山旅図鑑 no.210
金時山
2018.9.6

山旅図鑑目次


糸の会(no.1102)
2018.9.6
金時山
35パワー

登り15p→稜線13p→下り7p

*バスタ新宿から小田急箱根高速バスを利用した金時山です。
*金時山を金時神社入口バス停から登って、乙女峠バス停へと下りますが、そのあとどうするかは現地で決める、としておきました。
*結果的には乙女峠バス停からバスで御殿場に下って、とらや工房→東山旧岸邸→(バスで)御殿場市温泉会館→(タクシーで)妙見とたどったのがフルコース組となりました。

9月6日
・1025……金時神社入口バス停を出発(標高約700m)
・1030-45……公時神社(標高約700m)
・1150……箱根外輪山縦走路に合流(標高約1,050m)
・1220-50……金時山山頂(標高1,213m)20度C
・1400-05……長尾山山頂(標高1,144m)
・1420-25……乙女峠・乙女茶屋跡で休憩(標高約1,000m)
・1505……乙女峠バス停(標高約850m)

今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。

矢野 博子、藤原 由香里、伊藤 幸司



山旅図鑑 no.210
金時山
2018.9.6

金時山
【撮影】09時45分=藤原 由香里
新宿からバスで金時神社入口を目指す。新宿では青空が見られたが、途中から曇ってきて見えるはずの山が見えなかった。御殿場が近づくにつれ再び青空が現れ、富士山が見えてきた。今日目指すは金時山。天気予報ではメチャメチャ晴れのはず。どうか山頂でも富士山が見えますように。

金時山、ミズヒキ
【撮影】10時18分=矢野 博子
登り始める前に まずは神社に参拝。そこの小さな川の脇にひっそりと咲いていたミズヒキ。これは赤だが白いものも傍らに咲いていた。金色もあるから 何か おめでたい印象の花。繊細で昔からこの花は好きです。

金時山、公時神社
【撮影】10時19分=伊藤 幸司
08時05分バスタ新宿始発の小田急箱根高速バス・箱根小田急山の上ホテル行きで、10時09分に金時神社入口バス停で下車しました。このバスは以前は新宿駅西口の小田急ハルク前から出ていて、高速バスとは思えない乗りやすさでJR御殿場線・御殿場駅へ行く場合にも利用しました。
金時山に登る場合には御殿場側の登山口である乙女峠で降りるのがふつうで、乙女トンネルをくぐった先、金時神社入口で降りるのは初めてです。また箱根湯本方面からくる場合には金時神社入口から歩いて10分もかからない仙石バス停(別路線です)から矢倉沢峠経由で登るのが普通でした。
金時神社入口バス停からちょっと入ると、ゴルフ練習場の先に公衆トイレがあり、これだけの駐車場がありました。

金時山、金時沢橋
【撮影】10時19分=藤原 由香里
金時神入口から進むと金時沢橋を渡り登山道へ。

金時山、公時神社
【撮影】10時24分=矢野 博子
神社の参道脇に置かれた まさかり。こんなもの置いてあるとは 知らなかった。金時山は 何回か登っているが こちらから登ったことないので何故か新鮮。

金時山、公時神社
【撮影】10時28分=伊藤 幸司
駐車場のすぐ脇から、公時(きんとき)神社の参道が始まっていました。

金時山、公時神社
【撮影】10時29分=伊藤 幸司
これが公時神社。源頼光の四天王・坂田公時の公時神社です。この「公時神社」をネット検索してみるとちょっと不思議なことがわかりました。
『箱根仙石原 公時神社|ホーム』には次のように書かれているのです。
【仙石原諏訪神社・公時神社・湯立獅子舞のサイトへようこそ!
「仙石原諏訪神社」は、仙石原の中心に鎮座し、氏神として守護しています。
3月27日の例大祭には、安永5年(1776年江戸時代中期頃)に伝承された、国撰択無形文化財「湯立神楽」の奉納が大勢の参拝者の見守る中行われています。
末社「公時神社」は、霊峰公時山の麓に鎮座し、登山者の安全と子供達の健康を祈願する参拝者が数多く訪れています。】
公時神社は仙石原諏訪神社の末社(まっしゃ)だというのです。でも仙石原諏訪神社は「仙石原の中心に鎮座」して住所は「箱根町仙石原88」、公時神社は「箱根町仙石原1181」と場所が違うのです。
そして『神社と祭りについて』の解説に「諏訪神社の境外末社」という言葉が出てきます。
【公時神社は、仙石原地区の鎮守・諏訪神社の境外末社で知られ、例祭は、毎年5月5日の端午の節句に「金時祭」として盛大に行われています。
例祭当日には、当神社ならでは本殿両脇に熊の敷革・大きな鉞(まさかり)が飾られるほか、神前に菖蒲や金太郎飴がお供えされ、子どもたちの健やかな成長と安全が祈願されます。
子供の日にちなみ境内には至る所に鯉幟(こいのぼり)が多く掲げられ朝から子供たちによる相撲大会やマラソン大会が開催されます。また子供達の里神楽や無形文化財湯立獅子舞等の奉納もあり、終日多くの親子連れの人々で賑わいます。】

「場外末社」とは何か?
『コトバンク』に『世界大百科事典第2版』の『摂社・末社』がありました。
【一神社内で本社に付属する小社のこと。古く〈所摂〉と記されている例もあるが,明治の制で伊勢神宮,また官国幣社(官幣社や国幣社)において,本社に付属する関係深い社を摂社,それにつぐ小社を末社と称することと定めた。これは社格ではなく,本社祭神の后(きさき)神,御子(みこ)神をまつる社(やしろ),本社旧跡に設けた社,本社祭神の荒御魂(あらみたま)をまつる社,地主神の社など関係深い社を摂社とし,それにつぐ社を末社とした。その本社境内にあるものを境内摂社,境内末社とよび,境外のものを境外摂社,境外末社とよんだが,それらのなかに,府県社,郷社,村社などの社格のある社もあった。】
酒田の公時さんを神とする神社ですから諏訪大社に連なる「お諏訪さん」からみれば「末社」だということのようです。

かつて私は富士山を御神体とする浅間神社について調べたことがありました。そこで「摂社」や「末社」と出会ったのです。まあ、半世紀前の話ですが。時間のある方はしばしおつきあいいただきたく。──
民俗学者・宮本常一先生が所長をしていた日本観光文化研究所(近畿日本ツーリスト)に出入りしていた若い衆たちに降って湧いたような企画(大阪のある出版社の提案でしたね)がありました。「1/50,000地形図」1枚を持って旅して本を1冊書くという企画でした。
私は暇でしたからすぐに「1/50,000地形図・富士山」にとりかかり、書き上げた原稿が(出版社の企画変更などもあって)1979年から『岳人』に16回連載され、単行本の『富士山 地図を手に』(東京新聞出版局・1980年)となりました。
富士宮(静岡県富士宮市)の富士山本宮浅間神社が編纂した大著『富士の研究・第二巻・浅間神社の歴史』(昭和3年)によるとコノハナノサクヤヒメを祭神とする浅間神社は全国に1,370社あり、まさにその「富士宮の浅間神社」が明治4年の国弊中社から明治29年に官幣大社となっており、第2位は甲府一宮の浅間神社(明治4年に国幣中社)、第3位が静岡の浅間神社(徳川家との関係から明治21年に初めて国弊小社)、そして第4位に富士吉田の浅間神社(江戸時代の民衆信仰ゆえ明治政府による社格は高くなく明治5年に郷社、明治12年に県社)などとなっていました。全国17万社の神社の国家による格付けの結果です。
で、その浅間神社が歴史上に最初に登場するのは平安時代前期の『文徳〔天皇〕実録』と『〔清和・陽成・光孝天皇〕三代実録』で864年(貞観6年)に富士山が噴火して青木ヶ原丸尾の溶岩が流れた事件を伝えるなかに『富士郡正三位浅間大神(あさまのおおかみ)』と出てくるのだそうです……と書きました。
「あさまのおおかみ」は以後富士山の噴火を鎮めるものとして中央政府の文書に登場し、修験の山として真言密教が浸透すると浅間大菩薩と呼ばれるようになります。さて「摂社」やら「末社」ですが、唐突ながら、それにかかわる部分だけを引用しておきます。
────その「フジ神社」と思われるものがあるのです。こともあろうに「アサマ」神社であった富士山本宮浅間神社(富士宮)の摂社として残っているのです。それは富知(ふち)神社で、不二神社、福地明神ともよばれるものですが、大宮、つまり富士宮の中心地区の地主神であるというのです。しかも平安時代中期の『延喜式』の「神名帳」にあらわれる富士郡の三つの神社、浅間神社、富知神社、倭文(しどり)神社のうち、あとの二つが、ともにいま浅間神社の摂社となっている富知神社だといわれているのですから、そこに名門神社の合併吸収のドラマを想像したくなるのは人情というものです。
 もしその富知神社の富知がフジのことであり、地主神であるということがその土地に根ざした古い神社であったことの証明となるなら、かつて、それが「フジ」の神をまつった神社である可能性を考えてみたくなります。しかも(中央の)歴史への登場が、いかにもそれらしいかたちになっているのです。
 浅間(あさま)神社は垂仁天皇の時代に、富士山の噴火をしずめるために「山足の地」に建てられたということになっています。それをヤマトタケルが山宮(富士宮市山宮宮内=やまみや・みょううち)におろしてまつり、平安時代の前記の806年(大同元年)に征夷大将軍坂上田村麻呂がそれを現在の場所に(もう一段おろして)遷移したというのです。そしてそのとき、そこには古くからの地主神として富知神社があったというのです。
 アサマという名の意味もまた、あいまいなのですが、すくなくとも「アサマ」の神をまつった浅間(あさま)神社は、歴史上に一貫した姿勢をもっているようです。それは中央政府の息のかかったものであり、富士山の噴火をしずめることを「国の鎮め」ととらえていることです。
806年の坂上田村麻呂による遷宮が史実として確認されていないとしても、50年後の853年(仁寿3年)には浅間(あさま)神社は従三位という高い位を与えられているのです。その叙位の背景に、800年(延暦19年)と826年(天長3年)の、史書にしるされるほどの噴火があったとするのは、その後の浅間(あさま)神社の歴史と考え合わせてみれば、まちがいではないでしょう。そして浅間(あさま)神社の目を見張るばかりの位階の上昇が、その背後に、中央政府の影響力の浸透をともなっているとすれば、「アサマ」の神によって土着の「フジ」の神の大きな役目が奪われてしまったと考えるのも、けっして不自然ではないように思えるのです。
 けっきょく、しろうと探偵の推理のようなものですが、「フジ」の神が強大な「アサマ」の神にとってかわられたと仮定してみたときに、その「アサマ」の神、つまり浅間大神(あさまのおおかみ)がもののみごとに変身させられて浅間大菩薩となっていく力は、それに倍するものであったように感じられてくるのです。
 それは浅間(あさま)をセンゲンと読ませる外来思想の侵略とでもいうべきものです。それは平安末期の末代上人(まつだいしょうにん)の登場で明瞭なかたちをあらわすわけですが、富士山の頂上には真言密教の本尊である大日如来がおられ、それが浅間大菩薩の姿になって、衆生を救うために、この世にあらわれるという本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想です。浅間大神(あさまのおおかみ)にはもう、空海、最澄によって中国からもたらされた新しい巨大な波をおしとどめる力はなかったようです。そのかわりとしてでしょうか、はなばなしく登場したのがコノハナノサクヤヒメなのです。
 木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)は『古事記』に登場する絶世の美女で、天から下ってきたニニギ(天照大神の孫)の后となる人物です。父はオオヤマツミといわれています。このコノハナノサクヤヒメの名が浅間神社とからんでくるのは江戸時代のはじめといわれ、富士宮の浅間神社の社記にその名がはじめてあらわれるのは、じつに江戸時代も後期だということです。しろうと探偵としては、ここで江戸時代の国学者、本居宣長、賀茂真淵といった名を思い浮かべてみたりするわけですが、富士講の御師が烏帽子・狩衣というスタイルの神職として、京都の吉田神道につらなるものだということになれば、コノハナノサクヤヒメは、富士山に押しよせたもうひとつの時代のスーパー・ヒロインといえそうです。
 しかし、もともと富士山には女神の姿が見え隠れしていたようです。山上に白衣の女神が舞っていたという言い伝えが、すでに平安中期に、『本朝文粋』におさめられた都良香(みやこのよしか)の「富士山記」にしるされています。そしてその150年ほど前の900年ごろには、有名な『竹取物語』がまとめられており、だれでも知っているそのストーリー展開では、「かぐや姫」が「天の羽衣」をまとって天上に去ったあと、帝は手元に残された不死の霊薬を、天にもっとも近い山のいただきで燃やすように命じたのです。物語はこう結ばれています。
「その山を〈ふじ〉の山とは名づけける。その煙いまだ雲のなかへ立ちのぼるとぞ言い伝へたる」────

金時山、公時神社
【撮影】10時29分=藤原 由香里
公時神社の後ろには金時山がそびえ立つ。

金時山、公時神社
【撮影】10時31分=藤原 由香里
マサカリが大きかった。このマサカリを担いだのだとすれば、金太郎の身長はいくつなのだろう?

