発見写真旅・展(100)――2016.3.12 高川山(45パワー) 発見写真旅・展(100)――2016.3.12 高川山(45パワー)

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追加1……1996年4月24日の高川山=伊藤 幸司
追加2……1997年9月4日の高川山=伊藤 幸司
追加3……1999年7月27日の高川山=伊藤 幸司
追加4……2000年1月19日の高川山=伊藤 幸司
追加5……2000年4月25日の高川山=伊藤 幸司
追加6……2002年3月19日の高川山=伊藤 幸司
追加7……2002年12月11日の高川山=伊藤 幸司
追加8……2005年1月18日の高川山=伊藤 幸司
追加9……1997年3月26日の高水三山=伊藤 幸司
追加10……2007年4月17日の高川山=伊藤 幸司
追加11……2007年11月28日の高川山=伊藤 幸司
追加12……2009年5月17日の高川山=伊藤 幸司
追加13……2012年4月14日の高川山=伊藤 幸司
追加14……2014年6月24日の高川山=伊藤 幸司

★糸の会山行 985 高川山(45パワー)────2016.3.12
*登り車道8p→登り12p→稜線23p→車道2p

*富士山をあてにしての雪山展望シリーズ、これが最後でした。高川山は登山のガイドブックではJR初狩駅から登るのがメインルートだと思いますが、長いルートとしては大月駅から直接登るものがあり、初狩駅からでも大岩経由が魅力的で、駅近くの八幡荘でお湯に入れたときには、そちらを下山路にしたこともあります。あるいは富士急行の禾生駅方面に下ると、入浴施設の無料送迎バスの案内板があったりします。赤坂・スターらんどという怪しげな名前ですが、隣の赤坂駅から歩いて15分ほどのところにある入浴施設で、最近は大月駅周辺の入浴施設が利用しにくくなってきたので、その無料送迎をあてにして下山路を決めたりしてきました。
*今回も最後まで悩んでいたのですが、土曜日だったので千葉方面からくる人たちに「大人の休日倶楽部ジパング」(JR東日本)の3割引チケットではなく、乗り降り自由の「休日おでかけパス」(JR東日本。大月まで有効)で参加していただくことにして、JR藤野駅からふじの温泉・東尾垂の湯への無料送迎バスを利用する計画にしました。以前は五感の里・薬師の湯をよく利用していましたが、閉館してだいぶになります。また藤野には有名なやまなみ温泉がありますが、公共の施設ゆえか、食事に若干の悩みが生じます。もっとも途中下車ができるのなら帰路の入浴と食事の選択肢は広いのでどうにでもなるのですが、今回はそのように入浴施設を決めて、シラノサワ・コースから登って、大月駅まで歩く計画を立てたのです。
*……ということは、つまり、糸の会定番の高川山はみなさんすでに何度も登っているので、付加価値のことを考えざるを得なかったのです。ところがじつは、近年まれに見る冬の山歩きとなったのです。首都圏の日帰り登山ではトップクラスの、すばらしい1日になりました。


3月12日
・0850……富士急行線・禾生(かせい)駅(標高約450m)を出発
・0935-45……シラノサワ登山口で休憩(標高約600m)
・1045-50……山頂直下で休憩(標高約950m)
・1105-15……高川山山頂(標高976m)
・1130-35……霧氷+雪撮影(標高約950m)
・1140……禾生駅への分岐(標高約950m)
・1225-40……休憩(標高約650m)
・1315……花咲分岐(標高約500m)
・1355-1400……休憩(標高約450m)
・1420-25……おむすび山(標高463m)
・1435……大月市中央病院(標高約350m)
・1445……大月駅(標高約350m)
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。
佐藤 時子(8点)
伊藤 幸司(58点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:佐藤 時子




