発見写真旅・展(101)――2016.3.15 奈良ハイキング1日目・大和三山(約6km+耳成山+畝傍山+天香具山) 発見写真旅・展(101)――2016.3.15 奈良ハイキング1日目・大和三山(約6km+耳成山+畝傍山+天香具山)

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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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ご覧いただいたみなさんからのコメントはキャプションの後に掲載させていただきます。


★糸の会山行 986 奈良ハイキング1日目・大和三山────2016.3.15


*奈良は3.15-16の1泊で、1日目に大和三山、2日目に山辺の道を桜井から天理へと「ベタに歩く」計画を立てました。
*とくに1日目の大和三山などは、山だけの「つまみ登山」ではたぶんひどい誤解を持ち帰ることになるだろうと考えて、ほぼ正三角形の「配置」を足で感じてみたいと考えました。それぞれの一辺が3kmに満たないような「三山」ですから。


3月15日
・1320……近鉄線・耳成駅前のコンビニで腹ごしらえの後耳成山方面へと出発
・1255……耳成山山頂(標高139m)
・1345-55……今井町入口のトイレ広場で休憩
・1425……今井町の「重要伝統的建造物群保存地区」を出る
・1450-55……畝傍山登山口で休憩
・1515-25……畝傍山山頂(標高199m)
・1540-45……畝傍山登山口でトイレ休憩
・1610……本薬師寺跡
・1650-55……天香具山山頂(標高152m)
・1720……ホテルウェルネス大和路到着
*行動時刻は概数です


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の7人です。
小林 美子(6点)
矢野 博子(12点)
土屋 千鶴子(9点)
山咲 野の香(24点)
佐藤 時子(4点)
稲葉 和平(27点)
伊藤 幸司(51点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:小林 美子