金時山、公時神社
【撮影】10時32分=藤原 由香里
みんなで登山の無事を祈った。その他に子供の健康を祈願することができるのだそう。

金時山
【撮影】10時48分=伊藤 幸司
標高約700mの公時神社の裏側から始まる登山道は、標高約850mまで緩やかに進んでいきます。概算では1km先で150mの上りですから15/100勾配。すなわち15%勾配の登りです。この、まあ「緩やか」な登りに関する話をウェブ上で探したら、ありました。
『テンメイのRUN & BIKE』に『15%の急勾配、角度にすると僅か8.5度』(2007年4月22日)というレポートです。
【さて、そのランニングマシン(or トレッドミル)。低速から徐々に身体をなじませた後、時速14km〜15km(1km 4分17秒〜4分)くらいをキープして走る。
前回より少しだけ身体が復活してて、わりとラクなんだけど、予想外の妨害が現れた。髪の毛だ。美容室に行く余裕がないまま伸ばしっぱなしの上に、風呂上りのドライヤーがいい加減だったから、目にかぶさってくる。おまけに、初めて気付いたけど、マシンだと風がないから髪の毛が後ろになびかず、上下に揺れるだけ。ってことで、髪をどけながら走ってると、ベルトから落ちそうになる。
何とかガマンして、最後は100mだけ時速18km(1km3分20秒)で走って、まず3km。しばらく低速で休んだ後、今度は傾斜を初体験☆ 0.5%ずつ上がって、最後は何と15%の急勾配になった。つまり、水平に100m進む間に垂直に15m上るってこと。このパーセント表示は、道路でよく使われてるけど、小学校以来の算数(と数学)では角度の方がおなじみだ。
そこでいま、電卓で三角関数tangentの逆関数を使って角度計算してみると、実はわずか8.5度。スキー場のコースでいうと初級者専用バーンの傾斜にすぎないし、三角定規の小さい角(30度)をさらに4分の1近くにした角度ってことだ。それなのに、ランニングだと脚が激重でさっぱり動かない。すぐ傾斜なしまで戻したのに、しばらく変な感じだった。
ちなみに、自転車でも15%とか8.5度っていうと、「超激坂」ってことになる。】

金時山
【撮影】10時48分=藤原 由香里
登山道は台風21号の爪痕が残っており、枯れてもいない葉っぱや枝、木の実が散っていた。

金時山
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
この、鮮やかな黄色いキノコがバラバラ事件に遭遇。道際のこの距離感からして、登山者がストックで一撃! という感じです。まだみずみずしい。まさか私のグループの人ではないでしょうね……とちょっと疑いましたが、すみません、そういうことをする人はまずいないはず。花の写真を撮りたくても道を一歩外れることまで各自が厳しく自重している状態ですから。
でも私が登山道を「一歩も外れない」というルールを堅持しているのは「自然破壊」防止のため(だけ)ではないのです。
私はカメラマン志望で、若い頃周囲の方々からいろいろなチャンスをいただいたのですが、けっきょく当初苦手だったライターとエディターになりました。
カメラマンは陽性でないといけません。最後の最後、ものすごい緊張感のなかでシャッターを切れるかどうか、シャッターを切れる環境を粘って、粘ってつくれるかどうかですから、決定的に陽性が求められます。
ところがしばしば、陰性の人がカメラマンたろうとするときに「押し」が決定的だと考えてしまったりします。最後の最後が「突撃精神」だけではいけないのに。
1日の山歩きでほんの数回しか花と出会わないこともあります。だから最初の花からなんとか「ベストショット」で捉えておきたいと思うのは当然です。そこでなんとしてでも撮っておきたいと考えて道を外し、邪魔な草や木を除けて「ベストではなくてもベター」な写真を撮っておきたいと考える……それがカメラマンとしての正当な努力のひとつだと思っている人がいるわけです。多いのです。(どれだけたくさんシャッターを切れるかという重要な試みに関してはここでは触れません)

昔、平凡社の世界大百科事典の定期読者に送る「月刊百科」という雑誌に関係していたことがあります。年末になると朝・毎・読・日経の4紙の縮刷版を1年分全部めくって数点の「ニュース写真」を選ぶという役目をもっていました。そして1970年には「よど号ハイジャック事件」の写真を1枚選ぶことになったのです。毎日新聞に載った1枚を選び、正式の手続きをして購入し、撮影者のコメントを求めようとしたら、それが私の大学時代の写真部の同期・平嶋彰彦さんのものだと知ったのです。
その写真は空港の広い風景のなかにJALのよど号が1機ポツンと止まっているだけ。なにがなんだかわからないけれど、緊張感が漂っている光景でした。
かれがどうしてそんな写真を撮ったのかというと、ハイジャックというものがどういう写真で表現できるか全くわからない状態だったので、最前線からはずれて全体を見ていた、というのです。なんだか、わけのわからない緊張感が、その写真ではじつによくわかったのです。
つまりカメラマンは突撃だけがそのフットワークではないのです。眼前に起こっていることが何なのか、どうなるのか、自分のちっぽけな経験則では到底判断できない現実を目にして「とりあえず撮っておくべきもの」を考えるのです。
そういう論法でいえば、山の花は当初、花屋で見る花より貧相で、自信無げに咲いていると感じたのは私だけでしょうか。でも1日歩いて印象に残る花が1輪でも2輪でも見えてくるようになると、今度は花屋の花がドギツく、厚化粧に見えてくる、というのも私だけでしょうか。マツムシソウなんかその典型だと思います。そのうちに、山道の脇にポツンと咲いている(いささか貧相な花)の一輪に目が行くとき、それは大きな風景を背負って咲いていることに気づくのです。(それは床の間に活けられた茶の湯の花の一輪に似ているかもしれません)
そうなると、たまたまあった花をそれだけ切り離して他の花と競い合わせるような撮り方をすること自体が滑稽に思えてきます。手近な花にズカズカと近づいてなんだか偉そうな顔をして撮るという行動では、失っているものも逆に多いんじゃないんですか? と思うのです。
そんなとき、私は例の平嶋彰彦さんの言葉に人生を決められたところがあって「そこで撮ることを求められる」カメラマンと「あとから調べて裏をとる」記者との間でもがいたりしてしまうのです。平嶋さんは毎日新聞社の出版写真部長となり、写真系出版物の編集長となって、定年までの最後の何年間か、私と大物にして楽しい仕事を何本もやることになるのですが、かれは報道カメラマンの資質として「撮ってしまった写真に責任を持とうとするしかない」というのが口癖でした。
つまりハイジャック事件が何たるかを知らずに現場に投入された報道カメラマンはそこで頭をくるくると動かすのですが、結局は眼前にある光景を撮っておく(撮らされておく)しかないのです。でもその後、いろいろなことがわかるに従って自分との関係も明らかになってきます。撮れてしまったとか、撮れなかったという現場の体験をしつこく検証し続けることで「次」への自分が、いくらかでも成長するということなのだそうです。
山の花ですが、たまたま見つけた1本に飛びつくのも姿勢として大事だと思う人もいるでしょうが、そこに1本あるということは、その山に何本かあると考えるのが常識的で、自分の足元に出てくるかどうかわからない花とのゲームを開始してみたいと思うのです。出てくるとしたらどんな環境で出会うのか。「歩きながら待つ」花をたくさん可能性として持ちながら歩く登山(山旅)という考え方もあるのです。小さな花が、周囲の環境をまるごと引き連れて登場するというような場面と出会うと、待っていてほんとうにラッキーだったと思います。
この写真の、無残なキノコは破壊されていなければすごい美人。色気だってかなりのもんだと思いました。次に出てくるチャンスはかなり大きいはずだから、それは逃さないようにしようと思ったのです。

金時山、アンズタケ
【撮影】10時49分=伊藤 幸司
その黄色いキノコ、破壊されたキノコのすぐ近くにありました。ネットで調べてみると、これはほぼ間違いなくアンズタケ。知らなかったのがお気の毒! というくらい特別なキノコだったようです。
『株式会社キノックス』の『キノコの雑学・きのこの豆知識』に『アンズタケ』がありました。
【アンズタケと言えばヨーロッパを代表する人気きのこで、ヤマドリタケ(ポルチーニ)やアミガサタケ(モリーユ)と並ぶヨーロッパ三大食用きのこのひとつです。アンズタケ属を代表する種で、鮮やかな黄色をした特有の香りと傘の縁部の不規則な波打ちや脈絡のあるシワ状のヒダが特徴で、初夏から秋の初めにかけてアジアやヨーロッパなどのマツやモミなどの針葉樹や広葉樹との混交林に世界中広く発生します。学名はCantharellus cibariusで、カンタレルスはフランス語で「アンズタケ」をキバリウスは「食べられる」を意味し、マッシュルームなどの栽培きのこを除けば世界的に最も多く食されている野生きのこです。
フランスでは「ジロール」や「シャントレル」と呼ばれ、アプリコット(アンズ)の香りがする身近で採れるきのこであることから、シーズンには家庭料理には欠かせない食材だと言われています。高級なトリュフとは異なり庶民的なきのことして広く親しまれています。「アンズ」の香りがするほぼ世界中で採取可能なきのこであるため、洋の東西を問わず、特有の香りに因んだ名前(和名はアンズの香りがすることから命名)が付けられています。
マツタケやトリュフと異なり、どうやらアンズタケの香りの評価だけは世界共通のようです。しかし、残念ながら日本では大量に収穫できるきのこであるにもかかわらず、一部のマニアを除きほとんど食用に供されることはありません。日本のきのこ料理の定番である「鍋物」や「汁物」などの味噌や醤油の日本固有の味付けに合わないきのこであることが最大の理由だと思われます。
アンズタケのみならずヨーロッパの三大きのこは、このような理由から、日本ではまったく人気がないと言えます。しかし、近年のイタリア料理ブームで「ポルチーニ」と言う名前の知名度が高まったことで、アンズタケの洋名である「ジロール」も西洋料理の普及に伴い、知名度が高まりつつあるように思われます。アンズタケは菌根菌であることから人工栽培は難しいのですが、特に味に癖もなく日本でもたくさん収穫できるきのこ(日本のアンズタケはヨーロッパに比べ小型で香りが薄い)ですので、パスタ料理やシチューなどの洋風料理の具材としてもっともっと利用を勧めたいものです。

ところで、現在、東京電力の福島原子力発電所が震災の影響による爆発事故を起こしたことで、放射能汚染が問題となっています。アンズタケに代表される「菌根菌」に属するグループのきのこ類は放射性物質を体内に取り込むことが知られています。事の発端は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響でアンズタケが放射性セシウムを生体濃縮していることが判明したことから、輸入禁止となってしまった経緯があります。この事故を契機にきのこの放射能濃縮がにわかに注目されるようになりました。
放射性セシウムは化学的性質がカリウムに似ていることから、カリウム吸収率の高いアンズタケなどのきのこ類がセシウムを体内に取り込んだ結果、放射能汚染される結果となってしまったのです。きのこのこのような性質を逆に利用して、放射能で汚染された土壌を浄化しようと言う「バイオレメディエーション」の研究も行われるようになってきており、きのこには、まだまだ我々の知らない不思議な力が秘められているようです。
今回の福島原発事故では、様々な食品が放射能汚染されたことが報道されていますが、やはりきのこも例外ではありません。チェルノブイリ事故以来すべてのきのこが放射能を濃縮すると思われがちですが、それは大きな間違いです。きのこビジネスにかかわる一人として、風評被害を招かないためにも正確に事実を伝えたいと思います。チェルノブイリで問題となったのは、同じきのこでもアンズタケなどの「菌根菌」と呼ばれるきのこであって、ナラタケなどの「木材腐朽菌」からは、ほとんど検出されていなかったのです。
日本で人工栽培されているシイタケやナメコなどのきのこはナラタケと同じすべて「木材腐朽菌」で、しかもほとんど施設内で栽培(一部が原木による野外露地栽培)されていますので、安全性に関しては特に問題ありません。今後とも、放射能汚染を受けていない原材料を使用して施設内で栽培されたきのこ(木材腐朽菌)においては、安全上取り立てて問題となることはありませんので、これまで通りに安心して利用することができるのです。】

金時山
【撮影】10時49分=藤原 由香里
キノコにも興味を示す。アンズタケかな?

金時山、ミヤマシキミ
【撮影】10時53分=伊藤 幸司
あまりにもきれいな丸い実をつけていたので、ミヤマシキミだとわかるまでにかなり苦労しました。4−5月が花期だそうですが、白い小さな花をたくさん束ねた丸い花飾りに少しずつ茶系の陰影が入り込んで、ミヤマシキミ独特の雰囲気になっていきます。そして12月から赤い実を並べるかたちになるのですが、いま9月、なんというやわらかな若緑色の実でしょうか。

金時山
【撮影】10時53分=藤原 由香里
アジサイは所々に咲いていた。もう秋だが、秋色アジサイなのか。

金時山
【撮影】10時53分=藤原 由香里
今は実の時期だ。なんの花なのかはわからないが、実はこの時期にしか見ることができないのだ。

金時山
【撮影】10時54分=藤原 由香里
葉は7つに分かれたウチワ型、茎は細くすっと伸び、花は細く輪状に咲く。この花の名は?

金時山
【撮影】10時55分=藤原 由香里
金時手毬石と書かれていた。なんでも大きいですなぁ。

金時山、金時手鞠石
【撮影】10時55分=伊藤 幸司
標柱には「金時手鞠石」とありました。弁慶ならまだしも、金時だったら「蹴鞠石」でも無理があるかな、と思います。
ところが『歴史×生物×火山=箱根ジオパーク』の『H9 金時山(きんときやま)』(2017年07月18日)に【金時山はもっと巨大な火山だったが山体崩壊によって 金太郎がここで育ったと伝えられている…】とありました。
【金時山は35〜27万年前に活動した成層火山です。金時山ができた当初はもっと巨大な火山でしたが、山体崩壊によって南側が崩れてしまったために、現在の姿になりました。そのため、仙石原からの金時山の登山道では成層火山の断面を観察することができます。また、足柄峠からの登山道では、登山道に沿って岩脈を観察することができ、ハコネコメツツジなどの風衝岩場の植物群落も見られます。
その名の通り坂田の金時、あるいは金太郎がここで育ったと伝えられており、この山の周辺には、幼いころに暮らしたといわれる「宿り石」やその怪力を思わせる「手鞠石」「蹴落石」などの金太郎伝説にまつわる巨岩が点在しています。】
「仙石原からの金時山の登山道では成層火山の断面を観察することができます」となると、この大岩も古い金時山の山の中から山体崩壊によってひょっこり姿を現したのかもしれません、よね。

金時山
【撮影】11時02分=藤原 由香里
右上に大きい茶色いキノコ、左下に白い小さなキノコ。キノコの季節になっているんだ。

金時山
【撮影】11時02分=伊藤 幸司
箱根外輪山という大きな視野で見たときに、金時山の部分が際立って深い森になっているというのが私の印象です。稜線の向こう側、御殿場側の急斜面はヤマボウシの大木が何本もあって、その花が目の高さに見えたりします。別名猪鼻岳ですから、イノシシが鼻面を天に向けた感じも、します。公時神社の裏庭といった裾野の部分でも、すでにそのような印象は感じられます。
『ウィキペディア』の『金時山』に次のような解説がありました。
【現在の金時山は古期外輪山列上に位置しているため、一見すると外輪山の一峰のように見えるが、カルデラの陥没壁がたまたま旧金時火山の火山体(金時山溶岩)と重なったものであり、他の古期外輪山とは地質が異なる。このため、厳密に言えば金時山は古期外輪山の一峰ではない。】