撮影:伊藤 幸司
























追加1……1996年4月24日の高川山=伊藤 幸司






追加2……1997年9月4日の高川山=伊藤 幸司
















追加3……1999年7月27日の高川山=伊藤 幸司










追加4……2000年1月19日の高川山=伊藤 幸司






追加5……2000年4月25日の高川山=伊藤 幸司








追加6……2002年3月19日の高川山=伊藤 幸司








追加7……2002年12月11日の高川山=伊藤 幸司








追加8……2005年1月18日の高川山=伊藤 幸司










追加9……2007年2月17日の高川山=伊藤 幸司








追加10……2007年4月17日の高川山=伊藤 幸司








追加11……2007年11月28日の高川山=伊藤 幸司














追加12……2009年5月17日の高川山=伊藤 幸司










追加13……2012年4月14日の高川山=伊藤 幸司








追加14……2014年6月24日の高川山=伊藤 幸司

































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【01】撮影:08時58分=伊藤 幸司
富士急行線禾生(かせい)駅から、とりあえず山側の道を一直線に登っていくと、桂川を渡ります。源流は河口湖。下流、山梨県から神奈川県に変わると相模湖があって、そこで相模川と名を変える川です。
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【02】撮影:08時59分=伊藤 幸司
山里を歩いていると、村の中心となってきただろうと思われる家がありました。
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【03】撮影:09時03分=伊藤 幸司 桂川を見下ろす斜面に続く小集落は川茂というのでしょうか。これは寺院でしょうか。
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【04】撮影:09時21分=伊藤 幸司
古宿というさらに小さな集落を過ぎて、現在家が2件だけの大棚へと向かいます。ちょっと荒れた感じですが、梅園があって、花盛りという雰囲気は漂っていました。
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【05】撮影:09時27分=伊藤 幸司
大棚から見上げると、高川山の斜面が霧氷にしては厚みのある白化粧になっていました。雪が降ったのかもしれないという感じです。あわてて軽アイゼンを持っている人、持っていない人をチェックしたら、どんな状況でもなんとかなりそうな計算が立ちました。装備状況によってはクサリ場のあるシラノサワ・コースを敬遠しなければ、と考えました。
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【06】撮影:09時53分=伊藤 幸司
たしかに雪が降ったのです。
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【07】撮影:09時57分=伊藤 幸司
シラノサワ・コースの道は、大きく回り込んでから急登になります。
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【08】撮影:10時00分=伊藤 幸司
雪は山頂に向かって、しだいに深く積もっている気配です。リーダーにとってはこのあたりが一番の悩みどころです。どこかで、進退の決断を求められるかもしれない、ということを考え始めます。
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【09】撮影:10時12分=伊藤 幸司
一帯はみごとな雪景色になってきました。今年は雪が少なかっただけに、突然こんな雪、しかも昨夜の雪に出会うとは。
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【10】撮影:10時14分=伊藤 幸司
雪はまだフレッシュです。陽光が降り注いだら、たちまち腐ってしまう雪景色です。
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【11】撮影:10時15分=伊藤 幸司
突然、山が見えました。この瞬間、この山が何なのか分かりませんでしたが、扇山(1,138m)。手前の、頭が丸い山は標高644mの菊花山。大月市街から馬立山〜九鬼山稜線へと一気に登る足がかりの山のようです。高川山から大月への長い縦走ではこの山が終始目標になりました。
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【12】撮影:10時17分=伊藤 幸司
気分としては雪山の樹林帯。冬の北八ヶ岳などではこういう気分の縦走を楽しめます。
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【13】撮影:10時22分=伊藤 幸司
足元の雪はまだ歩くのに支障がありません。でも岩場ではどんな状態になっているでしょうか。ふと気づくと、細い木の枝に雪とは違う白い模様が浮き出てきました。
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【14】撮影:10時23分=伊藤 幸司
ちょうどこのあたり、稜線を越えて過冷却の霧がゆっくりと流れたのでしょう。禾生側からJR初狩駅側へと流れた霧が、エビのしっぽを禾生側へと伸ばしていました。
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【15】撮影:10時32分=伊藤 幸司
