山旅図鑑…し
陣馬山〜高尾山(2022.3.14)
フォトエッセイ・伊藤 幸司

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★糸の会 no.1221(コロナとともに 56)
2022.3.14
和田峠→陣馬山→景信山→高尾山
登り5p→稜線41p────46パワー



陣場山、高尾山
【撮影】09時18分=伊藤 幸司
この日、私は08時11分豊田始発の大月行きに遅れてしまったのです。結局先回りして09時00分に登山口とした和田峠に先回りしてみなさんを迎えたのですが、その経緯は「コメント006」に詳しく書きました。なぜ、この日、私たち? がJR上野原駅からタクシーで来たのか、ということも含めて……。
■コメント006=2022.3.15 伊藤 幸司の体調報告
*まずはお詫びです。
*当日は「08時11分豊田始発の大月行き普通列車」に乗るべくJR武蔵小金井駅へ向かったのですが、接続する高尾行き電車に乗り遅れて、1本後になったのです。最近引っ越した住居が駅から2分と近いため、これまで厳守してきた「30分の余裕」なしに「早め」に出て、コンビニで買い物など購入しているうちに「ギリギリ」遅れてしまったのです。
*幸いにというか、糸の会の危機管理の現状をご存知の稲葉さんが参加されているので、とりあえず状況を報告しました。そして私は追いかける手段を調べてみたのですが、上野原駅への次の便は約30分後になるので、高尾駅から和田峠までタクシーで飛ばすことにしたのです。
*和田峠までタクシーで一気に上るならJR藤野駅下車にするのが最短ですが、藤野タクシーに2台しかなく、その2台も即時使えるかどうか。そこで通常、タクシー会社が複数ある上野原からとしているのです。
*では高尾駅からは? 陣馬高原下までバスがあるので陣馬山への登山ルートとしては一般的です。そしてその先、和田峠までの4kmは陣馬街道(都県道)として車道が通じているのですが、東京都側は土日には閉鎖され、積雪や崩落などでけっこう止まるだけでなく、その知らせがあまりうまく伝わりません。かつ距離が長いのでタクシー料金も割高になるうえに、バス停から歩けば和田峠までは1時間の距離なので、通常、タクシーという選択は常識的だとは感じません。ぶっちゃけていえば、裏口からだからタクシーで時間を「得した気分」になれば……ギリギリセーフかな? と考えているのです。
*私は08時30分にタクシーで高尾駅を出て、09時に和田峠に着きました。みなさんは08時41分に上野原駅に到着し、タクシー4台に分乗して、09時20分に到着、ということでした。

○体調報告
*私は12月23〜24日の開聞岳以降、自宅の引っ越しにかかわる力仕事は積極的にやりましたが、これまで同様、ほとんど引きこもり状態で過ごし、スタンディングディスクでの立ち時間は毎日かなりの時間になる、という以外は「運動」とは無縁の2か月半を過ごしてきました。みなさんにお話ししたように、早足で歩こうとすると足がもつれる感じ、走ってみると転びそうで「小走り」以上のことはできない感じでしたから、じつはかなりの不安状態であったといえます。
*行動記録の用紙にメモしたのは陣馬山から歩き出して明王峠までの間に「息切れ」と「左ひざ」……ほぼ平坦な道でしたがマスクを取って息をととのえ、左ひざはいつもどおり違和感を感じた直後に歩き方を調整してすぐ消すことができました。
*和田峠の気温は14℃でしたが、稜線に出ると日が射して、風もなく、私はなんと、半袖Tシャツになりました。
*以後、まったく異常感なく、疲労も感じず、肉体的開放感を感じながら歩くことができました。
*ただ、城山以降、一丁平では展望台への登りを回避して、紅葉平でもシモバシラが咲く巻道をたどりましたが途中から階段ルートに戻ったところ、私もかなり「きつい感じ」がしました。見ていると相当苦しい思いをしている人もいたようなので紅葉平の展望台でゆっくり休憩、時間延長の手段としてよくやる「コーチの話」としてこの、いま私が書いている体調レポートの提案と、それから今日のこの計画は高尾山の山頂までで、下山はリストかケーブルと発表しました。
*紅葉台での15分の休憩がリフレッシュ効果を見せてくれたのだと思いますが、山頂への最後の階段は歩きやすく、思ったより短く感じました。
*ところが薬王院の石段を下っているときに突然、両ひざに強い痛みが走りました。足さばきを抜き足・差し足気分で歩くというあまり体験のない状態でしたが、下ると忘れる程度でした。
*高尾山口で入浴・食事、19時40ごろに武蔵小金井駅に着いたのですが、ホームの階段を下るとき、両ひざと両ふくろはぎ、両肩と左の腰裏に軽い痛みをともなう疲労を感じました。もっとも駅を出ると忘れてしまう程度でした。
*翌朝、起き上がったときに体全体にこわばりを感じましたが、それは一瞬で、以後日常が戻ったというふうに感じてこのレポートを書きました。(3月15日午前11時・伊藤 幸司)

陣場山、高尾山
【撮影】09時31分=伊藤 幸司
和田峠(標高約690m)には「峠の茶屋」があります。この茶屋が存在感を示しているのは有料駐車場です。小学校の校庭ぐらいの広場があって、年始年末以外は自転車も200円で駐輪できます。……ということは親父さんが現金で駐車料金を徴収するので、基本的にほぼ無休だということです。
陣馬山〜高尾山の稜線にはたくさんの茶屋がありますが、この「ほぼ無休」というのは貴重です。加えて、この陣馬街道の東京側はバス停のある陣馬高原下からここまでの約4kmは週末に車両通行止めになったり、雨や雪で簡単に閉じてしまいます。だから私は高尾駅から地元の高鉄タクシーに飛び乗ったあと、和田峠まで車で上がれるか確認しようと配車係にまで聞いてもらったのですが「たぶん大丈夫でしょう」という程度。それに対して山梨県側なら、和田バス停から先の道が開いているかどうか、はっきりとわかります。和田峠の茶屋の駐車場は、そういう意味で、場合によっては重要な存在となるのです。
私たちは峠の茶屋の脇から登り始めたのですが、登山道というにはほど遠い登山階段になっていました。

陣場山、高尾山
【撮影】09時33分=伊藤 幸司
登山階段を登り始めて2分後ですから、茶屋の背後なんですが、崖に崩れそうな部分がありました。まあ、これが丹沢の登山道だったら、ほとんど気にするレベルではないですけれど。

陣場山、高尾山
【撮影】09時33分=伊藤 幸司
登山道の補修法はいろいろありますが、これなどはユニット家具みたいな階段ですね。どんなパーツをどんなふうに運んで組み立てて、かつ斜面にきっちり置いていけるのか、なかなか高度な技術が必要だと思われます。でもこういう細工物が、水流によって地盤を侵食されてしまった例をいくつも見てきました。雨水がこの階段下に流れ込まない仕掛けをどのように整えているかが一番重要な危機管理技術なんですよね。登山者には見えないところですけれど。

陣場山、高尾山
【撮影】09時36分=伊藤 幸司
登山道をたどっていて、いつも悩むのはこういう場所です。木の幹は薄皮一枚剥いだところ以外は生体ではなく死体(炭素)であるように、根だって生きて仕事をしてるのは先端の毛細血管みたいなところだけ……だろうとは思っているのですが、でもやっぱり「根を踏む」というのにはいさささの覚悟が必要になります。
私が知りたいところはまだ見つかっていませんが、とりあえず、根に関する常識的な考え方としては茨城県の農林水産部が踏圧による樹木の被害という記事を載せていました。
———大きく枝を広げた大樹の木陰は、人々に憩いの場を提供してくれます。でも、土の下にたくさんの根が伸びていることを忘れないでください。言うまでもなく木は根から水や栄養をとっています。土が踏み固められると、根は締め付けられ、生長することも、水や栄養をとることもできずに枯れてしまいます。そうして枝葉は伸びて行くのに、根は年々少なくなり、地上部と地下部のバランスが崩れ、木は飢えと渇きのために衰弱して、やがて死んでしまいます。人の多く集まる公園や学校等でこういった踏圧による被害をよく見かけます。———
常識的ですね、これは。もうすこし根のパワーに触れた記事が横浜市道路局の街路樹の根上がり対策にありました。
———街路樹が生長するにつれて根が太くなることで、根が歩道の縁石や舗装を持ち上げ、歩道がでこぼこになる「根上がり」が起こります。 そのため歩行者、特にお年寄りや車いす・ベビーカーの通行に支障をきたす状況となり、各地で問題になっています。———
というのです。
———道路の下の土は、舗装が壊れないように堅くつくられています。街路樹は空気と水を取り込むために根を伸ばそうとしますが、土が堅すぎるうえに、空気と水、養分が不足しているので、なかなか生育することができません。
そこで樹木は、少しでも空気と水がある部分、地面の上の方や、縁石沿いに根を伸ばし、太くなって舗装や縁石を押し上げます。———
そこで
———舗装に必要な強度を持たせながら、根が生育出来る隙間のある特殊な土壌(根系誘導耐圧基盤材)を舗装の下に設けます。この隙間には空気と水、養分があるので、地面深くまで根を伸ばすことができます。———
登山道で見るこの写真のような状態の根についての記事は、まだ見つかっていません。

陣場山、高尾山
【撮影】09時36分=伊藤 幸司
何の木に何というキノコがついたのかわかりませんが、HondaWoodsというサイトの里山の手入れと生きものの関係を学ぼう!に似た写真があって、
———枯れ木や倒木に生えるカワラタケなどの木材腐朽菌(ふきゅうきん、キノコの一種)は、木を柔らかく分解するので、虫たちの格好のエサになります。———
とのこと。これがカワラタケかどうかはよくわかりませんが。

陣場山、高尾山
【撮影】09時40分=伊藤 幸司
一般的な土留めの階段ですね。つくるときのわかりやすさとやりやすさで一般的な方法だと思われますが、この写真でもわかるように、上から雨水が流れ込んでくれば、たちまち川になってしまいます。

陣場山、高尾山
【撮影】09時51分=伊藤 幸司
雨の日、写真右上から流れてきた水を左に導いて左側の斜面に落とそうという水切り(と言うんですかね)装置。この写真では説明しにくいのですが、登山道を整備する際にいちばん重要なのが「水切り」だという認識が薄いように思うのです。その理由はいっぱいあると思いますので、わかりやすい写真が出てきたらできる範囲で説明したいと思いますが、まずはこんなに立派な水切り装置を作っているということ自体が「わかっていない」人たちの仕事だと感じます。箱根ではもっと立派な水切り装置をたくさん見ることができますよね。

陣場山、高尾山
【撮影】09時55分=伊藤 幸司
和田峠から歩き始めて約25分、突然バイクがあったんです。それもホンダのスーパーカブ。リアフェンダーに三角マークがありますから原付二種。スーパーカブは世界で1億台以上売れたというちょい乗りバイクです。それが問題なく登ってこられる道があるということです。和田峠にあれだけの有料駐車場があるということは一般車は乗り入れ禁止でしょうから、関係者のバイク。想像するにもうすぐそこにある陣馬山山頂の、3軒の茶屋のどれかと関係のあるバイクではないでしょうか。

陣場山、高尾山
【撮影】09時56分=伊藤 幸司
陣馬山山頂直下の、かなり贅沢な階段です。角材を6本(ですかね)並べて敷き詰めた、という感じです。先端の1本には滑り止めの細い溝を切ってあります。尾瀬の木道だと木材を腐食させやすいこんな細工はしてなかったと思います。それでも春先のアイゼンの爪痕はすごいですけれどね。木道での滑り止めはかなり重要な要素になると感じます。

陣場山、高尾山
【撮影】09時56分=伊藤 幸司
まあ、これが陣馬山の山頂風景です。国土地理院の地形図では「陣馬山(陣場山)」となっています。
城旅人さんによると、
———東京都立高尾陣場自然公園、および神奈川県立陣馬相模湖自然公園に指定されていまして、関東の富士見百景、かながわの景勝50選および八王子八十八景にもなっています。———
その、東京が「陣場山」、神奈川が「陣馬山」というチグハグ感は、東京都立高尾陣場自然公園が1966年(昭和41)以来の名称だからです。
まあ有名な話ですが、「純八王子主義」という地域情報誌「ハチトピ」によると、
———1956年「陣場観光協会」が設立され、高尾と並ぶ観光地化を目指していきます。その中心にいたのが京王帝都電鉄で、観光客へのイメージアップを図るため、陣場山から景信山周辺を「陣馬高原」と名付けます。山頂には富士山に向かっていななく「白馬の像」が建てられ、「陣馬山」という名称が定着していきました。———
ウィキペディアの東京都立高尾陣場自然公園によると1950年(昭和25)に設定された東京都立高尾山自然公園が1966年(昭和41)に東京都立高尾陣場自然公園へと拡大されたということです。

陣場山、高尾山
【撮影】09時57分=伊藤 幸司
私はまだ、山頂に立っていません。白馬の像に近づくにつれて富士山が伸び上がってきました。これは次の写真の1分前(正確には1分24秒前)ですから清水茶屋の展望台ということになるでしょう。いつだったか、素晴らしい夕景だったので、日没まで富士山とじっくり向かい合ったのがこの展望台でした。日没後1時間は無灯火で下れる道ですから、和田峠までタクシーを呼んでぜいたくな時間を過ごせました。ちょっと寒かったというような記憶がありますが。

陣場山、高尾山
【撮影】09時58分=伊藤 幸司
清水茶屋越しの富士山です。じつは私はこの茶屋に好感を抱いています。信玄茶屋は開いているのを(平日だからか)見たことがありませんし、山頂からの展望を邪魔するように建っている富士見茶屋は営業しているところはけっこう見ていますが、展望料金を「取られる」感じがするので、いつも脇から富士山を撮っています。日没の富士山をじっくり眺めたあの日も、たまたま清水茶屋しか営業していなかったのです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時02分=伊藤 幸司
陣馬山山頂からほぼ真南に見えるのは丹沢の大山(1,252m)です。左に下ったところに小さなピークが3つ見えるのは大山三峰山(935m)。実際に登ってみると主要なピークは4つあるのですが、こう見るとたしかに「三峰山」ですね。稜線がつながっているように見えますが、隣りにあって親分子分という関係です。

陣場山、高尾山
【撮影】10時02分=伊藤 幸司
富士見小屋の脇にある無料の展望台です。丹沢山地が9割方見えています。この陣馬山や奥多摩山地から丹沢山地を見たときに最初に探すべきランドマークが、(ごめんなさい次の写真にきちんと写っていますが)左端にかろうじて写っている美しい3つコブの丹沢山三峰尾根です。
その「丹沢三峰」は丹沢湖(320m)から3つコブを乗り越えて丸みのある山頂の丹沢山(1,567m)へと登る尾根です。
そこから右に進むと不動ノ峰(1,614m)を経て丹沢山地最高峰の蛭ヶ岳(1,673m)。そこからいったん大きく下って、さらに右側、女性の頭上に広がる山が檜洞丸(1,601m)で、また下がって登り返す大きな山が西丹沢の盟主というべき大室山(1,588m)になります。

陣場山、高尾山
【撮影】10時02分=伊藤 幸司
丹沢山の三峰尾根(丹沢三峰)の美しさがわかります。丹沢山から蛭ヶ岳への稜線は雪のついた時期に軽アイゼンで歩けるすばらしいルートです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時02分=伊藤 幸司
これは西丹沢の大室山(1,588m)から畦ヶ丸(1,293m)です。檜洞丸や畦ヶ丸というように「丸」という字のついた山がありますが、そういう例は各地にたくさんあるので「丸=山・岳・峰……」と考えて問題ありません。

