発見写真旅・展(98)――2016.2.16-17 京都ハイキング(18km+21パワー) 発見写真旅・展(98)――2016.2.16-17 京都ハイキング(18km+21パワー)

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第1日
第2日
朝の大文字山・伊藤 幸司

★糸の会山行 983 京都ハイキング(18km+21パワー)────2016.2.16-17
*1日目…車道約6km→峠道8p
*2日目…車道約7km→峠道13p→車道約5km

*京都の中心街に泊まるというのは、直前にあいまいな人数で予約したいとする糸の会としてはたいへんです。冬の京都ならすこしはなんとかなるかと考えて計画したのが、今回の真冬の京都ハイキング。東海自然歩道と京都一周トレイルをおおよそ頼りにして、できれば京都の家並みを眺めながらのハイキングはできないか? と。
*たまたま見つけた京都のど真ん中の町家旅館が十四春(としはる)旅館。3部屋で最大10人という宿泊枠を確保できました。しかし朝食は早い出発では場所がつくれないので無理ということで素泊まりになりました。
*その十四春旅館は、出るときに初めて気づいたのですが、最新のミシュランガイド(大阪・京都版)でホテルに新規掲載されたとのこと。そのお祝いの花がいくつか玄関に並んでいました。ミシュランの宿としては破格の一万円旅館です。そうとは知らずに撮った写真をご覧ください。
*1日目は大原→鞍馬としました。5月19-20の京都ハイキングでは東山の大文字山と大原から比叡山を歩いていますから、今回は鞍馬までの空間を埋めました。
*2日目は鞍馬→清滝としたかったのですが、出発点は上賀茂神社とし、しかも結果は高雄止まりとなりました。それでも11月17-18の紅葉シリーズで2日目に嵐山→高雄を歩いていましたから、一応つながりました。いずれもこのシリーズで発表済みですのでごらんいただければ幸いです。


2月16日
・1000……京都駅で集合
・1150……昼食後・大原バスターミナルを出発
・1230……江文神社
・1250……江文峠
・1310……静原小学校
・1355……薬王坂
・1420-35……鞍馬・杉々堂(さんさんどう)で休憩
・1530……鞍馬・奥の院
・1550……鞍馬・西門
・1745……十四春旅館
2月17日
・0915-40……上賀茂神社
・1035-1100……光悦寺
・1155……上ノ水峠
・1230……オトグリ峠
・1315-50……高山寺
・1400-50……高雄バス停前で昼食
・1500-30……神護寺
・1545……バスで京都駅へ
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。
三浦 陽子(10点)
土屋 千鶴子(13点)
伊藤 幸司(102点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:三浦 陽子






撮影:土屋 千鶴子








撮影:伊藤 幸司










































第1日

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【01】撮影:10時29分=伊藤 幸司
京都駅から10時05分発の大原行きバスに飛び乗りました。これは五条大橋。
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【02】撮影:10時47分=伊藤 幸司
バスが鴨川を遡ると、賀茂川と高野川に分かれます。高野川は比叡山に向かってゆっくりと登っていきます。
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【03】撮影:10時29分=伊藤 幸司
大原バスターミナルでトイレに行った人たちを待っている間に「饂飩蕎麦」にして「手打 蕎麦処」の呂律茶屋に入ってみる気配になりました。……すなわち、三千院にも、寂光院にも寄らずに、ここから東海自然歩道を江文峠に向かうという暗黙の了解がそうしたのだと思います。ほとんどの人が5月にこの大原から比叡山に登っていますから。
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【04】撮影:11時31分=伊藤 幸司
これは大方の人が頼んだ蕎麦とおかゆの定食。
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【05】撮影:11時59分=伊藤 幸司
バスターミナルから大原の里が見渡せる広い風景のところに出ると、地元の人がしつらえた展望台がありました。田園風景の向こうに比叡山がそびえています。その展望案内板がありました。
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【06】撮影:11時59分=土屋 千鶴子
10時5分京都発のバスにのり終点大原で下車。お昼には早かったがバス亭の傍の食堂で昼食。温まったところで大原を江文峠を目指して歩く。
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【07】撮影:12時02分=伊藤 幸司
大原の里から見える比叡山の山頂はこんな感じ。5月にここからあそこまで歩きましたが、けっこうな道のりでした。
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【08】撮影:12時11分=土屋 千鶴子
大原を歩いていると大きなろう梅の木があった。クンクン鼻をむけてみたが風があるせいか小高いところにあるせいか、涼しげな匂いが匂って来なかった。