撮影:矢野 博子






撮影:土屋 千鶴子




撮影:山咲 野の香










撮影:佐藤 時子


撮影:稲葉 和平












撮影:伊藤 幸司





















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【01】撮影:07時30分=山咲 野の香
富士山撮影会。うっかり左側座席にいて出遅れた!
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【02】撮影:07時45分=矢野 博子
真白き富士の嶺とは 正しくこの様な富士ではないだろうか。新幹線から眺めた朝日に輝く富士山に歓声が上がった。
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【03】撮影:07時48分=山咲 野の香
出遅れたので富士山盗撮、
その1。よく撮れました!
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【04】撮影:07時49分=伊藤 幸司
7時03分に東京駅を出たひかり461号は8時05分に静岡に止まりますから、これはその手前。写真を見直すと7時30分に宝永火口が左稜線から現れて、ゆっくりと右に回りながら、7時55分に右稜線に隠れていきました。昔の人はほとんどが東海道からの富士山を表富士として眺めていたはずなのに、左右不均等な「正しい富士山」が描かれなかったのはどうしてでしょう。
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【05】撮影:07時50分=稲葉 和平
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【06】撮影:07時50分=稲葉 和平
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【07】撮影:07時51分=矢野 博子
新幹線はどんどん静岡の町を走りぬけ 少し違った方向からの富士山。みるみると表情が変わる。 
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【08】撮影:07時54分=稲葉 和平
新幹線から富士山がきれいだった。電柱や建物などの障害物をかいくぐってシャッターチャンスを待っても、なかなかうまくいかない。
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【09】撮影:07時54分=山咲 野の香
走る車窓から。自らはこれが限界。昨日の荒天で雪化粧が美しい。
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【10】撮影:07時55分=小林 美子
今日も新幹線の窓から、きれいな富士山がみえました。
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【11】撮影:07時55分=山咲 野の香
富士山盗撮その2。カメラのせいだけじゃない、上出来の気配。
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【12】撮影:07時56分=稲葉 和平
他のみなさんはどうだったでしょうか。
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【13】撮影:07時57分=伊藤 幸司
糸の会にも少しずつ「フォトグラファー」が登場してきました。
大学時代の写真部で同期のふたりが朝日新聞と毎日新聞で出版写真部長となり私にもいろいろな仕事のチャンスを与えてくれました。彼らによると、カメラマンは記者と違って予備知識なしに現場に放り込まれます。だから撮った写真、撮らされた写真、撮りそこなった写真を自分自身でフォローするかどうかがその後の成長に大きく関わってくるといいます。「撮ってしまった写真」に自分なりの責任感を感じ続けるうちに、写真が自分を育ててくれるというのです。写真に「キャプションをつける」というのは、その具体的な方法のひとつなのです。「失敗写真をきちんと見ない奴はダメだね」という話を思い出します。還暦過ぎても写真は人を育ててくれます。確実に!
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【14】撮影:11時04分=矢野 博子
足先から帽子まで ご覧あれ。いつもの山行とは 違ったタウン風テイストのお洒落な我等がリーダー。
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【15】撮影:11時08分=稲葉 和平
今回は登山装備ではなく軽いウォーキングのスタイルで。ジーンズにタウンシューズ、と思いきや、靴はちゃんとメレルのウォーキングシューズでした。
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【16】撮影:11時08分=稲葉 和平
帽子もお洒落に!。
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【17】撮影:11時24分=伊藤 幸司
京都からJR奈良線で奈良へ。そこからJR桜井線(万葉まほろば線)に乗り換えて鈍行の旅を楽しみましたが、これは単純に駅名に惹かれて撮った写真。無人駅で1日の利用客はだいたい500人以下のようです。
駅の近くに安産祈願の子安山帯解寺があるということです。古い話はともかく、美智子妃殿下、秋篠宮妃紀子殿下にかかわる正規の安産祈願法要を行っているといいますから、色っぽい話とはまったく関係のないお寺さんのようです。……なんだぁ。
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【18】撮影:11時26分=伊藤 幸司
桜井線の車両にはお習字の見本がいっぱい書かれていました。
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【19】撮影:11時29分=矢野 博子
奈良へ向かう電車の中で乗り合わせた87歳の女性。左足を乗せているのは 彼女の愛車? これでスイスイと街中を走るというから驚き。実際走っている所を見てみたい。
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【20】撮影:11時33分=伊藤 幸司
天理駅の東側の駅前広場です。たぶん、ここに驚くほどたくさんの人々が列をなす光景も見られるのでしょう。
