発見写真旅・展(107)――2016.5.14 天城山(46パワー) 発見写真旅・展(107)――2016.5.14 天城山(46パワー)

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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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追加1……1995年5月27-28日の天城山=伊藤 幸司
追加2……1996年5月25日の天城山=伊藤 幸司
追加3……1997年5月17日の天城山=伊藤 幸司
追加4……1998年5月26日の天城山=伊藤 幸司
追加5……2000年3月8-9日の天城山=伊藤 幸司
追加6……2000年5月21日の天城山=伊藤 幸司
追加7……2001年5月22日の天城山=伊藤 幸司
追加8……2002年5月22日の天城山=伊藤 幸司
追加9……2003年6月11日の天城山=伊藤 幸司
追加10……2005年5月21日の天城山=伊藤 幸司
追加11……2005年5月24日の天城山=伊藤 幸司
追加12……2008年5月17日の天城山=伊藤 幸司
追加13……2009年5月19日の天城山=伊藤 幸司
追加14……2009年5月27日の天城山=伊藤 幸司
追加15……2010年5月8日の天城山=伊藤 幸司
追加16……2014年5月27日の天城山=伊藤 幸司

★糸の会山行 991 天城山(46パワー)────2016.5.14
*登り9p→稜線22p→下り15p

*計画書には次のように書きました。
────────────────────────
*昨年、あちこちでシャクナゲの花芽をたくさん見ました。今年は当たり年ではないかと思います。
*東急のリゾートシャトルバスが路線バス化しているので往復とも利用する予定です。したがって歩くルートも一番軽い一周ルートになります。たぶんみなさん、最初に天城山を歩いたときのルートです。(一部違う道つけになっていますが)
*人数が少ないので、風呂は東海館とその隣の古風な味わいを楽しんでみたいと思っています。(土曜日なので時間によりますが)
*帰路を熱海からJR東海の東海道新幹線にする場合はJR東日本の3割引チケットは使えませんのでご注意下さい。また休日おでかけパス(2,670円)は小田原まで有効です。
────────────────────────
*天城山は、結論としては日本有数のシャクナゲの山です。いい年の天城山(とくに万三郎岳の稜線+北斜面)は絶品です。……そこのところまで見ていただきたいと、追加欄に私の過去の天城山を全部並べてみました。当たり外れはいろいろですが。


5月14日
・1120……天城高原ゴルフ場バス停の登山口(標高約1,050m)を出発
・1155-1200……休憩(標高約1,100m)
・1240……万二郎岳を通過(標高約1,299m)
・1250-1300……大石の展望台で休憩(標高約1,250m)
・1340-50……石楠立で休憩(標高約1,200m)
・1410-20……ブナの巨木広場で休憩(標高約1,350m)
・1445-50……万三郎岳山頂(標高1,406m)
・1530-35……新分岐で休憩(標高約1,150m)
・1730……天城高原ゴルフ場バス停登山口(標高約1,050m)
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。
佐藤 時子(12点)
伊藤 幸司(70点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:佐藤 時子






