【撮影】09時18分=伊藤 幸司
*さてこの写真、何が写っているかというと魚です。画面ほぼ中央に左に向かって泳いでいる黒いものがサカナです。歩きながらではここまでしか撮れなかったのですが、山里の道路ぎわの、子どもがジャブジャブ歩けそうなこの「平溝川」にサカナが生息している証拠はたしかにつかみました。もちろん、サカナの名前なんてわかりません。
*ところが「平溝川の魚」と検索してみると
『難易度S 東京でバス釣り』というブログに『平溝川』がありました。
*それは同じ川とは思えないレポートでした。
【平溝川に入っていきます
最下流でこの水量です
とてもトラウトが生息している川には
見えないのですが大丈夫でしょうか】
【たまにアブラハヤは見かけますが
やっぱり渓流魚の気配は全くありません】
【たまにトラウトの姿を見かけるようになり
テンションが上がってきました
ニジマスっぽい魚影が多いので
日中は反応し辛いヤマメ狙いよりも
こちらをメインにしたほうがチャンスは多そう】
【ニジマスに強いスプーンで探っていくとヒット!
この日の1本目をようやくキャッチできました】
【日没近い時間になったので終了!
ヤマメ2、ニジマス1、チビヤマメ1でした】
……とさ。
【撮影】09時24分=伊藤 幸司
*平溝橋のところで県道下畑軍畑線から平溝通りに入ります。
【撮影】09時26分=伊藤 幸司
*これが平溝川、釣り人たちはこの流れをたどって釣り上がっていくんですよね。それも地元の漁協が放流をしている魚を狙って……
【撮影】09時27分=伊藤 幸司
*私は魚にはそれほど興味がありませんが、こちらは単純に面白い。
*どこが? どう? といわれると恥ずかしいのですが、写真を撮ったのだから白状すると、下から登っていくツタ植物と、上から降りてくるツタ植物。
いずれどっちが勝つか、ということですよね。
【撮影】09時27分=伊藤 幸司
*もちろんすぐに、わかりました。降りてくるほうが楽なんですかね。
【撮影】09時27分=伊藤 幸司
*でも、同じ09時27分に第三の男。これは笹竹でしょうかねえ、地中から直接土留めのコンクリート板の隙間をこじ開けて吹き出してきたみたい。
【撮影】09時29分=伊藤 幸司
*見上げると石垣を思いっきり積んだ上に茅葺きの古びた家がありました。古びているなどというのは失礼ですが、外来者なら小綺麗な山小屋風を夢見るところか。ある意味すばらしいロケーションだと思いました。車がどこまで上がるのか探ってみましたが、よくわかりませんでしたけれど。
【撮影】09時30分=伊藤 幸司
*平溝川と平溝通り。こんな川に放流された魚は大迷惑だと私には思われるのですが、なんと
『つり具の「甲州屋」社長』が『大丹波川・平溝川 放流』(2016/3/13)をレポートしています。
*それによると放流したのは大丹波川にヤマメ50kg+ニジマス350kg、平溝川にニジマス80kg、琴沢にニジマス30kgとか。
【寒さのせいか昨年の半数位の釣り人、大丹波川のちわき地区は、ぱらぱらの釣り人しか見えず大漁の予感】だそうです。
【次の放流は20日(日)上流域(軍畑大橋より氷川昭和橋まで)にニジマス480kg、ヤマメ320kg、イワナ40kgの合計840kg 放流の予定です。お出かけ下さい。】
【撮影】09時30分=伊藤 幸司
*これはイロハモミジですかね。平溝通りを行き来する人たちにとっては日々目にする特別な木だと感じます。すでに葉を落として平溝川の岸辺を赤く染めていました。
【撮影】09時31分=伊藤 幸司
*そのイロハモミジがあまり鮮やかでないように感じたのでクローズアップしてみました。するとまだ緑色の葉も残っていて、光の当たり方によっては驚くほどきれいに輝く瞬間もあるのでしょう。
【撮影】09時31分=伊藤 幸司
*私はこういう景色が好きなんです。手前の笹の葉と滝までの距離感がちょっと変ですが、平溝川の無名滝、箱庭風景です。
*じつは2007年に晩聲社から出した『軽登山を楽しむ 山の道、山の風』の「13…滝」の最初に出した写真は「滝に加えていいかどうか。西武鉄道・正丸駅から大蔵集落を抜けて伊豆ヶ岳へ向かう林道わきの水路で。」でした。その「13…滝」のサブタイトルは「道筋には、無名の滝が無数にある」としました。これもそんな滝のひとつです。
【撮影】09時35分=伊藤 幸司
*柿と山茶花ですかねえ。季節の彩りというのでしょうかねえ。サザンカがツバキと違うのは花がポトンと落ちる(ツバキ)か花びらがハラハラと落ちるかに加えて、花期がサザンカの10〜12月に対してツバキが12〜4月とか。花がないときには葉の違いでもわかるといいますが、それはとても無理。葉脈や葉の鋸歯(ギザギザ)がちょっと違うというのですから。
*私のアタマではどれもどっちがどっち? なんて混乱するだけだから、この「柿と山茶花」という絵柄を忘れないようにしようと思うだけです。
【撮影】09時42分=伊藤 幸司
*JR軍畑駅から高水三山に登るときには、この高源寺でゆったりと休むことにしています。ときには檀家のみなさんがいろいろな作業をしていることもあります。集落の小高いところにあって、日向ぼっこしながら腹ごしらえできたら記憶に残ります。
*
『猫の足あと』の『多摩地区寺社案内』に「天徳山高源寺・彫刻家朝倉文夫が当時に疎開」というレポートがありました。
*寺は古いんですね。元禄年間の開山だそうで『青梅市史』には【山門は古色あるものである。太平洋戦争中、昭和二十年から二十一年、彫刻家朝倉文夫がこの寺に疎開していた。】と書かれているとのこと。
【撮影】09時49分=伊藤 幸司
*高源寺境内の背後にあるのは、立て札によれば【天之社、妙見堂、天之社境内獅子岩】となっていますが、これまで何度も、休憩が終わって歩き出してから「見ておけばよかった!」というのを繰り返してきました。今回も。
*
『青梅資料館』の『ふるさとの文化財』に『天之社(あまのしゃ)獅子舞』(平成24年4月15日)がありました。青梅市指定の無形民族文化財だそうです。
【青梅市二俣尾5丁目(平溝)に伝わっている「天之社獅子舞」は市内に伝わる獅子舞の内の一つで、昭和45年11月に青梅市の無形民俗文化財に指定されました。
他所の獅子舞が獅子三匹で舞われる三匹獅子舞であるのに対して、この天之社の獅子舞は獅子一匹で舞う太神楽(だいだいかぐら)獅子です。
元は7月15日に行われていましたが、何回かの変遷を経て、今は4月の最終日曜日の天之社の祭礼時に行われています。現在二俣尾5丁目の第1・第2自治会(旧字峯の出・平溝・大沢)の約90戸が獅子舞保存会の会員となり「獅子連中」をバックアップして保存伝承しています。
獅子連中は獅子の舞い手2人、太鼓1人(締太鼓と大胴の2つを担当)、笛4人程、鉦かね1人、三味線2人で構成されています。演目は1.さがり葉の舞 2.大幣おおぬさの舞 3.剣つるぎの舞 4.鎌倉の四演目で、小道具として大幣の舞に「幣束へいそくと鈴」、剣の舞に「刀と鈴」、鎌倉は「まり」を用います。天之社の獅子舞は太神楽獅子なので、三匹獅子舞に比べ全体的に静かでゆったりとした舞です。
祭礼当日は、午前8時30分に天之社前庭で「さがり葉の舞」「大幣の舞」を舞った後、村回りに出発し、一件ごとに幣束と鈴を持って入り、悪魔祓いと病気厄よけの意味を込めて家族の頭を噛むまねをします。
