発見写真旅・展(126)――2016.11.12 鍋割山(61パワー)<b> 発見写真旅・展(126)――2016.11.12 鍋割山(61パワー)


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★糸の会山行No.1011 鍋割山(61パワー)────2016.11.12
*登り24p→下り21p→林道16p(約5km)

*丹沢の鍋割山です。丹沢にはかつてロープウェイをかけようかという話があったそうですが、林道が無数に張り巡らされているためか、驚くほどたくさんの「山荘」が乱立しました。今ではほとんどが放置されていますが、権利は残っているようです。私の友人でそういう小屋を借り受けて仲間と維持している例を知っています。登山道に点在する山小屋や茶店も今では週末営業だったりするのですが、登山家の草野延孝さんがスーパー経営者の山小屋をほとんど自力で建築し、そのスーパーで働きながら運営して、すでに30年以上になるようです。
*以前は(古いタイプの)山小屋体験として小屋泊まりの計画を立てました。通常なら大倉から塔ノ岳の尊仏山荘に泊まって縦走するところを鍋割山に泊まるという計画にしたこともありました。ひとりの人物が小屋を立て、道を整え、魅力を磨いて常連客を増やし、少しずつその山自体を「名山」として輝かせるというストーリーは日本中のどの山小屋も大なり小なりもっているのですが、その一時代遅れたストーリーが鍋割山にありました。
*草野さんには勤めがありましたから、夕食が終わると下山して私たちが小屋を好き勝手に使うということもありましたし、常連の方が代役をしてくれたこともあります。
*草野さんは基本的に自力で荷揚げをしていましたから、ときには夜間3回も荷揚げをするということもあったとか。水も下から運び上げるのでものすごく条件が悪いのですが、夕食は「水炊き」が基本で、水分の多い「重い」食材をこれでもか、と感じるほど投入して、私たちを毎回感動させてくれました。一度「すみません、今夜は鍋焼きうどんでごめんなさい」ということがありましたが、その「鍋焼きうどん」も鍋割山荘の名物ランチで、土鍋でひとつずつちゃんと煮るという本格派、それが週末の日帰り登山者の楽しみのひとつとなってきました。
*心配は週末の昼に、その「鍋焼きうどん」を確実に食べられるかどうかでしたが、電話は(留守番電話以外)ほとんど通じませんでした。そこで食べられない可能性も含めて、鍋割山の鍋焼きうどんをメーンテーマにした計画を立てたのです。
*驚いたのは山頂の賑わい。まろやかなあの山頂にたくさんの登山グループが点在していましたから見た目で200人と概算していましたが、小屋に入ると鍋割うどんを注文した人たちが並んでいて、それぞれが複数の注文をしているようなので、そちらの概算も100という感じでした。以前なら絶望的な混雑状態でしたが、厨房側に携帯ガスコンロが無数?(奥が見えなかったので)という感じで置かれているようです。使用済みの土鍋もすでにたくさん積み上げられていましたから200食ぐらいは出せる体制が整えられていたのでしょう。
*いまや鍋割山荘はランチの名店として広く知られているようです。県民の森からなら24パワーの登り。私たちは8パワー=1時間で概算しますが、家族連れなら6パワー=1時間というペースで概算できるのではないでしょうか。下りも登りと同じ時間で概算しておくと、そこに余裕が含まれます。昼食は待ち時間を考えれば1時間は必要です。
*……という、鍋割山で鍋焼きうどんという計画を立てたのです。


11月12日
・1010……県民の森からの林道を出発(標高約500m)
・1020……大倉方面への林道との分岐(標高約500m)
・1030……二俣通過(標高約550m)
・1030-35……衣類調節の休憩(標高約550m)
・1055-1100……林道終点(鍋割山荘水置き場)で休憩(標高約600m)
・1125……後沢乗越で稜線へ(標高約800m)
・1140-50……休憩(標高約950m)
・1245-1400……鍋割山山頂(標高328m)
*計画書では鍋割山から塔ノ岳への稜線をたどり、小丸と大丸の間の「二俣分岐」から「二俣」へ下る予定でした。が、往路その「二俣」で、下山予定のルートが伐採作業のため通行禁止となっていたので、鍋割山からは往路と同じルートを下ることにしました。 ・1455……後沢乗越(標高約800m)
・1520-25……林道終点(鍋割山荘水置き場)で休憩(標高約600m)
・1545……大倉への林道分岐(標高約500m)
・1650……大倉バス停(標高約300m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の1人です。
