発見写真旅・展(119)――2016.9.10 高水三山(47パワー)<b> 発見写真旅・展(119)――2016.9.10 高水三山(47パワー)


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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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追加1……2012年7月14日の高水三山=伊藤 幸司
追加2……2011年5月17日の高水三山=伊藤 幸司
追加3……2008年4月19日の高水三山=伊藤 幸司
追加4……2004年12月18日の高水三山=伊藤 幸司
追加5……2003年12月23日の高水三山=伊藤 幸司
追加6……2000年7月5日の高水三山=伊藤 幸司
追加7……1997年11月20日の高水三山=伊藤 幸司
追加8……1997年6月5日の高水三山=伊藤 幸司
追加9……1997年3月26日の高水三山=伊藤 幸司
追加10……1995年11月11日の高水三山=伊藤 幸司

★糸の会山行 1014 高水三山(47パワー)────2016.9.10
*車道8p→登り9p→稜線11p→下り19p

*奥多摩山地の入り口、JR青梅線の軍畑駅と御嶽駅のどちらから登ってもいいファミリー向けのミニ縦走ルートです。まったくの初心者がガイドブック片手に休日を楽むにも最適な山。……といっても、中身が薄いというわけではありません。今回「発見写真旅」として撮ってみると、見るべきポイントがいかに多いか。そういう意味で内容豊かな山だと再認識しました。ぜひご覧頂きたいと思いますし、歩いてみていただきたいと思います。
*糸の会ではすでに複数回登っている人ばかりなので、計画書では簡単に、こんなふうに書きました。────ご存じ、3つの小さなピークをたどりながらのミニ縦走です。入浴は登山者割引料金があれば「ゆずの里」で食事もしたいですが、いつもの河辺温泉になるかも。────

9月10日
・0930……JR青梅線・軍畑駅を出発(標高約250m)
・1000-10……高源寺(ほぼ登山口)で休憩(標高約300m)
・1040-45……休憩(標高約450m)
・1100-10……稜線に出て休憩(標高約550m)
・1150-1210……高水山常福寺でトイレ休憩(標高約700m)
・1215……高水山山頂(標高759m)
・1250-1300……岩茸石山山頂(標高793m)
・1350-1405……惣岳山山頂(標高756m)
・1455-1510……沢井駅方面分岐で休憩(標高約400m)
*御嶽駅へ下る予定でしたが、沢井駅へと計画変更
・1515……林道へ(標高約700m)
・1535……沢井駅(標高約250m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の1人です。
伊藤 幸司(71点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:伊藤 幸司






























