【撮影】06時51分=秋田 守
今年度初の糸の会への参加。コロナ禍の中でも[covid]シリーズとして伊藤コーチが対策を考慮した計画を立てているのはWebで見ていたが、どうも手を挙げる気になれず。若井さんとはもうひとりの友人と3人で船橋駅前のサイゼリアで昼間、時々軽く吞みながら情報交換を続けてきた。で、そろそろ参加しましょうよとなり、参加表明。今朝は船橋からあずさ3号に乗車。立川まで1時間のプチ贅沢。反対ホームの通勤列車の混雑ぶりに驚いた。
【撮影】09時08分=秋田 守
奥多摩行き列車の中で、伊藤コーチはじめ、今回参加される皆さんと久しぶりに会った。軍畑駅下車。他にも下車する登山姿の人やグループがいた。3連休明けだから誰もいないかと思っていたが、甘かった。久しぶりに会ったコーチに、これを見てもらなわくては。昨年末に買ったカメラ。コーチが愛用するのと同様、レンズ交換なしで20ミリから1200ミリまでカバーするデジカメ。2万円台だったが、軽いし便利なので、旅のお供に大活躍してる。
【撮影】09時09分=秋田 守
軍畑駅を後にすると、すぐに青梅線の踏切を渡った。1時間に1回くらいしか鳴らない踏切の警報器。今朝は五日市線のトラブルで、中央線を含めダイヤが乱れた。立川からの青梅行きはダイヤ通り走ったが、隣の席に少し困った人がいた。30近い男性だが、時折大声で奇声を発したり手拍子を叩いたり。マスクをしてないので飛沫が心配だったが、こういう困難な時代にハンデを背負って生きる彼と共に暮らす家族のご苦労を思うと胸が痛んだ。
【撮影】09時21分=秋田 守
踏切を渡って、しばらくは車道を歩いた。埼玉県の飯能方面へ繋がる193号線。そこから平溝通りという細い道へ左折する手前、道路の右側に小さな祠がふたつ。片方は地蔵、手前は不動明王だろうか、ちゃんと両脇に童子像も従えている。小ぶりだが、それなりに凜とした風格を備えているように、遠目には見えた。この後に登った高水山の常福院も由緒ある不動堂が祀られていたが、お不動さんを大事にお祀りする土地柄なのであろうか。
【撮影】09時33分=秋田 守
平溝通りは、この先もずっと平溝川の源流の方まで続いているが、高水山へのルートは、ここで右に折れている。大きな石には、高水山参道とあり、その右に大きな文字で「記念碑」と彫られているのだろうか。この参道の歴史を偲ばさせてくれる。一方、交通標識の下に付けられた青梅市観光協会の薄青色の看板は、ようこそ高水三山登山道入口、と明快で分かりやすいことは分かりやすいが、風情もへったくれもない直接的な説明で、対照的。
【撮影】09時34分=秋田 守
分岐点からすぐ、高源寺というお寺があった。ここで10分休憩、とコーチの声。曹洞宗のお寺で、額には天徳山と記されていた。江戸時代の創建、太平洋戦争中には、彫刻家の朝倉文夫がこの寺に疎開していたと、青梅市史に記載があるそうだ。山門脇に芭蕉の句碑が立っていたようだが、残念ながら見逃してしまった。お寺の手前に、雛には稀な立派な構えのお宅があり、庭木なども立派で、誰かの別荘かと思ったが、ご住職の家だったかしら。
【撮影】09時42分=秋田 守
本堂の軒下に、うまい具合に全員が腰を下ろせる木の切り株椅子があった。うまい具合に日が差していて、いい気分。山歩きに出かける朝はいつも早起きしてご飯サンドを作る。今朝は4種類の具で作ってきた。ひとつはあずさ車内で食べたが、まだお腹が空いていたので、ここでもうひとつ食べることにした。具はシソの実たまり漬け。美味しい。お寺の奥には、小さな社があり、その手前に小川が落ちる、これまた小さな小さな滝があった。
