発見写真旅・展(103)――2016.3.22 行道山(34パワー) 発見写真旅・展(103)――2016.3.22 行道山(34パワー)

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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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ご覧いただいたみなさんからのコメントはキャプションの後に掲載させていただきます。

追加1……1997年3月18日の行道山=伊藤 幸司
追加2……1997年10月20日の行道山=伊藤 幸司
追加3……1999年12月15日の行道山=伊藤 幸司
追加4……1999年12月21日の行道山=伊藤 幸司
追加5……2000年6月27日の行道山=伊藤 幸司
追加6……2003年2月12日の行道山=伊藤 幸司
追加7……2005年12月17日の行道山=伊藤 幸司
追加8……2007年12月18日の行道山=伊藤 幸司

★糸の会山行 987 行道山(34パワー)────2016.3.22
*登り5p→稜線29p

*行道山というキーワードで歩く尾根道には古都・足利へと下っていく楽しさがあります。終点を織姫神社とすれば、その足元から関東平野が広がっているという気分も楽しめます。時間が余っても、足利ですから見るべきものも、食べてみたい店もいろいろあります。休日ならJRの休日おでかけパスを利用するところですが、平日なら東武伊勢崎線の特急りょうもう号がベターだと考えています。
*私にとってはたぶん10回目になりますから、今回参加されたみなさんも、山歩きを始めた頃に1回、その後1〜2回と複数回参加されている定番の計画です。その一部始終をご覧ください。


3月22日
・1025……行道山浄因寺駐車場(標高約250m)を出発
・1035-55……浄因寺境内で休憩(標高約300m)
・1110-15……寝釈迦(標高約350m)
・1130-45……山頂(石尊山展望台)で休憩(標高442m)
・1155-1200……大岩山山頂で休憩(標高417m)
・1215-35……大岩毘沙門天・展望駐車場で休憩(標高約300m)
・1325-30……休憩(標高約250m)
・1350-1400……両崖山山頂で休憩(標高251m)
・1445-50……織姫神社(標高約100m)
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の4人です。
佐藤 時子(8点)
小林 美子(17点)
稲葉 和平(22点)
伊藤 幸司(68点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:佐藤 時子