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【09】撮影:12時12分=伊藤 幸司
青空にロウバイ。たまたま見つけた花のひとつ。
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【10】撮影:12時26分=土屋 千鶴子
江文峠はかなりの急登があり、で、3ケ月ぶりの足に、登山を感じました。鞍馬山の中の神社のひとつ。
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【11】撮影:12時27分=伊藤 幸司
江文神社。京都有数のロッククライミング・ゲレンデ知られる金比羅山(旧名・江文山)の神々をここに祀ったともいわれているそうで、金比羅山登山者に対する指導文書がその登山口にありました。
でも想像していなかった優美な社殿に驚いていたところ、これが大原住民の氏神とか。寄進者のなかにはベニシアさんの名前もありました。
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【12】撮影:12時28分=伊藤 幸司
江文神社境内にあった地蔵像。
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【13】撮影:12時30分=伊藤 幸司
今朝方、京都の北山には雪が降りました。蕎麦の呂律茶屋のご主人によると「比良山地では20cmは降ったでしょう」とのことで、大原はあんがい低いから……とのことだったけれど、江文神社の屋根にはほれ、このとおり。今朝の散歩で金閣寺の周辺で見た雪とほぼ同じでした。
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【14】撮影:12時50分=土屋 千鶴子
目をあげると2〜3日前に降ったのでしょう、雪がへばり付いています。
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【15】撮影:13時00分=伊藤 幸司
道際に残った雪模様。
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【16】撮影:13時13分=伊藤 幸司
江文神社から山道を江文峠まで歩くと、自動車道路に出ます。道際にこんないたずらがありました。
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【17】撮影:13時17分=伊藤 幸司
静原町の集落に入っていきます。静原川に沿う山間の小集落ですが、長い歴史があるらしく、立派な家があちこちに見えてきました。
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【18】撮影:13時29分=伊藤 幸司
静原で流行っているらしい風車飾り? なんだかよくわかりませんが、玄関先で人目をひきます。
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【19】撮影:13時31分=伊藤 幸司
ウメの花が気持ちいい青空に生えていました。
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【20】撮影:13時31分=伊藤 幸司
静原の集落中心部では伝統的な瓦屋根が並んでいました。古い家並みが、私たちの目にはものすごく新鮮に感じました。
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【21】撮影:13時33分=伊藤 幸司
集落のヘリを抜けるように東海自然歩道は延びていきます。山すそ歩きの楽しい気分がこんなところにありました。
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【22】撮影:13時33分=伊藤 幸司
子どもたちがつくったのだとすると協力したおとなたちのニコニコ顔が想像できます。この缶ビール風車がいくつも連なっているので、全体としてはかなりしっかりした構造物となっていて、大仕事。小学生の工作というには大モノという感じがしました。
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【23】撮影:13時36分=伊藤 幸司
京都では庭石に風格を感じることが多いのですが、これは道路際の石垣。
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【24】撮影:14時03分=伊藤 幸司
静原の集落を抜けると薬王坂(やっこう)坂の山道にかかります。標高差約150m登って100m下るというひと山越えです。
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【25】撮影:14時19分=土屋 千鶴子
茶店で草餅とお茶で一休み。囲炉裏に炭がおきていて、風情があります。この後鞍馬山をめぐりました。
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【26】撮影:14時20分=伊藤 幸司
鞍馬の参道に出ました。とにかく暖かい飲み物を、と入った杉々堂(さんさんどう)のよもぎもち。もうひとつの名物・山椒餅は売り切れていたようです。
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【27】撮影:14時37分=伊藤 幸司
鞍馬寺の仁王門。この参道がどんどん、どこまでも登っていくいくという雰囲気がすでにあります。
