発見写真旅・展(124)――2016.10.25 瑞牆山(44パワーを途中下山)<b> 発見写真旅・展(124)――2016.10.25 瑞牆山(44パワーを途中下山)


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追加1……2016年12月24日の報告=瑞牆山で途中引き返して想う・櫻田 英治

追加2……1996年10月26-27日の瑞牆山=伊藤 幸司

追加3……1998年9月9日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加4……1999年8月26日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加5……1999年10月20日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加6……2002年9月25日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加7……2002年10月12日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加8……2002年10月22日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加9……2006年7月26日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加10……2009年8月1日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加11……2011年7月9日の瑞牆山=伊藤 幸司
追加12……2014年10月11日の瑞牆山=伊藤 幸司

★糸の会山行 1009 瑞牆山(44パワーを途中下山)────2016.10.25
*登り21p→下り23p……を途中下山

*黄金に輝くカラマツの紅葉と山頂からの秋の展望を狙ったシンプルな計画でしたが、天気は雨、おまけに体調の悪い人が出たために、標高約2,100mで撤退しました。ちなみに瑞牆山は標高2,230mです。
*糸の会では天気は予報と実態とが必ずしも同一ではないという伊藤の持論で、雨でも、台風でも現地に行くのが大原則。台風のときにはとくに商品としての予報と、現実とのギャップが大きく、そのことがドラマチックによく見えることが多いので、計画は現場で柔軟に判断することを原則としています。
*さらに雨の日には山歩きの楽しさが大幅に減少する、というのは事実ですから、基本的に「歩き方」を見つめる機会を設ける努力をします。単純に言って、濡れた登山道をきちんと歩くことは、歩き方のブラッシュアップに大きく貢献します。それと考え方ですが、1週間も山に入っている縦走登山というジャンルを視野の中に入れれば、高い確率で雨に降られます。日帰りの登山で天気予報によって実施と中止を決めるという考え方の人が多いようですが、予報天気と実体天気のギャップが山と平野部ではさらに大きいうえに、雨に遭わない登山という原則でもし雨になったとき、そこに生じるリスクの増大とどう向き合うつもりなのでしょうか。糸の会では、雨の日の登山の体験がメンバーの皆さんの貴重な体験となってチームとしてのレベルアップにつながっていることを感じています。

*今回、写真は極めて少ないのですが、ダブルストックでの下りの技術的な解説に力点をおきました。


10月25日
・1110……みずがき山荘バス停を出発(標高約1,500m)気温9度C
・1140-45……衣類調節の休憩(標高約1,550m)
・1210……富士平小屋を通過(標高約1,800m)
・1235-50……天鳥川で休憩(標高約1,800m)
・1340……Sさんの高度障害症状により下山を決定(標高約2,100m)
・1410-15……休憩(標高約2,000m)
・1450-1505……眺めの休憩(標高約1,850m)
・1555……富士平小屋を通過(標高約1,800m)
・1625……林道を経て登山道へ(標高1,700m)
・1710……みずがき山荘バス停に到着(標高約1,500m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。
矢野 博子(7点)
伊藤 幸司(17点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:矢野 博子