伊藤 幸司(41点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:伊藤 幸司

















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【01】撮影:10時22分=伊藤 幸司
小田急線・渋沢駅からタクシーで表丹沢県民の森まで直行。
そこから一般車通行止めの林道を歩きます。
まずは四十八瀬川に沿って勘七ノ沢との合流点まで。
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【02】撮影:10時34分=伊藤 幸司
勘七ノ沢沿いに大倉尾根へと合流する道をやり過ごすと、二俣。
鍋割山〜塔ノ岳稜線にダイレクトに登る小丸尾根のルートが現れます。
ところがそこが森林伐採のため通行止めという。今回下山路と考えていたところなのに。
それはそれとして、往路は計画通りミズヒ沢から後沢乗越(うしろざわのっこし)へ。
鍋割山荘の車が置かれ、小屋に荷揚げするペットボトル入りの水置き場のところまでが林道です。
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【03】撮影:10時34分=伊藤 幸司
明らかな逆光のシーンがあったら、結果を考えずに撮ってみます。
カメラ任せですからどんな写真になるかわかりません。
画面の上部に太陽光が入り込んでいますが、ときにはそれが致命傷になります。
画面の明部と暗部の露出のバランスがその時の印象と比べてどうか、つまり自分の「感じ」とカメラの「感じ」がどの程度合致しているのか、カメラを思ったように動かそうとする前に、どんな性格なのかいろいろお付き合いしてみることが重要です。
いろんな角度からのおつきあいも楽しくなりますし。
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【04】撮影:10時44分=伊藤 幸司
ミミズさんとはあまり親しい関係ではありませんが、登山道で見かける大型のミミズは、まずはシマミミズとフトミミズのどちらかと考えるのがいいようです。
色がピンクで縞々があるシマミミズは地中にもぐらずに落ち葉が発酵した後で食べて分解するのだそうで、発酵熱の落ち葉に保温されて冬を過ごすのだそうです。
野菜くずも同様に分解するのでコンポストに適している他、繁殖もしやすいので釣り餌として売られているとか。
もうひとつのフトミミズは落ち葉や堆肥を食べるものの、地中に潜って排泄することから土壌改良の立役者。
石をひっくり返すと出てくるのがたいていこれだとか。
冬は卵で過ごし、体の色は透明なので食べるものによって色が変化するとのことです。
これはどうやら後者のようで……。
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【05】撮影:10時45分=伊藤 幸司
一応、ねらいは紅葉でした。
川向うに見上げる山肌には、たしかに紅葉はありますが、さて、どんなもんでしょうか、ねぇ。
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【06】撮影:10時46分=伊藤 幸司
これは黄葉かもしれませんが、むしろ新緑の季節のようにも見えてしまいます。
稜線に出るとシカの食害で森林に元気がないように感じられる丹沢ですが、ずいぶん若々しい緑だと感じました。
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【07】撮影:10時58分=伊藤 幸司
これが林道のどん詰まりに、鍋割山荘が用意した飲料水。
強制ではないけれど、登山客が運び上げてくれると、草野延孝さんのボッカの手間が軽くなる……ということで、以前はこれが山小屋経営の生命線でした。
草野さんはヒマラヤで足の指を失った山男で、山小屋のオーナーが経営するスーパーに勤務しながらほぼ独力で鍋割山荘を建て替え、夜間に何度も荷揚げするなどして宿泊客に対応していました。
私たちも以前、夕食後は草野さんが下山して私たちだけで一夜を過ごしたり、常連の登山客の人が助っ人で小屋番をしてくれたりという体験をしています。
いまでは草野さんも歳ですし、若い人が経営に携わっているのでしょうから、荷揚げの負担は以前ほどではないのでしょうが、方式は同じです。
でも、ここで何リットル持つことに決めるか、その増加分が登りでどんなふうに負担になるか、体力強化のひとつの試みとしては効果的な体験ですから、私は静かに見守っています。
今回は糸の会としては「若者」の多いチームですが、ここに見える平均年齢は66歳。
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【08】撮影:11時02分=伊藤 幸司
ミズヒ沢から後沢乗越への登りが始まります。
