発見写真旅・展(91)――2015.11.24 京都弾丸ツアー 発見写真旅・展(91)――2015.11.24 京都弾丸ツアー

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1.東福寺へ
2.永観堂へ
3.天龍寺へ
4.大河内山荘へ
5.高台寺へ
6.清水寺へ
7.再び永観堂へ
8.前日

*平均年齢68.8歳の8人が「京都弾丸ツアー」をやろうとしたのには企画者・伊藤なりのけっこう深いワケがありました。
*京都に泊まって京都盆地を歩こうという計画はすでに6月にやりました。大原の温泉民宿に泊まれたので、1日目は大文字山、2日目は比叡山というのがその第一弾。第二弾は紅葉の時期に、箕面を考えました。大阪に宿をとれば、ある程度の人数が直前のルーズな予約(山小屋でいつもやっている方式)で泊まれないはずはないので、関西の紅葉を箕面からスタートしたいと考えました。そして2日目の起点を嵐山にしたのです。その日は6時に道頓堀の宿を出て、東海自然歩道を嵐山から高尾まで歩きました。
*外国人旅行者が驚くほど多くなった京都で泊まろうとすると季節を選ばなくてはなりません。今期はだからもう1回、2月に京都市中の古い旅館に泊まって京都トレイルあたりを歩く予定を立てています。
*さて、それでなぜ「弾丸ツアー」なのかです。その原型は2003年7月15日の伊吹山です。伊吹山固有種のルリトラノオを見られないかと、日帰り登山を計画したのです。しかし新幹線往復では、伊吹山に登るだけでは交通費が割高な感じが否めません。だから琵琶湖のあたりで泊まる計画にふくらませてしまうところなのですが、このときは帰路を京都からの夜行バスにしたのです。京都は祇園祭の宵山の大混雑、ザックを背負った一団が、まるで電車ごっこのようにして、縦横無尽に歩き回ったのです。
*旅行だったら、そんな恥ずかしいことはできない、と考える人たちです、私たちのメンバーは。しかし山のスタイルで一列縦隊になって、トップが行く道をガンガン行けます。気がついたら一方通行らしい道を逆走していたということもありました。
*その一列縦隊を、紅葉のピークの京都でやろうと決めていたのです。8人中の5人は新幹線往復の日帰り(往復ひかりにしてJR6社・ジパング倶楽部の3割引チケットを利用しています)ですが、ひとりは京都の友人と会うために前泊、私ともうひとりは夜行バスとなりました。
*その夜行バスは2003年当時とは全く違います。大ざっぱにいえば3列シートで片道7,000円、4列シートなら5,000円、あるいは3,000円も可能です。私は仕事に差し支えないように往路は3列シートにして、帰路は4列シートのシニア割引で3,000円、合計1万円で往復しました。これは松本往復とほぼ同等の価格です。
*そしてウィラー・エクスプレスに代表される夜行バスは、シートや運行の仕方が昔とは全く違うのです。その夜行バスをせめて一度だけでも体験してみていただきたいという提案でもあるのです。
*紅葉のピークには京都市内はタクシーでも時間が読めないほどの渋滞になり、有名な寺社では門前での長時間待ちも覚悟しなければならないといわれます。それを覚悟で、メニューだけ豪華な計画を立てました。ついでに直径30cmほどの輪をひもで作って、全員のザックの背中につけました(実際にはほとんど必要がありませんでしたが)。その一日に私たち8人が見たもの、体験したものをレポートします。


★糸の会山行[974] 京都弾丸ツアー────2015.11.24

・0800……前泊・夜行組が京都駅で落ち合う予定時刻。前倒しできました
・0800-0915……1.東福寺
・1030……地下鉄東西線・蹴上駅で全員集合
・1045-1125……2.永観堂
・地下鉄東西線・太秦天神川で乗換。嵐電・天神川から嵐山へ
・1235-1305……3.天龍寺
・1305-10……嵯峨野竹林
・1310-1405……4.大河内山荘
・JRで嵯峨野から二条。地下鉄東西線で三条京阪、京阪線で祇園四条へ
・1615-40……5.高台寺
・1750-1830……6.清水寺
・タクシーで京都駅へ。新幹線組帰路へ
・1750-1830……7.永観堂(伊藤のみ)
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の5人です。
三浦 陽子(5点)
佐藤 時子(12点)
矢野 博子(18点)
小林 美子(25点)
伊藤 幸司(85点)