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【28】撮影:14時42分=伊藤 幸司
ケーブルカーは工事中で工事用のモノレールがありましたが、なんともカッコいい。優良運転していたら乗ってみたい。
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【29】撮影:14時46分=伊藤 幸司
由岐神社の先にある大杉社。別名願掛け杉とか。樹齢八百年、樹高53m。由岐神社は鞍馬の火祭にかかわる北方鎮守の社とか。
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【30】撮影:14時50分=伊藤 幸司
ツバキの花が参道に彩りを添えていました。
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【31】撮影:14時54分=伊藤 幸司
京都の豊かさのひとつは水の豊かさだと感じますが、鞍馬の山でもあちこちから湧き出る水がありました。
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【32】撮影:15時04分=三浦 陽子
鞍馬寺本殿金堂前からの眺め。中央奥に見えるのが昨年歩いた比叡山。
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【33】撮影:15時07分=伊藤 幸司
本殿を守るこの像は「どうみても猫科だよね」とささやきあっていたのですが、狛犬ではなく「阿吽の虎」とか。本尊毘沙門天のお使いとのこと。
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【34】撮影:15時10分=伊藤 幸司
本殿から比叡山が正面、という印象でした。
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【35】撮影:15時12分=伊藤 幸司
奥の院参道へと入っていきます。
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【36】撮影:15時18分=土屋 千鶴子
義経のせい比べ石、何才くらいの時なのでしょうね。歴史書では小柄な人とあります。小さいときから過酷な生活で、思うように成長できなかったかもしれませんね。
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【37】撮影:15時19分=三浦 陽子
木の根道。杉の根が地表を這っている。根が動き出すパニック映画を連想。
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【38】撮影:15時28分=伊藤 幸司
朝方の雪を残した参道の杉。
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【39】撮影:15時33分=伊藤 幸司
奥の院魔王殿。じつは今回の京都ハイキングを最終的にキャンセルした人がいました。以前鞍馬に来たときに、ものすごくいやな気分になったのだそうです。なにか得体の知れない力がかぶさってくるような。「鞍馬に行くのならやめさせていただきます」とのこと。私たちはだれも何も感じませんでしたが、じつはこの魔王堂こそ、別格のパワースポットなのだそうです。私などは知らないから挨拶もしなかったけれど。
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【40】撮影:17時31分=伊藤 幸司
貴船バス停から叡山電鉄の貴船口駅まで出て、終点出町柳駅へ、バスで五条通をを烏丸五条へと行きました。
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【41】撮影:17時43分=伊藤 幸司
京都の宿泊事情はなかなか難しくて、糸の会のように山小屋なみの直前予約、人数不確定では選べる宿がものすごく限定されます。今回は冬なので市中の町屋ふう宿をさがしてみたところ、十四春(としはる)旅館が浮上してきました。
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【42】撮影:17時43分=伊藤 幸司
これが玄関を入ったところ。スリッパのある廊下まで一部屋あるという感じ。百年前の京町屋の一般的な間取りとはちょっとちがうようですが。
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【43】撮影:17時46分=三浦 陽子
宿に到着。手入れの行き届いた中庭、廊下の一枚窓硝子。
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【44】撮影:17時47分=伊藤 幸司
中庭を取り囲む2階建て。右奥一階が私たち男性3人の部屋で13.5畳。女性は2階に10畳と4畳の2部屋。あと2部屋は外国人旅行者とか。素泊まり料金は人数によって違うけれど1万円前後。
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【45】撮影:17時50分=伊藤 幸司
男性の部屋にあったひな人形。
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【46】撮影:17時51分=伊藤 幸司
13.5畳の部屋の(たぶん)3.5畳の別の間。
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【47】撮影:17時52分=伊藤 幸司