金時山
【撮影】11時04分=伊藤 幸司
箱根の全般にいえることですが、登山道はお金をかけて修繕してはいるものの、荒れています。
『箱根町』のホームページの『自然保護』に『箱根町ハイキングコース補修活動のページを公開しました』というのがありました。
【箱根町では神奈川県、環境省とともに、神奈川県自然公園指導員や箱根パークボランティア、箱根町登録ボランティアの協力により「ハイキングコース補修活動」を行っております。
 この活動では、箱根の貴重な自然環境を守るために、町内にあるハイキングコース(登山道)に階段を設置するなど様々な作業を行っており、ボランティアの方々に活躍していただいております。】
そこには「金時山ハイキングコースの階段設置」という写真(掲載日:2017年8月1日)もありますが、それを見る限り路面を整えて、杭をうち、土留めの板で段差を造っていくという最悪の方法のように見えます。

私のこの写真でもわかるように箱根の登山道の多くはすでに人の背丈以上掘り込まれてしまっています。日々すこしずつ削られていく摩耗というようなことではなく、大雨がここを一気に流れ下って、川が土石を下流に押し流したあと、登山道を乾いた川底にしてしまうのです。
まずは林道工事などで「水切り」と呼ばれている装置で登山道が川のようになる前に水流を道路から逃がそうとするのですが、箱根では箱型の立派な溝を登山道の各所に設置しています。箱型のその溝が流れ込んだ土砂で埋まるのをさけるために登山者に「一握りでも」排除してほしいと立て札を立てています。でもここまで深くえぐられたところから左右の壁を越えて水を逃がすのは大工事になります。
登山道の水切りは、カーブの外側でこまかく水を逃していくというが基本ではないかと、いつも思います。

金時山
【撮影】11時04分=伊藤 幸司
箱根の天気を調べてみると、この日は雨が降っていませんが前日は1時間最大22.5mm、その前日は1時間最大32.5mmというけっこうな豪雨があったようです。風については調べられませんでしたが、これくらいの枝が折られるとなるとかなりの風雨だった思われます。

金時山
【撮影】11時04分=藤原 由香里
だんだんと岩場の多い登山道になってきた。

金時山、奥宮
【撮影】11時05分=伊藤 幸司
『公時神社』のホームページには次のような記述があります。
【神社周辺には、金太郎ゆかりの奇岩が多く、山中には金太郎が手鞠にしたという「手鞠石」や蹴落としたという「蹴落とし岩」、また金太郎が住んでいたという「宿り石」など様々な伝承と共に残されています。 特に、社殿の裏山に残る「奥宮」と呼ばれる岩上の小さな祠は、公時神社の元宮であり、古くは、この社前でお祭りが行われていました。】
「手鞠石」はすでに見ましたが、これは「奥宮」。大きな岩のてっぺんに祠がちらりと見えます。

金時山、」奥宮
【撮影】11時05分=藤原 由香里
登山道を右へそれると金時神社奥の院につながる道があった。ちょっと高いところに祭られている様子だった。

金時山
【撮影】11時06分=藤原 由香里
ナヨタケかなぁ。だいぶ汚れてしまっている。

金時山、宿り石
【撮影】11時10分=伊藤 幸司
これには「宿り石」という名前がついていますが、岩陰で雨をしのげるということでしょう。山で野宿するときなど、背中側に岩壁をおいて小さな焚き火をすると驚くほど温かい夜を過ごすことができたりします。

金時山
【撮影】11時10分=藤原 由香里
金時宿り石。真ん中で割れている様子だった。なんだか桃太郎みたいだなぁと思いつつ。

金時山
【撮影】11時10分=藤原 由香里
Tさんにお約束の1枚をとらせていただいた。皆さんつっかえ棒を入れたくなるんですね。

金時山
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
一般的に女性はこういう階段状の登りを嫌がります。しかもこれなどは段差が大きい。杖(ステッキ)の感覚でダブルストックを使っている人は杖を前方に突き出して、役目のほとんどをバランスアシストに使っています。
できれば後ろに残した足の位置から2本のストックでからだを押し上げると有効なパワーアシストになるという考え方で指導しているつもりですが、現実はみなさん60%前後かな。
ストックをどこに突いているかをきちんと観察するとそのへんのことがよくわかります。糸の会の皆さんはダブルストックを使うことによって下りでは相当高い技術レベルにあるといっていいのですが、登りでのパワーアシストでもこの程度の段差なら文句を言いながらもスルスルと登っていきます。

金時山
【撮影】11時16分=伊藤 幸司
道はずいぶん荒れているということですね。木の根が浮かび出ています。とくにひげ根という感じの支根が地表に出ているのを見ると断末魔の叫びという感じがします。山で根こそぎ倒れた木をしばしば見ますが、驚くほど貧弱な根で立っていたことがわかります。
『杜の木漏れ日(福岡造園blog)』は秋田県能代市の造園屋さんのようですが『樹木の枝張りと根張りのバランス〜木が必要とする土の量や面積を考える〜』がありました。『街の緑 1(勉強及び視察)2015/01/24)』だそうです。
まあ、ごく一般論だと思いますが、次のような解説です。
【樹高が20mを超える大木が何百年もの風雪に耐えて立つためには、大きな枝張りと同じぐらいの根が必要です。
地上部を支えられるだけの力が地下部に無いと、木は倒れてしまう。
自然界では、木が自分の力で地上と地下のバランスを取って生きていますが、人間社会で暮らす木は、必要以上に枝を切られたり、道路や建物の工事で根が大幅に切られることもあります。
樹木は、根と幹、枝、葉とすべてが繋がっているので、人間による外圧で地上と地下の生育バランスが崩れると、木が衰弱したり枯死に至ったりします。】

その『地上と地下の生育バランス』を具体的に目にすることができるのは大型の樹木を移植するときの植木屋さんの作業かと思います。さすがにずいぶん大きな根だなあと思うのですが、プロはそのあたりのことを技術としてうまく立ち回っているようなのです。
『外構工事&庭造づくり専門業者 クローバーガーデン』に『植木の根回しをすると移植に失敗しない!』(2008年10月6日)という記事がありました。
【植えつけて3〜5年以上たち、根が張ってしまった木の移植は注意しなければなりません。木は植えつけて5年ぐらいたつと、当然根も伸びます。植物の根の先端の細根から水や養分を吸収しますが、移植する場合、根を切らなければならないので、先端部は切ってしまうことになります。すると水を吸い上げられないので枯れる可能性があります。
そこで、移植の少し前に根切りをし、幹に近い所に細根を発生させます。根切りすると、切ったところからたくさんの細根が出てくるのです。この移植のための根切りを「根回し」といいます。
移植のだいたい数ヶ月前から1年前に、幹の直径の4〜5倍の根回りを、幅20cmくらい掘り下げます。張った太い根を3〜4本残し、他の根は溝の内側で全部切り取ります。
残した根は、露出した部分の皮をはぎ取ります。根鉢の直径2/3くらいまで掘り下げたら、元のように土を埋め戻します。数ヶ月放置すると、切った根の先と皮をはいだ部分から細い根が発生してきます。】

金時山
【撮影】11時19分=藤原 由香里
山側の土が流されてしまい、根っこがむき出しになっている。この溝に木を埋め込んで整備している山道もあった。

金時山
【撮影】11時21分=藤原 由香里
これが水切り。土やごみが詰まっている様子はなかった。

金時山
【撮影】11時23分=伊藤 幸司
登山道が山を荒廃させている光景のひとつだと思います。ロープを張って通行止めにしているところが川になっている状況を想像できますか? 東北や北海道の山ではよく見る風景なんですが、手入れの行き届いた首都圏の山では、これなどけっこう荒れた光景だと思います。この写真をポンと出して金時山だというと驚く人が多いはずです。

登山道はそれを利用する人たちが踏みつけることで驚くほど強固に「道」としての機能を維持してくれます。昭和30年代の一大登山ブームで日本中に新しい登山道(造ったもの勝ち)ができましたが、地元の山岳会の人たちが計画的に利用することで地形図に載るような「登山道」になったものがたくさんあります(最近では多くのルートを「一般登山道」からはずし、通行禁止にするなどして登山道は行政によって整理されつつありますけれど)
人間が踏みつけた道はあんがいしつこく残るのだと思います。低山でたくさん見る峠道なんかもそうですし、関東で鎌倉古道と呼ばれるような古い街道も、生き延びていたりします。利用されている徒歩道は想像以上にタフなのです。──そのことは『朝日ハンディガイド・ふれあいの「首都圏自然歩道」』(朝日新聞社・1989年)の取材で、機械力で新しく造った接続ルートの登山道がひと夏過ぎると雑草が生い茂って埋没してしまうという例をいくつも見ました。

ここでは、人の踏み跡として出来上がった登山道が豪雨によって洗い流されてしまった姿として見ることができます。左右の樹林との段差はそれほど大きくないので、水流が破壊力を持つ前に要所要所で外に逃がしてやれれば、こんなふうにはならなかったのではないかと思われます。
問題は、登山道の補修工事の現場を見ていると、下界の造園系土木工事の感覚で表土を剥がしながら階段状の土留めをし、あるいはよほど状況が悪ければ組み立て式のハシゴや、階段状の木道を設置していくのが標準となっているようです。つまり仕上がり時点で撮った工事写真が最高の状態で、時間の経過とともに道が疲労していくという前提。だめになったらまた作り直せばいいというふうに見えるのです。丹沢などでは縦走路の崩壊が激しいので、無限に繰り返す感じのそういう補修をよく見ます。
こういう風景を見ていると、登山道の補修に関わる方々には北アルプスの燕山荘が補修している燕岳への合戦尾根(表銀座ルート)、扇沢から種池山荘へと登る柏原新道の補修技術を一度、ぜひ見ていいただきたいと思います。近いところでは丹沢の鍋割山荘の草野延孝さんの登山道補修に関する実践論も貴重です。

金時山
【撮影】11時26分=伊藤 幸司
最近、雨の「半端ない」降り方がしばしば報じられるようになりました。
『東京都豪雨対策基本方針(改定) 第1章 降雨状況や浸水被害状況などの変化』という文書に『増加する豪雨』という記述があります。
【東京においては、近年、時間50ミリを超える豪雨が増加しています。
10年間の年最大降雨の平均値をみた場合、まず、昭和10年代に強い雨の降った時期があり、昭和40年〜50年代までは徐々に低下していったものの、その後上昇に転じ、平成に入り強い雨が観測されるようになってきました。
また、昭和50年代には時間50ミリを超える降雨が観測されない年もあったのに対し、近年では、20パーセント以上の観測所で計測される年も多くなっており、時間50ミリを超える降雨の発生率は、増加傾向にあることが分かります。
このような時間50ミリを超える降雨回数の増加傾向については、地球温暖化やヒートアイランド現象などの影響も考えられることから、今後とも持続する可能性があります。】
なぜ「時間50ミリ」なのかというと、東京の下水道システムのキーワードのひとつが「1時間50mm」だからです。
『東京都水道局』のホームページに『浸水ゼロ・安全・快適!下水道(平成30年12月25日)』があって『下水道管は汚水だけでなく雨水も流しています』というイメージ解説などがあります。
【下水道局では、1時間50ミリの降雨に対応できるよう、施設整備を行っています。特に浸水被害の影響が大きい大規模地下街や一定規模以上の床上浸水が集中して発生した地域では1時間75ミリの降雨への対応を進めており、浸水からまちを守っています。】

ところが最近では「時間100mm」を超える集中豪雨が増えています。『気象庁』の『歴代全国ランキング』の『最大1時間降水量 (各地点の観測史上1位の値を使ってランキングを作成)』だとけっこうすごい、と思います。
第1位・153mm/h…千葉県・香取・1999.10.27
第2位・153mm/h…長崎県・長浦岳・1982.7.23
第3位・152mm/h…沖縄県・多良間・1988.4.28
……
第10位・145mm/h…和歌山県・潮岬・1972.11.14
……
第20位・138mm/h…沖縄県・宮古島・1970.4.19
このデータがいつ現在のものか確認できませんが、最高気温の第1位に2018年7月23日の熊谷での41.1度Cが出ているので、現在進行中と考えていいのだと思います。そして最大10分間降水量の第8位に2018年8月27日、練馬での38.5mmが出ています。これは「10分間」です。お間違えなく。
ともかく、1時間に50mm、100mmというどえらい雨が降るという可能性はどんどん高まっているのです。そういう瞬間も想像しながら「水切り」装置を加えていかないと、まさにこの場所が豪雨一発で変貌し、次に来た人をどんな姿で迎えてくれるかわかりません。

金時山
【撮影】11時28分=伊藤 幸司
これが箱根の登山道の基本的な姿だと思います。見ていただければわかりますが、この道は深さ1.5m以上の涸れ川の川底です。
ところが後ろから5人目の人は鍵型にターンしてそんなに深くない溝を登りつつあります。だから、そこまで流れてきた水をこちらに落とさずに、まっすぐ斜面に流せればいいわけです。
そういう思いでもう一度登山道を見てみると、きちんと踏み固められていて、小さな礫も表面に落ち着いているようです。ここではいま、水切りがうまくいっているのではないでしょうか。

金時山
【撮影】11時29分=伊藤 幸司
川でいえば川幅が広がって中洲ができているような場所。画面の左端に板囲いがありますから、流れの中心をそちらに持っていって、私たちが歩いているあたりを日常的な水害からは守ろうとしたように見えます。

金時山
【撮影】11時32分=藤原 由香里
まだ落ちるはずではなかったどんぐりと思われる。台風の影響だろうか、沢山落ちていた。

金時山
【撮影】11時38分=伊藤 幸司
ずいぶん根を長く張った木がありました。でも山では岩の表面に薄く土がかぶさっているだけで、根が深く入らないので地表に根を隠せるかどうかわからないような浅いところでなんとか自身を支え、かつ養分を吸い上げようと頑張ってきたのだと想像します。じつはこの木のこの根が最後には表土となって次の世代に引き継がれる……つもりなのでしょうが、自分自身が抱え込んできた根回りの土を雨水に奪い取られてしまったのです。
まだ葉を茂らせていた壮年の大樹がドテンとひっくり返った事件現場をかなり頻繁に目にしますが、こんな太くて長い根を伸ばしていることは少ないと思います。この根がまだ、かろうじて大木を支えているのだと思います。