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【09】撮影:11時12分=伊藤 幸司
植林されたスギの立派な木がみごとにへし折られています。
元気だったはずの木が圧殺されたのは雪のせいです。
関東では冬の気圧配置が弱まった3月ごろに大雪が降りますが、そういう湿った雪が一気に降ると、枝を張った元気な木ほどその重さに耐えられず、へし折られてしまうのです。
八甲田山や蔵王では湿り気のある雪が常緑針葉樹にまとわりついて防寒服となり、コワモテのスノーモンスターを演じ演じたりするのですが、ここでは瞬間的な暴力事件となるのです。
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【10】撮影:11時16分=伊藤 幸司
日本の山は、戦後の植樹運動によってどこへ行ってもスギ・ヒノキ林となりました。
糸の会の樹木研究家・国木田之彦さんによれば、幕末の日本では写真で見る限り、禿山ばかりだったとか。
それと比べると、戦後、日本中ですごい緑化が行われたのだそうです。
ここも、きちんと手入れの加えられた森林です。
ただ、登山道がかなり削られていることがわかります。
丹沢の登山道は多くの場所で激しい浸食にさらされています。
鍋割山荘の草野さんはその登山道保護の先端に立って、大倉尾根で展開される「ボッカレース」の仕掛け人のひとりだったそうですが、みんなで石を運び上げて道普請をするという運動に途中から反対して自分なりの登山道保護をするようになったと聞いたことがあります。
人が歩いてちょっとへこんだところに、豪雨の水流が流れ込むとたちまち川になり、浸食が始まります。
それを防ぐには、年に何度か、あるいは何年に一度かの豪雨のときに水流を早めに逃す道作りが必要だというのが草野さんの結論のようです。
「50mおきに水切りをすれば道は傷みません」と聞いたことが、私の登山道観察の基本となってきました。
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【11】撮影:11時23分=伊藤 幸司
後沢乗越まであと一歩というところ。
左手は小さな谷になっています。
斜面を這い上がる谷は稜線に出る手前で急斜面になります。
丹沢山地ではそこのところの浸食活動が活発でしばしば稜線をたどる登山道が崩落したりするのです。
この道も、もう少し(数分)行くと、最後の急斜面をジグザグ登りすることになります。
なお「乗越」(のっこし)というのは峠のことです。
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【12】撮影:11時33分=伊藤 幸司
後沢乗越で丹沢山地の縦走路に出たのが11時25分でしたから、これはそれから10分も経っていません。
でも風景はガラッとかわりました。
左右両側が下がっているので空が大きくなって、まさに尾根筋です。
「縦走」の楽しさの基本的な気分がここにはあります。
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【13】撮影:11時58分=伊藤 幸司
秋のマムシグサ。
1本立っているだけで風景がピシッと締まります。
でもマムシグサはテンナンショウ科のただ一人の看板スターなので、名前を問えば、その他大勢の「○×テンナンショウ」かもわかりません。
丹沢にはマムシグサはある、と決め込んでいいようなので、たぶんそれでいいのでしょう。
全身毒だそうですから、こんな無防備の状態で、シカの食害から逃れているのだろうと思われます。
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【14】撮影:12時09分=伊藤 幸司
標高約950mの地点で10分休憩をして、11時50分に出発して、約1時間、標高差約300mを登って山頂に。
2万5000分の1地形図で50mごとの等高線と交差するところに直径4mmの円(実際には直径100m)を描くとその間隔や重なり具合で傾斜の変化がわかります。
後沢乗越から鍋割山山頂までは緩急を繰り返しながら平均傾斜約20度……(円がほぼひとつぶん空いた状態で並んでいるのを目安にし、円と円が接していれば約30度と見ます)を基調とする登山道が延びています。
怪しげな概算をしましたが、首都圏の多くの登山では、斜面の傾斜が20度を割ると道は直線的に延びていきます。
ところが谷から尾根に登る斜面は30度から40度というのが普通ですから、そこではジグザグ道になります。
稜線は下界から見上げたときの印象どおりにうんと緩やかな傾斜ですから、このように直線的な道が伸びていることが多いのです。
稜線の道で直線部分とジグザグ部分の組み合わせを見ていくと、その登山道を作った人との会話が成立してくることがあります。