一日かけて村内を回りますが、途中第二自治会館と第一自治会館の舞台で獅子舞を行います。村内を一周した後、再び神社に戻り、午後5時30分より社前での神楽として「さがり葉の舞」「大幣の舞」を奉納します。
平溝天之社は高水山登山口入り口(軍畑駅下車徒歩25分程)の高源寺の並びに鎮座されています。新緑の一日、郷土に伝わる無形文化財をご覧になってはいかがでしょうか。
市文化財保護指導員 神森 正】
【撮影】09時49分=伊藤 幸司
*集落の道は高度をどんどん上げていきます。私のシミュレーションマップでは高源寺からこの道の終点まで500mでほぼ100m登ります。
*私が考える「標準登山道」は「1km先で300m上がる」(平地を時速4kmで歩くパワーなら、時速1kmで登れる道)ですから、それよりはゆるいとはいえ「10%勾配で急坂」とされる車の道としては超急坂です。息が切れるのはスピードが早いからです。「前に進む」という意識が体に大きなパワーを要求します。最後尾の私も息を切らせましたから。
【撮影】09時50分=伊藤 幸司
*道路右側はかなり広い果樹園になっていて、柑橘類の木がありました。柑橘類……以上のことは全くわかりませんけれど。
【撮影】09時50分=伊藤 幸司
*これは柿……と、なんですかね、木は同じようなのにあきらかに違う種類の実がついています。あとで調べて知りたいというよりも、この乱雑な秋の実りが面白くて、撮りました。
【撮影】09時51分=伊藤 幸司
*これは柑橘類……以上のことを知りたくてアップで撮っておきました。帰ってネットで調べてみると
『伊藤農園』の『みかんな図鑑』というのがありました。この「山旅図鑑」と違って、まるで絵本みたい。【和歌山有田から、みかんのおいしい知識をおとどけします】とのこと。
*その最初が【みかんの種類】。「みかん」から「ポンカン」まで31種類の一覧表。トップにあるのがミカン科ミカン属みかん。ただし収穫時期によって「極早世(ごくわせ)みかん」「早世(わせ)みかん」「中生(なかて)みかん」「晩生(おくて)みかん」となるのだそうです。今だとすれば(和歌山の場合なら)「11月初旬〜末頃」の「早生みかん」。
*そうか、時期かということで【柑橘カレンダー】を見てみると、11月下旬に収穫期を迎えるはみかん(温州みかん10〜2月)、ゆず(11〜1中旬)、レモン(11〜4下旬)であとは全部年を越してから。というふうになっていますね。
*その3種に絞れたら、写真でそっくりの「ゆず」ですね、これは。
【撮影】09時52分=伊藤 幸司
*果樹園の主は、一軒家のこの家のように思われます。なかなか立派な家ですが、畑の経営はピークの時期を過ぎたのかもしれません。失礼ながら時代の変化でもありますから。
【撮影】09時52分=伊藤 幸司
*向かいの山を見ると完全に林業地帯の山ですね。でも混みすぎているのかなあと感じました。青梅から始まる奥多摩の山は林業の山なので、まさにこのような光景について語られているものがあるかと調べてみたら、私が長年知りたかった首都圏林業地帯の間伐についてのレポートがありました。
*
『greenz』に『「私、なんにも知らなかったな」。林業家・中島大輔さんとともに、東京・青梅の森を歩いて知った林業の今と未来』という秀逸なルポがありました。村瀬彩さんという人の2018年のレポートです。
【中島さん……
「一方で今、民間が所有する放置林は、国や地方自治体の税金によって整備されています。間伐して土砂崩れに強い森をつくりましょう、というものです。けれども多くが森林保全を目的に実施されるので、木はその場に切り捨てられて終わり。木材利用まで至るのは少しだけ。日本にはそんな森がたくさんあります。」
そういえば来る道すがら、地面に転がっている木の残骸をいくつも見かけました。それらの間伐材は、他の人が所有するエリアのものなので、勝手に手を出せないのだそう。
こんなにたくさんの資源が転がっていても、市場には出せずに朽ちていく。買うほうは生産現場の実態を知らないまま、仕入れ値の安い輸入材や国産の皆伐材を購入していることが多い。
その結果、日本にはげ山と放置林が増えて土壌崩壊を招いているそうです。はげ山はともかく、放置林がどうして土壌崩壊につながるのでしょうか?
中島さん……
「木が込み合って光が入らない放置林には雑草が生えず、土壌がゆるみます。そのため、大雨が降ると土の流出が起きるんです。」
おむすびを頬張りながら、私なんにも知らなかったなと、しばらく山の向こうをじっと見つめました。】
*ちなみにグリーンズ(greenz.jp)というのはNPO法人で【人・社会・自然の関係をデザインし直し、それぞれがいかしあう状態をつくることが、これからの社会のために必要だと考えています。】とか。
【撮影】09時56分=伊藤 幸司
*ゆずの木ですね、これは。葉っぱが黄色くなりつつある、というところにちょっと魅力を感じました。
【撮影】10時02分=伊藤 幸司
*「高水山源流のつり堀」という名前のヤマメ養魚場で車道は終わり、そのすぐ上にこの堰(砂防ダム?)があって、その先から沢筋の登山道になるのです。
*その釣り堀にお客さんが来ている場面を見たことがありませんが、ネット情報を見ると、一度覗いてみてもいいかなと感じました。
*
『高水山源流のつり堀』は【古民家+ヤマメ釣り+アウトドアレジャ】だそうです。
【古民家で登山後の休憩もできます。
ヤマメのから揚げやハンドドリップコーヒーをご提供しております。
また、宴会場としてご利用いただくこともできます。
薪ストーブ、薪風呂もあります。
春はワラビ、秋はナメコ、冬はゆずを販売しております。
バーベキューには貸し切りプランがおすすめ】
【撮影】10時11分=伊藤 幸司
*沢筋を上がっていくのかと思うとすぐに、進行左手(右岸)の斜面をジグザグに登り始めます。谷筋の道をできるだけ奥まで入って、急斜面を強引に登って尾根に出る、というのが日本の登山ルートの基本形です。日本アルプスの有名どころにけっこう軽いルートがあるのは、タクシーで上がれる林道が標高1,500mまで、深く、高く走り込んでくれたりするからです。
*さてこのジグザグ道なんですが「標準的登山道」というモノサシを持って見ると自分のペースで歩くことが可能です。
【撮影】10時13分=伊藤 幸司
*あまり自信がないのですが、これはチャノキ(茶)ではないかと思います。
*
『キャンプクエスト』に『自生している野生の茶の木を乾燥させて自家製のお茶を作ってみる』(2020年)がありました。
【ヤブツバキのほうは鋸歯(フチのギザギザ)が目立たず、葉脈も茶の木と比べると浅いです。さらに冬場なら茶の木には白く小さな花が咲いているので、簡単に見分けはつくでしょう(まあ実際に山で見ると全部同じように見えるんだけど)。】
*要するに、チャノキとヤブツバキがかなり似ているということのようです。
【撮影】10時14分=伊藤 幸司
*チャノキはインド系のアッサム種と、耐寒性・耐陰性に強い中国種があって、中国から日本に入ってきたのは奈良時代以前だそうです。ツバキ科ツバキ属なので日本原産のツバキ(ヤブツバキ)と相当近いのだそうですが、私などはこの花がツバキの近い仲間といわれると逆に混乱させられます。
*その近くて遠いのか遠くて近いのかわからない微妙な関係をうまく説明してくれたサイトがありました。
『ぐり茶の杉山公式ブログ』に『お茶の木にも花が咲くのです』(2013年)がありました。
【皆様お茶の「花」をご覧になったことがございますか?
