」の名句が刻まれた石です。芭蕉の奥の細道行始発点がこの近所にあるとの事で、商魂たくましい庭園側が設置を考えたのでしょうか。後ろの大きな木に負けない位堂々とした石でした。
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【83】撮影:伊藤 朝
古代文字が書かれているような石。
でも、もしかしたら「ような」ではないかもしれない。
何年も何年もむかーし昔に、誰かが何かを伝えようとした跡かもしれない。
石にも記憶があって、歴史がある。
人間のようにおしゃべりではないけれど。
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第2部――――ギャラリー「石」




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【84】撮影:土屋 千鶴子
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【85】撮影:伊藤 朝
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【86】撮影:伊藤 幸司
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【87】撮影:伊藤 幸司
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【88】撮影:土屋 千鶴子
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【89】撮影:伊藤 幸司
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【90】撮影:伊藤 幸司
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【91】撮影:伊藤 朝
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【92】撮影:伊藤 幸司
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【93】撮影:土屋 千鶴子
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【94】撮影:伊藤 幸司
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【95】撮影:伊藤 幸司
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【96】撮影:伊藤 朝
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【97】撮影:伊藤 幸司
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【98】撮影:伊藤 幸司
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【99】撮影:伊藤 幸司
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【100】撮影:土屋 千鶴子
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【101】撮影:伊藤 朝
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【102】撮影:伊藤 幸司
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【103】撮影:伊藤 幸司
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【104】撮影:土屋 千鶴子
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【105】撮影:伊藤 幸司
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【106】撮影:伊藤 幸司
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【107】撮影:土屋 千鶴子
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【108】撮影:伊藤 幸司
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【109】撮影:伊藤 幸司
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【110】撮影:伊藤 幸司
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【111】撮影:伊藤 朝
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【112】撮影:伊藤 幸司
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【113】撮影:伊藤 幸司
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【114】撮影:伊藤 幸司
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【115】撮影:土屋 千鶴子
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【116】撮影:伊藤 幸司
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【117】撮影:伊藤 幸司
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【118】撮影:伊藤 朝
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【119】撮影:伊藤 幸司
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【120】撮影:土屋 千鶴子
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【121】撮影:伊藤 幸司
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【122】撮影:伊藤 幸司
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【123】撮影:土屋 千鶴子
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【124】撮影:伊藤 幸司
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【125】撮影:伊藤 幸司
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【126】撮影:伊藤 朝
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【127】撮影:伊藤 幸司
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【128】撮影:伊藤 幸司
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【129】撮影:伊藤 朝
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【130】撮影:伊藤 幸司
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【131】撮影:伊藤 幸司
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【132】撮影:伊藤 朝
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【133】撮影:伊藤 幸司
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【134】撮影:伊藤 幸司
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【135】撮影:伊藤 幸司
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【136】撮影:伊藤 幸司
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【137】撮影:伊藤 幸司
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【138】撮影:伊藤 朝
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【139】撮影:伊藤 幸司
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【140】撮影:伊藤 幸司
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【141】撮影:伊藤 幸司
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【143】撮影:伊藤 幸司
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【144】撮影:土屋 千鶴子
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【145】撮影:伊藤 幸司
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【146】撮影:伊藤 幸司
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【147】撮影:土屋 千鶴子
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【148】撮影:伊藤 幸司
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【149】撮影:伊藤 幸司
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【150】撮影:伊藤 幸司
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【151】撮影:伊藤 朝
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【152】撮影:伊藤 幸司
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【153】撮影:伊藤 幸司
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【154】撮影:伊藤 幸司
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【155】撮影:伊藤 幸司
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【156】撮影:伊藤 朝
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【157】撮影:伊藤 幸司
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【158】撮影:伊藤 朝
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【159】撮影:伊藤 幸司
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【160】撮影:伊藤 幸司
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【161】撮影:伊藤 幸司
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【162】撮影:伊藤 幸司
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【163】撮影:伊藤 幸司
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【164】撮影:伊藤 幸司
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【165】撮影:伊藤 幸司
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【166】撮影:伊藤 幸司
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【167】撮影:伊藤 幸司
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【168】撮影:伊藤 幸司
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【169】撮影:伊藤 朝
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【170】撮影:伊藤 幸司
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