発見写真旅・展(132)――2016.12.27 高尾山(42パワー)<b> 発見写真旅・展(132)――2016.12.27 高尾山(42パワー)


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追加1……2014年12月23日の高尾山=伊藤 幸司
追加2……2013年12月24日の高尾山=伊藤 幸司
追加3……2011年7月19日の高尾山=伊藤 幸司
追加4……2011年12月20日の高尾山=伊藤 幸司
追加5……2009年12月22日の高尾山=伊藤 幸司
追加6……2009年12月15日の高尾山=伊藤 幸司
追加7……2009年7月21日の高尾山=伊藤 幸司
追加8……2007年12月25日の高尾山=伊藤 幸司
追加9……2005年12月20日の高尾山=伊藤 幸司
追加10……2000年12月26日の高尾山=伊藤 幸司
追加11……2000年2月16日の高尾山=伊藤 幸司
追加12……1999年8月17日の高尾山=伊藤 幸司
追加13……1998年5月13日の高尾山=伊藤 幸司
追加14……2009年12月19日の高尾山=伊藤 幸司

★糸の会山行 1016 高尾山(42パワー)────2016.12.27
*平地8p→登り14p→稜線10p→下り10p

*年末恒例のダイヤモンド富士狙いです。中央本線沿線の山にして、午後になっても西の空に雲がかかっていなかったら急遽高尾山へと転戦、16時30分ごろのダイヤモンド富士に向かって走る……という考え方をせずに、相模湖からダイレクトに、ゆっくりゆっくり登る計画にしました。
*そういう横着な計画だったからか、朝から雨、または濃い霧。富士山は一度薄っすらと姿を確認できましたが、写真にはまったく映らない程度。
*じつはそういうゆるい計画にした張本人は千木良の「そばき里・休屋」という店。登山ルートにあって、かなりの人気店でしたから、そこで昼食というさらにゆるいイメージで計画を始めたのです。ところが調べていくうちに火曜日が定休。ならばどこかの茶店であったかいきのこ汁でも……とゆるい期待で計画を確定させたのです。
*以前ならダイヤモンド富士がだめでもシモバシラは見られるかも? という期待をしてのことですが、今年は暖かくて始めっから期待感なし。シモバシラは想像どおりナッシング、茶店は城山も紅葉台も完全閉店、山頂の茶店も半営業状態で、できればお客に来てほしくない状態でした。晴れていれば山頂は人でいっぱいになるというのに。そこでさっさと下ることにしました。
*ほとんど人に会わない静かな山になりました。そして、京王高尾山駅に隣接する極楽湯も静かでした。


12月27日
・1050……JR相模湖駅を出発(標高約200m)
・1125-30……吊橋手前でトイレ休憩(標高約150m)14度C
・1150-1200……千木良でトイレ休憩(標高約250m)
・1250-55……休憩(標高550m)
・1315-35……城山山頂でトイレ休憩(標高670m)
・1425-30……紅葉台展望台で休憩(標高約550m)
・1440-45……高尾山山頂(標高599m)
・1540-45……琵琶滝(標高約300m)
・1605……京王高尾山温泉・極楽湯(標高約200m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。
三浦 陽子(2点)
伊藤 幸司(47点)
矢野 博子(4点)制作上のミスで後から組み込みました。