通常、お茶の葉を栽培している茶畑では、茶葉に十分な栄養がいきわたるように、花の部分を早くに摘み取ってしまうため、お茶の花を目にする機会はほとんどありません。
でも、お茶は本来、白い椿のような美しい花を10月頃に咲かせるのです。
ちゃんと茶園管理されている茶畑では通常この茶の花は見ることが出来ません。
最近になって、この「お茶の花」には葉にはない特定の成分が含まれていることがわかり、新たに脚光を浴びています。
その成分の名前は「フローラテアサポニン」(floratheasaponin)。
現在、国内外の機関で研究が進められている注目の健康素材です。】
【撮影】10時15分=伊藤 幸司
*左に進んで、右に曲がって、左に登る。私のシミュレーション・マップでは直径100mの円が3つ、ぴったり接して並んでいます。円は標高50mごとにえがかれているので地形図に描かれたこの急登部分は200m先で100m登る勾配、すなわち50%勾配、約27度(の斜面。あくまでも斜面勾配)とわかります。地形図上ではこの登山道のジグザグは、地図上で歩道を表す破線の太さの中におおよそ含まれてしまうので省略されてしまいます。
*そこでこの道の勾配ですが、首都圏の山では軟弱な登山者を想定して道付けの担当者の配慮が「歩きやすさ」を求めてくれます。それが100m先で30mの登り(約17度)だったとすると。平地を時速4kmで歩くパワーで前進スピードを時速1kmまで落とせると1時間で高度差300m登れるという計算になるのです。その「時速1km」の歩き方を身につけてもらうのが糸の会の重要な役割としてきました。10kgのザックを背負って登りの登山道を「時速1km」で歩き、10時間行動できれば、日本アルプスの有名なルートの多くが行動範囲に入ります。そして下りの安全はダブルストック必携で。
【撮影】10時18分=伊藤 幸司
*稜線が見えてくると同時に、ススキが登場しました。それもずいぶん華やかな感じで。
【撮影】10時18分=伊藤 幸司
*冬の山歩きの魅力は(太平洋側では)なんといっても日だまりハイクです。冬の季節風が吹き抜けるところではたしかに冬らしい寒い思いをするけれど、登ったり下ったりする斜面にそういう風が吹き付けることはあまりありません。それよりも太陽の光と熱がたっぷりと降り注いで、しかもそれが低い角度から投げ込まれてくる感じ。それが独特なんですね。このススキだって浮き立っているじゃないですか。
【撮影】10時20分=伊藤 幸司
*山でススキと出会った記憶の多くは、こんなふうにススキのジャングルに仁義を切って入り込んでいくという感じです。なぜかその一郭だけ、登山道を抱き込んでススキが優越的な態度で待ち構えているんです。入っていくと、パッと終わってしまうんですけどね。
【撮影】10時22分=伊藤 幸司
*小さな赤い実がありました。秋に小さな赤い実をつけるものを探したら、まず真っ先にノイバラが出てきたのですがなんとなく違いますね。そこで「ノイバラに似た赤い実」を調べてみると、いろいろありましたがヒヨドリジョウゴ、ハダカホウズキ、テリハノイバラがでてきました。どれも初めて知る名前でしたが、それぞれの写真を見るとハダカホウズキにまちがいない、と思いました。
*
『公益社団法人 大阪自然環境保全協会』の『ネイチャーおおさか』に『ハダカホウズキ』(2020年)がありました。
【ヒヨドリジョウゴと瓜二つ、写真だけで言い当てればまぐれであろう、現場を見れば一目瞭然、ハダカホウズキは地面から木立に生えて、実はぶら下がる、ヒヨドリジョウゴは他の木や草に寄り添って伸びていく、蔓ではないので巻きついたりはしない、同じように実はぶら下がるので瓜二つに見える】
【撮影】10時36分=伊藤 幸司
*尾根に出て登り始めると古い石柱がありました。「六合目」と彫られています。「合目」というと大方は目的地が「十合」ですが、これが「丁目」だとゴールが何丁目なのか知っていないと数が無限に増加していくだけ、という感じになります。
*10時09分のところに「四合目」の石柱(秋田さんの写真)が出ていますが、堰を越えて登山道らしい登りが始まったところです。そうすると「天之社獅子舞」を伝える天之社か高源寺か、あるいは集落の中心が「登山口」だったと想像できます。念のために高源寺への入口で撮った写真を拡大してみました。するとそこに「高水山」という文字の読める石柱があったのですが、残念なことに下半分が切れていました。でも、09時33分の秋田さんの写真を拡大してみるとそこに「高水山登山口」と明記されていることがわかりました。
【撮影】10時40分=伊藤 幸司
*これはコアジサイの紅葉……だと思います。コアジサイは小さな花も密やかながら思わず目をひくブルーのドラマを見せてくれますが、紅葉でも、林内で3ひっそりと、秋色を見せてくれます。
【撮影】10時45分=伊藤 幸司
*尾根筋は全面的な植林地となっていました。林床に陽光が届く状態になっています。
『林野庁』のホームページに『間伐の推進について』という記事がありました。
【間伐とは、森林の混み具合に応じて、樹木の一部を伐採し、残った木の成長を促す作業です。間伐を行うと、光が地表に届くようになり、下層植生の発達が促進され、森林の持つ水源涵養機能、土砂災害防止機能、生物多様性保全機能などが増進します。また、残った木の成長が促されることにより、木材としての価値が高まります。】
*私の印象では細い木があまりにも多いというふうに感じますが、20年前にお化けの出そうな植林地が多かったのと比べればはるかに健全な風景……だとは思います。
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
*わりと無味乾燥な気分になる人工林の登りですが、この日は陽光がチラチラと入り込んで、写真で見る印象より楽しい時間になりました。要はその気分をこの写真はうまく捉えられているかどうか、ということでもありますけれど。
【撮影】11時00分=伊藤 幸司
*高水山常福院への石段を上がります。
『青梅市観光協会』のホームページに『高水山常福院』がありました。
【高水山龍学寺と号し真言宗安楽寺の末寺です。山火事のとき建物と共に古文書も焼失してしまったので成立は不明ですが、寛永年間(1624-1643)以前のようです。不動堂の前では、毎年4月8日に近い日曜日に獅子舞が奉納されます。この獅子舞は明和5(1768)年頃に奥多摩の大丹波から伝わった角太夫流で、成木7丁目の高水山獅子舞保存会が受けついでいます。】
【撮影】11時01分=伊藤 幸司
*
『来福@参道』というネットに『狼神話 高水山・常福院』があって、くわしい解説がありました。
【正式には高水山常福院龍學寺(通称:高水山不動尊)で東京都青梅市にある高水山(たかみずさん、標高759m)山頂にある真言宗豊山派の寺院です。開創は9世紀(801年~900年)の頃、西多摩・日原の大日如来窟で修行した智証大師が、高水山で降魔の修行をしている時、浪切不動尊を感得したことに始まると伝えられており、本尊は「浪切白不動明王」と称しています。
源平・鎌倉時代の有力な御家人である畠山重忠は、この不動明王に深く帰依し不動堂を再建したが、数度にわたる山火事のため焼失し現在の不動堂は1822年に再建されたものです。】
*この『来福@参道』というネットですが、【当初は信仰のために出来た参道が、社寺の「お祭り」ともなれば、次第に信仰以外にも人々の楽しみの場所となり、独自のコミュニティを形成してきました。この「来福@参道」はインターネット上に、21世紀の人々の「癒しと楽しみの場所」として、新しい「ネットコミュニティ」の創造を目指して開設しました。】とか。
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
*トイレからの帰りにモミジの巨木を逆光で見ると、不動堂の脇に見ていたものとはまるで別もののように見えて、思わずこの木がどれだったか確かめてしまいました。
【撮影】11時14分=伊藤 幸司
*
『来福@参道』の『狼神話 高水山・常福院』に、この石像への解説がありました。私にはちょっと意外なものでした。
