【撮影】1日目 09時44分=秋田 守
水戸駅から10番のバスに乗った。乗車口にタッチパネルはあるが、suica、PASMOは使えませんとある。偕楽園入口で下車、紅葉の木々で彩られた常磐神社の前を通り、偕楽園の入園券を購入した。参加者7名、他の皆さんはコーチを含めて全員70歳以上割引で150円、ぼくだけ割引なし300円を支払った。2ヶ月前にやっとJRのジパング倶楽部会員になれた若輩だからしょうがない。偕楽園はずっと入園無料だったのが、今月から有料になったばかり。
【撮影】1日目 09時47分=秋田 守
常磐神社にお供えされていた茨城県内の酒樽。今夜の宿は飲み放題のはずだが、果たしてここに並んでいる有名蔵の地酒は飲ませてもらえるのかしら、朝からそんなことが気になってしょうがない。前日に人間ドックを受診したため、その前はしばらくお酒を断っており、追い打ちをかけるように胃カメラ検査の際に生検となり、今日は酒を飲むなと言われたので、今夜は久しぶりに呑めるという状況だった。言い訳にもならないと承知の上で。
【撮影】1日目 10時06分=秋田 守
偕楽園に入園しても、当然、梅の花は咲いているわけがない。きれいに手入れされた園内で目立っているのは、立派な松の木の数々。いずれも見事な枝振り。かなりの人手をかけて整えているのではないか。木の名前は苦手でよく分からないが、五葉松だろうか。朝方まで降っていた雨の名残が、枝葉の先に光っていて美しかった。今回は山の花も期待できないし、コンデジしか持ってこなかったが、マクロ機能が使えるので、こういう時心強い。
【撮影】1日目 10時08分=秋田 守
園内の高台、見晴らしのいい場所は仙奕台(せんえきだい)と呼ばれ、囲碁や将棋を指す場として設けられた。奕とは囲碁を打つことを意味するのだそうな。これは石で作られた将棋盤。お天気のいい日にここで将棋を指せたらさぞかし気持ちいいだろう。見晴がいいため、有事の際は砲台を据えて水戸城の警護に使うという目的もあったようだ。偕楽園を造った水戸藩第9代藩主徳川斉昭というお方は、いろいろ知恵が回る賢明な人だったのだろう。
【撮影】1日目 10時10分=秋田 守
園内を歩いていると、柵で囲われた丸くて広い空き地があった。看板を見ると、ここに左近の桜があったが、今年の台風15号で倒木し、再生不能と診断されたそうだ。15号の被害は房総半島だけでなく、水戸にも及んでいたとは知らなかった。初代左近の桜は、徳川斉昭正室降嫁の際に、天皇より下賜されたもので、後に弘道館前に植栽。戦後の偕楽園復旧改修工事完了を記念して、昭和38年、宮内庁から受領した3代目の左近の桜が植えられていた。
【撮影】1日目 10時11分=秋田 守
彩りが乏しい晩秋の偕楽園園内で、唯一、華やかな彩りが見られた。二季咲桜、という品種だと看板に記されていた。ぼくが日頃ウォーキングで歩くコース上にも、秋から冬にかけて咲いている桜が数本ある。梅の花でそのような季節外れに咲く品種はないのかしら。見たこともないし、聞いたこともないなあ。品種開発しようにも、桜のようには需要がないのかもしれない。この木だけでなく、偕楽園内には他にも咲いている桜の木があった。
【撮影】1日目 10時26分=秋田 守
好文亭は別料金が必要だった。ここもまた70歳以上割引、ぼくだけ200円。他の皆さんは100円。なんだか腑に落ちない。しかも小銭が100円しかなくなり、1万円札を出したら、それは勘弁して下さいと言われた。お金を出せと言ってるのはそちらじゃないですかと口に出しそうになったけどそこはこらえて、若井さんに100円借りた。苦労して中に入ると、大きな椿の木に真っ赤な花が咲いていた。笑われたような気がして、ちょっと恥ずかしかった。
【撮影】1日目 10時43分=秋田 守
好文亭最上階から千波湖方面を見渡す。湖畔の黄葉が湖面に映えていい感じ。こりゃ素敵な眺め。だが台風の時は増水して大変だったようだ。今は穏やかな秋晴れの景色が広がっていた。ここで一杯やったら、いいだろうな。昔の人も同じようなことを考えたようで、料理などを運び上げるための滑車式の今でいう簡易エレベーターみたいな仕掛けが作られていた。そもそも好文亭を建てるに際して、その設計も斉昭自身が行ったというから驚く。
