発見写真旅・展(69)――2015.5.9 大小山(24パワー)+α 発見写真旅・展(69)――2015.5.9 大小山(24パワー)+α

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第2部・あしかがフラワーパーク


 大小山は関東平野内陸の、小さくて展望のいい山として浮かび上がってきたのが最初です。小さな山なので最初は伊万里・鍋島焼の栗田美術館とあしかがフラワーパークをセットにして1日分の計画にしました。その後、足利側の長林寺から長い縦走を楽しむようになりました。冬に、関東平野の広がりを感じながら歩く計画を立てたところ、たまたま雪になってすばらしい景色になったこともありました。
 最近は(会員全体の高齢化で)軽い計画が好まれるようになって、今回も大小山+あしかがフラワーパークの大藤というゆったり計画になりました。土休日の首都圏日帰りに便利なJR東日本の休日おでかけパス(2,670円)だけで交通費はほかにかかりません。入浴も無料送迎車を利用できる小山駅からの思川温泉にしました。
 あしかがフラワーパークは花の咲き具合によって入場料が変わるという独特の方式で、今年のピークシーズンは4月18日〜5月17日で900円〜1,700円。フジの花のピークが終わって、この日は1,200円になっていました。


★糸の会山行[949] 大小山(24パワー)+α────2015.5.9
*車道5p→登り8p→下り11p

●計画書の行動予定
1030_JR富田駅→(車道5ポイントを30分として)
1100_林道終点→(登り8ポイントを1時間として)
1200_大小山→(下り11ポイントを1時間半として)
1330_あしかがフラワーパーク
●実際の行動
・1010……JR富田駅(標高約30m)を出発
・1015-20……休憩(東陽院で腹ごしらえ)
・1035-40……休憩(雨具の準備)
・1100-05……登山口で休憩(標高約50m)
・1130-35……休憩(標高約230m)
・1150-1200……山頂で休憩(標高約314m)
・標高約250mから「やまゆり学園方面」へ下る
・1340-55……県道に出てローソンでトイレ休憩(標高約30m)
・1430……あしかがフラワーガーデン
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。
佐藤 道子(15点)
土屋 千鶴子(15点)
伊藤 幸司(69点)


★このアルバム・シリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。写真は撮影時刻順に並べて本展示としました。(期間を限定せずに)みなさんのコメントをお待ちしています。


撮影:佐藤 道子────1/3

【06】10時24分 【07】10時39分 【11】10時48分 【22】11時42分 【23】11時43分


撮影:佐藤 道子────2/3

【25】11時44分 【35】12時21分 【52】14時43分 【53】14時43分 【55】14時45分


撮影:佐藤 道子────3/3

【75】15時22分 【77】15時24分 【89】15時56分 【90】15時56分 【94】16時03分


撮影:土屋 千鶴子────1/3

【02】10時22分 【04】10時23分 【09】10時47分 【12】10時59分 【24】11時43分 【43】12時55分


撮影:土屋 千鶴子────2/3

【51】14時42分 【58】14時47分 【60】14時49分 【71】15時05分 【72】15時09分


撮影:土屋 千鶴子────3/3

【86】15時46分 【88】15時51分 【93】16時02分 【95】16時07分



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【01】撮影:伊藤 幸司=10時14分
■コメント:伊藤 幸司
私たちが駅に着くと、そのすぐ後にこの臨時快速。上野発0802の足利藤まつり1号。この時期10日だけ運転されていると知りました。ただし全席指定。糸の会ではもともと無理だった……として企画者としては、ホッ!



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【02】撮影:土屋 千鶴子=10時22分
■コメント:土屋 千鶴子
富田駅から歩き始めてほどなく由緒ありげな松の大木と出会う。



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【03】撮影:伊藤 幸司=10時23分
■コメント:伊藤 幸司
足利市の天然記念物だそうで、東洋院のクロマツ。樹齢約400年とか。ここでランチ休憩をさせていただいきました。



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【04】撮影:土屋 千鶴子=10時23分
■コメント:土屋 千鶴子
松の大木を過ぎてまもなく古い煙突が立っていた。今はもう使われていない様子。
酒、味噌、醤油、? … 何を作るための煙突だったのだろう。



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【05】撮影:伊藤 幸司=10時24分
■コメント:伊藤 幸司
中村酒造という造り酒屋の煙突がこの町の古い風景を想像させます。



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【06】撮影:佐藤 道子=10時24分
■コメント:



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【07】撮影:佐藤 道子=10時39分
■コメント:



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【08】撮影:伊藤 幸司=10時42分
■コメント:伊藤 幸司
こういう古いままの家はいまではほとんど見なくなりましたが、民俗学者・宮本常一先生の写真を見ると、昭和30年代からあちこちでこういう家が出始めます。瓦屋根の地方では、伝統的な屋根瓦の統一感を乱す屋根が入り込んできますし、漁村では木造の船が捨てられてしだいにFRPになっていきます。先生の山口県周防大島では、村の道を自動車が通るようになると、それまで道を挟んで縁側を向かい合わせていた家が道側に玄関を設けるようになっていったといいます。
この家はそんなに古くはないと思いますが、力尽きたという感じでしょうか。



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【09】撮影:土屋 千鶴子=10時47分
■コメント:土屋 千鶴子
前方にこれから登る大小山の目標物大小の文字がみえます。



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【10】撮影:伊藤 幸司=10時48分
■コメント:伊藤 幸司
大小山の由来については麓の阿夫利神社の大天狗・小天狗に由来するということのようで、江戸時代末期には「大」「小」の文字が木の板に書かれて掲げられたといいます。
朽ちる毎に掛け替えてきたそうですが、戦後途絶えていたところ、1995(平成7年)にステンレス製の文字を約1,000万円の予算で復活させたということです。



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【11】撮影:佐藤 道子=10時48分
■コメント:



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【12】撮影:土屋 千鶴子=10時59分
■コメント:土屋 千鶴子
ここからが登山道です。



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【13】撮影:伊藤 幸司=11時09分
■コメント:伊藤 幸司
登山道はのっけから急登です。規模が小さいので先行きの心配はありませんが、刺激的な登りです。



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【14】撮影:伊藤 幸司=11時16分
■コメント:伊藤 幸司
大小の文字は栗田美術館の中にもこれを望める部屋があって、解説板も置かれています。



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【15】撮影:伊藤 幸司=11時21分
■コメント:伊藤 幸司
これは頁岩(けつがん)でいいのでしょうか。だとすればシェールガスのシェールです。この岩が米国にオイルラッシュを出現させていいるのでしょうか。当面、ここでは雨の日でも滑りにくそうな岩です。



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【16】撮影:伊藤 幸司=11時22分
■コメント:伊藤 幸司
なんとなく雨になりそうな空気です。すでに10時40分には雨具をいつでも出せるように準備しておきました。
こういう岩場では、雨がポツポツ降ってきたときにまだ準備していない雨具のことなど心配すると思わぬ事故が起きないとも限りません。気温が10度C以下でなければ多少濡れてもまったく心配ないのですが、岩場の多いルートだったら「安心」が「安全」を高めてくれます。
ちなみに私はカサ1本です。カメラのレンズに雨粒をつけたくないので、いつも早めに準備します。



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【17】撮影:伊藤 幸司=11時23分
■コメント:伊藤 幸司
ここはたぶん、雨の日などに下る人には慎重さが求められる場所かもしれません。登山道につけられたロープや鎖は、自動車道路のガードレール同様に、以前、ここで事故が発生したことがあるのかもしれないという目できちんと見ることが必要です。もちろん判断は自由ですが。



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【18】撮影:伊藤 幸司=11時24分
■コメント:伊藤 幸司
最後尾の人がダブルストックを2本いっしょに右手に持っています。山のベテランですが、糸の会には最近の入会です。したがって糸の会流のダブルストックはできていません。
合理的に考えてみてください。山側の手を自由にしてハンドホールドを確保したいわけです。邪魔なのでストックは右手に、というわけです。山側の手を最終的な安全のために確保しておくというのは重要です。
しかし同時に、谷側の手が長く延びると小さな不安を解消するのにものすごく役立ちます。そこで谷側のストックを常用し、山側のストックはいざという場合にいつでも手が使えるように、グリップを離してもはずれないようにベルトにきちんと手首を通しておくべきです。
……するとものすごく邪魔くさい、と思うわけです。ところがその「邪魔くささ」が安全を確保してくれる、と私は考えているのです。
まずは当事者。その邪魔くささをていねいにクリアしているあいだは安全性は高いのです。もし邪魔くささにイライラするようになったら要注意。自分で自分を落ち着かせる工夫をするのです。
そしてリーダーとしての私。ロープ、クサリ、ハシゴ、それから事故ると危険な斜面などで、山側の手に余裕があるかどうか、ストックのさばき具合に注目します。要注意人物をリストアップしたいのです。そのまま放置できないという気がしたら、それなりのかたちで動きます。



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【19】撮影:伊藤 幸司=11時25分
■コメント:伊藤 幸司
岩場に出ると展望がひらけます。東側から登って振り返っています。左右に延びる緑の線が旗川。その向こうは佐野市です。こちら側は1959年に足利市に編入された旧富田村。