【不動堂前の左右に鎮座する狛犬は、和犬の石像です。正面から見ても横から見ても和犬で、尻尾も和犬のように巻いていますが、牙やアバラ表現は狼のようです。和犬であるのに、なぜかオオカミ風にアレンジされている感じがします。これはこの地がお犬さま信仰の武蔵(奥多摩、秩父)近隣であることから、和犬にオオカミ像の特徴も合わせもったものと思われます。】
*ちなみに、おいぬ様(御嶽神社)、お犬さま(三峯神社)、お犬様(寶登山神社)はすべてニホンオオカミのことです。
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
*常福院の境内から、高水山の山頂へはもうちょっと登ります。ここはまだ人の手が加えられた境内林という雰囲気ですね。
【撮影】11時22分=伊藤 幸司
*常福院の裏庭という感じのところに展望のいい休憩ベンチがあって、御岳山の方向が開けていました。
*手前の山は、これから行く高水三山の3番手・惣岳山。その手前側の斜面に色の薄い部分がありますが、そこを後で通り抜けます。惣岳山の向こう側に下るとJR御嶽駅。そこから登り返すと御岳山ですが、ここでは画面の左にはみ出してしまっているようです。奥にあるのは左が大岳山、右が御前山。奥多摩三山の2つです。
【撮影】11時24分=伊藤 幸司
*ここが本当の高水山山頂(標高=759m)です。この写真でこのときの気温が「10℃プラス」だということがわかります。手袋をしていない人が2人いて、防寒用の帽子をかぶっていない人が4人いますから。
*人によっても違うかもしれませんが、素手で10℃を判断できます。手が凍える方向に行くかどうかの境界なんです。風がなければ大丈夫、風が吹いたら冷えを感じる、というところです。じつはこの日、10時25-35分尾根に出て休憩した時(六合目)に11℃でした。それ以外のところでは寒さを感じなかったので測っていません。要するに、ひだまりハイクのポカポカ記念写真です。
【撮影】11時27分=伊藤 幸司
*縦走の始まりはけっこう歯ごたえのある下りからです。遠くから見たら、高水山はさきほど見た惣岳山同様、けっこう立派なピークなんだなあということがわかります。
【撮影】11時29分=伊藤 幸司
*木の根がこれだけ洗い出されているということは、当然豪雨のときにはここが滝のようになるんでしょうが、左右の斜面が水を落としてくれるようなので、いつもということではないのでしょう。私には痛々しい風景というよりは骨太の頑強な尾根というふうに思われました。
【撮影】11時32分=伊藤 幸司
*これは下りでのダブル・ストックの使い方の、とてもいいお手本です。
まず、段差の先端部に立って「3歩先」にストックを突きます。左右に広げているとその人に恐怖心があることが見えますが、ここでは「肩幅より狭く」して、思い切って「深い前傾姿勢」をとります。急斜面に立ったスキーヤーが飛び込んでいく直前の準備姿勢をとるわけです。それがほぼ100%できています。
このあとどうするかというと、前傾姿勢をとりながら降り出した足を真下(段差の一番手前)に下ろしていって着地します。そして反対足を下ろして2歩目の着地。「3歩先」のもう1歩分が残っていますから、3歩目を出すときに通常のストックワークを開始します。
*糸の会は創設当初の25年前に、まだバラして1本買いする人が多かったLEKIを標準装備として、下山時での女性の危険防止とスピードアップを実現しました。その下山技術のレベルが高いので、大きな山もいろいろ体験することができました。
【撮影】11時40分=伊藤 幸司
*縦走路は晩秋の穏やかな道になりました。糸の会の「標準的な登山道は時速1km」に対して平坦な縦走路は「時速2km以下」という目安です。……となると下りはどれほど早くなるかというと、通常は登りの70%程度だと思いますが、登り・下りを区別せずに「時速1km」で計算します。疲れから、下山を急ぎたい気持ちから積み重なるリスクを避けるために、余り時間をどんどん蓄えながら下るという方針をとっています。(危機管理上のかなり重要な考え方だと思っていますが、詳しくはどこかで)
【撮影】11時41分=伊藤 幸司
*冬の山でよく見る葉っぱです。枯れてなお存在感をアピールし続けるという意味で、ヤグルマソウと並んで気になる(というより好きな)植物なんですが、夏の姿も、名前も知りません。
【撮影】11時41分=伊藤 幸司
*その(前の写真の)、気になっているけれど、好きかもしれないけれど、いつもすれ違ってしまうという感じの、枯れ葉、です。
【撮影】11時42分=伊藤 幸司
*冬の山道の楽しさは、私には枯れ葉です。足元が見づらくなるとか、滑りやすくなるとかいう人もいますが、町ではゴミになってしまう葉っぱが、山では積立貯金の黄金色?
*……ともかく、嵐の後の緑の落ち葉と比べると、晩秋の落ち葉はおだやかなお顔です。膝ぐらいまで吹き溜まった落ち葉の道を歩くときなどは歓喜です。
【撮影】11時47分=伊藤 幸司
*前方に道標があって、登る道と巻く道とに分かれます。巻道の存在感が大きいのは北アルプスですかね。一つ一つのピークが大きいので、疲れているとか、悪天候だとか、時間に追われているとかいうときにありがたいと思います。
*多くの巻道は、稜線を律儀にたどるのが危険であったり、ある意味無意味であったりと考えられた部分の安全ルートなのですが、それと、このように縦走路の補助としての巻道とは別ものです。ここにあるのは選択可能な巻道です。
首都圏の山では縦走ルート上にあるピークにこのようなショートカットとしての巻道が多くあります。高尾山から陣馬山への縦走路では茶店のある展望のいいピークを全部カットして歩ける道ができています。だからそれが走る人たちに利用されているわけです。
*そのように、ここでも高水三山最高峰の岩茸石山を避けて進める道がある、というわけです。……で、もちろん私たちには巻道という選択肢はありません。男坂と女坂があったときには男坂を選ぶという原則と同じです。(一般ルートである限り、ではありますが)歯ごたえのある男坂の方に体験の価値があります。
*ただ、リーダーとしての私は、巻道の分岐でのみなさんの様子をひそかにす観察しています。道選びに躊躇する気配がどこかにあれば、それは見逃したくないのです。一定以上の疲労感や時間の遅れなどがあるときにはメンバーのなかから、リーダーに対して無言のシグナルを送っているというケースがあるからです。リーダーとしてはいちおう下山までの余力、残り時間、天候などを確認して、この時点でのゴーサインを確認します。巻道の分岐は、そういうメリハリを与えてくれるチェックポイントともいえる存在です。
【撮影】11時48分=伊藤 幸司
*小さなピークへ登る道は、たいてい一気呵成に、です。こういうところで頂上に向けて一直線に登ろうとすると、簡単にバテます。元気な人が(歩き方を知らないがゆえに)あっというまに息を切らします。新入会員の多かった時代には、こういうところでリーダーの権威を見せつけるべく、魔法の呪文で、バテバテの人を蘇らせるのを楽しみにしていました。
*斜め上を目指して歩くからバテるんです。斜めの坂から階段を切り出して、その段々の奥へ踏み込み、振り出した足を段差のできるだけ手前に置いて、まっすぐ上に伸び上がる。つまり前進エネルギーをゼロ(の気分)にして上昇に出力を集中させれば「平地を時速4km」で歩くエネルギーでこの急坂に対応できる……と考えるのです。
*そういう、私の登山道の歩き方を、一瞬にして、魔法のように身につけてもらうには、こういう急な斜面が絶好のチャンスなのです。私が言う「標準的な登山道」なら、水平距離1km先で300m登るので、平地の道を1時間に4km進むパワーの1/4で1km進み、3/4で300m体を持ち上げればいいのです。つまり足のパワーの3/4を体を持ち上げるために使う歩き方を知るだけで、ほとんどの登山道は数時間歩き続けることができ、休憩を含めて10時間行動できれば、夏の北アルプスも手中です。