撮影:伊藤 幸司








追加2……1996年10月26-27日の瑞牆山=伊藤 幸司








追加3……1998年9月9日の瑞牆山=伊藤 幸司








追加4……1999年8月26日の瑞牆山=伊藤 幸司






追加5……1999年10月20日の瑞牆山=伊藤 幸司




追加6……2002年9月25日の瑞牆山=伊藤 幸司




追加7……2002年10月12日の瑞牆山=伊藤 幸司








追加8……2002年10月22日の瑞牆山=伊藤 幸司




追加9……2006年7月26日の瑞牆山=伊藤 幸司






追加10……2009年8月1日の瑞牆山=伊藤 幸司








追加11……2011年7月9日の瑞牆山=伊藤 幸司








追加12……2014年10月11日の瑞牆山=伊藤 幸司

























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【01】撮影:10時47分=矢野 博子
瑞牆山荘にバスで到着。あやしげな 雲行きだったので ゴアの合羽を着込み 腹ごしらえをしてからスタート。道路脇のもみじは 赤くきれいだった。
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【02】撮影:11時05分=伊藤 幸司
09時30分韮崎駅始発のバスで終点のみずがき山荘に10時45分着。トイレに行き、雨具をつけました。
火曜日なので以前ならタクシーで行くところ、今では平日でも1日4便のバスが運行しています。山梨峡北交通(須玉三共タクシー)の頑張りで乗り合いタクシーふうのマイクロバスから土休日運行となり、今では平日も。さすがに「日本百名山」の瑞牆山といえますが、じつはこのバス、地域の観光施設を大回りに回って1時間以上もの観光ドライブを楽しめるという趣向。韮崎駅から増富温泉経由で瑞牆山というストレートなバス便しかない時期には登山客が入浴して次の便に乗れるというチケットにしていましたが、それだけの運行サービスでは集客できないという判断、あるいは遠回りバスによる地域おこしなど、試行錯誤で試みた結果でしょうか。
ともかく、天気予報では間違いなく雨というこの日に、いつもどおり覚悟の参加のみなさんです。
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【03】撮影:11時18分=伊藤 幸司
日程的にはカラマツの紅葉まっさかりのはず……なのですが、歩き始めた標高約1,500mでこの状態。紅葉が遅いのか、気候が悪いのか、雨模様の風景がちょっとさみしく見えてきました。
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【04】撮影:11時22分=伊藤 幸司
マムシグサは、花(火炎包)も実もユニークですが、葉っぱのつき方も独特です。枝は2本しか出ていないのに、たくさんの葉がフレアスカートのような雰囲気を作り上げます。写真のこのマムシグサでは、ちょっとくたびれた感じではありますが。
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【05】撮影:11時29分=伊藤 幸司
これはまだ序の口。林道を横切るまでは足慣らし。え? こんな石もあるの? という感じ。
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【06】撮影:11時34分=矢野 博子
今年の紅葉は 例年ほどきれいではないと バスの運転手さんの話だった。すでに 大半の葉は 落ち 道路は 落ち葉で 色とりどりに敷き詰められていた。
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【07】撮影:12時46分=伊藤 幸司
富士見平小屋から尾根の背後に回り込んで、天鳥川を渡ると桃太郎岩。岩を支えている……杖代わりの棒ですが、これほど多くなると棒のほうが岩にもたれかかっている感じに傾いてしまいます。
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【08】撮影:12時46分=伊藤 幸司
桃太郎岩のところで休憩。登りに雨具は、やはり重苦しい雰囲気になります。
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【09】撮影:13時10分=伊藤 幸司
『日本百名山』で深田久弥は瑞牆山の登山は「変化のある楽しい道であった」と書いています。「清流の谷川を渡ると、間もなく縦に割れ目の入った巨岩が現れる。みごとな岩である。そのあたりからちちぶ特有の鬱蒼とした原生林の中を、九十九折の登りになる」
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【10】撮影:13時13分=伊藤 幸司
巨岩が、だんだん大きくなっていきます。深田久弥は「さまざまな形をして突っ立っている見事な岩峰が、目の前に現れてくると、それがもう頂上に近いしるしである」と書いていますが、今回、私たちはそこまで行けませんでした。
Sさんに高度障害が出たので、撤退を決めたのです。雨の日の登山では、見るべきものは激減します。まして今回は期待した紅葉が完全にダメでした。原則として、雨の日には技術的な試みに主眼を置くようにしています。今日などは濡れた岩場を安全に歩くとか、ときに雨が完全に侵入してくる雨具が(たとえ新しくても)あることを知るとか、寒さへの対処を考えるとか、そして日程的には下山の最後に、暗くなった登山道を無灯火でどこまで下れるかという体験……あたりが定番の項目になりますが、今回は(参加された皆さんには大変申し訳ありませんが)Sさんの下山から学ぶことが多いと考えたのです。
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【11】撮影:13時55分=伊藤 幸司
高度障害から逃れるには、下るのが一番です。でも下り始めには注意深く観察して、行動そのものに危険な要素はないか観察します。
ダブルストックが岩場での仕様を前提として作られているということを知らない人には違和感のある写真だと思いますが、私はこの光景でひとつ安心。下りでは深い前傾姿勢をとるためにストックを利用すると、ゆったりと大きな動きができているのですが、写真のこのような動きを見て、Sさんの動きに支障は出ていないと判断します。
私がダブルストックをすすめるのは「大きな段差をゆっくり下る」ということができるからです。安全性を確保しつつスピードを落とさない決定的なサポート能力がそこにあります。私は「3歩先に突いて」と強調し、1歩目は真下に、2歩目で前進してそこでまた「3歩先に」ストックを突くように勧めます。Sさんはその動きを忠実に実行してくれる人なのです。
この姿勢はちょっと極端に見えるかもしれませんが、スキーをやる人なら急斜面にこれから飛び込もうとするときの、あの深い前傾姿勢といえばわかってもらえるでしょう。これからの下山の写真では皆さんの「前傾姿勢」に注意して見ていただきたいと思います。
Sさんは標高2,000mを通常行動の限界高度としています。以前金峰山に登ったとき、大弛峠から歩き始めるとすぐ体調に変化が顕われ、辛い思いをしたことがありました。旅行でチベットへ行ったときなどホテルの階段に苦労したといいます。
以前、スキーをやっている人が意外に高度に弱いことがありました。調べてみたらスキーゲレンデはだいたい標高2,000mあたりを上限とすることが多いとわかりました。スキーはできても、日本アルプスの稜線は歩けないという人が結構いるのです。富士山での高度障害も、登り方に由来するものもありますが、七合目あたりで完全な高山病になる人は、五合目からなんとなく調子を崩していたというケースが多い(10人にひとり以上)と思います。