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【20】撮影:伊藤 幸司=11時26分
■コメント:伊藤 幸司
大小の文字の高さにかなり近づいてきました。その壁面の下に赤色の小さな屋根が見えますが、見晴台です。登山口であちらのルートとこちらとは二俣に分かれていました。



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【21】撮影:伊藤 幸司=11時36分
■コメント:伊藤 幸司
コゴメウツギ、だそうです。植物に詳しい人がいると、とりあえず写真を撮っておくということになります。じつはもうすこし本気に、花のクローズアップを撮っておけばよかった、のですが。



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【22】撮影:佐藤 道子=11時42分
■コメント:



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【23】撮影:佐藤 道子=11時43分
■コメント:



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【24】撮影:土屋 千鶴子=11時43分
■コメント:土屋 千鶴子
大小山頂上から(又の名を妙義山)登る途中雨粒がパラパラきたので、みなさん早めに雨支度。
幸い大降りにならずやれやれ。残念なことに眺望は悪いです。



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【25】撮影:佐藤 道子=11時44分
■コメント:



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【26】撮影:伊藤 幸司=11時49分
■コメント:伊藤 幸司
頂上直下の岩場です。こういう道も命にかかわる危険を感じることはありません。人によってはスリリングですが。



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【27】撮影:伊藤 幸司=11時50分
■コメント:伊藤 幸司
ここが山頂。登山道からずっと続いてきた薄い岩層がここでも立ち上がるように、反り返っています。
でも頁岩と書いてケツガンというのには違和感があります。帰って調べてみると「頁」という字の音読みがケツ、訓読みがページなのだそうです。明治時代に外来の英語に日本語を当てるに当たって、当時中国で英語のページを現していた「頁」を新しい漢字として輸入したのだそうです。だから頁の訓読みはページなのだそうです。
本のページをめくるような薄い層理のものが頁岩で、ほとんど兄弟という感じの岩石が粘板岩で英語ではスレート。建築材料に使われた天然スレートには頁岩もまじっているのだそうです。



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【28】撮影:伊藤 幸司=11時51分
■コメント:伊藤 幸司
国土地理院の地形図には「大小山」となっている三角点を、地元の人たちは必死になって「妙義山」と主張しています。
「めいじせいか」というのですが、明治23年(1890)に始まる地形図の整備に当たって陸軍参謀本部のチームが全国に測量隊を送り出します。見通せるふたつの地点で(見通せるように木を切ったり矢倉を組んだりして)視野を確保し、同時に方位を測定し、さらに別に、その2点間を伊能忠敬時代と同じような肉体的測量で水準測量によって高さと距離を同時に計っていきました。そのようにして「点の記」を添えて完成した日本全国の三角点のほとんどが「明治成果」なのです。
新田次郎の小説『剣岳─点の記』の三角点は三等三角点で全国に約3万点あって直線距離で約4kmの三角点と三等三角網を構成しています。
三角点の等級は山の価値とはまったく無関係で、約40kmの距離で数か所と方位測量できる地点を全国約1,000点の一等三角点としています。ちなみに富士山頂の剣ヶ峰に置かれているのは全国約5,000点の二等三角点のひとつです。
さて、そうやって三角点の位置を確定すると、当初は(水準測量のデータを参考にしながら)スケッチ的に等高線で地形を描いていきました。1色刷の古い地形図(5万分の1地形図)では見えないところに想像の地形が描かれていたりしました。そしてその作業をしたチームは、行政境界や住宅地や耕作地、針葉樹林や広葉樹林、はいまつ地など国土のありようをあらわすのに必要な情報を記号で表現していったのです。そして自然地名、すなわち山の名、川の名、湖などの名前も地元で調査して「地名調書」という公式文書を作成していきます。
ところが日本の山の名には麓に流れ出る川の名がたくさん使われているのはご存じでしょうか。生活に密着する川の上流に山があって、その川の頭(かしら)を山の名にすると、山仕事の人たちにはものすごく便利だったのです。
……ということはこちらの川と同じように、山の向こう側の川も山の名に利用されていたかもしれない。あるいは山仕事をする人たちの意見が役場まで届いていないで、町の風流人が名づけた名前がそこで急に浮上したというようなケースもあったでしょう。
だからして、この山の名が国の地形図に「大小山」と記載されたのも経緯としては想像できるものですが、「それは実は低い方のピークのことで、高い方は本当は妙義山というんです」という意見が(一部の人からかもしれませんが)後から出てきたのでしょう。でもその妙義山が地名調書を書き換えるだけの(すなわち間違いと主張できるだけの)ものかどうか、私にはわかりませんが。
長くなりましたが、ついでにもうひとつ。第二次大戦後に地図作りは内務省から建設省国土地理院になります。そして新しい日本語表記の動きとして「ヶ」を「ガ」と発音通りに書き換えた期間が生じました。その「ヶ→ガ」表記はすぐに消えましたから新聞用語などから消えて、東京新聞が発行する「岳人」などはすぐに「槍ヶ岳」などに戻ったのですが、山と溪谷社では頑強に押し通し、雑誌「山と溪谷」だけでなく、全ての出版物で「ヶ→ガ」「の→ノ」などヤマケイ独自の校正基準を押し通していました。そして悪いことに、ヤマケイは読者を増やして日本山の全てに影響力を持つようになったのです。本多勝一(京大山岳部→京大探検部創設→朝日新聞記者)といううるさ型の原稿もヤマケイルールで処理してしまうほどでした。
するとなにが起きたか。新しい地名調書は今では役所で簡単にとれるからでしょう、役場につとめる山屋さんの情報が取り上げられることになったと、私は想像するのですが、国の地形図に「○ガ山」などという地名が登場する危険が生じてきたのです。ヤマケイのガイドでは槍ヶ岳はもちろん槍ガ岳ですし、槍岳山荘(最近槍ヶ岳山荘と改名)は槍ガ岳山荘でした。バス停などにも「ヶ」があるとどんどん「ガ」に変えていました。
その影響が国の地図にまで及ぶ危険に歯止めがかかったのは、山と溪谷社が倒産したからです。私は正直ホッとしています。私も若い頃には山と溪谷社にいろいろ仕事をさせてもらいましたけれど。