撮影:小林 美子








撮影:稲葉 和平










撮影:伊藤 幸司




























追加1……1997年3月18日の行道山=伊藤 幸司






追加2……1997年10月20日の行道山=伊藤 幸司




追加3……1999年12月15日の行道山=伊藤 幸司




追加4……1999年12月21日の行道山=伊藤 幸司




追加5……2000年6月27日の行道山=伊藤 幸司




追加6……2003年2月12日の行道山=伊藤 幸司






追加7……2005年12月17日の行道山=伊藤 幸司






追加8……2007年12月18日の行道山=伊藤 幸司







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【01】撮影:10時27分=伊藤 幸司
4月16日から運行を開始するというモノレール「行道山くものかけはし」号だそうです。駐車場から境内までの急な登りは、障害者だけでなく高齢者にもきつい急坂ですから、これは朗報でしょう。
「利用者規則」というのを読むと「付添のいない小学生未満の単独利用は禁止します」とありますから、小学生ならひとりでも乗れるということです。どういうシステムで運行されるのでしょうか。この搬送能力は片道1時間あたり最大15人以内だそうですから、4月の週末には長蛇の列ができるのでしょうが。
でもこのモノレール、ミカン畑や植林地でよく見かけます。今年1月の京都ハイキングでは鞍馬山でのロープウェイ工事のために敷設された工事用モノレールがカッコいいもので、乗りたいと思わせられました。また鹿沼の古賀志山ではパラグライダー学校が設置した人員輸送用モノレールを見ています。富士山麓の杓子山のパラグライダーゲレンデにも設置されていたと思います。このモノレールがもっと自由に乗客を乗せて運行できるようになると、山国日本の観光地は大きく変わると思うのですが、私が目にしたその最初のケースです。
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【02】撮影:10時29分=伊藤 幸司
参道には石仏がたくさん置かれています。これなどは明和4年(1767)と読めます。拾ってきたような石仏を並べている寺も多い中、幼くして亡くした娘の供養のために奉納したもののように思われます。
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【03】撮影:10時30分=佐藤 時子
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【04】撮影:10時30分=佐藤 時子
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【05】撮影:10時31分=伊藤 幸司
どなたか、この石像のクローズアップ写真を撮っているのではないでしょうか。美しいお顔立ちですから。わたしには男女どちらかわかりませんが。
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【06】撮影:10時33分=佐藤 時子
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【07】撮影:10時33分=伊藤 幸司
元号の下の文字が「和」ですから江戸時代以降でそれを探してみると、元和、天和、明和、享和、昭和とあります。「足利市」というので、昭和5年という感じですね。
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【08】撮影:10時33分=稲葉 和平
駐車場から長い階段を上ったところに山の寺らしい小さいけれどがっしりとした山門があった。これが登山道の入り口でもあるらしい。
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【09】撮影:10時35分=伊藤 幸司
行道山の梅……でしょうか。山門下から振り返りつつ見上げた風景で、建物は有名な清心亭。
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【10】撮影:10時37分=稲葉 和平
山道を登っていくと山間の空間が少し開け、そこに浄院寺が現れた。空に半分突き出した堂が印象的だ。
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【11】撮影:10時39分=伊藤 幸司
山門をくぐって境内に出ました。画面左下の屋根が山門です。
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【12】撮影:10時40分=伊藤 幸司
きわめて危険な状態で建てられている「清心亭」。壁構造をつくらずに柱で支えるというこのあやしい建物は茶室ですが、平成5年(1993)に改修されたとはいえ現在は立ち入り禁止とか。室町時代には多くの修行僧が集まる「関東の高野山」だったとか。将軍足利義満などに庇護されて多くの堂宇が建てられたというけれど、明治時代にほとんど消失したという。
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【13】撮影:10時41分=伊藤 幸司
この橋には天高橋(てんこうきょう)という名前がついています。葛飾北斎の「足利行道山くものかけはし」という浮世絵があるそうですが、見てみると現在の風景と同じです。これは裏側から見ているので、右側の岩が尖った大岩でその上に清心亭が建てられていて、そこに渡る唯一の道としてこの橋が架けられているというかたちになります。
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【14】撮影:10時42分=伊藤 幸司
ここは紅葉が有名だそうですが、紅梅と白梅が境内全体を春の空気にしていました。
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【15】撮影:10時47分=稲葉 和平
この山寺には何とも似つかわしくない名前と思うのだが、「相愛之鐘」と名付けられた鐘撞き堂。
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【16】撮影:10時52分=伊藤 幸司
清心亭には入れませんが、その入口のところから境内を見下ろしました。
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【17】撮影:10時53分=小林 美子
浄因寺。巨石の上に建てられた清心亭より寺庭を。ここでお昼を食べて出発です。
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【18】撮影:10時54分=稲葉 和平
断崖の上の清心亭という堂からの眺めはなかなか素晴らしい。
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【19】撮影:10時55分=稲葉 和平
新しい方の石仏は昭和4年、右の半分崩れた像は何時頃のものかしら。
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【20】撮影:11時01分=伊藤 幸司
境内の登山口から登り始めますが、このお堂、熊野社だそうです。熊野神社は全国に3,000社もあるそうで、ここにあるような境内社はほとんど無数にあるようです。でもこのお堂はじつにいい造りです。本堂よりずっといいかも。
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【21】撮影:11時01分=伊藤 幸司
熊野社のところから見下ろした風景です。秋にはこれが素晴らしい紅葉に彩られるというわけです。登山道は右手の斜面をトラバースしながら、ほぼ向かいの尾根にとりつきます。