金時山、ホトトギス
【撮影】11時39分=伊藤 幸司
花が咲いていない状態でホトトギスの仲間を見ても、何が何やらわかりません。
『金時の花たち』という素晴らしいサイトが出てきました。『高田和彦さん』が『2003年〜2005年金時山に咲いた花を撮影し、名前を調べて本に編集しました。』というのですが、ホームページでは『金時山の花「春の花」「夏の花」「秋の花」』という膨大な写真リストができています。
その『秋に咲く花の開花時期』の『9月上旬』にホトトギズがありました。
【アキノキリンソウ・アカネ・イヌヤマハッカ・ウラハグサ・オオアブラススキ・サガミギク・シオガマギク・シラヒゲソウ・スズダケ・タイアザミ・タニソバ・タムラソウ・タンザワヒゴタイ・ホソバシュロソウ・ハナタデ・フユノハナワラビ・ホトトギス・ミヤマウズラ・ヤブマメ・フクオウソウ・ヤマゼリ・ヤマハッカ。】
ホトトギズ、ヤマホトトギス、ヤマジノホトトギスといったあたりは図鑑で見ても、花がないとどうにも手が出ません。ちなみにその3種は『高尾山全植物』に載っている全3種です。

金時山、神山展望
【撮影】11時39分=矢野 博子
一時間位登ると 視界が開け 向かいには 大涌谷、そして 神山。あそこはまだ 入山禁止なのだろうか。何年か前に登ったのが懐かしいと言っても下山してからの お風呂が豪華(多分 プリンス)だったことしか覚えてないが。

金時山
【撮影】11時40分=矢野 博子
自由奔放にキテレツに枝を伸ばしている木。これはこれで存在感有りかと 思わずシャッターを。

金時山、仙石原展望
【撮影】11時41分=藤原 由香里
視界が開けた。芦ノ湖とそれを囲む山々が見えている。富士山はどこなんだろう? 見えないのかな? と心配になる

金時山、仙石原展望
【撮影】11時43分=伊藤 幸司
振り返ると仙石原が広々と見えてきました。奥に芦ノ湖の水面がチラリと見えていますが、それからすると一番奥(左側)の山は三国山、そこから右に下ったところが湖尻峠。そこから登り返して外輪山はこの金時山へと延びてきます。

金時山、ツルリンドウ
【撮影】11時43分=伊藤 幸司
これはツルリンドウではないかと思います。
『高田和彦さん』の『金時の花たち』の『『秋に咲く花の開花時期』の『8月下旬』にツルリンドウがありました。
これも花か実がついていればわかるのですが……。
【イガホオズキ・イヌトウバナ・オクモミジハグマ・ガンクビソウ・キバナアキギリ・クサボタン・コオニユリ・シロヨメナ・ツルニンジン・ツルリンドウ・ヌスビトハギ・ネコハギ・ノコンギク・ノササゲ・ハンカイシオガマ・フシグロ・マツカゼソウ・ミヤマヤブタバコ・モミジガサ・ヤブタバコ・ヤブレガサ・ヤマホロシ・ミヤコグサ・マルバハギ・ミヤギノハギ・ヤマハギ・クマヤナギ。】

金時山
【撮影】11時45分=伊藤 幸司
公時神社からのルートは、標高約900mあたりから急斜面をジグザグに登る道になります。きちんと整備された道という感じです。

金時山
【撮影】11時45分=藤原 由香里
所々に見られた、クワガタソウにも似た直径1.5〓

金時山、神山展望
【撮影】11時46分=伊藤 幸司
明神ヶ岳から金時山へとたどってくる外輪山縦走路に合流するところで、展望が開けました。標高約1,050mあたりです。
これは中央火口丘にして箱根火山の最高峰・神山(標高1,438m)。中腹に大涌谷の噴煙が見られます。そして手前の集落は仙石原。公時神社を境外末社とする諏訪神社がその集落の中にあるということです。

金時山、大涌谷展望
【撮影】11時48分=伊藤 幸司
大涌谷をすこしクローズアップしてみました。

金時山、明神ヶ岳展望
【撮影】11時48分=伊藤 幸司
これは明神ヶ岳(標高1,169m)です。こちらから縦走する場合は、手前に折り重なっている山稜を、律儀にたどることになります。

金時山
【撮影】11時49分=伊藤 幸司
ここが外輪山縦走路への合流点。先にいた男性がなんかの花を見たと皆さんに説明していましたが、最後尾の私にはよく聞き取れませんでした。

金時山、ヤマボウシの実
【撮影】11時57分=藤原 由香里
赤いイチゴとサクランボのあいの子みたいなヤマボウシの実。美味しいよと言われるがままにかじってみた。確かに果物系の甘い味がした。

金時山
【撮影】11時59分=藤原 由香里
菊系の花のようだが花びらの先が割れていて可愛らしい花。他の花とはまた違っていた。

金時山、箱根火口原
【撮影】12時01分=伊藤 幸司
金時山への登りにかかると、展望台があります。山頂までの間ではここ1か所ですかね。休憩したい場所ではありましたが、この区間でトップにいた人はそのままどんどん行ってしまいました。べつに、山頂から見られる風景と大きくは違わないので、それでも結構。振り向きながらの行動記録としての写真です。

金時山、ダイモンジソウ
【撮影】12時09分=伊藤 幸司
ちょっと自信がないのですが、ダイモンジソウですかね。『高田和彦さん』の『金時の花たち』によれば金時さんにこの時期、あることは間違いないのですが、5枚の花びらが揃っているものを見てみると長さが均等。大の字になりません。かといってジンジソウでもないし。葉っぱはまちがいなくユキノシタの仲間のように見えますし。

金時山
【撮影】12時11分=伊藤 幸司
縦走路に合流した途端、急登です。ダブルストックを使っても使わなくても登れる道ですが、どこまできちんと使えるかどうかで力量がはっきり見えてきます。この先に難しい場所があるようなところなら、私は立場上、そういう観察を心がけます。

金時山
【撮影】12時12分=伊藤 幸司
ロープを垂らしてありますが、このレベルでストックでは登れなくなっています。この場所で「きちんと立つ」という動作を確認してもらうことがとりあえず重要かな、と思います。

金時山、富士山遠望
【撮影】12時14分=矢野 博子
金時の魅力は 何といっても 山頂から眺める富士山でしょう。この日は 行きのバスの中から始まり そして帰りのバスの中からまで 一体この日は 何枚富士山の写真を撮ったか分からないけど この一枚が一番気に入ってます。

金時山、富士山展望
【撮影】12時17分=藤原 由香里
山頂に到着。風が強く吹いていた。富士山も見えたが、雲がかかったり取れたり忙しく変化していた。いっそのこと全部雲が取れてくれたらと思いしばらく離れられなかったが、その願いはかなわず頭の上を見せてくれている程度に終わった。雪がかぶっている時期にでもまた来よう。Tさんは、「こんな風に見える富士山もいいねぇ」と言ってくれた。

金時山、箱根火口原展望
【撮影】12時20分=伊藤 幸司
金時山の山頂に立ちました。これがその第一印象。
さっき芦ノ湖の水面の向こうに見た三国山(標高1,102m)がやはり一番奥に見えます。箱根町港から歩きだして三国山を超え、湖尻峠まで歩いたことがありましたが、今年8月に再び計画した「三国山」では『山伏峠〜三国山〜湖尻峠 崩落のため通行できません』ということで山伏峠までで終了しました。
またこの後10月には「箱根・丸岳」という計画で金時山の乙女峠からこの写真の右端中央にそびえている丸岳(標高1,156m)を経て長尾峠まで歩くつもりです。逆に箱根湯本駅から明神ヶ岳を経て金時山までの外輪山縦走はいろいろ計画してきました。歩くに連れてどんどん景色が変化するという意味で、いずれもすばらしいルートです。

金時山、大涌谷遠望
【撮影】12時20分=伊藤 幸司
大涌谷をふたたびクローズアップしてみましたが、知っている人にしかわからないかもしれません。噴煙を上げる谷の手前の稜線の最高地点あたりに箱根ロープウェイ大涌谷駅の建物がなんとなく見えています。ロープウェイはそこから左右に延びているのですが、この写真ではわかりません。

金時山、神山展望
【撮影】12時20分=伊藤 幸司
金時山の頂上に立ったところで、まずは中央火口丘にして箱根山の最高峰・神山(標高1,438m)を撮りました。中腹に見えている白いモヤモヤは大涌谷の噴煙です。噴煙の手前、標高1,045mの台ヶ岳の裾野に広がる緑の空間は仙石原のすすき草原です。神山(背後には駒ヶ岳も隠れています)の右下には芦ノ湖が見えています。

ところが後で金時山の地質を調べていたら、この写真に写っているものの解説が見つかりました。
サイト名がわからないのですが三島市にお住まいの静岡県地学会会員・相原淳さんという方の個人的なものらしく、『富士山の地学』と『自然科学と実験』という2つの大きな柱を持っているらしく、その『富士山の地学』の『1.富士山の地質と火山』に箱根火山が出てくるのです。
まずは概観。【箱根火山の外輪山の外側斜面は全体的にみると、大きな火山の山麓に見える。その後の火山活動、陥没カルデラ、浸食などにより箱根火山の地形は大変複雑になっている。地表面の地質調査から全体を把握するのは難しい。
 湯河原火山は、南へ離れており、時代も古いので独立した成層火山と考える。また金時山は独立した成層火山という調査があり、時代的には、箱根火山よりもっと古い時代にできたとみるのと、箱根外輪山形成期にできたとみる二つの見解がある。前者の古い時代にできた成層火山と考えるのがよいと思う。】
そして『中央火口丘の噴火』
【箱根火山には北西から南東の方向に断層が走っている、これを金時ー幕山構造線と呼んでいる。
 4.5万年前から、第二期カルデラ内の金時ー幕山構造線にそって噴火活動が行われ、台ケ岳・神山・陣笠山・駒ヶ岳・二子山(約5000年前)など7個の火山が次々とできた。このようなカルデラの中に新しく生まれた火山を中央火口丘(central cone)という。箱根火山の中央火口丘の溶岩はほとんどシソ輝石安山岩である。】

金時山、富士山展望
【撮影】12時21分=藤原 由香里
富士山はいろんな角度から見られるが、金時から見る富士山はややふっくらしている。左に見えるギザギザは浅間大社のあたりなのではなかろうか。

金時山
【撮影】12時23分=藤原 由香里
芦ノ湖に船が出ている。あの周りの山の中を歩いたのだと思うと親しみが沸くのだった。

金時山
【撮影】12時28分=藤原 由香里
山頂にいた猫。ニャウニャウとよくないていた。

金時山、富士山展望
【撮影】12時30分=藤原 由香里
外国人旅行者と思われる方と10名弱すれ違ったのではないだろうか。軽装ではあるが、日本に来て登山をするという旅行スタイルは流行っているのかな?

金時山、公衆トイレ
【撮影】12時33分=伊藤 幸司
金時山山頂のトイレは、以前は2軒の茶屋それぞれの古い野外トイレをお借りするかたちでしたが、山頂に公衆トイレができました。
『カナロコ』という『神奈川新聞』のサイトに『金時山にバイオ式公衆トイレ設置へ、8月末に完成/南足柄』という記事が出ていました。ただし(公開:2010/05/11 19:59 更新:2015/03/05 21:20)というので何年の記事なのかわかりませんが。
【環境省は南足柄市と箱根町、静岡県小山町の境界にある金時山(1212メートル)の山頂にバイオ式公衆トイレを建設する。今月下旬に本格着工し8月末に完成する予定で、予算は約1億円。山頂にあるトイレが老朽化するなどしたため、地元自治体が要望していた。
市などによると、金時山は箱根外輪山の最高峰として人気を集め、年間で27万人が訪れるという。現在、登山客は30円の協力金を支払い、小山町が設置し茶屋が管理するトイレなどを使っている。新トイレでは、利用者から1回100円の協力金を集めることを検討している。関係自治体で委員会を作り、維持管理方法について協議している。
環境省関東地方環境事務所によると、トイレは県境上に建設。おがくずで繁殖させた微生物で汚物を処理する。木造平屋で30平方メートル。男性用は大1、小2、女性用3をそれぞれ設け、1日に400人が使用可能という。太陽光と軽油による発電設備を併設する。
資材をヘリコプターとリフトなどで運搬するため、工事期間中は乙女峠からの登山道の一時通行規制などが行われる場合がある。】

この記事の【トイレは県境上に建設】というのはきわめて重要な記述なのですが、それはともかく、ここでは『バイオトイレ』を調べてみました。
なんと『ウィキペディア』に『バイオトイレ』という項目があったのです。【この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2015年11月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年11月)】……だそうですが、もともと「責任編集」という体制をとっていない百科事典ですから、書きたい人がまず書いて、それをどんどん修正するというこの慌ただしい方式に合理性を感じます。

さてバイオトイレですが、ここで紹介すべきだと思った根拠はこの文章です。
【特徴──水洗式でないために、どんな場所にでも設置できるという点である。(加熱式の場合は電源が必要。)また、汲取り作業を必要としないため、屎尿汲取り車両の立ち入れない場所への設置も可能。排泄物を垂れ流す事も無いため、近年問題になっている登山愛好者の排泄物問題解決の糸口としても注目されている。実際に金時山(神奈川県・箱根足柄山地)の山頂はじめ、バイオトイレを設置している山小屋も各地にある。間接的ではあるが、汲取り費用が不要になり、恒常的なランニングコストの低減も期待できる。】
およそどんな方式なのかというと……
【構造──おかくず等を便槽の中に詰め込んであり、排泄された糞尿を、おがくず等とともに攪拌して好気性微生物を活発化させ、分解・堆肥化させる。大きく分けて電気ヒーターなどにより高温加熱する方式と加熱しない方式に分類できる。また、糞尿を全て一緒に処理する方式と、固形分(糞)と液体分(尿)を分けて処理する方式に分類できる。
糞尿に含まれる水分は、蒸発により放出させるか、または別に分けて処理する。残った有機物を、おがくずの中に住みついている好気性のバクテリアが分解する。最終的には、土化したおがくずと、再利用可能な堆肥を生成する。
処理機内のオガクズの量は、その処理能力によって様々であるが、1日当たり処理数×0.01立方メートル程度が必要である。処理能力相応の使用状態での、おがくずの寿命は6ヶ月程度であるが、処理能力を上回る使用下での寿命は著しく低下する。
好気性微生物の活性化のため、便槽の撹拌が必要であり、手動ハンドルなどによって撹拌するものと、電気モーターで撹拌するものとに分類される。
原理的にはコンポスターと同様であるため、生ごみ処理機としても利用できる場合もある。故障防止のため、骨などの固形物を細かく砕かなければならない場合がある。この他、ペット用や室内設置用の家具調、家畜用のバイオトイレもある。
「水を使わないトイレ」として、NETIS(新技術情報提供システム)に登録された技術である(登録No.HK-040017)。】

たしかに文章には【独自研究が含まれているおそれがあります】けれども、熱意が感じられます。よくわかります。山で体験するいろいろなバイオトイレの基本構造の部分が。関心のある方は全文お読みください。「バイオトイレメーカー」もリストアップされています。それぞれが独自の技術で世界に打って出ているということでしょう。
ちなみに、金時山山頂のこのトイレには『バイオトイレの仕組み』というイラスト付きの解説プレートがありました。それによると
『1.屎尿が発酵槽に入る。
2.スクリューが回転し、初期セットのオガ粉と屎尿は混合されます。
3.微生物の活動により発酵槽温度は60℃〜70℃に達し、屎尿の水分の全量は蒸発します。残った屎尿の固形分(約5%)は微生物によって分解されてしまいます。このようにして全ての屎尿は分解消滅するのです。
4.発酵維持のために定期的に(4ヶ月〜6ヶ月に1回)新しいオガ粉を約18リットル程度便器から補給します。この時同量の初期セットされたオガ粉を取出口より取り出します。これが微生物によって分解されて、良質な無臭の堆肥になっているのです。
緊急連絡先 小山町役場商工観光課 電話76-6114)』

金時山
【撮影】12時35分=藤原 由香里
金時娘の茶屋のキノコの味噌汁。2.5人前だそうである。なぜ?