ひな人形のお顔もしかと拝見しました。
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【48】撮影:17時53分=三浦 陽子
男性陣の部屋は三部屋の中で一番広く、お雛様も。宿のように古い年代物ではないけれど季節を感じることができた。
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【49】撮影:18時05分=伊藤 幸司
男性の部屋から中庭を見ると灯籠の奥に蔵があります。左手の廊下のところには家庭サイズの風呂が2つとトイレ。布団が写っているのが男性の部屋のガラス戸。このガラス戸がまさに「文化財」もので、今風のサッシとしても大きいサイズなのに百年前のガラスとか。ゆがみもないので、古いガラスとはとても思えない宝物……ということは、小さくてゆがんだガラスを戦前のものと信じ切っていた私には驚天動地。文化財の調査委員もこのガラスはすごいとのこと。すごい! 一見の価値有りです。
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【50】撮影:19時06分=伊藤 幸司
宿の女将に手配してもらって、歩いてすぐの希味(のぞみ)というレストランへ。まずは合計2食分という分量の料理が次から次へと2時間以上。お客さんにお腹いっぱい食べてもらいたいというのがこの店の基本精神とか。ほぼ満席で、商売としては夕食1回戦。店名を表に出さず、2,500円なり……でした。
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【51】撮影:20時26分=伊藤 幸司
最後に出てくるのがこのお寿司。私の所には周囲から8貫ぐらいがまわって来ました。頑張って食べましたが、この夕食で、翌日腹痛のためひとりリタイアとなりました。
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【52】撮影:21時12分=三浦 陽子
宿の女将の案内がないとわからない夜ご飯の店、希味の入口。
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【53】撮影:21時27分=伊藤 幸司
食事を終えて、コーヒーなどさえ飲まずに、宿に帰りました。

第2日
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【54】撮影:06時41分=伊藤 幸司
朝になって寝た部屋から中庭を見ると、正面に蔵がちゃんと写りました。これは製薬会社で成功した人が百年前に建てた4軒の住宅の1軒で、遺産相続問題などで売りに出たとき、女将の祖母に当たる人が買い取ったとか。中京のど真ん中、周囲には繊維関係の会社が多く、もちろんみんなビルになって、この家だけが昔のまま、だそうです。祇園祭の山鉾は昔はこのすぐ先の通りを通ったという場所柄です。
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【55】撮影:06時47分=伊藤 幸司
この内裏さまがどのような素性の方かはわかりませんが、送られて玄関を出ると、祝いの生花がいくつかありました。ミシュランガイドの京都・大阪版(宿とレストラン)に、この十四春旅館が載ったというお祝いの花が、ごく最近、届けられたというのです。後刻書店で確かめてみるとミシュランに載っている京都の宿で「一万円」というのは十四春旅館だけのようです。……ああ、もう、予約がとれません。糸の会では。
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【56】撮影:07時10分=伊藤 幸司
7時に宿を出て、まずは四条烏丸交差点へ。なんだ? このビルは? と思ったら三井住友銀行・京都支店。
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【57】撮影:07時11分=伊藤 幸司
三井住友銀行と四条通をはさんで、この三菱東京UFJ銀行・京都支店。並ぶようにしてみずほ銀行・京都支店もありました。
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【58】撮影:07時31分=伊藤 幸司
じつは京都らしい朝食の店も旅館の女将に紹介してもらいたかったのですが、あまりいいアイディアをもらえませんでした。通常なら朝食は宿で食べられるところ、満室で食事スペースがとれないのと、こちらの出発時刻が早いのとで素泊まりになったという経緯がありました。いろいろ聞いて、パン王国・京都の老舗パン屋のひとつ進々堂・三条河原町店を教えてもらったのです。およそ30分あるいてたどり着いたのがこの店。
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【59】撮影:07時46分=伊藤 幸司
まあ、パン食べ放題の朝食はよかった……です。が、ちょっと京都流の流儀でもあるかのごとく指導的だったのは窮屈に感じました。悪意は感じませんでしたが。
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【60】撮影:08時25分=伊藤 幸司
パンを食べ終わって表通りに出たらこの看板。この店で、とは思いませんが、こういう常識を一線超えた朝食の店があったら良かったなと思います。京都大学の近くで学生割引なしでも十分堪能できる量重視の食堂を体験したことがあります。じつは進々堂も、京大のところにも支店があると聞いて、それなら……というイメージがあったのですが。