陣場山、高尾山
【撮影】10時02分=伊藤 幸司
これが陣馬山の山頂から見た富士山です。おおよそ北東から見ていて、この位置から後ろへ下がると川越があり、筑波山です。
私は1980年に『富士山・地図を手に』(東京新聞出版局)を出していただきましたが、じつは富士山の五合目以上(白い部分)の傾斜がほぼ30度、三角定規の一番小さな角度だということに気づいたのが出発点でした。
夏になると左側1/3あたりの斜面にジグザグの道が見えますし、夜になると登山者のライトの光が点々と連なるのですが、30度の傾斜面にジグザグの登山道をつけて歩きやすくした結果、山小屋間での平均勾配は約20度となっているということを発見したのです。しかもそれが精密な工事図面をそなえている山梨県の県道であり、日本全国の登山道の(ほぼ)標準的な勾配だということを知り、登山ガイドのコースタイムを(孫引きでなしに)きちんと計算しようと努力していた山岳写真家の内田良平さんからヒントを頂いて、標準的な登山道を時速1kmで高度差300mを登る歩き方を身につければ、平地を時速4kmで歩き続けるエネルギーとほぼ同等で大きな山に登ることもできる、という方法論を見つけたのです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時03分=伊藤 幸司
陣馬山の山頂はすばらしい天気でした。糸の会では、休憩はリーダーとして私が決定権を持つと決めて四半世紀やってきました。5分休憩と10分休憩の2種類です。当初は一般的な昼食休憩というのもありましたが、すぐにやめて、5分休憩では「ザックを下ろして水を一口飲む」とし、10分休憩では「腰を下ろしておにぎり1個程度のエネルギー補給」としました。最近はトップの「10分交代」が行なわれているので、トップの人の判断で水分補給が行なわれます。
ところがここでは休憩が25分になりました。山頂到着ですから「10分休憩」でしたが、まずは快晴・無風、展望絶佳、エネルギー補給よりゆっくりご飯、……それから、ここが今回の主目的となる体調コントロールのスタート地点。久しぶりに再開したみなさんがゆったりした気分で「記憶に残る休憩」とすべきだと考えて、糸の会としては「大盤振る舞い」にあたる「20分休憩」としたのです。
ここでは詳しく書きませんが、「5分休憩」は水分補給というかたちをとって、バテていそうなメンバーを要チェックする機会だとも考えてきました。「10分休憩」は小刻みなエネルギー補給のためですが、バテている人がいたときには、その人の回復を考えながらリーダー特権で休憩を延長させたりします。私がコーチとして無駄話を始めたりするきっかけは、Xさんにもうひと休みしていただきたいという場合が多いと思っています。もちろん記憶に残る休憩チャンスと出会ったときにはその価値を味わっていただくために休憩の延長を宣言します。
つまりチームで歩くときには全体のペースでいろいろコントロルしようとしても、特定の誰かにかかる負担は結局軽減されません。かわりに元気な人の心地よさが削られるだけになります。私は自分なりのコーチングにおいて「休憩」を最大限活用してみたいと考えてきたのです。
この日はもうひとつ、糸の会の企画そのものが2か月半ぶりでしたし、陣馬山から高尾山までの「足慣らし・体慣らし」に不安を抱えながら参加した人もいましたから、なごやかな歓談の時間も必要でした。責任者が遅刻するという珍しい? 事件もありましたし。
10分休憩を20分休憩と延長した後、出発準備への移行時に「記念写真」を撮るとして、ゆるやかに休憩時間を終えたら25分休憩になったということです。これはその「休憩写真」です。

陣場山、高尾山
【撮影】10時03分=伊藤 幸司
これは陣馬山山頂の3軒の茶屋のひとつ信玄茶屋。私は営業している光景を一度も見ていませんが信玄茶屋というブログがあるんですね。それによると
———営業日時 3月初旬~6月下旬 9月初旬~1月中旬
月々の営業予定についてはスタッフブログをご覧ください。
土日祝祭日のみ営業 朝9時ごろから夕方まで———
ちなみに陣馬山山頂は東京都と神奈川県の県境にあるのですが、山頂の3軒の茶屋は全部神奈川県相模原市の旧藤野町・藤野観光協会に所属しています。ちなみに私たちがこの日たどった稜線は和田峠〜陣馬山〜景信山までが東京・神奈川県境です。

陣場山、高尾山
【撮影】10時04分=伊藤 幸司
陣馬山山頂の北斜面には信玄茶屋とトイレがあるのですが、前の写真を撮ったのは、じつは信玄茶屋ではなくほぼ真北にある大岳山(1,266m)でした。これはそのクローズアップ。山頂から右に肩が張り出していて方向的にいいのかな、と思ったので撮っておいたのです。山頂と、右に張り出した肩のつなぎ目あたりからこちら側に下ったところに大岳山荘跡と公衆トイレがあるのです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時09分=伊藤 幸司
画面左端に大岳山を遠望する角度で白馬の像を撮っておきました。プレートには「陣馬高原山頂標高857m」とありますが、ネット情報には「855m」となっているものがあります。
たとえばウィキペディアの陣馬山では「標高854.8mの山である」となっていて、小数点以下を書かない場合は四捨五入するので「855m」派です。
そこで一番信頼性のある国土地理院の電子国土Webで見てみると山頂に「855m」の三等三角点があるようで「854.80m」とか。
ところが1991年に国土地理院が刊行した『日本の山岳標高一覧—1003山』で陣馬山は「857m」とされたのです。それは山の高さを三角点の標高でなしに、本当の「山頂」「最高点」「てっぺん」とするために国土地理院内に「山の高さに関する委員会」を設置して公式に発表したものです。それによって多くの山の標高が数センチとか数メートル高くなったのですが、陣馬山ではそれが見逃されてきた……ようなのです。
でもおかしい。この白馬像が建てられたのは1960年代の後半だそうです。白馬像自体はかなりボロボロ状態ですし「857m」というプレートも結構古びていて1991年以降に置き換えたという感じはしません。
そこで私が今も使っている2000年版の登山地図(昭文社の「高尾・陣場」)を見ると、三角点の「855.0m」のとなりに「857m」という数字が並んでいますね。最新の登山地図ではどうなっているのでしょうか。
いずれにしても「855m」は古いのです。山ガールネットやヤマケイオンラインなど、登山系のガイド情報では「857m」が採用されているようです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時09分=伊藤 幸司
清水茶屋越しに北西方向を見ています。じつはどこを見ているのかわからないまま、とりあえず撮っておいた写真です。背後の山については特徴的なものがなかったので「陣馬山からの展望」というようなものを見て、ようやくわかりました。中間の山は左側がJR鳥沢駅から登る扇山(標高1,138m)、右のピークは私がまだ登ったことがない権現山(標高1,312m)なんだそうです。
問題は背後の山ですが、鳥沢駅を出たJR中央本線は猿橋、大月まで行って右手に方向を変えるので、扇山の奥に笹子トンネルがあって、それをくぐると甲府盆地という感じでしょうね。扇山の右奥にある尖ったピークは滝子山(1,590m)だそうです。ということはそこから稜線を右にたどると湯ノ沢峠を越えて大菩薩峠なんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】10時25分=伊藤 幸司
これは「山頂」の記念写真ですけれど、この日だれが参加していたか、メンバー確認にいつか役に立つこともあるかも……という、記念というより記録写真。

陣場山、高尾山
【撮影】10時31分=伊藤 幸司
陣馬山からいよいよ縦走ルートに踏み出しました。最高の道ですよね。かなりの豪雨でも雨水は広がりつつ流れて、左右の斜面に落ちていく、ふんわりとした光景を想像することができます。丸太で土留めした手前の階段にも削られたという感じがありません。

陣場山、高尾山
【撮影】10時32分=伊藤 幸司
ところが前の写真から1分後(正確には1分24秒後)です。このぬかるみは。前の写真でいえば先頭の人が歩いていたあたりです。雪が吹き溜まっていたか、あるいは霜柱が立ってそれが溶けたか、という感じですが、これからの季節でも雨の後はこんなふうになるのかもしれません。私は素人考えを勝手に喋っているだけですから無責任なんですが、右から左へと緩やかに下る斜面ですから、道の表面から水分が抜けやすい傾斜を整えれば、こういう状態にはならないのではないかと思うのです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時34分=伊藤 幸司
この写真でぬかるみの状態がよくわかります。左側が盛り上がった路肩になっています。
私がこれまで見たなかで最高の登山道は北アルプスの、扇沢から種池山荘へ登る柏原新道なんですが、素人づくりで素人保守のその道の素晴らしさは、どこにも路肩の盛り上がりがないことです。つまり雨水は集まって水流になる前に下の斜面に流れ落ちてしまうのです。柏原新道には塩ビパイプを埋め込んだ排水路を路面横断的につけていますが、そんなことより、道のどの部分からも水が路肩からこぼれ落ちていくという繊細な水切り機能を維持してきたのだと思います。結果として、路肩が盛り上がっていない、ということに価値があるのです。1970年ごろに完成して半世紀、路肩が盛り上がるような路面の侵食を許さなかったということです。
ここはあきらかに、雨水が流れ、水たまりをつくってイノシシのヌタ場のような状態になっているんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】10時37分=伊藤 幸司
道はずいぶん落ち着いた感じになりました。いま最後尾にいる岡田さんは自分のブログたんぽぽの花の山登り&ロッククライミングにこの山の「10:35」の写真を出しています。つまり私のこの写真は「10:37」ですから、彼女が撮って、列に追いついたところですね。そのブログの自己紹介として、次のように書いています。
———25年ほど前から、健康のために、軽登山を始め、そのうち岩稜登攀の魅力を知りました。アルパインクライミングはガイド登山です。日本のクラシックルートをほぼ上りました。海外も行きました。———
その「25年ほど前から」の軽登山が、朝日カルチャーセンター横浜の登山講座であり、それに続く糸の会ですから、現在、糸の会の最古参メンバーです。ただ、岩稜登攀を始めてからは糸の会に参加するのはリハビリで、この日も左足(だったか)のかかとを100%の荷重ではつけられない状態で参加しているのです。

陣場山、高尾山
【撮影】10時40分=伊藤 幸司
私たちがたどる縦走路はおおよそ稜線をたどっていて、進行右側が神奈川県、左側が東京都となっています。消火用水と書かれたタンクはダイライトという会社の300リットル入りポリエチレンタンクで、タンクは東京都(八王子消防署、八王子市消防団)のもののようですが、看板は神奈川県のもの(県央地域県政総合センター水源の森林推進課)のようです。中がどんなふうになっているのかは見ていません。いざというときにどのように「消火」すべきなのか、水をどのように運ぶ想定になっているのかも想像できません。

陣場山、高尾山
【撮影】10時42分=伊藤 幸司
このルートは「関東ふれあいの道」になっているんですね。この「首都圏自然歩道=関東ふれあいの道」が全長1,667kmにわたって完成したのが平成元年(1989)3月ですが、その4月に朝日新聞社から刊行された『朝日ハンディガイド・ふれあいの「首都圏自然歩道」』で執筆を担当しました。当時出版局で単行本の編集をしていたら「伊藤君、やらない?」というので1都6県のうち4県を「地平線会議」の若手のみなさんと組んでリサーチと執筆、やりました。
このホームページの伊藤 幸司の仕事歴に経緯を書いてあります。
———平成元年3月に整備完了となった環境庁「首都圏自然歩道=関東ふれあいの道」(全1,667km)の実地踏破ガイドを企画したのは朝日新聞出版局の大峡弘通さん。1都6県のうち埼玉・群馬・栃木・茨城の4県を担当したので、もとより自分で歩く余裕はなく、数人の仲間に踏破メンバーになってもらい、ワゴン車にテントを積み、宅配便のように各登山口に送っては、回収するという毎日。私はドライバーのほか、設営・調理(?)、データ収集ということで約10日の取材合宿を終えた。
整備完了と同時に出版ということで工事中のルートもあったが、ミニユンボなどの機械力で林道工事と同様に造った道は、ひと夏過ぎると雑草が生い茂って埋没してしまうという例を多く見た。———
このおかげで、1983年から5人の講師で続けていた、中高年登山ブーム中の朝日カルチャーセンター横浜の登山講座を『トレーニング不要! おじさんの登山術』(朝日新聞社・1990.7)として刊行させていただくことにもなりました。それもこのホームページの伊藤 幸司の仕事歴にあります。

陣場山、高尾山
【撮影】10時44分=伊藤 幸司
陣馬山を出て1時間30分というところでしょうか。私たちは(10分交代制というのをやっているので)先頭が何度か入れ替わりましたが一度も休憩せず、おおよそこんな道、つまり歩きやすくて、退屈しない緩やかなアップダウンの道を、私にとってはきれいな空気、何人かの人にはスギ花粉に汚染された空気を、それぞれ吸いながら、明るい陽光がチラチラと注ぐ中、進み続けていたのです。土日ならたぶん走る人たちも多いので、いくぶん腹をたてたりしていたかもしれませんが。

陣場山、高尾山
【撮影】10時53分=伊藤 幸司
嬉しかったです。こんなふうに道の雰囲気が変わると「歩く価値」が高まります。行き先に期待が湧きますが、足元の笹も、ここで新鮮な感じで「ご対面」という気分になりました。クマザサですが、ただのクマザサでいいのかどうか……。
そこで帰ってから「高尾山のクマザサ」と検索してみると高尾通信に高尾山で最初に発見された植物たちというのがあって、そこにミヤマクマザサがありました。
でもそれは「高尾山で最初に発見された」のであって、これがそれなのか、これはふつうのクマザサなのかはわかりません。
そこで決定版の『高尾山全植物…草・木・シダ1500種』(山田隆彦著・文一総合出版・2018)で見てみると、ありました。
———ミヤマクマザサ。別名タンザワザサ。笹。花期:—。個体数:稀。特徴:林内。高さ50-100cm。棹の上方で分枝、節は球状。竹の皮、葉鞘は無毛。葉の裏側は有毛。高尾山が基準山地。———
もちろんクマザサもありました。
———笹。花期:—。個体数:多。特徴:林内、林縁。高さ0.5-2m。葉は革質。節や葉は無毛。冬には葉の縁が白く隈どられる。
しかし、隈取りのあるクマザサとしてはミヤコザサもそうなんですね。写真では、私などはクマザサとしか見えません。
———別名イトザサ。笹。花期:—。個体数:多。特徴:林内。高さ30-90cm。稈は無毛、基部で1-2回分枝。上部で枝を出さない。節は球状。葉の裏有毛。———
ていねいに撮られた写真もついていますが、結局私にはわかりません。植物図鑑としてはものすごく親切でわかりやすいのですけれど。

陣場山、高尾山
【撮影】10時56分=伊藤 幸司
首都圏の山歩きでは稜線の道ではこういう気分がうれしいのです。進行左手は人工林ですが、この県境を境に、右側は自然林。春にはポツポツと花が咲き、秋には紅葉、冬になると、なんといっても、葉を落とした広葉樹の隙間から、陽光が斜めに差し込んでくる気分が最高です。ついでにいえば、真冬の首都圏では冬型の気圧配置で晴天が多く、山では風のない場所が多いため、陽だまりのふんわか気分が最高です。おまけに白銀の富士山がチラチラと顔見せしてくれたりもして。

陣場山、高尾山
【撮影】10時59分=伊藤 幸司
なんで、わざわざ、日陰の部分を歩いているのか……わかりません。このとき先頭に立っている人が目先の歩きやすいところをたどったら、たまたまこういうふうに撮られてしまったということでしょう。
きちんと一列に並んでいる私たちの姿を見て「歩かされている」というふうに感じる人は多いのでしょうが、その気分をできるだけ開放する方法として、先頭を「10分交代」する方法をとっているのです。
いちばん重要なポイントは、10分ごとに先頭が交代して自分の一番楽しいペースで歩くのです。全体のペースメイクをするのではなく、団体行動ではなかなかできない「自分のペース」をトップでは自由に楽しんでもらいたいのです。早い人は解き放たれた犬みたいにあっという間に見えなくなってしまいます。そういう人の場合は、10分後にひと休みしているところに追いつくのですが、最後尾から「次の先頭」が前に出るのを待っていてくれるのです。
10分間というのは目安ですけれど、後ろの人に何かがあったとしても、最後尾のひと(すなわち私)が来るまで動きませんから、列の中にいてスピードの遅い人も遅れるのを心配して急ぐ必要はありませんし、足に違和感を感じるような場合でも、まわりに迷惑をかけないように頑張る必要はないのです。つまり誰かがちょっと調子を崩した場合に、最後尾にいる私にその小さな異常を感知しやすい隊列なんです。
登山講座をワンマンシステムで続けるようにして、20年近く、私は先頭でペースメイクをしていました。なにか技術的な指導をするときは数人ずつ交代で列の前に呼んで歩きながら解説したりしましたが、人数が20人を越えたら最後尾を押さえてくれる人がいないと目が届かなくなります。いちばん重要なのは、私が先頭でどんなに素晴らしいペースメイクをしても、全体のペースをアップしたいと考える限り、結局は一番弱い人の限界ギリギリのペースを持ち上げていくだけになるのです。
健脚メンバーのストレスを増やさずに、弱い人のマイナス環境を省こうとする方法として「10分交代」をしているのですが、雪山でラッセルのときにやる「先頭交代」とはまったく違うということを書き添えておきます。