追加1……2012年7月14日の高水三山=伊藤 幸司




















追加2……2011年5月17日の高水三山=伊藤 幸司












追加3……2008年4月19日の高水三山=伊藤 幸司
















追加4……2004年12月18日の高水三山=伊藤 幸司






追加5……2003年12月23日の高水三山=伊藤 幸司








追加6……2000年7月5日の高水三山=伊藤 幸司




追加7……1997年11月20日の高水三山=伊藤 幸司






追加8……1997年6月5日の高水三山=伊藤 幸司










追加9……1997年3月26日の高水三山=伊藤 幸司










追加10……1995年11月11日の高水三山=伊藤 幸司







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【01】撮影:09時52分=伊藤 幸司
JR青梅線の軍畑駅から山間集落の道を平溝川に沿って遡っていきます。高源寺のところで川から離れるのですが、その間約30分、これがその平溝川です。私はいつもこの流れに魅了されてしまいます。ひと跳びで飛び越えるにはちょっと無理かもしれないという超ミニサイズですが、箱庭的渓流が道脇に続きます。
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【02】撮影:09時53分=伊藤 幸司
季節柄、曼珠沙華が咲いていました。
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【03】撮影:09時55分=伊藤 幸司
正面の斜面は、つい最近、……ここ数年に、森林伐採が行われたと気づきました。奥多摩ではこの程度の面積のこういう皆伐が順繰りに行われています。この日のルートの最後にはこのような皆伐の21年目の状態を見ることができるはずです。
ネットで調べてみると多摩地域では46%が森林で、その98%が民有林、その73%が私有林で残りが入会地を含む公有林とのこと。私有林の面積の73%は20ha以上を所有する山林地主約300人のもので、5ha未満の所有者は人数で88%にのぼるとのこと。テレビのクイズ番組に出そうな数字ですが、眼前のこの伐採後の植林は誰がどのようにおこなっているのでしょうか。人工林率は60%で、昭和30〜40年代(1955-1975)の国家的な緑化事業で植えられたものが多いとのことです。
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【04】撮影:09時58分=伊藤 幸司
高源寺で出発の準備を整えます。無住の寺ですが、かつて、集落のみなさんが掃除をしている場面に出会ったことがありました。
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【05】撮影:10時13分=伊藤 幸司
道際の栗林から、立派なクリの実をつけた枝がこれ見よがしに伸ばされていました。
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【06】撮影:10時13分=伊藤 幸司
放っておくと、このクリの実はポロリと地面に落ちそうです。ハラハラさせられる光景です。
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【07】撮影:10時16分=伊藤 幸司
これがこのルートの最後の民家。私たちはこの家の人たちと軽い会話を交わすことができました。
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【08】撮影:10時18分=伊藤 幸司
この木が何なのか、みなさんが聞いていました。私ももちろん耳にしたので撮ったのですが、もちろん失念。どなたかコメントで教えてください。
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【09】撮影:10時21分=伊藤 幸司
破滅への巡礼に出てしまったミミズさん。
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【10】撮影:10時24分=伊藤 幸司
ジイソブだかバアソブだか、ほどほどの高さまで伸び上がって存在感を示しているツルニンジン。正確にはツルニンジンがジイソブでバアソブはヒメツルニンジンとか。根が朝鮮人参に似ていることもあって韓国では高級山菜だそうで、韓国の人にいうと「なんで採らなかったの?」と残念がられます。バアソブは小型で、花の外側がジイソブの白に対して紫色が混じるとのこと。これはジイソブに間違いないようですが、バアソブは個体数がものすごく少ないとのこと。その原因かどうかわかりませんが、ジイソブの種子には翼があって遠くへ飛ぶのに対して、バアソブの種子には翼がないのだそうです。
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【11】撮影:10時25分=伊藤 幸司
小さな養魚場の先に、砂防ダムがありました。できたのは10年ぐらい前でしょうか。
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【12】撮影:10時31分=伊藤 幸司
谷筋を進んでいきます。この日、沢には水はほとんどありませんでしたが。
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【13】撮影:10時34分=伊藤 幸司
ミズヒキがありました。紅白に見えるというところが絶妙ですね。
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【14】撮影:10時35分=伊藤 幸司
ミズヒキの花は、ここではかなり元気な状態でした。ここまでピンと伸びやかな状態だと。
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【15】撮影:10時48分=伊藤 幸司
谷筋をたどって山ひだに踏み込んだ後、稜線に向かって一気に登り始めます。日本の山の典型的なパターンです。視線が上に向くからか、ドラマチックな気分になります。
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【16】撮影:10時49分=伊藤 幸司
ジグザグの道でどんどん高度を上げていくと、上方に明るい風景が広がってきました。
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【17】撮影:10時50分=伊藤 幸司
ススキの斜面が広がっていました。これぐらいのボリュームがあると楽しい気分になります。ここではジャングルに分け入るというふうにならず、縁をかすっただけでしたが、秋の気分を味わいました。
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【18】撮影:10時50分=伊藤 幸司
元気なススキは美しい、のですね。
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【19】撮影:10時50分=伊藤 幸司
振り仰いで素直に撮ったのですが、ちょっとわざとらしい感じになってしまったかも。「発見」のない写真だからかも……。
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【20】撮影:10時51分=伊藤 幸司
最後のところは、ススキの森をくぐり抜けるような道だったのですね。
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【21】撮影:10時52分=伊藤 幸司
これはたしか、孫の顔を見にフランスからやってきたおじいちゃん、おばあちゃんとのハイキング。この人たちとは、この日の最後のところでまた偶然に一緒になります。
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【22】撮影:10時56分=伊藤 幸司
元気なススキ、以上の、素敵なススキ……ではないでしょうか。
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【23】撮影:11時01分=伊藤 幸司
ヤマジノホトトギスかヤマホトトギスかわかりませんが、紫の斑紋をつけた花被片(花びら)が大きく反り返っていると見ればヤマホトトギスです。
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【24】撮影:11時03分=伊藤 幸司
谷筋を離れて尾根筋まで登ると、向こう側の斜面、つまり平溝川から上がってくる斜面はそれなりに手入れされた植林地となっていました。集落のところで見た伐採地の背後の植林地の最上部といえる場所です。
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【25】撮影:11時04分=伊藤 幸司
フランス人グループを先に送り出して、ゆっくりと休憩しました。右側が登ってきた自然林、左側が植林地です。
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【26】撮影:11時05分=伊藤 幸司
さあて、この写真だけではヤマホトトギスか、ヤマジノホトトギスかわかりません。現地でこの花がどんなふうについていたか、見ていません。休憩した場所の道脇にあったので目立ちました。