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【22】撮影:11時04分=伊藤 幸司
道はものすごくしっかりと整備されています。以前糸の会の常連だった男性(Aさん)は、幼少期を足利で過ごしたそうですが、この道を遠足で歩いたとか。かれは途中で(オシッコしたくなって)みんなとはぐれ、道を間違えて下山してしまい、大騒ぎになったとか。現在もここは地元の小学生の遠足ルートだということです。それも学校から歩いて……。
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【23】撮影:11時04分=伊藤 幸司
ツバキの花が一輪。
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【24】撮影:11時06分=伊藤 幸司
この先で道は尾根に上がります。
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【25】撮影:11時10分=佐藤 時子
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【26】撮影:11時10分=伊藤 幸司
尾根の先端に寄り道します。自分がどこにいるのか、具体的にはわからないのですが、清心亭から天高橋を渡った岩尾根のほぼ先端部分がこのあたりになるようです。
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【27】撮影:11時11分=佐藤 時子
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【28】撮影:11時11分=小林 美子
記憶ではもっと、大きいと思ってました。
右手を枕にして寝ている。
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【29】撮影:11時11分=稲葉 和平
渡良瀬川流域の平野に背を向けて横たわるお釈迦さま。普通なら、お釈迦さまは山を背に立つか座るかしていると思うのだけど、この景色を目にしたらこうしたくなるのも分かるような気がする。
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【30】撮影:11時12分=小林 美子
行道山には沢山の石仏がある。
私達が見たのはその一部だけです。
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【31】撮影:11時13分=伊藤 幸司
そこにあるのが根釈迦(足利市のホームページでは「ねじゃか」とか)です。ほとんどの人は前にこの場所に立っていますが「こんな小さかったかしら」という意見が多かったようです。袈裟丸山の寝釈迦像と混乱している人もいたようですが。
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【32】撮影:11時14分=伊藤 幸司
足利の市街地に面した渡良瀬川の水面標高が約30mです。だいぶ奥に入ったこのあたりの水田地帯でも標高わずかに70mほどです。現在の東京湾から直線で75km。海面がほんのちょっと上昇すれば、この風景はみごとなリアス式海岸になるわけです。
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【33】撮影:11時15分=稲葉 和平
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【34】撮影:11時31分=伊藤 幸司
ポツポツとヤマツツジが咲いていました。色は写真写りが悪いのではなく、こんな感じの、ちょっと落ち着かない色でした。
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【35】撮影:11時34分=伊藤 幸司
とりあえず山頂に立ちました。5万分の1地形図では標高441.7mの無名峰です。行道山という寺院の山号となっている総称としての山名の頂上というふうに考えていいようにも思いますが「石尊山展望台のある無名峰」というのが具体的かと思います。高圧電線の向こうに平たく横に伸びているのが石尊山(486m)です。左に下ると茶色の崖が見えます。一番奥に赤城山が横に長い山頂稜線を見せています。右端が2月に行った最高峰の黒檜山(1,828m)になります。
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【36】撮影:11時37分=伊藤 幸司
ボーッと白いのが浅間山です。ちょうどその下あたりに高崎のビル街があるのですが写真ではよくわかりません。榛名山は画面の右に隠れています。
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【37】撮影:11時45分=伊藤 幸司
石尊山展望台での記念写真。
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【38】撮影:11時48分=稲葉 和平
春の日差しを浴びて、小さなアップダウンを繰り返しながらの気分のいい稜線歩き。
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【39】撮影:11時49分=伊藤 幸司
片側が自然林、片側が植林というよくあるタイプの尾根道を進みます。
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【40】撮影:11時55分=伊藤 幸司
大岩山(417m)の手前で渡良瀬川方面の展望が開けました。川の向こう岸には八王子山公園や桐生市南公園などがある標高200mほどの丘陵が見えています。
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【41】撮影:12時05分=伊藤 幸司
かなり立派なツバキ(ヤブツバキ)の木がありました。
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【42】撮影:12時06分=伊藤 幸司
まだかなりフレッシュなツバキの花。円熟の花色とでもいうのでしょうか。
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【43】撮影:12時08分=伊藤 幸司
足元にきれいな状態の花が落ちていたら、やっぱり拾っておきたいという気になります。
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【44】撮影:12時18分=伊藤 幸司
大岩山から大岩毘沙門天まで下ると、駐車場のある展望台があります。目の前には渡良瀬川の流れがあり、関東平野はここから東京湾までまっすぐ75km、江戸時代には低湿地帯として広がっていました。そして、そのゆるやかな川は、江戸時代を通じて物流の大動脈であったのです。
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【45】撮影:12時26分=伊藤 幸司
大岩毘沙門天のトイレ・駐車場付展望台でゆっくりと昼食休憩としました。
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【46】撮影:12時40分=小林 美子
大岩毘沙門天。
大晦日には一年間のうっぷんを晴らし、
すがすがしい気分で新年を迎える為、
お互いに悪口を言い合う寺祭り、悪態祭が有名と
立て札に書いてありました
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【47】撮影:12時43分=伊藤 幸司
大岩毘沙門天(最勝寺)は宝暦12年(1762)に再建され、平成6年(1994)に大改修されたということです。名刹です。足利市のホームぺージによれば鞍馬山(京都)信貴山(奈良)と並ぶ日本三毘沙門だそうですからエライ? のひとことです。ただ、そのことよりも大晦日の「悪口(あくたい)まつり」というのが有名かも知れません。参道を行き交う人々のあいだで「ばかやろー」などと叫び合うという特異な宗教儀礼です。