*ここはもっと急です。地形図で岩場の記号になっていない斜面は勾配60度まで、杉などの植林が行われている斜面は40度までという目安でいえば、これはかなり頑張らないといけない登山道の急登部分で30度前後です。東北地方の山ではよくある勾配で、山仕事のプロたちにとってはむしろ効率的な道といえます。
*1km先で500m上がる勾配ですからエネルギーの6分の5を体を持ち上げるために使えさえすればいいのです。一歩一歩体を真上に持ち上げようとするだけで、踏み出した一歩ごとが前進となります。
*言い方を変えれば、前に進もうとすれば、その5倍のエネルギーを、体を持ち上げるために要求されるのです。平地なら突然ダッシュさせられたような状態になるのです。
【撮影】11時57分=伊藤 幸司
*頂上にでたとたん目に飛び込んできたのは西武ドーム。
『ウィキペディア』によると命名権による名前の変遷は、インボイスSEIBUドーム(2005年)、グッドウィルドーム(2007年)、西武プリンスドーム(2015年)、メットライフドーム(2017年)で現在に至っているそうです。
【撮影】12時04分=伊藤 幸司
*岩茸石山山頂で11時55分からの10分休憩としました。糸の会では5分休憩で給水(のどが渇いていなくても水を一口)、10分休憩でエネルギー補給(パンとかおにぎり1個を食べます)を適宜繰り返して、いわゆる昼食休憩はもうけていません。
*ここではポカポカ陽だまりという気分ではありませんでしたが、なんだかのんびりしてしまいました。ほぼ10分たちましたがこののんびり気分をだいじにして「あと5分休憩」としました。くつろいだ休憩気分の延長ですかね、
*最近では10分ごとの先頭交代のとき、先頭をつとめた交代制リーダーが「水飲み休憩をしましょう」ということが多くなって5分休憩は私のコーチングとしての存在価値を小さくしています。いいことです。ただ、毎回ではありませんが、調子の出ない人がいるときなどは、早め早めに10分休憩をして、必要だと思えば「コーチ訓話」みたいな強引な時間を作って延長させることもあります。
*展望休憩はあらかじめ計画できますが、気温、風、日の当たり具合など気持ちのいい休憩をうまく組み込むのはかなかな成功しないゲームだと思います。リーダーの力量は休憩というエンターテインメント要素をどれだけ自分のものとできるかだと思いますが、ほとんどのチームには影のリーダーやら口うるさい古株メンバーがいて、30分に5分とか1時間に10分などの「常識」を根拠にしてその日のドラマをメチャクチャクしている恐れがあります。
【撮影】12時13分=伊藤 幸司
*高水三山は奥多摩山地の入口ですが、その最高峰・岩茸石山(標高=793m)の山頂から、ほぼ真西に見えたのが、奥多摩山地の最奥にある最高峰・雲取山(標高=2,017m)のようでした。
*
『山からの展望』の2014年12月25日の展望写真によれば、JR奥多摩駅から本仁田山(ほにたやま。標高=1,225m。画面左端に見えるまろやかなピーク)に登り、そこから川苔山(かわのりやま。標高=1,363m。画面上一番高く見えるピークの曲ヶ谷北峰から10分ほど行った左奥となり)に行く道の鞍部・大ダワのところに雲取山がピッタリはまり込んでいる、ということのようです。
*雲取山の山頂から緩やかに左に下る途中にあるちょっとした突起の気配が小雲取山だといわれると、たしかに! という感じがします。
【撮影】12時15分=伊藤 幸司
*こっちの下りもなかなかのもんでした。ロープが添えてありましたが、それを頼りにしたいという人がいたら、歩き方の欠点がどこにあるか見つけやすい。ダブルストックの人の場合は前傾姿勢を維持できるか、後傾姿勢姿勢(へっぴり腰)になるかどうか、スキーの基本姿勢とまったく同じ観察です。
【撮影】12時16分=伊藤 幸司
*そうそう、もうひつ、糸の会にも、残念ながらまだ、急斜面で体を斜めにする人がいます。ストックを使っているときにはそうならないんですけどね。
【撮影】12時19分=伊藤 幸司
*この写真ではメンバーはずいぶんバラバラな状態で歩いています。糸の会ではすこぶる健全な状態です。
*私が先頭に立ってリーダーとしての全権を握っていたのをやめて、トップを「10分交代」するようになって10年近くになります。いくつかのカルチャーセンターで超入門の山歩き講座をもっていましたが「登山」と名のつくような山に行けるようになると危機管理的な観点から私自身が引き受けざるを得なくなって(ITO-no-KAIとしての)糸の会は続いてきたのです。
*会員の最後の供給源となった朝日カルチャーセンター千葉の講座が2011年に終了したとき、糸の会では私との付き合いが百回(月2回で4年)以下ではまだ若輩というようなベテラン集団になりました。そこからさらに10年たって、現在があるのです。
*そこでどの山からだったか、私は最後尾について、みなさんに10分ずつ先頭に立ってもらう方式を始めたのです。トップですから、それなりのリーダー権があります。私が知っているルートがほとんどなので大筋でのリーダー判断は私にできます。
*それが糸の会方式だといえるのは、10分交代のやり方なんですが、一般の常識と大きく違うのは「最後尾の人が前に出る」という点です。……ということは「10分後には全員が集結する」ということになり、それゆえトップの人は全体のペースのことなど考えずに自分の「気持ちいいスピードで歩く」ということができるようになったのです。鉄砲玉のように速くてもいいし、亀さんみたいにのろくてもいいのです。
*全体のペースを維持するといいながら、実際には一番遅いペースの人をうまく歩かせるというのがリーダーの技術であって、そのとき先頭に立つのがサブリーダーだとすると、最後尾についた影のリーダーが無駄なコントロールを企てるという図式になるわけです。
*私はすでに首都圏の日帰りの山に関しては1,000回を超えるような状態でしたし、数百回というお付き合いのみなさんとの山でしたから、グループ登山ではあってももうすこし各人の自由度が大きくなる歩き方ができないかと思って「10分ごとのリーダー制」を始めたのです。
*速い人がリーダーになるとあっという間に姿が見えなくなるくらいぶっ飛んでいってしまいます。しかし足の遅い人、登りが苦手の人、逆に下りが遅い人たちは、苦手のところで無理をしません。もし転んで動けなくなったとしても10分後には先頭が止まるわけですから、焦る必要はありません。速い人と遅い人、そのどちらでもない人が、それぞれ何パーセントか自分の気持ちいい歩きを体験しながら、他の人の歩き方も見ることができるということを考えました。
*我慢もしなければいけないけれど、鬱憤もはらせるというチーム登山です。そのなかには密かに競い合う要素もありますから、みなさんどんどん技術も深まっていくのだと考えます。
この写真はそういう目で見ていただくと、ひとりひとりがそこそこ自立しながら、全体としてつながっている、という写真だと思っていただけるでしょうか。ただし、有名な登山ルートですれ違いが多い場合には、相手に迷惑をかけないような配慮ももちろん必要になりますけれど。
【撮影】12時23分=伊藤 幸司
*稜線から右手に大丹波川(おおたばがわ)の谷とその向こうには山頂から見た川苔山へと続く赤杭(あかぐな)尾根が見えています。
【撮影】12時25分=伊藤 幸司
*稜線の左側斜面は人工林、右側斜面は自然林。よくあるパターンです。
【撮影】12時25分=伊藤 幸司
*名前わかりません。色合いと、この壁面感、なかなかいいじゃないかと思いました。
【撮影】12時26分=伊藤 幸司
*じつは高水三山のルート上には印象的な杉並木があって、それが毎回楽しみなんです。ここは違いますけれど、立派な木がズク、ズクと立ち並んでいます。
*そこで「高水三山の林業」と調べてみたら、直接関係ない埼玉県の情報が飛び込んできました。
『埼玉県』『寄居林業事務所』の「林業経営の支援をします」(2020年11月)というかなり読みやすく、具体的なアジテーションです。直接関係はないのですが、この木々が、ちょっとしたお金に見えてきました。
【皆さんが所有されている山林で、間伐などの手入れができず、木が混みすぎて真っ暗な林になっているところはないでしょうか?