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:三浦 陽子


撮影:矢野 博子


撮影:伊藤 幸司




















追加1……2014年12月23日の高尾山=伊藤 幸司








追加2……2013年12月24日の高尾山=伊藤 幸司








追加3……2011年7月19日の高尾山=伊藤 幸司






追加4……2011年12月20日の高尾山=伊藤 幸司






追加5……2009年12月22日の高尾山=伊藤 幸司


追加6……2009年12月15日の高尾山=伊藤 幸司




追加7……2009年7月21日の高尾山=伊藤 幸司




追加8……2007年12月25日の高尾山=伊藤 幸司


追加9……2005年12月20日の高尾山=伊藤 幸司






追加10……2000年12月26日の高尾山=伊藤 幸司


追加11……2000年2月16日の高尾山=伊藤 幸司


追加12……1999年8月17日の高尾山=伊藤 幸司




追加13……1998年5月13日の高尾山=伊藤 幸司






追加14……2009年12月19日の高尾山=伊藤 幸司









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【01】撮影:10時48分=伊藤 幸司
できれば「ダイヤモンド富士」を期待しつつ、高尾山への道を楽しもうという計画なのに、のっけから堂々たる雨。
こういうとき、私たちは「犯人探し」をするのが常です……が現実は現実、歩き出せば、こんな日だってなにか、見るべきものがあるはず……だとも、考えます。
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【02】撮影:11時10分=伊藤 幸司
相模ダムの湖面には、なにか大規模な作業の進行があるようです。
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【03】撮影:11時23分=伊藤 幸司
このとき、おそらくこの日の一番危険な場所だと思って、みなさんに注意をもとめました。
濡れた舗装路が、なんとなくコケっぽく、かかとに重心がいくと派手に転ぶ危険があります。
登山道でよく注意する「前下がりの平らな岩」と同様です。
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【04】撮影:11時36分=伊藤 幸司
さっき、ダムのところで渡った相模川を、ここで渡り返します。吊橋の歩道です。
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【05】撮影:11時38分=伊藤 幸司
橋を渡ると谷底に違法建築物らしい顔つきの建物がありました。以前住人がいたことがありますが、今回はどうでしょうか。
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【06】撮影:11時38分=伊藤 幸司
一時期は茶店のようなものだったのでしょうか。ネコがいるということは、住んでいる人もまだいるようで。
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【06b】撮影:11時39分=矢野 博子
何回目になるかわからないが 今回も ダイヤモンド富士狙い。相模湖で下車し高尾山に向かう。降水確率75%というこの日 すでに雲行き怪しかったが 赤い吊り橋が 遥か下に見えた。カメラは 持参しても使うことないのではと思いつつも ひとかけらの期待に掛けて 持参した。
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【07】撮影:11時40分=伊藤 幸司
支流の沢を渡って、対岸への登りにかかります。
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【08】撮影:11時44分=伊藤 幸司
山道の良さは、じつは落ち葉が落ちっぱなしというところにあります。
都会に住んでいるとこういう感覚はほとんど味わえません。
あるいは落ち葉を見たら「掃除しないと」と憂鬱になる気分も、ここでは吹っ飛んでしまいます。
ここは登山道とはいえないという人もあるでしょう。
単に川筋から登り返す道ですが、瞬間的に山に来た気分になりました。
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【09】撮影:11時48分=伊藤 幸司
振り返ると、いま渡った吊橋と、ちょっと魅力的な相模川の湾曲風景です。
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【10】撮影:11時53分=伊藤 幸司
登山道気分の道を登りきると、千木良(ちぎら)という集落。
じつはこの先で甲州街道を渡るのです。
そこに「そばき里・休屋」というそば屋があるので、できれば寄りたいという時刻でしたが、休業日でした。
糸の会の計画は半年ごとに毎月同じ曜日(これは第4火曜日のシリーズ)で確定してしまうので、日程的にダメなものはダメなのです。
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【11】撮影:12時07分=伊藤 幸司
千木良の集落から登山道は始まります。
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【12】撮影:12時08分=伊藤 幸司
振り返ると相模川に沿った河岸段丘が、あちこちに、高低もいろいろ違ったりしながら散らばっています。
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【13】撮影:12時09分=伊藤 幸司
甲州街道(国道20号)の千木良バス停のところから登り始めることもできるのですが、まずはとっかかりの急登。高尾山と大阪の箕面を結ぶ東海自然歩道もまさにこの道です。
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【14】撮影:12時21分=伊藤 幸司
登山道にお地蔵さんという風景はあちこちに見られますが、南アルプス・鳳凰三山の地蔵岳には現在もなお新しい地蔵像が人の背で運び上げられています。
その役を引き受けたという人の話を聞いたことがありますが、個人の願いによって地蔵像が安置されるや、地蔵菩薩は多くの人のさまざまな願いに応える守護神となる……らしいのです。
インドを旅すると人々の日常に宗教的な香りが漂っていますが、山の中にひとり立たずむ「お地蔵さん」は日本人の信仰心をあらわす光景のひとつだと思います。
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【15】撮影:12時21分=伊藤 幸司
お地蔵さんが基本的に赤いよだれかけや赤い頭巾をまとっているのは、赤い色に、たとえば魔除けの効能を感じたり「赤ちゃん」というイメージと重なったりするからのようですが、なんですか、この赤い眼鏡フレームは。
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【16】撮影:12時29分=伊藤 幸司
お地蔵さんなら「救い」という共通感覚で対面できますが、ひとの身代わりともいわれる「お人形」となると素直な関係というわけにはいきにくい感じがします。
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【17】撮影:12時31分=伊藤 幸司
私の記憶ではこれがこの道での最後のものだったと思いますが、冬服の着せ方からして、個人的な思い入れが大きいという感じの、お地蔵さん……?
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【18】撮影:12時31分=伊藤 幸司