【撮影】09時53分=秋田 守
高源寺からさらに奥へ。勾配が次第にきつくなる。冬に雪など積もったら、四駆でないと登れなさそう。道の脇に黄色い実がたくさんついた樹が次々に現れた。このあたりの特産、ユズだろうが、中にはユズとは思えないほど大きな実もある。先日、久しぶりに会った友人が、今年はミカンが不作で少ししか実を付けなかった、でも少ない代わりにひとつずつの粒が大きくなるんだ、と話していたのを思い出した。ユズでも同じ事が起きるのかしら。
【撮影】10時09分=秋田 守
高水山源流のつり堀という看板を掲げた家の先が登山口だった。車が入れるのはここまで。もっとも駐車スペースもないから、マイカーでここまで来る訳にはいかないが。いきなり堰堤脇の長い階段を登る。その先は植林帯、どんどん登って高度を上げる。時折、石標が立っていて、苔むした石標には四合目とあった。実はその後の五合目は見当たらず、石標はあるものの「高水山」と書いてあるのみで、次に現れた石標には六合目と記されていた。
【撮影】10時11分=秋田 守
登山道脇に突然、白い花が現れた。お茶の花、と皆さんおっしゃる。確かにそれっぽいけど。どうしてこんな所に咲いているのかしら。昔、熊野古道だったか、やはり山の中で見かけたことがある。お茶は葉も花も食べることができるので、昔の旅人が食料を切らして困った時のために植えていたと教わったのを思い出した。ここは違う事情かも知れない。ちなみに、茶葉収穫のための茶畑では、花や実に余計な栄養を与えないよう花芽を摘むという。
【撮影】10時19分=秋田 守
新しいデジカメ、20ミリのワイド側はとても使い勝手がいいし、1200ミリの望遠側は強力で頼もしい。が、ひとつ欠点はマクロ。マクロ撮影できるが、ボケ味は期待できない。そんなマクロで撮影したススキの写真。これは上手く撮れた方かな。高水山への途中で見かけた一面のススキ原は良かった。最近は平地では外来種に追いやられてススキが減ってきているとも聞く。秋の風情には欠かせないススキ、何とかがんばって生き延びてほしいなあ。
【撮影】10時59分=秋田 守
高水山常福院の山門に至る階段。ちょうど門あたりに紅葉がさしかかって、なかなかいい絵になっていた。もちろんそこに向かって歩いている後ろ姿のモデルさんたちのお手柄でもあるのですが。後ろ姿にも品の良さというものは間違いなく滲み出ますね。どうでもいいけど、自分の後ろ姿には全くさっぱり自信ないですが。欲を言えば、この階段がもう少し風情を感じさせる古びた石段であってほしかったかなあ。手すりはやむなし、としても。
【撮影】11時00分=秋田 守
常福院の不動堂。常福院は9世紀開創と伝わる古寺。不動堂は何度も山火事で焼けたそうで、現存するのは19世紀初めの建物とか。中のご本尊は浪切白不動明王。正面には大きな剣が3本。開運守護の剣。屋根下の龍の彫刻もなかなか立派な細工である。ここでしばらく休憩したので、堂の裏にあるトイレで用足しもできた。もう1週間ほど早かったら、紅葉は最盛期だったのではないかしら。お堂の右手奥にも見応えのある紅葉が残っていた。
【撮影】11時12分=秋田 守
常福院不動堂の狛犬がちょっと変わっていた。普通の獅子ではなく、和風の面立ちをした犬に見える。いろいろ調べてみると、弘法大師が高野山を開山する際に先導した霊犬に由来すると解説しているものもあった。だが、よくよく眺めてみると、口から牙のようなものが見える。この周辺、奥多摩から秩父にかけて、三峯神社のようにオオカミを祀る寺社も多い。オオカミと思ってお詣りした方が、何だか有難みも増すような気がするのだが。