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★このアルバム・シリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。写真は撮影時刻順に並べて本展示としました。(期間を限定せずに)みなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:三浦 陽子


撮影:佐藤 時子






撮影:矢野 博子








撮影:小林 美子










撮影:伊藤 幸司


































1.東福寺へ
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【01】撮影:08時28分=矢野 博子
東福寺 開門前に到着したものの 既に切符売り場は 長蛇の列。しかし期待を裏切らない紅葉に目を奪われた。それに まだ それ程の人混みでないのが 助かる。
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【02】撮影:08時29分=矢野 博子
天気は あまりよくないという予報だったが 時折差し込む光に落葉が光り 嬉しかった。
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【03】撮影:08時31分=伊藤 幸司
夜行バス組と前泊組(合計3人です)は8時前に京都駅集合。タクシーで東福寺に向かいました。紅葉のピークには1日35,000人が訪れるという名だたる紅葉の名所なので、何時間待ちになるかわからないという情報ゆえ、あきらめて引き返すのを覚悟しての特別企画でした。
8時過ぎに到着すると長い列ができていました。しかしスルスルと入れてホッとしました。すると、とたんにこの紅葉。今年の紅葉は悪い、悪いといわれながら、さすが京都は次元が違うと思いつつ進んでいきました。
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【04】撮影:08時31分=伊藤 幸司
見上げるとこの紅葉。日が射したらすばらしい輝きになると感じました。
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【05】撮影:08時31分=伊藤 幸司
この場所は覚えています。この後洗玉澗(せんぎょくかん)へと下ったからです。よく覚えているのですが、なぜここで見たのかわかりません。つまりどこで並んで、どういうルートで通天橋(つうてんきょう)へと入ったのかが不明なのです。渓谷へ下る道があるんだな、と思ったことだけ覚えています。
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【06】撮影:08時31分=伊藤 幸司
この写真を見て、思い出しました。通天橋に入る前に、赤と緑の絨毯が広がっていました。京都でないとなかなか意識できない晩秋の彩りです。
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【07】撮影:08時34分=伊藤 幸司
通天橋の上から足元の洗玉澗を撮っています。2,000本のカエデの海、だそうです。かつてここにはサクラが植えられていたのだそうですが、それもよかった、という感じ。向かいは臥雲橋(がうんきょう)。後で知るのですが、向こうから見るのならタダで入場制限もありません。紅葉の雲海の向こうに人がいない写真を撮りたいときには、開門前に臥雲橋から、とガイドブックにありました。
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【08】撮影:08時35分=矢野 博子
紅葉は 手入れされた緑の苔の絨毯に柔らかく敷き詰められ 緑とのコントラストが 見事だった。
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【09】撮影:08時36分=伊藤 幸司
この眺めを雲海に見立てての通天橋。誰が撮っても素晴らしい写真になることは間違いありません。問題は「いつ撮るか」です。
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【10】撮影:08時40分=矢野 博子
丹精なほうきの掃き目が 清々しい。もみじばかりに気を取られていたが それもこんな庭があって引き立っている。
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【11】撮影:08時41分=伊藤 幸司
参拝コースの一番奥にあるのが開山堂。常楽庵が別名の重要文化財です。
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【12】撮影:08時41分=伊藤 幸司
この季節でもあざやかな緑がひろがるという意味で、苔の庭に価値があるのだと感じました。
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【13】撮影:08時43分=伊藤 幸司
東福寺は庭園でも有名ですが、この日はまったく除外。これは、開山堂に向かう道の、たぶん単なる飾り模様。
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【14】撮影:08時44分=伊藤 幸司
ドウダンツツジの赤もこの日は目をひきました。
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【15】撮影:08時45分=伊藤 幸司
東福寺は、もみじが散ってからの風景もいいとされますが、これがその始まりかと思います。
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【16】撮影:08時49分=伊藤 幸司
洗玉澗をのぞき込んでいます。この落差がもみじを雲海にしているわけです。
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【17】撮影:08時49分=矢野 博子
紅葉は 一部終わりかかっているのか 落ちている葉っぱも十分 味を添えていた。 只々 ため息。
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【18】撮影:08時51分=伊藤 幸司
渓谷風景が展開します。この川上側に通天橋があり、川下側に外部通路の臥雲橋があるのです。
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【19】撮影:08時58分=矢野 博子
色々なタイミングで 多分紅葉は楽しめるのだろうけど 木と地面と両方楽しめる今は 得した気分になる。
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【20】撮影:09時01分=伊藤 幸司
この開放的な雰囲気は、西洋風の庭園に近いものと感じましたが、どうでしょうか。
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【21】撮影:09時03分=伊藤 幸司
この日、この庭を訪れた人の、印象に残る場所の一つだったと思います。
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【22】撮影:09時16分=伊藤 幸司
じつは知らなかったので東福寺の境内で右往左往してしまったのですが、境内を出れば簡単。東福寺駅に向かう道筋に臥雲橋がありました。駅から歩いてくればこの場所を通っていたはずなのです。そこから見た通天橋。手前のもみじはまだ色づいていませんが。
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【23】撮影:09時17分=伊藤 幸司
向かいの通天橋には、次から次へと入場してきた人たちが並んでいます。感激の一瞬……でした、私たちも。
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【24】撮影:09時21分=矢野 博子
東福寺からの帰路 脇におかれていたお地蔵様。やさしい雰囲気が漂い 気持ちが楽になる。