広場の中央に歩いてくる人影がひとつあります。その、広場を横切る道らしき模様の端に立っている女性がいます。向こうからこちらへ伸びてくる低い塀のようなものと重なっていますが、なにか仕事でそこに立っているように見えます。オリジナル写真を拡大して見ると、手に文字の書かれた旗を持っています。お客さんを待っているようです。翌日の午後4時半、私たちが山辺の道から天理へと歩いてこの広場にたどり着くと、やはりここにこの人か、あるいはこの人と同じような雰囲気の人が立っていました。
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【21】撮影:11時35分=伊藤 幸司
万葉まほろば線の車窓から見る山すその風景。まさにその、すそ野の道を、明日、桜井駅から天理駅まで歩くのです。
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【22】撮影:11時37分=土屋 千鶴子
一日目。JR桜井線車内の中央に広々と設けられているシルバーシート席。
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【23】撮影:11時38分=矢野 博子
桜井線の車窓から眺めた卑弥呼の墓。いよいよ歴史の街 奈良へ突入だ。
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【24】撮影:11時38分=伊藤 幸司
私は鉄道マニアではないので、強いて最前部に陣取るということはないのですが、これは柳本駅へと入っていくところです。
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【25】撮影:11時43分=稲葉 和平
旅先で偶然。
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【26】撮影:11時43分=稲葉 和平
車窓ののどかな田園風景の真ん中に突然大きな鳥居、さすが奈良。
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【27】撮影:11時43分=伊藤 幸司
三輪駅の手前から見た三輪山。明日はあの山に登る予定です。
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【28】撮影:12時00分=稲葉 和平
この写真はどう見てもボーリングのピンが狙いのように見える。「日本の発祥、桜井──邪馬台国・卑弥呼の郷」の看板の上にボーリングのピン、景観上の規制には引っかからなかったのだろうか。でも、写真を撮った時にはそんなことには全く気付かず、ただ遠景の山の上の方は雪がかなり残っていそう、とシャッターを切っただけでした。
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【29】撮影:12時01分=伊藤 幸司
桜井駅のホーム端から町並みを見ているとこの看板が目に入りました。肉眼ではこまかなところが読めなかったのでカメラで撮ってみました。とにかく店名の「あほや」が気に入ってしまったのです。たこ焼とべちゃ焼だそうですが、べちゃ焼は初めて聞く名前。どんなものか想像できません。「大阪の味・あほや」というネーミングに惚れてしまったので、あとで聞くとすごい有名チェーン店とか。東京、神奈川、千葉にも進出しているようです。ともかく一度食べてみたいナ。
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【30】撮影:12時18分=土屋 千鶴子
JR桜井線耳成駅下車。歩き始める前方に耳成山が見えてます。
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【31】撮影:12時20分=伊藤 幸司
桜井駅でJRから近鉄線に乗り換えて耳成駅下車。山歩きと同様10分交代のトップに「ほぼ全権」が与えられているので、最後尾の私は大いなる道草も期待しながらついていきます。「間違いよ!」とつぶやく小姑役の人が多いので無駄な時間はほとんど生じてきませんが。
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【32】撮影:12時23分=稲葉 和平
耳成山へは住宅街の中をぞろぞろ。本格的登山スタイルでは無いとは言え、かなり目立つ。
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【33】撮影:12時23分=山咲 野の香
大和三山で最も優美な円錐形、耳成山に向かって。期待がふくらむ。
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【34】撮影:12時24分=稲葉 和平
住宅の屋根の上に見えるのが耳成山。小さい山ということは知っていたけど。
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【35】撮影:12時24分=伊藤 幸司
地図を見ないで歩くと、こういう道があったりします。
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【36】撮影:12時25分=伊藤 幸司
大和三山に古の人がどんな価値を感じたのかわかりませんが、遠くから見ると「山」なのに、近づくと「墳墓」という感じ。山でもよくあることですが、離れるほどに「大きく見える」というところになにか、ヒントがあるかもしれないと思いました。帰って調べてみると、この山の墳墓説もあるようです。
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【37】撮影:12時36分=伊藤 幸司
登山口はこの山の三方にあるようでした。私たちはたまたま正門らしいところに出ました。そこから神社の石段らしき道が直登していましたが、トップの人は行き止まりと思ったのか、この周回道路を選びました。入口に解説図はありましたが、道標は、たぶん意図的に整備されていません。「行けば分かる」という感じでしょうか。実際、そうなんですが。
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【38】撮影:12時49分=矢野 博子
大和三山の始まりはこの耳成山から。前日の雨がまだ道に残っていて ぬかるんでいる所もあったが ご覧のように140mの可愛らしい山だった。
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【39】撮影:12時50分=稲葉 和平
一応、登山口に入れば立派な登山道の雰囲気。
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【40】撮影:12時51分=土屋 千鶴子
耳成山頂上にあった質素な標識。