金時山、山頂
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
金時山山頂のふたつの茶店は、静岡県の「金時茶屋」と神奈川県の「金太郎茶屋」が県境をはさんでほぼ向かい合っています。
金時茶屋の「金時娘」(昭和天皇に「金時娘」と呼ばれたのでこれは固有名詞とのこと、したがって歳をとっても「元」はつけないというのがご当人の口癖)と金太郎茶屋の勝俣睦江さんがほとんど365日茶屋を開いて県境をはさんでのライバル意識がメラメラと燃え続けてきたのです。
その「金時娘」は自他ともに認める有名人なのですが、金太郎茶屋の睦江さんについてはあまり知るチャンスがありません。
じつは両おばあちゃんが両県代表の(たぶん)いいライバルとして雨の日も雪の日も山に登って仕事できたのも、じつはこの装置がそれぞれの茶屋を支えてきたからです。まさか人は乗らなかったでしょうが、林道末端から荷物を運び上げることで「毎日登山」の人たちを確実に受け入れられる体制を整えてきた重要な裏方だと思います。

さて神奈川県代表の勝俣睦江さんですが『金時大好き 社労士森雅弘のブログ』に『金太郎茶屋のおばさん』(2011年10月21日)があって、神奈川新聞の2008年11月9日付けの神奈川新聞の記事が画像で添付されていました。
まずはそのブログの文章から。
【妻が昨日、私物を整理していたら新聞記事のコピーがでてきました。
なつかしぃ〜。
金時山頂の金太郎茶屋のおばさんの記事です。日付を見ると平成20年11月9日。約3年前かぁ。。。
おばさんのファンも多く、おばさんを慕って顔を見に登る常連さんが沢山いました。小屋が忙しいときは、誰これなく、常連さん皆んなでお手伝い。活気がありました。
記憶は定かではありませんが、翌年の2月頃を最後に引退。45年間御苦労さまでした。
通算で15,000回以上登ったとか。驚きです。
また、記事にある通り、百キロ近くの冷蔵庫を担いで登ったりしたことも。。。。
後を継いでいる次男の勝俣ご夫婦に近況を聞くと、今は、箱根町々内の老人施設で余生を送っているとのこと。
お元気なうちに、もう一度会いたいなぁー。】

その新聞記事の内容です。
【金時山の金太郎茶屋 笑顔で迎え半世紀 “スーパー82歳” 健在
静岡県との県境にそびえる金時山(1,213メートル)。金太郎ゆかりのこの山の頂上に「金太郎茶屋」=南足柄市金時山=が立っている。店主の勝俣睦枝さん(82)=箱根町仙石原=は雨の日も雪の日も山へ通い、約45年にわたってほぼ毎日、登山客のために茶屋を開けてきた。多くの常連客らに慕われている睦枝さん。「お疲れさん」とさりげない温かな笑顔で迎え入れてくれる。(柏木 智帆)────
 午前5時半すぎ、リュックサックを背負って黄色い長靴を履いた睦枝さんは、林道の登山口から1時間10分かけて頂上を目指す。到着すると、茶屋から望むのはすそ野までなだらかな富士山。「登る山でなく眺める山」と睦枝さんは言う。
 茶屋は1957年6月から営業を開始。当初は義妹たちが営業していたが、62年5月からは睦枝さんが引き継いだ。これまでに2度の火事で休業を余儀なくされたこともあったが、4人の子供たちを育てながら茶屋を開き続けてきた。
 火事の再建のための木材を担いで1日にふもとと山頂を5往復したことや、40代のころには100キロ近くの冷蔵庫を背負って登ったことも。2、3年前には下山する際に転んで岩に顔面を殴打。目の上を15針縫うけがを負ったが、2、3日休んだだけですぐに復帰。「家で座ってテレビを見ていると疲れるし、雪の日でも登ってくる人がいるからね」といい、昨年1年間で茶屋を休んだのはたった2日という “スーパーおばあちゃん” だ。
 茶屋は次男の嫁の久枝さん(56)や子供たちが手伝ってくれている、常連客の支えも大きい。外国人客向けにメニューを英語で書いた静岡県三島市の元高校教師手塚厚夫さん(71)も登頂1400回の常連。「この茶屋で元気づけられて下りてくる。つらくてもまた登りたくなる “金時病” にかかっている」と笑う。茶屋自慢の山菜うどんやみそ汁を利用客に運んで手伝う手塚さんの妻・君枝さん(67)も「おばさんは心があったかい」。
 店内の壁には常連客たちの名前や登頂回数が書かれた木札がずらり。睦枝さんを慕う常連客たちの思いで茶屋は活気づいている。】

金時山
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
山頂の主みたいな顔をしたネコがけっこうな早足で巡回中。私のカメラではきちんと追いきれませんでした。

金時山、猪鼻神社
【撮影】12時38分=伊藤 幸司
山頂に置かれた祠。金時茶屋の前にあってぐるりと柵を巡らせているのでなんだろうと思っていたら、4月20日にはここで「猪鼻神社大祭」が行われるとのこと。
猪鼻神社を調べてみるとこの金時山(猪鼻岳)山頂が「鎮座地」となっています。どうもこれがその「猪鼻神社」らしいのです。だから山によくある祠とは違って、サイズも立派なら周囲を一種の境内地として囲ってあるということなのでしょうか。
そんなことがわかると、金時茶屋のいわば玄関前にあるこの大きな祠は「金時娘」の父・小宮山正と話がどこかでつながっているかもしれないと、ふと思わせます。
金時娘の小宮山妙子さんは13歳から父親がやっていた茶屋の手伝いを始めたということですが、父親の正さんは富士山の荷揚げ人夫「強力(ごうりき)」として有名でした。新田次郎の小説『強力伝』では白馬岳山頂に据えられている重さ50貫(約200kg)という巨大な方位盤を持ち上げた小宮山正さんがそのモデルです。
『富士山人 FUJIYAMANCHU』というサイトの『富士山雑学』に『著名な富士山強力』があって、梶房吉、小宮山正、並木宗二郎の3人が選ばれています。
【小宮山正……御殿場の人で、旧姓勝又。足柄村の小宮山家へ養子に入って別姓となる。新田次郎氏が富士山観測所に勤務(昭和7年〜昭和12年)していた頃、氏と知り合いになる。御殿場の強力の中でも抜群の力持ちで有名であった。風景指示盤を白馬岳に上げた2年後に体をこわして亡くなった。180kgもある風景指示盤を白馬岳へ持ち上げたことを題材とした新田次郎著「強力伝-二十世紀最後の職人の魂」の富士山強力のモデルである。】

この祠、重そうですよね(この写真では大きさ、わかんないか!)。向かいの茶屋の元主人が富士山強力のチャンピオンですから、彼以外に誰が持ち上げたの? という感じですけれど。

金時山、公衆トイレ
【撮影】12時38分=伊藤 幸司
山頂の公衆トイレをきちんと撮っておきました。その右隣の建物が神奈川県の金太郎茶屋。左側に見えるのが静岡県の金時茶屋の端っこです。左手前にある柵が静岡県の猪鼻神社の祠。するとトイレと金太郎茶屋の間にある祠は何だろう? それにその手前、道標の脇にある石柱こそ金時山山頂の3等三角点。

金時山、山頂
【撮影】12時39分=伊藤 幸司
「金時娘の茶屋」という看板があるのが金時茶屋。このとき今回の参加メンバーほぼ全員があちらに入りました。金時娘さんがいたそうです。そして金太郎みたいな雰囲気の息子さんも。

金時山、山頂
【撮影】12時39分=伊藤 幸司
こちらは金太郎茶屋と「山頂」のマサカリ。

金時山、富士山遠望
【撮影】12時45分=伊藤 幸司
この日、富士山はあまりはっきりしませんでした。
じつはここから富士山方向に下れば、そこはもう御殿場、富士山の登山口のある街です。そんな近い関係にあるのに、いつもなんとなく遠く、冷ややかな関係に見えるのは、じつは私のせいなんです。
この時、私は15回目の金時山、もちろん富士山は何度も見ていますが、パッと思い出せる富士山はあまりないのです。
ところが同じ箱根外輪山の、少し遠い位置にある明神ヶ岳の山頂からなら、金時山と重なって見える富士山のかっきりと印象深い光景を何度も見ているのです。つまり(私と一緒に)富士山を見たければ、金時山より明神ヶ岳という法則が、今回もまた実証されてしまったということなのです。皆さんには申し訳ないことながら。

金時山
【撮影】12時55分=藤原 由香里
金太郎と言えば必須アイテムのマサカリ。熊ではないのだな。

金時山、山頂
【撮影】13時00分=伊藤 幸司
はっきりしない富士山と、はっきり見えないみなさんの表情の記念写真。

金時山
【撮影】13時07分=藤原 由香里
下山時は木漏れ日の中を下る。

金時山
【撮影】13時10分=伊藤 幸司
山頂から、乙女峠へと向かいます。箱根外輪山の縦走路です。
このあたり、じつは冬に雪がつくと往生する人を何人も見るところです。2軒の茶屋が基本的に無休でオープンしている上に「毎日登山」やら「千回登山」という人たちもいるので、つられて登ってくる人も多いのです。
登りは滑りやすいとはいえなんとかなるのですが、このほんのちょっとした下りでドタバタする人が出てくるのです。しかもほんの数か所ですが、滑ったら一気に大事故になりそうな猪鼻岳の鼻っ柱のところですから緊張します。
結局大きな事故はあまり起こらないようなのですが、山の厳しさも体験させてくれるのです。
私たちは軽アイゼン(糸の会の標準装備は手のひらに載る「4本歯」などと呼ばれる──安いけれど危険、と評判のよくないやつです。冬の計画は全部、その軽アイゼンとダブルストックで歩ける山に限定しています)ですが、それが茶屋のおばあさんに不評なこともありました。金時山の登山道を護るには、歯のついたものではなく、昔ながらの荒縄を靴に巻くようなものにしてほしいと、やんわりと言われたこともありました。
そういう意味で、この一見なんでもない最初の急な下りは、冬の金時山では肝の部分といえるだろうと思うのです。

金時山、ツエタケ
【撮影】13時15分=伊藤 幸司
これは探しにくいキノコでした。こんな細くて真っ直ぐな柄のキノコですから簡単にわかると思いグーグルの画像検索で「茶色いキノコ」からはじめました。ところがなかなかひっかからない。
そのうち突如、『きのこ検索(色・形)』というページに出ました。
大きな表組みなのですが『第4検索』のところをクリックするとキノコの写真が出てくるので、とりあえず手当たり次第見ていきました。なぜなら、この「第1検索・シイタケ型のきのこ」では傘の裏側を見ていないとまったく手がかりがないからです。
結論から言ってしまうと『1.シイタケ型のきのこ』で『2.傘の裏側がひだ状』で『3.ひだの色が淡色(白、黄、オレンジ)』で『4.きのこは地上または落葉上に発生し柄は皮質で丈夫』
というところでツエタケに行きつきました。
その検索システムは何だ? と調べてみると。
『JATAFF 公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会』の巨大なサイトの中にある『読み物コーナー』の『野生きのこの世界 柴田尚』で【著者が多年の研究を通じて収集した野生のきのこを精細な写真を示して解説しています。各種検索もできます。】とありました。
……で「ツエタケ」を検索してみました。
『ツエタケ』
【夏から秋にかけて各種の広葉樹やアカマツ、竹などの林内地上に発生する。細長い姿を杖に見立てての命名である。柄の根もとは深く地中に入りこみ、 掘っていくと時には40cm近くの長さになる事もある。
[特 徴]傘は初め半球形からまんじゅう形で後には平らに開くが、中央部は山形にふくらむ。色は淡灰褐色から淡褐色で表面には多くのシワがある。 湿っている時はぬめりがある。ひだは白色で並び方は疎。柄に直生から上生する。柄は細長く、傘とほぼ同色で上部はやや淡色となる。根もとは土の中に深く入りこむ。】

長くなったついでにもうひとつ。ホクト株式会社の『HOKTOきのこらぼ』のきのこアルバムに『ツエタケ(広義)』がありました。
【8月も下旬、朝晩の涼しい風が心地よい季節になりましたね。
秋の気配が徐々に近づいてきておりますが、夏に続き、秋も野生のきのこのベストシーズン!
今回は、そんな秋に発生するきのこ「ツエタケ」をご紹介します。
ツエタケは、漢字で書くと「杖茸」と書きます。
細長い柄が杖に似ていることからそのように呼ばれますが、この柄、実は非常に特徴的なんです。
どのような特徴があるかというと……
何と、柄が地中深くまで伸びていて、長いものでは30cmにも及ぶそうです。
(写真は途中まで掘ったもの。この下にもまた柄が続いています)
この柄の部分は“偽根(ギコン)”と呼ばれており、その働きはまだ明確にはわかっていないそうですが、地中深くまで伸びているとは、なんだか植物の根のようですね。
また、地中に伸びる柄は30cmにも及びますが、地上の柄の部分は、長くても10cm程度。
あまり大きくないきのこだけに、地中でそんなにも柄が伸びているとは驚きです。
☆ちなみに、通常きのこは“菌糸”と呼ばれる糸のような細胞を地中にはりめぐらせて、地中の栄養分を得て生息しているため、このように柄が伸びていることは特殊だそう。植物の根とも異なるものです。
また、ツエタケは傘の裏側が白いことや、傘にシワがあることも特徴です。
雨の後など空気が湿っている時には、傘の表面が強い粘性をもちます。