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【48】撮影:12時43分=小林 美子
仁王様。木造金剛力士立像。
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【49】撮影:12時44分=伊藤 幸司
おびんずるさま。漢字で書くと賓頭廬尊者というのが標準的かと思いますが、ビンドラ・バラダージャという釈迦の弟子、十六羅漢の第一とか。わかりやすくいえば「なで仏」です。
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【50】撮影:12時44分=稲葉 和平
大岩毘沙門天の山門。力感あふれる仁王像は運慶作、と書いてありました。
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【51】撮影:12時44分=稲葉 和平
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【52】撮影:12時45分=伊藤 幸司
立て札に仁王像は「運慶の作」とありました。念のため、その全文はおよそ以下のとおりです。「山門。元禄6年(1693)改築にして、その後祖先追福のため月谷板倉の堀江一族がこれを営み来れり。仁王は御丈一丈(約3m)運慶の作。当山主」
仏像にあまり詳しくない私にも、運慶であれ、あるいは運慶工房であれ、言い切っていいのかという疑問を感じました。調べてみると足利市のホームページに「三重地区の名所・旧跡」というページがあり「毘沙門天山門(仁王門)と堀江一族」という解説を読むことができました。ただ、そこにも「仁王像は鎌倉期のものとされ運慶の作と伝えられております」とあります。
放置できない気分になって「運慶の作」をウィキペディアで調べてみると、「現存作品」にも「運慶作と推定される作品」にも「運慶作とする説がある作品」にも見あたりません。いずれにしても修復の記録がないといけない状態の作品だと思うのです。
ふたたび足利市のホームページを読んでいくと「大岩山毘沙門天 山門(仁王門)と仁王像の保存修理の概要」という見出しがあり、足利市指定文化財(建造物)として書かれていました。「本建物及び仁王像の略歴を下表にまとめます」とあるので興味のあるかたは直接見ていただくとして、その表は「元禄6年山門創建」から始まっています。そして「仁王像再興」は宝永4年(1707)で「仏師 法橋治部江常證廿四代孫治郎」とあって、それ以上ではありません。基本的に「堀江家古文書」を出典とするものです。
ネットサーフィンでいろいろ調べていくうちに、足利市のホームページの第2サーバーらしきものに、写真つきの解説原稿がありました。そこには「阿形像 像高280cm 江戸時代」「吽形像 像高285cm 江戸時代」と明記されていました。
さすが日本最古の大学を誇る足利市! ですね。
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【53】撮影:12時46分=伊藤 幸司
向かって右側の阿形像。下から見上げている前の写真と同じです。
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【54】撮影:12時54分=伊藤 幸司
大岩山から毘沙門天までだいぶ下りました。当然、登り返すことになります。
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【55】撮影:13時11分=伊藤 幸司
登ったら、当然のことながら下りもまた登場します。こどもも遠足にくるという快適な道ながら、このアップダウンを楽しく感じるかどうか……。
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【56】撮影:13時13分=伊藤 幸司
首都圏のハイキングルートでは、こういう場面はよくあります。高度成長期に日本中の林道が整備され、あるいは山頂の電波塔への工事用道路や燃料補給道路も取り付けられられました。山間部の集落をつなぐ車の峠道もものすごく整備された……からです。
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【57】撮影:13時21分=伊藤 幸司
「標高の低い山は参加するかどうか注意しないと……」と高齢男性のひとりSさんはいいます。軽いと決めつけていると、裏切られる気分になるほどきついことがあるからです。行道山のこの縦走ルートもそういう傾向のひとつでしょう。
私のシミュレーションマップでエネルギー総量が31ポイントと出ています。8ポイント=1時間という変換で、標準速度で4時間としておきましたが、実際は浄因寺駐車場を10時25分に出て織姫神社が14時45分。20分オーバーでした。浄因寺境内での昼食休憩20分がはみ出したともいえますが、全体の運動量を時間で計ることができます。高低差を2万5000分の1地形図の計測線(50mごとの等高線)でとっているので、たとえばこの登りが何ポイントと数えられるのかは確定的ではありません。実際にはここは標高200mの等高線よりわずかに低い鞍部から標高250mにわずかに届かない小ピークへと登る部分なので、鞍部の前後に標高200mの計曲線があるので「2ポイント」を数えています。その先は登り切ってすこし行ったところに水平距離500mごとのもう1ポイントが待っています。8ポイント=1時間ぐらいになるとその誤差は小さくなりますが。
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【58】撮影:13時21分=小林 美子
ハッキリ写ってないけど、今日見た、たった一輪のカタクリです。
今年初めてのカタクリですので、お披露目です。
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【59】撮影:13時22分=佐藤 時子
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【60】撮影:13時22分=稲葉 和平
今年初めてお目にかかったカタクリ。でもこの一輪だけだったのはちょっと残念。
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【61】撮影:13時24分=伊藤 幸司
じつは標高200mをわずかに割った鞍部から下斜面がかなりひろいカタクリ群落になっていました。ちょっとのぞいてみたのですが、みんなで見るほどの状態ではありませんでした。そのまま縦走路を登り始めるとポツン、ポツンとカタクリが咲いていました。
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【62】撮影:13時25分=伊藤 幸司
土留めの階段というか、階段状の土留めは多くの登山者に嫌われます。とくに女性には段差が大きくなって無駄な筋力を要求されるからです。男性の場合は筋力強化の効果もあって、積極的にこちらを歩く場合があります。写真に写っている男性はつま先側で横棒を踏んでいますからそういう意識が見えています。
こういう場面、私は両側に埋めた杭の頭を踏んで歩くことをすすめます。つま先を乗せて杭から杭へと歩を進めるのは気分のいいリズムを楽しめます。おまけに、雨に濡れていても靴底がスリップする危険がほとんどありません。筋力を刺激しながら、バランス感覚も磨けるので、おすすめです。
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【63】撮影:13時38分=伊藤 幸司
