山旅図鑑 no.195
磐梯山
2018.5.15-16

山旅図鑑目次


糸の会(no.1084)
2018.5.15-16
磐梯山
62パワー

1日目……五色沼散策
2日目……車道登り9P→登り28p→下り25p

*磐梯山は5回目になります。
*1回目は1999年6月9-10日、朝日カルチャーセンター千葉で実施しました。猪苗代駅から(民営国民宿舎)さぎの湯泊まり。登頂後、裏磐梯の川上温泉に下りました。きっかけは私が一度泊まりたかった中ノ湯。磐梯山噴火のとき上の湯と下の湯が山体崩壊に巻き込まれたのに中ノ湯だけがギリギリ助かったという奇跡の湯宿、その潔癖過ぎる清潔感をTV取材したことがあります。ぜひ1度泊まりたいと思っていたのですが、人数が多いということで断られてしまったのです。
*2回目は2004年5月22−23日。糸の会で計画しました。1日目は猪苗代湖周辺をサイクリングで腹ごなししたいと考えたのですが、なんと自転車に乗れない人がいて、自転車講習会になりました。元コックさんの「雑穀米の宿」というペンションに泊まって、裏磐梯の川上温泉に下りました。
*3回目は2006年6月24−25日、糸の会です。東京駅から無料送迎バスで往復できる裏磐梯猫魔ホテルを利用。2日目はタクシーで八方台登山口へ行き、廃業した中ノ湯前を通って登頂、猪苗代側に下り、帰路の送迎バスに猪苗代駅から乗車しました。
*4回目は2007年10月27−28日。糸の会の計画書に次のように書いています。
●磐梯山は猪苗代湖側から登るのがいい、という前提でいましたが、「秋の裏磐梯を見たい」というミーハー気分の話が出たので、そちらになびきました。
●ところが、裏磐梯は10月最後の週末(からたぶん11月初めの連休にかけて)が秋の観光シーズンらしいのです。高いホテルも安い宿も、大方満室状態になっています。
●それで意地になって探すことになり、(念のために申し添えておきますが、いったんは猪苗代側の宿もチェックしてみたのです)「料理自慢の民宿」を見つけました。
●電話をしてみると最初に「古い建物です」とのこと。「いいですよ」ということで1階が16畳、2階に6畳6室と4.5畳1室のあるこの宿に決めました。もちろんトイレは別。
*料理自慢の民宿とのことでしたが、釣宿は登山者にはちょっと合わないという印象でした。
*このときは川上登山口から登り、猪苗代側では標高約1,200mのスキー場最上部からロープウェイで下りました。
*そしてほぼ10年を経て、今回の磐梯山を計画したのです。

第1日(5月15日)
・1420-1650……五色沼湖沼群を散策
第2日(5月16日)
・0735……裏磐梯レイクリゾートを出発(標高約850m)
・0800-05……衣類調節休憩(標高約900m)
・0845-50……休憩(標高約1,050m)
・0925-30……休憩(標高約1,100m)
・0955-1005……休憩(標高約1,150m)
・1035-40……休憩(標高約1,350m)
・1055……頂上稜線に出る(標高約1,450m)
・1130-45……弘法清水小屋で休憩(標高約1,600m)
・1225-35……磐梯山山頂(標高1,819m)
・1335-40……休憩(標高約1,550m)
・1430-35……休憩(標高約1,250m)
・1510……猪苗代湖リゾートホテル(標高約750m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の2人です。

矢野 博子(15点)
伊藤 幸司(103点)



山旅図鑑 no.195
磐梯山
2018.5.15-16

磐梯山登山
【撮影】第1日=13時10分=矢野 博子
東京駅の八重洲口から磐梯山のホテルまで直通シャトルバス。バスの乗客の多くは 登山とは関係なさそうな高齢者だった。登山は多くの場合は 乗り換え 乗り換えして 登山口に辿り着くのに 今回は バス一本。
その行きのバスの中からの一枚。初めて登る磐梯山、きれいな形しているが ヤケに高い。あそこまで!? と一瞬不安がよぎった。

磐梯山登山
【撮影】第1日=13時18分=伊藤 幸司
ホテルの無料送迎バスがいよいよ猪苗代地域に。なんだか新鮮な気持ちで磐梯山を見ていました。
実は10年ほど前、裏磐梯猫魔ホテルに泊まって、無料送迎バスで磐梯山登山をしたことがあります。そのときは帰路のバスが猪苗代駅にも寄ったので、それに乗るべく、ホテルからタクシーで八方台登山口へ、08時30分から登り始め、13時に翁島登山口、入浴と食事をして15時に帰路の無料バスに乗ったのです。
今回は裏磐梯レイクリゾート。建物は同じで東京駅近くからの往復無料送迎つきも同じ。でも帰路がホテル発しかないのでキャンセルしてフルコースの磐梯山登山としたのです。

磐梯山登山
【撮影】第1日=14時00分=伊藤 幸司
ホテルの第一印象は若いスタッフが次から次にニコニコと寄ってくること。じつは電話予約のときに部屋割りと料金設定でお粗末な間違いが先方にありました。あとは当日にということで、その問題は完全に解決されていました。
そういう、若いスタッフのちょっと元気過ぎるサービスも、ここではかなり好感の持てる状態になっているようです。美ヶ原高原荘という山小屋から長野県有数の観光ホテルとなった王ケ頭ホテルでも、全国からやってくるような若いスタッフの明るく無邪気とも言える率直さに新鮮な感じをいだいたことがあります。吹雪の日、宿泊客の緊急退避となった雪上車でもその印象を強くしました。
……というような、失敗を恐れないサービス精神がおばさんたち(おばあさんたち?)を惹きつけています。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第1日=14時20分=矢野 博子
宿泊した裏磐梯レイクリゾートホテル。澄んだ青空の下 一日目は 五色沼ウオーキングに出かけた。
ホテルはバブル時代の産物のようだが 食事といい 従業員の対応といい 好感が持てた。その上 価格は リーズナブル。翌日登った磐梯山の山頂付近からもこの建物は認識できた位だから かなり大きい事になる。このイスに座って 好きな人とお茶でもしたら 至福の時が流れそう。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第1日=14時23分=伊藤 幸司
ホテルの庭から磐梯山がちらりと見えます。明日はこの場所をスタート地点としてあの頂上に立つのです。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時25分=矢野 博子
五色沼の最初に現れた沼。静かな時が流れる。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時27分=矢野 博子
先ほどの沼とは 微妙に色合いが違う。新緑の中の 先を急がないそぞろ歩き 贅沢な時間だ。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時28分=矢野 博子
湖畔を ピンク色のつつじが 色を添えていた。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時31分=伊藤 幸司
初日の「腹ごなし」は裏磐梯を代表する五色沼湖沼群。ホテルを出たところの柳沼から始まる自然探勝路をたどりました。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時33分=伊藤 幸司
ゴトウヅルかイワガラミだと思うのですが花が咲いていないのでわかりません。そのどちらでもないかもわかりません。
ゴトウヅルは別名ツルアジサイ、ツルデマリで、装飾花(花弁状萼片)は4枚ですが、イワガラミだとそれが1枚。ツル状に木に登っていくアジサイという感じなのですが、花がついていないと葉っぱでの区別は至難です。
ところが「青柳庵日記」の「ツルアジサイとイワガラミ」だと簡単?
【葉をよく観察すると簡単に見分けられるのです。ツルアジサイの鋸歯はノコギリのような細かいギザギザであるのに対し、イワガラミの方は、大きくカーブした丸みを帯びた鋸歯を持っています。】
残念ながらこの写真、オリジナルデータで拡大してみてもわかりません。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時37分=矢野 博子
五色沼は 大分前に訪れたことあるが その時と今回では 随分印象が違う。
受け止めるこちらの年齢のせいなのか沼の変化なのか分からないが 旅は二度目が面白いと言われるが 二度目に訪れると前回とは印象がまるで違うのは良くある話かもしれない。