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【29】撮影:伊藤 幸司=11時51分
■コメント:



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【30】撮影:伊藤 幸司=12時02分
■コメント:伊藤 幸司
山の斜面に見えた黄色い花は、その後、ジャケツイバラと判明。
どこかで間近に見たけれど、どこだったかと思い出せず、帰って写真を調べてみると2013年5月11の大小山でした。な〜んだ。
そのときは同じ登山口から「大小」の見晴台に向かいました。登山道にかかってしばらくすると目の前に黄色い花の総が現れたのです。



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【31】撮影:伊藤 幸司=12時09分
■コメント:伊藤 幸司
山頂から下り始めると、栗田美術館とあしかがフラワーパークが見えてきました。
画面の左端に出ている枝の先、横長の黒い大きな屋根があるのですが、それが伊万里焼の栗田美術館。その建物の一隅からこちらが印象的な風景として望めます。
巨大な藤棚で知られるあしかがフラワーパークは画面右側に延びている丸みのある稜線の先、緑の森の麓に見えています。山裾が切り開かれて、そこに赤っぽい屋根のようなものも見えます。これからあそこまで下っていくのです。



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【32】撮影:伊藤 幸司=12時11分
■コメント:伊藤 幸司
下りもなかなかの急斜面です。岩が滑りにくいので危険は感じませんが、高齢者になると自分のバランス能力がどれほど衰えているか感じることができます。私が口を酸っぱくして繰り返している歩き方の基本は「思い切ってつま先立ちをして」「平均台を歩くように」ということです。ダブルストックを持っている人は「スキーで急斜面に飛び込む直前の深い前傾姿勢をとって」「3歩先にストックを突いて」「大きくゆっくり」「上半身が立ち上がっていくように」「1歩、2歩」です。



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【33】撮影:伊藤 幸司=12時17分
■コメント:伊藤 幸司
後ろから3人目と4人目の人は、重心がつま先側にありますからこの斜面では靴底が滑らない限り全く問題ありません。後ろの2人は自分のバランス能力を超えていることが明らかです。ヤケッパチな歩き方になったら、一度止めないといけません。



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【34】撮影:伊藤 幸司=12時19分
■コメント:伊藤 幸司
下ったら、登りもあるます。小さいながらなかなかドラマチックな演出が続きます。



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【35】撮影:佐藤 道子=12時21分
■コメント:



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【36】撮影:伊藤 幸司=12時24分
■コメント:伊藤 幸司
眼下にゴルフ場が見えています。東松苑ゴルフ倶楽部です。池が多いとか。