よく見ると表情はそれほどはっきりしていません。日本人は、この像の何をもって願いを託したり、災いを避けるように願ったりする、という気持ちになるのでしょうか……と外国人なら考えてしまうでしょう(私もですが)。お賽銭があることから、何かを祈った複数の人がいる……ようです。
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【18b】撮影:12時46分=矢野 博子
多くの人が訪れる高尾も流石にこの日は 我らが 独占状態。この森閑とした山道も東京都です。午後になって 何組かのグループと遭遇したものの出会う人は 殆んどなく 茶店も閉店状態。
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【19】撮影:12時47分=伊藤 幸司
雨はおとなしくなっていますが、山は完全に雲の中という感じです。
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【20】撮影:12時58分=伊藤 幸司
標高500mから550mにかけては、登り傾斜はゆるくなります。
2万5000分の1地形図の50mごとの等高線に直径4mm(実際の100m)の円(通常は赤で描いていますが)を入れておくと、ここでは標高500mの円と標高550mの円の間に同じ円2個分の空きがあるとわかります。
つまり300m先で50m上がる勾配だとわかります。
300分の50は0.166、道路勾配は百分率ですから17%、鉄道なら1000分の170というすごい傾斜になります。
私は日本の標準的な登山道の勾配を20度と概算していますが、ここは約10度の登りです。
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【21】撮影:12時59分=伊藤 幸司
とりあえず登っているのは標高670mの城山なのですが、登るにつれてガス(山霧)がどんどん濃くなっていきます。
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【22】撮影:13時10分=伊藤 幸司
こういう登山の写真は、ひょっとすると「哀れ」な感じに見えるかもしれません。
もちろん、私の場合でいえば、雨の日の山では撮る写真の数がやっぱり少なくなりますから、写真枚数でその日の天気がわかるといえそうです。
でも……天気予報で雨だったら山へ行かないという人たちを私たちは「愚か」だと思っています。
まず私たちが発見した「月イチ登山」の健康効果を失いやすいということ。
それから雨の日の登山道では歩く技術の向上がはかられます。
乾いた登山道では想像しにくい微妙な足さばきを求められます。
少なくとも一度土砂降りの体験をしたら、装備も技術も大幅にアップします。
そして、私たちは北アルプスなどでの小屋泊まり縦走も楽しみたいと考えていますから、時には3日に1度の雨を覚悟して山に出かけるという態勢をきちんと整えておきたいのです。
何よりも、雨を怖がる人たちが山に出かけてから雨にあったらどういう心理状態になるのでしょうか。
天気予報はかならずしも山の特定の場所に対応するというような商業情報ではありません。
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【23】撮影:13時14分=三浦 陽子
城山のデブ猫。カツサンドが好きみたい。
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【24】撮影:13時18分=伊藤 幸司
いいですか? 高尾山では大宣伝してケーブルカーの延長運転もしている「ダイヤモンド富士」の期間です、これは。
ここ数年、あまりうまくいっていませんが、山頂直下にシモバシラの白い花も咲きます。
京王帝都電鉄が宣伝ポスターを張り出すその特別なシーズンに、城山茶屋は完全休業でした。
その後紅葉台の細田屋も休業、山頂の曙亭は来るものは拒まず程度の半休業状態でした。
「雨天休業」というようなクールな営業方針なのでしょうか? みなさん、と思いました。
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【25】撮影:13時34分=伊藤 幸司
東京の都心部を見渡せる展望台です。
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【26】撮影:13時42分=伊藤 幸司
東京都はお金があるからだと思いますが、各所の避難小屋なども立派ですし、登山道の補修などもかなりしっかりしています。
その極めつけがここ、高尾山。
この水切り溝は箱根(神奈川県)のものと似ています。
予算があるとこんなふうにしたいという見本なら、ちょっと違うと、私は言っておきたいと思います。
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【27】撮影:13時46分=伊藤 幸司
尾瀬の木道とは設置環境が違います。
周囲の状況を見ても浸食で路面が大きく掘り下がったという状態ではありません。
つまりこの木道は予防的木道……といえそうです。
この稜線部分は傾斜がきつくないので、掘り返して造作しても、丹沢の大倉尾根のような惨めな結果にはならないように思いますが。
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【27b】撮影:13時46分=矢野 博子
向かい側の山並みが 見え始め 湧き上がるガスに 天気快方に向かうのでは? と期待したが。
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【28】撮影:13時48分=伊藤 幸司
誰もいない高尾山……という感じです。
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【29】撮影:13時53分=伊藤 幸司
紅葉台の富士見台園地。雲が上がって、周囲の展望が開けてきました。
丹沢も富士山も、もちろん見えませんが。
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【30】撮影:13時55分=伊藤 幸司
これはこれでなかなか印象深い記念写真になりました。
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【31】撮影:13時57分=伊藤 幸司
私は、土留め型階段の道に関して技術的な判断ができません。
多くの場合そういう考え方が登山道を壊滅的的破壊(たとえば巻機山や四阿山、近間では丹沢大倉尾根)に向かわせます。
山小屋の人たちが自分で拓いて、自分で維持してきた登山道には「補修」による維持の例がたくさんあります。
しかし登山者の多いところでは「改造」が必要と考えることになるのでしょう。
写真を撮ったときに「バッチリ」という見た目のいい改造が、記録的豪雨への耐性を前提にしているかどうか……ですが。
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【32】撮影:14時16分=伊藤 幸司
雨は完全に上がりました。
この写真からでは小雨かもしれませんが、気分はまったく違います。
ルンルンではないにしても、頭を抑えられていたような鬱陶しさがなくなっています。
そして信じられないかもしれませんが、こんな状態でも行先に期待感が湧いてきます。
世の中は「いい方向に動いている」という楽天的な気分に完全に切り替わっているのです。
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【32b】撮影:14時21分=矢野 博子
太陽のある辺りの空が 気持ち明るく見えたが。さっさと諦め 高尾山口にある温泉に心動かされて 歩を速めた。・・・定年のない 私のアメオンナ。来年は 汚名返上したいのだが・・・