陣場山、高尾山
【撮影】11時12分=伊藤 幸司
11時10分に明王峠に着きました。これは明王峠茶屋の富士見台から見た富士山。昼に近づくと光線のぐあいで富士山はちょっとぼやけた昼顔になってきます。おまけに雲が湧いてくることも多いので、たいてい、往路の電車から見えた完璧な富士山も、登山道から見るときには良くても「こんなふう」なんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
これが明王峠小屋のトイレです。私は男性用小用スペースしか利用しませんでしたが、とても清潔な感じがしました。オヤジさんの顔を見たいと思ったほどです。

陣場山、高尾山
【撮影】11時21分=伊藤 幸司
どういうわけか改築中。やっているかどうかもよくわかりませんでした。
「たまはち日記」というブログに明王峠茶屋がありました。
———少し前までは休業されていた”明王峠茶屋”・・・高尾山~陣馬山縦走コースにある各お茶屋さんに言えることなのですが、各お茶屋さんの店主さんには本業があり、週末の休みを利用されてお茶屋さんを開いてくれているところがほとんどでもあります。今回、ご紹介する”明王峠茶屋”の店主さんも平日は別のお仕事をされ、週末、山へと登りお茶屋さんを開いてくれているので本当に有難い気持ちで一杯になります(休みなく働く店主さんに頭が下がります)
特に、この明王峠は上記でも述べましたが、影信山から陣馬山までの長丁場コースの中で唯一あるお茶屋さんなので、再開してくれて本当に有難く感じるお茶屋さんでもあります。また、JR相模湖駅方面や、美女谷温泉や陣馬の湯方面へも向かうことができる場所でもあるので・・・まず、ここまで目指す登山客の方も多くいられるのではないでしょうか。———
もうひとつ、ヤマレコに2021年11月の、porimameさんによる明王峠 茶屋の再建ボランティア募集中!にこんな写真が。 ———Tさん、作業中。
晴れた土曜日はいつも作業してます。
朽ちかけた峠の茶屋の再建ボランティア、絶賛募集中でーす。
大工仕事お得意な方、いかがでしょうか?
2年後の完成を目指してます。———

陣場山、高尾山
【撮影】11時25分=伊藤 幸司
これが明王峠茶屋。このときにはやる気があるのかないのか、という気分で出発しましたが、コツコツとリメイクしながらこの小屋を守っている「Tさん」という人がいるんですね。丹沢・鍋割山荘の草野延孝さんのような成功が訪れるといいですね。女性用のトイレもきれいなら、そういう可能性、ありますね。草野さんのところは今や鍋焼きうどんで有名な展望野外レストランというにぎわいですからね。奥は昔のまま、みたいですけれど。

陣場山、高尾山
【撮影】11時27分=伊藤 幸司
これはスギ・ヒノキの人工林の中ですね。けっこうあちこちで見ている風景のような気がします。ロープを張って道筋を固定しておかないと、厄介な事故が発生するのでしょうか。八ヶ岳の編笠山にもあったような気がします。

陣場山、高尾山
【撮影】11時28分=伊藤 幸司
八王子の消火用水のタンクに、ここでは4本の名前がありました。山火事防止協議会、消防署、消防団、東京営林局。立て札の方では東京営林局が関東森林管理局となっていますね。

陣場山、高尾山
【撮影】11時38分=伊藤 幸司
この道筋に立てられていた「保健・水源かん養 保安林」の看板(速報には11時42分として出ています)によると、明王峠から堂所山に至る稜線から北斜面一帯がその保安林となっているようです。保健保安林と水源かん養保安林はそれぞれ別の指定のようですが、ここではそれが完全に重なってダブル受賞したかのようです。「令和元年度設置」だそうですからこの写真の伐採と直接関係した動きのようにも思えます。看板には、
———この保安林は、洪水の調整や、渇水の緩和、きれいな水を確保するなどの機能を高めるためと、みなさんが自然とふれあういこいの場として特に指定した森林です。みんなで大切にたのしく利用しましょう。———
ですって。

陣場山、高尾山
【撮影】11時59分=伊藤 幸司
堂所山に着いたのは11時55分でした。明王峠から30分でしたから5分休憩でいいところでしたけれど、10分休憩。明王峠でエネルギー補給はしていますから、各人それぞれの休憩です。山頂のそうとう派手めの標識の上に左は「八王子城山」右は「陣馬山、高尾山」という矢印がついています。ここから左に行くと糸の会の秋の定番「北高尾山稜」です。右の矢印で混乱した人が何人もいましたが、陣馬山から高尾山に至るルートからちょっと寄り道したのです。
山頂標識の「堂所山」の上に「Mt.Dodokoro」とあります。ウェブ上ではウィキペディアの「どうどころやま」をはじめとしてヤマケイオンラインもヤマレコも「どうどころやま」になっています。
しかし、ですね、1999年に刊行された武内正さんの労作『日本山名総覧・1万8000山の住所録』(白山書房)では「ドウショザン、ドウトコロヤマ」となっています。
どう見たって状況証拠的に「どうどころやま」だと思うでしょうが、さにあらず。山の名前の曖昧さに関しては深田久弥の『日本百名山』でもいくつか出てきますが、いくつもあるんです。
武内さんは『日本山名総覧』のまえがきにこう書いています。
———2.5万図から山名を拾いだす作業は確かに大変であった。しかし、それ以上に大変だったことは、山名の読み方調査だった。国土地理院にはその資料はある。しかし、それは一定レベルの役所や研究機関に提供しているだけで、民間には頒布していない。そこでやむをえず市町村役場に問い合わせをすることになったのである。照会した市町村数は2,500市町村に及び、再依頼を含めると回答数は2,800通を超えた。90パーセント以上の市町村の対応は大変協力的であった。本書の完成には、全国の市町村役場の各担当者の協力が大きかったことを書き添えておきたい。———
奥秩父連峰の金峰山が山梨側の「きんぷさん」が標準名となっていますが、武内さんは「キンプサン(キンポウザン)」「きんぷさん」はもともと山梨県側の読み、国土地理院(その前は陸軍参謀本部)の担当者が長野県側で地名調書をつくっていたら「きんぽうさん」が標準地名となっていたかもしれません。もとより山の名前そのものだって、見上げて生活していた地域によってちがっていたわけですし、谷川岳とか丹沢山のように川の名前をとった山名の多くは、多くの人が使っていた(あるいは造った)名前とはいえないかもしれません。
ともかく、この「どうどころやま」山頂で、わたしたちは10分間休んだのです。

陣場山、高尾山
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
この日は私は何の注文もつけていなかったのですが、トップに立った人は「巻道」を選ばずにピークがあればそちらを選ぶという選択をしてくれました。じつはなかにはこのルートが巻道全盛とは知らず、巻道の道標そのものが疑わしく見えたというケースもあったかと思われます。 そういう初体験の人にとっては、この下りがけっこう歯ごたえのある急勾配になっているので、道を間違ったのではないかと不安になったようです。
糸の会の主力メンバーである70歳前後のみなさんはもう10年以上ダブルストックを使っているので、慎重にはなっても危険にはなりません。下りに関してはダブルストックが数段階上級の安全性とスピードを与えてくれるのでぜひ「合理的」な使用法を教えてあげてほしいのですが、登山界のみなさんの、この道具に対する奇妙な稚拙さはいまもかわりません。
四半世紀前にドイツ製のLEKIを輸入販売したのはキャラバンなのですが、その正式な使用法において「トレキングポールは人命に関わる登山用品ではありません」ということを主張するために、当時登山のベテランたちが巧みにつかっていた「杖」の延長線上での解説に終始したのが最初の間違いだったのです。ですから当時は登山用品店でもセットをばらして1本売りしていましたよね。
じつは、私にとっての発端は糸の会の17回目の山行、1996年9月14日の丹沢・檜洞丸の下りでした。古い資料を見てみると参加者が30人で、女性が23人、その中には今回参加している岡田さんと永田さんの名前もあります。おおよそ50歳代のグループで最高齢は76歳でした。
問題はその下りでした。計画書にはこう書かれています。
———下りは足の関節回りを強化する絶好のチャンスですから、いい加減には歩けません。足首と膝のバネを十分にきかせ、スキーでいう前傾姿勢を保って柔らかく歩く努力を2時間続けるということです。今回は何人かの人が本格的なダブルストックを持ってくるでしょうから、下りを全身運動の場に持ち上げることができるかどうか、やってみましょう。じつはダブルストックは足腰に古傷を持つ人が積極的な山歩きをするために、きわめて重要な装備となるのではないかと私は思っているのです。そのあたりのノウハウを獲得したいと思うのです。———
この日は檜洞丸山頂を出たのが15時40分、西丹沢自然教室バス停に着いたのが18時30分で、18時30分始発の最終バスになんとか間に合ったのです。もちろん計画書には———終わったら、バスかタクシーかが心配になりますが、それはそのときに。車の道をもう少し歩くことになるかと思います。———と書いてはおきましたが、計画ではこの部分を———まあ標準的な「1時間モデル」が2つ分。歩きやすい道ならば時間は70%程度に短縮できるでしょうが、ここではあくまでも2時間としてゆっくり歩きます。———とのんきでした。ところがそれが、ほぼ3時間もかかったのです。
そのときに時計を見ながら考えたのは、みなさんを急がせたら事故が起こるということでした。とくに女性は力技で下るという場面が危険です。大きな段差、滑りやすい路面で「ゆっくり、じっくり」下ってもらうしかない、という判断をしたのです。
北アルプスの小屋泊り縦走が視野の中に入り始めた糸の会のその時期に、下りでの安全確保とスピードアップとが技術的な、大きな課題となったのですが、その下りでダブルストックが大きな役目を果たしてくれるということもわかったのです。
以後、糸の会では新入会員に対して、登山靴(軽登山靴やトレッキングブーツも)とゴアテックスのレインウエアは技術上の問題として購入を待ってもらいながら、LEKIのダブルストック(およそ2万円)を基本装備として購入してもらうことにしたのです。リーダーが最後の下りでのスピードと安全を確保して、より難易度の高い山に、より安定した時間管理ができるための標準装備として……。

陣場山、高尾山
【撮影】12時19分=伊藤 幸司
「ハチに注意」はありがたい情報です。じつは私は以前、登山道でクマと出くわす、出くわしたクマの姿をひと目でも見てもらうというのを心がけていました(最近のクマについては積極的な姿勢はとっていません)。したがってクマよけのスプレーは、もちろん常備しています。……と同時に、私たちのような一般登山者にとって、日本の山で一番危険な生物はスズメバチだと思っていますから、いちおうスズメバチ用のスプレーも常備しています。
私は基本的にクマよけの鈴などは使いませんし、参加するみなさんにも使用を禁止しています。クマのいないところで音を出すことで、自分たちが失うもののほうが大きいからです。
かつてカナダからアラスカへとユーコン川の3,000kmを下ったときに最初の問題はグリズリー・ベアの対策でした。……この話は長くなって本題に戻れなくなりますから簡単にしますが、カナダ北極圏では大都市のホワイトホースで相談に乗ってくれる人たちは結局軟弱な都会人だとわかったのです「危険」より「恐怖」のほうが圧倒的に大きいのです。ですから川を下っていって、クマの罠を仕掛けているような「プロ」に聞いてみようと結論づけてスタートしたのです。
もちろん銃は必要ありませんでした。後に息子が日本に来る有名なマウンテッド・ポリス(騎馬警官)のイネステイラーさんなどは「銃を持つより、ボートをつなぐロープをビーバーに食われないようにしなさい」と。
合理性から考えれば、当たるか当たらないライフルでより遠くから狙うより、銃身の短い散弾銃を、できる限りひきつけてぶっ放すのが最善の策で、地元の小型飛行機に積まれているのはみなその手の銃だというようなことがだんだんわかってきました。
その前に赤道アフリカのルワンダでナイル川の最長源頭点を確認しようとして「ニュングエ(豹)」という名のジャングルに入り、地元の人を日雇いで集めて実測図をつくったことがありました。赤道のジャンブルというと一番危険なのは毒ヘビですよね。噛まれたら100%死ぬ、というヘビが何種類も生息しています。でも、地元の人たちが一番恐れていたのは蟻。軍隊アリでした。列をなして川の流れのようになっているところに一歩踏み込んだら、たちまち全身がアリだらけになるのだそうです。
そういう現実的な例の延長線上、という意味では、善良なる登山者にとって一番危険なのはスズメバチです。なにしろ彼らの防空圏に入り込むと、スズメバチはこちらに向かって果敢に攻撃してきます。人間を冷静に見ているサルより、はるかに怖い。神風特攻隊なんですね。だから私は先頭の人のまわりにハチが飛んできたら、あわてて引き返してもらいます。いろいろ作戦を考えても突破できそうになければ、その日はそこまでで引き返すという判断をします。もちろん、スズメバチに対してスプレーを発射するとしたら、それは運悪く刺された人を救出するときでしょう。
そういう意味で、このポスターはありがたいと思いました。でもハチに対する注意書きそのものはこれまでも見たことがありますが「これは何だ!」と思ったのは「(有)杉本林業」という部分でした。このエリアになにがしかの職務権限をもっていてのことでしょうから、帰ってから調べてみたいのです。
杉本林業はこの周辺、東京・神奈川・山梨にまたがる地域で活動しているそうですが、首都圏の山での山林管理がどのようなものか、とてもわかりやすく紹介されています。テレビ番組なんかにも登場してくる都市型の会社の一例みたいに感じました。ここにこんなポスターを、こんなふうに張り出したということも含めて……。

陣場山、高尾山
【撮影】12時24分=伊藤 幸司
たまたまここには、下りでのダブルストックの使い方の基本形が(かなり軽めではありますが)うまく写っています。横から撮る機会が私にはあまりないので。
最初にどういうふうに指導するかというと「(深い前傾姿勢をとるために)三歩先にストックを突いて、真下に一歩、ストックとの中間に二歩め。そこでまた前傾姿勢をとって、次の三歩先にストックを突く」という流れです。ここは階段になっていたので、急斜面になりませんでした。
できればもっと急な斜面で「深い前傾姿勢」「たとえばスキーで急斜面の縁に立ったときの、深い前傾姿勢」を大胆にとってもらうのが基本です。そして「前に行く」のではなくて「下に、一歩、二歩」ということを体験してもらいたいのです。それをかなりすごい急斜面や、足元が滑りそうないやな斜面で、とにかく(だまされたつもりで)体験してもらう、ということが重要です。下りでは、ダブルストックは「前傾姿勢をつくるために使う」というのが私の主張です。そうい目で見ていると、多くの人の下りの姿勢は、スキーの初心者のへっぴり腰と見えてなりません。

陣場山、高尾山
【撮影】12時31分=伊藤 幸司
登山といっても、ひとつの山を登って下りるという単純なものの場合はエネルギー計算も楽なのです。糸の会では高度50mと(水平)距離500mをそれぞれ1パワーとして、8パワーを1時間の行動の基準と考えています。平地の道なら時速4km、勾配20度前後の登山道を「1km先で300m登る」場合には時速1kmという計算をするのです。
その道を下る場合は通常70%程度のパワーでいいのですが、私は下りも登りと同じ計算をしておいて、予定どおり歩ければ貯金が貯まる、あるいは事前にそうなることがわかっている場合にはリーダーが自由に使える「予備(費)」と考えて、使い方をいろいろ考えます。
ただ、縦走の場合には平坦な道や、傾斜のゆるい道が基本になっています。山脈を遠くから眺めたときの姿が、その基本です。
……ということでこの写真のこの部分はほぼ平坦な道で道は足にやさしい土の路面で、ぬかるみなどもありません。平地を基準にしたシティウォークやハイキングと同じですが、じつは平地の「時速4km」とはちがいます。アップダウンの少ないこんな道では「時速2km」小さなアップダウンがあったら、下りと同様「時速1km」で計算しておいて「お釣り」をもらうことにしています。
ここでは書きませんが、「8パワー」は平地を時速4kmで歩き続ける「歩き方」を登山道で考えるということですし、さらにパワフルな人は1時間で12パワーに挑戦してもいいと思うのですが、その場合は「平地を時速6km」で歩くのではなく、標準的な登山道を「1時間で500m登る」という歩きにすることが必要です。エセ健脚の人は往々にして平坦なところでスピードを上げますが、登山での健脚はあくまでも登攀力で磨かれていくからです。
また私は糸の会では基本は「1時間8パワー」と決めておいて、「1時間に10分程度の休憩を含んで8パワー」か、休憩が外にはみ出した「8パワーか」でその日の進行速度に幅をもたせています。