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【15】撮影:12時11分=伊藤 幸司
稜線の紅葉は、結局、こんな感じでした。
黄色はそれなりに美しいけれど、赤はこの時期、もうダメなようです。
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【16】撮影:12時12分=伊藤 幸司
この道に子どもがいました。
山の雰囲気がガラッと変わります。
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【17】撮影:12時13分=伊藤 幸司
ほら、こんなふうに道がジグザグに切れられています。
「30度の斜面に20度の登山道」の基本は富士山ですから、それと首都圏の多くの山の登山道とが、おおよそ同じ感覚で開発されているという認識ができると、歩き方が変わるのです。
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【18】撮影:12時19分=伊藤 幸司
素人目には花の少ない丹沢ですが、秋ですからツルリンドウがありました。
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【19】撮影:12時30分=伊藤 幸司
登り道で見上げる山頂がほんとうの山頂かどうかは怪しいことが多いのです。
登り詰めて山頂かと思ったら、そこに「あと30分」などという案内があったりします。
これはたぶん、まちがいなく、確信を持って山頂だと思いましたが、さて、どうだったでしょうか。
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【20】撮影:12時36分=伊藤 幸司
これがたぶん、この日の鍋割山の、登りでの最上の紅葉……だったと思います。
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【21】撮影:13時27分=伊藤 幸司
これが最近あまりにも有名な鍋割山の鍋焼きうどん。
12時45分に到着して小屋に入ると内部は満員、みなさん鍋焼きうどんの待ち人でした。
注文表に記入して代表選手として小屋内に残ります。
以前だったらとても注文を受けられる状態ではないところ、今日は調理場の奥からカウンターの外まで、カセットコンロが何十台……は大げさとしても十何台か二十何台か並んでいて、若者たちがそれに張り付いています。
戻ってくる鍋が次々に積み上げられて、出来上がった鍋が次々に運び出されてくるという修羅場。
さすがにネットかなにかで有名になったという「鍋割山荘の鍋焼きうどん」です。
この水っぽいランチと、水炊きというさらに水っぽい夕食を、水のない鍋割山荘で、かつては草野さんが一人で、力任せにやり続けていたのです。
草野さんの顔は奥の方にちらりと見たように思いますが、週末の鍋焼きうどんが経営に大きく寄与しているらしいことは、嬉しい限りです。
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【22】撮影:13時30分=伊藤 幸司
広くて緩やかな山頂には驚くほどたくさんの登山客がいました。
それを200人と見積もって、山小屋の中での料理待ちがおそらく100人分、すごい数の鍋割うどんがこの山の賑やかさを支えているのだと思います。
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【23】撮影:13時41分=伊藤 幸司
大倉バス停から歩くと林道を1時間半ほどプラスしなければなりませんが、東丹沢県民の森に駐車している車はたくさんありましたから、ここは登り約3時間のところ。
かつては背に届くような笹原だったところがシカの食害で見通しのいい尾根になり、山頂部分はこんな気持ちいい草原に。
じつはこのあたりシカさんがよく訪れる場所でもあるのです。
山小屋レストランの休日ランチとしてはすばらしいロケーションです。
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【24】撮影:13時56分=伊藤 幸司
山頂から見る紅葉は、さすがにキリリとした印象でした。
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【25】撮影:13時56分=伊藤 幸司
私たちとは関係のない人たちですが、いいですねェ、こんな気分。
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【26】撮影:14時01分=伊藤 幸司
こちらが私たちの精鋭部隊。