Sさんはこの瑞牆山に2度登っていて、体調もいいので「月イチ登山」の原則で参加したとのことでしたが、私の高度計で標高2,100mのところで動けなくなりました。休んで動くというのを繰り返さないと登れない状態です。
いろいろな選択肢がありますが、ここでは引き返すことにしました。13時40分です。そういう場合にはSさんの状態をみなさんに説明して、Sさんとの下山行動を共通体験として受け取っていただくという考え方です。もちろんこのような場面での、リーダーとしての私の判断や行動を冷静に見てもらいます。お手本にはならない場合でも、反面教師的体験にはなるはずです。
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【12】撮影:14時09分=矢野 博子
”今日は あまり写真撮れなかった”と話したら にこやかにモデルになってくれたKさん。おにぎりを握ってます。食べてる時、本当に人は シアワセな顔になります。
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【13】撮影:14時20分=伊藤 幸司
日本ではダブルストックを登山に使うときは登山道を傷めないために「キャップをしなさい」と指導されます。岩場でのストックの使用自体が危険という人さえいるのですが、この道具のもっとも重要な部分は先端の石突で、そこには「超硬合金」などと呼ばれる刃物が装着されています、岩に対して強く突くと、じつに見事に食い込みます。それに対してゴムキャップなどを装着して岩場で使えば恐ろしく危険な道具に成り下がってしまいます。登山道の、どのような部分をどれほど痛める道具なのかについてはここでは触れませんが、岩の多い登山道では道を痛める危険そのものが極めて少なく、ヨーロッパアルプスなどでの使用をイメージしているダブルストックの性能を十分に使えるようです。
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【14】撮影:14時23分=伊藤 幸司
ダブルストックを使ってもらう隠れた効用のひとつは、使用者のそのときの精神状態を判断しやすいことです。ここでは、先頭のSさんが「Vの字」にしていることに注目します。ダブルストックのサポート機能を「パワーアシスト」と「バランスアシスト」に分ければ、V字使用の状態は左右の動きに関するバランスは自分の側にあって、前後の動きに関するパワーアシストの割合が大きいと判断できます。逆に「ハの字」に使う人はよほどの初心者か、バランスに不安を感じている人と見ていいのです。世の中のベテラン登山者はそういう場合、しばしば短めのダブルストックにして前後左右どちらにも使える可能性を確保しています。そういう人はたぶん、ダブルストックよりシングルストックのほうが使いやすい「杖=ステッキ」派だと思うのですが。ステッキは「視野の中」で使うという決定的な違いがあります。
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【15】撮影:14時25分=伊藤 幸司
こういう道をSさんは危なげなく下ってくれています。標高は登山口の1,510mに向かってどんどん下がっています。
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【16】撮影:14時26分=伊藤 幸司
ダブルストックでのこういう場面は、ほんとうに気持ちいいんですよね。大きな段差のできるだけ先端まで進んで、「3歩先」にストックを突いて深い前傾姿勢をとって、まっすぐ真下にからだを沈めていきます。そのとき着地はつま先で足場を探る形になりますから、着地の瞬間ひざは完全に曲がっています。
ダブルストックでの下りの姿勢を徹底したいのは、着地でのひざへの負担をほぼ完全にゼロにする……といっていいと思います。7月19〜21日に赤石岳の単純往復登山をしました(発見写真旅114)が、山頂から椹島までの標高差2,000mを一気に下った結果、みなさん猛烈な筋肉痛に襲われたそうですが、膝を痛めた人はいませんでした。もちろんダブルストックのおかげです。「つま先着地」を徹底しないと、どうしてもかかとで着地することになり、かかと着地ではひざは100%まっすぐに伸びていて、衝撃があれば全部ひざに伝わります。
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【17】撮影:14時28分=伊藤 幸司
岩場でストックがありがたいのは、手が1m以上長くなるからです。この場面でストックがないとけっこう手間がかかります。
糸の会の最初の頃、丹沢の桧洞丸の下りで、多くの女性参加者が段差の大きな下りでスピードを落とし、せかせば転倒の危険もある状況に陥ったことがあります。最終のバスの時刻をにらみながらのスリリングな体験となりました。
そのときに、たまたま1本杖として持っていた人のLEKIを見せてもらい、石突の性能が想像以上と知って、2本セットで2万円弱というそれを参加者全員に標準装備としてもらったのです。そしてダブルストックの使用方法はスキーのストックワークを基本としました。LEKIが店頭では基本的にバラ売りされていた時代です。
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【18】撮影:14時41分=伊藤 幸司
雨の日、時間計算には「濡れた下り道」を想定しておかなければいけません。濡れた岩でもダブルストックは驚くほど有効ですが、それでもスピードはかなり落ちます。誰かが、一歩でも滑ると、それ自身が大事故にならなくても、安全のためスピードをさらに落とさなければなりません。そのことを考えると、下りで時間差を詰めるという一般的な考え方はとりません。この日の甲府での日没時刻は16時58分ですからまず大きな問題はないにしても、一応は計算のなかに入れました。
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【19】撮影:14時43分=伊藤 幸司
左側にクサリが見えます。桃太郎岩のところからハシゴ2本を登ったところにある滑りやすい岩場です。そちらは敬遠してチョロチョロと流れのある沢の部分を下りました。岩が濡れていなければ、クサリのついている場所で、時間をかけてあえて下ったかもしれません。
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【20】撮影:14時53分=矢野 博子
桃太郎岩。支えているように見せかけている 小枝が 面白い。 こんな岩が この先 いくつも転がっていた。雨の中 鎖につかまり フーフー言いながら登ったが 下山は脇道をコーチが 選び 危険な感じはしなかった。頂上付近には もっとすごいのが 転がっているという皆の話だった。
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【21】撮影:16時13分=矢野 博子
途中で引き返すことになり 時間と気持ちのゆとりができたのか  辺りを見回すと 意外にもきれいな木々が。
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【22】撮影:16時14分=矢野 博子
雨に濡れた色とりどりの落ち葉。そのまま絵になるような色調だった。
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【23】撮影:16時25分=伊藤 幸司
林道まで出てきました。ここまでくれば日没時刻は問題ありません。……でも本当は、日没から1時間が、暗くなっていく登山道で自分の目がどのような能力を発揮してくれるか体験するいいチャンスなのです。登山口の瑞牆山荘からここまで1時間で登ってきたので、16時58分の日没からさらにすこし歩くことになります。
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【24】撮影:16時39分=矢野 博子
かくして 私の初挑戦の瑞牆は 不発に終わったが 瑞牆だった証拠に一枚。好天の日に再挑戦したい。