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【37】撮影:伊藤 幸司=12時33分
■コメント:伊藤 幸司
道は広く穏やかになりました。ところが私には決断を迫られることが浮上してきました。
カメラの撮影時刻によるとこの前のゴルフ場の写真を撮ったのが12時24分、そのあと12時31分に妙義山山頂から下った急坂を振り返って撮っています。後続の人たちが降りていたからです。
その次の写真が12時33分のこの写真です。その間にじつは「NHKアンテナ」という小さな標識を見ていた……という記憶はあるのですが、最後尾にいたので、立ち止まって確認、という作業をしませんでした。通常私が知っている山では10分毎に先頭が交代する歩き方をしています。ここにもすでに糸の会で20年という創設会員が2人もいますから、「10分後に全員が集結して、後ろの人が前に出る」という節目をつくって、その間は速い・遅いのペースも含めて各人自由に歩くという方法を導入しているのです。
10分毎に全員が集結して立ち止まるので、この写真のように長い列になっても、その最後に私がいて先頭の姿が見えなくても、「10分間の自由」ですから気にしません。
そして私がトップで道迷いにはまったときにも、10分までならケロッとして戻ります。後ろでブーブーいう声が聞こえないわけではありませんが。
ところがごらんのようにこの道はメインルートの趣です。尾根1本間違えただけ(というのは結果として誤りでしたが)なのでいままで下っていないこの道に、私は興味を抱いたのです。そのまま下ることにしてしまいました。「やまゆり学園方面」という道です。



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【38】撮影:伊藤 幸司=12時34分
■コメント:伊藤 幸司
新緑の緑の中にポツンポツンと見える黄色はジャケツイバラです。



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【39】撮影:伊藤 幸司=12時35分
■コメント:伊藤 幸司
そのジャケツイバラをカメラの望遠をぎりぎりまで伸ばして撮ったのがこの写真。黄色の正体がこれならかろうじてわかります。



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【40】撮影:伊藤 幸司=12時36分
■コメント:伊藤 幸司
これはアブラツツジと教わりました。ドウダンツツジの仲間で、若い枝は赤褐色で葉は5枚が枝先につくのだそうです。花は5〜13個で下向きに咲く……とのことです。



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【41】撮影:伊藤 幸司=12時39分
■コメント:伊藤 幸司
ポツン、ポツンとヤマツツジがありました。花の色にもうすこし黄色味が入っていると文句なしなのですが。図鑑で調べているうちにヤマツツジは春と秋にそれぞれ葉を生じるとありました。春の葉では形やサイズがバラバラとか。



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【42】撮影:伊藤 幸司=12時52分
■コメント:伊藤 幸司
快適にどんどん下って、集落が眼下に望めるところまでやってきました。



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【43】撮影:土屋 千鶴子=12時55分
■コメント:土屋 千鶴子
下り登山道でこんな堅い岩の間に芽吹いて、頑張れ。



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【44】撮影:伊藤 幸司=12時57分
■コメント:伊藤 幸司
この花の名は知りません。前の方の人たちが見ていたので、とりあえず撮っておきました。教えてください。



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【45】撮影:伊藤 幸司=13時17分
■コメント:伊藤 幸司
下ったところは大沼田町、だと思います。六地蔵の背面に出ました。「やまゆり学園」は確認できませんでしたが、下りきってから山裾をぐるりと回ればいいや、という気分でした。



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【46】撮影:伊藤 幸司=13時28分
■コメント:伊藤 幸司
県道67号・桐生岩舟線に出るべく、ゆるゆると下っていきます。田園地帯に都市型住民の家がだんだん広がっているという印象のところです。
結局この道は13時40分に県道67号に出ました。そこのローソンでトイレと飲み物の15分休憩ののち、さらに35分歩いてあしかがフラワーパークに到着しました。
私たちは大小山から南に下るところを、西に下ってしまったことになります。予定より約1時間余計に歩いたことになります。


第2部・あしかがフラワーパーク




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【47】撮影:伊藤 幸司=14時38分
■コメント:伊藤 幸司
これは「足利のフジ・ノダナガフジNo.3」というもの。樹齢140年で30×35mに広がっています。ナガフジと呼ばれる花房は最長1.8mとか。最初の見た目としては満開状態でした。ちなみにフジの和名を「ノダフジ」とする場合があるといいます。



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【48】撮影:伊藤 幸司=14時39分
■コメント:伊藤 幸司
前の写真と同じ「ノダナガフジNo.3」。幹の太さは約4mあるそうです。



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【49】撮影:伊藤 幸司=14時39分
■コメント:伊藤 幸司
これはコデマリ。もちろん盛りを過ぎて、爛熟も越していると思いますが、過ぎ去り日のあでやかさを十分に忍ばせると思いました。



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【50】撮影:伊藤 幸司=14時42分
■コメント:伊藤 幸司
この紫色はフジの花。池に落ちて漂って、吹き寄せられて、最後の姿を見せています。



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【51】撮影:土屋 千鶴子=14時42分
■コメント:土屋 千鶴子
曇天で散策するのにはとても良いのですが花の色がいまいち冴えない感じがしました。
立体的な菱形の中に幾何学的に花を飾り、浮島みたく設えてます。同じものが3〜4ケ所ありました。