撮影:伊藤 幸司




























追加1……1995年5月28日の天城山=伊藤 幸司


追加2……1996年5月25日の天城山=伊藤 幸司


追加3……1997年5月17日の天城山=伊藤 幸司




追加4……1998年5月26日の天城山=伊藤 幸司


追加5……2000年3月9日の天城山=伊藤 幸司


追加6……2000年5月21日の天城山=伊藤 幸司




追加7……2001年5月22日の天城山=伊藤 幸司




追加8……2002年5月22日の天城山=伊藤 幸司




追加9……2003年6月11日の天城山=伊藤 幸司


追加10……2005年5月21日の天城山=伊藤 幸司




追加11……2005年5月24日の天城山=伊藤 幸司






追加12……2008年5月17日の天城山=伊藤 幸司




追加13……2009年5月19日の天城山=伊藤 幸司








追加14……2009年5月27日の天城山=伊藤 幸司




追加15……2010年5月8日の天城山=伊藤 幸司






追加16……2014年5月27日の天城山=伊藤 幸司











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【01】撮影:09時57分=伊藤 幸司
熱海から乗り換えたのは伊豆急行の「リゾート21」車両。ほぼ満席でしたが、有名な海側のシートに何人かが座れました。
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【02】撮影:11時15分=伊藤 幸司
これは登山口の駐車場。伊東駅から乗ったバスは天城高原ゴルフ場行きの「東急リゾートシャトルバス」で、写真はゴルフ場の駐車場ではなくて登山者用の公共駐車場。一時期このルートのバス便運行が怪しくなったのを「シャトルバス」というかたちで安定させてくれました。
でも、この写真、何を写しているのかあいまいです。ここに写っているバスは登山グループの帰りを待っている貸切バスです。右手にはずいぶんたくさんの乗用車があって、すべて登山客のものと考えていいでしょう。でもこの写真には写っていない。雲が湧いていますが、それでどうだというのでもありません。
じつは標高約1,050mの公衆トイレの前から今日歩く稜線を左右いっぱいに写したのです。赤い車の真上に見える丸いピークが万二郎岳(1,299m)です。これからおおよそまっすぐ登っていきますが、その道筋の左側が(直接見えませんが)ゴルフ場です。
バスの上に見える長い稜線がアセビのトンネルが続く馬の背(1,325m)、そして右端、乗用車のおしりに重なるようにほんのちょっと見えるのが最高峰の万三郎岳(1,406m)です。私たちは万三郎岳の稜線が右の林に隠れるあたりからこちら側へと下って、標高1,100m前後のトラバース・ルートでこちらへ帰ってきます。
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【03】撮影:11時45分=伊藤 幸司
周回ルートの合流点となっている「四辻」を過ぎるとアセビの古木が次々に現れます。
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【04】撮影:11時46分=伊藤 幸司
写真の下の方に見えるアセビは花が終わっていますが、その向こうにあるトウゴクミツバツツジはちょうど満開です。どちらも、アマギシャクナゲを期待できるシーズン情報です。
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【05】撮影:11時47分=伊藤 幸司
登山道は深い森の中にありますが、ときどきゴルファーの声が聞こえたりします。首都圏にはゴルフ場に沿ったハイキングルートは多いのですが、ここは絶妙な距離感で樹林の中の道という印象が守られています。
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【06】撮影:11時49分=伊藤 幸司
これは天城山では少数派のリョウブ。「令法」という漢字は「救荒植物」に由来するというのですが、どういうことなのかなかなか理解できません。樹皮がはげて独特の模様をつくるのでわかりやすい木ですが、ヒメシャラと比べるとフン! という感じがしました。
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【07】撮影:12時00分=伊藤 幸司
万二郎岳への登りでこんな咲き方のトウゴクミツバツツジを見ると、うれしくなります。シャクナゲの花が待っているというサインだと私は信じているからです。
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【08】撮影:12時02分=伊藤 幸司
これが天城のヒメシャラ。江戸幕府のお留め山としての古い記録にサルスベリと書かれている例があるようですが、日本では各地の山で、ヒメシャラとリョウブがサルスベリと呼ばれていた例があるとウィキペディアにありました。ツルツル肌の三姉妹というところでしょうか。
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【09】撮影:12時03分=伊藤 幸司
以前、ここでは道普請の石を運び上げる運動が展開されていました。今では看板が残っている程度のようですが。ここで見るように大雨が降ると道が川になります。最初の道は放棄されて、この新しい道が延びているという状況です。
登山道は、踏まれたままならかなりの強度があるのですが、土が流れないように土留め工事などすると、数年に一度というような豪雨の時に、一気に破壊されてしまいます。最近は登山道の整備を下界の造園屋さんがやったりするらしく、写真写りはいいけれど脆弱なものになっている例が多いと感じます。地面を水が流れ始めたらできるだけこまかく谷側に落とすような排水を考えないと、いくら石を積んでも持ちません。丹沢・鍋割山荘の草野延孝さんが一人で(ボランティアの強力も得て)工夫しているので、関係者はぜひ耳を傾けていただきたいところです。
なお、草野さんが初期のボッカレースに関わったという表尾根の道補修は、やればやるほど大きく破壊されていく泥沼状態に陥っていると感じます。(草野さんひとりに責任を負わすことになるといけないので、北アルプスの柏原新道の完璧さも指摘しておきます)
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【10】撮影:12時07分=佐藤 時子
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【11】撮影:
12時08分=佐藤 時子
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【12】撮影:12時11分=伊藤 幸司
私は花に詳しいわけではないのですが、ここでアセビの花を見ると、じつはドキッとするのです。来るのがちょっと早かったのかもしれない……と。
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【13】撮影:12時13分=伊藤 幸司
このヒメシャラは1本なのでしょうか、2本なのでしょうか。複雑な合体を見せてくれる屋久杉を思い出しました。
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【14】撮影:12時13分=伊藤 幸司
破壊されつつある道ですが、じつは丹沢や箱根などと比べると軽傷です。川になった道の深さは精々腰まで、あちらでは背丈より深い道がふつうですから。
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【15】撮影:12時13分=伊藤 幸司
万二郎岳の山頂に近づくと、トウゴクミツバツツジの木が密度を高めてきます。この辺に、たしか1本ぐらいシャクナゲの木があったはずですが、見つかりませんでした。
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【16】撮影:12時15分=伊藤 幸司
シャクナゲもツツジ科ツツジ属ですからトウゴクミツバツツジと混在していると考えてもいいのですが、私にはかなりはっきり棲み分けているというふうに思えます。万二郎岳の山頂直下は、トウゴクミツバツツジの群生地です。
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【17】撮影:12時23分=伊藤 幸司
雄しべを数えようとして撮っています。10本かどうかは確認できませんが、8本までは見えています。自然のまま、頭上を見上げて、スナップショットで撮るというゲームは、なかなか成功しません。が、その場で結果を確かめるほど暇ではないので、とにかく撮っておきます。楽しくなります。
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【18】撮影:12時48分=伊藤 幸司
万二郎岳の山頂を過ぎて下ったところに展望のいい大岩があります。目の前に馬の背が伸び上がり、その向こうに万三郎岳があります。右手には富士山が見える場所なのですが、この日は見えませんでした。
重要なのは、目の前のこの斜面、海に向かう南斜面にはトウゴクミツバツツジの木がたくさんあって、満開だと花の色で染められるのです。でも花はすべて終わっているようです。登ってきた道は北斜面ですから、南斜面の花は散ってしまったということなのですが、ここでトウゴクミツバツツジが満開だと北斜面のアマギシャクナゲがちょうど満開というふうに思えるのです。この状態で、今日はシャクナゲはどうなのでしょうか。ここでここでは「遅かったかもしれない」という不安がよぎります。
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【19】撮影:13時05分=伊藤 幸司
展望岩から海側に目を向けると、景観問題で一時期話題になった風力発電機が見えていました。
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【20】撮影:13時06分=伊藤 幸司
稜線をちょっと下って、馬の背への登りにかかります。
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【21】撮影:13時06分=伊藤 幸司
道筋にはあいかわらずのトウゴクミツバツツジ。
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【22】撮影:13時07分=伊藤 幸司
ツバキ科にナツツバキという高木があります。どこが似ているのか沙羅樹に名を借りてシャラノキという別名をもっています。ヒメシャラはその花がちょっと小さいとのこと。でも木はヒメと呼ぶには立派です。
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【23】撮影:13時12分=伊藤 幸司
アセビのトンネルを抜けていきます。ここで満開の花を見られるのがうれしいのかどうなのか、まだ私はシャクナゲを見ていないので判断できません。
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【24】撮影:13時12分=伊藤 幸司
ずいぶんきれいな色でした。馬酔木(あしび)という名前でこの花を見ると、馬を酔わせるのが香りや毒だけでないと思わせます。この色気にちょっとしびれる感じです。
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【25】撮影:13時12分=佐藤 時子
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【26】撮影:13時17分=伊藤 幸司
馬の背の稜線のてっぺん辺りだと思いますが、かなり大きな崩落地形が見下ろせます。駐車場のところから見上げたときに見えたのがこの傷跡です。
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【27】撮影:13時18分=伊藤 幸司
崩落地形が駐車場から見えたのだから、こちらから駐車場が見えて当然。駐車場の右端にある建物が公衆トイレです。その手前。樹林の中に見える草原がゴルフ場の端なので、私たちはその縁をたどって登ってきたことになります。
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【28】撮影:13時20分=伊藤 幸司
タチツボスミレだと思いますが、久しぶりに足元の小さな花を見つけました。
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【29】撮影:13時23分=伊藤 幸司
ここに「アセビのトンネル」という解説板がありました。右側はトウゴクミツバツツジに占拠されていますが、左側はアセビです。
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【30】撮影:13時33分=伊藤 幸司
アセビのトンネルが終わって「石楠立」(はなたて)という鞍部に下って行きます。このあたりで、トウゴクミツバツツジとアズマシャクナゲがバトンタッチするはず……なのですが。
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【31】撮影:13時37分=伊藤 幸司
今日唯一の岩場にさしかかり、私は必死にシャクナゲの花を探しています。
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【32】撮影:13時38分=伊藤 幸司
小さなハシゴがかかっています。81歳のSさんがこのハシゴをどう下るか見ていました。70歳のころから山登りを始め、同時に百名山を登り始めたのですが、グループで登るとペースが速すぎるというのでほとんどが単独行。しかも車でどこまでも走ってしまうという特異体質の人です。糸の会に参加したのはダブルストック講座がきっかけだったそうですが、最近は軽い山歩きに参加して、自分のペースを確認しているとか。
見ていると、さすがにバランスは悪くなっています。見るからに危なっかしい状態ですが、それを「安全な歩き方」で補っています。私自身もバランスの衰えを実感しているので、自分の実力とアタマでの評価に狂いが出ると危険だと感じます。そのギャップを強く意識しながら歩くのがポイントです。そういう高齢者の独特な歩き方がここで展開されていました。