今は木材価格が安く、間伐をしても間伐材の販売価格より木を出すコストのほうが高くなり赤字になってしまうことが多いため、なかなか山の手入れができないのが現状です。
ところが、赤字にならない間伐のやり方があり、実際にそのやり方を実践している地域もあります。下の2つの表は間伐した木材を市場に搬出し、販売した実例です。赤字でないどころか所有者が収入を得ています。】
【では、この2箇所はなぜ黒字なのでしょうか。2箇所の共通点は森林内に「道」が通っていることです。この「道」はもともと通っていたわけではなく、間伐し、その後も森林を管理するために作ったものです。このような「道」を「作業道」と呼んでいます。
この作業道が森林内に通っていれば、伐倒した木を森林内から効率よく運び出すことができる高性能林業機械を森林内に入れることができます。そうすると間伐した木を容易に運び出すことができ、コストを安くすることができるのです。】
【皆さんが所有されている山林で、間伐が必要な箇所があれば森林組合又は寄居林業事務所にご相談ください。近隣の森林と団地化し、先の例のとおり間伐で収入を得られるように支援いたします。】
【間伐には補助制度があります!所有者が森林組合に間伐を頼んで実施した場合、補助金がでますので、皆さんの負担が少なくなります。「山の手入れはしたいけど、お金がない。人手がない。」「せっかく間伐するなら、材を出していくらかでもお金にしたい。」という方は、寄居林業事務所、または、お近くの森林組合へご相談ください。】
【撮影】12時37分=伊藤 幸司
*突如、出てしまいました。あの平溝川の源流が足下にあります。左側の高い稜線が、左端にチョコンと出ている高水山の山頂へと続いています。2時間ほど前にあそこを登っていたのです。でもこの、あっけらかんとした空間。じつは奥多摩ではいつもどこかで目にする風景でもあるのです。
*09時52分の写真のところで紹介した
『greenz』のインタビュー記事『「私、なんにも知らなかったな」。林業家・中島大輔さんとともに、東京・青梅の森を歩いて知った林業の今と未来』には次のような一節もありました。
【なかには、山を丸ごと刈り取って木材を大量生産する方法もあります。事実、日本の林業は、森林所有者から委託された事業者が大規模伐採を行なう「皆伐」が主流です。しかしこの方法だと、場合によっては周辺の生態系バランスを崩すこともあるし、再植林しても木が育つまでに、数十年とかかります。】
*この「皆伐」が突然目の前に現れたのです。悪魔の所業というべき風景です。
*でも「小面積皆伐」という新しい考え方も出てきたようです。
*
『Yahoo!ニュース』に『少面積皆伐で里山を守れ!』(2014年)という森林ジャーナリスト・田中淳夫さんの記事がありました。独立行政法人森林総合研究所関西支所が、里山の雑木林(里山林)で行われている間伐による若返り法に対して提案したのだそうです。それに加えた提言です。
【現在の林業地には、一か所で20ヘクタール、30ヘクタール程度の皆伐地が多く見られる。ときに100ヘクタール以上にもなる大面積皆伐が行われている。これを見て、自然破壊的な気持ちにならないというのは嘘だろう。
一方で、まとまった面積を伐採しないとコストを抑えられないうえ、出荷する木材の量を十分に確保できなくなり、事業体の経営も成り立たないという現実もある。また日本の多くの林業地は、これまで皆伐と一斉造林のサイクルで行ってきた。これをいきなり変えるのは難しい。
しかし、小面積皆伐なら伐採も植林もしやすい。そして草原環境を部分的に作り出すことで生物多様性も保てる。つまりコストを抑えながら森林環境を守ることも可能にならないだろうか。
もちろん、単に小面積なら雑木林も人工林も大丈夫というのではない。伐る木の選び方や伐採方法、跡地の処理方法など、おそらく緻密な技術が必要になるだろう。だからこそ、皆伐という森林育成法も、改めて注目して研究すべきではないか。】
【撮影】12時38分=伊藤 幸司
*前の写真でみなさんが見下ろしていた左手の斜面です。伐採したあとに残る白いポツポツは木の切り株。緑の丸っぽいかたまりは苗木みたいにも見えますが、取り残された灌木のようにも思われます。
【撮影】12時38分=伊藤 幸司
*登山道はこの明るい斜面に変更されたようです。
【撮影】12時39分=伊藤 幸司
*1分前に見た斜面に日が当たってきました。たまたま目にした斜面ですが、これがどんなふうに変化していくのか、また見ることもあるだろうと思います。
【撮影】12時41分=伊藤 幸司
*背後に見える木々と同じような状態のものを伐採したのでしょうか。まだそれほど太くない木が伐られたのだということはわかります。
【撮影】12時45分=伊藤 幸司
*反対側の斜面は何年か前に皆伐されたようで、鹿よけの網で囲われていました。
*あとで古い写真を見ていると、まさにこの場所が出てきました。1997年3月26日に、この斜面(今回伐採された斜面の反対側)は皆伐されていて、間伐対象程度の細い木はまだ緑の枝をつけたまま、斜面の窪みに、覆いかぶさるように投げ捨てられていました。
【撮影】12時47分=伊藤 幸司
*いよいよ惣岳山への登りです。この岩の道の、いつ踏まれてもおかしくないようなところからイワウチワが咲いていたことがあります。どうなりますかね、こんなアッケラカンとした尾根道になってしまって。
【撮影】12時49分=伊藤 幸司
*ここまで来たら、私のカメラで高水山(右)から岩茸石山(左)までが写りこみました。
【撮影】12時49分=伊藤 幸司
*岩場でストックを使うのは危険、というのが常識のひとつでしょうが、ほぼ25年前にLEKIのダブルストックを超入門講座の標準装備と決めたのは、たまたまもっていた人のストックを借りて石突で岩を強く突いたときの感触でした。本場アルプスのトレキングで、岩場で安心して使える道具だと直感したのです。
*「超硬合金」とカタログにありましたが、岩にきちんと食い込む円形の歯の切れ味で、本物だと見きったのです。私はそのころモノライターとしても仕事していましたから、モノを見る目はあると思っていました。2万円というLEKIはゴアテックスの雨具と同様高価でしたが、全員に購入してもらいました。
*ただ、下りで(主に女性メンバーの)安全性を高め、下山時間のコントロールが可能になるスピードの安定性を確保するのが目的の中心で、登りについては北アルプスの岩場など、レベルの高い場面での使用を想定していたので、ふだんの山ではきちんと体験できないという理由と、脚力増強が先という理由で、むしろ使わない歩き方をすすめていました。
*その結果、後から何人かの人に私の使い方を身につけてもらいたいと思ったのですが、ひとりとして「見本」の域に達してくれた人はいませんでした。
*ここでもストックは手放さず、邪魔にならにようにていねいにさばきながら登っているときには(その落ち着きによって)安全が確保されているという見方をしています。できればストックを使ってきちんと登ってくれるレベルの人が何人かいてくれるといいのですが。
【撮影】12時50分=伊藤 幸司
*この風景ともそろそろお別れ、というところです。左上に岩茸石山があって、その登りと下りの傾斜が(おおよそですが)わかります。
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
*最後の最後、だと思いますが、岩場の道からいったん怪しげな道に回り込んで山頂に向かいました。