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【61】撮影:09時19分=伊藤 幸司
バスで上賀茂神社へ行きました。まずは2本の枝垂れ桜。こちらはベニシダレザクラの斎王桜だと思います。もう1本はシロシダレザクラ御所桜とか。京都の要ともいうべき上賀茂神社(賀茂別雷神社)のすごさが、ここにこうしてある桜からも想像できます。
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【62】撮影:09時22分=土屋 千鶴子
十四春旅館のおかみの丁寧なお見送りを背に出発。三条河原町の進々堂にて朝食をすませ、バスで上賀茂神社へ。昨年式年遷宮終えたばかりなので建物はどこも綺麗。
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【63】撮影:09時23分=伊藤 幸司
細殿(ほそどの)と呼ばれる建物。円錐形の砂の山は「立砂」というのだそうですが、ご神体である神山(こうやま)を形取っているとのこと。江戸時代の寛永年間に建て替えられた建物ながら、神々しいと感じます。本殿の手前にあるこの細殿は葵祭の際などに主催者として斎王が訪れたときに利用される建物とか。斎王は皇女が勤めていたけれど、現在は斎王代として未婚の一般女性が葵祭を主催するのだそうです。
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【64】撮影:09時24分=土屋 千鶴子
山門の赤が朝日に映えて……。
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【65】撮影:09時25分=伊藤 幸司
土屋というのだそうです。かつては神職の着到殿(ちゃくとうでん)として使用され、現在は祓所(はらえどころ)とか。細殿とともに御手洗川の手前にあるのを見ると、もちろん国境のこちら側というような厳然たる意味があるのでしょう。
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【66】撮影:09時33分=伊藤 幸司
川越しになんだ? あれは? と、とりあえず撮っておいたのですが、半分読める説明書きによれば竹細工の「白馬みくじ」として奉納されたもの。おみくじのひとつひとつの来歴と集めて作られた白馬との関係が、そのときはわからなかったのですが、帰って調べてみると上賀茂神社は「お馬さんの神社」なのだそうですね。「馬みくじ」があり、白馬を神馬として飼育しており、1月7日には年の初めに白馬を見て邪気を祓うという「白馬奏覧神事」が行われるとか。改めて見直すと、これはもともと単純な竹細工であって、それに失意のおみくじが次々に結びつけられた結果かも……あるいはその反対かも……と思うようになりました。
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【67】撮影:09時35分=伊藤 幸司
これは祓所(土屋)の脇から見た御手洗川。これだけの流れが蕩々と落ち続けるのを見ているだけで、千年の都の大本にあるという感じがしてきます。
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【68】撮影:10時22分=伊藤 幸司
上賀茂神社から商店街を西に抜けると山すそにぶつかります。そこで東海自然歩道の道標に従うと、どうも一時期開発された高級住宅街らしく、こんな家もありました。
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【69】撮影:10時31分=伊藤 幸司
この道標が先か? 家が先か? ということはともかく、住宅街ではこういう標識がありがたい存在です。
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【70】撮影:10時31分=伊藤 幸司
これは常照寺の脇の道だと思います。夜道を照らす行燈がありますが、入って行けば高級料亭らしい道です。
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【71】撮影:10時37分=伊藤 幸司
これは光悦寺の参道。本阿弥光悦の光悦ですが、この石組みを見せられたら立ち寄って見ないわけにはいかないでしょう。
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【72】撮影:10時40分=伊藤 幸司
これをなんと呼ぶのかわかりませんでしたが、帰って調べると「犬走り」とか。茅葺き屋根などではもともと樋をつけることがむずかしく、雨は激しければ滝のように軒下に落ちてきます。その跳ね返りが建物を傷めることもあって、雨の風情を味わいつつ、跳ね返りを防ぐために設けられたのがこの「犬走り」とか。落ちる雨粒が、犬が走るイメージを創り出すのでしょうか。
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【73】撮影:10時41分=伊藤 幸司
境内には合計7つの茶室があるそうですが、なんとなく「?」という気持ちで見ていました。あとで調べてみるといずれも大正時代の建築とか。もとは本阿弥光悦の住居で、それが死後日蓮宗の寺院となったとのこと。
寺院らしい雰囲気も希薄なら、全ての建物が立ち入り禁止の外観のみ博物館状態で、見るものとの距離感が保てません。おそらく紅葉の名所として考えれば建物は脇役ということでしょうか。江戸初期に徳川家康から賜ったこの僻地に一大芸術村を作り上げ、それが日蓮宗の寺院群として今に残るという京都・鷹峯の中心的存在だということは帰ってから文献情報として知りました。