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【52】撮影:佐藤 道子=14時43分
■コメント:



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【53】撮影:佐藤 道子=14時43分
■コメント:



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【54】撮影:伊藤 幸司=14時44分
■コメント:伊藤 幸司
これは「足利のフジ・八重黒龍藤」という名前だそうです。フジとしては珍しい八重の花。25×35mに広がっています。地面を見ると、ポツポツと落ちた花びらがある程度……というところをご記憶ください。



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【55】撮影:佐藤 道子=14時45分
■コメント:



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【56】撮影:伊藤 幸司=14時46分
■コメント:伊藤 幸司
前の「八重黒龍藤」にもうすこし近づいてみると、花の房のボリューム感がわかります。これも樹齢140年とのことです。



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【57】撮影:伊藤 幸司=14時47分
■コメント:伊藤 幸司
橋の名前は知りませんが、白いフジが天井をつくっています。夜になると幻想的な光景になりそうな場所です。



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【58】撮影:土屋 千鶴子=14時47分
■コメント:土屋 千鶴子
この大藤がすばらしい技術でここの移植された事が案内板にかいてあります。
日本人ってすごいなーとおもいます。



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【59】撮影:伊藤 幸司=14時48分
■コメント:伊藤 幸司
今が絶頂期という印象のこの木にはくわしい説明書きがありました。ベニバナトチノキというのだそうですが、マロニエとアカバナアメリカトチノキを交配し、それに再度マロニエを交配したところ、花の形はマロニエで、花の色は赤いトチノキとなったのだそうです。



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【60】撮影:土屋 千鶴子=14時49分
■コメント:土屋 千鶴子
しゃくなげが柔らかいピンクで咲いています。登山道からみる、人の手を借りないシャクナゲの花は肉厚でしっかりしているように思います。どちらも素敵です



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【61】撮影:伊藤 幸司=14時50分
■コメント:伊藤 幸司
同じ種類のツツジなのでしょうか。色違いなのにこのツツジたちの雰囲気は同じです。このひと山、色見本を作ったという感じでしょうか。



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【62】撮影:伊藤 幸司=14時51分
■コメント:伊藤 幸司
これは「「足利のフジ・ノダナガフジNo.1 野田9尺藤」で、足利が世界に誇る大藤だそうです。これを見に、この日も外国人旅行者が至るとこにいる……ようでした。花房の長さが1.8m、すなわち9尺で「ナガフジ」です。



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【63】撮影:伊藤 幸司=14時51分
■コメント:伊藤 幸司
この感じがものすごくいいと感じました。緑の葉のしたに花房があり、その紫が色調を変えています。それは最盛期とはずいぶん違うのだと思います。この日の入場料金は最高額の1,700円から500円引きでしたから、割引値段の花であることは確かです。天気予報が悪かったことも、土曜日にかかわらず値下げされた要因かもしれませんが。
ともかく花房の下が見通せることで藤棚が端正な印象を醸し出していると感じます。



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【64】撮影:伊藤 幸司=14時54分
■コメント:伊藤 幸司
同じ「ノダナガフジNo.1 野田9尺藤」の写真が続きます。
3本の9尺フジと1本の八重フジは足利市堀込町の早川農園にありましたが、その農園が再開発計画によって移転するところから話は始まります。現在地に9万2000坪の敷地を得て、4本の大藤の移植を樹木医の塚本こなみさんに依頼しました。
塚本さんは1994年から大藤を運搬可能なサイズにまで切り詰めます。そして1996年に延べ2,000人で約20kmの大移動。3年がかりの準備によって1997年4月にあしかがフラワーパークは開園しました。大藤は50畳分に切り詰められてから、現在地で600畳に拡大したと説明書きにありました。



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【65】撮影:伊藤 幸司=14時54分
■コメント:伊藤 幸司
大藤の地面には落ちた花びらが一面に敷き詰められて、これはこれで美しい光景だと思いました。



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【66】撮影:伊藤 幸司=14時55分
■コメント:伊藤 幸司
大藤の下が通路になっていました。さすがにここは記念写真の場所、見上げるニコニコ顔もたくさんありました。ちょっとした異空間です。



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【67】撮影:伊藤 幸司=14時58分
■コメント:伊藤 幸司
さてこれは何という花でしょうか。ポットごとにさされた札には「アヤメ□□□」というふうに書かれているのですが、漢字の部分が読み取れません。その札には植えるときの注意も書かれています。洋種のアヤメなのでしょうか。