さらに、ツエタケは近年、研究者や専門家の間で話題に上ることが多いきのこ。
その理由は、今まで「ツエタケ」と呼ばれてきたきのこが複数の種類に分けられることが判明したからだそうです。現在、それぞれのきのこに新しく名前が付けられています。
(例えば、ブナノモリツエタケ、コブナノモリツエタケ、マルミノツエタケ等…)
新名称がつけられた今、「ツエタケ」という呼び名は、それぞれのきのこの総称として使われることが多いそうですが、それまで「ツエタケ」と呼んでいたきのこの名前が変わるというのは、何だか不思議です。
と、いうことは…「ツエタケ」と呼ばれるきのこ自体はなくなってしまうのかもしれません。
やはり、きのこの世界はまだまだ私たちの知らないことがたくさんありますね!
ちなみに、それまでは食べられるきのことして扱われてきましたが、複数種に分けられた今は、どれも食毒不明なものとして考えたほうが良いそうです。
山や畑、芝生など様々な場所で野生のきのこを目にする機会もあるかもしれませんが、お召し上がりになる際はくれぐれも注意して、必ず専門家の方に確認をしてからにしてくださいね!】

金時山、ヤマボウシの実
【撮影】13時15分=矢野 博子
今回の山歩きで 所々に落ちていた赤い実。ヤマボウシの実と教えて頂いた。口にすると ぬるっとした果実だった。100歩譲ってマンゴーかパパイヤか。これだけ沢山落ちているということは 花の時期はさぞかし見事だろうと思いを馳せた。

金時山
【撮影】13時18分=伊藤 幸司
この段階の道の侵食なら、水切りを心がけるだけで維持できるように思われます。ヤセ尾根なので、水量があまり多くならない、ということが考えられます。

金時山
【撮影】13時21分=藤原 由香里
下山時にもヤマボウシが沢山落ちていた。上を見上げてヤマボウシの実がどこから落ちてきたのか探すのだが、どれがヤマボウシの木なのかもわからず、実がなっているところもわからず残念だった。

金時山
【撮影】13時27分=藤原 由香里
木からもじゃもじゃと生えている草? 時々見かけるがこれは何なのか?

金時山
【撮影】13時28分=藤原 由香里
山道途中の展望台のような所からの眺め。仙石原の青々としたススキが見える。

金時山
【撮影】13時30分=藤原 由香里
苔の先端に水滴がついて、まるで宝石のようだといつも思う。

金時山、クサウラベニタケ
【撮影】13時39分=伊藤 幸司
これは「褐色のきのこ」で画像検索してみたら似た顔つきということでクサウラベニタケの確率がかなり高いと判断するに至りました。想像が半分以上ではありますが。
『きのこ図鑑』の『クサウラベニタケ』に詳しい解説がありました。
【環境……クサウラベニタケはブナ科の広葉樹などの林の地上に群生します。
季節……夏〜秋
特徴……クサウラベニタケのカサは直径が3〜8cmほどの大きさで色は薄い灰色〜灰褐色です。形は幼菌時は半球形で成長すると中央がやや高くなった形で平らに開いていきます。表面には湿気があるとヌメリがでますが、乾燥すると絹糸のような光沢があらわれます。
ヒダの色は最初、白色ですが、じょじょに薄い紅色を帯びていきます。ヒダのフチは折線グラフのように不規則に乱れており、細かい鋸の歯のようなギサギザが見られます。
クサウラベニタケの柄の長さは5〜10cmで、その長さの割にはやや細い印象があります。やや根元の方が太く、中身には空洞があり、色はほぼ白色。表面にはうっすらと条線があります。
肉は表面とほぼ同じ色をしており、味は特になく、ニオイは僅かな粉臭があります。柄の部分の肉はスポンジ状です。
クサウラベニタケは一見、毒がありそうな見た目ではなく、食用キノコである「ウラベニホテイシメジ」や「ホンシメジ」と似ている為、誤って食べてしまう事が多い毒キノコです。】
【毒……毒キノコ。クサウラベニタケは食べると消化器系の中毒症状が起こり、下痢、腹痛、嘔吐などの症状があらわれます。
最も食中毒を起こした件数が多いキノコだといわれており、特に注意が必要です。】

金時山、クサウラベニタケ
【撮影】13時39分=藤原 由香里
つやつやのキノコ。多分これはクサウラベニダケと言っておなかが痛くなる毒キノコなのだ。

金時山
【撮影】13時42分=伊藤 幸司
頂上直下の急斜面は下るに従って心地いい……というか、楽しい……というか、目先の変化を楽しめる雰囲気になってきました。

金時山
【撮影】13時48分=伊藤 幸司
急な下りが一段落すると、周囲は深い森になります。そしてこのあたり、6月にはヤマボウシの白い花がたくさん咲きます。右側が急斜面なので、大木のヤマボウシが目線の高さに見えたりするので印象に残るのです。

金時山、ヒメシャラ
【撮影】13時48分=伊藤 幸司
道際に1本、ヒメシャラの巨木がありました。

金時山
【撮影】13時50分=伊藤 幸司
こんな変わったかたちのもの、「きのこ」だと思いますが、かなりの時間、ネットで調べてもわかりません。2本足で立って、腕組みして、なにか思案しているような姿にも見えます。
一番怪しいのではアシボソノボリリュウタケというのが色合いといい、脚細の感じといい、上部の肉感といいそっくりなのですが、傘に当たる部分が太ったV字、大昔の野球グローブみたいなのに対して、ヨーロッパで人気の食用キノコだというノボリリュウタケだと上半身はこんな感じのものもあるようですがアシ(柄)が太い。スカートを履いて立っているようです。
ともかくほかに類似のきのこは見つかりませんでした。いずれにしても、2本のきのこがこんがらがっている可能性が高いという疑いが残りました。

金時山
【撮影】13時50分=伊藤 幸司
尾根道でも、尾根の幅が広がると雨水の破壊力も大きくなって、くるのだと思います。

金時山、クチベニタケ
【撮影】13時53分=伊藤 幸司
これはクチベニタケというのだそうです。きのこの中でも腹菌類というのだそうです。
『きのこ図鑑』に『クチベニタケ』がありました。
【クチベニタケは通常のキノコであればカサがあるべき部分に球形の頭部があるキノコでその頭部の直径は1.2〜1.5cm程度、頂にある赤橙色の星形の胞子撒布孔がまるで口紅を塗っている唇のようにも見える事が名前の由来となっています。
クチベニタケの頭部の表面は粉状またはひび割れ状で色は淡い黄土色。成熟した個体であれば内部に白っぽい色をしたクレバが形成されていて胞子が熟した状態になると口の部分に穴が開き胞子が放出されます。
頭部から放出された白色の胞子はまるで煙のように拡散していきます。
柄の部分はあまり目立ちませんが軟骨質で十数本の束になっており、半透明のやや黄色みがかった色をしています。また、土で隠れた根元部分には根のような箇所があり、しっかりとキノコ全体を支える構造になっています。】

金時山、クチベニタケ
【撮影】13時53分=藤原 由香里
可愛いい風貌の口紅茸(くちべにたけ)。まさに見たまんまのキノコだ。成熟すると星形の所からクリーム色の粉(胞子)を出すらしい。

金時山
【撮影】13時54分=藤原 由香里
土からいきなりキノコが生えている。紅日傘(ベニヒガサ)かな?

金時山、ヤマボウシの実
【撮影】13時56分=伊藤 幸司
これはキノコではなくてヤマボウシの実。たくさん落ちていました。
『柴垣グリーンテック』というのは名古屋市のイングリッシュガーデン専門店だそうですが『[食べてみた]街路樹にヤマボウシの実が美味しそうになっていたので改めて食べてみた 2015-9-1』というレポートがありました。
【皆様こんにちは!名古屋市守山区で外構と庭の専門店をしている、イギリス帰りのガーデン&エクステリアデザイナー『ガーデンドクター柴ちゃん』がお送りする柴ちゃんブログ。
今日は守山区の旭街道に街路樹として植わっていたヤマボウシの実が、たわわになっていたので改めて食べてみようと思い採取してきました。
■ヤマボウシは街路樹として使えるほど強くてよい植木
ヤマボウシは以前お勧めの植木としても紹介しましたが、とても良い植木です。
5月の初旬ごろに手裏剣のような花を咲かせて楽しませてくれるし、とても強い植木。
株立ち樹形にもなる事が出来るので、植える植木の本数が少ないおうちなどでも、緑量を多く見せる事が出来るのでとても重宝します。
そして、今回ご紹介するのはヤマボウシの実。
写真は、採取した街路樹です。オレンジ色のヤマボウシの実が沢山なっていますね。
今回は街路樹になっているものを採ってきました。このままでは、床に落ちてぐちゃぐちゃになってしまいます。もったいないですよね。それに、潰れると多分滑ります。歩道に落ちるので、自転車に乗る人は気をつけたほうがいいと思います。因みに、この街路樹は守山警察署の北にあるサークルKさんの駐車場の真ん前にありますので、気になった方はこちらへ採取しに行くのも良いのでは?
■実を洗って食べる
早速食べてみます。その前に大切なのは洗浄。なんと言っても街路樹ですから、車の排気ガスなどで汚いはず。確り洗って汚れを落とします。
すると、心なしか実全体がやわらかくなっている気がします。
食べやすくなったかな?
切断面を見ると熟していて非常に美味しそうに見えます。
さあ、実食です!
あ、あまーーーい!!!これは予想以上に甘いです。
味は何となく「びわ」に似ているような気がします。
しかし・・・・、や、やっぱりじゃりじゃりする!!!
そうです。ヤマボウシの実は口の中に何か小さなものが残ってじゃりじゃりする。
これは、なんと言いますか、「ナシを食べた時にちょっとざらつく感じを10倍にしたくらいの感じ」といいましょうか。とにかく口の中にじゃりじゃり残ります。
外皮はかなり硬い。また、中にはピーマンの種くらい小さいですが、硬い種が入っています。
しかし、好きな人もいるようで、毎年好んで採取して食べるというもいます。
それにしてもヤマボウシの実はドラゴンボールに出てくるドドリアさんに似ていますよね。
色が余り似てないんですね・・・
お庭のシンボルツリーとしても使えるとても良い植木です。
お勧めします!!!】

金時山
【撮影】13時57分=伊藤 幸司
なんだかよくわかりません。枯れ木(だったように思います)にいろんな住民が移り住んできました。菌類だったり、コケ類だったり、シダ植物(ノキシノブか?)だったり、にぎやかに。

金時山
【撮影】13時58分=藤原 由香里
こういうものは粘菌なのだろうか。アメーバのように餌を求めて伸びているような感じだ。

金時山
【撮影】14時00分=矢野 博子
アザミであることは間違いないが 何という種類か分からない。アザミは下を向いて咲くのと上を向いているのがあって 面白い。ハチが夢中になって首を突っ込んでいた。

金時山
【撮影】14時04分=伊藤 幸司
初参加の人にダブルストックの基本的な使い方を試みてもらおうと思ったら、先端のこのゴムキャップがしっかりと糊で固定されていて外せませんでした。
トレッキングポールなどと呼ばれるストックには素晴らしい刃物が先端についていて、岩に食い込むので岩場の下りで安全性を何段階も向上させてくれます。しかしこのゴムキャップがついていると、岩に対して滑りやすくて使い物になりません。
岩場で使えるように作られたストックを「岩場で危険」という人は道具の能力をきちんと見る力がないうえに、作った人に対する敬意もない、といつも思います。
20年前にLEKIのストックを見て、全員「ダブルストック」を標準装備してもらって、下りでの安全とスピードを、とくに女性のみなさんに獲得してもらったのですが、すれ違いざま「4本足にはなりたくないなあ」などとこれ見よがしにつぶやかれることがしばしばありました。
その後、登山道のあちこちにストックで突き刺した穴がブツブツ残されて見るからにおぞましい光景が広がるようになって、ストックを登山に使うことが「悪」とされ、中高年登山を支えていたNHKの番組から、ストックを使っているタレントさんが排除されるという事件も起きました。
ストックが登山道を破壊するという意見が吹き荒れて、糸の会のメンバーも外部の登山ツアーに参加するときにはストックにはゴムキャップをはめ、ランニングシューズはそこそこの登山靴に履き替えないと「怒られる」ということになりました。
詳しくはすでにいろいろ書いていて、糸の会ホームページの『山旅=がんばらない山歩き』の『自習登山のすすめ』にも『10.ダブルストックと登山道』を書いています。
登山道にしばしば出現する見苦しい土の壁は、じつは歩きにくいためにストックをバランスアシストとして使う人が突き刺しているのであって、パワーアシストの機能をきちんと説明していないメーカー(輸入元)の罪といえます。(最近はどうか知りませんが、じつは道具として命を守るに足るものではないので、適当な範囲で使ってくださいというような責任逃れの姿勢でしたね)
そして、です。ストックによる見た目の破壊力より数倍、数十倍のものが、豪雨の侵食によって起こっていることを知るべきです。
そして、それはしばしばベテラン登山者がその溝の外側に新しい踏みつけ道を「開発」してしまったようなところです。至仏山が登山禁止になり(のちに下山のみ禁止)になったような踏みつけに比べたら、はるかに小さな破棄なのに、ものすごく見苦しい「お肌の吹き出物」ぐらいのものなのです。でも水の侵食に対して脆弱なところだから、歩きにくい。そこで壁にぶつぶつと穴を開けても歩きたくなるという歩行技術的な見方もしていただきたいのです。ストックをステッキと間違えている人は左右に開いて、ヤジロベーみたいにするので壁が穴だらけになるのですが、それは構造上次の豪雨で削られるところ、というシグナルにも見えてくるはずです。
ついでにいえば、ストックが木道を痛めるという強い非難が尾瀬などでもありますが、木道の木の腐食を促進するブツブツとあけられた無数の穴をきちんと見てください。まずほとんどがアイゼンの四角い穴です。円い歯型のストックは数が圧倒的に少ない上に、全体重がかかって開けられるアイゼンの四角い穴に対して、ストックでは通常、それほどの重さがかかっていません。よほど危険な状態になったときに体重がかけられるというのが実情です。残雪期の木道は滑るというだけでなくそれが危険な状態を引き起こす可能性が大きいので、アイゼンは必携です。
そういう技術的な観察力のない人たちが(ダブルストックを命を守ってくれる重要な装備だと考えている)多くの登山者の安全性の確保を阻害していると私は20年間見てきました。
だいたい、写真のこのキャップは本来、市街地のきれいに整えられた舗装路や石の通路あるいは木製の通路を傷めないためのキャップでしょう。登山道ではしばしばはずれて落ちる(700円ぐらい?)ので、この人のようにボンドで外れないようにしている。作った人が見たらなんというか……。