2.永観堂へ
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【25】撮影:10時04分=伊藤 幸司
この写真は10時30分地下鉄蹴上(けあげ)駅集合の待ち時間に、ひとり駆け足で訪ねてみた日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)。小さいながら「京の伊勢」と呼ばれる特別な神社だとか。
……で何のために立ち寄ったかというと、紅葉の様子を見たかったのです。そうしたら、紅葉はガッカリ状態ながら、サクラが花をつけていました。5月19-20日の京都ハイキングではここから大文字山まで京都トレイルを歩きました。そのときに、ここが隠れた紅葉の名所と書かれていたので、そのピークシーズンに一目見ておきたかったのです。
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【26】撮影:10時39分=矢野 博子
次の目的地 永観堂の塀から覗いた紅葉。また 期待が高まる。
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【27】撮影:10時41分=小林 美子
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【28】撮影:10時45分=伊藤 幸司
地下鉄東西線の蹴上駅から南禅寺の境内を抜けて、永観堂に入りました。その名前から南禅寺の関連施設かと思っていたのですが、本来は禅林寺。中興の祖とされる永観が、真言宗寺院から浄土宗の念仏寺へと移る動きをつくったということです。11世紀〜12世紀の話です。
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【29】撮影:10時49分=伊藤 幸司
永観堂では大玄関から靴を持って上がり、いくつもの建物をグルグル、グルグルとめぐって、阿弥陀堂(本堂)から庭に降りたのだと思います。これは古方丈から瑞紫殿越しに釈迦堂の側面を見たところだと思います。
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【30】撮影:10時49分=矢野 博子
永観堂の庭の鯉。秋色にぴったりの二匹の鯉の色。周りの人混みなど お構いなし。ゆったりと時が流れる。
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【31】撮影:10時53分=伊藤 幸司
これはたしか、釈迦堂と唐門のあいだの庭です。
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【32】撮影:10時54分=佐藤 時子
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【33】撮影:10時56分=伊藤 幸司
この通路は山の途中にある展望台・多宝塔に向かう道です。私は御影堂(大殿)の脇から撮っているので、壁の向こうに見えるのは釈迦堂です。
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【34】撮影:10時57分=矢野 博子
どこから見ても景色になるきれいな階段。
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【35】撮影:10時59分=伊藤 幸司
これは阿弥陀堂(本堂)へと登っていく脇道ではなかったかと思います。この日、際立って赤いもみじがあったので、多くの人が撮っていました。
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【36】撮影:11時06分=三浦 陽子
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【37】撮影:11時17分=伊藤 幸司
多宝塔まで登ると京都の町並みまでが見渡せました。自撮りをする若いふたりと階段を(トシに似合わず)駆け上がってくるSさんを同時に見ながらシャッターを切ったら、水平がかなり傾いてしまいました。
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【38】撮影:11時18分=小林 美子
高い所より京都の町が見渡せました。
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【39】撮影:11時21分=伊藤 幸司
放生池に下っていくと、散り敷かれたもみじ葉がありました。
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【40】撮影:11時21分=矢野 博子
紅葉の向こうの庭の池には 一匹の鷺。生き物のいる景色が私は 好き。
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【41】撮影:11時22分=佐藤 時子
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【42】撮影:11時22分=伊藤 幸司
放生池の岩に、アオサギがじっと立っていました。このままず〜っと動かないのかと思って正面にまわったら、(たぶん私の殺気を感じて?)大きく動いてしまいました。
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【43】撮影:11時23分=佐藤 時子
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【44】撮影:11時24分=伊藤 幸司
これは放生池の弁天島に渡る石橋のところだったかと思います。
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【45】撮影:11時24分=伊藤 幸司
ウ〜ン、これは葉が極端に細いもみじです。ベニシダレと総称されているようですが、園芸品種のカタログに「シダレモミジ・アカシダレ」とあったのがベニシダレの主要樹種であるタムケヤマ(手向山)で、春と秋に赤くなるとのこと。園芸種としていろいろあるということを知りました。
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【46】撮影:11時24分=矢野 博子
東福寺とは違った色の落ち葉の絨毯。これもまた美し。
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【47】撮影:11時25分=伊藤 幸司
これは放生池の落ち口。枯れ葉がゆっくりと押し流されてきます。
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【48】撮影:11時25分=伊藤 幸司
放生池の落ち口・寿橋から多宝塔を見上げます。
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【49】撮影:11時25分=伊藤 幸司
永観堂の紅葉の状態はおおよそこれによって代表されるかと思います。
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【50】撮影:11時26分=佐藤 時子