この日の全行程4時間は山歩きとしてはかなり短い部類です。ここではポイント数が31でしたが、3月12日の高川山では45ポイント(5時間半)でした。その範囲が日帰りの標準サイズではないでしょうか。そんな長時間を飽きずに歩く(精神的なリフレッシュ効果があります)に加えて「緩やかな運動を長時間続ける」という特異な効果を発揮します。心臓を鍛えるのではなく、心臓から送り出された血液が筋肉中の毛細血管に効率的に酸素を送り込む効率を高める機能があると感じます。登山では呼吸が乱れない範囲でできるだけ長い時間行動することに価値があると思っていますから、小屋泊まりの時など夜明け1時間前から10時間、ときに12時間歩きます。平地を「時速4km」で歩く出力で日本の山の標準的な登山道を登ると「時速1km」(歩きやすい縦走路だと時速2km)になります。都会での長距離のマーチングを山ではきれいな空気を吸いながら、刻々と変化する風景を楽しみながら続けることができるのです。
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【64】撮影:13時46分=伊藤 幸司
ヤマツツジがいくぶんボリュームアップしながら登場してきました。
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【65】撮影:13時52分=伊藤 幸司
この両崖山には平安時代後期に山城が築かれたそうで、両崖山城、あるいは足利城と呼ばれるものです。足利城をめぐる合戦は上杉との間で2回、北条との間で1回、さらにもう1回、豊臣秀吉が北条氏を攻めたころに(相手が誰だか分からないそうですが)激しい合戦を展開していたようです。
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【66】撮影:13時57分=伊藤 幸司
両崖山山頂にはタブノキの巨木が6本残っているということで、市の天然記念物に指定されています。樹齢は200〜250年で、大きいものは目通り周囲167cm。暖帯林の北限を示すタブノキ自生林の名残りだということです。
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【67】撮影:14時03分=伊藤 幸司
さすが城跡だけあって、街の見晴らしが突如出現。伝令がこの上〜下を走らされた時代があったのでしょう。
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【68】撮影:14時06分=伊藤 幸司
私たちが歩く小さな尾根が、いよいよ関東平野に吸い込まれていく感じです。一時期、関東平野外周の山々を冬に集中的に企画しましたが、東京の高層ビル街や富士山が見える! という日はなかなかありません。この時期はもちろん期待はしていませんでしたから、期待通りというべきか。
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【69】撮影:14時09分=稲葉 和平
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【70】撮影:14時10分=伊藤 幸司
画面左端、枝にかかったところに渡瀬橋があります。そこから始まる低湿地帯が、いまでは途切れることなく続く市街地となっています。
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【71】撮影:14時11分=伊藤 幸司
ここはたぶん、みなさんが初めて来た初心者のころには記念写真を撮ったところかと思います。私も軽く行き過ぎてしまったのですが、通路中央の尖った岩に見覚えがあるような気がします。いまの私たちはほとんどの山で10分毎のトップ交代制ですから、いい道だとガンガン歩いてしまいます。トップが女性の、しかも高齢の場合でも。
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【72】撮影:14時12分=伊藤 幸司
もう登りらしい登りはないと分かっています。登り返しのない下りは、それだけで、やっぱり、正直なところ、身体が軽く感じられます。「のどがビールに近づいていく」と何人もが感じているはずです。
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【73】撮影:14時35分=伊藤 幸司
早咲きのサクラが1本ありました。
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【74】撮影:14時35分=稲葉 和平
満開。ソメイヨシノにしては早すぎるから、この色はたぶんエドヒガン。
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【75】撮影:14時37分=伊藤 幸司
古都足利にはビックリの住宅パークが山かげに出現していました。田んぼが順次表情を変えていきます。
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【76】撮影:14時39分=伊藤 幸司
コブシだかモクレンだか、いまを盛りの白い花です。
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【77】撮影:14時45分=小林 美子
縁結びの神様。
カップルで行くと破局とか。ご注意あれ!
とちらにしても、私には……関係ナシだ!
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【78】撮影:14時46分=稲葉 和平
織姫神社。山の中腹、絶好のロケーションです。
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【79】撮影:14時48分=伊藤 幸司
ようやく織姫神社。日本を代表する織物産地の威信をかけて建立されたシンボル的神社です。
由緒書きはものすごく実直で、宝永2年(1705)に足利藩主・戸田忠利が1200年余の機場としての歴史をもつ足利に機織りの神社がないことに気づいて、市中の八雲神社に天照大神の衣を織っていたと伝えられる織士と織女の二柱を合祀したのだそうです。それが明治12年(1879)に機神山(現・織姫山)中腹に遷宮。昭和12年(1937)現在位置に新社殿を完成させたというのです。これまでこういう実直な由緒書きを読んだことがありません。足利は明治時代から昭和にかけて日本を代表する織物工業地帯だった、その繁栄が作り上げた記念碑的神社なのです。
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【80】撮影:14時49分=佐藤 時子
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【81】撮影:14時49分=伊藤 幸司
この神社には「7つのご神徳」があるそうです。よき人と縁結び、よき健康と縁結び、よき知恵と縁結び、よき人生と縁結び、よき学業と縁結び、よき仕事と縁結び、よき経営と縁結び、とか。
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【82】撮影:14時52分=伊藤 幸司
御神木のスダジイだそうです。
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【83】撮影:14時55分=伊藤 幸司
これが行道山からたどってきた尾根の最先端。大学の運動部員らしき若者たちが何人も駆け上がってきましたが、そういう若者たちに対して参拝者に対して道をあけるよう、注意書きがありました。
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【84】撮影:16時39分=小林 美子
ココファームワイナリー。
山の斜面を手入れして、ブドウ園にしてありました。
化学肥料・除草剤を使わず、
自家製ワインを作っているとの事でした。
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【85】撮影:16時48分=伊藤 幸司
舟定屋本店で芋ようかんを買い、香雲堂本店で古印最中を買い、幸の湯に立ち寄って、ココ・ファーム・ワイナリーへ行きました。