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【41】撮影:12時51分=伊藤 幸司
周回道路と神社の参道とがぶつかったところからいよいよ山頂への登りです。
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【42】撮影:12時52分=稲葉 和平
立派な標識が我々を迎えてくれました。私の記憶では「大比叡」の標識もこれよりは立派だったが、木に掛けられていただけだから、別に驚きはしなかった。長瀞アルプスの「天狗山」のように、小さなピークの木の幹に書かれた「天狗山」の文字に多くの人がだまされるということもあるから気を付ける必要はあるけれど。
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【43】撮影:12時54分=小林 美子
耳成山山頂。
前頭の人達が通り過ぎてしまう程、小さな小さな山頂だった。
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【44】撮影:12時54分=山咲 野の香
山頂に眺望なしは知っていたが、古代からの神体山、聖山にコレッ?
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【45】撮影:12時54分=伊藤 幸司
耳成山山頂での記念写真。
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【46】撮影:12時59分=稲葉 和平
小さな神社がこの山とよく釣り合っている。
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【47】撮影:12時59分=山咲 野の香
創建年代は定かでないが正倉院文書にもその名のある古社とか。簡素だけど周囲と一体化して。
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【48】撮影:13時00分=伊藤 幸司
八合目にある耳成山口(みみなしやまぐち)神社。
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【49】撮影:13時02分=伊藤 幸司
耳成山口神社はなかなか立派で、これが耳成山の濃い緑のなかにすっぽりと隠れているというわけです。「延喜式神名帳」に大社と記載されているそうですが、この場所にあったという保証はまったくないと私などは考えます。富士山の「浅間(あさま)大神」にしたって、次々に遷座しています。一の宮、二の宮とランクづけされた鎌倉時代、あるいは神仏混淆で御利益競走のニュービジネスが始まる江戸時代、廃仏毀釈という天変地異のあと官幣大社・国幣大社・県社・村社などなどの格付けが実施された明治と、日本の宗教施設は波瀾万丈の歴史を刻んできたからです。この耳成山口神社も江戸時代に周辺の村同士で氏子たちによる争奪戦があったようです。
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【50】撮影:13時03分=伊藤 幸司
神社からほぼまっすぐ下って、私たちが登った道と合流する参道です。
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【51】撮影:13時05分=矢野 博子
耳成山を下りた所にあった公園に咲く桃の花。青空に映えてきれいだった。
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【52】撮影:13時05分=矢野 博子
前と同じ桃の花。近くで見るととても豊かな感じがする。
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【53】撮影:13時05分=稲葉 和平
立派な鳥居。どうやらこちらが表参道。
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【54】撮影:13時12分=稲葉 和平
3月半ばだから桜にはまだ早いけれど、梅の花が少しばかり「春」の彩つけてくれていた。
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【55】撮影:13時12分=山咲 野の香
麓の桜のつぼみはまだカチカチ。でもこの青空。
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【56】撮影:13時12分=山咲 野の香
古池のほとり、桃は満開。
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【57】撮影:13時12分=伊藤 幸司
耳成山を下ったところは耳成山公園となっていて古池と呼ばれる水面もありました。ハナモモでしょうか。きれいに咲いている時期でした。
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【58】撮影:13時15分=山咲 野の香
足元には今季初、大好きなオオイヌノフグリ。
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【59】撮影:13時15分=伊藤 幸司
田んぼの畦にはタンポポとオオイヌノフグリ。早春の風景です。
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【60】撮影:13時16分=山咲 野の香
振り返って、耳成山。
古代大君の御陵とも…
今は地元の氏神様が似合そう。
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【61】撮影:13時17分=伊藤 幸司
「どなた様も」「ご自由に」というのは、こちらから耳成山を訪れて、こちらに戻ってくる人が多いということでしょうか。もし今、ここでにわか雨に降られたら、この傘をどこにどう返したらいいのか、と考えてしまいました。お気持ちはものすごくありがたい、と思うのは間違いないのですが……。
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【62】撮影:13時17分=伊藤 幸司
親切傘のところから振り返るとこんな風景。たぶんここが耳成山の最良の展望地点なのでしょう。
この写真、お恥ずかしいことですが、水平が2度狂っています。私の悪い癖で、水平のわかりにくい場所では一眼レフカメラで方眼入りのファインダーを使って慎重に構えても1度から2度水平がずれてきます。このように水平がきちんと見える場合はあまり問題が起こらないのですが、デジタルカメラで背面のモニターで見て撮る場合に、光っている自分の顔が写り込んできちんと見えないまま撮っているという現実があります。手で日陰をつくりながら撮るという状況を避けるために、最近、つばの大きな帽子をかぶってみることにしたところでした……が。