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【27】撮影:11時07分=伊藤 幸司
これはナツヅタではないでしょうか。ツルアジサイやイワガラミだと自然の感じがするのですが、ナツヅタだと都会的に感じます。落葉するのでナツヅタで、紅葉するのでニシキヅタ、ビルの外壁でもどんどん登っていく登攀能力が自慢だそうです。
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【28】撮影:11時21分=伊藤 幸司
小さな尾根を登っていくと、広大な人工林の広がりに入り込んでいきます。私はこの道が、ちょっと好きです。
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【29】撮影:11時26分=伊藤 幸司
またホトトギスですが、これはヤマジノホトトギスみたいです。花被片(花びら)が水平に開いているだけでなく、花が茎の先端に直接付いているように見えます(現地で確認していませんが)。
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【30】撮影:11時32分=伊藤 幸司
昔、といっても30年ぐらい前に日本人が一番美しいと感じる森林風景は杉林だと新聞で報じられていたのを覚えています。
第二次大戦後昭和天皇が「植樹」に力を入れられて、荒廃した日本の森林がとりあえず緑を回復しました。糸の会メンバーのK氏が森林問題に興味を持っていろいろ調べてみると、幕末から明治にかけて外国人旅行者が撮った名所の写真を見ると、どこも禿山で驚いたということです。
私が森林文化協会(朝日新聞社)の雑誌の仕事で伊勢神宮を取材したときにも、伊勢神宮の裏山には江戸時代に不法占拠者の村があって、その結果、せいぜい樹齢百年までの雑木林として放置されていたと聞きました。取材した営林技術者によると、式年遷宮のさいに一枚扉のためどうしても必要な直径140cmのヒノキ材を、これまでは木曽の国有林から抜き切りしてきたのですが、樹齢400年というような巨木の代わりを伊勢神宮の森でも準備しなければいけないということで、大樹育成試験地として植林を始めているとのことでした。「千古不伐」などと形容される伊勢神宮の杉林も、じつは表ヅラだけのもの、と知りました。
また「千古不伐」といえば富士山の青木ヶ原樹海ですが、第二次大戦中に、軍用と称して、巨木をどんどん切り倒したそうです。その木のほとんどは搬出されないまま終戦を迎えたといいますが。
私たちは「緑豊かな国」に生まれ育ったと思っていますが、その緑の多くが杉林で、登山者には薄汚い、お化けの出そうな暗い森になってきました。ごく最近、スギの花粉症が大きな問題となったためか(石原都知事の時代ですが)水源林保護というような理由付けで、間伐作業などを積極的に補助してきたようです。首都圏の日帰り登山で見る杉林は驚くほどきれいなものになってきました。
建築用材としてのスギ・ヒノキの植林は、高度成長期に林野庁自らがソ連からの外在輸入を認め、それが南洋材へと広がって、せっかく植えた日本のスギ・ヒノキを負の遺産としてしまいました。花粉症もその負の遺産のひとつでしょう。これからは国土保全や水源涵養という役割をもった広葉樹林に期待がかけられていくかもしれません。地球温暖化によるスーパー台風などにはそちらの役割のほうが高い価値を求められるかもしれないからです。
この風景、私はいま、好きです。ここ20年の山の写真をこの発見写真旅にできるだけ追加展示していきますので、同じ場所での20年間の風景の違いを比べていただくことも可能になるかと思います。……いずれ、たぶん。
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【31】撮影:11時44分=伊藤 幸司
私が頼りにしているネット上の「キノコ写真」で調べてみると、ありません。美味な食材といわれるカラスタケに似ているのですが、あちらはもっとグニャグニャしてキクラゲふうの感じです。だからわかりませんが、とてもハンサムな感じじゃあ、ありませんか?
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【32】撮影:11時47分=伊藤 幸司
なんで日の丸風手すり飾りなのかわかりませんが、高水山常福院への石段です。もちろん車で来ることのできるお寺です。
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【33】撮影:11時49分=伊藤 幸司
まるで新緑みたいに輝いているイロハモミジ。トイレもあるので長めの休憩です。
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【34】撮影:12時01分=伊藤 幸司
1822年に再建されたという浪切白不動明王を祀る不動堂。「浪切」は唐から帰国する船上にあった空海(弘法大師)が嵐の中で刻んだ不動明王ということで、本山は高野山南院にあるとか。この山の中、和船らしきものが奉納されています。
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【35】撮影:12時21分=伊藤 幸司
高水山から岩茸石山へと向かうのですが、「山」と名がつけば稜線上に顕著な突起となっているのが普通です。従って、次の山に向かうにはまず下りがあります。
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【36】撮影:12時31分=伊藤 幸司
縦走路は山並みを遠くから眺めたときのアップダウンがほぼそのまま現実のものとして現れます。おおよそ緩やかに見える稜線でも細かく登ったり下ったりする場合もありますが、この高水三山ではほぼ「平らな道」が三山を結んでいます。……だからガイドブックには「家族向け」などと書かれていると思います。子どもが登山道ではしゃいでも、なんとか歩かすことができるという意味で、貴重です。
1993〜95年に毎日新聞社から刊行された「シリーズ・日本の大自然・国立公園)の巻末で「国立公園物語」を書いていましたが、第16巻の「秩父多摩国立公園」では奥多摩のガイドブックを9冊並べて、詳しく比較してみました。その中でこの「高水三山」での「コースタイム」をくらべてみたのですが、驚くことに、旅行ガイド系の1冊を除いて8冊すべてのコースタイムがまったく同じだったのです。
定番の登山ガイドを始めとする8冊はすべて歩行時間=3時間45分としていました。軍畑駅→(30分)→平溝・高水山登山口→(1時間)→高水山→(35分)→岩茸石山→(40分)→惣岳山→(1時間)→御嶽駅と。
ところがたまたま加えた旅行ガイドではすこし違っていました。軍畑駅→(30分)→高源寺→(1時間20分)→高水山→(35分)→岩茸石山→(40分)→惣岳山→(1時間30分)→御嶽駅。合計時間が4時間35分となって、登山口の高源寺から高水山への登りがプラス20分の33%増、惣岳山からの下りがプラス30分の50%増。
で何なのかというと「登山ガイドのコースタイムがどれをみても同じだと、一般の人はきっと、それが正しいと思うに違いありません。しかし私などは、そういうときこそ眉をしかめてしまうのです。これは、最初の1人をのぞいて、だれも本気で書いていない、と思ってしまうのです」
私は当時山岳写真家の内田良平さんと仕事をしていて、彼が登山ガイドブックのコースタイムをどのように計算しているか聞いていました。仕事でガイドブックを書く人たちは、そのコースタイムで歩いているはずはないのです。普通に歩けば当然速くなるし、写真家なら途中で三脚を立てたりします。もし「標準タイム」で歩いたとしても、その「標準」をなぜ標準なのか証明することはできません。だから当時はガイドブックや登山地図のコースタイムは地元のベテラン登山者に文句を言わせない「標準」でした(そういう登山標識が現在も残っている場合があります)。ところが中高年登山や女性登山(現在の山ガールの前です)のブームが起こると、その人たちに文句を言わせない「標準」となるのです。なにが標準かわからないままに。ですから今、古いガイドブックや地図を持って山を歩くと、古い「標準」かもしれないということに注意しなければならないのです。
私は内田さんの計算式に触発されて「20度の勾配をもつ標準的登山道」を見つけ、それを「平地を時速4kmであるくエネルギー」で歩いた場合を「標準」とするコースタイム計算法を考えたのです。登山者の脚力の差はそれぞれの人が「係数」を変えればいいのです。「標準」が決まっていれば「係数」管理が有効になります。この発見写真旅で用いている「パワー」という単位は、このホームページにある「自習登山のすすめ」で解説している「ポイント」と同義です。
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【37】撮影:12時37分=伊藤 幸司
ずいぶん頑強な感じですが、コアジサイだと思います。梅雨時に、小さな花がとてもきれいなブルーを見せてくれます。
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【38】撮影:12時38分=伊藤 幸司
ここからは奥武蔵の山並みが見えました。
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【39】撮影:12時39分=伊藤 幸司
ほぼ平坦な道の先に、岩茸石山へと登る急登がありました。左に巻道も見えています。
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【40】撮影:12時41分=伊藤 幸司