追加1……2016年12月24日の報告=瑞牆山で途中引き返して想う・櫻田 英治

瑞牆山で途中引き返して想う
2016.12.24 櫻田 英治

70歳になって初めて山歩きに参加してから既に9年半が過ぎた。当初の参加動機からは想像を遥かに超えた年月となった。

参加当初から原則として毎月1回、日帰りで土曜日に参加してきた。土曜日都合が悪いときは火曜日にすることが多かった。そして月1回参加の原則を守るようにしてきた。

最初の頃は物珍しさもあり夢中で歩いていたが、徐々にその面白さと充実感を覚えると同時に、その意味する価値が自分の中で明確になっていった。即ち生活リズムの確立と健康管理に有効であると認識するようになった。

毎月の予定行事の中で、山歩きは最大行事であるから、他の予定はそれを考慮して決めた。体調維持のための食事や運動管理も、山歩きが大きな動機付けになった。その効果は明白で、それまでの病弱気味とも言える体質が漢方と相まって改善していった。そのことが今もって山歩きを続ける最大唯一の理由と言っても過言ではない。

瑞牆山は今回で3回目の挑戦であり、過去2回はヘバリながらも何とか頂上へたどり着いたが、今回は無理だった。やはり年齢による衰えと高度障害の持つ身であることへの配慮不足があった。

もともと瑞牆山は自分にとって体力の限界への挑戦の山であることは承知していたにも拘らず安易なところがあり、過去2回の”曲りなりの成功体験”を過信していた。
その結果、皆さんに多大な迷惑をかけ反省と今後を振り返る機会となった。特にYさんに申し訳なく思います。

この1回の失敗で全ての山歩きを諦めることは本意ではない。
何が無理なのか又可能なのか、その限界の見極めは難しく単純ではないが、迷いながら試行錯誤を繰り返し一つ一つ決めて行くことになると、今は考えている。

これから重要なことは、日程優先ではなく山の選択も重視し、更に体調を考慮して参加の可否を決めることになろう。あまり神経質にならず、時に大胆さも必要で、その兼ね合いで迷うかもしれない。その都度自分自身を見つめ直す機会と捉えたい。

思えば70歳代は、生活全般でがむしゃらに突っ走った感があった。しかし瑞牆山の失敗は80代をどのように送るかを考える良いきっかけになったとプラス思考で考えたい。
これが無ければ、山とは限らず、何処かで取り返しのつかない大失敗をやらかすことになったかも知れないと感じる。

昨年の自転車衝突事故もその前兆であったかもしれないし、それ以外にも思い当たることが多少ある。自分を振り返る良い機会となった。災い転じて福としたい。

年齢を重ねることは経験を積むことであり、更に身に余るものをそぎ落とすことであると思う。
欲張りすぎず何事もほどほどに、腹八分の80代になるよう、来るもの拒まずの自然体を心掛けたい。この実現は簡単ではないが、努力を続けていく積もりです。

今後とも暫らくは山歩きには参加したいと考えているので、糸の会の皆さんには、いろいろとご迷惑かけたり、お世話になると思います。
そして何れの日か、山歩きを卒業する日が来るでしょうが、それまでは宜しくお願い致します。


★追伸(伊藤先生へ)
ホームページ上の写真は拝見しましたが、それへのコメント依頼に応えることは難しいです。

今思うと写真の中の自分は半分夢遊病のように無意識に近い状態で行動していたと思われます。ひたすら歩こうとの思いだけで、それ以外のことは何も考えていなかったようです。
記憶に残っていることは、何としても瑞牆山荘までたどり着きたい。あとは何とかなる。その思いだけでした。

引き返し始めて、富士平小屋を過ぎる頃までは、肉体的には過去に経験したことのない身体の芯の辛さとの戦いでした。休息の時も水分以外は喉を通らず、また一度外した手袋を再度はめようとしても指や手が思うように動かず苦労したことを覚えています。

特に登りの部分では諦めたら終わりだと言い聞かせながら必死に足を前方に少し出してストックで身体を押し上げていました。下りの部分では少し気を緩めていたかもしれません。記憶は明確ではありません。
林道に入ってからは、高度も下がったからか苦しさも和らぎ出し、これなら大丈夫だ行けると感じながら歩いていた記憶があります。

瑞牆山荘到着以後の体調は、当日もその後も普段の山歩き終了後と殆ど差はなかったと言えます。むしろゆっくり下山したからなのでしょうか、後日筋肉痛を殆ど感じなかったぐらいです。あの苦しさは何だったのか、結局は悪条件が重なった高度障害が最大の原因だったと受け止めています。その後医師からも同様のことを言われました。

伊藤先生をはじめ、皆さんにご心配やご迷惑をかけ申し訳なく思っております。
今回の失敗を生かし切れないときは、山歩きを諦めるときと考えています。
それまでは宜しくご指導お願い致します。