磐梯山登山、、五色沼、エンレイソウ
【撮影】第1日=14時37分=伊藤 幸司
足元にエンレイソウがありました。3枚の大きな葉が茎のテッペンに輪生し、その中央に花が1個。色は緑か濃紫色。それは花弁ではなくてがく片が3枚。中心に六角形を基本にした突起があって、それが子房、その先端に小さな雌しべ。周囲に6本の雄しべという構造。
この写真ではよくわかりませんが「松江の花図鑑」にはたくさんのクローズアップ写真があります。

磐梯山登山、五色沼、カルガモ
【撮影】第1日=14時39分=矢野 博子
沼は 酸性が強く 魚などは住めないと書いてあったが このカモは 何が餌なのだろう。悠々と水面を滑って独り占めしていた。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時39分=伊藤 幸司
青沼です。ここで初めて五色沼という感じがしました。
裏磐梯観光協会の「五色沼湖沼群」には次のように書かれています。
【2016年にミシュラン・グリーンガイド1つ星に認定。
正確には「五色沼湖沼群」と言い、毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼などの数多くの湖沼の総称。
沼によって、エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー、エメラルドブルー、パステルブルーと色が違う不思議な場所で「神秘の湖沼」と言われる。特に青沼は自然が作り出したものとは思えない綺麗な色。
5つの沼というわけではなく、様々な色彩を見られることから「五色沼」という名前がつきました。色が異なる要因は、天候や季節、見る角度、水中に含まれる火山性物質などによると言われています。】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時40分=伊藤 幸司
青沼の青は、おおよそこんな感じのようだけれど、グーグルの画像検索欄にはものすごい色の写真も出ていて、驚きます。ともかく観光協会の正式文書で「特に青沼は自然が作り出したものとは思えない綺麗な色」というのですから、日がさしたりしたら、また変わったりするのでしょうね。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時41分=矢野 博子
沼に生えてるコケが微妙に湖面の色に変化を与えていて きれいだった。

磐梯山登山、五色沼、カルガモ
【撮影】第1日=14時41分=伊藤 幸司
これはカルガモのようですね。
「Pet Pedia」の「カルガモの特徴や生態について。ペットとして飼うことはできる?」はじつにこまかく書かれていますので興味のある方はどうぞ。
じつはウィキペディアの「カルガモ」に興味深い内容がありました。
【日本では1984年以降、数年間に渡って東京都千代田区大手町にある三井物産ビルのプラザ池から皇居和田倉堀へ引っ越す本種の親子をメディアが取り上げ、ブームとなったことがある。2013年現在[10][11]においても、同社では同池に営巣する本種を観察し、それを記録するためのカルガモレディなる女性を雇用している[12]。また、一列に並んで歩く親子の様子から、複数の車両が同様に走行することやそれを悪用した反則行為を「カルガモ走行」(カルガモそうこう)と称するようになった[13]。
日本のカルガモはアヒルとの種間雑種が存在しているとされる[注 1]。アヒルの原種はマガモであり、3代も野生で放置されると飛翔するほどになるが、日本のカルガモもアヒルと交雑することで、元々は狩猟の対象であり、ヒトを恐れていたはずのカルガモも前述のようなヒトを恐れない行動をとるようになっていったと考えられ、都市部のカルガモの多くがアヒルとの雑種であり、遺伝子汚染が進行している。照明の多い都市部では夜間に飛翔する個体もある。
外形に関する遺伝形質はカルガモの方が強いため、見た目はカルガモでも性格はアヒルに近いものが現れたと分析される[14]。】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時45分=矢野 博子
五色沼の前で 今回の参加者6人。私のカメラを使ってコーチに初めて撮って頂いた一枚。明日の本番に向けて リラックスしている皆さん。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時45分=伊藤 幸司
次はるり沼。その入り口に藻の茂った流出口がありました。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時46分=伊藤 幸司
るり沼から磐梯山が見えました。双児峰に見える右側が磐梯山(1,819m)、左側が櫛ヶ峰(1,636m)。高さを数字で知る前と後では見た目の高さが違って見えます。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時47分=伊藤 幸司
何がるり沼だか、わかりませんでした。
福島大学の共生システム理工学研究科のサイトに「五色沼湖沼群案内」がありました。その「るり沼・青沼・弁天沼グループ(銅沼系)」にはこう書かれていました。
【るり沼の水は銅沼から裏磐梯スキー場を通って流れてきますが,その過程で金属イオンを減らし,酸性度は100分の1位にも低下します。この変化は,るり沼から青沼,弁天沼へと水が流れるのにしたがって徐々に進行します。それでも酸性度が強く,多量のカルシウムと硫酸イオンが含まれるためプランクトンが少なく,湖面が青い湖沼です。どの湖沼も岸からヨシ群落やヤナギ群落が沼の中央部に向かって生育域を広げていて,湖沼の陸化が進む過程を間近に観察することができます。火山性酸性湖沼で間近に湖底の植物群落の発達が観察できる湖沼はとても珍しく,学術的にも貴重です。】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時48分=伊藤 幸司
福島大学の共生システム理工学研究科のサイトの「るり沼」の解説です。
【pHは酸性で4〜5 五色沼湖沼群の中では一番上流にあたります。蘚マットの発達が著しく,陸化遷移によるヨシの繁茂が顕著であると考えられます。水生植物はヨシ,ガマが生育しています。環境省レッドリストにおいて準絶滅危惧種に指定されているイヌタヌキモが生育しています。大きいもので直径10m,高さ5m程の半球状に発達した見事な蘚マットは非常に珍しく貴重で,展望場所からも間近に観察できます。】
「蘚マット」の蘚は蘚苔類の蘚で、私たちが登山道でよく見るスギゴケやミズゴケも蘚類に入るそうです。すでに引用している福島大学の解説冒頭「五色沼湖沼群についてご紹介します」というところで次のように解説されています。
【これらの沼の多くは,磐梯山の火口付近にある銅沼に端を発する地下水を水源として一つに連なっており,吾妻山からの水で潤う桧原湖の水や磐梯山の深層地下水などが混入している湖沼もあり,沼ごとに微妙に異なる多様な水質となっています。そのため,さまざまな水生植物や底生動物を観察することができ,他の地域ではあまりみられない特殊で貴重な水生生物も生育しています。特に,るり沼や青沼の湖底に発達する半球状のウカミカマゴケ・マットは国の天然記念物「阿寒湖のマリモ」にも匹敵する貴重な蘚マットです。】
私にはどこにそのウカミカマゴケ・マットの気配があるのかわかりませんでしたが。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時51分=伊藤 幸司
るり沼の展望台への入口のところに元気な蘚苔類の姿がありありました。