3.天龍寺へ
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【51】撮影:11時41分=小林 美子
南禅寺水路閣。
琵琶湖から引く水路を南禅寺の景観にあわせてデザインしたという。
5月に来た時は見る事ができなかった。
今日は思う存分に見る事ができました。
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【52】撮影:11時45分=小林 美子
水路を上流へ、蹴上駅へと向かって進む。
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【53】撮影:12時23分=小林 美子
嵐山に向かう。
嵐電に乗ったら 椅子が可愛かった。
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【54】撮影:12時34分=小林 美子
嵐山駅。
京友禅の生地をアクリルで包み、高さ2メートルのポールにしたものが600本。ポールにLEDが仕込まれていて夜は優しい光で駅が一変するらしい。
きっと綺麗でしょうね。
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【55】撮影:12時47分=矢野 博子
電車に乗って 嵐山の方へ向かった。天龍寺の書院傍の庭園。水面にうつる青空と木々がきれいだった。背後には 嵐山の紅葉。
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【56】撮影:12時48分=佐藤 時子
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【57】撮影:12時50分=伊藤 幸司
地下鉄蹴上駅から東西線の終点・太秦(うずまさ)天神川まで行き、嵐電(らんでん)に乗り換えて嵐山へ。さすがにこの時期、一帯は観光客で大賑わいという状態でした。私たちは食事も我慢して、一直線に天龍寺の庭園に入りました。
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【58】撮影:12時50分=伊藤 幸司
ここで記念写真を撮っておきたいという皆さんの希望で写真を撮ったのですが、Yさんがいません。Yさんを加えてもう1枚撮ったはずなのですが、私のカメラに写っていません。「ワタシ嫌われた」と言われそうですが、初めての不思議な出来事です。天龍寺の怪……かもしれません。スミマセン。
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【59】撮影:12時51分=小林 美子
天龍寺曹源池と嵐山。今年は紅葉があまり良くないと言っているが、ここは素晴らしかった。
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【60】撮影:12時52分=伊藤 幸司
曹源池(そうげんち)庭園。約700年前に夢窓国師によって造られ、その原型をとどめている池泉回遊式庭園として、国の史跡・特別名勝とされたとか。
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【61】撮影:12時52分=伊藤 幸司
これがこの日の天龍寺の紅葉です。
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【62】撮影:12時55分=伊藤 幸司
池泉回遊式庭園の背後の高みに向かう道はこのとおりの混雑。サザンカが私たちを迎え入れてくれます。
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【63】撮影:12時59分=伊藤 幸司
天龍寺境内が一望できます。その眺めを邪魔している枯れ枝は枝垂れ桜。これら立派なシダレザクラのほか、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、ヤマザクラが境内に合計200本とか。その華やぎを想像できる枝垂れ桜です。
しかし、それよりも、この寺は足利尊氏が後醍醐天皇を弔うために建立し、費用の不足を「天龍寺船」による中国貿易再開によってまかなったというのがすごい。日本の寺社の中には個人の力で造られたものが多いけれど、この寺の所領は最大規模で現在の10倍、背後の亀山はもちろん、嵐山まで敷地内であった時代があるとのこと。知ってみれば「借景の庭」どころではないのです。
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【64】撮影:13時03分=三浦 陽子
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【65】撮影:13時03分=小林 美子