この登りがあるから山並みの中の「山」なのです。奥多摩と丹沢、あるいは北アルプスでは縦走時のこの「山」のスケールが違うわけです。たとえば中央アルプスの木曽駒ヶ岳から空木岳への縦走路では、このくらいの突起は「平ら」のなかにいくつでも現れてきます。
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【41】撮影:12時43分=伊藤 幸司
キイボカサダケではないかと思いますが、どうでしょうか。
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【42】撮影:12時49分=伊藤 幸司
頂上直下にハギのかなり大きな木がありました。
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【43】撮影:13時01分=伊藤 幸司
秋の土曜日。岩茸石山の山頂にはいくつものグループがいて、見ていると次から次へと登ってきます。さすが人気の山だと感心します。「駅から登山」も魅力的ですし。ちょっと経験のあるリーダーなら、まったくの初心者を交えても結果オーライの楽しい1日を過ごせます。
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【44】撮影:13時04分=伊藤 幸司
私たちはどんなグループに見えるのでしょうか。年齢的にもですが、登山歴でも。
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【45】撮影:13時25分=伊藤 幸司
コトヒラシロテングタケだと思います。「傘に白い大きな鱗片をつける」と「キノコ写真」にありました。
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【46】撮影:13時28分=伊藤 幸司
太い木と細い木がこれだけ混在していると東北のブナ林を思い出します。彼の地では年齢ピラミッドが健在だと言う意味でヒョロヒョロの若いブナが存在感を示しています。丹沢のブナ林はブナの老樹とササだけの危うい光景となっていますが、人工林のこの細い木は若いというより、痩せ細ったという印象です。
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【47】撮影:13時29分=伊藤 幸司
ハギの花が頭上にアーチをつくっていました。
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【48】撮影:13時37分=伊藤 幸司
じつはここが20年前に皆伐されて植林されたところです。シカ除けのネットで守られていますが、広葉樹も植えられているらしく、20年の年輪をまだ感じさせない不透明な斜面になっているようです。
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【49】撮影:13時43分=伊藤 幸司
なぜこんなふうになっているのかわかりませんが、元気のない木が並んでいました。
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【50】撮影:13時43分=伊藤 幸司
ここが惣岳山への登りです。ここで一度、春にイワウチワの花を見たことがあります。
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【51】撮影:13時47分=伊藤 幸司
ここがこの日、一番岩っぽかったところだったと思います。
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【52】撮影:14時00分=伊藤 幸司
惣岳山の山頂には青渭(あおい)神社の立派な社殿がありますが、全体がしっかりした金網で覆われています。この場所は古くから「惣岳」と呼ばれ、「東高水、西大嶽、南光明、北惣岳、中御嶽」の五山を総管するとされていたようです。青渭神社という名は、山頂からすこし下ったところにある真名井という霊泉があって、それを別名「青渭の井」と呼ばれていたということです。この奥宮(かつては本殿、その前は拝殿とか)は1845の再建で、昭和9年(1934)に改築して現在の形となったそうです。
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【53】撮影:14時01分=伊藤 幸司
金網の目から内部を覗くと、力作という感じの彫刻があちこちにありました。
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【54】撮影:14時02分=伊藤 幸司
作品という感じの透かし彫りの額です。
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【55】撮影:14時02分=伊藤 幸司
もうひとつの透かし彫りです。
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【56】撮影:14時02分=伊藤 幸司
透かし彫りの部分です。
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【57】撮影:14時03分=伊藤 幸司
透かし彫りの部分です。
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【58】撮影:14時15分=伊藤 幸司
惣岳山から御岳駅方面へと向かうと、突然、所沢の西武ドームが見えました。遠くにビル群もあるようです。
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【59】撮影:14時27分=伊藤 幸司
立て札には「御神域 しめつりの御神木 青渭神社」と書かれていました。「しめつり」の意味が不明ですが、ここから上が御神域ということになるようです。
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【60】撮影:14時31分=伊藤 幸司
人工林の中にはときどき異質な巨木が残っていますが、ここにスギ、ヒノキの苗木が植えられたときにも、たとえばこの木はほとんどこの姿で立っていたはずです。
昔、伊勢神宮の裏山を取材したとき、250年後のヒノキを夢見て育てていた営林担当者は、台風などで倒れる事故も心配して、残っている広葉樹の巨木を添え木のように利用していました。早く育てばいいというだけではないのが、森を育てる人々の親心だと感じました。たとえば樹齢千年を超える屋久杉などは、若いときに台風かなのかでへし折られたに違いないという屈折した人生を感じさせます。スクスクと育っても、安心はできないのです。とくに自分がその結果を見ることができないような仕事の場合。この木も、そういうヒトの願いを託されて、ここに立ち続けてきたのかもしれません。
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【61】撮影:14時57分=伊藤 幸司
この場所。私が最初にここを通った20年前には、とても魅力的なスギの回廊というふうに見えました。
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【62】撮影:15時09分=伊藤 幸司
御岳駅方面へ下る道の終盤で、沢井駅へと下る脇道がありました。まさにこの場所で10時52分に出会ったフランス人ファミリーと再会。どちらに下ろうか悩んでいたようですが、私たちの、そのときの交代制トップは沢井駅への道を選びました。
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【63】撮影:15時21分=伊藤 幸司
すぐ林道に出ると、交通事故死した蛇が干物状態で横たわっていました。
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【64】撮影:15時22分=伊藤 幸司
これは明治初期に山麓に設けられた青渭神社の遥拝殿。
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【65】撮影:15時23分=伊藤 幸司
集落に入ると、こんな素敵な岩飾りがありました。
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【66】撮影:15時30分=伊藤 幸司
これはナナカマドではないでしょうか。
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【67】撮影:15時40分=伊藤 幸司
多摩川をはさんで向こう側の斜面に協会の建物が見えました。ネットで調べてみると「奥多摩バイブルシャレー」で「クリスチャンキャンプ・キリスト教宿泊施設」だそうです。
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【68】撮影:15時43分=伊藤 幸司
道際のお宅にトケイソウが咲いていました。
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【69】撮影:15時45分=伊藤 幸司
沢井へ下ったのは、もちろん澤乃井のまヽごとや屋でひと休みしたかったら。
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【70】撮影:15時57分=伊藤 幸司
「まヽごとや屋」といっても売店でお三時という感じの休憩。
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【71】撮影:18時32分=伊藤 幸司
入浴と食事はこのところ定番の河辺温泉・梅の湯で。帰りの時間計算が楽になります。