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【33】撮影:13時55分=伊藤 幸司
本来ならここにシャクナゲの花のひとつ、ふたつを見つけたいところでした。ありません。見えなかったという証明のために撮っています。
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【34】撮影:13時59分=伊藤 幸司
ようやくアズマシャクナゲと出会いました。たったひと株、そしてたったひと枝という感じでしたが、花はちょうどきれいな状態でした。
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【35】撮影:14時00分=伊藤 幸司
シャクナゲとの初対面のあたり。アセビは、いくぶん爛熟状態でした。
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【36】撮影:14時04分=伊藤 幸司
鞍部の石楠立(はなたて)から万三郎岳への登りにかかりました。登山道は稜線の中央をたどっているので、右側の北斜面を覗くと、アズマシャクナゲの木がポツポツと見えてきました。
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【37】撮影:14時07分=伊藤 幸司
道際で、花をつけているシャクナゲがありました。これが花。今年の天城山の花はおおよそこんな感じのようです。咲いている花のほかに花芽がほとんどないのです。
昨年、何か所かで花芽が驚くほどたくさんついたシャクナゲを見たので、豊作だろうと考えていたのですが、天城山ではおおよそこれが今年の花数という感じのようです。(ネット情報にも2016年は豊作という場所もありました)
シャクナゲは花が咲いた翌年は葉芽が出て、その次の年に花芽が出るとされます。そのサイクルが重なって全国的な大豊作となるのが10年に一度、20年に一度となるので、糸の会では2005年にシャクナゲ・シリーズとして天城山・甲武信ヶ岳・屋久島・高山・八ヶ岳・秋田駒ヶ岳と集中的に実施しました。その前の大豊作は天城山で最初に見た1995年。
実は、天城山では2010年に大雪で古木の大木がバッタバッタ倒れました。シャクナゲへの影響はあまり大きくなかったようですが、以後足がちょっと遠ざかっていたのです。
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【38】撮影:14時09分=伊藤 幸司
かなり立派なヒメシャラの木でした。この木の人生の、苦闘の歴史が刻まれているようです。
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【39】撮影:14時10分=伊藤 幸司
この辺りはシャクナゲの群生地。豊作の年なら花が大きな壁を作ります。ここでは花はひと枝だけ咲いています。
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【40】撮影:14時11分=佐藤 時子
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【41】撮影:14時13分=伊藤 幸司
2010年の大雪でこのブナの古木広場は壊滅状態になりました。重い雪が広げた枝に降り積もって、真上から圧殺するのです。元気な木がへし折られるのがその特徴ですが、ここでは体内に空洞を抱えた古木が粉砕されていました。
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【42】撮影:14時14分=佐藤 時子
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【43】撮影:14時14分=佐藤 時子
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【44】撮影:14時15分=伊藤 幸司
昔の写真と見比べてみると、こんなふうにツタのからまる木は見つかりません。環境がガラッと変わってしまったのかもしれません。
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【45】撮影:
14時15分=佐藤 時子
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【46】撮影:14時16分=伊藤 幸司
これがこのあたりでいちばん華やかだったアズマシャクナゲ。
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【47】撮影:14時18分=伊藤 幸司
2010年の雪害ですが、倒れるべくして倒れたという感じもします。
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【48】撮影:14時18分=伊藤 幸司
シャクナゲの花を覗いてみました。
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【49】撮影:
14時23分=佐藤 時子
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【50】撮影:14時26分=伊藤 幸司
万三郎岳への登りにかかると見栄えのいい花が出てきました。
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【51】撮影:14時26分=伊藤 幸司
こういう気分が味わえると、天城山に来た甲斐が、あったと思えます。
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【52】撮影:14時26分=伊藤 幸司
今回一番花つきのいい木であったかと思います。
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【53】撮影:14時26分=佐藤 時子
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【54】撮影:14時27分=伊藤 幸司
登山道をふさぐように見えるシャクナゲのトンネルですが、さすがに今年は葉っぱの割合が多いようです。
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【55】撮影:14時27分=佐藤 時子
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【56】撮影:14時28分=伊藤 幸司
ここまで来て、アセビが存在感を見せていました。
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【57】撮影:14時28分=佐藤 時子
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【58】撮影:14時29分=伊藤 幸司
なかなか姿のいいブナの木です。
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【59】撮影:14時30分=佐藤 時子
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【60】撮影:14時50分=伊藤 幸司
万三郎岳山頂(1,405m)のこの地点から、以前は向こう側、北斜面に下る道があったのですが、現在は閉鎖されています。
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【61】撮影:15時00分=伊藤 幸司
万三郎岳の先から下る、新しい下山路です。下り始めの急斜面が土留めの階段になりました。なぜ新しいルートをつくったのか、私にはわかりません。何本かのすばらしいシャクナゲを見ることができなくなりました。
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【62】撮影:15時12分=伊藤 幸司
新しい下山路の主役はトウゴクミツバツツジです。シャクナゲと違って、花をいっぱい咲かせていました。
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【63】撮影:15時13分=伊藤 幸司
万三郎岳の北斜面になるのですが、おおらかな森の中に、トウゴクミツバツツジが鮮やかな点景をつくっています。
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【64】撮影:15時15分=伊藤 幸司
しばらく姿を見せなかった印象のヒメシャラが登場してきました。
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【65】撮影:15時17分=伊藤 幸司
万三郎岳の北斜面はアズマシャクナゲの群生地なので、シャクナゲがないわけではありません。道筋になかっただけで、下っていくとポツンポツンと出現しました。
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【66】撮影:15時24分=伊藤 幸司
ブナの若葉が空の自分の領域を美しく埋めていました。
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【67】撮影:15時25分=伊藤 幸司
傾いた太陽のおかげで、見上げる風景がなかなか美しいものになってきました。
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【68】撮影:15時26分=伊藤 幸司
ヒメシャラの幼樹が林立していました。皮子平(かわこだいら)火口跡のような不思議な風景の中を抜けていきます。
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【69】撮影:15時38分=伊藤 幸司
下りきると水平トラバースが始まります。こんないい道がずっと続くわけではありませんが標高1,100m前後を天城高原ゴルフ場バス停に向かってひたすら進むことになります。
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【70】撮影:15時49分=伊藤 幸司
もう主役の座にはありませんが、シャクナゲが点在する斜面が続きます。
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【71】撮影:16時03分=伊藤 幸司
こういう場所にあると、こんな状態の花の付き方でもほとんど不満を感じません。林内にひっそりと咲く雰囲気が、またいいもんだ、という感じです。
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【72】撮影:16時07分=伊藤 幸司
これだけ咲いていれば満足です。
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【73】撮影:16時10分=伊藤 幸司
道はだんだん乱暴な感じになって、ペースはかなり落ちてきました。
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【74】撮影:16時49分=伊藤 幸司
ヒメシャラが主役の森が登場しました。ヒメシャラは一致団結して他者の侵入を許さないできたのでしょうか。若木の純林がそのまま巨木にまで育ってきた結果がここにあると感じます。
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【75】撮影:16時52分=伊藤 幸司
天城山はほとんど全域が江戸幕府のお留め山になっていて最終的に「九木制」と呼ばれるものでは、ケヤキ、マツ、スギ、ヒノキ、カヤ、クスノキ、カシ、モミ、ツガが建築資材として厳しく管理されたといいます。ヒメシャラは役に立たなかったからのんびり生きてきたのでしょうか。
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【76】撮影:16時52分=伊藤 幸司
まっすぐ育てばいいようなものなのに、けっこうねじれた人生を送ってきたみたいに感じます。
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【77】撮影:17時04分=伊藤 幸司
しなを作るというのでもないようですし、何事もなくスクスク育っているともいえないでしょう。奔放でもないし、ひねくれているというほどでもない。周囲の仲間との関係が絶妙だと、ここでは感じましたが。
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【78】撮影:17時04分=伊藤 幸司
道はもう終盤だと感じながらも、なかなか決着がつきません。バスの時刻にギリギリという感じにもなってきました。
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【79】撮影:17時10分=伊藤 幸司
四辻のところ、もうほとんど登山口というところに、シカがいました。
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【80】撮影:17時33分=伊藤 幸司
列の先頭のところが登山口です。土曜日なのでこれだけの登山者がいました。バスは17時40分なのでトイレに行く時間はありましたが、計画書では万三郎岳から2時間としておいたのに、2時間40分かかりました。
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【81】撮影:17時33分=伊藤 幸司
もう一度、公衆トイレの前で、歩いてきた稜線を撮りました。ここから万二郎岳(左端)まで1時間20分、万三郎岳までの稜線が2時間、万三郎岳からここまでが2時間40分という「時間距離」でした。
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【82】撮影:19時45分=伊藤 幸司
1本前のバスに乗れれば、伊東の古い木造旅館の旧「東海館」と旧「いな葉」での入浴を狙っていたのですが、時間のつごうで伊東マリンタウンのシーサイド・スパへ。食事もそこで。