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【33】撮影:14時25分=三浦 陽子
遠くに見えるのは相模湖ピクニックランド! でしょうか。一丁平にて
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【34】撮影:14時51分=伊藤 幸司
高尾山山頂。人っ子一人いないという証拠の写真です。
もしこの日が「晴れ」ならば、前方に富士山が見えていようがいまいが、この広場には多くの人がいて、もし富士山が見えていたらこの広場はカメラマンだらけ……のはず。
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【35】撮影:14時51分=伊藤 幸司
はっきりとは写りませんでしたが、山頂から都心部のビルがかすかに見えました。
これを雲の風景と見れば、なかなかのモンじゃありませんか?
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【36】撮影:15時00分=伊藤 幸司
「あかがし」という名札があったので撮りました。
別名大樫、大葉樫とか。高尾山はじつは見るべき植物の豊富な山なので、首都圏の多くの植物愛好家が密かに訪れる山でもあります。
今回、国の研究機関である森林総合研究所の調査報告がネット上に見つかりました。
「高尾山天然林の生態ならびにフロラの研究」(研究報告No.196・1966年・森林総合研究所)
ちょっと長くなりますが、高尾山の森の歴史の部分を以下に引用します。
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高尾山は遠く第 45 代聖武天皇の御代天平 16 年に行基菩薩が勅命を奉じてこの地に薬王院有喜寺を建立してから,ずっと高尾山別当の管理するところであった。
この間代々竹林を保護し増殖してきたが,中世になって北条氏照の支配のとき出された竹林保護に関する制札をみると,その当時の保護がいかに厳しいものであったかが知られる。
こうして保護された竹木は,ときどき関所構築用や公方用として一定の監督の下に伐採され,使用されていたことは当時の文書によりうかがい知ることができる。
このような山林保護は北条氏滅亡ごも相変わらず行なわれた。
そのご徳川幕府となってからは御林山として代官を置き管理させた。
このことは八王子代官大久保硯守長安のだした制札により知ることができる。
現在高尾山の巨木により形成されているうっそうたる森林はこうした保護によるたまものであると思う。
しかし,その大部分は薬王院の御朱印地であったため,薬王院の信徒の篤志家が進んで首木を寄進して植林された。
そのご徳川末期に一時江川太郎左衛門が代官となり,この地方一帯にスギ,ヒノキを植林させた。
現在高尾山にもその当時植栽のものと思われる林が残存している。
明治 4 年一般社寺上地の例によって高尾山も頂上の薬王院付近約 10 ha を院内山林として残し,他は全部上地された。
明治 22 年帝室御料林に編入され,御料局東京支庁八王子出張所の管理するところとなったが,大正 10 年 2 月 16 日帝室林野局官制改正にともない帝室林野管理局林業試験場の創設により,その所管となった。
大東亜戦争ごの昭和 22 年林政統ーにより国有林に移管され東京営林局,東京営林署の管理するところとなり今日に及んでいる。
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【37】撮影:15時02分=伊藤 幸司
薬王院の境内を下りながら抜けていきます。
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【38】撮影:15時03分=伊藤 幸司
境内を仕切る金網の外側に境内を通らずに下山できる道がありますが、その金網から内部通路に向けて、……赤いよだれかけや赤い頭巾からすると地蔵菩薩なのでしょうか、仏像がありました。
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【39】撮影:15時03分=伊藤 幸司
高尾山薬王院・飯縄権現堂の前に立つ大天狗。
飯綱大権現の随身としてさまざまな霊力をそなえているとか。
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【40】撮影:15時05分=伊藤 幸司
こちらは小天狗で別名烏天狗。
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【41】撮影:15時07分=伊藤 幸司
上下二層の雲が山頂にいたときと同じなら、下層の雲の中に私たちはいることになります。
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【42】撮影:15時09分=伊藤 幸司
「横濱魚類株式會社」という奉納名があったので撮っておきました。
横浜の魚河岸なのでしょうか。
あちらには大山という大きな存在があるのに、高尾山です。
もっとも江戸時代の富士講では高尾山から大月経由で富士山に登り、帰路、丹沢の大山に回った……と、この高尾山に説明看板がありましたが。
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【43】撮影:15時11分=伊藤 幸司
よく覚えていませんが、こんな「鈴なり」は初めてだったので。
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【44】撮影:15時29分=伊藤 幸司
ダイヤモンド富士が期待できれば、この日の横浜での日没時刻16時35分を目安にして、16時20分から16時40分ぐらいまでは山頂にいたと思います。
日没を過ぎると大勢の人はケーブルカー駅で長い行列をつくりますから、私たちは多分舗装されて街路灯のある1号路を下るのだと思います。
それが絶対にないという状況なので、ケーブルカー駅手前の十一丁目茶屋のところから清滝への急な道を下りました。
この道、研究路の1本として番号が振られているとばかり思っていましたが、除外されているようです。
もちろん道や道標はしっかりしていて問題ありませんが。
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【45】撮影:15時42分=伊藤 幸司
ひょっとして、こんなところが研究路から外されている理由かもしれませんね。
「クライミングルート」と分類されているのがこれかも。
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【46】撮影:15時44分=伊藤 幸司
この清滝とちょうど稜線をはさんで反対側にある蛇滝は完全に現役の修行場となっていて、部外者の入場は許されていません。
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【47】撮影:15時58分=伊藤 幸司
地蔵菩薩はいろいろなかたちで民衆を守ってくれたり、救ってくれたりするとか。
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【48】撮影:16時00分=伊藤 幸司
ケーブルカーの清滝駅に出ました。
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【49】撮影:17時27分=伊藤 幸司
京王線・高尾山口駅に併設された京王高尾山温泉・極楽湯。
規模が小さい上に高尾山は人気スポットなので混んでいるだろうと敬遠していて、初めて寄ることができました。
晴れていたら、この日にここに立ち寄ることはできなかったと思います。
さすがに登山客は少なく、全体としてもゆったりとしていましたが、個室も空いていました。
悪天候のおかげを最後に味わいました。