4.大河内山荘へ
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【66】撮影:13時05分=伊藤 幸司
約30分で天龍寺見学を終え、北門から出ると有名な嵯峨野竹林(さがのちくりん)の道。京都流の銀座通りという賑わいです。
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【67】撮影:13時05分=三浦 陽子
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【68】撮影:13時16分=伊藤 幸司
この混雑する狭い道に、なんと車が入ってくるのです。さすがにタクシーだけみたいに見えますが、観光タクシーなのでしょう。登り切ったところに何台も止まっていました。人力車は、こちら側へは登ってこないのでしょうかね。
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【69】撮影:13時23分=矢野 博子
黄色が主体の落ち葉に陽射しが輝いていた。貴重な日差し。あわててシャッターを向ける。
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【70】撮影:13時24分=佐藤 時子
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【71】撮影:13時26分=伊藤 幸司
私たちは竹林の道を登り切ったところで大河内山荘に入りました。入場料は抹茶付きで1,000円。
じつはこの日、私たちのメンバーの大半は新幹線でやってきました。朝食は各自持ってきたおにぎりなどの行動食で、昼食抜き状態。境内はどこも「飲食禁止」なので、どうにもなりません。まずは抹茶をいただいてから大乗閣のところの展望広場に出ました。
これは振り向いて、嵐山をバックにした松の枝振り。
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【72】撮影:13時27分=伊藤 幸司
この山荘は7,000坪とか。山の斜面を利用した展望の道によって回遊式庭園となっています。これは大乗閣からすこし上がったところから見る比叡山。
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【73】撮影:13時31分=伊藤 幸司
このイロハモミジがここでは一番印象に残りました。
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【74】撮影:13時32分=伊藤 幸司
持仏堂。映画スター・大河内傳次郎は山林の中にこの持仏堂を建てて、座禅を組んだところから始めたというのです。この庭園を理解するキーポイントとしてここの解説板をみなさんにきちんと読んでもらいました。
「山荘の全てはここから始まりました。1931年(昭和6年・34歳)すでに大スターだった傳次郎は、関東大震災(1923年・大正12年・27歳遭遇)からの念願であった持仏堂を建て、撮影の合間にここで念仏し、瞑想し、静寂を得たことで、映画創りから庭創りに芸術性を見出し、滴水庵の庭から、大乗閣の庭へと、逝去(1962年・64歳)するまで創作にあけくれます」
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【75】撮影:13時35分=佐藤 時子
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【76】撮影:13時35分=伊藤 幸司
茶室・滴水庵とその前庭。この庭園でもっとも素晴らしい紅葉の見られるところだそうです。
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【77】撮影:13時35分=伊藤 幸司
残念ながら、今年はこんな感じの秋景色。
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【78】撮影:13時36分=伊藤 幸司
これは滴水庵の建物を撮っているMさんですが、庭の向こうに何人かの人がいます。嵯峨野の混雑からすれば静かな庭ですが、ほどよい間隔で訪れた人が続きます。
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【79】撮影:13時37分=伊藤 幸司
大河内傳次郎が庭師・広瀬利兵衛の手を借りて30年かけて作り上げた庭園とのこと。京都の人は小さな庭石のひとつにも、産地の山をイメージするといいますから、この踏み石のひとつひとつにも意味があり、価値があったのだと思います。
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【80】撮影:13時37分=伊藤 幸司
この山荘の一番高いところに立つと眼前に嵐山の山肌が迫っています。紅葉のいい年なら、この日、圧巻の光景が広がっていたのだろうと、想像しました。
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【81】撮影:13時38分=伊藤 幸司
嵐山の中腹にポツンと置かれた大悲閣千光寺。この足元の保津川(大堰川)を産業路線として開発した角倉了以がこの川の開削工事(船が遡れるようにした)で亡くなった人々を弔うために嵯峨の千光寺を移転したとか。
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【82】撮影:13時38分=小林 美子
嵐山大悲閣千光寺。
いちょうの黄色があざやかでした。
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【83】撮影:13時42分=矢野 博子
庭園を歩いていると現れた展望台。京都市内をこんな場所から見るなんて贅沢。
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【84】撮影:13時43分=伊藤 幸司
月下亭からの眺め。比叡山から右に下って盛り上がったところが大文字山。肉眼でも「大」の字のところがわかりました。どちらの山も私たちは5月に登っています。
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【85】撮影:13時46分=伊藤 幸司
けっこう「芸術的」な道です。公開される前には、柵はなかったのでしょう。
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【86】撮影:13時53分=伊藤 幸司
さりげなく造られた大河内傳次郎資料館。私たち全員が、あの、何を言っているのかわからない大河内節を聞いたことがあるようですが、役者としてはもっと違う顔をもっていたようです。
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【87】撮影:13時53分=伊藤 幸司
なんといっても丹下左膳。
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【88】撮影:13時55分=小林 美子
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【89】撮影:13時56分=佐藤 時子
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【90】撮影:13時56分=伊藤 幸司
新しく建てられた妙香庵。1週間前の訪問については「発見写真旅090 album紅葉5・東海自然歩道・箕面&嵐山」をご覧ください。私はちょっと押しつけがましくこの場所をすすめましたが、みなさんはどうだったでしょうか。
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【91】撮影:14時01分=伊藤 幸司
妙香庵も展望台になっていて、縁側に立つと比叡山がこのように見えました。
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【92】撮影:14時02分=伊藤 幸司
妙香庵の庭。小さくて、シンプルですが……。
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【93】撮影:14時03分=伊藤 幸司
これも妙香庵。枯れ葉がポツン、ポツンと飛び込んできました。