追加1……1995年5月27-28日の天城山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター横浜の第39期実技登山「伊豆・天城山」です。
*1983年に始まった朝日カルチャーセンター横浜の登山講座「山登りの手帳・40歳からの登山入門教室」は1995年の第40期白毛門で終了します。そのひとつ手前で天城山に行きました。
*これは講師5人という大型の登山講座で、最後に新旧受講生を対象にした実技がありました。実技担当講師は長谷川恒男さんとその子分たち、それから小西政継さんの一の子分・大宮求さんと続いて、第9期からは天才クライマーと呼ばれた根岸治さんになりましたが、1993年に根岸さんは癌でお亡くなりになりました。そこで助っ人を買って出てくれたのが今井通子さんの一の子分で根岸さんに近い大蔵喜福さん。このときも大蔵さんが実技担当で1泊で湯河原の幕山と翌日の天城山縦走を実施しました。
*ちなみに他の講師は気象の飯田睦治郎さん、救命救急の澤木勇二さん、山岳写真の内田良平さんと地図担当の伊藤幸司で、根岸さんが闘病生活に入ったあたりからは最後の2人、内田さんと私とで実技を支えていました。一流の登山家の初心者向けの指導法を見るうちに、私は自分自身でやってみたいと考えるようになりました。
*ちなみに朝日カルチャーセンター横浜の講座は、当初は朝日カルチャーセンター新宿の「女性のための登山教室」と並んで中高年登山の牽引役を果たしていたと思うのですが、長期低迷が続いていて、このまま続けていてもしょうがないという気持ちになり、この講座のエッセンスをまとめて『トレーニング不要! おじさんの登山術』(朝日新聞社・1990年)を出しました。そのとき朝日新聞出版局で原稿に目を通していただいた長塚進吉さんが朝日カルチャーセンター千葉に出向したことによって、1996年から2010年まで385回にのぼる登山講座がスタートするのです。
*この日の行動はほとんどわかりませんが、後に糸の会に参加する岡田 恭子、伊藤 義子、市野 武、加瀬 春江、高波 さよこ、田野 栄根、奥田 勝人、高橋 美枝、鈴木 早苗、磯部 錦一という皆さんが参加しています。当時の資料を見ると夜のミーティングで岡田さんが「野草料理を教えています。普段は平地での活動なので、これからは足を鍛えたい」と語っています。
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【83】撮影:1995年5月28日=伊藤 幸司
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【84】撮影:1995年5月28日=伊藤 幸司
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【85】撮影:1995年5月28日=伊藤 幸司
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【86】撮影:1995年5月28日=伊藤 幸司
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【87】撮影:1995年5月28日=伊藤 幸司