追加1……2012年7月14日の高水三山=伊藤 幸司

*糸の会No.825。
*奥多摩の気分を軽く楽しみつつ、せっかくですから「発見写真旅」対応として「見る余裕」を加えたいと思います。……と計画書に書いたのですが、結局、このとき発見写真旅は成立しなかったようです。(今回の発見写真旅も写真は伊藤ひとりのものだけですが)
*この日は1000JR軍畑駅(標高約250m)を出発。1025-35高源寺(標高約300m)→1055-1105尾根に出たところ(標高約450m)→1125-30標高約550m→1155-1205標高約700m→1220-40高水山(標高759m)→1310-20岩茸石山(標高793m)→1405-15惣岳山→1500御嶽駅・沢井駅分岐→1505林道→1535JR沢井駅。

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【72】撮影:10時02分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【73】撮影:10時08分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【74】撮影:10時23分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【75】撮影:10時25分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【76】撮影:10時38分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【77】撮影:10時39分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【78】撮影:10時54分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【79】撮影:10時58分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【80】撮影:11時09分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【81】撮影:11時17分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【82】撮影:11時24分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【83】撮影:12時26分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【84】撮影:12時37分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【85】撮影:12時42分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【86】撮影:12時43分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【87】撮影:12時44分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【88】撮影:12時46分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【89】撮影:12時46分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【90】撮影:12時46分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【91】撮影:12時57分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【92】撮影:13時02分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【93】撮影:13時02分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【94】撮影:13時25分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【95】撮影:13時31分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【96】撮影:13時33分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【97】撮影:13時36分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【98】撮影:13時59分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【99】撮影:14時10分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【100】撮影:14時10分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【101】撮影:14時12分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【102】撮影:14時21分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【103】撮影:14時33分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【104】撮影:14時35分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【105】撮影:14時38分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【106】撮影:14時40分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【107】撮影:14時53分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【108】撮影:15時09分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【109】撮影:15時11分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【110】撮影:15時12分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【111】撮影:15時15分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【112】撮影:15時28分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【113】撮影:15時29分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【114】撮影:15時51分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【115】撮影:15時52分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【116】撮影:15時28分=伊藤 幸司=2012.7.14
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【117】撮影:16時07分=伊藤 幸司=2012.7.14