磐梯山登山、五色沼、カンアオイ
【撮影】第1日=14時53分=伊藤 幸司
自然探勝路に戻って歩きだすと、カンアオイがありました。誰だったか、よく見つけましたよね。
「Coffee Winds 店主のブログ」がカンアオイについて触れているという検索結果が出ました。
その中の写真がたぶん同じもののように見えました。そこに【はじめて見ました「ウスバサイシン」のようです。「カンアオイ」に似ていますね。】とありました。
さて、ウスバサイシンとカンアオイの関係がわからないので調べ直してみると、ものすごくできの良い解説がありました。「細辛とカンアオイの変わり者たち」で素晴らしい葉のコレクション写真も並んでいました。
……で私が知りたかったのは導入分でした。
【カンアオイは個性満点の植物なので、一度のめりこむと抜け出せなくなってしまう魅力があります。
しかし個性がありすぎて初対面では地味・不気味と感じてしまうことが多く、とっつきにくい植物でもあります。
そんなハードルを乗り越えて、カンアオイの魅力を知り、この世界に足を一歩踏み入れたときに戸惑うことがあります。
それは「カンアオイ」、「サイシン」、「細辛」の違いです。すべては同じカンアオイの仲間なのですが、さて何が違うのでしょうか?】
いろいろ説明されているのですが、そのわかりにくさをわかりやすく説明しているのは、たとえば次のような部分。
【カンアオイの仲間の和名には名前の後ろに○○カンアオイ、○○アオイ、○○サイシンの3つのうちいずれかがついています。この名前の違いによって何か特徴が変わるのか?という疑問が当然出てきますよね。
そこで名前をリストアップし比較してみたところ、ウスバサイシン(Asiasarum)節だけはすべて「○○サイシン」と名前がついているようですが、フタバアオイ(Asarum)節は「○○アオイ」と「○○サイシン」の両方が用いられていますし、カンアオイ(Heterotropa)節にいたっては「○○カンアオイ」が多いものの、「○○アオイ」も多く、「○○サイシン」も用いられています。
落葉性のものには「○○カンアオイ」という名前がついていないので、「○○カンアオイ」という名前は常緑性のものだけに使用されているようです(カンアオイの名の由来も冬でも枯れない葵の意味)。
ただしその逆は通用しないようで、「○○アオイ」と「○○サイシン」という名前は落葉種だけでなく常緑種にも用いられています。
しかし、他の点ではいろいろ見比べてみても名前によって明確な違いを見ることができません。どうやら特徴によって区別されているわけではなく理由もわかりません。
カンアオイの仲間であるなら、○○アオイ、○○サイシンのどちらををつけてもよく、常緑種であるなら○○カンアオイとつけてもいいのかもしれませんね。】
……だから面白い、という解説が続きます。関心のある方は直接お読みください。……で、私の写真のものが何かは、まだ不明です。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=14時57分=矢野 博子
沼を巡って行くと 微妙に色が異なり 面白かった。そして どれも 静かだった。

磐梯山登山、五色沼、オオタチツボスミレ
【撮影】第1日=14時57分=伊藤 幸司
これはまずタチツボスミレだと思うのですが、ただひとつ不安があります。
ウィキペディアではこう説明しています。
【タチツボスミレ V. grypoceras A. Gray
茎は地中で短いが、成長すると茎は地表に伸びて立ち上がる。葉は始めは根出するが、茎が伸びると葉もそこにつくようになり、丸っこいハート形。花は薄紫。】
そうです花の色がこんなに濃いのです。
そこで「タチツボスミレ基本6種」を見てみました。
【タチツボスミレの仲間は,地域によって成育している種もちがうが,ここでとりあげたのは,もっとも基本的な種で,比較的分布がひろく,個体数も多いもの。】
のわかりやすい比較画面です。
そこでこれがオオタチツボスミレだとわかりました。タチツボスミレが【花は淡紫色で距は紫色を帯びる。】に対してオオタチツボスミレは【タチツボスミレに比べると,やや赤みが強い色。絞りの模様がはっきりしていることが多い。距が白色なのも特徴のひとつ。】
距が白いというのが決定的な違いかと思います。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時00分=伊藤 幸司
次は弁天沼でした。このあたりまで来ると、私も含めてみなさん、ちょっと不満の声が聞こえ始めました。「以前はもっと五色沼っていう感じだったのに」と。
「五色沼の色と謎」というのがありました。
【五色沼の色はそれぞれの沼に特徴がありますので、そこで述べますが、沼によって水の成分と沈殿物に差があるために独特の色を見せます。大事なのは太陽光です。この当たり方によってさまざまに色の変化をみることになります。裏磐梯の湖沼は冬にほとんど凍結しますが、五色沼だけは毘沙門沼の一部と弁天沼、弥六沼から柳沼の水系を除いて凍結しません。それが沼の色とおおいに関係があるのです。】
弁天沼について、まずはちょっと残念な情報。
【弁天沼は毘沙門沼の次に大きな沼です。この沼はその大きさのために風が当たりやすく、鏡になることは少ないのでこの沼の中まで見るのはなかなか難しいですが、一度でも見るとこの沼の魅力のとりこになります。しかし次に来たときには裏切るのもこの沼でしょう。】
そして次の残念な情報。
【この沼のアイドルとなっていた小さな1本の柳は誰もが撮影対象にしたくなる木でしたが2004年に枯れてしまい、今ではその面影も感じられない枯れ木になっています。この木の南の入り江には葦がありますが、ここには珪酸アルミニウムの沈殿が見られます。そのため春には日が当たって美しいエメラルド色になります。これに気がついたのは2003年になってからですが、これからも注目すべき場所でしたが、倒木が景観を変えてしまいました。】
そして決定的に残念な情報。
【弁天沼は鏡になれば沼の中を時折見ることができます。しかしこの沼も見下ろせる場所がほとんどなくて、水平方向にしか見えませんので縞模様の片鱗しか見えませんが、青沼から弁天沼へ歩くときに林越しに見る青い色は高い位置から見えるのでとてもきれいです。なお、展望台から見える山は手前が簗部山で奥に見えるのが西吾妻山です。】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時00分=伊藤 幸司
弁天沼の湖面になんとなく色の変化がありました。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時01分=伊藤 幸司
弁天沼のこれが【珪酸アルミニウムの沈殿】でしょうか。そうだとすれば【春には日が当たって美しいエメラルド色になります】とのこと。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時02分=伊藤 幸司
弁天沼とのお別れという感じで、振り返りながら撮っています。吾妻山方面が見えていたら、印象はガラリと変わっていたのでしょうが。