追加2……1996年5月25日の天城山=伊藤 幸司

*糸の会の10回目の山行です。計画書を見ると東京駅06時17分始発の東海道新幹線こだまで熱海まで行って、07時45分伊東着というのが「C」案。A案とB案は前泊で、08時00分伊東駅集合としています。当初は前泊で考えていたところ、横浜方面からの参加者が多かったので、全員日帰りになってしまったというのが真相だったようです。
*0845天城高原ゴルフ場出発。1010-25万二郎岳の大石展望台、1105-15石楠立、1155-1240万三郎岳、1355-1410白田峠、1730天城峠。
*ここでは万三郎岳までの写真に限定しています。
参考=1996.5.25天城山
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【88】撮影:1996年5月25日=伊藤 幸司
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【89】撮影:1996年5月25日=伊藤 幸司
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【90】撮影:1996年5月25日=伊藤 幸司
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【91】撮影:1996年5月25日=伊藤 幸司
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【92】撮影:1996年5月25日=伊藤 幸司

追加3……1997年5月17日の天城山=伊藤 幸司

*計画書には次のように書かれています。
────────────────────
*1995年には5月27日に朝日カルチャーセンター横浜のみなさんと行きましたが20年来というような素晴らしいシャクナゲの満開でした。
*翌年の1996年は5月25日に糸の会で行きましたが花ほとんど完全にゼロ、というだけでなく花芽もほとんどない状態でした。不作の極みという年であったようです。ただ、私たちは万三郎岳から先で素晴らしく贅沢な山歩きを楽しむことができました。
*今回は、もちろんシャクナゲ目当ての計画ですが、日帰りで、できるだけ軽くして、超初心者の人でも楽しめるようなカタチにしています。相模湖の石老山と同じサイズ、ということを確認していただきたいと思います。
────────────────────
*この日の行動は1130天城高原ゴルフ場登山口を出発。1310万二郎岳、1540万三郎岳、1620涸沢分岐、1735四辻、1800ごろ天城高原ゴルフ場登山口。
参考=1997.5.17天城山
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【93】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【94】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【95】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【96】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【97】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【98】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【99】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【100】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【101】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司
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【102】撮影:1997年5月17日=伊藤 幸司

追加4……1998年5月26日の天城山=伊藤 幸司

*八王子そごう友の会「レディスクラブ」では1992年から2001年にかけて53回の山歩きを実施しました。担当の青木 勉さんと宮城 真一さんが熱心で「駅前からバス」と「弁当付き」が人気の的だったとか。バス代と弁当代込みで9,870円。タイトルは「天城万三郎岳とシャクナゲの花」。
*この日の行動は1215天城高原ゴルフ場登山口出発。1330万二郎山頂通過、1335-45大石の展望台で休憩、1435-45石楠立で休憩、1505-15ブナの巨木広場で休憩、1530-40万三郎山頂で休憩、1625涸沢分岐、1755四辻、1820天城高原ゴルフ場登山口到着。
参考=1998.5.26天城山
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【103】撮影:1998年5月26日=伊藤 幸司
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【104】撮影:1998年5月26日=伊藤 幸司
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【105】撮影:1998年5月26日=伊藤 幸司
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【106】撮影:1998年5月26日=伊藤 幸司
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【107】撮影:1998年5月26日=伊藤 幸司