追加1……2014年12月23日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会のNo.935。JR高尾駅から南高尾山稜を津久井湖まで南下し、大垂水峠から城山に登って、16時に高尾山山頂でダイヤモンド富士を見るという計画でした。
*この日は最初のうちはすばらしい「真白き富士の嶺」でしたが、城山山頂に着いたときには薄いベールをかぶっていて、高尾山山頂では集結していた多くのみなさんの期待を最後まで引きつけておいて、失望させるというちょっと憎いやり方でした。
*私たちも失望させられたのではあるのですが、ダイヤモンド富士は早々に諦めて下山。日帰りの山としてはそれなりに歩けたので、月に1度か2度の日帰りの山歩きとしては成立しました。
*この日は0830JR高尾駅(標高167m)を出発→0840南高尾山稜に取りついて→0925京王線高尾山口駅から上がってくる四辻(標高約300m)→1055草戸山山頂(標高364m)→1215津久井湖展望ベンチ(標高約450m)→1310大洞山(標高536m)→1340大垂水峠(標高386m)→1435城山(標高670m)→1550-1605高尾山山頂(標高599m)→下山(記録なし)

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【50】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【51】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【52】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【53】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【54】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【55】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【56】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【57】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【58】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【59】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【60】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【61】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【62】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【63】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【64】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【65】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司
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【66】撮影:2014.12.23=伊藤 幸司

追加2……2013年12月24日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会のNo.899、「軽く・高尾山」という計画です。JR相模湖駅から千木良バス停を経て城山へ、そのまま高尾山に向かい、天気が悪ければケーブルカー駅脇の展望レストランでのんびりして下山、ダイヤモンド富士が期待できそうなら高尾山のどこかで時間を潰して日没を待つというけしからぬ計画でした。
*この日は0840JR相模湖駅(標高約200m)を出発→0925千木良の登山口(標高約200m)→1055城山(標高670m)→1230-1300高尾山山頂(標高599m)→ビジターセンターで自然情報を得て3号路などひと回り→1530-1620高尾山山頂でダイヤモンド富士→1715、1号路経由でケーブルカー清滝駅(標高約200m)へ下山。

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【67】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【68】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【69】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【70】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【71】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【72】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【73】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【74】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【75】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【76】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【77】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【78】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【79】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【80】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【81】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【82】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司
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【83】撮影:2013.12.24=伊藤 幸司