【撮影】12時56分=伊藤 幸司
*惣岳山山頂(標高=756m)の青渭神社です。
『東京都神社庁』の東京都内1,398社の中に『青渭(あおい)神社・おそうがく様』がありました。が、それによると「延喜式内社」とか。平安時代の延喜式神名帳に載っている「官社」ですからタイヘンです。
【惣岳山上に鎮座する。延喜式内社。創建年代不詳。承平年間に源経基、その後、三田、北条、徳川の各氏も厚く崇敬し、社の経営に尽力した。山頂近くに真名井と称する霊泉がある。明治の初めに山麓に拝殿を建て、現在では祭事をここで行う。】とのこと。
【撮影】12時56分=伊藤 幸司
*
『古今御朱印研究室』の『惣岳山青渭神社』(2019年)には『本社(奥宮)』についての、もうすこし詳しい説明がありました。
【惣岳山の山頂に鎮座している。現在は平坦な広場に本殿が建つのみだが、かつては拝殿や鳥居、さらに末社27社があったという。
現在の社殿は文化3年(1806)の火災の後、弘化2年(1845)に多摩川沿い26ヶ町村の浄財を持って再建されたもの。一間社流造で、壁面に見事な彫刻を配する。
山頂から少し下ったところには末社の真名井神社がある。真名井、あるいは青渭の井と呼ばれる霊泉の上に小さな祠が設けられている。】
*写真には【社殿彫刻 蝦蟇仙人】とあります。
【撮影】12時57分=伊藤 幸司
*『古今御朱印研究室』によればこれは【社殿彫刻 控鶴仙人】
【撮影】12時57分=伊藤 幸司
*これが社殿正面です。弘化2年(1845)に再建された際の彫刻が金網によって保護されている状態です。
【撮影】12時58分=伊藤 幸司
*惣岳山の山頂は広いので、思いっきり自由に場所を選べるのですが、自由すぎるのも寂しいもんです。左端の青いザックが私のですが、あまり落ち着いた気分にはなれませんでした。
【撮影】13時04分=伊藤 幸司
*惣岳山山頂下から、岩茸石山を望みました。
【撮影】13時08分=伊藤 幸司
*青渭神社の境内に見事なマムシグサ(か、その仲間)のみごとな赤い実がありました。これについてここで語ることはほとんどないと思ったのですが、食べる話がきっとあるよな、ということで
『東京でとって食べる生活』の『マムシグサを毒抜きしてスイートマムシグサを作った話』(2020年)を読みました。長大なので適当に抜書きします。
【マムシグサとはテンナンショウ属の毒草で、飢饉のとき非常用の食料とされてきた。毒抜きをすれば食べることができる。
そう知ったのは先日参加した櫛田川野食会。
主催自らの手ずからバーベキュー台の中で焼かれて食用に供されていました。
でもって、生マムシグサ(言いづらい)が家にやってきたののも同じく先日。
終わり際の余り物配布回で主催の
「ヘイ!マムシグサ!」
の声がいい声すぎて、つい手をあげ貰ってしまったわけですね。】
【さて、そんなテンナンショウ属に共通すること。
有毒成分のシュウ酸カルシウム・ムスカリン・コニインを含むこと。
それでいて球根が大きく肥大化しでんぷん質に富むこと。
そんな毒物と食物の中間くらいいる植物なのですが、昔から食べられていたというのです。
積極的に食べてきたわけではなく救荒食料として食べるのが一般的とのこと。救荒植物というのは、wikipediaからの引用になりますが「飢饉、戦争その他で食料が不足した時に、それをしのぐために間に合わせに食料として利用される植物である。」とされております。
普段は食べないワケアリの非常食なわけですね。
会場で頂いたマムシグサの球根。ずっしり500gはあるでしょう。
また、アイヌでも食用にしたとの文献があり”球根を焚き火で焼いて、中央の黄色い箇所は毒矢の材料に、外側は食料にした。”とかなんとか。
「なんでそんな生きるか死ぬかみたいな二極端なもの食べてたの!?」
「その境目どこなの?」
「中間を食べたらどうなるの?」
などなど、突っ込みたいたいところは山ほどありますが、昔から少なからず食べられてたのは事実のようです。】
*そして。
【まずは報告から、
生きてます。
マムシグサは加熱することで刺激なく食べることができ、なおかつ洗うことでより安心して食べられるようになりました。味も悪くはありません。
ただし、食べられたとはいえ”安全”にとは言い切れない結果で、最後まで毒成分が残っている可能性は払拭されませんでした。】
【撮影】13時10分=伊藤 幸司
*境内から出た途端に、この芸術的な道になりました。根が洗い出された登山道はそれほど珍しくありませんが、高水山の下りでもこんな感じのところがありました。ちょっと記憶に残しておきたい場面でした。
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
*土のうを積んで保護した感じの青渭の井戸が見えてきました。
【撮影】13時18分=伊藤 幸司
*突然、炎のような紅葉がありました。稜線のこちら側と向こう側との、違う世界が接しているのです。
【撮影】13時21分=伊藤 幸司
*これが補助金のついた間伐事業ですよ、という正直、丁寧な仕事がきっとこれなんでしょう。
『一般社団法人環境イノベーション情報機構』の『環境Q&A』に『林業における廃棄物解釈の例外について』(2011年)がありました。
【廃棄物処理法により、樹木を剪定した際に出る剪定枝は廃棄物となるため、野積みなどみだりに放置してしまうと法律違反になってしまうと思いますが、林業において枝打ちにより発生した枝や間伐材でも作業道から遠く搬出が難しいものは林内に放置していても法律違反にならない(例外として取り扱われる)と聞いた事があります。これって本当でしょうか?ご存知の方、教えて下さい。】
【本当のようです。
(工作物の新築、改築又は除去に伴って生じた根株、伐採木及び末木枝条の取扱について・公布日:平成11年11月10日・衛産81号によると)
根株等が雨水等により下流へ流出するおそれがないように、安定した状態になるようにして自然還元利用する場合(必要に応じて、柵工や筋工等を適宜設置するものとする。)をいう。】
【さっそくのご回答ありがとうございました。「安定した状態」というのがミソのようですね。】
【撮影】13時22分=伊藤 幸司
*また立派なマムシグサがありました。実が立派なまま……どうなっていくのでしょうか。
*
『認定NPO法人 バードリサーチ』の『研究誌新着論文』に『カントウマムシグサの種子散布をする鳥』(2020年)というのがありました。
【カントウマムシグサなどのサトイモ科テンナンショウ属の多くは秋に赤色の液果をつけますが,あまり動物には好まれず,春までそのまま残っていることも多くあります。どのような動物がこの植物の有効な種子散布者なのでしょうか? それを明らかにするため,大石さんたちは,2013年秋から16年春にかけて石川県の里山でマムシグサの果実に向けて自動撮影カメラを設置し,またフンに含まれる種子の発芽実験を行ないました。その結果,年によって食べられたり食べられなかったりするのですが(おそらく周囲の果実の豊凶に影響されるのではと大石さんたちは考えています),様々な鳥や哺乳類がマムシグサを食べることがわかりました。そしてヒヨドリとシロハラが特に多く食べ,そのフンからでる種子にも十分な発芽能力があることがわかり,これらの2種が有効な種子散布者である可能性が高いと考えられました。
でも,マムシグサはどうしてあまり鳥にたちに好まれないのでしょう? わざと魅力的でなくしていて,エネルギーを節約するとともに,遅くまで残って春の渡りの直前に食べられることで,長距離の散布を見込んでいるんだったりして・・・。でも,あまり光の届かない林床にあるので,美味しく魅力的に「なれない」のでしょうね。きっと。】