追加5……2000年3月9日の天城山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉では毎月泊まりがけ企画を実施していましたが、冬は悩みます。そこで暖かい伊豆での冬企画に登場したのがこの「天城山縦走」。下田の安宿に泊まって1日目は寝姿山から高根山。2日目に宿のマイクロバスで天城峠まで送ってもらって天城高原ゴルフ場登山口まで縦走、という計画でした。
*2日目のこの日の行動は、0710に天城峠を出発。1220-40万三郎岳山頂。1340-50万二郎岳山頂、1440四辻、1500ごろ天城高原ゴルフ場登山口。写真は万三郎岳山頂以降です。
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【108】撮影:2000年3月9日=伊藤 幸司
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【109】撮影:2000年3月9日=伊藤 幸司
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【110】撮影:2000年3月9日=伊藤 幸司
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【111】撮影:2000年3月9日=伊藤 幸司
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【112】撮影:2000年3月9日=伊藤 幸司

追加6……2000年5月21日の天城山=伊藤 幸司

*0724東京始発のJR東海道本線・普通伊東行きでの日帰りです。
*この日は1140天城高原ゴルフ場登山口を出発。1200-15標高約1,100mで休憩、1305-35万二郎岳の大石展望台で休憩、1430-1500ブナの巨木広場で休憩、1530-35万三郎岳山頂、1600涸沢分岐、1700四辻、1713天城高原ゴルフ場登山口。
参考=2000.5.21天城山
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【113】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【114】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【115】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【116】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【117】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【118】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【119】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【120】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【121】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司
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【122】撮影:2000年5月21日=伊藤 幸司

追加7……2001年5月22日の天城山=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクールは2000年から2005年まで60回実施しました。主婦が出やすくなるように出発時刻を遅めにしてあるため、0831東京始発の東海道新幹線こだまを利用しています。
*この日の行動は1040天城高原ゴルフ場登山口出発。1205四辻、1230-35標高約1,150mで休憩、1305-20万二郎岳の大石展望台で休憩、1415-30石楠立で休憩、1445-1500ブナの巨木広場で休憩、1525-30万三郎山頂、1740四辻、1800天城高原ゴルフ場登山口。
参考=2001.5.22天城山
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【123】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【124】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【125】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【126】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【127】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【128】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【129】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【130】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【131】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司
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【132】撮影:2001年5月22日=伊藤 幸司

追加8……2002年5月22日の天城山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の天城山。シャクナゲの時期の計画はこれが初めてです。計画書には次のように書きました。
────────────────────
*天城山のシャクナゲは一見の価値があります。今年はちょっと遅いかもしれませんが、私は結局以下のように天城山に登っています。95.5.27、96.5.26、98.5.26、00.5.21、01.5.22。最初の95.5.27が、じつは何十年ぶりという花見年でしたので、それを追いかけてみたのです。かなりひどい年もあり、昨年はすこし早いながら、かなり満足できるシャクナゲを見ました。今年はどうでしょうか。
*それと、今年のメインは皮子平。昨年、タクシーの運転手から本気で推薦されました。地元の人が「素晴らしい」というのです。なにがどうだかわかりませんが、地図を見ると曰くありげな地形です。お楽しみに。
────────────────────
*この日の行動は1050天城高原ゴルフ場登山口を出発。1115-20標高約1,100mで休憩、1200万二郎岳山頂、1205-30大石展望台で休憩、1305-15石楠立で休憩、1330-50ブナの巨木広場で休憩、1405-15万三郎岳山頂。以後戸塚峠から皮子平を経て筏場新田方面へ。ここでの写真は万三郎岳山頂まで。
参考=2002.5.22天城山
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【133】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【134】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【135】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【136】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【137】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【138】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【139】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【140】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【141】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司
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【142】撮影:2002年5月22日=伊藤 幸司

追加9……2003年6月11日の天城山=伊藤 幸司

*前年の天城山が予想以上によかったので、この年には同じ朝日カルチャーセンター千葉の「軽めの日帰り」に天城山を加えました。
*このシリーズは……「軽めの日帰り」の山歩きです。集合の目安はJR山手線駅で午前8〜9時。明るいうちに下山して、入浴・食事に2時間とって、山手線駅に午後8〜9時に戻ってくるという約12時間の計画が基本です。初参加の方がいる場合は入門バージョンに、そうでなければいくぶんハードに色づけするつもりです。……としていました。それに従って0813東京始発の東海道新幹線こだまを利用しました。
*前年初めて訪れた皮子平を目的のひとつにして、シャクナゲには遅くてもヒメシャラの新緑を楽しめると考えたのですが、時間に遅れが生じたため、万三郎岳から下って天城高原ゴルフ場へと戻る周回ルートに変更しました。
*この日の行動は1055天城高原ゴルフ場登山口を出発。1115-20四辻で休憩、1225万二郎岳山頂、1230-45大石の展望台で休憩、1335-45石楠立で休憩、1410-30ブナの巨木広場で休憩、1450-1500万三郎岳山頂、1525-30標高約1,300mで雨具を着る、1705四辻、1725天城高原ゴルフ場登山口。
参考=2003.6.11天城山
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【143】撮影:2003年6月11日=伊藤 幸司
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【144】撮影:2003年6月11日=伊藤 幸司
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【145】撮影:2003年6月11日=伊藤 幸司
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【146】撮影:2003年6月11日=伊藤 幸司
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【147】撮影:2003年6月11日=伊藤 幸司