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【86】撮影:16時51分=佐藤 時子
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【87】撮影:16時53分=伊藤 幸司
残念ながらランチメニューの簡単なものだけしか注文できないというので、軽食だけのちょっと残念な食事になりましたが、1950年代から障害者支援施設の「こころみ学園」が作り上げた葡萄畑の風景がごちそうでした。夕陽が畑に大きな影模様を動かしていきました。
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【88】撮影:16時53分=稲葉 和平
洒落た小さなワイナリーのレストランで食事。
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【89】撮影:16時56分=小林 美子
そのブドウ畑の斜面に、やぎが2頭。
夕方、もう帰りたかったのかメェ〜〜と鳴いていました。
まもなく、スタッフが迎えにきて、
喜んで走りながら、家路にむかいました。
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【90】撮影:16時57分=小林 美子
ブドウ畑の左側には菜の花が咲いています。
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【91】撮影:17時03分=伊藤 幸司
これはなんだったでしょうかね。
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【92】撮影:17時04分=稲葉 和平
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【93】撮影:17時11分=伊藤 幸司
葡萄畑に取り残されていた感じの白ヤギさん2頭がいよいよお帰りです。
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【94】撮影:17時30分=伊藤 幸司
よき一日が終わります。
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【95】撮影:17時52分=伊藤 幸司
それから「ばんな寺」(鑁阿寺という漢字はネット上に出るでしょうか)に寄りました。散歩中の「足利博士」みたいな人にディープな特別解説をいただきました。
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【96】撮影:17時55分=伊藤 幸司
これはみごとなモクレン。
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【97】撮影:17時56分=小林 美子
ばんな寺と橋とハクモクレン。
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【98】撮影:17時57分=伊藤 幸司
樹齢550年という大銀杏。
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【99】撮影:17時57分=小林 美子
獅子舞 おみくじ。200円なり。
お金を入れなくても、獅子 は踊っていました。
獅子がおみくじを取りに行き、くわえて持ってきてくれると書いてありました。
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【100】撮影:17時57分=稲葉 和平
足利尊氏の邸宅跡のある鑁阿寺(ばんなじ)の本堂。建築様式が日本古来の「和様」と、鎌倉時代初期に宋から入ってきた「禅宗様」との折衷様建築の先駆けとして高い価値があるらしく、国宝に指定されている。
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【101】撮影:17時58分=伊藤 幸司
国宝「鑁阿(ばんな)寺本堂」の鬼瓦。これはずいぶん新しく見えますが、本堂は足利尊氏の父・貞氏が正安元年(1299)に再建した中世の密教本堂。平成25年(2013)に国宝に指定されたばかりだそうです。この鬼瓦が国宝指定にプラスとなったのか、マイナスとなったのかわかりませんが、元気な印象です。
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【102】撮影:18時01分=稲葉 和平
紋章:右から、足利将軍家の紋章、天皇・皇室を表す十六八重表菊の紋章、足利尊氏が後醍醐天皇から授かった、五―七―五の花と三枚の葉からなる「五七桐」の紋章。
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【103】撮影:18時02分=小林 美子
ばんな寺を少し離れた所から・・
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【104】撮影:18時07分=小林 美子
夕暮れのばんな寺。
ちょうどお月さまが……
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【105】撮影:18時09分=伊藤 幸司
鑁阿(ばんな)寺の境内でふと見上げると、大きな月が上がっていました。
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【106】撮影:18時16分=伊藤 幸司
これはかなり目をひいたお堀端の美容院。
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【107】撮影:18時25分=小林 美子
駅に向かう。渡良瀬川にかかる橋。
さぁ、お茶でも飲もう。
ケーキセットがいいねぇ〜。
足どり軽く。
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【108】撮影:18時26分=伊藤 幸司
渡瀬橋を歩いて渡りました。標高35mの岸辺です。
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【109】撮影:18時26分=小林 美子
渡良瀬川
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【110】撮影:18時26分=稲葉 和平
渡良瀬川に架かる橋をを徒歩で渡る。緑の照明がなんとなく街に溶け込んでいる。
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【111】撮影:18時26分=稲葉 和平
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【112】撮影:18時50分=稲葉 和平
ホテルの高層階の洒落たレストランで食事、ではなく、ワイナリーのレストランの洒落た料理では歩いた後のお腹は満たされず、何か足しになるものを求めてきょろきょろしながら歩き、やっとのことでケーキセットにたどり着いたのでした
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【113】撮影:18時50分=稲葉 和平
なんだかわからないけど、楽しい春の一日でした。このあとも東武動物公園駅で思わぬドタバタがあったりして・・・・。
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【114】撮影:18時51分=小林 美子
ホテルの9階。
こんな素敵な所があったのね、とケーキセットで一休み。
よかった!
最後よければすべて好し。
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【115】撮影:19時00分=伊藤 幸司
帰りの特急を待つ間、駅前のニューミヤコホテル足利本館にお茶しに入りました。食事客は全部若いカップルという展望レストランで全員一種限定のケーキセット。