【撮影】13時24分=伊藤 幸司
*「しめつりの御神木」です。「しめつり」の意味を調べてみましたが、よくわかりません。巨樹を見る人の味わいかたを知りたいと思いましたら、ありました。
*
『東京最後の聖域「にっぱら」』に『合体木の絆』がありました。日原にはスミクボの合体樹というのがあるんだそうです。
【巨樹の中にあって、「二本で一本」という特異な存在がある。別々な場所から芽生えた二本の木が、成長するにつれ幹を接しせめぎ合い、いつしか一本の木であるかの如く幹を太らせてゆく。このようなものを「合体木」、「合体樹」と呼ぶ。同種の組み合わせもあれば、異種同士のそれも珍しくない。】
【しかし、まるで一本の巨樹のような姿になるまでに、この二本の木はどれほどの歳月を要したことだろう。さらにその過程で起きる二種類の木のつばぜり合いは、いかばかりであったことだろう。そこには木の持つ宿命を運命と受け入れて生きた二本の木の物語が見え隠れする。
一本の木が成長していく過程で、隣にある木が接触するということはけして快いものではないだろう。まして、それが枝ではなく幹であれば尚更であり、お互いの拒否反応は想像に難くない。芽生えた場所がすぐそばであったというだけで、好きも嫌いもなく一生を共にしなければならないのである。それも体を密着させたままで。】
【撮影】13時25分=伊藤 幸司
*最上部にある合体木に「しめつりの御神木」という名札が付けられていました。でも下に並ぶ2本の古木をあわせて御神木として、残されたように思われます。下っていくと登山道にしめ縄が張られていました。
【撮影】13時40分=伊藤 幸司
*御神木をすぎるといよいよ本格的な下りになりました。
【撮影】13時40分=伊藤 幸司
*青渭神社の出口で見た木の根模様の道と比べると、ここでは道の部分の侵食が強かったということがわかります。木の根が空中に広がっていて、侵食はいまやその木の存在も危うくしているということがわかります。
*このような侵食は日々、少しずつ広がっていくというよりも、ある日豪雨によって水が大きなパワーをもって流れます。だからそのとき、何年に一度というパワフルな水流になる前に、何とかすることが必要です。
*登山道をそういう目で見ながら歩くと、そのチャンスを失ってきたと思われるケースをたくさん目にします。「水切り」です。簡単にいえば、蛇行して流れる水路のカーブの外側にちょっとした排出溝(溝というイメージではなくて排水勾配)をつくれば、水は外側斜面に逃げていきます。閉じ込められていた水流を「水切りで逃がす」という目で見るだけで、登山道破壊の危険をだいぶ減らせるのではないかと思います。そういう考えで補修されている登山道も見られるようになってきました。
【撮影】14時06分=伊藤 幸司
*ここでは侵食が弱いので、木の根が絵を描いている状態でとまっている、のでしょう。
【撮影】14時08分=伊藤 幸司
*なんとなく透けて見えるのは伐採されて明るくなった斜面です。それを見ながら通り抜けるだけの私たちには、明るい気分の風景になりました。
【撮影】14時09分=伊藤 幸司
*私たちの前にもうひとグループが歩いています。いよいよ最後の下り、という感じです。私たちはそのグループの前に出ないように、スピード調整してきました。
*じつはリーダー、というよりディレクターにとっては、最後の腕の見せ所。うまく行かないケースのほうが多いとメンバーは言うかもしれませんが、この段階では、私は時計を見ないことにしています。下山後のバスや電車、入浴のことや食事など、微妙な時間調節をうまくやりたい、と考えることが怖いのです。危険だと思っています。
*元気に見えても、自分のペースで歩けなかったというようなことで、疲れている人がいるでしょう。下りではどうしたってスピードが上がりますから「もう一息」という頑張りも危険です。
*そのときに、たまたまバスの時間がドンピシャになりそうだったら、急ぎたくもなります。そうなりたくないのです。
*その日の山歩きのいろんなしわ寄せが、出るとすれば「最後の下り」だからです。下山後のプランはもちろん何種類か用意していても、山を下ったところからのスタートですから歯車がうまく合わないと考えるのが常道です。下山後のプランが期待のベストチョイスではなく、セカンドチョイスならばいい、ぐらいに考えていないと、まさにこの時点で時計を見ながら「下山時刻」を管理したくなります。
最後の最後で軽い休憩をとって、メンバー全員の雰囲気を整えるたり、わざと時間を大きくずらせて、安全に集中するという表現をすることもあります。
【撮影】14時15分=伊藤 幸司
*ほとんど最終盤でこの間伐林が出てきました。JR御嶽駅の背後の森だと思います。ここには立て札があって、次のように書かれていました。
【事業名:森林再生間伐事業(平成29年度)
林班名:45-1-11林班
本事業は森林の公益的機能を回復させて環境を守るため実施しています<東京都環境局・青梅市>
この看板は間伐材を有効利用して製作しています。】
【撮影】14時21分=伊藤 幸司
*いよいよ木の間に下界が見えてきました。今日の山歩きも最後の最後という段階です。
【撮影】14時24分=伊藤 幸司
*向かいの斜面も見え隠れしています。大きな崩落があったのでしょう。玉堂美術館の脇からあの斜面(のもっと右の方)を強引に登って日の出山に出るというのを好んでやった時期がありました。
【撮影】14時27分=伊藤 幸司
*裏口から慈恩寺に到着すると、そこが惣岳山登山口。花の時期からいうとサザンカでしょうかね。出迎えてくれた感じがしました。
【撮影】14時27分=伊藤 幸司
*そしてサザンカの向こうにはモミジの赤。ホッとする瞬間でした。
【撮影】14時29分=伊藤 幸司
*この踏切を下ったところが手打ち蕎麦の玉川屋。一時期、そばつゆがちょっと辛くなって、それから足が遠のいています。たぶん一時期のことだったろうと思いますが、自分ひとりでないので、試しに入るというのがなかなかできないまま、現在に至っています。
その後は、JR沢井駅へ下って澤乃井園へ行くか、御嶽駅からなら澤乃井ままごと屋のいもうと屋など、あるいは一時期ハイカー向けの食事付き入浴をやっていたゆずの里・勝仙閣(2014年閉館)をよく利用して、入浴では青梅にあって、当時話題になったオウム真理教の熱湯殺人とほぼ同じ熱湯があった青梅温泉という名の銭湯(2001年ごろ休業→廃業)にも通いました。
*2007年以降は河辺(かべ)駅北口開発事業で建てられた河辺タウンビルの河辺温泉・梅の湯で食事まで済ませるようになりました。なにしろ駅前にあって、青梅〜立川、青梅〜東京という電車が次々に来ますから。
*ちなみにこの写真では御嶽駅のプラットフォームは見えませんがカーブで隠されたところです。
【撮影】16時49分=伊藤 幸司
*私たちはいつもの河辺温泉・梅の湯に行きました。帰りの時間を自由に選べるということで。
*ちょっと残念なことにコロナ禍で食事はまったくシンプルになりました。最近のスーパー銭湯は食事で集客しようとしていますから、山から降りた私たちにはどこへいっても「おいしい」気分になれます。ここも、そういう、料理にも気を配るスーパー銭湯として開店したのだと思います。生ビールは当然のこととしてあるのに、下戸の私ができればほしいと思う、食前に飲みたいコーヒーはないんですね。