追加10……2005年5月21日の天城山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の「第3土曜日」のシリーズで天城山をやりました。一度いい山を見つけると、これまでやっていなかった講座に計画を組み込みます。カルチャーセンターの登山講座は3か月単位で実施されますが、じつは半年ごとに計画を立てます。しかも毎月の実施日は、たとえばこの「第3土曜日」のように決まっています。すこし無理だと思ってもやってしまう理由はそういうところにあるのです。糸の会も同じシステムをとっているので、最大時に月8回(10日)というような場合には、私自身には同じ計画が続くということも起こります(じつは3日後に糸の会の「第4火曜日」の天城山がありました)
*計画書にはこう書きました。
────────────────────
*とにかくシャクナゲが見モノです。ミツバツツジもお楽しみに。時期的にはベストのはずですが、今年はどうでしょうか。
*帰路はバスに間に合えばバスで、ダメならいくぶん近い伊豆高原駅からタクシーを呼んで、と考えています。伊豆高原駅なら立ち寄り湯に、伊東なら駅前の素朴な共同湯がいいかも……と。
*テレビで伊東のアジの干物を揚げると、絶妙にうまいとやっていました。
────────────────────
*この日の行動は1135天城高原ゴルフ場登山口を出発。1155-1210四辻で休憩、1300-15万二郎岳の大石展望台、1355-1400石楠立で休憩、1420-35ブナの巨木広場で休憩、1445-1500万三郎岳山頂。
*ここで計画を変更。周回ルートへ下らずに、今来た稜線の道を戻ることにしました。計画書の予定では「1500ごろ万三郎岳」でしたから遅れてはいなかったのですが、(なぜだったか、理由は思い出せませんが、携帯電話でタクシーを呼びながら戻るために稜線の道を選んだのです。電話は万三郎岳の山頂でようやくつながったと記録にあります)ということで、1550-55万三郎岳で休憩、1635四辻、1645天城高原ゴルフ場登山口到着。
参考=2005.5.21天城山
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【148】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【149】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【150】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【151】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【152】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【153】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【154】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【155】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【156】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司
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【157】撮影:2005年5月21日=伊藤 幸司

追加11……2005年5月24日の天城山=伊藤 幸司

*3日前の天城山で万三郎岳から稜線を引き返した理由が、この計画書でわかりました。
────────────────────
*天城山のシャクナゲは、おそらくみなさん、すでにごらんになっていると思います。今年はどうも、時期がドンピシャのようです。お楽しみに。
*それから、万三郎岳から下る周回路が豪雨崩壊によって閉鎖されているとのことです。引き返すのもシャクですから、新緑の迷路へ足をのばしましょう。皮子平という知る人ぞ知るという不思議なところ。そのあと新緑のきれいな林道を経て修善寺側に抜けます。
────────────────────
*この日の行動は10時55分天城高原ゴルフ場登山口を出発。1110-20四辻で休憩、1220-40万二郎岳の大石展望台で休憩、1320-25石楠立で休憩、1345-1410ブナの巨木広場で休憩、1430-45万三郎岳山頂。以後皮子平を経て1800筏場新田バス停手前でタクシー乗車。
参考=2005.5.24天城山
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【158】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【159】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【160】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【161】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【162】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【163】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【164】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【165】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【166】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司
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【167】撮影:2005年5月24日=伊藤 幸司

追加12……2008年5月17日の天城山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンターの「第3土曜日」のシリーズで再び天城山を計画しました。この頃は「山なしの千葉県」での中高年登山がブームになって、入門の新講座を開設すると定員が埋まるという状態でした。1996年から始まる「第4水曜日」と「第2水曜日+翌日」で大きな山、高い山を計画していたので、元気な人にはどんどんそちらに移ってもらおうと入門編のプログラムを短期間でリフレッシュする傾向がありました。その気分が計画書にも垣間見えます。
────────────────────
*毎年5月になると天城山に行きたくなります。日本有数のシャクナゲの山だと思います。巨木のシャクナゲをご期待下さい。
*シャクナゲは数年ごとに豊作があって、10年ごと、あるいは20年ごとに大豊作があります。前年中には花芽の付き方でわかるのですが、その大豊作の年に各地のシャクナゲを見て回っても、地域差や時期のずれでベストの状態で見られるわけではありません。今年、この時期、天城山はどうでしょうか。
*万三郎岳からダイレクトに下るシャクナゲルートが閉鎖になってかなり年数がたちますが、エスケープルートができているようです。今回はそれを下ってみようかと考えています。
*今回初めて出席される方がいらっしゃると思います。この土曜日コースはJR東日本のホリデーパスを利用することが多いのですが、今回は東海道本線の平塚まで有効です。そこから先の乗り越し分が片道950円になります。ホリデーパスは各駅の券売機の「トクトクきっぷ」ボタンを押すと(ただし土休日などの該当日に限ります)選択ボタンが現れます。2,300円でご自宅の最寄り駅から乗り降り自由になります。ただし帰りに新幹線を利用したい場合、JR東海の東海道新幹線にはまったく関係がないので、別途に運賃+料金を購入する必要がでてきます。じつは熱海は東海道新幹線では完全なローカル駅になってしまったので、待ち時間があったりすると、在来線とあまり変わらないという印象にもなります。念のため。
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*この日の行動は1140天城高原ゴルフ場登山口を出発。1200-10四辻で休憩、1305-15万二郎岳大石展望台で休憩、1355-1405石楠立で休憩、1430-40ブナの巨木広場で休憩、1500-10万三郎岳山頂、1545涸沢分岐を通過、1555-1600休憩、1650-1705四辻で休憩、1720天城高原ゴルフ場登山口。
参考=2008.5.17天城山
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【168】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【169】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【170】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【171】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【172】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【173】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【174】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【175】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【176】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司
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【177】撮影:2008年5月17日=伊藤 幸司