磐梯山登山、五色沼、ヤグルマソウ
【撮影】第1日=15時05分=伊藤 幸司
皆さんご存知のように、これが私が一番好きな花? 葉っぱです。
ヤグルマソウは幼少期はヘナヘナとしていい子なのですが、この年頃になるとみんなで手をつないで自分たちの領土を広げようという態勢を見せ始めます。そして最後、老いさらばえた最後の姿を惜しげもなくさらすまで、人生のすべての姿をしつこく見せてくれるのです。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時06分=伊藤 幸司
弁天沼を過ぎると竜沼、みどろ沼、赤沼と小さな沼が散在するのですが、そこをつなぐ自然探勝路がまた新緑の風を吹かしてくれます。

磐梯山登山、五色沼、オシダ
【撮影】第1日=15時06分=伊藤 幸司
これはヤマドリゼンマイか何かかな、と思ったら、「裏磐梯ビジターセンター」にありました。
【こちらは、よくゼンマイと間違えられるオシダの群落。すくすく伸びてまるで恐竜の時代の森の景色のようです。】

磐梯山登山、五色沼、ムラサキヤシオ
【撮影】第1日=15時08分=伊藤 幸司
弁天沼から竜沼に行く途中にツツジの花がありました。さて、なんだろう?

磐梯山登山、五色沼、ムラサキヤシオ
【撮影】第1日=15時08分=伊藤 幸司
花と葉っぱが同時に出ていて、雄しべがなんだかたくさんあります。裏磐梯特有のツツジかなと思って調べてみました。
ナチュラリスト 横田清美さんの「裏磐梯五色沼の自然資料」に「五色沼自然探勝路の開花期間」というのがありました。
【歩道の両側3mの範囲に開花する植物(主なものだけ)を記録した】とのこと。
ツツジ科で探すとムラサキヤシオとホツツジだけがありました。……ということはムラサキヤシオしかない? ということ。ムラサキヤシオの項目には出現頻度=希、開花期間=5月中旬〜下旬、備考=赤沼近辺に多い、とありました。
念のためウィキペディアで「ムラサキヤシオ」を見てみると
【花期は4-6月。葉の展開と同時か先に開花し、枝先の1個の花芽に1-4個の花をつける。】
【花冠は鮮紅紫色で、径4cmの広漏斗形で5深裂し、花冠の上側内面に濃色の斑点がある。雄蘂は10本で、うち上部の5本は短く、花糸に白色の短毛が生え、下部の5本は長く花冠の外側に伸び、無毛。】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時12分=伊藤 幸司
ここは竜沼。色が自慢の小さな沼に囲まれて散歩している……というだけでもたっぷり楽しめるのです。しかも私たちは夕食の準備運動として「腹ごなし」に出ているのですから、贅沢な時間です。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時14分=矢野 博子
水面に映る木々に吸い込まれそうになる。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時14分=伊藤 幸司
これは竜沼のすぐ次に現れたみどろ沼。色合いがすこし違って見えてきます。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時18分=伊藤 幸司
この色で赤沼とはこれいかに、という気分ですが、あまり個別の色にこだわらないほうがいいのかもしれません。
ナチュラリスト 横田清美さんの「裏磐梯五色沼の自然資料」に「五色沼の色」というのがありました。
1994〜5年に【五色沼のうち観察しやすい五つの沼(毘沙門沼・赤沼・深泥沼・弁天沼・青沼)について調べた。*写真撮影(定点撮影)による色の分析および目視によって色を調べた。*色の名前および色の識別にあたっては、末永蒼生著「事典色彩自由自在」晶文社出版を参考にした。】とのことです。
こまかな一覧表がありますが、その結論。
【①五色沼の各沼の色は、年間にニ〜五色の範囲で変化していることが分かった。変化のしかたにはある程度規則性があり、たとえば毘沙門沼・弁天沼・青沼では、四月〜六月により青くなり、秋や冬には緑色が強まる傾向がある。原因としては、春先は雪解け水の影響で地下水が豊富になり、ケイ酸化合物を含んだ湧水が沼に多量に入ってくるので青く見え、秋や冬は湧水量が減るため青色が後退して緑色に見えるのではないかと思われる。色が変化する時期や色の濃さ等が毎年若干違うのは、年によって降水量や湧水量が異なるためとも考えられるが、それでも説明が付かない沼もある(深泥沼と赤沼は冬から春にかけて沼の色が萌黄やスペアミントに変化するが、これについては原因が分からない)。
②日中であれば天気にあまり関係なく五色沼特有の色は生じる。ただし、天気が良いほど彩度(色の鮮やかさの度合い)は高くなる。早朝と夕方は太陽光が弱いため彩度が低い。
③風や雨によって波や雨しぶきが生じると一時的だが沼の色は消えてしまう。
④地上から調査する限りにおいては、観光PRでうたわれているコバルトブルーの沼は存在しない。】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時25分=矢野 博子
一年どの季節も夫々個性があって好きだが 一つ挙げよ と言われれば 私の答えは やはり ”新緑の初夏”となりそう。何と表現すれば この時の雰囲気が伝わるのだろうか 緑のシャワー。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時26分=矢野 博子
沼の周りは 立派な赤松が生えていて 日本庭園のようだった。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時27分=伊藤 幸司
フキだと思いますが、この状態、正直確信が持てません。グーグルの画像検索で「フキ」を見ると、花がちょうどこのような状態で綿毛になっている写真がありました。
「フキ」でいいとしても、自然探求路の植物リストにまだ見つからないので、「裏磐梯・フキ」と検索してみると、なんとホテル予約サイト。じゃらんの「裏磐梯グランデコ東急ホテル」の、なんと2011年5月11日のブログが出てきました。
【こんにちは!
今日は午後から雨がしとしと・・・
お日様が出ていないため、ホテル前のスイセンも今日は下を向いていました。
ふと、ロータリーの横を見てみると、「おばけふき」を発見!!(・д・)!!
今年もにょきっと顔を出しました♪
今はまだ手のひらサイズですが、成長すると人の肩くらいの大きさまでになるんですよ♪
去年の写真をみたところ、フロントスタッフの肩まで伸びていました!!
今年はどのくらい成長するかな??
これからもおばけふきの成長をブログでお伝えしていきます♪
フロント わたなべ】
これは自然探勝路まで脱走してきたキク科フキ属フキでしょうか。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時28分=伊藤 幸司
タンポポの花がありました。がく片が反り返っているのでセイヨウタンポポとしておけばいいのでしょうが、いい機会なので念のためそれだけで確定していいのかどうか確かめておこうと思いました。
学研教育情報資料センターの「なぜなに学習相談」というのに「セイヨウタンポポとカントウタンポポはどうちがうの」というページがありました。
【「外総包の反り返りで見分ける」
セイヨウタンポポは、花のもとを包んでいる外総包が反り返る性質があります。カントウタンポポは、反り返りません。
「セイヨウタンポポは、北アメリカから北海道にやってきた」
セイヨウタンポポのふるさとは、北アメリカです。北海道の札幌農学校で、食用にさいばいしたのがはじまりといわれています。今では、日本全国にひろ広まって、在来種であるカントウタンポポをお押しのけて、はびこるようになっています。
「在来のタンポポ」
タンポポは、東北地方の南から、九州にまで生えています。生えている地域によって、花の形にちがいがあります。それぞれ、カンサイタンポポ、カントウタンポポ、シナノタンポポなどとよばれています。
このほかに、エゾタンポポ、ミヤマタンポポ、シロバナタンポポなどがあります。(監修・中山 周平)】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時29分=伊藤 幸司
五色沼中最大の毘沙門沼の外れにさしかかりました。展望台になっていて道標もありました。