計画ではここから塔ノ岳へと延びる縦走路を進んで、途中の小丸尾根を下る予定でしたが、森林伐採のケーブルが登山道までかかっているらしく通行止めとなっているので、もと来た道を帰ることになりました。
登ってきた道を下ると、見える風景が違います。
それが楽しみです。
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【27】撮影:14時02分=伊藤 幸司
山頂から下り始めたところにこういう木がありました。
登ってくるときにも見たのですが、傾きかけた陽光に照らされて、揃い踏み、という感じです。
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【28】撮影:14時02分=伊藤 幸司
この樹形は何なんでしょうか。
細い直線的な枝が伸びていればイロハモミジという感じがしますが、角度をそろえて上へ上へと伸びています。
ネット上で同じような樹形を探しましたが、わかりません。
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【29】撮影:14時02分=伊藤 幸司
これは葉っぱを拡大してみたらカエデです。
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【30】撮影:14時04分=伊藤 幸司
こちらはもちろんカエデですが、拡大して葉っぱをよく見るとイロハモミジかオオモミジというところ。
違いは葉の外周にギザギザがある(重鋸葉のイロハモミジ)かギザギザがシンプル(短鋸歯のオオモミジ)という違いだそうですから、これはオオモミジと考えました。
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【31】撮影:14時13分=伊藤 幸司
富士山を見るなら朝のうちの陽光がベストですが、山肌は午後になると刻々と変化します。
……ということで思い出しましたが、この日鍋割山山頂からの富士山は山体上部だけに雲がかかって見えませんでした。
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【32】撮影:14時15分=伊藤 幸司
下り道では、今度は咲いたツルリンドウを見つけました。
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【33】撮影:14時16分=伊藤 幸司
登りでは気づかなかった秦野の町の眺めを、ここでまた楽しみました。
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【34】撮影:14時26分=伊藤 幸司
尾根道の下りになると、視野が登りよりは大きくなります。
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【35】撮影:14時37分=伊藤 幸司
紅葉・黄葉もけっこう彩りを添えてくれていたんだと感じます。
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【36】撮影:14時38分=伊藤 幸司
標高約900mあたりから傾斜を増しつつ下っていきます。
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【37】撮影:14時52分=伊藤 幸司
画面の先に後沢乗越が見えてきそうなところです。
ジグザグ道が終わるとその先はほぼ真っすぐに下っていくように思われます。
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【38】撮影:15時00分=伊藤 幸司
後沢乗越からの下りです。
大きめの段差はダブルストックで「ゆっくり&大きく」下ると安全で速いという状態を維持できます。
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【39】撮影:15時29分=伊藤 幸司
振り返って見る最後の山肌。
この日のやわらかな秋景色は記憶に残るものとなりました。
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【40】撮影:15時41分=伊藤 幸司
二俣のところでこの橋を渡ります。
このあとは林道を大倉までのんびりと下りました。
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【41】撮影:18時25分=伊藤 幸司
この日は大倉バス停にタクシーが何台も並んでいたので、そのまま湯花楽直行で入浴・食事となりました。

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