陣場山、高尾山
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
関東ふれあいの道の道標にはかなり実測値に近い距離が出ています。10時42分の写真では高尾山口へ14.0kmだったのがここでは10.0kmとなりました。およそ2時間で4kmほどですから、この稜線の道では「時速2km」のペースだったとわかります。見た目には平地の道みたいなところでも「あと500m」には15分かかるのです。標準的な登りだったら「あと30分」ですけれどね。

陣場山、高尾山
【撮影】12時43分=伊藤 幸司
山旅図鑑no.181の2018年2月1日「陣馬山→高尾山」では景信山への登りにかかるこのあたりは、かなり深い雪に覆われて、とてもすばらしい雪景色でした。このグジャグジャ感を見て、白い光景を思い出しました。

陣場山、高尾山
【撮影】12時44分=伊藤 幸司
登山道の多くはいま、下界の園地と同じ設計技術で整備されているように感じます。細工をきちんとして見栄えのいい施設をつくり、完成写真を撮って引き渡し……と想像してしまいます。でも、私の率直な感想としては、登山道は掘り返したらもったいない、のだと思うのです。傷んだ部分は傷んでしまったとして、人の足がゆっくり、じっくり踏み固めた道をどう活かすか考えなければいけないのではないかと。歴史的な「古道」の多くがそうであるように、踏み固めた部分に価値がある、という認識をしていただきたいと思います。
北アルプスの燕山荘を1994年6月に取材したことがあります。日本エアシステム(JAS)の機内誌で松本空港乗り入れ記念の記事を書いたのですが、小屋のスタッフたちは地元の中学生たちの集団登山を迎えるべく「歩きにくいところの手入れ」を順次すすめていました。登山道は「危険な道ではない」ほうがいいのですが、かならずしも「歩きやすい道」にすることはないのです。
さらに登山道の補修を依頼する発注側にお願いしたいのですが、登山道を破壊する張本人は豪雨です。「10年に一度の豪雨」が毎年来るという破壊要因を重視していただけないと箱根の登山道のようになりかねません。付け加えれば、ミニユンボ(小型ブルドーザー)をヘリで降ろして「登山道を作ろう」というような建造プランは山の道には似合いません。

陣場山、高尾山
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
東京のど真ん中(100年前には郊外の田園地帯でしたかね)に突如出現した大森林は明治天皇崩御後に全国から贈られた12万本といわれる樹木を自然更新させる実験林でしたが、そこでは落ち葉を掃きとる森と、落ち葉をそのまま放置する森とが分けられているといいます。
私は冬に首都圏の小さな山々を歩くとき、深い落ち葉を踏み分けて歩くときほど幸せを感じることはありません。道が隠れて見えないのも楽しさの原因のひとつです。ここは針葉樹の人工林ですからたいした落ち葉ではありませんが、都会だったら掃いてゴミ出ししなければいけない落ち葉です。だから、か、それでもか、か、落ち葉のある道はいいですね。



13:00

陣場山、高尾山
【撮影】13時00分=伊藤 幸司
また、笹原が出てきました。クマザサだろう、としかいえませんが、道が自然林の側に振れて、雰囲気がガラッと変わりました。

陣場山、高尾山
【撮影】13時07分=伊藤 幸司
ここは土留めの階段がしっかりと生きています。豪雨の雨が左右の笹薮にうまく振り分けられているようです。
尾瀬の木道に代表される木材で補強した道は、雨の日に滑る危険が大きくて、悩みます。滑ると大けがをする不安も、いやですね。この写真の後ろ側の人は木の板を抑えるために打ち込んだ木の杭のアタマにかかとを置いて、つま先を木の板に置いています。
基本的に杭の切り口は滑りにくいのですが、濡れた木を踏んで歩くときには「二種類のものを同時に踏む」ということを、私はしつこく注意します。小川などにかかっている橋などで(急いでいるときなど)それを忘れると足をすくわれて、大けがをする危険があって、それが首都圏の夏の山では最大の危険要因だと考えているからです。
ほとんど起こり得ないそのような状態になったときのために、私は年中軽アイゼンをワンセットだけ常備して、どうにも危険な濡れた木道に備えています。

陣場山、高尾山
【撮影】13時09分=伊藤 幸司
13時09分です。稜線をたどるこの道は水平か、いくぶん下り気味にのびています。すけすけ気味の杉林ですが、先がどうなっているのかわかりません。陣馬山を出て2時間半が過ぎました。堂平山での休憩から約1時間。私も時計を見ています。

陣場山、高尾山
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
いつまで歩かされるのだろうかと考えていたら、この、山頂の気配です。景信山を国土地理院の「電子国土Web」で見るとこの位置は標高720mの等高線のあたりです。山頂は標高727mですから、先頭の人はもう山頂部分に登りつめているのでしょう。
地図上で振り返ると、4分前には690mの等高線を連続的に3回踏んでいたはずです。それが前の写真のあの気分だったのだとわかりました。パソコン上で見やすく拡大しながら等高線を追っていけるというのはすごいことです。登山道の距離を正確に測れる方法があったら、うれしいのですけれど。

陣場山、高尾山
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
このルートでは道そのものがしっかりしていますから、まあ、印象としては街道歩きみたいなものですが、それにこの道標。完璧に公園のつくりですね。私たちは5.7km先の「陣場山」を10時25分に出ましたから、平均時速は約2km、この調子だと高尾山まで約2時間。計画では15時30分でしたが、だいたいそんな感じになるんでしょうかね。

陣場山、高尾山
【撮影】13時14分=伊藤 幸司
標識に「便所0.2km」とありました。その0.2kmの帰りの登りが「今日一番きつかった」と、みなさんが口々にいう15分の休憩となりました。新宿の高層ビル群は見えていましたが、東京スカイツリーは微妙に見えないという状態でした。

陣場山、高尾山
【撮影】13時20分=伊藤 幸司
手前に黒々とそびえているのはJR八王子駅南口のタワーマンション「サザンスカイタワー八王子」です。そしてその向こうに新宿の高層ビル群が見えています。

陣場山、高尾山
【撮影】13時20分=伊藤 幸司
前の写真の「サザンスカイタワー八王子」の先にある新宿副都心の高層ビルを「1,365mm相当」の超望遠(手持ちでここまで見えるので私が以前常備していた10倍の手ブレ防止の双眼鏡で見るよりはるかに優秀です)で撮っておきました。これはカメラが撮ったオリジナル画像ですから霞んで見えますが、くっきり見せる画像処理は可能です。
ちなみに、この山旅図鑑で提示している私の写真はカメラが撮ってくれたままの画像ですから、この超望遠画像ではこの程度までコントラストを失ってしまうということもわかります。でも、肉眼で必至に東京スカイツリーをさがしたときに見えていた風景の記憶とほとんど同じですから、カメラを非難するつもりはまったくありません。中古で3万円程度でしたから私にはいろいろの意味でスーパーカメラです。
とりあえずめぼしいものを真ん中に置いて撮ったのがこの写真です。帰ってからグーグルで新宿副都心の超高層ビルの画像を見ていくと、左側の三兄弟ビルに見えるのが東京ガスのガスタンク跡地に立てられた地上52階の「新宿パークタワー」だとわかりました。三兄弟が並んだようなデザインは都庁と同じ丹下健三の設計とか。パークハイアット東京のビルなんですね。それで、画面中央の堂々たるビルは東京オペラシティタワーだとわかりました。

陣場山、高尾山
【撮影】13時21分=伊藤 幸司
これは高尾山周辺や奥多摩の御岳山周辺からだと一番先に目に飛び込んでくる西武ドーム(2022年はベルーナドーム)ですね。狭山丘陵の森の中にあります。

陣場山、高尾山
【撮影】13時23分=伊藤 幸司
景信山から北西の方向を見ると、こんな風景がありました。手前にあるのは採石場。首都圏の山歩きでは、あえていえばおなじみのものです。「おなじみ」というほどあちこちにあるのに、一般のイメージにないのは、山陰でひそかに行なわれていることが多いからです。
ここだって周囲を丘陵に囲まれていて、上からでないと見えません。その奥にあるのは、おわかりでしょうがゴルフ場です。グーグルマップによれば左がGMG八王子ゴルフ場、右側が八王子カントリークラブ。2つのゴルフ場と比べ、かつ彫り込んだ深さを見れば、ずいぶんたくさんの石だか砂だかが採られてきたと感じます。
「採石場」と書いたのが間違いかもしれないと思ったので調べてみると福島県のホームページに採石法(岩石・山砂採取)についてという項目がありましたから間違いではないのでしょう。
そこで次に広成建設という会社の山砂・岩ずりの販売という項目を見てみました。
それによると「A砂」「B砂」「岩ずり」という3種類の商品があるそうで、
A砂は———3.0mm以下の粒度が、約85%を占めており、川砂に近い粒度分布で施工性にも優れております。グラウンド・芝目土・管工事の保護砂に最適です。
グラウンドに石が混じりクレームがついたり、川砂を使いたいが予算が合わない等、お困りの方にお勧めです。———
B砂は———砂分~中礫分比が高く、締固め性・浸水性に優れていて、土量変化もほとんどありません。道路路床材として最適です。砂の土量変化率が高く予定使用料を超えてしまったり、水はけが悪く雨天時の水たまり等にお困りの方にお勧めです。———
岩ずりは———軟弱箇所・湧水箇所の基礎材及び埋め立て用骨材として最適です。
コストを抑えられます。———
……ですって。
ちなみに、そのずっと先にはJR拝島駅があって、米軍の横田基地あるんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】13時24分=伊藤 幸司
ここに見える2本の白い道路橋は圏央道(国道468号)の恩方トンネルを出たところです。その下をくぐっているのは、JR高尾駅北口から陣馬高原下行きのバスに乗ったときたどる陣馬街道です。今朝私が電車に乗り遅れて、JR高尾駅からタクシーで先回りした道で、都道と神奈川県道、山県道をつないで、ウィキペディアの陣馬街道には次のように書かれています。
———かつて武州案下(現・八王子市内)にちなみ案下道(あんげみち)とも呼ばれ、甲州街道の裏街道であったことから甲州裏街道または甲州脇街道とも呼ばれた。和田峠付近は、自動車の通行は可能であるが、道幅が狭く待避所が無いなどすれ違い出来ない部分が多くある。勾配は12〜13%あり、ヘアピンカーブが続くところもある。雨量によっては峠の頂上で通行止になる場合もあり、麓の電光掲示板によって通行止を知らせる場合がある。———

陣場山、高尾山
【撮影】13時24分=伊藤 幸司
前の写真で「圏央道」と書いた道は正式には「首都圏中央連絡自動車道」ということを知りました。国道ですが有料道路なんですね。ここはその八王子城跡トンネルを出て、右側の高尾山トンネルに入る部分、ここでは見えませんが、中央自動車道と交差する八王子JCTのところです。
この橋の下には高尾山の蛇滝口があるので反対運動があることを知らされつつ、何度も見上げた記憶があります。高尾山天狗裁判というのだそうです。ウィキペディアの首都圏中央連絡自動車道には次のように書かれています。
———高尾山天狗裁判
八王子JCT - 高尾山IC間に関し、平成14年(行ウ)第296号等の事業認定の取消しを求めた行政訴訟が起きた。原告は高尾山周辺や八王子城址付近の環境破壊、税金の無駄遣いを理由として、圏央道高尾山トンネル建設に対し、団結小屋の設置など、激しい建設反対運動が起き、東京都知事や国土交通大臣を提訴したものの、行政側が勝訴し裁判は終結した。———
その反対運動に関して「虔十の会(TAKAO KENJU)」というなかなか個性的な名前の組織の個性的なメッセージが残っていました。
たとえば「問題の経緯」
———日本で一番、植物の種類が多く豊かな生物多様性を持つ高尾山にトンネルを掘る計画が1984年突然降ってわきました。
圏央道のためのトンネルです。
首都圏中央連絡自動車道(圏央道)は、都心から約40~60km、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県の1都4県にまたがる総延長300kmの環状道路です。事業者は国。
当初は、東名、中央道、関越道、東北道、常磐道、東関道、東金道路などを環状につなぎ、23区内を通ることなくそれぞれに接続できるようにし、都内の渋滞を緩和させるということが圏央道の計画理由でした。
しかし、圏央道の外からやってきて23区内に入らず、圏央道の外に向かう車は、当時の国交省の調べによれば、都区内の全交通のたった0.6%(約4万台)です。埼玉に住んでいる人が鎌倉に遊びに行く時に「便利!」と思うかもしれませんが、そんなことは年に何回あるのでしょう?そのために高尾山の自然を犠牲に?
ほとんどの車は都心に用があるのです。残りの99.4%の交通量はそのままですから、圏央道によって渋滞が緩和するとはとても言えません。
せめて八王子市、特に16号の緩和に役に立つのか?と思いきや、国交省の資料によれば、国道16号が3分短縮、八王子バイパスは0分で変化なし、129号は1分短縮…
1分とか3分のために、何十億もの税金を使い、高尾山の自然に大きなダメージを与える理由が、わたしたちには全く理解できませんでした。
むしろ道路ができることによって起きる新たな渋滞「誘発交通」の危険性も指摘されましたが国交省道路局は聞く耳を持ちませんでした。
現在、圏央道ができたことによって、中央道の渋滞は悪化しています。しかも、その渋滞をなくすために、小仏トンネル近辺にまたトンネルを掘る計画が現在進行中です。
どんどん壊して、どんどん造って、わたしたちはいったいどこへ向かうのでしょう…
目的が「渋滞解消」というのもあやしい道路であるうえに、都心から約40~60kmというとまだまだ豊かな自然が残っている所。まさに高尾山がそれにあたります。
高尾山の生物多様性は、豊かな水のたまもの。高尾山は水の山。そこに直径10mトンネルを2本も掘るなんてとんでもない!「水袋に槍を突き刺すようなものだ」と大きな反対運動が起きました。地域住民だけでなく、高尾山を愛する登山者、著名人、学者等、多くの方が声をあげ、トンネル工事の見直しを求める署名は50万通を超え、裁判の原告となった人は1000人以上でした。
慎重でなければならない環境アセスは、前代未聞のめちゃくちゃなものでした。高尾山にない植物が掲載されていたり、在るものが載っていなかったり…「影響はない」という答えが最初から決まっているとしか思えません。住民説明会では高速道路の賛否についての議論はなく、道路建設を前提にした話ばかり。メリット、デメリットについて誠意ある議論は行われず毎回紛糾するばかり。
たった1mトンネルを掘るのに7000万円もかかるという多額の税金が使われるため、圏央道の公共性が大きな問題になりました。
国交省の計算によると、走行時間が2、3分の短縮であるにもかかわらず、年間664.44億円の便益(経済効果)があることになっていたため、計算の根拠となった資料の公表を求めたところ、国交省は「データがない。バックアップをとっていない」と、ありえない回答。
費用便益の計算があまりにむちゃくちゃなうえ、根拠を示すデータもないという状況に、裁判官さえも疑問を持ちました。
もはや、交通のためではなく多額の建設費がかかる工事がしたいだけとしか言いようのない状態です。
しかし、国を相手取った裁判は難しく敗訴。
裁判が進行中であるにもかかわらず、土地収用法が適用され、トンネル出口にあたる土地が強制的に奪われてしまいました。土地収用法とは、簡単に言うと「公共の目的」のためなら私有地を没収しても良いという法律です。成立時から憲法違反だと批判の多い法律で、この法律さえあれば、どんなに反対しても最後には土地を奪えるため、国交省の「伝家の宝刀」と呼ばれています。
高尾山に土地収用法が適用された頃には、収用を拒否した場合、撤去の費用や警察などが動員されえるとその人件費まで土地を奪われる方が負担しなければならないとさらに改悪されてしまいました。国の言う事を聞き、大人しく土地を明け渡せば、お金がたくさん入り、拒否すると多額の負担が待っています。
裏高尾のあるおじいちゃんは、圏央道に反対し、ずっと土地を売らずに頑張ってきましたが、「頑固に反対しても土地を取られるだけどころか金まで払わなくてはならない。孫たちに土地も金も残さないつもりか。せめて金だけでも残してやれ!」と親戚や家族から責められ、悩み、とうとう土地を手放さざるをえませんでした。
「それでも俺は反対なんだ…」とつらそうにつぶやいたおじいちゃんの声が、今でも忘れられません。
「公共性」とは何なのだろう?公共=政府や国ではなく、公共とは私たち自身であり、人々のことであるはず。高尾山は、まさに公共の財産です。
大都会のオアシスである高尾山と多額の税金によってゼネコンが潤うトンネル工事とどちらが本当の「公共性」を持つのか?
トンネル工事に賛成の人も反対の人も合わせてもっと議論がしたかったという想いが残ります。
ついに、2011年東日本大震災と福島第一原発事故で世の中が揺れているまっただなか、トンネル工事は、すごいスピードで続けられ貫通。翌年2012年には開通式が行われ、供用がスタートしてしまいました。
国交省の方には、「そのうち見慣れますよ」と言われましたが、何年たっても高尾山のど真ん中に空いた大きな穴やそびえたつ橋脚を見るたびに、胸がかきむしられるような気持ちになります。地球が何億年もかけて創ってきた地層や水の通り道が、ズタズタに引き裂かれてしまいました。人間の力では、もう二度ともとの姿にもどすことはできません。
今も高尾山は、ただ黙って四季折々美しい姿を見せてくれています。
しかし、湧き水が枯れたり、減少したり、動物たちが行き来できなくなったりと少しずついろいろな影響が出ています。
傷ついた高尾山に、これ以上の負担をかけない暮らし方を考え実践すること、そしていつの日かこのトンネルが無用の物となった時に、再生できるように、各地の再生に取り組む地域からわたしたちは学び続けています。
トンネルが計画された1984年からすでに34年の月日が経ちました。
時代は変わり、昔では考えられないほど環境への関心が高まっています。自然を守り持続可能な社会へ舵をきろうという考え方は、いまや世界の共通概念。
高尾山は間に合わなかったけれど、山は死んではいません。
多様な生物たちのいとなみは続いています。
反対運動は終息しましたが、高尾山を守る活動は続いています。
傷ついた高尾山とともに生き、暮らしていくわたしたちの生活も続いています。———