【コーチから】
櫻田 英治さま

*くわしいレポートありがとうございます。
*リーダーとしての観察にまだまだいたらない部分が多々あったことを知りました。私は櫻田さんの歩きを見て、もっとずっと安心した気持ちで見ていました。
*あの日は悪い条件が重なっていました。それを克服すべく頑張るというトライが技術面に活かせる可能性を秘めているわけですが、櫻田さんでなくとも、誰かに何かしら異変が出たら、流れをこちら側から切り替えるべき、状況でした。

*櫻田さんがたまたまその異変に遭遇したわけですが、長いおつきあいの人でなければ、判断の難しいところでした。そしてさらに、長い付き合いの皆さんとのチームでなければ、櫻田さんの下山を体験として共有するという気持ちをチームで大筋了解するというのはなかなか難しいケースです。
*私は、ですから、積極的に櫻田さんの下山の歩き方を撮りました。ダブルストックの威力と、櫻田さん自身の危機管理意識とが見えていましたが、櫻田さん自身の危機管理にはさらに深い部分があったことを今回いただいたメールで知りました。
*私も年齢のことを計算に加えざるを得なくなっています。「安全」の範囲をかなり狭くしています。できるだけ抑制的にではなく、小さな安全と小さな危険のあいだをすり抜ける知恵(ずるさ)を見つけていこうと考えています。見通す力がなくなったら、おしまいです。櫻田さんと同じ状況だと思っています。……先輩!

*もうしばらく、おつきあい。お互いに。

2016.12.25


追加2……1996年10月26-27日の瑞牆山=伊藤 幸司

*糸の会No.21。糸の会は発足が1995年の10月ですから、2年目最初の小屋泊まり計画です。
*計画書にはこう書きました。────奥秩父の特異な岩峰の山に登ります。危険ではありませんが、岩と格闘する感じは味わえると思います。そして、晴れていれば360度の大展望。宿泊は瑞墻山荘も、その下の金山平の宿も、どこも満員でしたので、吹っ切って増富温泉の安い宿に決めました。電話に出た女将さんの感じではアットホームなよさに賭けたいと思います。────
*私自身が初めてなので、────歩きながら夜明けを迎えるのがやっぱりいいです。4時起床、5時出発。不要な荷物は宿においておけます。────としました。
*このシリーズは月末の土日でしたが、たまたまカラマツの紅葉のピークでした。以後秋にはその紅葉を期待して瑞牆山を繰り返し計画したのですが、現在までのところ、この日が最高でした。
*この日(2日目)は午前5時に増富温泉を出発して、登山道を28パワーで、0830瑞牆山荘。0920-30富士見平小屋。1005桃太郎岩を通過、1200-25瑞牆山山頂。1425-30桃太郎岩で休憩、1450富士見平小屋を通過、1550ごろ瑞牆山荘着。

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【25】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【26】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【27】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【28】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【29】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【30】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【31】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【32】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【33】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【34】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【35】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【36】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【37】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【38】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【39】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【40】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【41】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司
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【42】撮影:1996.10.27=伊藤 幸司

追加3……1998年9月9日の瑞牆山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉で最初の瑞牆山です。計画書の「ルートシミュレーション」にはこんなことを書いていました。
────山と溪谷社の「アウトドア」10月号にちょうどこの瑞牆山を書いたところです。以下のように紹介しています。(下原稿です)

●岩のテーマパーク
 オートキャンプを楽しみながら山歩きもしたいという注文を頭の片隅に置きながら、秋を満喫できる山はないか――と探していると、浮かび上がってきた。むずかしい字だから私は漢字で書けないが、瑞牆山である。
 その山があるのは奥秩父連峰。ご存じのように、東京の最高峰・雲取山で奥多摩の山が終わると、そこから八ヶ岳の手前まで西へ、西へとのびていく山並みが奥秩父だ。
「甲・武・信」三国国境の甲武信ヶ岳(標高2,475m)からさらに西に、国師ヶ岳(2,592m)、北奥千丈岳(2,6,1m)、金峰山(2,599m)というのが奥秩父の核心部で、金峰山が西はじにあってまろやかな山頂に目立つ突起部の五丈岩をのせている。
 その西面の顔である金峰山のさらに西に、よくみると岩っぽい山がある。標高が2,230mと下がるので遠くからだと双眼鏡などを使わないと見過ごすことも多いが、ギザギザとすごい岩峰の山。岩屏風。――それが瑞牆山である。
 今年、雁坂トンネルの開通で、北関東の人は関越自動車道から秩父盆地を抜けるとダイレクトに甲府盆地に出られるようになった。中央自動車道の韮崎インターから増富温泉への道をたどればいい。もちろん中央自動車道を中京方面からやってくる人にも、はるばるやってくるだけの価値ある山といっていい。瑞牆山はその山頂に展望絶佳の岩舞台をのせているので、奥秩父連山のなかでもとびきりの人気の山なのである。
 岩といっても、ロッククライミングというようなむずかしいワザが必要というのではない。登山道のほとんどが岩になっていて、快適に歩けるところもあれば、ハシゴやクサリ、あるいはあまり役に立たないロープなどがあったりする。
 大騒ぎしないと乗り越えられないところもある――といっても、危険はほとんどないので、岩のテーマパークといった気分で、ワイワイ、キャーッ、などと登っていける。