【撮影】11時16分=秋田 守
常福院が高水山の名を冠してるので、山頂かと思いきや、山頂はその先にあった。山頂へ向かう途中の、実に美しい景色。敷き詰められた紅い葉っぱの道、そこへ暖かな陽光が差してくる。今回歩いた3つの山はいずれも標高が700m台後半。高水山に登った後は、尾根道をアップダウンを少し繰り返しながら、のんびり日差しを浴びながら歩ける。高水三山は名前をよく聞くので昔登ったことがあると思い込んでいたが、実は今回が初めてだった。
【撮影】11時55分=秋田 守
標高759mの高水山山頂からは眺望きかず。その先、岩茸石山山頂に着くと、ぐるり大展望。標高793m、本日の最高点。埼玉方面の町も見晴らせる。この右手には所沢のドームも見えた。ここで15分休憩。残りのご飯サンドを食べた。残っていたのは、カンピョウのたまり漬けと梅干し。ポットに詰めてきたのは、我が家の朝食時の定番、阿波番茶。発酵茶である。昔は安かったけど、体にいいなどとテレビや雑誌で紹介されて高くなってしまった。
【撮影】11時58分=秋田 守
岩茸石山山頂からは周りを取り囲む奥多摩の山々が間近に見えたが、遠くには日光方面の男体山なども見えた。そして、山と山の合間に、雪をたっぷり被った頂が見えるではないか。谷川岳でもないし、赤城山でもなさそう。となると、若井さんが武尊山しかないと言う。帰宅後に地図で調べると、確かに方角的には間違いなさそうに思えたが、これだけしか見えないと、確証は持てないのが少々もどかしい。どなたか、お墨付きをくれませんかねえ。
【撮影】12時28分=秋田 守
*ここまで登ってくる途中の山は、植林が行き届いていた。地方に比べれば、消費地が近い分、林業もやりようがあるのかもしれない。と、植林帯と植林帯の間に広葉樹林の帯がある。1本だけでなく、尾根筋に沿って何本もある。これまた若井さんによれば、そのような植林の仕方があるそうだ。調べてみると、それをさらに進めると、針広混交林化というようなスタイルを指向している地域もあることが分かった。結果的に美しい森が蘇る。
【撮影】12時39分=秋田 守
岩茸石山から3つめの山、惣岳山へ向かっていると、突然、視界が開けた。植林帯が伐採されて次の植林が行われている。その縁を回り込むようにして登山道が進んでいく。伐採した樹を運び出したケーブルの跡も残っていた。切り株を見ると、さほど太くないように見えるが、ちゃんとこれで売り物になったのだろうか。手間暇かけて伐り出して、元は取れたのだろうか。気になるなあ。そして次の世代の植林が、ちゃんと商売になるのかなあ。
【撮影】12時53分=秋田 守
3つめの惣岳山山頂は神社だった。青渭神社奥宮。広い平地にポツンとお堂が立っていて金網で囲われている。山麓に里宮があるが、本社はこちらの奥宮。ここも何度も火事で焼けて、現在の建物は19世紀半ばに再建されたという。四方の壁面に彫刻が施されているが、裏面しか見えなかった。左上隅にこの翁が彫られていた。控鶴仙人というらしい。確かに鶴に乗っている様にも見える。鶴の頭が欠けたのか。翁は髭をはやして、仙人風ではある。
【撮影】12時59分=秋田 守
*惣岳山の青渭神社奥宮。その昔は他に拝殿や鳥居、加えて末社27社がこの山上にあったというから驚く。かつては参詣するには、沢井駅近くの里宮から登ってきたようだが、今はその道はあまり使われないらしく、この後下った御嶽駅からの登山道、かつ関東ふれあいの道を利用する人が多いという。しかし、車で簡単に登ってくる訳にはいかないから、ここまで登ってくるのは大変なことだ。足が不自由な方達はとてもお詣りできないだろうな。