追加13……2009年5月19日の天城山=伊藤 幸司

*糸の会の軽い山歩きのシリーズです。計画書を見ると「去年が恐ろしいほどの不作でしたから、今年は期待できるのではないかと思います」という、あまり根拠のない理由を掲げています。
*「万三郎岳から下る周回路が新しくなって、ほとんどシャクナゲを期待できない状態です。そこで今回はそのルートの先、万城の滝へと下りたいと思います」という計画でした。
*この日の行動は1100天城高原ゴルフ場登山口を出発。1115-35四辻で休憩、1235-50万二郎岳の大石展望台で休憩、1325-30石楠立で休憩、ブナの巨木広場で休憩、1430-40万三郎岳山頂、1500-05休憩、1530涸沢分岐。以後天城山の周回路から分かれて1730万城の滝でタクシーに乗車。
参考=2009.5.19天城山
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【178】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【179】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【180】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【181】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【182】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【183】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【184】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【185】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【186】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【187】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【188】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【189】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【190】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【191】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【192】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【193】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【194】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【195】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【196】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司
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【197】撮影:2009年5月19日=伊藤 幸司

追加14……2009年5月27日の天城山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の基本講座「第4水曜日」の166回目になります。当初は月に日帰り1回でしたが、大きな山に挑戦するには小屋泊まりの企画も必要だということで「第2水曜日+翌日」というシリーズも60回行われてきました。参加者の中にはすでに200回もご一緒している人が何人かいるというほどのベテラン対応企画です。
*例によって計画書の記述から。
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*天城山のシャクナゲは、去年が恐ろしいほどの不作でした(土曜日コースの皆さんがその貴重な体験をされました)から、今年はすこしは期待できるのではないかと思っていたところ、5.19日にはすばらしい満開状態でした。1週間経ちましたからもう遅い花もあるとは思いますが、つぼみもたくさんありました。
*「縦走」としましたが、千葉へ帰るにはどうにも時間が足りません。以前「皮子平」という不思議な風景のところへ立ち寄ったことがありますが、今回は「万城の滝」です。1時間強の林道をお楽しみ下さい。
*今回はやむを得ず東海道新幹線を使います。ジパング倶楽部は利用できますが、JR東日本の大人の休日倶楽部は対応外になります。また伊東までの在来線はJR東日本なのですが、新幹線を使うとそれも無効になります。もちろんノーマルチケットならどちらでも自由に利用できます。
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*この日の行動は1050天城高原ゴルフ場登山口を出発。1110-20四辻で休憩、1210-20万二郎岳の大石展望台で休憩、1310-30ブナの巨木広場で休憩、1345-50万三郎岳山頂で休憩、1445-55標高約950mで休憩、1515涸沢分岐から万城の滝方面へ、1710万城の滝でタクシーに乗車。
参考=2009.5.27
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【198】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【199】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【200】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【201】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【202】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【203】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【204】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【205】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【206】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司
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【207】撮影:2009年5月27日=伊藤 幸司

追加15……2010年5月8日の天城山=伊藤 幸司

*わりとのんきな気分で天城山へ出かけたのですが、そこはまるで墓場でした。3月9-10日の大雪で、古木と、枝を張った元気な木がバッタバッタと倒れていたのです。雪害は関東では春の大雪で見ることがありますが、湿って重い雪が枝振りのいい元気な木にのしかかって、上からの力で圧殺するのです。
*この日の行動は1045天城高原ゴルフ場登山口を出発。1110-20四辻、1240-50万二郎岳大石展望台、1335-45石楠立、1410-25ブナの巨木広場、1450-55万三郎岳山頂。以後皮子平を抜けて1820筏場新田の林道でタクシーに乗車。
参考=2010.5.8天城山
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【208】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【209】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【210】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【211】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【212】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【213】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【214】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【215】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【216】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【217】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【218】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【219】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【220】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【221】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司
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【222】撮影:2010年5月8日=伊藤 幸司

追加16……2014年5月27日の天城山=伊藤 幸司

*久々という感じで天城山を計画しました。2010年の雪害があったので、恐る恐る……という感じでもありました。
*計画書を見ると、改めて天城山、という感じだったと思います。
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*天城山は2010年の大雪で古木がバッタバッタ倒れました。以来、今回が初めてです。あのブナの大木も倒れましたが、シャクナゲはおおむね無事だったように思いました。さて、今年はどうでしょうか。
*東急のリゾートシャトルバスが路線バス化しているので往復とも利用する予定です。したがって歩くルートも一番軽い一周ルートになります。
*人数が少ないので、風呂は東海館とその隣の古風な味わいを楽しんでみたいと思っています。
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*この日の行動は1120天城高原ゴルフ場を出発。1205-10標高約1,100mで休憩、1240-50万二郎岳の大石展望台で休憩、1410-20ブナの巨木広場、1450-55万三郎岳、1555-1600涸沢分岐から0.5km地点で休憩、1645-50四辻、1710天城高原ゴルフ場登山口。
参考=2014.5.27天城山
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【223】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【224】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【225】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【226】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【227】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【228】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【229】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【230】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【231】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【232】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【233】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【234】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【235】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【236】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【237】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【238】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【239】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【240】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【241】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【242】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【243】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【244】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【245】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【246】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司
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【247】撮影:2014年5月27日=伊藤 幸司

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