追加2……2011年5月17日の高水三山=伊藤 幸司

*糸の会No.743。
*高水三山初体験の人を対象に計画したので、のんびり、ゆったりという色付けを心がけ、御嶽駅に下って御岳渓谷の気分も。
*「澤乃井ままごと屋のいもうとや」で食事して、入浴は河辺(かべ)温泉・梅の湯に初めて行きました。
*それまでは御嶽駅からなら「ゆずの里・勝仙閣」の登山者用入浴・食事メニュー(ただしこの日は火曜日で定休)、あるいは青梅駅で下車して銭湯の「青梅温泉」(2001年ごろから休業→廃業)か「かんぽの宿青梅」で。食事は檀一雄一家の寄せ書きのある天徳(2009年閉店)というのが定番でしたが、2007年12月に青梅から2駅目の河辺駅にできたという河辺温泉に、この日初めて行ったのです。
*この日は0950JR軍畑駅(標高約250m)を出発→1015-25高源寺(標高約300m)→1045-50ダム上(標高約400m)で休憩→1110-15稜線に出て休憩(標高約550m)→1150-1205高水山常福寺(標高約700m)→1215高水山山頂(759m)→1245−55岩茸石山山頂(標高793m)→1335−45惣岳山山頂→1445高圧送電鉄橋(標高約400m)→1500御嶽駅(標高約250m)。

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【118】撮影:
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【119】撮影:
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【120】撮影:
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【121】撮影:
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【122】撮影:
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【123】撮影:
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【124】撮影:
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【125】撮影:
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【126】撮影:
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【127】撮影:
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【128】撮影:
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【129】撮影:
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【130】撮影:
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【131】撮影:
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【132】撮影:
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【133】撮影:
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【134】撮影:
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【135】撮影:
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【136】撮影:
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【137】撮影:
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【138】撮影:
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【139】撮影:
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【140】撮影:
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【141】撮影:
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【142】撮影:
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【143】撮影:

追加3……2008年4月19日の高水三山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉「第3土曜日」シリーズの43回目。
*じつは3回目の2004年12月18日に高水三山をやっていますが、このシリーズの参加者は完全に入れ替わっています。日帰りのメーンは第4水曜日でしたから、小屋泊まりなどへと進む人には順次そちらへ移行していただきました。 *このシリーズはJRのホリデーパス(当時は2,300円)で千葉方面からの往復全部がカバーされるというお得な気分を一応意識したシリーズです。全部で72回、丸6年続きましたが、その中で2回選んだ山はこの高水三山のほか、天城山、大蔵高丸、笠山、二子山、鼻曲山となっています。
*この日は0925軍畑駅(標高約250m)を出発→0955-1005高源寺(標高約300m)→1045-50稜線(標高約550m)→1130-1200高水山常福寺(標高約700m)→1240-50岩茸石山(標高793m)→1345-1400惣岳山(標高756m)→1505-10高圧送電線鉄塔(標高約400m)→1550御嶽駅。 *風呂と食事はこの当時登山道各所で案内されていた「ゆずの里・勝仙閣」の入浴+登山者用食事(2,500円)としました。
*写真【171】と【172】は惣岳山山頂下の岩場(まさに登山道わき)に咲いていたイワウチワです。

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【144】撮影:
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【145】撮影:
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【146】撮影:
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【147】撮影:
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【148】撮影:
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【149】撮影:
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【150】撮影:
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【151】撮影:
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【152】撮影:
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【153】撮影:
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【154】撮影:
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【155】撮影:
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【156】撮影:
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【157】撮影:
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【158】撮影:
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【159】撮影:
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【160】撮影:
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【161】撮影:
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【162】撮影:
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【163】撮影:
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【164】撮影:
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【165】撮影:
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【166】撮影:
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【167】撮影:
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【168】撮影:
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【169】撮影:
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【170】撮影:
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【171】撮影:
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【172】撮影:
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【173】撮影:
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【174】撮影:
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【175】撮影:
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【176】撮影:
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【177】撮影:
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【178】撮影:
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【179】撮影:

追加4……2004年12月18日の高水三山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の第3土曜日シリーズ。
*冬の日差しが山の表情を繊細に見せていました。
*最後の写真は御嶽駅ホーム脇の老舗そば処・玉川屋ですが、素通りして「ゆずの里・勝仙閣」でゆず湯とゆず料理の登山者サービスにしました。
*この日は1005JR軍畑駅(標高約250m)を出発→1030-40高源寺(標高約300m)→1130-35稜線に出たところ(標高約550m)→1200-20高水山常福寺(標高約700m)→1310-20岩茸石山(標高793m)→1400-20惣岳山(標高756m)→1510-15休憩(標高約400m)→1540御嶽駅(標高約250m)

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【180】撮影:
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【181】撮影:
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【182】撮影:
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【183】撮影:
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【184】撮影:
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【185】撮影:
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【186】撮影:
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【187】撮影:
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【188】撮影:
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【189】撮影:
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【190】撮影:
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【191】撮影:
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【192】撮影:
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【193】撮影:
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【194】撮影:

追加5……2003年12月23日の高水三山=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクールの「超入門山歩き」60山のNo.45。
*「ゆずの里・勝仙閣」で登山者向け入浴+食事のあと、青梅駅まで一気に送迎してもらえたので駅前で食後のスイーツというのが最後の写真。
*この日は1030JR軍畑駅(標高約250m)を出発→1055-115高源寺(標高約300m)→1150-1200稜線に出たところ(標高約550m)→1230-50高水山常福寺(標高約700m)→1340-1405岩茸石山(標高793m)→1450-1500惣岳山(標高756m)→1555-1600高圧送電線鉄塔(標高約350m)→1630御嶽駅(標高約250m)