追加3……2011年7月19日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.756。本来は高川山の予定が、台風により中央本線が相模湖で運転取りやめとなり、やむなく手前の高尾山へ。参加者が男性3名のみということで行き当たりばったりの出たとこ勝負としました。
*記録がないので写真の撮影データから大雑把な行動を見ると、0900ごろにJR高尾駅から歩き出し、南浅川に沿って0950に蛇滝からケーブル山頂駅方面へと登り、1050に吊橋のある自然研究路4号路へ。1210に高尾山山頂を出て稲荷山コースを下りました。1340ケーブルカー清滝駅に下山。

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【84】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【85】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【86】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【87】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【88】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【89】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【90】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【91】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【92】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【93】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【94】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【95】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司
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【96】撮影:2011.7.19=伊藤 幸司

追加4……2011年12月20日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.786。南高尾山稜から高尾山へと回って、寒ければシモバシラ、晴れていたら(ダイヤモンド富士にはちょっと早いにしても)夕日の富士山という計画でした。
*朝の富士山には大きな期待がありましたが、午後になると急激に西の空に雲がかかってくるという一番いやな展開になりました。
*この日は0840に京王線・高尾山口駅(標高191m)を出発→0855南高尾山稜の四辻(標高約300m)→1015-25草戸峠(標高約350m)→1035松見平休憩所(標高約350m)→1110-20三沢峠(標高約400m)→1140泰光寺山(標高408m)→1215津久井湖の展望ベンチ(標高約450m)→1310大洞山(標高536m)→1350大垂水峠→1500-15城山(標高670m)→1600高尾山山頂をほぼ通過→1630ケーブルカー山頂駅(ケーブルカーで下山)。

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【97】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【98】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【99】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【100】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【101】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【102】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【103】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【104】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【105】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【106】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【107】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【108】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【109】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司
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【110】撮影:2011.12.20=伊藤 幸司

追加5……2009年12月22日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.662。計画書段階ではJR大月駅からセーメーバン(標高1,006m)でしたが、どういう理由からか大月駅前にそびえる岩殿山に変更。あいまいな記憶ですが、この時期には中央線沿線の山を計画して、天気がよかったら軽く切り上げて16時目安に高尾山に行くという試みに夢中になっていたようです。セーメーバンに行ってしまうと、往復にタクシー代がかかるなど、半端な行動をやりにくかったからでしょう。
*じつは岩殿山も富士山の展望では超一流です。それも日没時がベスト。つまりここで夕日の富士山を見てしまうと高尾山への転身はとても無理……というところで、みなさんにどう説明したのか、浅利登山口から稚児落しへと進んだのでした。
*この日は1100浅利(標高約400m)→1140稚児落し(標高約550m)→1235-1305兜岩のクサリ場通過(通過約450m)→1355-1400岩殿山(標高634m)→1430下山(標高約400m)→JR中央本線でで1448大月→1537高尾→1555京王線・高尾山口駅→高尾山山頂へ向かいましたが、ちょっと遅刻。

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【111】撮影:2009.12.22=伊藤 幸司
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【112】撮影:2009.12.22=伊藤 幸司
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【113】撮影:2009.12.22=伊藤 幸司
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【114】撮影:2009.12.22=伊藤 幸司

追加6……2009年12月15日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.661。相模湖駅からの高尾山です。計画では1500高尾山到着予定でしたが、残念ながら富士山はほとんど顔を出してくれませんでした。そこで下山後は残念賞として用意した八王子の高瀬でうなぎ。
*この日は1055JR相模湖駅(標高約200m)を出発→1155千良木バス停(標高約200m)→1310城山(標高670m)→1415-40高尾山(標高599m)1615琵琶滝(標高約300m)へ下山。

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【115】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【116】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【117】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【118】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【119】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【120】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【121】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【122】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司
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【123】撮影:2009.12.15=伊藤 幸司

追加7……2009年7月21日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.636。計画のタイトルは「陣馬山」で最終地点が高尾山でした。どちらかといえば、長いけれど軽い計画ということで、ロング・ロング・ウォーキング。最後の下りはケーブルカーとしておきました。
*この日はJR上野原駅からタクシーで和田峠へ。1050和田峠(標高約700m)を出発→1110陣馬山(標高855m)→1225堂所山(標高731m)→1325景信山(標高727m)→1435城山(標高670m)→1540-50高尾山(標高599m)→1700ケーブルカーで下山。

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【124】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【125】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【126】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【127】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【128】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【129】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【130】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【131】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【132】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司
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【133】撮影:2009.7.21=伊藤 幸司