霧氷は次第に主役となり、ふんわりとした綿雪を脇役に押し下げてしまいました。
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【16】撮影:10時33分=佐藤 時子
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【17】撮影:10時33分=伊藤 幸司
こちらは綿雪。細い枝にふわっと乗っているのは、舞い降りたときから今まで、ここには風が吹かなかったということでしょう。この綿雪が今まで残されたということに、今日の天気に対しても感謝しました。私たちにとってはとてもいい日のようでした。
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【18】撮影:10時34分=佐藤 時子
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【19】撮影:10時34分=伊藤 幸司
こんな繊細な雪景色は、なかなか見られるものじゃない、と思いました。
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【20】撮影:10時37分=伊藤 幸司
なんというキノコか知りませんが、雪の中ではやっぱりけなげという印象になります。
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【21】撮影:10時37分=伊藤 幸司
景色は雪でも、道はまだいつものまま。首都圏では年末からしばしば霧氷を見ますし、3月になると西高東低の気圧配置が崩れて大雪が降ることもあります。しかし雪と霧氷がダブルで、しかもフレッシュな状態で見られるというのはほんとうにラッキーでした。
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【22】撮影:10時37分=伊藤 幸司
ふたたび雪に目が向きました。霧氷は風上に向かって伸びていきますが、雪は上から降り積もります。そのふたつが奇跡の合体をするのが蔵王や八甲田山の樹氷ですが、ここではそれが別々のものとして並んでいます。
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【23】撮影:10時42分=伊藤 幸司
これは雪景色。オリジナル写真を拡大して見ると細い枝にじつにていねいに雪が盛られています。
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【24】撮影:10時44分=伊藤 幸司
これが多分、昨夜から今朝にかけて降り積もった雪のようです。
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【25】撮影:10時57分=伊藤 幸司
霧氷の窓を通して大月方面を見ています。
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【26】撮影:10時59分=伊藤 幸司
いよいよ最後の急登。岩場にロープが張られていますが、谷側(この写真では右手側)にはしっかりと木が生えていますし、足場もしっかりしています。雪がついていなければ初心者でも「スリルはあるけれど危険は少ない」体験の場といえます。登れたからいい、ではなくて、これが北アルプスの岩稜への最初の一歩……という歩き方ができればラッキーでしょう。
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【27】撮影:11時01分=伊藤 幸司
この写真を見て「なんで使わないストックを持っているの?」とつぶやく人がいるはずです。「岩場でストックを持つのは危険」というのが登山専門家の常識になっているらしいからです。ではここでストックをしまわないのはなぜか? ご本人のためではなく、リーダーの私のためです。片手、あるいは両手で岩や木に直接支点を求めるハンドホールドが必要になったとき、ストックは手首にベルトを通したまま邪魔にならないように「うまくさばいて」欲しいのです。リーダーである私はその「さばき方」を見ています。もしその人がストックの扱いにイライラしているようなら、声を掛けて落ち着いてもらったり、技術的な指導をしたりする方法を考えます。ストックは岩場で技術的な未熟を伝えてくれるありがたい道具なのです。だから縦走路のクサリ場などではストックさばきはその人の技術的な余裕幅を見せてくれるありがたい道具だと考えています。
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【28】撮影:11時03分=伊藤 幸司
この岩場では1歩か2歩、足場の悪いところがあります。しかし谷側(登る場合の右手側)にこれだけ木があるということは。雪が隠されていなければ命に関わる危険が少ないということが見てとれるはずです。慌てさえしなければ登れるはずです。おまけに、実際に登ってみると、張られているロープが適切な安全装置になっていることもわかります。おざなりにぶら下げられていることの多いクサリなどとはちがって、初心者の安全を考えながら張られていることがわかります。登山口の標識には「注意*この先シラノサワコース 難所あり」の「難所」を消して「ロープあり」とした落書きありました。見る人によって技術的見解の変わるところだと思います。
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【29】撮影:11時04分=伊藤 幸司
岩場ではときに、男性には安全でも女性サイズだとグレードが上がる場合がありますが、ここではもちろん女性でも条件は変わりません。
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【30】撮影:11時05分=伊藤 幸司
岩場を抜けるとそこが山頂でした。突然賑やかな場に飛び出して、一瞬面食らったというのが正直なところです。