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【195】撮影:
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【196】撮影:
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【197】撮影:
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【198】撮影:
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【199】撮影:
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【200】撮影:
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【201】撮影:
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【202】撮影:
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【203】撮影:
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【204】撮影:
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【205】撮影:
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【206】撮影:
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【207】撮影:
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【208】撮影:
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【209】撮影:
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【210】撮影:
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【211】撮影:
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【212】撮影:

追加6……2000年7月5日の高水三山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉・第3水曜日の22回目。
*「東京駅集合午前8時、下山後最寄り駅での解散を午後6時という目安で、ゆっくり、たっぷり歩きます」というシリーズ。
*JR御嶽駅から登って軍畑駅に下り、できればさらに歩いて、入浴と食事は吉野梅郷の「梅の里久兵衛」という計画でした。
*この日は1100JR御嶽駅(標高約250m)を出発→1135-45休憩(標高約400m)→1245-1310惣岳山(標高756m)→1355-1410岩茸石山(標高793m)→1445-1500高水山常福寺(標高約700m)→1545-55高源寺(標高約300m)→1620JR軍畑駅。

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【213】撮影:
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【214】撮影:
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【215】撮影:
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【216】撮影:
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【217】撮影:
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【218】撮影:
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【219】撮影:
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【220】撮影:
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【221】撮影:
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【222】撮影:

追加7……1997年11月20日の高水三山=伊藤 幸司

*八王子そごう(百貨店)レディースクラブ主催の弁当つきバス登山は1996年から2001年にかけて盛況のまま37回行われました。
*これはその8回目。バス満席のみなさんが雨の中登って下りました。
*この日は0925JR軍畑駅(標高約250m)を出発→0945-1010高源寺(標高約300m)→1030-35稜線に出たところ(標高約550m)→1015-1110休憩(標高約700m)→1135-1215高水山(標高759m)→1305-15岩茸石山(標高793m)→1400-10惣岳山(標高756m)→1630ごろ御嶽駅(標高約250m)

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【223】撮影:
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【224】撮影:
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追加8……1997年6月5日の高水三山=伊藤 幸司

*糸の会No.41。
*計画書には長文のルートシミュレーションが書かれていますが、残念ながら地図上での行動時刻管理はなされていません。
*この日の行動で記録されているのは1100ごろ軍畑駅出発→1315-40高水山→1425-1500岩茸石山→1600惣岳山→1730御嶽駅、というだけ。

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【260】撮影:

追加9……1997年3月26日の高水三山=伊藤 幸司

*この時、惣岳山の手前と先で人工林伐採の、皆伐直後の姿を見ました。
*奥多摩でよく見る伐採ですが、バッサリと、じつに見事な皆伐です。高水三山ではその後ずっとこの場所のようすを見続けることになります。
*計画書を見ると朝日カルチャーセンター千葉の「第4期」とあります。
*1996年4月から始まって3か月講座の4回目という意味ですから、ちょうど1年目。
*この頃は教室での講義と実技を交互に繰り返すという方法をとっていましたが、「教室より山がいい」と叫ぶ人(たぶん2017年現在も糸の会に生き残っている数人の「1期生」のどなたかも)がいて、講義はなしになっていきます。
*このシリーズは朝日カルチャーセンター千葉の中心的日帰りとして2011年まで176回続きます。
1)1/8……(水)講義…防寒という考え方
2)1/22……(水)実技…丹沢・大山
3)2/12……(水)講義…足ごしらえと歩き方
4)2/26……(水)実技…箱根・金時山
5)3/12……(水)講義…自分の体を管理するポイント
6)3/26……(水)実技…奥多摩・高水三山
*この日は1010JR軍畑駅(標高約250m)を出発→1035高源寺を通過(標高約300m)→1045-55登山口で休憩(標高約400m)→1125-30稜線に出たところ(標高約550m)→1200-40高水山常福寺(標高約700m)→1315-45岩茸石山(標高793m)→1420-35惣岳山(標高756m)→1620ごろ沢井駅(標高約250m)→澤乃井園へ


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追加10……1995年11月11日の高水三山=伊藤 幸司

*糸の会は1995年の10月に発足して、これがそのNo.1。
*計画書は参考資料で文字だらけ、地図には500mごとの距離表記と50mごとの高度表記がありますが、アップルのレーザーライターという1色刷りのプリンターでしたから、今では見る気にもなりません。
*代わりに予定コースタイムは綿密かというと、JR軍畑駅を起点として「0930頃=登山開始」「1500頃=JR御嶽駅で下山・解散(予定)」となっており、そのあと「道草」として「1=手打ちそばの玉川屋」「2=青梅温泉(銭湯)」とあるだけです。


*糸の会創設の経緯についてはホームページの「1995〜2005年・文書いろいろ」にありますが、その一番古い文書が「1995.10.30……糸の会設立案内」です。
■登山講座「初めての山歩き」を受講されたみなさまへ
■東急セミナーBE登山教室閉講通知