追加8……2007年12月25日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.543。南高尾山稜からの高尾山で、もちろんダイヤモンド富士とシモバシラ狙い。どちらも空振りに終わりましたが。
*この日は0840京王線・高尾山口駅(191m)を出発→0855四辻(標高約300m)→草戸山(標高364m)→1140津久井湖展望ベンチ(標高約500m)→1235大洞山(標高536m)→1310大垂水峠(標高385m)→1410城山(標高670m)→1510-20高尾山(599m)→1600ケーブル山頂駅(標高435m)


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【134】撮影:2007.12.25=伊藤 幸司
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【135】撮影:2007.12.25=伊藤 幸司
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【136】撮影:2007.12.25=伊藤 幸司
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【137】撮影:2007.12.25=伊藤 幸司
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【138】撮影:2007.12.25=伊藤 幸司

追加9……2005年12月20日の高尾山=伊藤 幸司

糸の会No.423。計画書によるとこのときにの目的はシモバシラ。じつは高尾山のダイヤモンド富士が大宣伝されているということを知りませんでした。目的を果たして帰路についたとき、登ってくる大勢のひとたちとすれ違って、ダイヤモンド富士狙いのカメラマンたちだと知り、引き返したのです。この時のビギナーズラックがあって、冬の高尾山の位置づけが大きく変わりました。
*この日は1010京王線・高尾山口駅(標高191m)を出発。自然研究路6号路のびわ滝コースから登って1230-45高尾山山頂(標高599m)→シモバシラを見るためにもみじ台へと下り、3号路から薬王院へ出て帰路につく途中で引き返し→1535-1620(この日の東京都の日没時刻は1631)高尾山山頂でダイヤモンド富士。

*このときの計画書にはシモバシラのことだけが、長々と書かれています。(以下引用)
◆ポイント
【計画概要】この時期、うまくすれば「シモバシラ」が見られます。いまや高尾山の観光ポスターにも登場する氷の花「シモバシラ」です。
●高尾山にはいろいろなコースがありますが、とりあえず登りは6号路(びわ滝コース)にしましょう。帰路は3号路(かつら林コース)で薬王院にお参りして、高尾山口へと下ろうかと思います。
●シモバシラについて(1)
 子供の頃、霜柱の細い氷が集まって小石を持ち上げている様に驚いた記憶は鮮明です。シソ科の多年草にシモバシラという植物があります。花も目立たないありきたりの草です。しかし、それが初冬に大変身をするのです。
 よく冷え込んだ朝、枯れたこの草の根元を見ると、茎から鰭状に氷が張り出し、まさしく、霜柱となって氷の彫刻を作っています。これは茎の維管束の中の水が凍って茎の外へと伸びだしたもので、持ち上げているのは小石ではなく、茎の表皮です。それがこの植物の名の由来です。一度これが出来ると茎の構造は壊れるので一年にたった一度だけ、シモバシラが咲かせる冬の花というわけです。それも、見事なものが出来るには、初めての寒波で急激に冷え込んだときに限ります。
 シモバシラは関東以西に分布する草本で、本園のものは栽培しているものです。同じシソ科で園内に多く自生しているテンニンソウにも、霜柱が出来ます。これらに霜柱が出来る頃、植物園は長い冬の眠りへと入ります。
(東北大学理学部附属植物園長 鈴木三男)
http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi5/mm5-1.htm
●シモバシラについて(2)
和名 シモバシラ
別名 ユキヨセソウ 雪寄草
学名 Keiskea japonica Mig
 シソ科Labiataeシモバシラ属Keiskea。山の木陰にはえる多年草。本州(関西以西)〜九州に分布する。茎は四角で、高さ40-70cm。葉は長楕円形で長さ8-20cm、幅3-5.5cm、両端がとがっていて短い葉柄があり、表面の脈上に細かい毛がある。萼は花時に長さ3cm、果時には5-6ミリになる。葉には9-10月に開き、花冠は白色で、長さ約7cm、雄しべは花外に突き出て下側の2個がすこし長い。分果は1個のみが熟し、球形で1.5-2cm。
“シモバシラ”の名は、冬の寒い朝、枯れた茎が毛管現象で地中の水分を吸い上げ、茎のわれたすきまからふきだして、夜の冷え込みで凍り、霜柱のような氷柱を作るところからつきました。
 シモバシラ属は日本に一種、中国に一種あるだけ。
 属名のKeiskea は、植物学者の伊藤圭介の名からきている。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/pha/flo0301simobasila.htm
●シモバシラについて(3)
(見頃)12月初旬頃〜1月下旬、冷え込みの厳しい日の夜半から早朝にかけて、茎に吸い上げた水分が冷気によって噴出し、氷結して結晶体を作り出します。お互いに押し合い揉み合って形作られていきます。この氷の花をシモバシラといいます。
高尾山で初冬に氷の花を作る植物:シモバシラ、カメバヒキオコシ、カシワバハグマ、アズマヤマアザミ
http://tossi.hp.infoseek.co.jp/flower1671.htm