陣場山、高尾山
【撮影】13時25分=伊藤 幸司
圏央道の高尾山トンネルの入口が左端に写っています。ということはそこから右に盛り上がっているのが高尾山です。この写真のほぼ中央、高尾山の稜線の向こう、すぐ上に高層ビルが数棟固まっているのが見えますが、最近有名なJR&京王線橋本駅周辺の高層マンション群です。オリジナル画像だとそれぞれのビルのかたちまでよく見えますし、背後には横浜のビル群も見えています。

陣場山、高尾山
【撮影】13時26分=伊藤 幸司
これは13時24分に撮られた何枚かの写真のうち、「恩方トンネルを出たところ」を左端に、「高尾山トンネルに入るところ」を右端に入れたので、その間をつなぐのは「八王子城跡トンネル」がくぐり抜けている部分になります。
八王子城にまつわるこの山並みの右手の部分から手前に向かってくる稜線が北高尾山稜と呼ばれていて、景信山〜高尾山とは谷をへだてて並行しています。その道をこちらに向かって歩いてくると、11時59分の堂平山へ出てくるのです。その山頂に「八王子城山」とあった標識の道になります。

陣場山、高尾山
【撮影】13時34分=伊藤 幸司
景信山の山頂に広がるテーブルセットは「三角点かげ信小屋」という名前だそうです。私は営業中にここを訪れたことがないので、いつもその広さだけに驚いています。なめこ汁がおすめらしいのですけれど、このあたりの茶店ではみな「なめこ汁」が安全パイみたいですね。

陣場山、高尾山
【撮影】13時35分=伊藤 幸司
これは山頂から一段下がったところに構えているもう一軒の茶屋。「影信茶屋青木」というのだそうです。トラベリングナビというサイトの景信山の茶屋【三角点かげ信小屋と景信茶屋青木】によると、
———小仏峠方面に少し下がったところには、もう一軒の茶屋である「景信茶屋青木」があります。この茶屋でもなめこそばや山菜天ぷらが楽しめ、お酒の種類も豊富です。景信茶屋青木のほうが席数は多く、陽射しを遮る木や屋根付きの東屋が多くあります。かげ信小屋がいっぱいの時はこちらの景信茶屋青木はまだ空いているということもあります。———
これがほぼ満席になるという光景もあるんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】13時35分=伊藤 幸司
これから向かおうとする方向に大きな電波塔があります。城山(小仏城山・670m)です。ネット上では「小仏城山」が一般的かもしれませんが、国土地理院の地形図では「城山(小仏城山)」となっています。城山だと街の裏にある丘みたいなものがイメージされるからかもしれませんね。この670mの山に対して背後に堂々とそびえる山がなんのなのか、かなり真剣に調べてしまったのですが、丹沢山地の前山というべき仏果山(747m)なんですね。ずいぶん高く見えるので面食らってしまいました。

陣場山、高尾山
【撮影】13時35分=伊藤 幸司
前の写真を撮った位置から広角撮影したものです。画面のほぼ中央に城山と仏果山の重なりが見えています。画面右端に一番高く見えているきれいな山が大山(1,252m)で、仏果山との間に見える、山頂がちょっとジグザグした山が大山三峰山(935m)になります。
ちなみに城山まではここから1時間半の予定、そこから画面左に向かって高尾山(599m)まではさらに1時間半と見積もっていますから、コロナで蟄居生活みたいな状態だったみなさんのなかに調子の出ない人がいたら、このあたりから先で行動を取りやめて下山する可能性も考えていました。でも全体的にはおおよそ順調で、辞める理由はなさそうです。高尾山まで歩ければ、夏に向けてのからだづくりも現実的なものになるだろうという感じがしました。……というわけで、ただ単純に「行きましょう!」としたのです。

陣場山、高尾山
【撮影】13時36分=伊藤 幸司
景信山山頂からの下りで正面に見えるのは相模湖です。明王峠から相模湖方面へ下る道がありましたが、ずっと進行右手に相模川があったのです。その相模湖の、相模ダムによる落口のあたりが見えています。

陣場山、高尾山
【撮影】13時36分=伊藤 幸司
これが前の写真とほとんど同じ位置からの超望遠写真です。写真の最下部に相模ダムの最上部がちらりと見えています。その向こうに見えるのは国道412号の相模湖大橋です。橋から右に行くとJR相模湖駅、左に行くと向こう岸を右に出て「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」へと回り込んでいきます。以前の「さがみ湖ピクニックランド」ですが、富士急ハイランドの姉妹施設という感じになっていくようにも思われます。

陣場山、高尾山
【撮影】13時37分=伊藤 幸司
緩やかな山頂の縁にほんのちょっとですが急斜面がありました。地形図で見ると標高710mの等高線から680mの等高線まで、4本が密になっています。そのあとはまた、タラタラ……なんですけれどね。

陣場山、高尾山
【撮影】13時14分=伊藤 幸司
ここで、景信山の山頂からでは高尾山トンネルの入口しか見えなかった圏央道・八王子JCTの立体交差部分がちらりと見えてきました。そこからこちらに向かってくる中央自動車道も見えてきました。谷底の道は旧甲州街道ですが、それはいま見えていなくて、小仏トンネルに入る前のJR中央本線が写っています。ちなみにJCT(ジャンクション)とIC(インターチェンジ)の違いを調べてみたら、一般道とつながっているところがICなんだそうです。

陣場山、高尾山
【撮影】13時55分=伊藤 幸司
このあたりでは「登山道はこちら」とか「ここは登山道ではありません 正規の登山道を通ってください」という標識で登山道の規制が厳しく行なわれていました。なぜこのあたりだけなのか私にはわかりませんが、この陣馬山〜高尾山が走る人たちのトレイルランニング・コースであるということも関係しているかもしれません。ここなどは直線的に下ってしまえ、というランナーがいそうな感じもしますよね。
トレイルランニング専門・RUNNET TRAILに高尾山~陣馬山コースがありました。
———高尾山~陣馬山のハイキングコースは、首都圏トレランコースの定番であり、初心者から上級者まで多くの人が走っている。全般的によく整備された登山道で、ハイカーも多く、茶店などもあって初心者でも安心して走れるので、これからトレランを始めたいと思っている人には特に勧めたい。アップダウンが比較的少なく、走力がついてくれば最後まで走りきれる爽快なコースである。上級者はタイムトライアルなども行い、2時間半ほどで走ってしまう。多くの小ピークとその登頂を避ける巻き道が存在するため、巻き道を多用して楽に走ったり、全てのピークを踏むように(特に上り坂ダッシュ)すれば高負荷トレーニングも可能。このようにバリエーションに富んだトレーニングができる上、往復コースであることから走力レベルの違う仲間たちと一緒に走りに行く場合にも都合が良いコースである。つまり走力のない人や途中で調子が悪くなったら陣馬山まで行かずに引き返せば、ゴールの高尾山口までにはまた合流することができる。———

陣場山、高尾山
【撮影】13時57分=伊藤 幸司
ここで初めて、中央自動車道をきちんと見ることができました。ウィキペディアの中央自動車道
———略称は中央道(ちゅうおうどう)。旧道路名は中央高速道路であり、道路名を「○○高速道路」から「○○自動車道」へ変更した唯一の高規格幹線道路でもある。———
とあったので、なんとなく、もうすこしくわしく知りたいとおもったら、ありました。
———開通当初は、東名高速や名神高速と同様に中央高速道路を名称として用いていたが、開通当初の暫定2車線対面通行でなおかつ中央にセンターポールも分離帯もないという状態であった上、追越しも許されている(中央線が破線)という有様であったにもかかわらず、「高速」という呼称によって速度超過が多発したことによる交通事故が頻発してしまったために、中央自動車道に改称された(ただし一部の情報板等の標識に「中央高速」の表記を使用しているものもある)。なお、その後開通した高速道路では、東名・名神のバイパスとなる新東名高速・新名神高速を除いては道路名称に「○○高速道路」が用いられることはなく「○○自動車道」に統一されている。———



14:00

陣場山、高尾山
【撮影】14時02分=伊藤 幸司
小仏峠への道は、下って、下って、下るという感じがしました。標高727mの景信山から548mの小仏峠まで180mほどの下りです。時間的にはたかが知れているのですが、下って下って……という気分になったのです。城山には登り返す必要があるわけですから。

陣場山、高尾山
【撮影】14時04分=伊藤 幸司
登山道ではごく一般的なジグザグ道が、ここでは「例外的な急斜面」にしかありません。登山の縦走路としては驚くほど平坦なんです。糸の会の初期にはこのルートはオリンピック級のマラソンランナーのトレーニングに使われていたのですが、その後のトレランブームで、入門コースとされ、ランナーとハイカーとの接触事故が多発したりしました。なぜか私たちが歩くときには閑散としていて、ジェントルなランナーと時々すれ違うという程度ですけれど。

陣場山、高尾山
【撮影】14時05分=伊藤 幸司
ツバキの花がポトン、ポトンと落ちていました。花に恵まれない時期でしたから、ちょっとうれしい気持ちになりました。

陣場山、高尾山
【撮影】14時07分=伊藤 幸司
小仏峠まで下りましたが、茶屋跡があるだけでした。廃墟検索地図の小仏峠の茶屋には次のように書かれています。
———小仏峠の茶屋は東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の間にある小仏峠(こぼとけとうげ、標高560m)にある茶屋跡。
平屋建ての茶屋が二軒並び、一つは正式には「青木茶屋」だったらしい。
閉業時期不詳ながら、2005年時点で廃墟としての言及が見られる。
2010年時点で窓ガラスに「野も山も春うらら 我が心に 春の訪れ 二人の旅路」という風流な落書きがされている。
2017年までに半壊状態となっている。———

陣場山、高尾山
【撮影】14時08分=伊藤 幸司
小仏峠の主というべきツバキの大木の花のアップ。ウィキペディアのツバキの花の解説がものすごくわかりやすく感じました。
———花期は冬から春(2月-4月)で、早咲きのものは冬さなかに咲く。花は紅色の5弁花で、枝の先に1個ずつ下向きに咲かせる。花弁は長さ3-5cmで筒状に咲き、平らには開かない。1枚ごとに独立した離弁花だが、5枚の花弁と多くの花糸の下半分が合着した筒形になっていて、散るときは花弁と雄しべが一緒に落花する。———

陣場山、高尾山
【撮影】14時09分=伊藤 幸司
急な下りの後は急な登り返し。水流によって掘り下げられた道ですが、ストックの突っつき穴がほとんどないところを見ると、かなりいい状態で踏み固められているかと思います。この上方で雨天の水切りがうまくいっているのだと想像します。ストックの突っつき穴がひどいところは水流による侵食状態が進んでいる場所で、いったん豪雨になれば侵食がさらに進むという危険信号とも受取れます。ここはそういう意味で、かなり安定した路面のように思われます。

陣場山、高尾山
【撮影】14時11分=伊藤 幸司
すごい乱暴な見方ですが、この写真のあちこちに分度器を置いてみると、登山道の勾配の見え方と現実との関係が修正されます。この写真では先頭の数人のところは約20度で、その手前赤い服の人がなんとなく力を入れている登る姿勢をとっているあたりは30度前後ということが可能だろうと思います。
繰り返し言いますが、富士山の6合目以上の斜面はほとんどぴったり30度、そこにジグザグに切られた登山道(県道・富士上吉田線)の平均傾斜は20度です。ここにその富士山の登山道とほぼ同じ傾斜の登山道があるので、それを「時速1km」(20度前後の傾斜では「1時間で、1km先に進み、300m登る」)で歩くときに、平地を時速4kmで歩くパワーで長時間歩き続けることができるようになる、ということです。
みなさんは下りでのストックワークは非常に素晴らしいので、北アルプスなどの上級者用といわれる下りでも安全を維持できていますが、登りでのダブルストックの使い方では初期段階での指導が不十分だった(むしろストックを使わないことをすすめていました)ことで「上昇補助」より「前進補助」の意識が強く残っています。この写真で「30度の斜面」のところにいる赤い服の人はストックを前方に突いて、あきらかに前進補助という使い方をしています。
説明がいくぶん飛ぶかもしれませんが、20度の斜面では前進1に対して上昇3のエネルギー配分が必要なので、平地を歩く意識で前進をイメージすると。カラダにはその3倍のエネルギーが要求されます。ストックを前方に突くという姿勢は登り斜面を力で押し切ろうという意志が込められている……のです。
「平地を時速4kmで歩くパワー以上は使わずに山に登る歩き方」を追求しているのが糸の会だというふうに認識していただきたいと思います。この日のこのルートは平坦な道に限りなく近いものでしたから「体慣らし」で6時間の行動を計画しましたが、北アルプスの一般道を目指すにはカラダを「真上」に持ち上げるためにダブルストックをうまく使っていただきたいのです。

陣場山、高尾山
【撮影】14時17分=伊藤 幸司
これはとても歩きやすい道ですが、足元を見ずに歩けるというわけではありません。さらに振り出した足をどこに置いてもいい、というわけでもありません。……というたかだか2点の路面状況だけでも、登山道が登山者に与えてくれる価値ある贈り物だと考えます。下界の道は「歩きやすさ」を追求しているので、極端に言えば目をつぶっても歩けたりします。酔っ払って「千鳥足」でも歩けますよね。そこで人は「二足歩行」の能力を大きく失っている、ということに気づいていません。
最近はまったくの登山初心者を指導するということはなくなりましたが、糸の会の極めて重要な最初の技術的指導は、信じがたいでしょうが「二足歩行」の調整でした。人間が人間たる核心技術であるべき「二足歩行」が都市で生活する人間のほとんどで崩れているということを私は「登山道の歩き方」で知ったのです。千鳥足という歩き方で説明すると「倒れる前に次の足を出す」歩き方。登山道でちょっと急、ちょっと転びそうな道になると「片足できちんと立ってから次の足を振り出す」ということがだんだん難しくなってきます。その「だんだん」の度合いで、二足歩行の能力が見えるのです。
文明生活でほとんどその価値を見失ってしまった「二足歩行」ですが、それを登山道という不整地で慎重に歩くことを続けることで「二足歩行」が磨かれていくということが、じつはカラダのあちこちにたまっている歪(ヒズミ)を追い出していくことになるのです。(極端な言い方になりますが、身体能力を鍛えようとしていろいろ努力している人の多くは、そのヒズミを筋力で抑え込もうとしていませんか?) だから、私は糸の会で山歩きを始めた人には「トレーニング不要」と言ってきたのです。