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【31】撮影:11時16分=伊藤 幸司
西の方向に白い富士山が見えて今シーズンの「雪山展望シリーズ」を終わる予定だったのですが、富士山はまったく見えません。眼前に見える「雪山」は標高896mのカンバ沢ノ頭。この高川山からあそこを通って大岩経由で初狩駅へと下ることも可能です。カンバ沢ノ頭からこちら側へ下る急斜面はちょっと厄介ですが。
ちなみに日本の山の名前には「川の名前」がつけられていることが多いのですが「カンバ沢ノ頭(かしら)」というのがその理由がわかる例です。旧陸軍参謀本部陸地測量部は明治時代に国土基本図としての地形図(5万分の1)の整備を進めたのですが、現地で山の名前を聞くとそれぞれ山麓の里によって違います。里から見上げる山には広範囲の人が使う名前があったとしても、山仕事にかかわる人にしか知られていない山もあります。そういう山の多くは、山仕事をする人たちが沢の源流となるピーク(頭)を沢の名前で呼んでいた例が多いのです。その場合は向こう側の里人に聞けば違う名前が出てきたでしょう。そういう混乱や誤りはいろいろあります。
……というわけで川の名前のついた山は、しばしばどちらの方向から見た名前かわかるのですが、この高川山の「高川」はどこにあるのか、いまのところ私には不明です。
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【32】撮影:11時19分=佐藤 時子
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【33】撮影:11時20分=伊藤 幸司
これはたぶん滝子山の斜面です。いかにも「雪山展望」という感じですが、お隣の近しい関係の山にすぎません。
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【34】撮影:11時20分=伊藤 幸司
山頂はみごとな霧氷で飾られていました。
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【35】撮影:11時23分=伊藤 幸司
本来なら背後に富士山が写っている方向での記念撮影。
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【36】撮影:11時30分=伊藤 幸司
山頂から東に下ります。すると稜線にはこれまでとは比べものにならない大ボリュームの霧氷がついていました。
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【37】撮影:11時30分=伊藤 幸司
登りで見た霧氷やら綿帽子やらとはちょっと違うスケールの冬景色が続いていました。
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【38】撮影:11時31分=佐藤 時子
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【39】撮影:11時31分=伊藤 幸司
やはり、これだけの幅広に育った霧氷が、この時刻まで落ちなかったということのほうがラッキーでした。
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【40】撮影:11時32分=佐藤 時子
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【41】撮影:11時32分=佐藤 時子
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【42】撮影:11時32分=伊藤 幸司
さてここでは、霧氷と綿帽子とがミックスしています。
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【43】撮影:11時42分=伊藤 幸司
首都圏の登山愛好家にはこういう気分で歩ける日が年に何回かあります。週末に雪が降ると翌朝には、もう新しいトレースがついています。今年は雪がものすごく少なかったので、3月にもなると、こういう気分を日帰りの山で味わえるとは考えてもいませんでした。糸の会の計画は半年分まとめて立てているので、よけいにラッキー! と感じます。
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【44】撮影:11時58分=佐藤 時子
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【45】撮影:11時59分=佐藤 時子
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【46】撮影:11時59分=伊藤 幸司
富士急行線の禾生駅へと下る分岐をやりすごし、大月への長い縦走路をたどります。だんだん雪景色に変わってきました。
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【47】撮影:12時08分=伊藤 幸司
雪がかぶった枯れ枝の先に里の風景が見えてきました。
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【48】撮影:12時12分=伊藤 幸司
オリジナルデータで拡大写真を見てみると、これは雪景色のようです。
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【49】撮影:12時20分=伊藤 幸司
雪の存在感が急激に薄らいで、黄色い花が春の風景を作り出す気配です。さてこれがダンコウバイ(檀香梅)かアブラチャン(油瀝青)か、全く分かりません。帰って写真をいろいろ調べてみたのですが、素人が一番わかりやすい区別となるこの時期の特徴「花が枝から直接咲いているか=ダンコウバイ」「花序軸の先に咲いているか=アブラチャン」がよくわかりません。現地ではダンコウバイという声がほとんどだったので、そういうことにしておきます。とにかく春が始まりました。