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【139】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【140】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【141】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【142】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【143】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【144】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【145】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【146】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【147】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【148】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【149】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司
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【150】撮影:2005.12.20=伊藤 幸司

追加10……2000年12月26日の高尾山=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクールの「超入門山歩き」の9か月目。計画書には「高尾山のたくさんあるルートの一番外側をぐるりと回ってみます」とあります。もしこの日、ダイヤモンド富士のことを知っていれば、最高の条件だったのですが。
*この日はJR高尾駅からタクシーで蛇滝口バス停(標高約200m)まで行き、1035出発→1150自然研究路4号路→1240-1330高尾山山頂(標高599m)からシモバシラ観察など→稲荷山コースで下山途中、ミーティングなどで時間をつかい→1540高尾山口駅へ下山。

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【151】撮影:2000.12.26=伊藤 幸司
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【152】撮影:2000.12.26=伊藤 幸司
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【153】撮影:2000.12.26=伊藤 幸司
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【154】撮影:2000.12.26=伊藤 幸司

追加11……2000年2月16日の高尾山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター「第3水曜日」シリーズの17か月目。計画書のタイトルは「陣馬山」。雪がついていたり、北風が吹きつけていたりするのを覚悟の上で、冬の陣馬山から高尾山への縦走でした。
*この日はJR上野原駅からタクシーで和田峠へ。1045和田峠(標高約700m)を出発→1110陣馬山(標高855m)気温0度C、強風→1230堂所山(標高731m)→1330景信山(標高727m)→1445城山(標高670m)→1545-1600高尾山(標高599m)→1630ケーブルカーで下山。

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【155】撮影:2000.2.16=伊藤 幸司
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【156】撮影:2000.2.16=伊藤 幸司
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【157】撮影:2000.2.16=伊藤 幸司
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【158】撮影:2000.2.16=伊藤 幸司

追加12……1999年8月17日の高尾山=伊藤 幸司

*糸の会No.133。1996年6月から33か月続いた東急セミナーBEの第2期が終了して、それを受けての糸の会「第3火曜日シリーズ」の第1回。
*計画書には「真夏の高尾山ですから、水辺をたどってひとまわりしてみたいと思います」とあります。
*この日は1100JR高尾駅(標高167m)を出発→1210蛇滝(標高約300m)→1245自然研究路4号路→1410高尾山(標高599m)→6号路で琵琶滝経由、1640高尾山口。

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【159】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【160】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【161】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【162】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【163】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【164】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【165】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【166】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司
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【167】撮影:1999.8.17=伊藤 幸司

追加13……1998年5月13日の高尾山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の日帰りの基本「第2水曜日シリーズ」の30か月目。タイトルは「陣馬山」で、たそがれ時まで歩いて、できれば高尾山まで行きたいという計画。 *朝日カルチャーセンター千葉の計画では、千葉駅まで約1時間という人まで考慮したため登山開始がどうしても遅くなります。このときはJR中央本線の藤野駅から陣馬の湯・栃谷尾根登山口までタクシーでピストン輸送としましたが、次の上野原駅まで行けばタクシー台数が多いということをこの時はまだ知りませんでした。
*この日は1055陣馬の湯(標高約300m)を出発→1240陣馬山(標高855m)→1440堂所山(標高731m)→1530景信山(標高727m)→1650城山(標高670m)→1745高尾山(標高599m)→稲荷山コースで1920高尾山口に下山。

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【168】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【169】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【170】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【171】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【172】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【173】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【174】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【175】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【176】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【177】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司
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【178】撮影:1998.5.13=伊藤 幸司

追加14……2009年12月19日の高尾山=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉の「第3土曜日シリーズ」の63か月目。計画は「百蔵山から扇山」でしたが、富士山がバッチリ見えるため、扇山だけとして高尾山へと急行しました。
*でもそれよりもなによりも、シモバシラを堪能する1日となりました。
*この日はJR鳥沢駅からタクシーで梨ノ木平の登山口(標高約600m)まで行き、0935出発→1115-35扇山山頂(1,138m)→下山は1310山谷バス停着で、タクシーで鳥沢駅へ。JRで1336鳥沢→1410高尾、京王線で1422高尾→1424高尾山口。ケーブルカーで上がって、自然研究路3号路経由で1600もみじ平、シモバシラを見て山頂へ。1615ダイヤモンド富士、1635東京都での日没。


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【179】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【180】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【181】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【182】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【183】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【184】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【185】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【186】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【187】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【188】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【189】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【190】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【191】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【192】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【193】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【194】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【195】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【196】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【197】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【198】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【199】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司
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【200】撮影:2009.12.19=伊藤 幸司

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