金時山、ホソエノアザミ
【撮影】14時06分=伊藤 幸司
アザミの花にアブが飛んできていました。
高田和彦さんの『金時山に咲く花たち』にあったのは4種。
写真が出ていたのが2種でホソエノアザミとアズマヤマアザミ。ほかにタイアザミ、フジアザミも(写真はありませんが)リストアップされていました。
ちなみに『高尾山全植物』(山田隆彦・文一総合出版)を見ると金時山の4種のほかにノアザミ、ノハラアザミ、タカアザミがあるようです。
結論としてこれはホソエノアザミであろうとして、『国立科学博物館植物研究部』の『日本のアザミ』の『アズマヤマアザミ』を見てみました。
【ノート──活力のある種のようで,分布域の各地に大群落が見られる.また,アズマヤマアザミは他の種と交雑しやすい.とくにサワアザミとは頻繁に交雑が起こり,両者の分布が接触するところではほぼ100 %交雑が起きる.交雑個体は,アズマヤマアザミ側では頭花が大型になり,サワアザミ側ではトゲや腺体をもつ個体が出現し,自然交雑の実際を理解しやすい.
 オハラメアザミは本種の変種とされてきたが,独立種として扱うのが正しい.北陸地方ではカガノアザミとオハラメアザミは同所的に生えることも多い.房総半島では本種とカズサヤマアザミの分布域が重なるが,両種が同所的に生えることはない.】

金時山
【撮影】14時06分=藤原 由香里
アザミに虫が集まっている。他に花が少ないせいか虫が密集している感じだ。

金時山
【撮影】14時10分=伊藤 幸司
穏やかな道になりました。山頂が標高1,213mですが、縦走路の乙女峠が標高約1,000m、これは標高1,144mの長尾山を出たところ。

金時山
【撮影】14時11分=伊藤 幸司
なんだかわからないだろうなあ、と思いながら撮りました。葉っぱを3枚広げた植物が3本立っているのか、1本の植物が枝を3本出してその先端にそれぞれ3枚の葉を広げているのか、確かめもせずに撮っています。
以前は咲いた花だけしか撮らなかったのですが、葉っぱも撮っておかないといけないと思うようになったので、だんだん葉っぱそのものに興味を抱くようになりました。これなどは、これだけはっきりした葉脈を見せているので、なんとなく「名前がありそうな植物」だな、と思ったのですが、いざそのお名前を「お尋ねします」という段になってみると、探索のために言葉にしたい情報がまったくないことに気づきました。
植物図鑑を見ると、葉っぱを3枚開いた状態を「3出」というらしいのです。「3出葉の植物」という分類は成立するようなのですが、グーグルの画像検索で分かるというレベルではないようです。
そこでこれだけはっきりとした葉脈を加えるとどうだろう、ということに。
『被子植物用語説明』が『松江の花図鑑』にありました。
まず【3出(さんしゅつ)複葉】に【「葉柄」から三つの「小葉」が出るもの。1箇所から3小葉が出る3出掌状複葉(シロツメクサなど)と葉軸が伸びて先端に頂小葉がつく3出羽状複葉(ヌスビトハギなど)に分けられる。ヌスビトハギ、ミツバアケビなど。】
とありました。
葉にははっきりとした葉脈が出ています。【葉脈(ようみゃく)──根、茎から続く維管束が葉に分布するもの。葉脈の分布のしかたには,網状脈・平行脈などがある。】のだそうで、これは間違いなく【網状脈(もうじょうみゃく)──葉の基部から先へ1本の太い中央脈が走り、そこから細い側脈が分岐しさらに細脈が網目状に枝分かれしているもの。双子葉植物に多いが、単子葉類にもある。羽状脈、掌状脈、鳥足状脈などに分けられる。】というもので、明らかに【羽状脈(うじょうみゃく)──網状脈の一種で、葉脈が羽状に広がっているもの。サクラ、ケヤキ、クリなど。】とわかります。
さらに加えるとすれば葉の形が【倒卵形(とうらんけい)──葉の中央より先端寄りが最も幅が広い。】であり、葉の縁の形は【鋸歯(きょし)──鋸の「歯」のような「ギザギザ」が斜め前方を向いてそろっているもの。】で、【細鋸歯(さいきょし)──鋸歯が細かいもの。】
……あたりかなあ、私が理解できそうな区分点は。それらをならべてグーグルの画像検索にかけてみましたが、わかりませんでした。目鼻立ちのしっかりした葉っぱという感じがしたのに……。

金時山
【撮影】14時11分=藤原 由香里
キジムシロかな。黄色い花が目を引いた。

金時山、タマアジサイ
【撮影】14時15分=伊藤 幸司
これは花があったのでアジサイの仲間を一覧してみたらタマアジサイだとわかりました。4弁の白い装飾花があって、わたしたちが見慣れたタマアジサイなら中央に大きな玉状のつぼみ、あるいはそこから出てきた淡紫色の両性花、というところ。あまりにも背が低いこともあって、他人の空似という感じもしました。

金時山、仙石原のススキ
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
狙ったのは仙石原のススキです。じつは10月23日に丸岳からあそこに下る予定なので、そのときにはススキがどのような穂波を見せてくれるか、です。

金時山、乙女茶屋跡
【撮影】14時21分=伊藤 幸司
乙女茶屋は完全に廃屋になっていました。以前、一度、中にはいって休んだことがありますが、オヤジさんがひとりモソッと出てくるような小屋でした。
ネット上にある情報のほとんどは「行ってみたら休業していた」とか「廃屋だった」というものばかりでしたが、その前の元気な時代の乙女茶屋の情報、出てきました。
『テレビ東京』の『旅グルメ』で『乙女茶屋(箱根 金時山)』というのがあったようです。
【乙女峠展望台の傍らにある茶屋。こちらのご主人は、常連さんから “たにやん” と慕われるご主人・谷清之さん。元はサラリーマンでしたが、乙女峠の富士山に魅せられこちらの主に。自慢の「たにやん特製コーヒー」を飲みながら眺める富士山は別格です。富士山の山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」も見られます(※次回は2009年7月中旬)。】
正式な放映日はわかりませんが、2009年の夏には魅力ある、ちょっと変わった小屋だったことがわかります。

でもなんと同じ取材を別番組にしたんじゃないかというのが『出没! アド街ック天国』の『箱根 金時山』に『乙女峠展望台』というシーン(シーン28か?)があったようです。
【28 乙女峠展望台──乙女ルートの途中にある展望台。
こちらの展望台に立てば、目の前には壮大な富士の絶景が広がります。
そんな展望台の傍らには風情のある「乙女茶屋」があり、常連さんから “たにやん” と慕われるご主人・谷清之さんが淹れた自慢のコーヒーが頂けます。】こちらは2009年6月20日の放映です。

『ラピータのライフログ』に『乙女口から金時山ハイキング』(2009/12/27)がありました。
【乙女峠には、乙女茶屋があります。「飲んでみようか 谷やんのホットコーヒー400円」という看板が入口にありましたが、今回は先を急ぐので次の機会にでも。】

金時山、乙女峠の富士山展望台
【撮影】14時21分=伊藤 幸司
これが乙女峠の富士山展望台。情報がしばしば混乱するのは、この下に「乙女峠」バス停があってそこに駐車場のある富士見茶屋があるのです。そこもすばらしい富士山展望台なので、この「乙女茶屋跡」と混乱しないように。

金時山、乙女峠の富士山展望台
【撮影】14時22分=伊藤 幸司
富士山の頭、あると分かる程度ですね。この木製の展望台に登ると富士山と御殿場の街は見えます。足元の斜面は手入れされていますので、この展望は保証されています。あとは富士山のご機嫌だけです。

金時山
【撮影】14時26分=藤原 由香里
ミズヒキ。ピントが合うのは至難の業。これは偶然の産物です。

金時山
【撮影】14時26分=藤原 由香里
今日一の綺麗な花。ツルニンジンでしょうか。

金時山、ミズヒキ
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
ミズヒキは登山道でよく見る花ですが、写真に撮ろうとするとなかなか難しいのです。これは何も考えずにとって、ちゃんと花の列が見えています。しかも赤主体で、白い部分もあるぞ、というところまで。
でも葉っぱが主役みたいに写ったので、ちょっと不安になって調べてみました。おおよそ間違いないようなのですが、V字マークが入っていたら安心でした。
『岡山理科大学 生物地球学部』の『植物生態研究室(波田研)のホームページです』に『ミズヒキ』がありました。
これはさらに『1.ミズヒキ』『2.花』『3.葉』と分かれていて、その『3.葉』は次のとおり。
【ミズヒキの葉は広い楕円形で長さ5〜15cm。ほとんど目立たないものもあるが、濃淡の差があるものの、黒褐色のV字型紋があることが多い。表面には荒い毛が散生しており、裏面の脈上と縁にも毛が多い。同属のシンミズヒキは、ほぼ無毛であるので、区別できる。】

金時山、オオバコ
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
なんでこの写真を撮ったのか全く覚えていませんが、絵として美しいとか、いうのではなかったはずです。だれかがこの名前を言ったかでとりあえず撮ったものの、それをメモしておかなかったので迷子状態になってしまった……という気もします。名前を聞いたら「あっそうか!」と思うかもしれませんが、手元で調べた範囲ではわかりません。
……で、最後にフッ…と「道端の花」で調べてみたらありましたそっくりさんが。雑草にはほとんど目が行かないのですが、山道にあれば野草です。
このオオバコ、いまやものすごく有名らしいのです。

『読むダイエットサプリ』の『サラダチキン』というページだと思うのですが『サイリウムはオオバコの仲間でダイエットと健康の味方』(2018年12月19日)という記事がありました。
【「オオバコダイエットが痩せるって聞いたんだけど、ホントに効果あるの?」
「あるんだったら、具体的な方法や痩せたっていう体験談が聞きたい」
あなたも、こんな疑問をお持ちではありませんか?
そもそも「オオバコ」とは、あのダイエット食材で有名な「サイリウム」のこと。うまく使えばかなりダイエットに効果的なので、めちゃくちゃおすすめです。
一方、”効果的すぎる” のが仇となってしまい、適当に飲んでいるだけでは下痢・便秘などの不調が出てしまうこともあるのです。
ここでは、オオバコとはそもそもどんなものなのか、痩せるのに良い理由を徹底解説。】
【オオバコとはサイリウムのこと──そもそもオオバコとは、オオバコ科という種類の多年草で、英語でpsyllium(サイリウム)といいます。
この種の外側の部分を取って粉末にしたものが「サイリウム粉末」「ホールサイリウムハスク」という名前で、ダイエット食材として使われています。小麦でいうふすま、米でいう籾殻(もみがら)の部分です。
ダイエット効果──オオバコ粉末には、長期的な健康に欠かせない食物繊維がたっぷり入っていて、ダイエットにももちろん効果的に使うことができます!
特にオオバコ粉末がダイエットに良い理由は以下の通り。
30〜40倍の水分をぶわっと吸収して膨らむ →ボリュームの割に低カロリーでダイエットに良い
オオバコ粉末に含まれる食物繊維が、消化吸収をゆるやかにする →食事と一緒に飲むと腹持ちが良くなるので、間食予防・バカ食い予防になりダイエットに良い
ご存知の通り食物繊維自体はゼロカロリー。つまり、うまく食事の中に取り入れれば食事の満足感はそのままにカロリーカットでき、結果的に痩せやすくなるのです!
糖質制限時にも空腹を感じにくくしてくれるので◎
ご飯や麺の大盛りが止められなくて太ってしまった、つまり糖質の摂りすぎで太ってしまった場合は、ダイエットに糖質制限が有効です。
このとき、オオバコ粉末大さじ1杯を水に入れて食事と一緒に飲むだけで、お腹にずっしりきてたくさん糖質を食べなくても満足感が得られます。結果的に摂取カロリーが減り、ストレスなく痩せることができます。
空腹感を感じない糖質制限には、オオバコ粉末!

長期的な健康効果──「オオバコ粉末を飲むと、痩せる以外にも何か良いことあるの?」
もちろん!
ダイエッターでも筋トレしている人でも、すべての人に将来への良い影響があります。
水溶性食物繊維がたっぷり含まれたオオバコ粉末を毎日の食生活に取り入れると、以下のような健康へのベネフィットがあります。
コレステロールや脂肪分を体の外へ出す →肥満・Ⅱ型糖尿病・高脂血症などの生活習慣病を防ぐ
食事と一緒に摂取することで消化吸収をゆるやかにし、食後血糖値が急に上がるのを防ぐ →腹持ちUP・食後の空腹感を和らげる →食後の眠気やダルさを和らげる
ヘルシーなウンチを形作るのに役立ったり、腸の中のゴミを絡め取り身体の外へ出す →便秘や腸の健康に◎
このように、かなりオオバコ粉末は長期的な健康にも良いってこと♪最強ですね(; ・`д・´)

薬ではないので副作用はない
「オオバコ粉末ってかなり身体に良いんだ! じゃあ、摂取しすぎると副作用があったりしないの?」
大丈夫です。オオバコ粉末はただの食品で、薬でもなんでもありません。
強いて言えば、オオバコ粉末にはかなり多くの食物繊維が入っているため、以下の点に気を付けて摂取すると良いでしょう。
十分な量の水分と一緒に摂取する
1日スプーン1杯程度にとどめておく
水分と一緒に摂取しないと、内臓の中の水分を吸ってしまい消化不良になり、胃痛や腹痛を起こす可能性があります。前にも言いましたが、水を含んで30〜40倍に膨らむので、その分の水分が必要なんですね。
また、オオバコ粉末はほぼ食物繊維でできているので、毎食のように摂取していると食物繊維の摂りすぎになる可能性も。摂りすぎると、逆に便秘になったり下痢を起こしたり、良いことゼロ・・・。
1日1スプーン程度にとどめておき、できるだけ野菜やフルーツなどから食物繊維を摂取するように心がけましょう。