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【50】撮影:12時47分=伊藤 幸司
ダンコウバイは「まばらに枝分かれする」のに対してアブラチャンは「細かく枝を分ける」とか。
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【51】撮影:12時55分=伊藤 幸司
霧氷景色、雪景色のあとに春景色がやってきました。
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【52】撮影:12時56分=伊藤 幸司
冬にも枯れ葉を落とさない木がありました。まさか……とは思いましたがネットで調べてみるとありました。クヌギやカシワがそうなんだということですが、この雰囲気はヤマコウバシという木のように思われます。
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【53】撮影:13時04分=伊藤 幸司
枯れ葉はクヌギやカシワでは縁に鋸歯のようなものが見られますが、ここにあるのはストレートな感じがします。その意味でもヤマコウバシのようです。恥ずかしながら、初めて知った名前です。
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【54】撮影:13時15分=伊藤 幸司
こちらに「おてんじんさん」向こうにも同様の社があって、ちょうどこの下を中央自動車道・富士吉田線の花咲トンネルがくぐり抜けています。
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【55】撮影:13時19分=伊藤 幸司
花咲トンネルの上から振り返ると、高川山の山頂直下から九鬼山の山頂直下へと伸びるリニアモーターカーの実験線が見えてきました。高速でトンネルから飛び出すからでしょうか、ド〜ンというような音が響きます。あんな音を出していいのだろうかと思うほどです。
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【56】撮影:13時26分=伊藤 幸司
前の写真だとトンネルの上という感じがしなかったので、足元が見えるところに移動するとこんな具合になります。
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【57】撮影:13時29分=伊藤 幸司
今度は高川山のトンネル出口をクローズアップしてみるとなぜか実験車両が頭を出して止まっていました。この後、10分以上、この状態で止まっていました。体験乗車したい人は抽選に応募して、この場所から乗り込むようです。
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【58】撮影:13時31分=伊藤 幸司
これはけっこう姿のいいダンコウバイ(あるいはアブラチャン)だと思いました。
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【59】撮影:13時35分=伊藤 幸司
左端に見えている小さな山が大月市街から直接登れる菊花山。そこからさらに登ると馬立山。そこから田野倉駅へと下る尾根に標高667mのピークがあって、それが正面に写っています。この写真の右端部分には、じつは田野倉駅も写っているのです。
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【60】撮影:13時36分=伊藤 幸司
電車が入っていないのでわかりにくいのですが、田野倉駅です。
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【61】撮影:13時39分=伊藤 幸司
これは中央自動車道富士吉田線・花咲トンネルの北側の出口。画面中央で左右に走る中央自動車道の本線に接続しています。合流地点の上に見えるのは花咲カントリー倶楽部です。
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【62】撮影:13時40分=伊藤 幸司
花咲じいさんの霧氷を見た後でこれを見たら「枯木にキノコを咲かせましょう」というふうに思えてきました。
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【63】撮影:14時23分=伊藤 幸司
縦走路の終点はおむすび山。足元に大月市街が広がっていました。その向こうにあるのが岩殿山、さらにその向こうに百蔵山。さらにその先、右上がりの稜線がちょっと見えるのが扇山です。市街地手前の右端から登っていくと、これまで行き先に個性的な姿を見せてくれていた菊花山になります。
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【64】撮影:14時24分=伊藤 幸司
おむすび山にあったのは大月防空監視哨。大月監視隊本部には丹波、西原、上野原、七保、大月、笹子、谷村、吉田、精進、河口の各監視哨があって各隊10名。昼は2名で双眼鏡を用い、夜間は監視+聴音+電話連絡の3名体勢の三交代制であったと、説明板にありました。
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【65】撮影:14時26分=伊藤 幸司
おむすび山の斜面はカタクリ群生地になっていて、たくさんのカタクリが葉を広げていました。花をつけているのを確認したのはまだこのひと株だけでしたが、岩殿山の山頂北斜面よりは見応えがあると思います。
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【66】撮影:14時38分=伊藤 幸司
桂川の河谷まで下ってくると、岩殿山がずいぶん立派にそびえ立ってきました。