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【63】撮影:13時20分=伊藤 幸司
耳成山から畝傍山へは、もちろん徒歩で、トップの人の判断にまかせて歩くというルールでしたが、私はそこにひとつ注文を加えていました。「今井町経由」です。山なら目標が見えやすいのですが、町並みはそういうわけにいきません。まずは近鉄大阪線の線路を渡りました。
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【64】撮影:13時21分=土屋 千鶴子
耳成山を下りて今井町に向かう途中で見かけたうだつが付けられている住宅。
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【65】撮影:13時25分=伊藤 幸司
この個性的な建物は奈良県立畝傍高校でした。明治29年(1896)に奈良県尋常中学校畝傍分校として創立したという伝統校で、この校舎は昭和8年(1933)に破格の県予算で建てられたものとか。日本建築学会の「日本近代建築二千」に選ばれているとのことです。わきに古い木造校舎が保存されていましたが、国の登録有形文化財とか。
ネットで卒業生を調べてみると、私が知っている名前では高市早苗と麿赤児がありました。麿赤児は俳優大森南朗の父親ですが、私の妻の妹イトー・ターリは舞踏家・大野一雄の流れも引くムーブメント・アーティストですから、名前だけは古くから知っていました。
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【66】撮影:13時30分=矢野 博子
江戸時代の街並みが残るという今井町へ行く途中で見かけた古い看板。
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【67】撮影:13時30分=伊藤 幸司
私なら勘だけを頼りに行ってしまうところですが、女性の皆さんは道を尋ねながら、かなり慎重に「今井町」へと接近していきます。
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【68】撮影:13時32分=伊藤 幸司
古いたたずまいの家が出てきましたが、ここはまだ今井町ではないようです。
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【69】撮影:13時42分=伊藤 幸司
近鉄橿原線の踏切を抜け、飛鳥川の橋を渡ると、そこが「今井町」の入口のようでした。「重要伝統的建造物群保存地区」だそうで「『かつて大和の金は今井に七分』といわれるほど繁盛した」と案内板にありました。
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【70】撮影:13時46分=山咲 野の香
突如出現した、好一対の路上パフォーマー!
どんな大道芸か、はてさて不条理劇が始まるのか、ワックワク。
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【71】撮影:13時47分=稲葉 和平
休憩所では春の日差しの中でのんびり。お花見シーズンになったらとてもこんなことはできないでしょう。
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【72】撮影:13時47分=稲葉 和平
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【73】撮影:13時56分=伊藤 幸司
ここで畝傍山の姿も確認することができました。右手の古い町並みに入る前に、このトイレ広場で昼食休憩となりました。こんな、けっこうな町で、観光地であっても、私たち19人が入れるような食堂・レストランは皆無といっていい状態です。
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【74】撮影:14時00分=伊藤 幸司
家は古いままではなくて、ある程度復元された感じがしました。
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【75】撮影:14時02分=土屋 千鶴子
ここ今井町は古い町並みが観光目的で保存されています。ここは蔵元ですね。
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【76】撮影:14時02分=山咲 野の香
江戸時代の伝統的町並みが残る今井町をぶらぶら。
500棟もあるとか。驚き。
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【77】撮影:14時02分=佐藤 時子
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【78】撮影:14時03分=矢野 博子
どういう訳でこの古い町が残っているのか分からないけど 時代劇にでも出てきそうな町並みで いつまでも保存しておいて欲しい町並みだった。
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【79】撮影:14時03分=佐藤 時子
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【80】撮影:14時03分=伊藤 幸司
路地の一本に入って行くと、こういう本物の保存家屋がありました。有料だと聞いて先頭集団はとりあえずパスしましたが、ここには約1,500棟があって、その1/3は江戸時代からの保存建造物とか。近世以前の町並みが見られるところとしては日本有数とか。
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【81】撮影:14時03分=伊藤 幸司
これは入るのをパスした国の重要文化財・河合家住宅で主屋は18世紀中頃のものとか。「明治10年の天皇行幸の際、道路拡張に伴って一階正面通りを引込め、上下の軒先部分を切り縮められているのが惜しまれます」と解説板にありました。
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【82】撮影:14時05分=小林 美子
飛鳥川の赤い橋を渡ると江戸時代にタイムスリップ。
500棟が昔からの建築であり、町並みがこれまでにまとまって残っている場所は日本では他にないと言われていて、現在も一般の方が生活している生きた町だそうです。
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【83】撮影:14時07分=稲葉 和平