陣場山、高尾山
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
また、防火用水がありました。これも300リットル入りのタンクのようですが、それが6個ですかね。1800リットルだとすれば1.8トンということになります。でもこの水と森林火災を消す、という作業との関係が私にはまだ想像できません。蓋を開けたらバケツが入っているのかどうかもわかりませんが、この防火用水の前で火事が起こるわけではないでしょう。
とりあえず帰って山林火災に対する消火用水というものの、具体的な使い方はどうなっているのかと調べてみたのですが、よくわかりません。
素人でも理解できる森林火災用の防火水槽については静岡県の志太消防本部の山火事に備える 高草山の防火水槽調査というのがありました。
———2019年5月17日から23日の7日間で、高草山に設置されている防火水槽の調査を行いました。
高草山には、万が一山火事が発生したときのための防火水槽が5基設置されており、1基に10tもしくは20tの水が貯められています。緊急時に、大型の消防車が山道を安全に通行できるように、大きな落石などの障害物を除去しながら走行し、防火水槽に適切な貯水量があるか、破損等が無いかを調査しました。———
10tタンクか20tタンクかわかりませんが消防車よりはるかに巨大な水瓶です。消防車が使う防火水槽なら納得です。
長野県の大町市地域防災計画によると予防対策の実施計画のなかに「林野所有(管理)者に対する指導を行う」という項目があって、
———
(ア)火の後始末の徹底
(イ)防火線・防火樹帯の設置
(ウ)自然水利の活用による防火用水の確保
(エ)地ごしらえ、焼畑等火入れ行為を行う際の消防機関との連絡方法の確立
(オ)火災多発期における見回りの強化
(カ)消火のための水の確保等
———
と書かれています。「消火のための水の確保」という(かなり)漠然とした準備のひとつとして、ここにこうして並べられた防火用水タンクがあるのでしょう。中の水がどのように補充されるのか、どのように火災現場まで運ばれるのか、というような些細な問題より「山火事防止」という注意喚起において大きな効果を上げている、ということはまちがいない、と思うに至りました。

陣場山、高尾山
【撮影】14時21分=伊藤 幸司
さあ、なんだかすごい登りが現れました。画面中央、青い服のひとのところに道標があって、小仏城山まで0.5kmとありました。「まき道(高尾山・一丁平)」が左手になるのですが、その道は「歩道崩落により通行できません」ということで柵が立てられていました。

陣場山、高尾山
【撮影】14時22分=伊藤 幸司
ここでこれほど荒れた道が出てくるとは思っていませんでした。最近では雪のときでしたが、それまで何度も歩いているはずなのに、記憶がほとんどないのです。他の山でならよくある「荒れた道」に過ぎないので、今回ルートをこまかく見ようとしたために、この部分が「荒れている」ということで際立って見えたのだろうとも思われます。歩きにくい道ではありませんから。

陣場山、高尾山
【撮影】14時23分=伊藤 幸司
こんな道は、丹沢でならいくらでも出てきます。問題は、たぶん、ここが日本の、特別な自然公園のひとつだという点です。ウィキペディアの明治の森高尾国定公園にはこう書かれています。
———明治100年記念事業のひとつとして国定公園に指定した公園。1967年(昭和42年)12月11日、大阪府の明治の森箕面国定公園と同時に国定公園に指定された。
面積は770haで、最も小さな国定公園である。全域が第2種特別地域に指定されている。年間利用者数は217万人。一部は高尾陣馬都立自然公園と重なる。高尾山は殺生を厳しく戒めてきた高尾山薬王院の寺域であるため、モミ、カシ、アカマツ、ブナの自然林が遺されている。明治の森高尾国定公園は、東海自然歩道および関東ふれあいの道の始点でもある。———
もっとも、東京都環境局の明治の森高尾国定公園によると、明治の森高尾国定公園は「小仏城山」の山頂から向こう側、高尾山ケーブルカーのあたり(たぶん1号路)までのようです。この道は、だから都立高尾陣場自然公園(だけ)の道なんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】14時24分=伊藤 幸司
素人目ではあるんですけれど、この斜面で踏み固められた何本かの道筋の路面の色合いがなんとなく違いますね。ほとんど同じ環境にあるように見えても、水分の抜けぐあいがけっこう違う、ということは、こういう場所で私たちが「歩きやすいルート」を選ぶときに、瞬間的にですけれど、けっこう真剣に判断しています。
しかし、もっと積極的に、と考える場合、こういうところでのベテラン力はしばしば踏まれた道すじとは違うところを巧みにつなげて靴を汚さずに、かつスマートに突破する努力をしたりするんですね。道が荒れて逃げようのないところでは、自分好みの新しい道筋を開拓したりすることも多いのです。
2010年代、尾瀬の至仏山が「下り禁止」になったのは、滑りやすい蛇紋岩の斜面に、滑りにくいルートがどんどん拓かれて、登山道とその周辺の荒廃が深刻になったからです。登山道保守のむずかしさがいろいろあるわけですが、じつは、だからといって「道路」にしてもらってもこまるのです。

陣場山、高尾山
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
ここにはかつて土留め型の階段が整備されたんですね。流れ込んできた雨水が、1回だか2回、3回、4回だかわかりませんが、柔らかな土の部分をけっこう簡単に掘り崩したと想像できるのですが、この写真からすぐにわかるように、破壊的な水流はそのまま道を進んでいかずに、斜面の左側にずれ下がって、侵食を中途半端に終わらせた……と想像できます。
仕事の現場を見ていない素人考えではありますが、ここでは踏まれた路面をできるかぎりそのまま保存して、流れ下ってきた水流を細かく分散させながら斜面の下流側に流していくという考え方が必要だったのではないかと思うのです。登山道は「歩きやすくしようとすると、壊れやすくなる」という常識で見てみていただきたいのと、登山道は不整地の部分に価値があると考えているのとで、もったいない工事だったなあ、と思うのです。

陣場山、高尾山
【撮影】14時29分=伊藤 幸司
荒れた道が終わったと思ったら、表情が豹変しました。左右の木の板は何なんですかね、ベンチとしては低いし、木道としては歩きにくい。私には想像できませんでした。板の上にゴム風味のベルトが3本あることから、この部分が水浸しになることがあって、そのときだけ100%有効活用できるという画期的な木道かもしれないとも思いましたが、ここが水浸しになったとしても、水抜きなら簡単ですよね。左右どちらへも水を落とせそうですから。
陣場山、高尾山
【撮影】14時30分=伊藤 幸司
景信山の山頂から見えた電波塔? がありました。城山の山頂です。景信山から1時間の距離でした。

陣場山、高尾山
【撮影】14時31分=伊藤 幸司
以前は電波の中継塔というといくつかの大型パラボラを支えている塔という感じでしたが、最近はなんだか構造が複雑になっているみたいですね。きちんと名称を調べておかなければいけなかったのでしょうが、ネットで調べてみても「バシッとわかる」というわけにいきません。
たぶんこれは「小仏城山テレビ中継局」ではないかと思います。似た塔があるので、この写真が合っているかどうか100%の確信はありませんが、たぶん、まず、間違いなく「小仏城山テレビ中継局」だと思うのは「FM・AMラジオ・短波などの電波を追いかける」という「しくいちの散歩道」にこの塔があったからです。
それによると、———NHK・東京民放5社・MXTVとtvkの中継局があります。
NHK・東京民放5社・MXTVが「小仏城山テレビ中継局」
tvkテレビ神奈川が「相模原テレビ中継局」と名乗っています。
ここではすべて小仏城山テレビ中継局とします。———
ですって。

陣場山、高尾山
【撮影】14時34分=伊藤 幸司
城山の休憩については、私の行動記録では「1430-40-45-50」と書かれています。つまりなにか腹に入れてエネルギー補給とする「10分休憩」を、さらに5分ずつ2度延長したということです。
私はリーダーとしての最大の権利を「休憩」だと考えていて、いつ、どこで、どのような休憩にするかということに関して全権をもっていて、そのためにかなり気を配る努力をしています。
基本はもちろん体調管理のための休憩ですが、展望休憩やお花見休憩は積極的な楽しみを加えてくれる需要なチャンスだと思っています。
一時期は雷観察や台風体験というようなテーマにこだわったこともあります。冬だと雪遊びもありますね。その日の行動で記憶に残りそうなことがあれば、それを積極的に取り入れた休憩を考えることが、リーダーのディレクター力の重要な部分だと信じています。「登頂」と「安全」だけではないのです。むしろ「気持ちの良い風が吹いていた」というような素朴な体験が記憶に残るような一日であってほしいと思いますし、悪天候の日に「だから歩く技術に目が向いた」というような感想を持ってもらえればうれしいと考えるのです。
なかなか思いどおりにいきませんが、休憩にエンターテイメント的要素が重なれば、それはリーダーの能力だと言いたいのです。(反論も出そうですが)
この日はじつは、最後の「5分」は私の「東京スカイツリー」のために唐突に追加されたのです。休憩時間の指摘乱用でした。みなさんがどう思ったかはわかりませんが。

陣場山、高尾山
【撮影】14時41分=伊藤 幸司
城山では、私にはもちろん写真を撮るための休憩でした。これは最終目標の高尾山にある電波塔です。その向こうには東京都心部のビル群が見えています。
ところがこの写真のおかげで帰宅後、デスクに向かって何時間も謎解きに時間を使ってしまいました。結論的にいうと、写真右端に見えている赤い屋根が山頂にある茶店の曙亭、その左に2階建てに見える大きな建物が建物があって、それがとても山頂の記憶と合致しなかったのです。曙亭に接して高尾ビジターセンターがあるのですが、その建物が裏側に大きく広がっているのかもしれません。
しかし、問題はそれだけではないのです。私は床屋で頭の角度をグイッと修正されることがあるぐらい首が曲がっているので、カメラを水平に構えるのにいつも問題が生じます。だから最近のデジタルカメラでは電子水準器の機能を常時生じさせています。で、なにが問題なのかというと、赤い屋根のところが山頂だとすれば、その左、電波塔のところより「高い」かどうかが不安です。そこで国土地理院のデジタル地形図で見てみると、高尾山の山頂が標高=599.3mに対して、電波塔の敷地は標高580m等高線より上にあります。つまり山頂から「20m以内」低いのです。その高低のバランスがこの写真で納得できるかどうか……です。
私たちはこれから画面のほぼ右端から山頂に出て、そこからの帰路として電波塔のあたりから「向こう」へと下っていくのだと思います。

陣場山、高尾山
【撮影】14時42分=伊藤 幸司
前の写真で問題の、高尾山山頂の写真です。この赤い屋根の建物をしらみつぶしに探し回って、結局ここしかない、という結論に至ったのです。この写真でいうと右端手前からいったん下って、登り返すと山頂一歩手前に、この建物があるんですね。わたしにはまだ正体不明なんですけれど。
続いて写真の奥に2本立っている煙突です。これが明らかになれば地図上で城山山頂とその煙突とを結ぶ線上に、その赤い屋根の建物があるので確定できるわけです。そこで高尾山の東側にあるこの、いまでは珍しい2本セットの煙突を探したのですが、それが見つからないのです。
こんな煙突は最近珍しいので、すぐに見つかるはず……と思って高尾山の東麓にあたる拓殖大学八王子国際キャンパスと法政大学多摩キャンパスのほぼ中間にある「館清掃事業所」の焼却炉に違いないと思ったのですが、ネット上にある写真では館清掃事業所の煙突は1本だけで、しかも角型のデザインなんです。そこで周辺を探し回ってみたのですがありません。
最終的に、まだ未確認ですが昭和56年(1981)に建設された「館清掃事業所」は老朽化によって平成27年(2015)から2年間で解体し、「新館清掃事業所」が令和4年(2022)9月に完成予定ということらしいのです。新しい施設に煙突が2本立つという確認はとれていませんが、まず間違いないでしょう。
……とすると、城山山頂と新館清掃事業所とを結ぶ線上に高尾山山頂があるというのは地形図で確認できます。

陣場山、高尾山
【撮影】14時42分=伊藤 幸司
「1430-40」という10分休憩を5分延長して私は写真を撮っていたのです。この展望休憩所から正面にに見えた高尾山を撮った後、振り返って撮ったのがこの写真。どうも、この2つのアンテナ塔を合わせて「小仏城山デジタルテレビ中継局」というようにも思われます。八王子市、日野市、相模原市といった高尾山東麓にNHK総合テレビから始まる地上デジタル放送を送っているようです。地方で見るテレビ中継アンテナと比べると驚くほど巨大なので、かなりすごい能力なのかな、と思いますが、私にはよくわかりません。

陣場山、高尾山
【撮影】14時49分=伊藤 幸司
城山での休憩をさらに5分延長して14時50分までとしたのには更なる理由がありました。激しい花粉症状に苦しんでいたY氏が「東京タワーが見える!」と発言、けっこう真剣に新宿方面を眺めていたA氏、I氏、そして私の男性陣3人が一斉に手すりに駆け寄って、休憩がさらに5分伸びたのです。私はその最後の最後に、ようやく1枚撮ることができました。
見えるか見えないかのギリギリ感は景信山と城山ではほとんど同じだと感じていましたから、あるいは景信山でもかすかに見えていたのかもしれません。この写真も超望遠で、手持ちで画面をゆらゆらさせながら撮っているので、水平がすこし傾いています。目印になっていた白い煙突は杉並清掃工場です。京王井の頭線・高井戸駅のすぐ脇にそびえています。私はその近くに住んでいたことがありますが、環八道路の周辺はわりと静かな住宅街です。
市橋綾子さんという方の川・みず・みどりというブログに「杉並清掃工場の煙突は何番目に高い?」というのがありました。2008年の記事なので現在も同じかどうかわかりませんが、以下のように書かれています。
———
23区内にいくつの清掃工場があるかご存じですか?
21あります。
21の工場の煙突のうち杉並清掃工場の煙突は何番目に高いと思いますか?
3番目です。
1番は、豊島清掃工場の210m
2番は、中央清掃工場の180m
3番が、杉並清掃工場の160m
一番低い煙突は?
大田清掃工場の41メートル。
一番高い豊島清掃工場の五分の一の高さしかありません。これは、羽田空港があり、飛行機の航行の都合上、高い煙突が立てられないのでした。
———

陣場山、高尾山
【撮影】14時52分=伊藤 幸司
城山から高尾山に向かう道は、国定公園の道なんですね。木の廊下というべきでしょうか。素朴に嬉しいという気持ちと同時に、歩かされるという窮屈さも感じます。私は登山道が不整地だから体にいい! と考えています。いま最後尾にいるOさんは左のかかとを壊していて、岩登りなら問題ないのに、林道歩きは「2km以上はいや」だそうです。この道が続くとどうなることか。

陣場山、高尾山
【撮影】14時52分=伊藤 幸司
なんとも立派な道ですが、緩やかな傾斜の稜線で、道の左右にはクマザサが生い茂っている下り斜面があるんですね。素人考えかもしれませんが、この道すじの何か所かに水切りの傾斜をつければ、登山道は洪水のようになった雨水の浸食作用を受ける前に排除され、雨上がりには路面が乾燥するのではないだろうかと思うのです。前の写真から右に曲がって1分もたたない道がこれなのです。

陣場山、高尾山
【撮影】14時53分=伊藤 幸司
ほとんど1分ごとに道の路面状況、すなわち木材による舗装状況は変わっていきます。おそらく設計者か、施工管理者が、路面のこまかな状況に応じて材木のあてがい方を柔軟に変えていったということなのでしょう。

陣場山、高尾山
【撮影】14時57分=伊藤 幸司
道の勾配が緩やかになると、木材を埋め込んで土が流れ出ないようにしていますね。おそらく事前に「こうしよう」という指示が出されての施工工事であったのでしょう。

陣場山、高尾山
【撮影】14時58分=伊藤 幸司
ここでは道は、土の路面がジクジク湿らないような水分の排除を考えながら、木材をうまく「土留め」に使っている、と感じました。登山道であれば放置されても人に踏まれてけっこう頑張ってくれる状態のところではないかと思いました。

陣場山、高尾山
【撮影】14時58分=伊藤 幸司
前の写真の道が下り勾配になるとすぐ、土留めの木材による階段となり、板張りの道となりました。



15:00

陣場山、高尾山
【撮影】15時00分=伊藤 幸司
道はずいぶん高度な土留めをほどこされてきましたが、Oさんはその道から外れて歩き出しました。わざわざ歩きにくいところを……と思って聞くと、かっちり整備された道は、やはり左足のかかとに負担がくるのだそうです。以前、高度なクライミングが悪天候などで中止になったときや、体調がすぐれないときに糸の会に参加していたぐらいですから私の想像できない領域なのですが、具合の悪いかかとに同じ負荷がかかるのを避けて、わざわざ歩きにくい不整地に逃げたということのようです。