磐梯山登山、五色沼、ツボスミレ
【撮影】第1日=15時31分=伊藤 幸司
ツボスミレ(ニョイスミレ)だと思います。
ウィキペディアで確認してみました。
【葉は丸っこく、基部は深く心形になるので、全体としてはきれいなハート形の葉である。】
【葉は柔らかく、緑色でつやがなく、無毛。葉の縁には粗くて背の低い鋸歯がある。】
【花柄は立ち上がり、葉より少し上に出て花をつける。花色は白で、上弁は反り返る。花弁には基部に向けて紫の筋が入る。紫の筋の濃さには差があり、場合によっては花全体が紫を帯びる。花弁はやや細め。距は丸くて短い。】

磐梯山登山、五色沼、オオタチツボスミレ
【撮影】第1日=15時31分=伊藤 幸司
14時57分に見たスミレと同じではないでしょうか。タチツボスミレかもしれませんが、距が白いのでこれもオオタチツボスミレと考えました。

磐梯山登山、五色沼、ベニバナイチヤクソウ
【撮影】第1日=15時35分=伊藤 幸司
ベニバナイチヤクソウがありました。
「裏磐梯・ベニバナイチヤクソウ」で検索してみると裏磐梯観光協会のサイトに「桧原湖探勝路」があってその代表選手になっていました。
【裏磐梯最大の湖「桧原湖」の東岸に沿って歩くコースです。季節ごとの変化を楽しめるコースです。複雑に入り組んだ湖岸線には多くの小島が点在し、一番深く入り組んだ「いかり潟」には、裏磐梯唯一の吊橋がかかります。
春にはベニバナイチヤクソウやキクザキイチゲが咲き、夏には湖を渡る風が涼やかに吹き、オオウバユリやヤマユリが彩ります。秋にはヒトツバカエデやハウチワカエデなどの葉が赤や黄色に色づき、鮮やかな紅葉を楽しむことができます。】
ちょっと穏当を欠く観光案内のようにも思えますが、ベニバナイチヤクソウが裏磐梯の主要な花だとされていました、ここでは。

磐梯山登山、五色沼、マイヅルソウ
【撮影】第1日=15時35分=伊藤 幸司
関東から北に向かうと立派なマイヅルソウと出会うのが楽しみです。大きくなるだけでなく主役を張ろうとして精一杯伸び上がってきます。こんな表情のマイヅルソウが一面に広がると壮観です。首都圏ではむしろ驚くほどミニサイズのマイズルソウが生きやすいと感じることが多いように思います。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時37分=伊藤 幸司
野草の道という印象の一郭を越えて、湖岸に下ります。毘沙門沼は沼という印象より湖という印象になってきました。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時38分=伊藤 幸司
水面の向こうに磐梯山が見えるので展望台になっていました。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時41分=伊藤 幸司
静かな湖畔というイメージがあって、なんでもない風景がここでは好ましく思えました。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時42分=矢野 博子
最後に廻った沼には 大きな鯉が 悠々と泳いでいた。動物好きのKさん、手のひらを池に入れてパシャパシャすると鯉が寄ってきた。幸運を呼ぶという 大きなハートマークの付いた鯉もこの中にいるらしい。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時42分=伊藤 幸司
湖岸に際立って高い木がありました。でも考えてみれば噴火から100年、植林された木のはずです。

磐梯山登山
【撮影】第1日=15時45分=矢野 博子
五色沼の向こうに磐梯山。あんな所まで本当に行けるのかとその高さに目がくらんだ。私は一日目の五色沼ウオーキングの新緑で十分満足していた。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時45分=伊藤 幸司
再び水面に近づくと、いかにもという岩場があって、そこに誰かが来ると錦鯉が寄ってくるという観光ポイントになっていました。あとで知ったのですが、脇腹に赤いハートマークをつけた錦鯉がいるそうで「毘沙門沼伝説・幸せを招く鯉──五色沼ハート鯉」という写真付き立て看板がありました。「五色沼湖沼群で最も大きい、この毘沙門沼を回遊している伝説の鯉にめぐり合うと幸せになれる、そして若い二人は結ばれると言われています」とのことでした。そのハート鯉は純白のからだに赤いハートマークという、見たら感動もののようです。こんなのとは違って。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時48分=伊藤 幸司
毘沙門沼の決定的観光ポイント。

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=15時48分=伊藤 幸司
毘沙門沼から見る磐梯山は奥に山頂(大磐梯山)、左に櫛ヶ峰、右に丸山となっています。明治21年(1888)に大磐梯山の手前にあった小磐梯山の山体が突如崩壊し、ウィキペディアによると【発生した爆風と岩屑なだれにより北麓の集落(5村11集落)が埋没するなどの被害を及ぼし477人の死者を出した[8]。なお、マグマ由来物質は検出されていないためマグマ水蒸気噴火ではない[9]。この噴火は明治になってからの近代日本初の大災害であり、政府が国を挙げて調査、救済、復旧を実施した。調査は関谷清景や菊池安らにより行われた[10][注釈 1]。学術的調査としては、当時としては珍しいアンケートの手法が採られており、かなり詳細な噴火の経過や被害状況、写真が収集され、論文としてまとめられている[12]。のちに磐梯型との噴火形式名称が残るほど世界的に有名な噴火となった。】
ということですが、その火山噴火は日本の火山学の黎明期に「磐梯山のジレンマ」という問題を現在にまで残しているという論文がありました。
2014年の「火山」第59巻・第4号に掲載された「1888 年磐梯山水蒸気爆発に関するノート──(3)1888 年の水蒸気爆発論考に潜むジレンマ」(浜口博之・植木貞人・中道治久)という難しい論文です。
難しいので都合よくサワリだけを引用させてもらいますので、関心のある方には全文をお読みいただきたいとお願いします。
【1.は じ め に
磐梯山水蒸気爆発の噴火位置,規模やメカニズムなどについては様々な解釈があり,いまだに混迷した状態が続いている.例えば,最初の噴火位置の同定についての解釈については関谷・菊池 (1888) の両氏の推論に不一
致が散見された.また,規模に関しても,歴史上最大の水蒸気爆発との判定 (Barberi et al., 1992) がある一方で,小規模な爆発との見方(守屋,1980)もあり,その解釈には大きな隔たりがある.1888 年磐梯山噴火についてはこのように相反する見解や解釈が残り,1 世紀以上経た現在でも磐梯山噴火に随伴した未解明の問題がある.後世の研究者は相反する見解等の中からいずれかを選択しなければならないというジレンマに直面していることを浜口 (2010) は報告した.未解明のことがらの真相を明らかにし,ジレンマの根底に存在する仮説や偏見などを再吟味することは,わが国の火山学に課せられたな積年の課題の一つであると云っても過言ではない.】
なんだか「関谷・菊池 (1888) の両氏の推論に不一致が散見された」というだけの問題かというとそうではなく【当時,関谷は地震学講座の教授,菊池は鉱物学講座の助教授であり,連名の報告書の内容を部分的にとはいえ改変し,単名のものとして刊行する所作は身分の厳しい明治時代にはありえないであろう.】
素人目には「マグマ水蒸気爆発説」か「水蒸気爆発説」かというような問題らしいのですが、その背景に東京帝国大学における西欧の地質学論争の「余韻」が影響していたというのです。
【19 世紀中期の西欧における地質学論争 (Geological controversy) の中で,火山に関してもその起源や噴火メカニズムに関して 2 つの学説(Humboldt 説と Scrope 説)が対立したが,その論争は 1850 年代におよその決着を見た (Zittel, 1901).磐梯山噴火はこの論争の余韻の冷めやらぬ時期(1888 年)に起きた.論争の対象となった2 つの学説は著書・論文やお雇い外国人教師による教育の過程を通じて,学問の黎明期にあったわが国に輸入された.磐梯山の調査に従事した研究者は西欧の 2 つの学説の是非を自らの知識で咀嚼するか,あるいは若いお雇い外国人教師の教えに従って,もっともらしいと思う学説を「選択」したと考えられる.】