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【74】撮影:10時42分=伊藤 幸司
光悦垣と呼ばれる竹垣が、この時期、庭園の誇りをすべて担っているように見えました。
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【75】撮影:10時43分=三浦 陽子
上賀茂神社から歩きはじめ、光悦寺に寄り道。茶室の垣根(光悦垣)が綺麗。
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【76】撮影:10時48分=伊藤 幸司
本阿弥庵。立ち入り禁止ロープのところからの眺め。これももちろん大正時代の建築。
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【77】撮影:10時51分=伊藤 幸司
本阿弥光悦の墓碑。ここで「光悦会」という名前があったので調べてみると、毎年11月にここで行われる日本有数の茶会の名前。もちろんその主催組織でもあるらしく、光悦寺にシロウトの私が感じたなにがしかの違和感は、茶会の組織がこの寺院を維持していると考えると、戸締めの7つの茶室についても納得のいくところ……です。
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【78】撮影:10時54分=伊藤 幸司
この庭園は鷹峯三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を一望できる斜面にまで広がっていて、もちろん京都の町並みも遠望できます。素晴らしいロケーションとなっています。正面は鷹ヶ峰。
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【79】撮影:10時59分=伊藤 幸司
この頃から空模様が怪しくなって、こまかな雨がパラパラ……という感じになってきました。
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【80】撮影:11時02分=伊藤 幸司
鷹峯から西へと進みます。上ノ水峠へと向かう道はけっこう乱暴な設計のようです。
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【81】撮影:11時06分=伊藤 幸司
道筋には小さな集落が突然出てきたりするのですが、いかにも山里という印象。道はどんどん山奥へと延びていく気配です。
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【82】撮影:11時07分=伊藤 幸司
家数は少なくても、なにか経済的な蓄積を感じさせる家並みです。じつは、私たちは北山杉の産地に向かって歩いていることをこの後知るのです。
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【83】撮影:11時14分=伊藤 幸司
平成24年7月の豪雨でこの斜面が崩れたそうです。左右のスギも北山杉なのでしょうか。
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【84】撮影:11時14分=土屋 千鶴子
高雄に向かって歩きます。雨具をつけるほどではないけれど雨がふったり雪になったりでした。手入れの行き届いた冬枯れの杉林をいきます。
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【85】撮影:11時17分=伊藤 幸司
人手の入ったスギ林が登場しました。下部に枝を残して、最上部までの間は枝打ちしています。いわゆる北山杉の印象とは違います。
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【86】撮影:11時19分=伊藤 幸司
スギの本格的な植林地帯に入ったところに、1本大きなウメの木がありました。
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【87】撮影:11時19分=伊藤 幸司
北山杉らしい枝打ちが右から左へと進行中の光景かとおもわれます。枝打ちで落ちた緑がたくさんあります。
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【88】撮影:11時22分=伊藤 幸司
流れ込んでくる小さな沢もときにこんな表情を見せてくれます。
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【89】撮影:12時00分=伊藤 幸司
自動車道ををはずれて上ノ水峠から沢池へと下っていきます。周囲はみごとなスギ林。関東のスギ山ではなかなか見られない風格です。
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【90】撮影:12時15分=三浦 陽子
静かな水溜まりのような沢の池。
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【91】撮影:12時46分=伊藤 幸司
沢池のかたわらから登りにかかってオトグリ峠に登り、高雄に向かって山道を下り始めました。すると突然吹雪に。私のカメラは新品で2万円クラスなので、モニターではその雪がどのように写っているかわかりません。いろいろ撮り分けてみましたが、カメラを信じてオートのまま撮っておけば、まず8割は大丈夫と確認できました。残りの2割はドタバタせずに諦めるのがいい……とも。