江戸時代の街並みを保存している今井町。中心部は電線も地下に埋めてすっきりした景観になっていた。電灯は江戸時代にはなかったろうけど、十分景観にマッチしたデザインだった。
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【84】撮影:14時08分=小林 美子
保存会の人達が空き家の整備をしている。
新建材を取り外すと、黒光りした梁や天井が凄みさえ見せてくれる。高度成長期に大事な日本建築に新建材を張り付けるのが流行った為で、保存会の人達のお陰で空き家が甦っている。
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【85】撮影:14時09分=稲葉 和平
この建物は今井町の中の建物の代表的な間取りに近いという。直線で区切られた空間を見るとついついシャッターを切りたくなる。
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【86】撮影:14時09分=伊藤 幸司
古い通りがこんなふうに通っています。当然時代劇のロケ地としては定番で、ネットで調べるとNHK朝ドラの「朝がきた」でも登場していたとか。
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【87】撮影:14時12分=伊藤 幸司
無料の「今井まちや館」に入りました。江戸時代、西暦1700年頃の建築手法をよく残した大型町屋の一般的な建物として復元工事が行われたそうです。建坪約30坪、「2列6室型」とか。
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【88】撮影:14時13分=佐藤 時子
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【89】撮影:14時15分=伊藤 幸司
マンホールやエアコン室外機をうまく隠せば、そのまま映画のセットですね。
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【90】撮影:14時18分=稲葉 和平
二段構えの屋根の直線が美しい。
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【91】撮影:14時18分=佐藤 時子
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【92】撮影:14時46分=山咲 野の香
神武天皇陵の一部が写っているのか心許ない。後光がさしてるから大丈夫?
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【93】撮影:14時49分=伊藤 幸司
今井町を出て国道165号を渡ると、そこはもう神武天皇陵。歴史上の人物ではないとされる天皇の陵墓が終わったところから、小さな道標によって畝傍山へと入りました。
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【94】撮影:14時50分=土屋 千鶴子
前方に見えるのはこれから登る畝傍山199m。結構高そうに見える。
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【95】撮影:14時51分=山咲 野の香
三山では最も優美高い畝傍山をめざして。
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【96】撮影:14時52分=伊藤 幸司
正面が畝傍山への登山口。標高差約130mの一気登りです。
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【97】撮影:15時14分=山咲 野の香
三山では一番登山道っぼい勾配を行く。
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【98】撮影:15時15分=伊藤 幸司
日本古来の「神社の森」が大和三山に原型として残されているのだろうな、と思います。
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【99】撮影:15時16分=矢野 博子
数時間前に登った耳成山を畝傍山の山頂から眺める事が出来た。均整の取れた山容だ。
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【100】撮影:15時17分=小林 美子
畝傍山の山頂から
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【101】撮影:15時18分=山咲 野の香
山頂、緑の小窓からは耳成山が愛らしいく。
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【102】撮影:15時18分=山咲 野の香
山頂西からは大和平野と金剛山山脈の展望。
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【103】撮影:15時19分=伊藤 幸司
畝傍山山頂から見る耳成山。ほぼ東北を眺めているので、背後のやまなみは明日歩く道筋です。
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【104】撮影:15時20分=稲葉 和平
畝傍山からの耳成山。町の中にぽっかりと浮かぶ。もしかすると東京からビルを取り去ってしまえばなだらかな丘陵地帯が広がっているのかしら。
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【105】撮影:15時20分=伊藤 幸司
西に広がる金剛山地。右端(北端)に見える双耳峰が二上山(にじょうざん・ふたかみやま)で雄岳が標高517m。左(南)にたどると葛城山、金剛山があって、奈良県と大阪府の県境をなしています。
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【106】撮影:15時20分=伊藤 幸司
白蛇のようにうねっているのは西名阪自動車道。大阪(松原市)と天理を結んでいるそうですが、そういわれてもピンとはきません。
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【107】撮影:15時20分=伊藤 幸司
畝傍山山頂での休憩。
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【108】撮影:15時24分=稲葉 和平
大和三山を背景に記念写真。人と背景の山、うまく撮れたかしら。