【撮影】13時11分=秋田 守
惣岳山山頂から少し下ると、注連縄を張った小さな祠があった。真名井神社。真名井は別名、青渭の井と呼ばれる霊泉で、青渭神社の名前の由来とも伝えられてきた。青渭神社と同名の神社は関東で他にも、稲城市や調布市深大寺などにもあり、いずれも深く水に関わる由緒を有するらしい。祠の下に穴が開いていて本当は水が湧いていたのだろうが、涸れていた。土嚢が積んであるということは最近水害によって水源が潰れたのかもしれない。
【撮影】14時12分=秋田 守
御嶽駅に向かって、一気に下りてゆくと、鉄塔の建て替え工事をしていた。世の中に鉄塔マニアという人々がいるとは、以前、どこかの写真のキャプションで書いたが、ぼくの知り合いに少なくとも2名はいる。そのうちの1名は、時々、一緒に山を歩くが、鉄塔を見つけると必ずその真下に行って写真を撮っている。しかし、建て替え工事現場というのは初めて遭遇した。手前の重機はヘリで下ろしたのだろうか、マニアでなくても気になるなあ。
【撮影】14時25分=秋田 守
惣岳山山頂からはコースタイム通り、約90分で下山。下りたのは慈恩寺の裏手。まだ紅葉した葉をたくさん残した樹が出迎えてくれた。終点少し手前の下り道は、イチョウの黄色い葉っぱで埋め尽くされていた。お手軽なコースだと勝手に思い込んでいたが、下り道ではけっこう膝を酷使したような気がする。鍛え方が足りないなあ。これでは糸の会の諸先輩女史達に顔向けできないぞ。明日からしっかり鍛錬しておきます、次回参加までに。
【撮影】14時26分=秋田 守
慈恩寺の出口近くに思いも寄らぬものがあった。なんと、ツツジの花が咲いているではないですか。ビックリしたなあ。いわゆる狂い咲き、というヤツでしょうか。確かに数日前まで、この時季とは思えぬ暖かい日が続いていたことは間違いないけど。それくらいで、春と間違えて咲くなんて、おっちょこちょいにもほどがある。まあでも調べてみると、そう珍しいことでもなさそうで、もう少し品良く表現すると、返り咲きとか二度咲きなどと。
【撮影】14時54分=秋田 守
コーチの下山後のプランは、御嶽駅から青梅を通り越して河辺駅前の温泉で入浴、とあった。申し訳ないけど、はるばるそこまで行ってお風呂、というよりは、まずはお疲れビールが飲みたい、ということで無礼承知の上で、ここで別行動を取らせて下さいと、若井さんと二人で駅前中華へ。蕎麦屋などもあるが、月曜定休の店が多く、前日が休日で振り替え営業し、本日休みの店が多いことは事前に調査済み。生ビールで乾杯し、餃子を食べた。
【撮影】15時07分=秋田 守
東峯園という店だったが、同様の山帰りのおっさん達で混み合っていた。5人以上お断り、1時間以内で済ませること、消毒することなどコロナ対策の注意書き。ちょうど入店1時間後に青梅行き電車があるのでバッチリ。ビールの後は、ご近所の蔵元、澤乃井をひやで1杯。くいーっと。つまみは他に、野菜炒め、おでん、モロキュウ。若井さんとの密やかな会話は、今後の旅計画あれこれ。秋山郷のクマ肉、青ヶ島の青酎など楽しみだなあ。
【撮影】15時33分=秋田 守
15時41分発の御嶽発列車に乗ろうと店を出たのは、東峯園にいた客全員。駅にはすでに明かりが灯っていた。今朝は船橋経由、特急利用したが、実は時間的には特急に乗らず、武蔵野線経由で鈍行で来てもほぼ同じ。特急の座席で1時間のんびりできることだけが違いだった。という訳で、帰路はもちろん武蔵野線経由で。そのまま新宿まで向かう若井さんとは、西国分寺駅で別れた。乗り換え後、幸い座れたが、その先で超満員電車となった。