●桃太郎岩まで
 登山道は標高約1,500mの瑞牆山荘のところからはじまる。標高約1,800mの富士見平小屋まで約一時間と見積もっておけるが、歩き始めであるだけに、30分の余裕を加えておくといい。
 じつはこのルート、閉鎖された林道が富士見平小屋のところまで通じているのだが、その上部半分を歩くことにすると、瑞牆山のすばらしい展望を楽しめる。ガリガリと登らずに、まずは山にゆっくりと近づいていくという余裕があると、山歩きに慣れないメンバーに無理をさせない。
 富士見平小屋は素泊まり専用の小屋なので開いていてもあまり利用価値はないが、カラマツ林がみごとなので、のんびりと休むのにいい。
 その小屋の裏手にまわるようにのびる道は、飯森山の急斜面をほぼ水平にまわりこんだあと、天鳥川の水源に下っていく。小屋から約30分。水辺でゆっくりと休むことができる。その河原に、まるで桃がふたつに割れかかっているかのような大岩がある。桃太郎岩。これが瑞牆山への岩のゲートとなっている。いよいよ楽しい岩の道になる。

●岩の迷路遊び
 桃太郎岩があるのは標高1,800mあたり。そこから岩と倒木の登りを楽しんで、山頂の標高2,230mまで、標高差で約400mの登りである。脚力があってバランスのいい人なら1時間ちょっとという気分かもしれないが、山歩きに慣れない人なら時間をたっぷり確保して、焦らないようにするのが最大のコツといえる。
 どうするのか。下山時にてごわそうなところでこまかく休憩する。いちいち下ってみて、確認しながら登っていけばいい。下りに不安を募らせながら登るのでなければ、ノウハウはどんどん蓄積されていく。その程度の難易度に過ぎないのでご安心。行け行けドンドンで、突っ走らないという程度の冷静さがあればいいというだけのこと。
 念のため、ハシゴやらクサリに未知数の人がいるのだったら、桃太郎岩からの登りに3時間見ておくといい。ほんのちょっとの勇気と、3時間という余裕で、奥秩父連山を背後に従えた瑞牆山の岩舞台に立てるのである。
 秋晴れの日なら最高だが、そうでなくても、山頂での1杯のお茶かコーヒーはまちがいなく記憶に残る。おいしいお茶うけといっしょにティータイムを楽しんでみてはいかがだろうか。────

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【43】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【44】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【45】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【46】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【47】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【48】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【49】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【50】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【51】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【52】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【53】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【54】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【55】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【56】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【57】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【58】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【59】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司
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【60】撮影:1998.9.9=伊藤 幸司

追加4……1999年8月26日の瑞牆山=伊藤 幸司

*八王子そごう(デパート)のレディスクラブ「ダリアの会」では弁当付きのバス登山を行っていました。担当の宮城真一さんが次々に立てる計画に私が乗せられた状態でした。どんな人が参加してくるかわからないうえに、いつもバス1台満席状態でしたから、私にはかなりの緊張感がありました。
*この日は1000瑞牆山荘を出発、1055-1120富士見平小屋で休憩。1150桃太郎岩を通過、1210−25休憩、1335-1410瑞牆山山頂。1540-50桃太郎岩で休憩、1700瑞牆山荘着。

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【61】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【62】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【63】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【64】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【65】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【66】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【67】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【68】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【69】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【70】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【71】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【72】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【73】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司
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【74】撮影:1999.8.26=伊藤 幸司

追加5……1999年10月20日の瑞牆山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉・第3水曜日シリーズの13回目の計画。参加した皆さんは山歩きを始めて2年目に入ったところ、ここでトラブルが起きました。一般的な常識から言えば遅い出発ですから日の短いこの時期にはすこし無理があったのです。下山が遅れて暗くなり、タクシーを1時間以上待たせる結果となり、風呂も夕食もなくなりました。
*このシリーズの基本方針は次のように書かれています。────すでに山歩きが生活の中に確固たる位置を占めたみなさんに、できるだけ永く山歩きをつづけていただけるよう、体に無理をさせないで歩きます。筋力を生かしながら関節に衝撃を蓄積させない、しなやかでねばり強い歩き方を模索しています。東京駅集合午前8時、下山後最寄り駅での解散を午後6時という目安で、ゆっくり、たっぷり歩きます。夏に3,000m級の山に登れる体力と体調を維持するという役割も果たします。──── *この日は1200瑞牆山荘出発、1245-55富士見平山荘で休憩。1330-35休憩、1415-25休憩、1520-45瑞牆山山頂。1755-1800富士見平小屋で休憩、1845瑞牆山荘。

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【75】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【76】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【77】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【78】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【79】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【80】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【81】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【82】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【83】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司
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【84】撮影:1999.10.20=伊藤 幸司

追加6……2002年9月25日の瑞牆山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の第4水曜日シリーズは6年目のベテラン組。計画書には────1999年10月には帰路日没につかまって遅れたので、今回は千葉発のあずさ51号としました。残念ながら増富温泉は水曜定休。時間のある人は韮崎で入浴可能だと思います。また。順調にいけば、千葉行きあずさに間に合う努力もするつもりです。────とあります。
*その後、糸の会の中央本線方面の計画でも千葉発の特急あずさ(後に「あずさ3号」となりました)を利用することが多くなり、帰路もできる限り千葉行きのあずさに乗れるように努力するようになりました。
*この日は1045瑞牆山荘を出発。1100−05休憩、1130-50富士見平小屋で休憩、1215-25桃太郎岩で休憩、1255−1300休憩、1320−25休憩、1345−50休憩、1400瑞牆山山頂。1505-15休憩、1540-45桃太郎岩で休憩、1610-20富士見平小屋で休憩、1650瑞牆山荘着。