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【109】撮影:15時24分=伊藤 幸司
休憩ついでに畝傍山山頂での記念写真。耳成山でもそうだったけれど、きちんとした山頂標識のたぐいはありません。
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【110】撮影:15時27分=伊藤 幸司
最後にもう一度、畝傍山から耳成山の遠望です。歩いてきた道筋がどれか、けっきょくわかりませんでしたが。
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【111】撮影:15時47分=山咲 野の香
日本のはじまり、橿原神宮鳥居。通過。
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【112】撮影:15時57分=土屋 千鶴子
なんとこれが駅。遠くからは何やら展示館のようにも見えましたけど。
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【113】撮影:16時00分=山咲 野の香
香具と耳成の恋争いの板挟み。さすが畝傍の曲線美!
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【114】撮影:16時02分=稲葉 和平
この看板でこの日歩いた大和三山の位置関係、距離感、が実感を伴ってきた。
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【115】撮影:16時10分=伊藤 幸司
ここは本薬師寺跡。金堂の礎石の一部が残る医王院の脇から見ていますが、眼前に広がる水田よりさらに広く、集落部分にまで伽藍は広がっていたといいます。天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って発願したのがこの薬師寺。680年のこととされています。のちに平城京遷都によって薬師寺が西ノ京に移って、本薬師寺となり、平安時代の中頃までは存続したといわれているようです。
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【116】撮影:16時11分=小林 美子
元薬師寺阯。
畝傍山から天香久山の途中にある寺阯。
現在の薬師寺の前身にあたる寺だとか……。
この近くの田んぼに青い悪魔と呼ばれるホテイアオイ(水草)が植え付けられ、今はホテイアオイと曼珠沙華の新しい観光名所としてアマチュアカメラマンがたくさん撮影に来るそうです。
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【117】撮影:16時12分=稲葉 和平
奈良にはいたるところに古墳。
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【118】撮影:16時13分=伊藤 幸司
本薬師寺跡から見た畝傍山。歩いてすぐのところにあるわけです。そしてこれは藤原京からの眺めといっていいものです(中心街からではありませんが)。
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【119】撮影:16時14分=山咲 野の香
本薬師寺跡を過ぎて広々した田園地帯を行く。
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【120】撮影:16時24分=伊藤 幸司
畑に、キャベツの花が咲いていました。
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【121】撮影:16時25分=矢野 博子
初日の最後の山 天の香具山が見えてきた。三山は 夫々可愛らしい山だったが 山から山への移動が長かった。
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【122】撮影:16時28分=土屋 千鶴子
これから行く天香久山。ちょっと丘のようです。
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【123】撮影:16時28分=山咲 野の香
天香久山!「春すぎて…」持統天皇。しか知らないけどちょっとワクワク。
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【124】撮影:16時43分=稲葉 和平
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【125】撮影:16時43分=山咲 野の香
畝傍山を望む田園風景。
気持ちがいい。
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【126】撮影:16時44分=伊藤 幸司
この写真は大和三山3つめの天香具山に登り始めたところです。見えているのは耳成山です。
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【127】撮影:16時51分=稲葉 和平
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【128】撮影:16時52分=山咲 野の香
天香久山山頂から、畝傍山が美しく見えた。
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【129】撮影:16時52分=伊藤 幸司
そしてこちらは畝傍山。
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【130】撮影:16時55分=伊藤 幸司
天香具山の山頂でも記念写真を撮っておきました。
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【131】撮影:16時59分=伊藤 幸司
天香具山から下るところで、今日始めてと思われる閑静な田園風景を見ることができました。
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【132】撮影:17時23分=土屋 千鶴子
今夜泊まる宿です。丘の上にぽつんとあり、田舎道を歩いて歩いてやっとたどり着きました。
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【133】撮影:18時12分=伊藤 幸司
天香具山から宿までは20分ほど。午後6時からの夕食に間に合いました。

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