磐梯山登山、五色沼
【撮影】第1日=16時30分=伊藤 幸司
バス停に向かう途中で、今回、初めて雪を見ました。おそらく除雪した雪の捨場だったところだろうと想像したのですが。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第1日=17時25分=伊藤 幸司
ホテルの大浴場はゆったりとして、窓の向こうには開放感抜群の露天風呂がありました。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第1日=17時33分=伊藤 幸司
これは元は会議用個室だったのだろうと思われますが、図書ルームとして開放されていました。だれも来ない雰囲気だったので夜にミーティングを行いました。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第1日=17時36分=伊藤 幸司
泊まった部屋の前の廊下。遠い突き当りまで行くと、そこから斜めに、廊下はさらに延びていました。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第1日=18時13分=伊藤 幸司
往路の送迎バスは私たちを含めたシニア層でけっこう埋まっていましたが、お客はそれ以上いるらしく、バイキングの夕食は賑やかでした。
高価な食材はほとんどありませんでしたが、たとえば人気だったのはアスパラガス……とか煮物、漬物のように、努力して集めた食材を一生懸命料理してくれているという心地よい食事ができました。デザート系のフルーツや甘味も小ぶりにしてあっていろいろなものを多種類食べられるというあたり、好評だったと思います。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第2日=06時40分=伊藤 幸司
朝食が6時半からというのも私たちにはうれしいことでした。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第2日=07時32分=伊藤 幸司
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ホテルから直接、あの山に向かってスタートです。

磐梯山登山、裏磐梯レイクリゾート
【撮影】第2日=07時35分=伊藤 幸司
バブリーというのでしょうか、振り返るといかにもバブル期の匂いを振り撒いているホテルでした。

磐梯山登山
【撮影】第2日=07時43分=伊藤 幸司
まずは裏磐梯スキー場への道をたどります。昨日とはまた少し違って、水の流れがあると緑が身近な雰囲気になります。この水が「るり沼・青沼・弁天沼グループ(銅沼系)」へと流れ下っているのだろうと思われます。

磐梯山登山
【撮影】第2日=08時02分=伊藤 幸司
流れる水が時々淀むと、そこに新しい世界が作られると感じます。

磐梯山登山、裏磐梯スキー場
【撮影】第2日=08時35分=伊藤 幸司
裏磐梯スキー場のゲレンデをまっすぐ登っていきます。

磐梯山登山、裏磐梯スキー場
【撮影】第2日=08時38分=伊藤 幸司
振り返ると桧原湖。泊まったホテルも見えています。

磐梯山登山、裏磐梯スキー場
【撮影】第2日=08時50分=伊藤 幸司
スキー場の最上部まで登ると、足元にフキノトウがいっぱいありました。

磐梯山登山、裏磐梯スキー場
【撮影】第2日=08時54分=伊藤 幸司
リフトで上がったスキーヤーが(たぶん)必ず目にする風景です。

磐梯山登山、オオタチツボスミレ
【撮影】第2日=09時14分=伊藤 幸司
タチツボスミレだと思うのですが、昨日五色沼ではオオタチツボスミレだったので距を見ると白いかどうかわかりません。念のため磐梯山+タチツボスミレで検索してみると、「磐梯山ばんだいさん ─ 福島の山々」のタイトルまわりに「オオタチツボスミレ」がありました。それがサイトのどこにあるのか探していくと表登山道(猪苗代登山口)を登った沼ノ平の欄に写真がありました。つまり私たちがこの裏磐梯登山口(櫛ヶ峰西肩経由)から登ると沼ノ平の上端を経由します。ここから標高400mほど登ったところですから「磐梯山ではオオタチツボスミレ」と決め込んでもいいのじゃないかと思います。

磐梯山登山、エンレイソウ
【撮影】第2日=09時14分=伊藤 幸司
エンレイソウがありました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時15分=伊藤 幸司
標高1,100mを越えると風景は一変します。足元に火山丸出しという感じです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時18分=伊藤 幸司
近くに銅沼(あかぬま)あるので、道際の小さな池にもその影響が出ているのだろうと思います。銅沼の水は五色沼にも影響を与えているということです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時21分=伊藤 幸司
名前は知りません。突如、昨日の五色沼が出現したように感じました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時32分=伊藤 幸司
正面にそびえてきたのは櫛ヶ峰。こちら側の斜面は崩落し続けているようです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時32分=伊藤 幸司
麓から続く森林が上へ上へと広がって、その先端部分を歩いているという感じです。正面に磐梯山の山頂が見えています。

磐梯山登山、トウゴクミツバツツジ
【撮影】第2日=09時36分=伊藤 幸司
トウゴクミツバツツジが咲いていました。登りで道端に見たのはこのあたりで2株、3株といった感じです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時37分=伊藤 幸司
櫛ヶ峰の内側斜面はいまも崩落を続けているようです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時39分=伊藤 幸司
殺伐とした風景になってきました。このあたりは恐らくかつては山の中、山の中といっても小磐梯山の内側だったところだと思います。いったいどれほどの土石が流れ下っていったのか?
「地学雑誌」の「97-4(1998)」に「磐梯山の概要」(下鶴大輔)という論文がありました。
【1888年7月15日の大水蒸気爆発によって, 小磐梯山の山頂部が失われ北に開いた馬蹄形の爆裂火口(カルデラ)が形成された。爆発直後の測量によれば, 馬蹄の口で東西二十二町三十五間(2, 466m), 南北の奥行きは二十町程(約2, 200m)であり(現在は東西約1.5km, 南北約2.5km), 小磐梯山の元の山体を円錐形で近似すると, 爆発によって失われた体積は九百三十五立方町(1.213km3)と見積もられた(関谷・菊地1888)。その後, 小磐梯の爆裂火口は, 崩壊を繰り返し, 特に, 1954年の春には雪どけ水によってかなり崩壊し, 火口底はその堆積物によって覆われている(大矢・羽田1955)。この爆発による山体崩壊によって岩屑流(debrisavalanche)が高速で北山麓を流下し, 山頂から5-8kmにわたって多数の流れ山が形成された。Debrisの分布面積は3.5km2, 総体積は1.5km3と見積もられている。この堆積物により, 長瀬川の上流河川のうち, 桧原川, 小野川, 大倉川, 中津川などは流路を断たれ, 次第に水が溜まって, 噴火直後には桧原湖, 雄子沢湖, 小野川湖, 秋元湖などができた。雄子沢湖は後に桧原湖と合体した。】