●昨年10月から3カ月を1期として開講した「初めての山歩き」はちょうど1年、4期で終了いたしました。とりあえず閉講のごあいさつをいたしたく、この手紙を書いています。残念ながら当講座と相性の良くなかった方もいらっしゃいますが、それはそれとして全参加者のみなさまにお礼申し上げます。

●閉講の理由は東急セミナーBEによる危機管理の見直しによるもので、講座開設中に生じたことがらによるものではありません。それゆえ閉講にかかわるこのお知らせも講座担当の三好さんによって発送していただけるということになりました。

●最後の講座がおこなわれた9月28日に4期の出席者の方々に、お別れ会に招いていただきました。その折、この登山講座をベースにして伊藤流の山歩きの会をやってみるという結論に達しました。本来はみなさんに早く卒業していただきたいというのが私の立場でしたが、冬の北八ヶ岳と来夏の北アルプスの企画まではなんとか責任を持ちたいということから、けっきょく月1回の、従来どおりの山歩きを、比較的自由な参加条件で続けてみたいという考えに至りました。

●山の会をやるやらないにかかわらず、もともと、了承していただいた方々の連絡名簿をつくって今後の個人的な交流に役立てていただきたいとは考えていました。ですからここではそれに加えて新しい山の会の当面の連絡名簿とさせていただけるかどうかの了解をいただきたいのです。そのお別れ会のあと、約1万1000円の残金をご寄付いただきましたのでそれで名簿が作れます。名簿に記載されることを了承され、今後新しい山の会の案内が届くということに関してOKの方は電話、FAX、郵便などで伊藤までお知らせいただきたくお願い致します。
(9月28日の会に出席のみなさまに関しては、すでに了解をいただいていると考えています。また山の会のかたちについては考え方を決めました。別紙をご覧下さい)

●最後に、何からなにまでやりたいようにやらせていただいた東急セミナーBEと担当の三好律子さんにお礼を申し上げます。

1995.10.30
伊藤幸司


■「糸の会」へのご案内

●さて山の会についてですが、名前はK.斎藤さんの命名によって「糸の会」となりました。いろいろな意味が重ねられているようですが、アルファベットで書くとITOの会とも読めます。さっそく郵便振替口座を開設しました。

●この「糸の会」は会員規約といったものは設けません。伊藤幸司の私的な山歩き講座という考え方で、連絡名簿のみを順次作成するだけのゆるやかな組織にしたいのです。みなさんには個人的な山歩きも活発にやっていただきたく、またいろいろな登山教室も体験していただきたいところから、従来どおり入門編に徹したいと思います。それには故障者のリハビリも積極的に展開したいという新しい試みも考えているからです。

●どういう仕掛けを考えているかというと、山行は毎月第2土曜日を予定します。奇数月は「足慣らし&リハビリコース」で軽い山をていねいに歩きます。初めての参加者があれば、顔合わせはこのコースからということになります。偶数月は「早起き&ハードコース」で、参加者全員の調子がよければ積極的に歩きます。このほかにすでに予告済みのように冬の北八ヶ岳(2月下旬か3月上旬を予定)と夏の北アルプス(8月中〜下旬)を企画したいと思います。

●参加の方法ですが、日程表は事前にお送りしておき、参加希望の山行に対して3,000円の講座料を郵便振替口座(手数料60円で通信欄を活用できます)に振り込んでいただくと、オリエンテーションのプリントをお送りします。このプリントが紙上講座とご理解下さい。

●山行はもちろん伊藤の責任のもとにおこなわれますが、事故に対する補償制度は十分ではありません。事前に参加申し込みがあるわけですから旅行団体保険程度はかけるつもりです。そういう意味では同好の山の会や旅行会社の添乗員のみの登山ツアーと同様です。事前にご了承いただきたく思います。また山行にかかわる費用に関してはオリエンテーション・プリントにできるかぎりこまかく記しますが、参加者それぞれにかかる当日の山行費用はご自分で直接お支払いいただきます。タクシー代などはそれぞれ割り勘で、という方式になります。

●月例の山行以外のものは特別合宿ということになります。これもできるだけ現地集合・現地解散として、意欲的なみなさんにはその前後に自主的な山歩き企画を加えていただけるといいように思います。たとえば北アルプスでは前半を特別合宿とし、希望者は後半に自主合宿をつなげるというような自由度を考えるということです。宿泊がからむようなときには予約という問題も生じますから、山行費用の一部を申し込み時にいただくようなこともあるかもしれません。

●最後に「会員」ということに関して。私自身ができるだけ組織に加わらないという生き方をしていますので、この会もタイトな会員組織にはしたくありません。出入り自由のサロンというのがひとつのイメージです。そこで名簿を「連絡名簿」とし、相互の連絡用に活用していたければ、と思います。

●しかし個々の山行への参加条件についてはきちんとした基準を示したいと思います。それは山行そのものの中味に関わってくることだからです。第一に、初顔の方は奇数月の「足慣らし&リハビリコース」のみに参加していただきます。偶数月の「早起き&ハードコース」の参加者はお互いの脚力・体力・経験などを十分知っているというふうにしたいのです。また特別合宿に関してはそのときどきのテーマによって参加条件を指定します。たとえば冬の北八ヶ岳では指定する靴と衣類を用意していただくということが参加条件になります。北アルプスでは過去6カ月間のハードコースの参加を条件にするでしょう。

●参加されるみなさんと相談しながら進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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【302】撮影:

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