追加1……1997年3月18日の行道山=伊藤 幸司

*東急セミナーBEの「初めての山歩き」は1995年10月から翌9月までの1年間で急に中止されました(詳しくは糸の会ホームページの「糸の会設立案内……1995.10.30」にあります)が、現場担当者のMさんの意地もあって1年後に「ネイチャートレッキング──関東ふれあいの道を歩く」として復活しました。「山歩き」がだめなら「ハイキング」ということで次のような講座解説文を書きました。
────環境庁によって平成元年に設置された首都圏自然歩道「関東ふれあいの道」の142コースから毎月1本を選んで歩きます。長短・難易さまざまですが、いずれも日帰りのハイキングコースとして整備されたものです。軽快に歩くことで脂肪を効率よく燃やしてみましょう。基本的な歩き方の習得に重点を置いて指導します(雨天決行、教室での講義はありません)。────
*ハイキングコースをいろいろ調べているうちに、足利の市街を足元に見られそうなこのルートを選んでみたのです。「登山」だと保険での補償額が上積みできないということが本社法務部の調査で問題になったということから「ハイキング」になったのですが、じつは「関東ふれあいの道」には「山歩き」の対象となる山がいくらでもあるので、意図的に「ハイキング」も交えるという感じでした。でも道すじでは岩と触れ合うチャンスを積極的に増やしたりしていたことが、写真を見直して思い出しました。
*ただし、この日の計画も行動記録も現在不明です。

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【116】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【117】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【118】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【119】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【120】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【121】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【122】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【123】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【124】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【125】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【126】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【127】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【128】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司
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【129】撮影:1997年3月18日=伊藤 幸司

追加2……1997年10月20日の行道山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉では朝日新聞出版局から出向した長塚さんが「千葉ではカルチャーセンターに登山の講座がないのだけれど」ということで1996年4月から始まった「中高年の山歩き」シリーズが好評で、メインの日帰り(第4水曜日)だけで176回続くのですが、これはその21回目。なぜここで足利のハイキングなのかという理由は、計画書にこう書かれています。
────関東平野周縁の秋の気分を存分に味わいたいと思います。初参加の方も多い今期最初の山歩きは関東の古都・足利へと下っていくゆるやかな尾根の道。まずは足慣らしといった気分で、楽しみましょう。────
*このコース、私たちはタクシーで浄因寺まで行きましたが、ドライバーによると地元の小学校では6年生の遠足で、学校から歩いて浄因寺へ、それから織姫神社まで下って、学校まで、とすべて歩くと聞きました。
*行動記録は不明ですが、計画書によると1100ごろ浄因寺を出発→1130〜1200ごろ山頂(石尊山見晴台)→1530ごろ織姫神社、となっています。

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【130】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司
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【131】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司
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【132】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司
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【133】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司
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【134】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司
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【135】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司
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【136】撮影:1997年10月22日=伊藤 幸司

追加3……1999年12月15日の行道山=伊藤 幸司

*糸の会No91。第3水曜日の15回目になります。計画書には次のように書きました。
────足利市の後背部に長く延びる稜線を歩きます。ここは関東ふれあいの道の一部となっています。
起点の行道山浄因寺は「関東高野山」と呼ばれる名刹。行道山はその寺の山号なのですが、登ったところにある標高442mの無名峰を行道山と総称するという説をここではとっておきます。そこにはたぶん石尊山という名があるだろうと思いますが、谷をはさんで北西に標高486mの石尊山がありますから、そこは石尊山の展望台というのが穏当な解釈でしょう。
地形図では平坦なハイキングルートをルンルン気分で歩くかのように見えますが、実際には、時間分、びっしりと歩かされることになると思います。でも楽しい道だと思います。
下山後の楽しみも、いろいろあります。────
*この日は1100浄因寺駐車場(標高約250m)を出発→1110-40浄因寺で休憩(標高約300m)→1210-20石尊山見晴台(標高442m)→1250-55毘沙門天展望台でトイレ休憩(標高約350m)→1300-10毘沙門天(標高約300m)→1340-50休憩(標高約200m)→1420-30両崖山山頂(標高251m)→1510-55織姫公園ハーブレストラン(標高約100m)でお茶。