5.高台寺へ
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【94】撮影:16時01分=小林 美子
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【95】撮影:16時06分=小林 美子
この様な着物着た人を多くみました。
老・若・も……。
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【96】撮影:16時24分=佐藤 時子
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【97】撮影:16時24分=伊藤 幸司
JRで嵯峨駅から二条駅へ、地下鉄で三条→祇園四条へ。八坂神社から円山公園を抜けて高台寺に入りました。といっても、どこから入ってどう抜けたのか私には定かではありません。たぶんこれは方丈前庭、向こうに見えるのが勅使門。この庭を縁先から眺める人がたくさんいて、そのときにはその理由がわからなかったのですが、ライトアップを待つ人たちとか。もうすぐ、ここで何かが起こるわけですね。
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【98】撮影:16時25分=小林 美子
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【99】撮影:16時26分=佐藤 時子
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【100】撮影:16時28分=伊藤 幸司
これが庭園、向こうに臥龍池(がりょうち)があるのだと思います。記憶があまりはっきりしないのは、私自身ちょっと疲れていたのだと思いますし、これからの清水寺のライトアップの混み具合が、この時点では心配で、心配で……。
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【101】撮影:16時29分=伊藤 幸司
これがこの日の高台寺の紅葉状況。おとなしい紅葉というべきでしょうか。
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【102】撮影:16時36分=伊藤 幸司
このあばら家が国の重要文化財とはなんだ、と思ったら千利休の意匠による茶室で、伏見城から移築したものとか。茶室の理想のひとつともいえそうです。
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【103】撮影:16時37分=伊藤 幸司
傘亭と土間廊下でつながったこの二階家は時雨亭。こちらも伏見城から移築して、大火の際にも難を逃れて行き残って重要文化財になったとか。
高台寺は豊臣秀吉の正室・ねねが夫の菩提を弔うために建立、時の権力者となった徳川家康の援助によって荘厳を極めた寺院となったといいます。そして隠居後の高台院(ねね)は大名なみの石高約1万6000石という豊かさによって、サロン活動の中心となったようです。
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【104】撮影:16時40分=伊藤 幸司
高台寺に隣接する高さ24mの霊山観音(りょうぜんかんのん)座像。竹林のところでその横顔が見えました。第二次世界大戦における全世界の戦没者を慰霊するため1955年に建立されたとか。ネットで見ると納骨施設のようです。
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【105】撮影:16時40分=小林 美子
白衣観音様。
観音菩薩の母と言われる。
高台寺の中にあると思ったら違いました。第二次世界大戦戦没者の慰霊の為建てられた 供養塔でした。
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【106】撮影:16時41分=伊藤 幸司
高台寺の基本モチーフのひとつに龍があるようで、臥龍池があり、臥龍廊、そして庭の片隅にこんな龍の置物が。
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【107】撮影:16時41分=小林 美子
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【108】撮影:16時42分=伊藤 幸司
中門から開山堂へと入る人たち。ここでは日没からライトアップということらしいので、夜の部に参加する人たちのようです。広がる水面は臥龍池(がりゅうち)で奥に見える渡り廊下が臥龍廊……だと思います。