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【92】撮影:12時47分=伊藤 幸司
雪は積もるほどではないうちにやむのですが、北山の峠ノ道で突然吹雪というドラマチックな演出に感謝、でした。
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【93】撮影:12時53分=伊藤 幸司
雪雲が去ると、そこにはちょっと芸術的な北山杉の斜面がありました。何種類かの仕立て方があるようです。
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【94】撮影:12時54分=伊藤 幸司
私は九州で美しいと感じるスギ林を何度か見ていますが、京都の北山杉は、やはりすごいと感じます。ここも、その中心部ではないのでしょう。
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【95】撮影:12時54分=伊藤 幸司
手塩に掛けたスギの木という感じが伝わってきます。
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【96】撮影:13時13分=伊藤 幸司
清滝川に出ました。とりあえず栂尾(とがのお)の高山寺に行きました。
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【97】撮影:13時14分=伊藤 幸司
紅葉の時期にはこの場所がモミジに彩られる高山寺参道です。その頃にはここまで入るのに入山料500円が必要です。
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【98】撮影:13時19分=伊藤 幸司
国宝・石水院の入口。建物内部が撮影禁止だったのでいろいろ大事なものがあるのかと思ったら、有名な「鳥獣人物戯画」についてもお粗末なコピーが展示されているだけ。眺めは素晴らしいけれど、撮影禁止の動機はちょっとせこい感じがしました。
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【99】撮影:13時23分=土屋 千鶴子
高山寺。ここは鳥獣戯画が展示されているのが売り。それが展示されているお部屋にいく廊下にあった、愛らしい善財童子の石像。
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【100】撮影:13時27分=三浦 陽子
鳥獣戯画で有名な栂尾高山寺は地味でシブいお寺だった。中庭も地味め。かなり切り立った崖の上に建っているのが印象的。
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【101】撮影:13時36分=伊藤 幸司
石水院の「外の」瓦屋根。
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【102】撮影:13時56分=伊藤 幸司
栂尾(とがのお)町から高雄町へと移動中です。振り返って栂尾の家並みです。
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【103】撮影:14時52分=伊藤 幸司
高雄バス停のところで遅い昼食をとって、今日はここまでと決定。最後に神護寺への道を下りました。
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【104】撮影:15時03分=三浦 陽子
高雄、神護寺への長い階段。以前来たのは二十歳の秋だった。
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【105】撮影:15時03分=土屋 千鶴子
冬の高雄は観光客相手のお店はおおかた閉じられいた。幸いにも開いていた一軒で遅めの昼食をとり、神護寺へ。延々とのぼりの階段が続く。天国への階段か。のち まだ天国へはいけぬ身なのでがくがくと足を震わせ下界におりる。
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【106】撮影:15時05分=伊藤 幸司
清滝川まで下ったら、そこからが神護寺の参道。下った分を登り返します。
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【107】撮影:15時05分=伊藤 幸司
神護寺の楼門。けっこう登った気分になりますが、ここの石段は石がゴージャスだと感じます。
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【108】撮影:15時09分=土屋 千鶴子
建て替えたとき外された鬼瓦が展示されていた。
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【109】撮影:15時12分=伊藤 幸司
金堂に向かいます。昭和9年(1934)に大阪の実業家・山口玄堂という人物の寄進による、と立て札に書かれていたので調べてみたらびっくり……というのは「発見写真旅090 album 紅葉5・東海自然歩道・箕面&嵐山」の263番の写真で詳しく書きました。
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【110】撮影:15時15分=伊藤 幸司
金堂から振り返ると、ものすごくのんびりした風景でした。
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【111】撮影:15時18分=伊藤 幸司
金堂から下っていく石段の模様がとてもクール! でしたね。