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【85】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【86】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【87】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【88】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【89】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【90】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【91】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【92】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司
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【93】撮影:2002.9.25=伊藤 幸司

追加7……2002年10月12日の瑞牆山=伊藤 幸司

*糸の会のNo.273。これまでは往復登山でしたが、裏側の不動滝に下る計画を立てました。計画書にはこう書きました。────天皇陛下による植樹祭があったのだそうです。タクシーが不動滝ルートのかなり奥まで入るようになったので、これからポピュラーになりそうな気配です。まだ歩いたことがないので、楽しみにしているのですが……。────
*この日は1100瑞牆山荘を出発。1200-15富士見平小屋で休憩、1240-45桃太郎岩で休憩、1335-50休憩、1425-1500瑞牆山山頂。不動滝ルートを下って、1540-45休憩、1600-05休憩、1635-40不動滝で休憩、1730林道に出る。1800植樹祭会場跡に到着。

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【94】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【95】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【96】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【97】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【98】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【99】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【100】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【101】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【102】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【103】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【104】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【105】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【106】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【107】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【108】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【109】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【110】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【111】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【112】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司
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【113】撮影:2002.10.12=伊藤 幸司

追加8……2002年10月22日の瑞牆山=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクール「超入門・山歩き」の31回目。下山時の不安を解消するために地元のバス(山梨峡北交通)を往復貸し切りで利用しました。帰路の入浴、食事の自由度が大きくなると考えて。
*この日は1140瑞牆山荘を出発。1145-1200休憩、12330-40富士見平小屋で休憩、1315-20桃太郎岩で休憩、1355−1400休憩、1425-30休憩、1520-40瑞牆山山頂。1640-45休憩、1830富士見平小屋を通過、1845-50休憩、1930瑞牆山荘着。

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【114】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【115】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【116】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【117】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【118】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【119】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【120】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【121】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【122】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司
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【123】撮影:2002.10.22=伊藤 幸司

追加9……2006年7月26日の瑞牆山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉のベテラン組勢揃い。韮崎で入浴・食事という考え方を捨てて、甲府に出てしまって、時間のある人は湯村温泉での入浴付きディナーとしました。
*この日は1030瑞牆山荘出発。1120-30富士見平小屋で休憩、1200-05桃太郎岩で休憩、1300-15休憩、1350-1430瑞牆山山頂。1550-1605桃太郎岩で休憩、1645富士見平小屋を通過、1800ごろ瑞牆山荘着。

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【124】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【125】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【126】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【127】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【128】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【129】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【130】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【131】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【132】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【133】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【134】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【135】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【136】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【137】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司
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【138】撮影:2006.7.26=伊藤 幸司

追加10……2009年8月1日の瑞牆山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉「第3土曜日」シリーズの59回目。瑞牆山荘への下山予定時刻の1730を前倒しできたので、タクシーを待ちつつ瑞牆山荘で休憩。ゆーぷる・にらさきで入浴、駅そばの手打ちうどん・ふじえで「おざら」という基本プランを実施できました。
*1030瑞牆山荘を出発。1105-10休憩、1120富士見平小屋を通過、1150-1200桃太郎岩で休憩、1250-1300休憩、1425−30休憩、1345-1410瑞牆山山頂。1505-10雨具装着、1545-55桃太郎岩、1620富士見平小屋を通過、1650瑞牆山荘着。

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【139】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【140】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【141】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【142】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【143】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【144】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【145】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【146】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【147】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【148】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【149】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【150】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【151】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【152】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【153】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【154】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【155】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【156】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【157】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司
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【158】撮影:2009.8.1=伊藤 幸司

追加11……2011年7月9日の瑞牆山=伊藤 幸司

*糸の会No.753。不動滝方面に下るつもりでしたから、計画書にはこう書きました。────「5b金峰山」では金峰山〜瑞牆山縦走の後、不動沢を下る予定を一応立てていたのですが、台風に刺激された雨の中、瑞牆山山頂手前で風雨が強くなったのを機に、引き返しました。今回はそのリベンジという意味もあって、一般的な往復登山ではなく、瑞牆山背後の沢道を下ります。不動滝というのもありますので、お楽しみに。下山路は荒れているかもしれませんが、それはそれでおもしろいかと思います。木の橋をたくさん渡ると思いますので、念のため軽アイゼンをザックに入れてある人が何人かいると安心です。「6g鷹ノ巣山」の最後の下りで軽アイゼンが役に立ちました。────
*ところが、結果はだめでした。雨のため、従来通りの往復登山になりました。この日は1100瑞牆山荘出発、1125-30休憩、1200-10富士見平小屋でトイレ休憩。1240-45雨具装着、1250-55桃太郎岩で休憩、1340-50休憩、1440-1500瑞牆山山頂。桃太郎岩で1620-30休憩、1705-15富士見平小屋。1745瑞牆山荘着。

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【159】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【160】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【161】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【162】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【163】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【164】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【165】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【166】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【167】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【168】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【169】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【170】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【171】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【172】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【173】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【174】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【175】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司
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【176】撮影:2011.7.9=伊藤 幸司