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【137】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司
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【138】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司
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【139】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司
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【140】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司
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【141】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司
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【142】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司
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【143】撮影:1999年12月15日=伊藤 幸司

追加4……1999年12月21日の行道山=伊藤 幸司

*糸の会No.150。東急セミナーBEから移行した第3火曜日シリーズの5回目。下山後に足利で入浴に加えてお菓子やら、そばやら。
*この日は1050浄因寺駐車場(標高約250m)を出発→1100-30浄因寺で休憩(標高約300m)→1200-15石尊山見晴台(標高442m)→1250-1300毘沙門天展望台でトイレ休憩(標高約350m)→1330-35休憩(標高約200m)→1405-15両崖山山頂(標高251m)→1500-35織姫公園ハーブレストラン(標高約100m)でお茶。

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【144】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【145】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【146】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【147】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【148】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【149】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【150】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司
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【151】撮影:1999年12月21日=伊藤 幸司

追加5……2000年6月27日の行道山=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクールの3回目。講座担当のTさんが、危機管理にうるさい上司の目をかいくぐるために「花と風景のやすらぎ・超入門山歩き」としたシリーズの3回目。このシリーズでは最初に60回分のリストをつくったので、行道山はその超入門編。
*この日は1040浄因寺駐車場(標高約250m)を出発→1050-1110浄因寺で休憩(標高約300m)→1155-1210石尊山見晴台(標高442m)→1250-1305毘沙門天でトイレ休憩(標高約350m)→1420-35両崖山山頂(標高251m)→1530-1615織姫公園ハーブレストラン(標高約100m)でお茶。

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【152】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【153】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【154】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【155】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【156】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【157】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【158】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【159】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【160】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司
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【161】撮影:2000年6月27日=伊藤 幸司

追加6……2003年2月12日の行道山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター「初級の山歩き」の5回目。「軽めの日帰り」という設定でした。
*この日は1050浄因寺駐車場(標高約250m)を出発→1100-10浄因寺で休憩(標高約300m)→1140-50石尊山見晴台(標高442m)→1220-25大岩山(標高417m)→1240-50毘沙門天でトイレ休憩(標高約350m)→1355-1405両崖山山頂(標高251m)→1450-1525織姫公園ハーブレストラン(標高約100m)でお茶→1535織姫神社(標高約100m)

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【162】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【163】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【164】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【165】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【166】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【167】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【168】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【169】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【170】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【171】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【172】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【173】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司
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【174】撮影:2003年2月12日=伊藤 幸司

追加7……2005年12月17日の行道山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の第3土曜日シリーズ。この頃には、織姫神社前の舟定屋の芋羊羹、香雲堂の古印最中を見た後、幸の湯に行き、一茶庵でそばというのが定番になってきていました。足利大学や鑁阿寺に立ち寄れるかどうかは時間があれば……のこととして。
*この日は1035-50浄因寺で休憩(標高約300m)→1125-35石尊山見晴台(標高442m)→1210-20毘沙門天でトイレ休憩(標高約350m)→1310-20休憩(標高約200m)→1355-1405両崖山山頂(標高251m)→1450-1500織姫神社(標高約100m)

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【175】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【176】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【177】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【178】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【179】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【180】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【181】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【182】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【183】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【184】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【185】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【186】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【187】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司
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【188】撮影:2005年12月17日=伊藤 幸司

追加8……2007年12月18日の行道山=伊藤 幸司

*足利は関東有数の古都ですが、じつは東京湾から直線で75km奥に入って、渡良瀬川の川原は標高35m。海岸の高台ぐらいの標高しかありません。その広大な関東平野の広がりをじかに感じたいとして、平野周辺の里山のルートをいくつか体験してきました。この行道山の小さな稜線はそういう観点から見たときに秀逸だと思います。一時期には月に8つの講座をもっていましたから、すべての皆さんに一度は体験していただきたいという思いがありました。
*この日は1040浄因寺駐車場(標高約250m)を出発→1050-1100浄因寺で休憩(標高約300m)→1135-50石尊山見晴台(標高442m)→1220-30毘沙門天でトイレ休憩(標高約350m)→1305-15休憩(標高約200m)→1355-1405両崖山山頂(標高251m)→1450-55織姫公園(標高約150m)で休憩→1505織姫神社(標高約100m)

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【189】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【190】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【191】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【192】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【193】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【194】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【195】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【196】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【197】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【198】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【199】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【200】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【201】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【202】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司
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【203】撮影:2007年12月18日=伊藤 幸司

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