陣場山、高尾山
【撮影】15時02分=伊藤 幸司
私たちがたどっている道のすぐ脇、進行左側の斜面がこんなふうに皆伐されていたんですね。与えられた道を歩いているときには気づかなかったのですが、ちょっと道を外してのぞいたら、こんな風景が隣り合っていました。この斜面も国定公園の内側なんですかね。
調べてみると環境省原案という明治の森高尾国定公園公園計画変更書というのが出てきて、国定公園の外郭部で、驚くほど小さな削除と拡大がたくさんあるのだと知りました。しかし内部に関しては変更はないようなので、この伐採斜面も国定公園の中だということがわかりました。

陣場山、高尾山
【撮影】15時04分=伊藤 幸司
この下り道は前方で登り返すことになります。階段状の上り坂の上の方にはテーブルとベンチのセットがいくつかあって、その右にはなにか、あずま屋らしい気配もあります。じつはそれが一丁平の展望台への登りなのですが、このとき交代制の先頭だった人が、展望台への道は選ばずに、一丁平に向かう巻道を選んだのです。
今回の縦走ではなんの取り決めもしませんでしたが、トップになった人たちは、ここまで巻道を一度も選んでいませんでした。初めて、正面の階段道を避けて、左手の巻道に入ったということになります。後で聞くと、この登り階段は先頭部のみなさんにはかなり負担感の大きなものと映ったようです。気持ちがかなり「疲れ」てきたということですね。

陣場山、高尾山
【撮影】15時10分=伊藤 幸司
一丁平の広場は稜線上ではなくて巻道状のところにありました。そこにトイレがあるのですが、わたしたちはそのトイレの脇から裏へと抜ける道に入りました。私の知らない道でしたが、稜線のアップダウンを避けたい人のエスケープルートとして有名なようでした。
道は一般的な登山道という感じで道際にはロープが張ってあり「みどりと花の復活作戦! 登山道を歩こう 東京都高尾自然公園管理センター・東京都レンジャー」という札がついていました。登山道として管理されているルートだということのようです。

陣場山、高尾山
【撮影】15時11分=伊藤 幸司
これはあきらかに以前から踏まれてきた登山道ですね。進行左側の足元にある白いプレートが15時10分の写真で説明したのと同じで、それが時々出てくるのでした。「この登山道からはずれずにちゃんと歩きなさい」という意味なんでしょうか。

陣場山、高尾山
【撮影】15時13分=伊藤 幸司
たまたま条件のいい場所を選んで歩かれてきた道なんでしょうが、路面はしっかり踏み固められていて、やっぱりこちらのほうが私たちには気持ちいい。歩くのもラクなんですね。展望がなくたって、いいじゃない……という気分にもなりました。

陣場山、高尾山
【撮影】15時22分=伊藤 幸司
「一丁平から0.6km」「高尾山へ0.9km」という道標のところで整備された道に出ました。これはそこにあった案内図。私たちが通った道は出ていません。こちらは林野庁の「高尾森林ふれあい推進センター」が作成したものなんですね。

陣場山、高尾山
【撮影】15時23分=伊藤 幸司
いよいよ終盤。「もみじ台案内板」の前で、トップの人が悩んでいました。まっすぐ登る階段道か、左手に伸びている巻道か。……数人の合議になったみたいで、巻道を進むことになったようです。
その巻道は私は何度か歩いています。クリスマス前後に高尾山はダイヤモンド富士を期待して集まるひとたちでけっこうなにぎわいになります。そしてその時期は高尾山が名物として宣伝しているシモバシラの可能性もあるのです。その、トイレットペーパー細工のような氷の芸術が巻道の道筋に出てくる可能性があるのです。
ですからその時期には中央本線の高尾〜大月間の山を計画して、午後になっても西の空が晴れていたら、計画書の登山は早めに終えて、16時を目安に高尾山に急ぐのです。そのときにシモバシラも見られたらラッキー! ということで。

陣場山、高尾山
【撮影】15時32分=伊藤 幸司
「もみじ台案内板」のところから巻道を10分弱歩いたところで、トップが変わって、もみじ台へと登りはじめたのです。巻道から稜線へと登るこの階段は、国土地理院のデジタル地形図で見ると510m等高線に沿っていますから水平に見えますが、実際にはこんな感じ。でもこれはみなさん「ブスッ」と文句をいう程度でした。ところが先ほど敬遠した階段道に出ると、展望台のある茶店・細田屋まではなんと40mの登りなんですね。ビルだと14階分とか。立派な階段道ですからスピードダウンした人もいて、原則追い越しなしの糸の会ではありますが、すぐにレース状態になって、ほぼ全員、汗が吹き出し、息が切れる状態になったのです。

陣場山、高尾山
【撮影】15時42分=伊藤 幸司
もみじ台ではさっそく15分休憩をしました。
もうひとつ、ちょっと下って、50m弱登り返せば標高599mの高尾山山頂です。山頂到着は、予定では15時30分でしたから、もう問題ありません。一息入れて、気分を新たに出発すれば、軽いおまけという程度の残りです。
ここで残飯やら甘いものやら、残った水分やら、ともかく一息入れることが重要でした。富士山が画面右端にあるのですが、もう、城山からの東京スカイツリー程度にしか見えませんでした、ね。

陣場山、高尾山
【撮影】15時43分=伊藤 幸司
いつもですけれど、大山(1,252m)に始まって最高峰・蛭ヶ岳(1,673m)を経て大室山(1,588m)で終わる丹沢山地を見るとドキドキします。ここでははっきりしませんが丹沢山の三峰尾根の美しい三つコブがあれば完璧だと思います。

陣場山、高尾山
【撮影】15時47分=伊藤 幸司
これは大山(1,252m)です。丹沢山地の左端のさらに左側に四つコブが見えてきました。じつは四ツ峰の山なんですが大山三峰山(935m)と呼ばれる山です。大山とつながってはいなくて、正確には隣の山です。
糸の会の最初の大人数登山があそこで、山頂稜線でひとりがふっと消える事件があって、九死に一生という稀有の幸運に助けられました。登山道のあちこちに「勇気ある撤退」という言葉を入れた立て札があったことから、「勇気ある撤退」という意味を、「たんけん」という立場からいろいろ書いた記憶があります。

陣場山、高尾山
【撮影】15時48分=伊藤 幸司
これは西丹沢の主峰・大室山(1,588m)です。右に連なっているのはたぶん畦ヶ丸(1,293m)。その畦ヶ丸に重なるかっこうで富士山が見えてくるはずなんですがね。

陣場山、高尾山
【撮影】15時48分=伊藤 幸司
もみじ台での休憩は15時40分からの10分休憩を5分延長しました。整備された道の脇にベンチがあって、画面左側には茶店・細田屋があるのですが、営業していません。開いていたら、おそらく、たぶん、かなり長い間記憶に残る休憩になったのではないかと思います。
富士山もカキっと見えているわけではないので、休憩の「5分延長」というリーダー権限で、まあ、最後のひと区切りをつけたいと考えたわけです。もっとも「5分あげる」と言ったってたいして喜ばれるわけではなにので、この写真をとった後、なんだか忘れましたが「リーダー訓話」だか「連絡事項」だかを5分間やって「さあ、出発!」としたような気がします。
とにかく「これが最後」という区切りだか、メリハリだかをつけなくっちゃいけないと、私は考えていたのです。

陣場山、高尾山
【撮影】15時57分=伊藤 幸司
出発して、最後に振り返って見たら、富士山がわりとはっきり見えました。

陣場山、高尾山
【撮影】15時57分=伊藤 幸司
富士山の手前の山は左側が丹沢の畦ヶ丸(1,293m)。右側の黒い雲の端が頭をナデナデしているような山は御正体山(1,681m)、その手前は畦ヶ丸から道志の湯へと下って、そこから登り返す道志の山々ということになります。

陣場山、高尾山
【撮影】15時59分=伊藤 幸司
もみじ台から軽く下ると、高尾山山頂への最後の登りです。国土地理院のデジタル地形図によれば、まさにこの場所に標高550mの等高線があるんです。ここから標高差ほぼ50mの階段道です。

陣場山、高尾山
【撮影】15時59分=伊藤 幸司
みなさんが嫌がる階段道ですが、じつはここでは珍しく、その段差が日常体験する石段の感覚でつくられていました。多くのみなさんが「あんがい快適だった」と感じたのはその段差ゆえでした。

陣場山、高尾山
【撮影】16時05分=伊藤 幸司
これは高尾山山頂展望台から撮った富士山。もみじ台で撮った富士山とほとんど同じと考えていいのでしょう。雲の状態もまだ10分経っていないので、ほぼ同じ。

陣場山、高尾山
【撮影】16時06分=伊藤 幸司
計画書にはかならずその日の「日の出」と「日の入り」の時刻を書いておくようにしています。国立天文台の「各地のこよみ」で、県庁所在地での日の出と日没時刻が(計算上の値でしょうけれど)わかります。
この日の「東京都(東京)」は日の出05:54、日の入り17:47です。登山道ではふつう、日没後1時間まで無灯火で行動できますから、なにかトラブルがあったときには自力下山の対応として、おおよそその時刻、この日の場合は「18時半」ごろまでに自力解決できるかどうか、考えます。
あるいは行動に問題はなかったものの、あまりドラマチックでなかった日なら、その手前で、西の空に雲がなければ落日を体験できます。最後の賭けとして17時半ごろから、日没のドラマを借りて演出できる場所にうまく遭遇させられるかどうか、チラリと考えてもみます。テレビのロケ番組に携わると、そういうハプニング、隠しネタなんかを用意する癖がつくんですね。
さて本題。ここはクリスマス前後にはおおよそいま、左からふたり目の人のあたりで太陽が富士山に落ちるのです。落ちる瞬間、うまくすれば「ダイヤモンド富士」になるというので、この広場は人でいっぱいになります。もちろん大前提として(1)富士山が見えていること、(2)雲がそのドラマを邪魔しないこと、が必要です。だからわたしたちはその時期にJR中央本線の軽い山を計画します。日没時にこの場所に立ちたいと思わせる日だったら、日没30分前の16時ごろまでにこの場所に立つスケジュールに切り替える準備だけはしておくのです。

陣場山、高尾山
【撮影】16時08分=伊藤 幸司
この日の記念写真。

陣場山、高尾山
【撮影】16時18分=伊藤 幸司
山頂からは舗装路になるので驚きますが、山頂から薬王院〜ケーブルカー高尾山駅を経て清滝駅前広場までが高尾自然研究路 1号路なんだそうです。さらにこの道は薬王院の表参道の部分が都道189号高尾山線となっていて、国道20号に接続しているのだそうです。だからもちろん自動車道路なんですが、参拝路であるとして一般車両の乗り入れは認められていません。
下界から上がってくるその都道の最上部は薬王院表参道が男坂と女坂とに分かれるところとなっています。男坂はフツーの階段、女坂は自動車の通れる舗装道路、ところがその舗装道路がどこでどうつながって山頂に至るのか、私は何度通ってもわかりません。記憶を探っても登山道が自動車道と別れたポイントを思い出せないのです。
では山頂広場でしばしば目撃されるというパトカーや救急車はどんなふうに上ってくるのでしょうか。山頂から下ってくる登山者はなんの違和感もなく薬王院境内を抜ける道に導かれて、途中で舗装路とバイバイした記憶は残っていません。
もとより一般車両通行禁止の領域ですから登山者がそれを知る必要も、知らせる必要もないのでしょうが、謎は謎です。
キーとなったのは車椅子です。車椅子での高尾山登頂も可能だということですが、そんな道も私は見たことがありません。調べてみると、薬王院の入口から小さな脇道に入ると、それが「3号路」につながっているのだそうです。「3号路」は1号路の浄心門(すなわち薬王院の山門)から始まって山頂近くで5号路に合流するのだそうです。3号路に抜け出るには薬王院境内の石段を登らずに、私が完全に見落としていた細い道(境内の路地みたい?)に入るようです。
車椅子が通れる3号路は砂利道なので手押しの車椅子の場合には「もうひとりサポートが必要」と書かれていて「2人目のサポーターが前方でロープを引いたほうがいいかも」などというアドバイスもあるようです。
その道は道幅が車一台分あって、そこを救急車が上がっていくらしいのです。「高尾通信」に「高尾山に山岳対応用救急車登場」という記事がありました。
———山の事故、急病に迅速に対応するため、東京消防庁は山岳対応用の小型特殊救急車を八王子消防署に初配備し、高尾山を管轄する浅川出張所(八王子市東浅川町)で平成29年4月22日に運用を始めた。
配備予定の小型救急車は、一般的な救急車より全長は150センチ、幅は20センチ小さく、高さも40センチ低い。
しかしながら、未舗装の狭い山道でも走行できるように4輪駆動で悪路にも強く、高尾山の暗い樹林の中でも活動できるように車両の両側にLED照明灯も付けた。排気量1500ccで、導入経費は車両だけで約1,270万円、装備品が約300万円。———
どうも、3号路は山頂直下のトイレのところで1号路の舗装路に接続しているようです。その3号路を私はまだ歩いたことがありません。

陣場山、高尾山
【撮影】16時21分=伊藤 幸司
山頂からケーブルカー山頂駅に向かう「1号路」は、いつの間にか舗装路から板葺きの廊下状に変わりました。この下に、薬王院の門があって、境内へと導かれます。

陣場山、高尾山
【撮影】16時23分=伊藤 幸司
薬王院の境内に入るとまず、長い石段が待っていました。不整地であることがからだにやさしい登山道……と違って、規則的に作り上げられた階段では、この下りでは疲労の溜まった太もも前面の大腿四頭筋が悲鳴を上げたりします。つまり突然、脚が重くなるのです。みなさん、いつものことですが「階段はキライ」というつぶやきだったと思います。

陣場山、高尾山
【撮影】16時24分=伊藤 幸司
高尾山といえば天狗ですが「高尾山マガジン」の薬王院によると
———正式名称は「高尾山薬王院有喜寺」といい、真言宗智山派の大本山であり、成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに関東三大本山のひとつです。
薬王院は不動明王の化身「飯縄大権現(いづなだいごんげん)」がご本尊です。
天狗が飯縄大権現の一族(従者)とされることから、高尾山は古くから天狗が住む山といわれ、境内には天狗の像や天狗をモチーフにしたオブジェがたくさんあります。———
さらに「天狗総合研究サイト」によると
天狗の容姿は———一般的な姿は、先ほど述べたように修験者の様相で、その顔は赤く、鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされます。いわゆる「鼻高天狗(大天狗)」です。特に江戸時代に入ると、神田祭や山王祭の先導役として天狗が出てくるようになり、鼻高天狗の人気が一躍高まります。天狗の特徴である赤ら顔は、天孫降臨の時に先導を務めた猿田彦(サルタヒコ)のイメージが合わさったものだと言われています。
江戸時代に人気が出た修験者姿の鼻高天狗ではありますが、実はこの姿は室町(むろまち)時代(今から500年ほど前)の絵師(画家)によって描かれたのが最初と考えられています。この頃は、天狗の小道具も確立していきます。一般には羽団扇を持ち、一本歯の下駄を履いています。一本歯の下駄は山道に適しているということです。(高尾山の天狗は裸足です)。

陣場山、高尾山
【撮影】16時24分=伊藤 幸司
これは前の写真の大天狗が向かって右側を守っている「御本社」です。ウィキペディアの高尾山薬王院によると、
———本社(権現堂) 本尊:飯縄権現
薬王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿(神社)である。現在の社殿は1729年(享保14年)に本殿が建立され、1753年(宝暦3年)に幣殿と拝殿が建立された。のち1805年(文化2年)・1965年(昭和40年)・1998年(平成10年)に大改修を行なっている。江戸時代後期の代表的な神社建築で1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されている。入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ権現造である。社殿全体に華麗で極彩色の装飾がなされていることが特徴である。社殿前方には鳥居があり、神社であることが分かる。寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるだろう。本尊の飯縄大権現立像は異形の仏として有名。———

陣場山、高尾山
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
これは「御本社」を後ろに従えたかたちの「大本堂」を守るカラス天狗。「大天狗」で引用させていただいた「高尾山マガジン」の薬王院によると———「太平記」には他にも、くちばしと羽を持ち、さまざまな神通力に通じた天狗が登場しており、このころにはカラス天狗の姿が一般化していたことが分かります。———
たしかこの下の石段脇にはカラス天狗の群れがあったと思いますが、ウィキペディアの烏天狗によると———烏天狗または鴉天狗(からすてんぐ)は、大天狗と同じく山伏装束で、烏のような嘴をした顔をしており、自在に飛翔することが可能だとされる伝説上の生物。小天狗、青天狗とも呼ばれる。烏と名前がついているが、猛禽類と似た羽毛に覆われているものが多い。———とのこと。