6.清水寺へ
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【109】撮影:16時43分=小林 美子
高台寺を後にする時は灯りがついていました。
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【110】撮影:16時46分=小林 美子
石塀小路。
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【111】撮影:16時46分=小林 美子
こんな小路がありました。その小路は石畳の京都らしい風情があって、思わず写真に……。
今度はこんな路をゆっくり歩いてみたい。
高級なお店が集まっている様です。
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【112】撮影:16時46分=小林 美子
人力車。
女性もこの仕事をしている姿を何人かみました。
男性でも大変だろうと思うのに女性で二人乗せて引く事ができるのかしら?
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【113】撮影:16時49分=佐藤 時子
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【114】撮影:16時46分=小林 美子
今日最後の清水寺への道。一日歩いて、歩いて、ここですいたお腹を満たす事ができるか?
ライトアップの清水寺はどうだろうか? と期待をしながら歩きます。
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【115】撮影:16時52分=伊藤 幸司
高台寺から二年坂を経て三年坂へ。行く人と来る人ともに、清水寺から、とか、清水寺へ、という関係。若い外国人旅行者が、ここではただの恋人という風情になっているのもすごいと感じます。浅草の雷門前で見る外国人とはずいぶんと「馴染み度」がちがいます。彼らには「京都の夜」なんていう思い出がズ〜ッと残るのでしょうか。
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【116】撮影:16時54分=伊藤 幸司
坂が清水寺へと導いてくれます。この時間帯、照明のきいた店の内部が外の風景と一体になって、一番華やかな時間帯といえます。左隅にカメラを構えている人がいますが、店を1軒1軒連写していくというようなことを、私も昔、ずいぶんやりました。旅先のあちこちでこの時間帯に。
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【117】撮影:17時46分=伊藤 幸司
画面左側の人たちは(私たちも含めて)午後6時の拝観券売り出しを待っている列。右手の人たちは昼の部の拝観を終えた人や、団体で入れる可能性のある人たち。
仁王門とその右側の三重塔がこんなかたちで見えるということは、私たちがけっこう列の前方に並んでいるということになります。
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【118】撮影:17時53分=矢野 博子
ライトアップされた清水寺の三重塔。朱色の塔は 昼間みるより 印象的だった。ここまで見られるなんて 流石 弾丸ツアー。
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【119】撮影:17時55分=三浦 陽子
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【120】撮影:17時56分=伊藤 幸司
午後6時を待たずに入場することができました。ライトアップの象徴的な光景だと思いました。
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【121】撮影:17時56分=小林 美子
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【122】撮影:18時03分=伊藤 幸司
清水の舞台から下を見ています。正面に見える三重塔は子安塔。明治の終わりまで仁王門のそばに立っていたものを移築したのだそうです。
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【123】撮影:18時03分=伊藤 幸司
清水寺がここに建てられた理由はこの音羽の滝だといわれています。橋のようなところが滝の落ち口で、黄金の水、延命の水、清めの水だそうです。
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【124】撮影:18時08分=小林 美子
ここから京都タワーも見えました。
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【125】撮影:18時11分=三浦 陽子
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【126】撮影:18時12分=伊藤 幸司
奥の院から清水の舞台を見ています。まあ有名な構図です。屋根の上に見えているブルーの線は、どういう意味があるのかわかりませんが、清水寺が京都を支配していると主張しているかのようなレーザー光線(正確に言えばたぶんサーチライト)です。市街地に見えるボーリングピンのような白い塔は京都駅前の京都タワー。
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【127】撮影:18時13分=伊藤 幸司
10年前だったら、ここで人に見せられる写真を撮るだけでベテランといわれただろうと思うのですが、いまはこんな気楽さで、仕上がりを確認しながら手持ちの自撮り。写真技術的にはすごい時代になったものだと思います。
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【128】撮影:18時13分=小林 美子
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【129】撮影:18時16分=伊藤 幸司
京都タワーの地階には100円ショップがあり、その下には大浴場があります。京都歩きのプランを立てるわたしにはけっこう重要な情報です。
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【130】撮影:18時22分=伊藤 幸司
清水の舞台を下から見上げました。舞台下の構造がよく見えるような気がします。舞台上の人たちの頭も。
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【131】撮影:18時22分=小林 美子
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【132】撮影:18時26分=佐藤 時子
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【133】撮影:18時27分=伊藤 幸司
入った仁王門に戻る手前、三重塔が池に映りそうな気配がありましたが、撮れませんでした。
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【134】撮影:18時27分=小林 美子