追加1……1996年4月24日の高川山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉での最初の実技です。朝日新聞出版局でお世話になった長塚進吉さんが出向先のカルチャーセンターから「千葉県内のカルチャーセンターには登山講座がないので、やってみない?」というお誘い。それに乗りました。長塚さんはこの後もときおりひょっこり参加されましたが、リスクを抱えた登山実技の実施に対して「責任は私が取る」と周囲に語って、私が立てる計画をすべてそのまま通してくださっていたらしいことを後に知りました。
*このときの計画書には長い文章が書かれていますが「スリップする覚悟で下ってみることもだいじです」という見出しのところに次のような一文がありました。「ぜひみなさんにやってみていただきたいのですが、山頂の隅からその急坂をのぞいたとき、直滑降の姿勢をとって前傾姿勢を確認し、そのままゆっくりと下りてみて下さい。滑るかもしれないという危険を感じながらギリギリのところで10歩ほどのその急坂を下れるだろうと思うのです。もちろん地面の湿り具合などによっても条件は変わりますが」その写真がここに何点か出てくると思います。
*この日は1105JR初狩駅発→1300-30-1340高川山山頂(休憩は30分予定を10分延長)→1540富士急行禾生駅というオーソドックスなルートでした。

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【67】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【68】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【69】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【70】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【71】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【72】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【73】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【74】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【75】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【76】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【77】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【78】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【79】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【80】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司
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【81】撮影:1996年4月24日=伊藤 幸司

追加2……1997年9月4日の高川山=伊藤 幸司

*糸の会の「Fシリーズ」です。Fは木曜日のフリー参加・初参加対応企画で「ゆっくり出かけて、早く帰る軽い山歩き」としました。
*この日は1105JR初狩駅→1345高川山山頂→1410標高約760mで林道へ→(時刻不明)富士急行禾生駅へ(34パワー)

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【82】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【83】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【84】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【85】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【86】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【87】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【88】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【89】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【90】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【91】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【92】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【93】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【94】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【95】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【96】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【97】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【98】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【99】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【100】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【101】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【102】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【103】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【104】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【105】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【106】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【107】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【108】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【109】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【110】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【111】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【112】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【113】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【114】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【115】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【116】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【117】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【118】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【119】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【120】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司
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【121】撮影:1997年9月4日=伊藤 幸司

追加3……1999年7月27日の高川山=伊藤 幸司

*糸の会・第4火曜日のシリーズ。初狩駅から登って、これまでは富士急行線の禾生駅へと下っていましたが、途中の分岐から田野倉駅へと下りました。
*1100JR初狩駅→1315-30-35高川山山頂(15分休憩を5分延長)→1530富士急行線田野倉駅。(35パワー)

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【122】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【123】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【124】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【125】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【126】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【127】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【128】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【129】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【130】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【131】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【132】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【133】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【134】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【135】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【136】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【137】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【138】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【139】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【140】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【141】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【142】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司
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【143】撮影:1999年7月27日=伊藤 幸司

追加4……2000年1月19日の高川山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター「日帰りI」シリーズ。冬富士の展望を狙いました。
*1135JR初狩駅→1315-45-1405高川山山頂(30分休憩を20分延長)→1600富士急行田野倉駅。(35パワー)

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【144】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【145】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【146】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【147】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【148】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【149】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【150】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【151】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【152】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【153】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【154】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【155】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司
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【156】撮影:2000年1月19日=伊藤 幸司

追加5……2000年4月25日の高川山=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクールでは講座担当の田口英樹さんからのお誘いで「超入門・山歩き」というシリーズを開講。あらかじめ60山(5年分)をリストアップして、その最初に高川山を選びました。
*この日は1105JR初狩駅→1350-1440高川山山頂→1650富士急行線禾生駅。(34パワー)

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【157】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【158】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【159】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【160】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【161】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【162】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【163】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【164】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【165】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【166】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【167】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【168】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【169】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【170】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【171】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【172】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【173】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【174】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【175】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司
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【176】撮影:2000年4月25日=伊藤 幸司

追加6……2002年3月19日の高川山=伊藤 幸司

*東急セミナーBE・第2期の延長となる第3火曜日のシリーズ。
*この日は1100JR初狩駅→1300-15-35高川山山頂(15分休憩を20分延長)→1515富士急行線田野倉駅。(34パワー)