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【68】撮影:伊藤 幸司=15時00分
■コメント:伊藤 幸司
夏に向かっての準備でしょうか。水回りの整備が行われていました。ここでは1年を8つの花のステージに分けて、夏には「水辺に浮かぶ花の妖精たち」としてスイレン、冬枯れの季節には「光の花の庭」として関東地方で有数のイルミネーション展示を作り上げているそうです。



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【69】撮影:伊藤 幸司=15時01分
■コメント:伊藤 幸司
ペチュニアで飾った花壇。南米からヨーロッパへ伝わって、改良された花だそうです。日本へはツクバネアサガオという名で輸入されたとか。



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【70】撮影:伊藤 幸司=15時02分
■コメント:伊藤 幸司
これもペチュニア? なんだか葬式用の花飾りに見えましたが。



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【71】撮影:土屋 千鶴子=15時05分
■コメント:土屋 千鶴子
一本の木から無数の房が下がり落ちたはなびらが新雪のようにふんわり積り、あたりを上品な香りで包んでいます。



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【72】撮影:土屋 千鶴子=15時09分
■コメント:土屋 千鶴子
きばな藤。こんなに背が高くなるのですね。



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【73】撮影:伊藤 幸司=15時22分
■コメント:伊藤 幸司
まだいくぶん咲き残っている花にセイヨウシャクナゲがありました。花は大きく、色鮮やかで、まあイブニングドレスを着た豊満なレディという感じ。ここに日本のシャクナゲを置いても、貧相でしょうね。



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【74】撮影:伊藤 幸司=15時22分
■コメント:伊藤 幸司
さてこれはツツジでしょうか。サツキでしょうか。よくわかりませんが、わかりません。



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【75】撮影:佐藤 道子=15時22分
■コメント:



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【76】撮影:伊藤 幸司=15時24分
■コメント:伊藤 幸司
フジの木は園内に300本もあるといいますから至るところでぶつかります。近づいてよく見ると、花が終わって実をつけている様子がよくわかります。



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【77】撮影:佐藤 道子=15時24分
■コメント:



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【78】撮影:伊藤 幸司=15時25分
■コメント:伊藤 幸司
フジの実は遠目にはインゲンの豆のような感じかと思ったら、もうすこし作りが細かい感じですね。なかなか見応えがありました。



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【79】撮影:伊藤 幸司=15時27分
■コメント:伊藤 幸司
小さなフジを見下ろすと、花びらが地面に落ちていくさまがもっと直接的に見えてきました。見上げるフジもいいけれど、これもいいなと思いました。



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【80】撮影:伊藤 幸司=15時32分
■コメント:伊藤 幸司
この時期のフラワーパークなので説明板ではキバナフジ(黄花藤)となっていましたが、和名としては「キングサリ」とか。何語かと思って調べたらなんと金鎖、英名のゴールデンチェーンの和訳そのままとか。日本のフジは奥ゆかしい空間を作ってくれますが、これはまさに飾り壁。
ちなみに奥に見える女性ふたりとは何回もすれ違いましたが、たぶんタイ人。日本的尺度ではそれほどの美人には見えませんでしたが、カメラマン役の女性がいつも伸び上がって撮影していました。日本を紹介するプロのブロガーじゃないかと思いながらチラリ、チラリと見ていましたが。



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【81】撮影:伊藤 幸司=15時33分
■コメント:伊藤 幸司
キバナフジのあとでこれを見たのでけっこう興奮してしまいましたが、これはゴールデンサンセットというのでしょうか、黄金色です。エクスバリー・アザレアという名が日本でも通用しているようで、日本のレンゲツツジに世界各地のツツジを交配して作り出した(というのは日本人の目から見ればという話かもしれませんが)英国のエクスバリー・ガーデンでつくった西洋ツツジ(アザリア)ということのようです。



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【82】撮影:伊藤 幸司=15時36分
■コメント:伊藤 幸司
この大藤を背景に出張のブライダル写真かと思ったら、自作自演の記念写真のようでした。でも堂々と、周囲に人々を近づけない特別な雰囲気を醸し出していたのは立派です。



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【83】撮影:伊藤 幸司=15時38分
■コメント:伊藤 幸司
ひょっとして無くなってしまったのではないだろうかと不安になったのがこの緑の衝立です。2007年5月12日に初めて大小山に登ったとき、下山して富田美術館とあしかがフラワーパークを両方見学しました。そのときに藤棚ではなく藤壁を見たのです。
当時私の妻は「緑のカーテンブーム」に巻き込まれていましたから脇でけっこういろいろなことを知ったのですが、そのとき、ヨーロッパでやるとしたらフジのカーテンかなという話を聞いたのです。日本では天井に這わすような藤棚ですが、これをビルなどの側面に縦置きできれば落葉樹なので夏には日射しを遮って蒸散熱で気温を下げ、冬は葉を落として日射しを室内に呼び込んでくれる。しかも木なので、年々枝を張っていく。そういう理想の樹木であると知って、以来フジを軒にはわしているような家を見ると注目するようになっていました。これはそのいい見本なのです。