磐梯山登山
【撮影】第2日=09時40分=伊藤 幸司
この先、若い樹林が伸び上がってくるあたりで川上温泉(現在は道の駅脇のようです)の川上登山口から上がってくるルートと合流します。そしてここで見える範囲では、奥の磐梯山山頂と左端の櫛ヶ峰との鞍部に向かって登っていきます。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時07分=伊藤 幸司
標高約1,150mで川上登山口からのルートと合流し、標高約1,450mの沼ノ平上端への登りが始まりました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時14分=伊藤 幸司
山頂近くの北斜面。雪がまだ残っていました。

磐梯山登山、マイヅルソウ
【撮影】第2日=10時17分=伊藤 幸司
マイヅルソウの小さな群落。その中に頭を出した細い枝がスパッと切られているところを見ると、夏のシーズンに向けて登山道の整備が行われたのだと思われます。

磐梯山登山、トウゴクミツバツツジ
【撮影】第2日=10時21分=伊藤 幸司
トウゴクミツバツツジの花がありました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時23分=伊藤 幸司
この「おばけU字釘」はなんというのでしょうか? いろいろ調べてみましたがわかりません。1983年以来1,500回を越える登山をしていますが、登山道の整備にこれを使った例を見たのは初めてです。見た瞬間には違和感がありましたが、歩いてみると合理性を感じました。これほど並べなくても、要所要所で安全装置となりそうです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時28分=伊藤 幸司
こういう光景を見ると登山道の適宜補修という考え方には有利な材料かと思います。こういう作業の体験がありませんが、ヘリでデポしたとして、その後1本ずつ運んで、1本ずつ打ち込むという最少の作業手順でやれるのではないかと想像しました。
たとえば登山道に50m間隔を目安に水抜き溝をこまかく掘るような方法を考えたとき、その溝の落口(路肩)にこれを立てるというような補修を箱根あたりでやってみたらどうだろうと思いました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時30分=伊藤 幸司、裏磐梯レイクリゾート
泊まったホテルを見下ろしました。その手前、黒い屋根の建物は裏磐梯高原ホテル。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時33分=伊藤 幸司
標高約1,350m、このルートでは最大規模の残雪が登山道にかぶさっていました。ここでゆっくり休憩することで、こちらに味方するいい気分を演出してもらいました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時39分=伊藤 幸司
この道はかなりの急登でした。でも山頂稜線まではもうひと登り。楽しく頑張れる? 瞬間です。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時52分=伊藤 幸司
ヤナギの花のようですが、この木がヤナギかどうかわかりません。

磐梯山登山、タカネザクラ
【撮影】第2日=10時52分=伊藤 幸司
タカネザクラ(ミネザクラ)が小さな花をたくさんつけていました。花はほとんど純白で、思いっきり小さいのに、意外に花数が多いので、印象に強く残ります。私には「ミネザクラ」という名前のほうが印象に近いのですが、これも稜線に上がる最後のところにありました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時56分=伊藤 幸司
桧原湖が見えます。私たちが泊まったホテルが見えます。それから私たちは立ち寄れませんでしたが銅沼(あかぬま)の水面が森のなかに見えます。
明治21年までは、ここからこの風景は見えませんでした。足元の窪地からそびえ立つ小磐梯山が眼前にあったはずですし、銅沼は山の内側、桧原湖は山体崩壊によって流路を断たれた長瀬川が作り出したもの。
ホテルのところから右方向に昨日歩いた五色沼が続いていますが、それは会津の実業家にして地域ディベロッパーのある人物の、私財を投入しての、ほぼ個人的な活動によったといわれます。
「ぼくたち、わたしたちの北塩原村-082/110page」に次のように書かれています。
【2.郷土のためにつくした人々
(1) 裏磐梯に美しい緑をよみがえらせる
〜遠藤現夢の偉業〜
磐梯山の北側は、1888年の噴火で岩石がゴロゴロする荒野となり、何年も緑はもどりませんでした。その荒れた土地に木を植え、緑をよみがえらせようとしたのが、遠藤現夢という人です。
本名を遠藤十次郎といいます。1910年、磐梯山噴火口の下の方一帯を国からその土地の権利をゆずり受け、木を植えていったのです。
遠藤現夢は会津若松に住んでいましたが噴火のあと裏磐梯をもとのような美しい姿にもどしたいと思い、自分の財産をすべてこの仕事にそそぎこみました。
仕事の中心になって働いたのが齋藤丹之丞という人でした。
丹之丞は柳沼畔の小屋に住み、20年植林地の管理をしました。林業の専門的なことは、林学の博士の中村弥六という人にいろいろ教えてもらって進めていきました。
赤松を5万本、杉苗を3万本、漆苗を2万本の合計10万本を植えました。1日10人の人に働いてもらってすべて植え終わるまでに2年間かかったということです。
木の苗は、新潟から汽車で運び猪苗代から裏磐梯までは馬車で運びました。
今、わたしたちが美しい磐梯山や五色沼を見ることができるのは遠藤現夢の働きがあったからです。
遠藤現夢は、1934年に71歳で亡くなりました。生きているとき自分のお墓を裏磐梯に作りました。それが今も残っています。】

磐梯山登山
【撮影】第2日=10時56分=伊藤 幸司
山頂稜線に出ると磐梯山の山頂が行く手にそびえ立っていました。標高差はまだ400m以上あります。

磐梯山登山、ミヤマキンバイ
【撮影】第2日=10時57分=伊藤 幸司
ミヤマキンバイがありました。ウィキペディアの「ミヤマキンバイ」では説明はほとんどなく「近隣種」としてキジムシロ、ヘビイチゴ、ミヤマダイコンソウ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイとの比較表を載せているという変化球解説です。
植物検索システム・撮れたてドットコムは
「植物写真家・いがりまさし」による植物検索システムです……の「ミヤマキンバイ」には次のように書かれていました。

【ミヤマキンバイは,高山の岩場や礫地に生える多年草。高山に咲く同じような色と形の花は多いが,科や属はちがうものがほとんどで,ポイントに着目すれば多くの場合簡単に見分けがつく。
ミヤマキンバイはバラ科のキジムシロ属の仲間で,3小葉の葉が特徴。同じようなところに多いミヤマダイコンソウはダイコンソウ属の仲間で根生葉は羽状複葉になるが,一見したところ円形の単葉に見える。
亜高山帯までは,よく似たイワキンバイが生えてることも多い。ミヤマキンバイの葉裏は緑色だが,イワキンバイの葉裏は白っぽい。】
残念ながら、このあたりで見られるはずのバンダイクワガタはありませんでした。