7.再び永観堂へ
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【135】撮影:20時00分=伊藤 幸司
私は往復とも夜行バスなので、京都滞在は16時間可能でした。新幹線で帰るみなさんと別れて再び永観堂へ。結論を先に言ってしまうと永観堂の見応えは建物の中から切れ切れに見る庭の風景でしたから、庭だけのライトアップではいくぶん単調、寺社のライトアップが昔の松明照明から現在のイルミネーションとの間の、どのあたりにあるのだろうか、などと考えてしまいました。
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【136】撮影:20時00分=伊藤 幸司
夜間だと、昼間物足りなかった紅葉の赤がどのように変化するのか。スポットライトによる表現はもちろん効果的だと感じます。
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【137】撮影:20時03分=伊藤 幸司
唯一開かれていたのが本堂の阿弥陀堂。大晦日、除夜の鐘が鳴るころのお参りに似た、まっすぐな信仰心を求められる感じがしました。
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【138】撮影:20時03分=伊藤 幸司
阿弥陀堂から放生池へと下る石段です。ライトアップは進むべき道筋を照らし出すという心理効果が大きいと感じます。何者かに導かれるという気持ちになるかもしれないと思いました。
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【139】撮影:20時07分=伊藤 幸司
ライトアップの一番の役割はこれでしょう。光によってドラマチックな風景を作り上げる……と。まさに舞台演出のライティングです。
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【140】撮影:20時09分=伊藤 幸司
これは小さな光の効果。LEDライトによって、こういう光がドラマを語り始めることを期待します。
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【141】撮影:20時10分=伊藤 幸司
ライトに照らされたもみじの葉と、スマートフォンに写し取られた記憶。写真のためのライティングという考え方もこれからはだいじかと思います。
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【142】撮影:20時13分=伊藤 幸司
スポットライトを浴びて、舞台の袖から主役が登場してくる……という瞬間を創り出していると思いました。
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【143】撮影:20時17分=伊藤 幸司
中門を出ました。ここは総門との間のアプローチ、無料空間です。入るときには感じませんでしたが、帰るときには、ちょっと後ろ髪をひかれるような、情緒的な光でした。

8.前日
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【144】撮影:矢野 博子
南山城の寺の境内で咲いていた ヒマラヤ桜 可憐な花でした。やはり 日本人は サクラに惹かれるのは 何故?
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【145】撮影:矢野 博子
明治天皇が 病弱な大正天皇の健康を案じて 作らせたという八つ橋本舗のお菓子。原料は 人参 霊芝 クコ 桂皮などいくつかの 高貴薬。美味しかったです。

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