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【84】撮影:伊藤 幸司=15時42分
■コメント:伊藤 幸司
これだけの緑の壁を作ると、風が吹いたときに思わぬ力が加わってきます。裏から表からいろいろ見た上で池の反対岸からグリーン・ウォールの質感を撮ってみたいと思いました。



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【85】撮影:伊藤 幸司=15時44分
■コメント:伊藤 幸司
これは白いフジのトンネル。手で触れられそうな高さが、たぶん重要だと感じたのは、中央の女の子がものすごく楽しそうに歩いていたからです。



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【86】撮影:土屋 千鶴子=15時46分
■コメント:土屋 千鶴子
きばな藤のトンネル。夜はライトアップするのでしょう。下の方にライトが設置されています。



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【87】撮影:伊藤 幸司=15時49分 ■コメント:伊藤 幸司
じつは、ここはつまらない庭だと思っていたのですが、コーヒーを買って椅子に座ってのんびりしていると、意外や意外、けっこう楽しい庭だということに気づきました。座っていると、いろんな人がここを通り抜けていくからです。



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【88】撮影:土屋 千鶴子=15時51分
■コメント:土屋 千鶴子
たいつり草。薄いピンク色もありました。ひょうきんに花をつけるのですね。



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【89】撮影:佐藤 道子=15時56分
■コメント:



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【90】撮影:佐藤 道子=15時56分
■コメント:



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【91】撮影:伊藤 幸司=15時58分
■コメント:伊藤 幸司
まずまちがいなくベトナムのお姉さん方です。大きなタブレット端末での記念撮影。ここがよほど気に入ったのか、とっかえひっかえ撮影していました。もっとも後で、他のところでもとっかえひっかえだとわかりましたが。アオザイを翻して歩く姿と、近間で話し合っているお姉さんたちの雰囲気との間にはちょっとズレがあったように思いましたが。



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【92】撮影:伊藤 幸司=16時00分
■コメント:伊藤 幸司
自撮りというのか、セルフィーというのか、ともかく幸せそうに見える光景です。でもこれはカメラかな? スマートフォンなら画面をよりよく見ながら撮れるので大流行しているわけですよね。糸の会ではまだだれも使っていませんが、だれかが撮りたいところで撮るために使い始めるのは時間の問題かもしれません。



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【93】撮影:土屋 千鶴子=16時02分
■コメント:土屋 千鶴子
クレマチス。白いはなびらが重なりあい、賑わいを作っていました。



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【94】撮影:佐藤 道子=16時03分
■コメント:



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【95】撮影:土屋 千鶴子=16時07分
■コメント:土屋 千鶴子
平凡なペヂテュアを見ごたえあるよう、デザインされていました。



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【96】撮影:伊藤 幸司=16時20分
■コメント:伊藤 幸司
帰りのことを考えて16時30分に正面ゲートで集合と決めました。10分ほど前に外に出てみると、フラワーガーデンを取り囲む山の斜面に立派なキリの木があって、花が咲いていました。これだけのものなのに、背後の緑を全部背負って咲いているのが、やっぱりすばらしいと再確認しました。(このホームページに「5.足元の小さな花」という文章を載せました。トップページの「講座・自習登山のすすめ」から是非お読みください)



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【97】撮影:伊藤 幸司=16時34分
■コメント:伊藤 幸司
あしかがフラワーガーデンと富田美術館の間に、JRの線路をまたぐ橋があります。大きな屋根は駅を降りて昼食休憩をした東洋院。そのすぐ左には造り酒屋の古い煙突が立っています。あそこから出発して、また戻ろうとしています。



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【98】撮影:伊藤 幸司=17時10分
■コメント:伊藤 幸司
富田駅の跨線橋の上から、「大小」の文字が見えました。ついでに中村酒造の煙突も。



【99】撮影:伊藤 幸司=19時02分
■コメント:伊藤 幸司
この日はJR小山駅で途中下車して、思川温泉に行きました。駅から無料送迎バスが利用できたからです。しかも19時から「じゃんけん大会」が開かれるというので見ていると、テーブルの上に並んだ鉢植えや切り花がひとつずつじゃんけん勝負で手渡されていきました。野次馬の私には、最後に負け組用の菓子袋が配られましたが、今ふうの油+塩味の小袋菓子が6〜7袋。ひとつとして知った名前、知ったメーカーのものはありませんでしたが、ありがたくいただきました。


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