サイリウムの食べ方──そのまま飲むのではなく、何かの水分に混ぜたり、焼き菓子の生地に入れたりして食べます。
よりお手軽なのは、以下のように水分に溶かしてオオバコ粉末ドリンクを作る方法!
ココア+オオバコ粉末
豆乳+オオバコ粉末
100%果汁ジュース+オオバコ粉末
サイダー+オオバコ粉末
オオバコ粉末自体はほとんど無味無臭で味は付いていないので、何とでも合いますよ。
また、少し時間に余裕があるときはオオバコ粉末入りのお菓子を作ってみるのがおすすめ。わらび餅風スイーツは電子レンジや小鍋一つでできますし、パンケーキは普段の材料にサイリウムを少し入れるだけで作れますよ。
「なんか作るのめんどくさいわ」と思ったら
そういうときはオオバコ粉末が入っている粉末ダイエットスムージーを替わりに使ってみましょう。栄養成分表示に「サイリウム」と書いてあれば、入っている証拠。
サイリウム入りのスムージー粉末を使えば、手間なしで水に溶かすだけで簡単に美味しいスムージーができあがります。
食物繊維がかなり多く、一般的なスムージーと比べると腹持ちがバツグンに良いのもポイント。
「忙しいからできるだけ料理に時間を取りたくない」というあなたにも、おすすめです。】
いかがですか? 「読むダイエットサプリ」は。

金時山
【撮影】14時31分=伊藤 幸司
乙女峠の富士山展望台の真下の道。上の斜面にオレンジのジャンパーを着た人たちが4人見えますが、展望台の足元を整備しに来たのだということです。

金時山
【撮影】14時38分=藤原 由香里
登山道はよく整備されていた。橋もしっかりとしている。

金時山
【撮影】14時39分=矢野 博子司
これは 天然のアート。切り株の断面にきれいな苔の縁取り。

金時山
【撮影】14時59分=矢野 博子
花の名前は分かりません。虫が飛びついていると つい写真を撮りたくなります。

金時山
【撮影】15時00分=矢野 博子
金時山から下ってきて 殆どゴール地点近くに咲いていた白い花。結構目立った。オウレンの仲間だろうか。

金時山
【撮影】15時01分=伊藤 幸司
タマアジサイみたいですね。糸の会は山歩きのグループですから、こんなふうにのんびり足を止めることはほとんどありません。ですから景色がいい、花がある、というときには休憩を入れるのです。でも、写真メインの方が参加されてもストレスがたまるだけです。一度昆虫好きの方が参加されましたが、休憩時間に虫を見に行くのを「登山道をはずれない」という原則でしぶしぶ諦めなくてはいけないのでイライラされていました。
この20年あまりのほとんどは私がトップを歩いていましたから、私が1歩止まって写真を撮ると、そこになにか見るべきものがあるらしいということが後ろのほうにまで伝わったようですが、ここ数年、私が最後尾について、後から追いかけるようになると、こういう光景はあまり見られなくなりました。
今年8月21-22日の唐松岳では、これまでなら2日目は五龍岳経由でめいっぱい歩くところ、おなじ八方尾根を下ることにしてほとんど自由行動としました。そのため、新規参加者に近かったAさんは、登りではポケットカメラ、下りでは一眼レフを使用していました。
基本的なルールとして先頭は10分交代として、全員が集まったところで後ろの人が前に出ます。だから時間に余裕がある日はこんなふうに立ち止まって写真を撮る余裕も多くなってくると思います。「写真対応」というような計画も来年には考えようかなと思っています。
ちなみに私は一瞬立ち止まって写真を撮るチャンスは多いのですが、その後追いかけるたびに息が上がります。

金時山、ナルコユリ
【撮影】15時02分=伊藤 幸司
これはナルコユリでしょうか。ホトトギスの葉もこんなふうに出てくることがありますが、葉が茎を「抱いている」ものがほとんどみたいです。ユキザサもチラリと頭をよぎりましたが、葉っぱがずいぶん違います。私の推理はその程度までです。

金時山、ウバユリ
【撮影】15時02分=伊藤 幸司
突然、ウバユリが出てきました。上高地あたりだと驚くほど背の高いウバユリに圧倒されますが、これは足元で可愛い感じ。
『観音崎の植物たち』というサイト? に『ウバユリ』(2004.7.19)がありました。
【ウバユリの開花が近づいたようだ。4月の下旬頃は瑞々しく多かった葉が,花茎が伸びてツボミがふくらむに連れ,葉は見る影もなく黄ばみ枯れ落ちていく。「昔の人はこの様子を見て,娘が花の十八になるころ,世話をした人が歯(葉)のない姥になることにひっかけウバユリと名づけた。」と牧野植物図鑑にある。私は2年前,この語源を先輩ボランティアから教えていただいたが,これを検証?しょうと 4月下旬から,特定の株の連続写真を撮ることにした。】

金時山、乙女峠バス停からの富士山展望
【撮影】15時09分=伊藤 幸司
これが乙女峠バス停からの富士山展望。いわゆる「乙女峠のふじみ茶屋」前です。箱根裏街道というのだそうですが、国道138号ですから通る車も多く、御殿場と箱根を繋ぐ道だけに高級車がこの場所に止まって富士山を眺めるということもしばしば。車だったら夜景なんかもいいですね。
私たちは予定ではここに15時30分に出て、登山道を御殿場市温泉会館までさらに歩くというものでしたが、じつは計画書には『タクシーで御殿場へ(時間を見ながら「とらや工房」や「妙見」』とも書いておきました。
そこでバスの時刻表を見ると15時09分のバスで「東山旧岸邸」まで行けるとわかったので、飛び乗って「とらや工房」へ行くことにしました。

金時山、とらや工房
【撮影】15時33分=矢野 博子
今回の金時山の帰りのお楽しみは とらや工房でのティータイム。竹林をしばらく歩いていくと御覧のような格調高い和カフェ。あんみつに煎茶。流石 茶どころ静岡、お茶が美味しかった。至福の時が静かに流れる。

金時山、とらや工房
【撮影】15時35分=伊藤 幸司
これが「とらや工房」の入口。営業時間は10時から18時(冬期は17時まで)で「売り切れ次第終了」とのこと。時間には十分間に合ったけれど、まだやっているかどうか……という状態でした。

金時山、とらや工房
【撮影】15時53分=伊藤 幸司
「とらや工房」のあんみつ。さすがに品数が少なくなっていましたが、あんみつはありました。なによりも嬉しかったのは美味しく入れたお茶が飲み放題。「さすが」だと感じながらゆったりした気分になりました。

金時山、エサキモンキツノカメムシ
【撮影】16時08分=伊藤 幸司
トイレに行くと、ドアの脇にハートマークのカメムシがいました。
『ネイチャーエンジニア いきものブログ』は亀田恭平さんという方のブログですが、このカメムシがありました。『エサキモンキツノカメムシ - キレイなハートをもつカメムシ | 虫紹介』(2018-05-30)です。
【森を歩いていると、不思議なものが見つかることがよくあります。
この日も何かいきものはいないかな、と森を探索していると…。
ん?
なにやら不思議なものが。
…ハートマーク?
なんと
森の中で愛を見つけました!笑
今日は「エサキモンキツノカメムシ」をご紹介します。】
【エサキモンキツノカメムシという、ツノカメムシの仲間です。
ツノカメムシの特徴である、肩の部分が出っ張っているのが見られます。
名前の由来 - 3つの単語でできている
エサキモンキツノカメムシを漢字で書くと、「江崎紋黄角亀虫」となります。
複雑な名前ですが、これは、
江崎・紋黄・角亀虫 という3つの単語が組み合わさってできている名前なんですね。
「江崎」は、昆虫学者の江崎さんの名前からきています。
「紋黄」は、黄色い紋ということで、背中のハートマークのことを差します。
「角亀虫」は、ツノカメムシ です。】
【ハートマークは姿だけじゃない!行動にもあらわれる愛情────エサキモンキツノカメムシは姿だけでなく、行動にも愛が表れています。
このカメムシのメスは卵を産卵すると、子どもが卵から孵化するまで卵に覆いかぶさって守る行動をとります。
卵を守っている時は近づいてもじっと耐え、逃げ出したりはしません。
母の愛は素晴らしいですね。
僕も探索していると、たまに産卵中または産卵直後のツノカメムシに出会います。
その時、カメラを近づけて撮影しても、全然動かないんですね。
撮影する側の僕としては、じっとしてくれていて助かるんですが 笑。
カメムシ側からすると巨人がでっかい機械を自分に近づけてくるわけですから、さぞ怖いでしょうね。
なので、撮影する時はできるだけカメラをゆっくり近づけてできる限り驚かさないようにします。
あと、カメムシがいる葉っぱなどに振動を与えないように気をつけます。
どうせ動かないので、焦って撮影する必要はありませんからね。
でも本当に大きな天敵が襲ってきたら、動かないのは逆に攻撃されやすい気もするのですが、効果はどれほどなんでしょうかね。】

金時山、とらや工房、錦鯉
【撮影】16時15分=伊藤 幸司
庭の水路にコイがいました。これに関しては『とらや工房からのお知らせ』に『錦鯉が来ました』(2015年5月9日)がありました。
【みなさまは、とらや工房の庭にある池を覗いたことがありますか。目を凝らすと、ニジマスや鮭のタマゴを見ることができましたが、とらや工房が世話をしている生き物はいませんでした。先日、お客様のご厚意で、お客様が飼育された錦鯉をいただきました。赤や白の華やかな色合いの錦鯉とともに、よく見ると大きな黒い鯉も泳いでいて、この大きな鯉は50年以上生き続けている長命の鯉とうかがっています。これからは、この錦鯉たちが元気に泳ぎまわれるように、大切に育てていきたいと思います。】

金時山、東山旧岸邸
【撮影】16時33分=伊藤 幸司
こちらはとらや工房に隣接する東山旧岸邸。メインルームです。
振り返ると、とらや工房は建築そのものも意欲的なものでした。『とらや工房の施設案内』に次のように書かれていました。
【とらや工房が位置する御殿場市東山は、明治から昭和にかけて富士の裾野に広がる避暑地として多くの別荘が建てられた場所です。今も残る入り口の山門は、昭和2年に酒井家の別荘の門として建てられたもので、とらや工房を象徴する大切な景色となっています。とらや工房は旧岸信介邸(吉田五十八氏設計)に隣接する敷地に建てられました。設計者は、内藤廣氏。建物は庭の広がりを受け止めるように緩やかに湾曲し、喫茶室と販売所の間に作られた半外部空間は、庭の空気を引き込むような緑に溶け込むような空間設計が特徴です。】
「明治から昭和にかけて……」とありますが、明治22年(1889)から昭和9年(1934)まで御殿場駅は東海道本線の主要駅でした。赤倉や軽井沢(それ以前は霧積温泉)などは信越本線の発展とともに開かれた高級別荘地ですが、御殿場は東海道本線の主要な高級別荘地であったのです。

そして旧岸信介邸のほうは『吉田五十八による近代数寄屋建築 東山旧岸邸』に『東山旧岸邸へようこそ』という説明がありました。
【東山旧岸邸は、首相を務めた岸信介の自邸として1969(昭和44)年に建てられました。その後、30年ほどのときを経て、2003(平成15)年に御殿場市に寄贈されたあと、一般公開されました。2009(平成21)年からは、和菓子の虎屋のグループ会社である株式会社虎玄が指定管理者として管理運営を行なっています。建築家・吉田五十八の晩年の作品であるこの邸宅は、施主・岸信介の生活に配慮しつつ、伝統的な数寄屋建築の美と、現代的な住まいとしての機能の両立を目指して設計されました。御殿場のゆたかな自然のなかで、歴史を刻みつづける邸宅と、敷地内の庭園とをあわせて、どうぞ、ゆっくりとお楽しみください。】

金時山、東山旧岸邸
【撮影】16時35分=矢野 博子
とらや工房の脇にある岸信介邸の居間。オレンジ色の壁が印象的だった。

金時山、東山旧岸邸
【撮影】16時36分=伊藤 幸司
入館料300円にちょっと悩みましたが、ここまで来て気持ちが大きく変わりました。これは晩年の岸信介(きしのぶすけ)が好んだ風景だそうです。ご存知でしょうが岸信介の実弟が佐藤栄作、長女の次男が安倍晋太郎。3人の総理大臣がそれぞれこの風景を見た、ということなのでしょう。正直、岸信介という人がシンプルな生活を望んだらしいということを感じました。

金時山、東山旧岸邸
【撮影】16時39分=伊藤 幸司
メインのダイニングルームを見るだけでも、建築家・吉田五十八という人の気合の入った建築だとわかります。全面開放の窓から見えるカエデはノムラモミジとか。
『庭木図鑑 植木ペディア』に『ノムラモミジ』がありました。
【・ノムラモミジはイロハモミジの園芸品種(オオモミジの変種という説もある)で、江戸時代から庭木として使われる。
・春先から秋まで、やや紫がかった紅色の葉をつけるため、庭のアクセントとして使われることが多い。(ただし、地域や環境によっては季節に応じて色が変化していく。)
・ノムラという名前は人名ではなく、濃紫=葉の色からきている。また、かつてこの木は「武蔵野」と呼ばれていた。
・秋は紅葉せず、疲れ切った葉がやや見苦しくなることが多い(画像の状態は随分とマシな個体)。】
【育て方のポイント────
・北海道から九州まで、日本全国で植栽できるが、暖地では葉が緑色になることがある。また、個体によって葉の色が微妙に異なる。
・イロハモミジなど一般的なモミジに比べ、より多くの日照を必要とする。日陰でも耐えるが、綺麗な葉を維持し、健康に育てるなら、日差しと湿気のある場所がベター。日陰では枝が間延びしたような感じになる。
・夏の暑さが続くと葉が縮むことや、枯れ込むことがある。下草を植えたり、敷き藁をするなどして根の周りの温度上昇を防ぐと効果がある。
・剪定に耐えるが、自然な感じに仕上げるには多少センスが必要。
・テッポウムシの被害に遭うことがあるため、特に初夏は幹や根元を観察し、早期に対応するのがよい。 】

金時山、妙見・鱒の姿ずし
【撮影】18時55分=伊藤 幸司
バスで御殿場市温泉会館へ行き、タクシーで御殿場駅前の妙見へ。
『創業昭和10年 妙見』の『お品書き』にある『鱒の姿ずし』(1,350円)をいただきました。
【かつて吉田首相、岸首相、秩父宮様など数多くの著名人がご賞味下さいました。秩父宮記念公園でもお買い求めいただけます。】とのこと。

金時山、妙見
【撮影】19時02分=伊藤 幸司
御殿場駅前の妙見。時間の関係で千葉方面の6人が帰路につき入浴、食事まで残ったのは私を含めて5人。御殿場で19時ですから、この日はフルセットだとずいぶん遅くなりました。



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