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【112】撮影:15時19分=伊藤 幸司
このとき、今回の旅の記念写真をまだ撮っていないことに気づきました。糸の会では参加メンバーチェックをこの記念写真に托しているので欠かさないようにしているのですが、今回は昨夜の大食トラブルでリタイアしたNさんが欠けてしまいました。
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【113】撮影:15時19分=伊藤 幸司
神護寺の金堂は見る場所によって印象をがらりと変えるようです。
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【114】撮影:15時21分=土屋 千鶴子
かわらけを投げる場所から下をみる。今回たくさんの神社やお寺を見て回りました。其のたびにみなさんお賽銭をあげて旅の無事やら何やら祈っていたようです。偉いなーと思っていました。かわらけだけは誰も投げませんでした少し飽きたかしら。
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【115】撮影:15時22分=三浦 陽子
厄落としのかわらけ投げの谷。こんなところに投げ捨てていいのかなと。
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【116】撮影:15時23分=伊藤 幸司
時間があったのでかわらけ投げの場所に行きました。この美しい谷に向かって土器の盃を投げるのですが、投げた土器の結果は見ることができません。私たちはだれも購入していなかったのでやれませんでしたし、周囲にやる人もいませんでしたから想像ですが、投げた土器がこの谷に吸い込まれて消えていく気分は、ちょっと神秘的かも知れません。かわらけ投げはこの神護寺が本家本元だそうです。
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【117】撮影:15時23分=伊藤 幸司
投げた土器盃は、正確にいえばほとんど足元深くに落ちていくだけなのでしょうが、気分はまさにこういう木をめざして飛ばしている……のでしょう。
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【118】撮影:15時33分=伊藤 幸司
神護寺の下りでも、私はやはり石段に目が向いてしまいました。

朝の大文字山・伊藤 幸司
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【119】撮影:07時14分=伊藤 幸司
千本北大路交差点から金閣寺へと向かうと、大文字山が目の前に現れました。民家の裏庭という感じなので、これは簡単に登れそうだと右手に進んでみたのですが、急斜面に立つ住宅が肩を組んで不埒な人間の侵入を阻んでいるという風情。やむなく引き返して金閣寺の向こう側から背後を探ってみることになりました。
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【120】撮影:08時16分=伊藤 幸司
前の写真から1時間後、大文字山の山頂からちょっと下って、大の字の所に出ました。「私設消防道路につき……これより山へは登れません」という標識のところしか入口がないとわかって登ること30分。標識のない道(たぶん大文字焼きの作業道路)をたどってここに立つことができました。同じ大文字山でも東山如意ヶ嶽の大文字(銀閣寺の上にあります)が代表的ですが、8月16日の京都五山送り火ではそれが夜8時点火、続いて妙法(8時5分)、船形(8時10分)、金閣寺の上の、この左大文字(8時15分)、鳥居形(8時20分)と点火されるというのです。
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【121】撮影:08時17分=伊藤 幸司
1時間前に下から見上げていた場所が足元に見えました。右手にある森が金閣のある鹿苑寺の境内。その森の向こう側をぐるりとまわって登り口を探したのです。
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【122】撮影:08時21分=伊藤 幸司
舎利殿の金閣が見下ろせます。もうすこし後の時刻であれば人の姿もあったと思います。
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【123】撮影:08時22分=伊藤 幸司
遠くに見えるのが比叡山。そこから右にず〜っと下っていくと東山如意ヶ嶽の大文字山があります。
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【124】撮影:08時22分=伊藤 幸司
大の字の火床は東山の大文字と比べると意外にコンパクトでした。写真に写っている風景は淀川に沿って大阪湾に下っていく広がりです。右手の山はどこがどうかわかりませんが、一番手前に嵐山がある、という感じでしょうか。
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【125】撮影:09時06分=伊藤 幸司
どこからでも登ってさえみれば、いい道があるかと思ったら、ありませんでした。ほぼこの場所で大文字を見上げてから戻ってくるまで2時間の散歩でした。今朝東京を出た人たちとは京都駅で午前10時に待ち合わせますから、それには間に合う朝の散歩となりました。

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