陣場山、高尾山
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
「御本社」と「大本堂」を経て、仁王門をくぐって最後の石段を下るところです。下ると「お護摩受付所」と「お守授与所」があるのですが、トイレの脇あたりから車椅子でも「3号路」へ抜けられる……という道があるようです。

陣場山、高尾山
【撮影】16時27分=伊藤 幸司
これが「御本社」を後ろに従えたかたちの「大本堂」。じつは16時25分撮影の石段を降りようとしたのですが、どうも気になって、登り返して、いわば振り返ってとった写真です。撮影時刻では2分後ですが、画像番号は並んでいます。なにか別のことをした記憶はありません。
この「大本堂」と「御本社」の関係があいまいなまま何度も通過してきたので、今回はせめてきちんと撮り比べておこうと思っただけでした。
要するに、これが「寺院」、その裏に「神社」ということなんですね。明治維新の廃仏毀釈の激しい宗教革命的内戦をくぐり抜けて、いまここにあるということなんでしょう。

陣場山、高尾山
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
これは倶利伽羅龍王とか。高尾山薬王院観光というサイトに高尾山薬王院 倶利伽羅龍 (縁結び)の解説がありました。———不動明王の利剣で貧、瞋、癡、の三毒を断ち恋人、友人など、新しい御縁がいただけるという。二頭の龍が巻きついている宝剣の左右に赤い紐で結ばれたお守りが供えられています。お札授与所で頒布される赤い糸の付いた鈴や五円玉を奉納します。———とのこと。

陣場山、高尾山
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
これは八大龍王というのだそうです。金色の像に目が止まってとりあえずシャッターを切ったということでしたが「八大龍王」というのはそれ自体がけっこう曖昧な名前なんですね。コトバンクで精選版・日本国語大辞典を見ると「八大龍王」は———仏教で、法華経説法の座に列したという八種の龍王。難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)の各龍王をさす。———ですって。
「みんなでつくる旅行ガイドブックtripnte」の東京・高尾山で日帰り登山を満喫♪ おすすめの楽しみ方5選にこの八大龍王堂が出ていました。
———山門をくぐって歩くと見えてくるのが、「八大龍王堂(はちだいりゅうおうどう)」。福寿・円満の神様・八大龍王が祀られており、ざるを使って足元に流れる水でお金を清めると、願いを叶えるための資金が増えるといわれています。———
そうなんだ、そのためのザルだったんだ、残念! という感じでしたね。

陣場山、高尾山
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
これはなかなかの大作でした。奥の赤い文字を読んでみると「大小天狗像建立御寄進者??」と書かれていますし、手前のオレンジ色の文字では「関東鳶職……」と読めます。「平成十七年秋季大祭建碑」とありますから2005年ですね。すごく新しく見えるのは、きちんと清掃されているからでしょうか。奉納としては際立って大きなものだと感じましたが、どうなんでしょうかね。

陣場山、高尾山
【撮影】16時29分=伊藤 幸司
薬王院山門は四天王門とも呼ばれています。有名な「四天王」ですけれどこの、どんな人たちなのか。コトバンクの「四天王」では日本大百科全書の解説が丁寧、というか、親切というか……でしたね。
———インド神話時代から護世神とされ、仏教では須弥山<しゅみせん>の中腹にある四王天の主として、持国天<じこくてん>(東方の勝身<しょうしん>州)、増長<ぞうちょう>天(南方の瞻部<えんぶ>州)、広目<こうもく>天(西方の牛貨<ごか>州)、多聞<たもん>天(毘沙門<びしゃもん>天。北方の瞿盧<くる>州)をいう。四大天王、護世四王ともいう。帝釈<たいしゃく>天の外将で、上は帝釈天に仕え、下は八部衆<はちぶしゅう>を支配し、仏法、仏法に帰依する衆生<しゅじょう>、そして国家を守護する。梵天<ぼんてん>および帝釈天とともに仏法守護神として諸経に広く説かれている。
それぞれの形像については、インドでは貴人の姿で表現されたが、中国、日本では武将形となり、さらに忿怒<ふんぬ>の相も付加されるに至った。
後世、武将輩下の勇武の者4人を四天王と称するに至り、源頼光<よりみつ>の四天王(渡辺綱<わたなべのつな>、坂田金時<きんとき>、碓井貞光<うすいさだみつ>、卜部季武<うらべすえたけ>)、源義経<よしつね>の四天王(鎌田盛政<もりまさ>・光政<みつまさ>、佐藤継信<つぐのぶ>・忠信<ただのぶ>)、織田信長の四天王(柴田勝家<しばたかついえ>、滝川一益<かずます>、丹羽<にわ>長秀、明智光秀<あけちみつひで>)、徳川家康の四天王(井伊直政<いいなおまさ>、本多忠勝<ほんだただかつ>、榊原康政<さかきばらやすまさ>、酒井忠次<ただつぐ>)はその好例である。また、和歌の四天王(頓阿<とんあ>、兼好、浄弁、慶運)というように、一道に秀でた者4人をいう場合にも用いられた。———
これは多聞天のようですね。

陣場山、高尾山
【撮影】16時29分=伊藤 幸司
これは増長天。

陣場山、高尾山
【撮影】16時29分=伊藤 幸司
これは持国天。どういうヒトかわかりませんが。

陣場山、高尾山
【撮影】16時31分=伊藤 幸司
山門を出ると、杉苗奉納の芳名板がずらりと並んでいます。「壱阡本以上」からですからすごい本数になります。注意書きとして———杉苗奉納の御志納金は、健全な山林を維持するための諸費用として使わせて頂いております。———とありましたから、杉苗1本にどのような価値付をしているのか知りたいものだとず〜っと思っていたのです。今回調べてみたら、かんたんにわかりました。
高尾山マガジンの編集者による薬王院の杉苗奉納をしてみましたというレポートです。
———1号路の薬王院手前にある杉並木を通っていると、名前の書かれた板がたくさん並んでいます。つい、どんな名前があるか歩きながら見てしまいますが、これは薬王院に杉苗奉納した方々のお名前です。
遠い昔から高尾山の御信徒には、苗木を奉納する習慣がありました。今では苗木ではなくお金を納めるかたちですが、杉苗奉納が続いています。(納めたお金は山林の整備に使われているようです)
私たち高尾山マガジンも、いつも高尾山にお世話になっている立場。御護摩修行は何度か受けていますが、杉苗奉納はしたことがなかったので、今年(2017年)、初めて杉苗奉納をしてみました。
薬王院のウェブサイトによれば、杉苗奉納は一口3千円からできるのですが、参道に掲示されるのは1万円以上奉納した場合になるようです。せっかくなので、1万円を奉納することにしました。
毎年12月10日までに奉納すると、翌年掲示されると書かれています。
ギリギリだったのですが、12月の始めに申し込みを行いました。申し込みは直接薬王院に出向いてもできますが、FAXやインターネットでもできます。今回はFAXで申し込んでみましたが、FAX送信後にすぐ薬王院から電話があり、いくつか確認して申し込みが完了しました。
申し込みからしばらくしてから、御護摩札が郵送されてきます。
一緒に郵便振替の用紙が入っていますので、郵便局に行って支払いを済ませて完了です。
ちなみに薬王院に出向いて申し込むと、当日、御護摩修行に参加できます。本堂に上がって法螺貝の音の中でお護摩を焚いていただくと、引き締まった気持ちになります。金額によっては、客殿で簡単な精進料理をいただいたりもできるので、お時間のある方は実際に高尾山に行かれるのがおすすめです。
さて、年が明けてから実際に名前が掲示されているか見に行ってみました。ちょっと楽しみです(^^)
芳名板は奉納した金額の順に並んでいます(高額になればなるほど薬王院本堂に近い)。1万円だと一番手前にあります。単位が「壱阡本」と書かれているのが奉納額1万円の板です。10円で1本の計算になりますね。
「壱阡本」は奉納されている方がたくさんいらして、探すのも大変です。一回通っても見つけられず、もう一回戻って確認したりしました。
見つけました! 最初に見つけた時は、受験の合格発表みたいに喜んでしまいました。
今回の奉納を通して、多くの人が薬王院、高尾山を支えているのだな、と実感できました。皆さんも、1号路で薬王院を通るときは、ぜひ探してみてくださいね。
杉苗奉納について詳しくは、薬王院ウェブサイトの御護摩祈祷ページをご覧ください。ページの下の方に説明があります。
また、この杉苗奉納の芳名板は1年単位の掲示なので、年末に板の差し替え作業が行われます。その様子をレポートした記事がありますので、あわせてご覧ください。

陣場山、高尾山
【撮影】16時38分=伊藤 幸司
これは写真に写っている具体的な内容はまったくありません。今回の写真のなかに、どうしても加えておきたい高尾山の魅力の骨格的な部分を忘れないように、それらしい雰囲気の写真を最後の土壇場で撮っておきたいと思ってのメモ写真なんです。
実は昔、林野庁関係の少年組織で「緑の手帳」というような名前のものを編集したことがありました。そこで高尾山は日本列島の植物にかかわる気候帯から見ると特別な山なんだという記事をいわれるがままに書いたのです。いまでは常識的なことですが、高尾山の自然に関してはトップクラスの重要事項というべきでしょう。
たとえば「ウェブ・カーグラフィック」の「クルマで登山」という連載に第92回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機 その4:小さな山に異なる植物分布(矢貫隆)がありました。
———なぜブナが芽吹いたか何年か前、1号路を歩いたことがある。
途中まで舗装された登り勾配の道を20分も歩くと稜線にでて、樹林の間から、ときおり右下に細長く家々が連なる裏高尾の町と、その向こう側を通る中央道を眺めることができる。それが1号路。登るのが楽な道だ。この道をのんびり歩いてケーブルカーの終点「高尾山駅」の近くまでやってくると、建ち並ぶブナの大木に気づくはずだ。その辺りの標高はおよそ400メートルである。「そんな所にブナって、珍しい。本来なら標高800メートルから1600メートルくらいの場所に生育するはずでしょう。しかも日本海側の多雪地帯に」僕も不思議に思って、僕の山の先生である小泉武栄教授(東京学芸大学、自然地理学)に聞いたことがある。「200〜300年ほど前の小氷期と呼ばれる気候が寒冷な時期に太平洋側の山地でも冬の積雪が増加し、一時的に日本海側のような気候になった。そのためにブナが発芽できたのではないか」
というのが有力な説らしい。温暖帯と冷温帯登り勾配が一段落した道を進むと売店などがあって、その道沿いに樹齢400年とも500年とも言われる杉の巨木が現れる。高尾山の象徴のひとつと言っていい蛸杉である。
この巨木ぶりにはびっくりだ。そこから先は1号路を離れ、山を巻くようにして通る4号路を歩いた。
周囲の雰囲気が一変する。ブナと同様、本来ならもっと標高の高い場所に生育するイヌブナやカエデ類の、それこそ様々な種類の落葉広葉樹林がそこには広がっているのだ。ケーブルカー駅の近くを周回する2号路はカシ類の常緑広葉樹林で占められているという。これらの植物分布の様子を眺めながら歩いてみると、高尾山には、稜線を挟んで温暖帯に生育する常緑の広葉樹林と、冷温帯に生育する落葉広葉樹林がひとつの小さな山に分布しているという珍しい事実がわかってくるのである。「深いですねぇ、高尾山。これは確かに『奇跡の山』ですよ」(つづく)———

陣場山、高尾山
【撮影】16時40分=伊藤 幸司
参道の、杉苗奉納の次に登場したのは奉納された不動三十六童子。36体あったかどうかわかりませんが、これは法狭護童子(ほうきょうごどうじ)だそうで、杉苗奉納の詳細を教えてくれた高尾通信の高尾山を守る青銅三六童子が、やはりわかりやすい解説ですね。
———これらの童子達は、すべて不動明王の眷属であり、ひとりひとりが1千万人の従者をもっているといいます。眷属とは、ここでは仏や観音に従うものということです。
不動明王は、観音菩薩、地蔵菩薩と共に古くから多くの人々に信仰されている仏様です。一般に観音菩薩は母親のような優しさを感じられる慈悲の形相をしています。一方、不動明王は父親のような厳しさを感じられる憤怒の形相をしています。その眷属である三六童子については、どのような者かその典拠となるお経本がないそうです。大法輪平成2年1月号に村岡空師の「日本の不動尊信仰」という文がありますがこれに「天台座主の尊意(9世紀)が撰した「吽迦迦羅野儀軌」三巻にもとずき「仏説聖不動経」が編まれ、(ここに三十六童子が出)そしてそれを真言系の行者が部分的に手直しし、現在の形が生まれた。」とあります。
三六童子の中には役割が明確でない者もいて、こんなところからも中世以降に創作されたと考えられているようです。また、三六童子の名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を背後から守護して、長寿をもたらすと言われています。これらの童子は、前述のように一人一人が1千万人の従者を率いているとされ、大眷属の頂点たる不動明王の力の偉大さを感じさせてくれます。
いずれにしても三六童子の愛らしい姿に、自分や自分の子に似た童子を探す方達もいらっしゃいますが、実は、言ってみれば不動明王の精鋭部隊長とでもいうところでしょうか。———
なお、この「高尾通信」はいかなるものかと思って見てみました。
———「高尾通信」は、個人サイトです。二十数年前に都会の喧騒に辟易していた管理人が、ここ高尾山に引っ越してきて、この高尾山の自然・歴史そして様々な民話に新鮮に驚き、感激し、この高尾山の素晴らしさをぜひ皆さんにも知っていただきたいと開設したものです。おかげさまで、このサイトを見ていただいたたくさんの方から様々な高尾山の情報を頂戴し、これを追加していくうちに、いつのまにかここまで大きなサイトに成長いたしました。———
とのこと。必見です。

陣場山、高尾山
【撮影】16時43分=伊藤 幸司
ケーブルカーの高尾山駅に近い十一丁目茶屋のところで全員が集まりました。薬王院まで十一丁(1丁/町=約100m)というところで、今回はここまで! 計画書には次のように書きました。
———今回の[covid57・復帰準備11]を4月からの糸の会の「月イチで山を歩いて、夏には北アルプス」という本来の役割として考えたら、やっぱりここは「陣馬山だけ」ではなく「高尾駅を目指して」行けるところまでいくという、体力チェックにすべきじゃないかと考えるに至ったのです。———
……で、みなさんは半信半疑のようでしたが、口頭で繰り返していたとおり、ケーブルカーで下りました。この日の行動はここで終了、です。

陣場山、高尾山
【撮影】16時50分=伊藤 幸司
ただ、その前に東京方面の展望を確かめました。景信山、城山とほとんど同じ感じで、東京スカイツリーは私の目では見えませんが、カメラの1,000mm級超望遠では見えていました。

陣場山、高尾山
【撮影】17時03分=伊藤 幸司
じつは、できればケーブルカーではなく、リフトで下りたかったのですが、動いていませんでした。高尾山のケーブルカーは日本一の急勾配なんだそうです。その最急勾配が31度18分とか。富士山の5合目以上の斜面を直線的に滑り落ちるのと同じです。
かつて三浦雄一郎がアメリカ仕込のプロスキーヤーとしてデビューしたあと、現在に至る冒険映画制作の最初となったのは1966年のチャレンジで、映画「富士山直滑降」となりました。簡単に言えばこのケーブルカーの斜面を直滑降で下って、パラシュートで制動、生還したのです。
余談の余談ですが、私は子ども時代の三浦雄一郎さんを映画で見ていました。父親が有名な三浦敬三で、北大農学部を出て青森営林署に在籍しつつ、八甲田山を足場として全日本スキー連盟で技術的な指導力を発揮していたのです。後に三浦雄一郎の映画をつくる福原フィルムが、チョロチョロと動き回る三浦雄一郎を写し込んでいたからです。
その三浦敬三に対する人物が猪谷六合雄(いがや・くにお)で1950年代に志賀高原などでパラレルスキーの普及につとめるのですが、英才教育を施した息子の猪谷千春がアメリカ留学中の1956年、コルチナ・ダンペッツォ・オリンピックの回転でトニー・ザイラーについで銀メダルを獲得したのです。三浦雄一郎がのちにドルフィン・スキーを標榜するなど、三浦vs猪谷のドラマは、日本でスキーブームを巻き起こしたトニー・ザイラーの映画「白銀は招くよ」の時代にとてつもなく面白く展開していた、と思いますね。余談ですけれど。





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