追加12……2014年10月11日の瑞牆山=伊藤 幸司

*糸の会No.927。不動滝ルートで登る計画を立てました。植樹祭跡地が「みずがき山自然公園」として整備されたようですが、タクシーをそこまでとして歩き出すと、さらに奥に登山者が車を停められる駐車場がありました。
*この日は1020に「みずがき山自然公園」(標高約1,500m)でタクシーを下車、1035-45に駐車場(標高約1,550m)で休憩、1120-25休憩(標高約1,700m)、1140-50不動滝(標高約1,750m)で休憩、1240-45休憩(標高約2,000m)、1230-50瑞牆山山頂(標高2,230m)。1515-20桃太郎岩(標高約1,800m)で休憩、1550-1600富士見平小屋(標高約1,800m)でトイレ休憩。1640瑞牆山荘(標高約1,500m)到着。

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【177】撮影:2014.10.11=10時08分=伊藤 幸司
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【178】撮影:2014.10.11=10時15分=伊藤 幸司
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【179】撮影:2014.10.11=10時33分=伊藤 幸司
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【180】撮影:2014.10.11=10時41分=伊藤 幸司
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【181】撮影:2014.10.11=10時54分=伊藤 幸司
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【182】撮影:2014.10.11=10時56分=伊藤 幸司
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【183】撮影:2014.10.11=11時04分=伊藤 幸司
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【184】撮影:2014.10.11=11時07分=伊藤 幸司
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【185】撮影:2014.10.11=11時08分=伊藤 幸司
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【186】撮影:2014.10.11=11時11分=伊藤 幸司
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【187】撮影:2014.10.11=11時12分=伊藤 幸司
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【188】撮影:2014.10.11=11時20分=伊藤 幸司
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【189】撮影:2014.10.11=11時32分=伊藤 幸司
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【190】撮影:2014.10.11=11時34分=伊藤 幸司
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【191】撮影:2014.10.11=11時34分=伊藤 幸司
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【192】撮影:2014.10.11=11時41分=伊藤 幸司
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【193】撮影:2014.10.11=11時45分=伊藤 幸司
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【194】撮影:2014.10.11=11時46分=伊藤 幸司
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【195】撮影:2014.10.11=11時54分=伊藤 幸司
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【196】撮影:2014.10.11=11時56分=伊藤 幸司
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【197】撮影:2014.10.11=11時57分=伊藤 幸司
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【198】撮影:2014.10.11=12時04分=伊藤 幸司
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【199】撮影:2014.10.11=12時10分=伊藤 幸司
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【200】撮影:2014.10.11=12時12分=伊藤 幸司
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【201】撮影:2014.10.11=12時13分=伊藤 幸司
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【202】撮影:2014.10.11=12時18分=伊藤 幸司
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【203】撮影:2014.10.11=12時20分=伊藤 幸司
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【204】撮影:2014.10.11=12時21分=伊藤 幸司
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【205】撮影:2014.10.11=12時24分=伊藤 幸司
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【206】撮影:2014.10.11=12時27分=伊藤 幸司
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【207】撮影:2014.10.11=12時28分=伊藤 幸司
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【208】撮影:2014.10.11=12時30分=伊藤 幸司
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【209】撮影:2014.10.11=12時57分=伊藤 幸司
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【210】撮影:2014.10.11=13時24分=伊藤 幸司
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【211】撮影:2014.10.11=13時29分=伊藤 幸司
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【212】撮影:2014.10.11=13時30分=伊藤 幸司
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【213】撮影:2014.10.11=13時31分=伊藤 幸司
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【214】撮影:2014.10.11=13時33分=伊藤 幸司
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【215】撮影:2014.10.11=13時35分=伊藤 幸司
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【216】撮影:2014.10.11=13時36分=伊藤 幸司
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【217】撮影:2014.10.11=13時36分=伊藤 幸司
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【218】撮影:2014.10.11=13時36分=伊藤 幸司
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【219】撮影:2014.10.11=13時39分=伊藤 幸司
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【220】撮影:2014.10.11=13時42分=伊藤 幸司
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【221】撮影:2014.10.11=13時46分=伊藤 幸司
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【222】撮影:2014.10.11=13時53分=伊藤 幸司
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【223】撮影:2014.10.11=13時56分=伊藤 幸司
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【224】撮影:2014.10.11=14時00分=伊藤 幸司
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【225】撮影:2014.10.11=14時04分=伊藤 幸司
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【226】撮影:2014.10.11=14時08分=伊藤 幸司
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【227】撮影:2014.10.11=14時10分=伊藤 幸司
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【228】撮影:2014.10.11=14時13分=伊藤 幸司
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【229】撮影:2014.10.11=14時34分=伊藤 幸司
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【230】撮影:2014.10.11=15時11分=伊藤 幸司
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【231】撮影:2014.10.11=15時18分=伊藤 幸司
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【232】撮影:2014.10.11=15時36分=伊藤 幸司
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【233】撮影:2014.10.11=15時37分=伊藤 幸司
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【234】撮影:2014.10.11=16時03分=伊藤 幸司
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【235】撮影:2014.10.11=16時08分=伊藤 幸司
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【236】撮影:2014.10.11=16時19分=伊藤 幸司
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【237】撮影:2014.10.11=16時27分=伊藤 幸司
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【238】撮影:2014.10.11=16時37分=伊藤 幸司
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【239】撮影:2014.10.11=16時53分=伊藤 幸司
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【240】撮影:2014.10.11=16時54分=伊藤 幸司
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【241】撮影:2014.10.11=16時55分=伊藤 幸司

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