磐梯山登山
【撮影】第2日=11時05分=伊藤 幸司
ここが沼ノ平の最上部。
「URBAN KUBOTA NO.15|17」の「日本の火山6・磐梯山」(中村洋一=東北大学理学部岩鉱教室)には次のように書かれています。
【現在の山頂部は,沼ノ平旧火口を囲み,赤埴山(1,427m),大磐梯山(1,819m),櫛ヶ峰(1,686m)の諸峰からなる.1888年の噴火で失われた小磐梯山は,かっては大磐梯山とほぼ同じ標高を有していた.裏磐梯の五色沼付近から山容を観察すると,噴火で失われた様子がよくわかる.】

磐梯山登山、ミヤマキンバイ
【撮影】第2日=11時11分=伊藤 幸司
ミヤマキンバイはこんなふうにこの時期の主役を張っていました。

磐梯山登山、ナミケダニ
【撮影】第2日=11時52分=伊藤 幸司
弘法清水小屋から最後の急登にかかったあたりで私の行き道を遮った3匹の怪しい生物。写真を何枚か撮ったのですが、けっこう速い。親子のように見えましたが、そうだとすると子育てをする生物なのか?
「ありんこ日記」に「超巨大!インド産ナミケダニ」とありました。
【ナミケダニの仲間は日本でも、山で徘徊している個体を時々見かけます。学生時代に遠足で登山をしたとき、標高が高くて草木の少ない砂利道に、3mmと普段目にするダニとしては大型で、全身毛に覆われた赤いダニを何匹も見つけて、あまりの可愛らしい姿に一目惚れしたのを覚えています。】
ほとんど同じ写真だったので読んだのですが、タイトルの「インド産ナミケダニ」は実寸が違うようです。内容的には無関係ですが、ここはぜひ最後まで読ませていただきます。
【これはインドに生息するナミケダニの一種。小さなダニをマクロ撮影で巨大に写したのではなく、この種類はダニとは思えないほど、とんでもなく巨大なのです!英名はレッドベルベットマイト。
人差し指に乗せてみると、その大きさが分かります。大きな個体は1.5cmもあるのです!
マダニの仲間には、ケヅメリクガメなどに寄生する2〜3cmにもなる巨大な種類がいますが、このタイプの徘徊性のダニとしては超特大です。イチゴのように美しくて巨大ダニ。毛が生えていて、体は柔らかいのでまるで哺乳類のようです。
死んだ虫などを食べるという話もありますが、詳しい食性は不明。このタイプのダニは成虫になると花粉、微生物、菌などを食べているものもあるようです。何を食べているのかは分かりませんが、飼育をすると1〜2年は生きます。
現地では、1年のほとんどを地中で暮らしているため、滅多に見つかりませんが、雨季だけ地表に現れるようです。累代飼育ができたら、十分ペットとして楽しめるほどの存在感があります。】

磐梯山登山
【撮影】第2日=11時56分=伊藤 幸司
最後の一気登りです。

磐梯山登山
【撮影】第2日=11時59分=伊藤 幸司
振り返ると櫛ヶ峰(1,636m)がありました。あの手前、鞍部で稜線にでて残雪の上端をたどって登ってきました。

磐梯山登山、ショウジョウバカマ
【撮影】第2日=12時03分=伊藤 幸司
雪が溶けると最初に登場する感じのショウジョウバカマ。

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時10分=伊藤 幸司
もうすぐ? という気分が何度か繰り返されて、まだ登っています。

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時17分=伊藤 幸司
ようやく山頂に。こちら側から登って向こう側を見ているので、遠くに見える薄いブルーは猪苗代湖です。

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時19分=伊藤 幸司
山頂での記念写真。このところ男性の参加なしという山旅が多くなっています。

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時38分=伊藤 幸司
この写真で下りの傾斜が分かると思います。糸の会のシミュレーション・マップでは標高50mごとの半径50mの赤丸が1,800mから1,250mまで少しずつ重なった状態で並んでいます。つまり50m下がるのに100mかからない、100分の50以上の急傾斜。約30度です。日本の山の斜面としてはごく一般的で、富士山の6合目〜山頂の斜面がその30度。富士山の斜面をほぼ真っすぐ下っていくという道なのです(ちなみに富士山の登山道はジグザグを切って20度ほどの勾配になっています)

磐梯山登山、猪苗代湖
【撮影】第2日=12時39分=伊藤 幸司
じつは、これが磐梯山の醍醐味です。猪苗代湖に向かって一気に下っていきます。

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時47分=伊藤 幸司
こんなふうにササとタカネザクラの密集地をすり抜けるようにする場所も出てきました。

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時57分=伊藤 幸司
同じような急斜面がまだまだ続きます。ちょうどこのあたり、私は浮き石を踏んだらしく、ブザマに転倒。頭を下にして仰向けにドン、と落ちました。肩を小石でこづかれたような衝撃以外はほとんどなく、ほんとうにラッキーでしたが、倒れた場所がほんのちょっと違っていただけでも大怪我をしていたところです。(その後はダブルストックを使用しました)

磐梯山登山
【撮影】第2日=12時59分=伊藤 幸司
猪苗代湖へと下っていく気分はまだ続いています。

磐梯山登山、ミヤマキンバイ
【撮影】第2日=13時13分=伊藤 幸司
ここでは足元のミヤマキンバイ。

磐梯山登山、タカネザクラ
【撮影】第2日=13時15分=伊藤 幸司
ここではタカネザクラ。

磐梯山登山
【撮影】第2日=14時00分=伊藤 幸司
どこかで見たことのある花だと思いながら撮ったのですが、わかりません。

磐梯山登山
【撮影】第2日=14時10分=伊藤 幸司
1か所、ロープがありました。難しくはないのですが、ちょっと怖がる人もいるという場所。下りの中でここだけでしたが。

磐梯山登山、タムシバ
【撮影】第2日=14時50分=伊藤 幸司
じつは標高約1,200mあたりから下は猪苗代リゾートスキー場のゲレンデ脇を下ります。スキーゲレンデとなると、斜面の傾斜はうんとゆるくなります。運が良ければゴンドラが動く日もあり、動いていればもう歩く必要はないのですが、20度に満たないような登山道の下りは快適です。すぐにタムシバが出てきました。

磐梯山登山、タムシバ
【撮影】第2日=14時50分=伊藤 幸司
タムシバの葉がきれいな状態で目の前にあれば、どうしたって撮りたくなります。

磐梯山登山、猪苗代リゾートスキー場
【撮影】第2日=15時12分=伊藤 幸司
ゲレンデの最下部までくると、すぐ下にはもうロープウエイ駅や猪苗代リゾートホテルがありました。着いたも同然、というところ。

磐梯山登山、猪苗代リゾートホテル
【撮影】第2日=15時58分=伊藤 幸司
猪苗代リゾートホテルで入浴し、タクシーを呼びました。猪苗代湖を眼下にするホテルロビー。



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