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【177】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【178】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【179】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【180】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【181】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【182】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【183】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【184】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【185】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【186】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【187】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【188】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【189】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【190】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【191】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【192】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【193】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司
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【194】撮影:2002年3月19日=伊藤 幸司

追加7……2002年12月11日の高川山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉「初級の山歩き」(第2水曜)の3回目。行動目安をJR山手線を午前8〜9時に出て明るいうちに下山、入浴・食事をして午後8〜9時に山手線に戻るという12時間計画。大月駅で千葉行きの特急あずさに乗るため、入浴は駅前の銭湯・よしの湯、食事は列車の時間に合わせてくれる和食の濱野屋が定番となりつつありました。
*この日は110JR初狩駅→1320-40-45高川山山頂(20分休憩を5分延長)→1530富士急行線田野倉駅。(34パワー)

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【195】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【196】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【197】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【198】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【199】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【200】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【201】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【202】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【203】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【204】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【205】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【206】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【207】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【208】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【209】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【210】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【211】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【212】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【213】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司
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【214】撮影:2002年12月11日=伊藤 幸司

追加8……2005年1月18日の高川山=伊藤 幸司

*糸の会の第3火曜日シリーズ。計画書のポイント欄には「新年早々、真白き富士の嶺を見に行きます。高川山は富士山の展望ではおすすめです。お楽しみに。高川山は近くて小さい山ですが、なかなかいい山です。伊藤が最初にすすめる山でもあります。まだの人はぜひご参加ください。」と書きました。
*この日は1055JR初狩駅→1320-50-1400高川山山頂(30分休憩を10分延長)→1610富士急線田野倉駅手前からタクシーで大月駅へ。(33パワー)

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【215】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【216】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【217】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【218】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【219】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【220】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【221】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【222】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【223】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【224】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【225】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【226】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【227】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【228】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【229】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【230】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【231】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【232】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【233】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【234】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【235】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司
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【236】撮影:2005年1月18日=伊藤 幸司

追加9……2007年2月17日の高川山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の第3土曜日シリーズ。計画書には「今回は特急あずさ(千葉発)に合わせたことから、時間に余裕ができました。その余裕分で大月駅まで歩きたいと思います。道の状態、天気によっては途中でエスケープしますが、長い下りを楽しみたいと思います」と書きました。
*この日は0905JR初狩駅→1045-1100-05(15分休憩を5分延長)高川山山頂。そこから花咲トンネルの上を通って大月中央病院への長い尾根を下りました。1255-1305花咲トンネル上で休憩→1430大月中央病院。(38パワー)
*この頃、マツクイムシの被害が桂川沿いに広がっているとのことで、長い下りのあちこちで悲惨な状態を目にしました。

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【237】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【238】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【239】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【240】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【241】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【242】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【243】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【244】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【245】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【246】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【247】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【248】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【249】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【250】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【251】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【252】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司
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【253】撮影:2007年2月17日=伊藤 幸司

追加10……2007年4月17日の高川山=伊藤 幸司

*糸の会の第3火曜日シリーズ。計画書にはこう書きました。「おなじみの高川山です。たぶん頂上付近のサクラがきれいではないかと思います。富士山はどうでしょうか。今回は大岩経由の下りとします。特別に何ということはないでしょうが」
*この日は1110JR初狩駅→1320-30高川山山頂→1420-25羽根子山山頂→1545-50大岩山頂→1630から初狩駅手前の八幡荘で入浴。(38パワー)

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【254】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【255】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【256】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【257】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【258】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【259】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【260】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【261】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【262】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【263】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【264】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【265】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【266】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【268】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【269】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【270】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司
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【271】撮影:2007年4月17日=伊藤 幸司

追加11……2007年11月28日の高川山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の日帰り基本シリーズ。計画書のポイント欄に次のように書きました。「高川山は入門編の名山です。この朝日カルチャーセンター千葉のオープニング企画(1996.4.24)がこの山でした。今年、土曜日の入門編(2007.2.17)で、下りに大月市街までの長い稜線をたどりました。また糸の会の入門編(2007.4.17)で下りに大岩→初狩駅というルートをたどりました。今回はそのふたつを重ねて「大縦走」としたのです。晩秋のロングロングルートをお楽しみいただきたいと思います」
*この日は0905JR初狩駅→1025-35大岩→1240-1300高川山山頂→1435-45花咲トンネル上→1610大月駅。(48パワー)

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【272】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【273】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【274】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【275】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【276】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【277】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【278】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【279】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【280】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【281】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【282】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【283】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【284】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【285】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【286】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【287】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【288】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【289】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【290】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【291】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【292】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【293】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【294】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【295】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【296】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【297】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【298】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【299】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【300】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【301】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【302】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司
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【303】撮影:2007年11月28日=伊藤 幸司

追加12……2009年5月17日の高川山=伊藤 幸司

*これも糸の会ですが、第3日曜日のダブルストック集中講座・3回目。
*大月駅からタクシーで古宿集落(壬生駅から上がったところ)へ。1010古宿→シラノサワ・ルートで→1225-40-45高川山山頂→1445花咲トンネル上→1547大月中央病院。(37パワー)

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【304】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【305】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【306】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【307】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【308】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【309】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【310】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【311】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【312】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【313】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【314】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【315】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【316】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【317】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【318】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【319】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【320】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【321】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【322】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【323】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【324】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【325】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【326】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【327】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司
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【328】撮影:2009年5月17日=伊藤 幸司

追加13……2012年4月14日の高川山=伊藤 幸司

*糸の会の基本となる日帰りは第2土曜日ですが、この時期(4−6月)には「自習登山講座」として、その初回を高川山で計画しました。岩場の登りのあるシラノサワ・ルートから入り、ロープを使いたくなる急坂のある大岩ルートから初狩駅に出る計画を立てました。ところが……「参加希望は糸の会会員の坂井田博さんお一人でした。その坂井田さんも一人歩きのための講座受講というより、1年間のブランクを埋めるためという目的が主体とうかがい、講座そのものは実施せず、4-6月は通常の「a」(第2土曜)とすることに決めました。しかしせっかくですから、今年の「a」では伊藤式のナビゲーションをいろいろ体験していただくことにします。一般参加の方もお楽しみに」と計画書に書くことになりました。
*この日は1105古宿集落→1135-40シラノサワ分岐→1300-05高川山山頂→1515-20大岩山頂→1610JR初狩駅。(36パワー)

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【329】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【330】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【331】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【332】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【333】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【334】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【335】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【336】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【337】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【338】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【339】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【340】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【341】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【342】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【343】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司
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【344】撮影:2012年4月14日=伊藤 幸司

追加14……2014年6月24日の高川山=伊藤 幸司

*糸の会の第4火曜日で健脚向きの高川山を計画しました。みなさんほとんどが高川山は体験済みです。千葉からのみなさんが多いので中央本線方面の山はいまや基本が0635千葉発の特急あずさ3号となっています。
*この日は0845大月中央病院→1025花咲トンネル上→1200-05高川山山頂→1420富士急行線禾生駅。無料送迎バスで健康ランド・スターらんどへ。ありがたいことに無料送迎で大月駅へ。濱野屋で食事、月カフェ・アダージッシモでコーヒー、1905千葉行き特急あずさ31号に乗車というフルコース。

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【345】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【346】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【347】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【348】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【349】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【350】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【351】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【352】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【353】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【354】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【355】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【356】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【357】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【358】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【359】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【360】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【361】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【363】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【364】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【366】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【374】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【375】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【376】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【377】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【378】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【379】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【380】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【381】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【382】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【383】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【384】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【385】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【386】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【387】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【388】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【389】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【390】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【391】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【392】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【393】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【394】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【395】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【396】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【397】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【398】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【399】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【400】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【401】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【402】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【403】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【404】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【405】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【406】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【407】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【408】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【409】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【410】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【411】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【412】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【413】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【414】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【415】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【416】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【417】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【418】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【419】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【420】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【421】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【422】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司
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【423】撮影:2014年6月24日=伊藤 幸司

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