【撮影】1日目 10時55分=秋田 守
好文亭を出ると、花嫁花婿衣装のカップルが写真撮影をしていた。こういうのは結婚式の前撮りというのでしょうか。有名観光地で時々見かけるけど、海外でも遭遇したことがあるなあ。恥ずかしい話をするなら、ぼくは約40年前に結婚した時、フツーの結婚式をするのが嫌で、ハネムーンで出かけたアメリカ西海岸のサウサリートの教会でカミさんと2人だけで式を挙げた。帰国後、互いの親類の家を1軒ずつ挨拶回りするのは大変だったけど。
【撮影】1日目 11時19分=秋田 守
偕楽園本園から常磐線を越えて、博物館の通りを山の方へ向かった。もみじ谷は、いかにも人工的な公園だったが、ちょうど紅葉の最盛期で、思いの外、大勢の人が訪れていた。写真を撮るのが趣味の方もいて、大きなレンズをぶらさげて歩いている。木の下にはライトが所々に設置してあり、ライトアップも見事だろうなと思った。もみじ谷を抜けて、バスが通る道まで出て、バスで水戸駅方面へ向かった。駅の一つ手前、南町二丁目で下車。
【撮影】1日目 12時04分=秋田 守
お昼は若井さんのお勧め、吾妻庵で蕎麦。県庁が近いため、昼時はスーツ姿の人たちで混み合っている。店内は、小上がりもあり、天井が高く、窓から陽光が差し込み、のどかな雰囲気が好ましい。先に食券を買う仕組み。一押しらしい天ざるにした。天ぷらはエビではなくかき揚げ。貝柱かと思ったら、小さく切ったイカだった。蕎麦もまずまず美味しいし、辛口の汁もいい。営業時間を見たら、昼間だけだった。なんで夜はやらないのかしら。
【撮影】1日目 12時14分=秋田 守
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吾妻庵の蕎麦湯は、どっしりしたやかんに入れて供された。へえ、錫製かな。店の雰囲気とマッチしていて絵になる。濃いめの美味しい蕎麦湯だった。1人前でも蕎麦の量はたっぷりあって十分だったが、コーチはせいろを2枚食べていた。メニューには大盛り希望の方にと、こせいろ、というのもあったが、それじゃ物足りないらしい。そう言えば、富山駅前の寿司屋でシロエビを何人前も食べていた。たくさん食べないと気が済まないんだね。
【撮影】1日目 14時18分=秋田 守
水戸駅から水郡線で常陸大子駅に向かった。列車は意外にも5両ほど繋がっていた。片側4人掛けのクロスシート、反対側は2人向かい合わせのシート。ローカル線で時々見かけるタイプの客車でそこそこ新しい様子。水戸駅では多くの学生達で混雑していたが、彼らは次第に下車して乗客数は少なくなった。西金駅から先は台風の影響で代行バスに振り替え。どんなバスかと思ったら、年季の入った路線バスだった。30分ほどで常陸大子駅到着。
【撮影】1日目 15時07分=秋田 守
台風19号で久慈川が氾濫して常陸大子は浸水した。鉄橋が崩れた水郡線は西金〜常陸大子間は代行バスが運行。常陸大子駅から郡山方面へは通常通り列車が運行している。2両編成の運用。常陸大子駅構内は結構広く、外れには転車台もあった。実際に使用される機会はあまりないらしいが。実は8月に青春18きっぷで旅をして、磐梯熱海駅から帰路、水郡線を利用して水戸経由、柏まで帰った。2ヶ月後に寸断されるとは思いも寄らなかった。
【撮影】1日目 15時13分=秋田 守
常陸大子駅の北西にある永源寺は、もみじ寺の別名を看板に掲げるほどの紅葉名所だった。知らなかったなあ。県内では有名らしく、この後、宿で観たテレビの地元ニュースでも放映されていたほど。たくさんの人が寺に向かって歩いていた。この20年ほどの間にもみじの名所にしたらしい。今年は各地で紅葉がいまいち美しくないと言われている。が、ここは見事に深い赤や朱、黄色で飾られていた。ただし、日が陰ってしまったのは残念だった。
【撮影】1日目 15時23分=伊藤 幸司
明日は男体山の右下にあたる大円地(おおえんち)から一気に登って、ここに見える稜線を左にたどり、最後ちょっと下っているあたりから、一気に袋田の滝へと降りていきます。
【撮影】1日目 15時46分=秋田 守
永源寺から今夜の宿へ向かって常陸大子の町の大通りを歩いた。古い家並みが続いていて、懐かしい商店街の風情が漂う。表の葦簀に洒落た木の飾りが付いているお宅には、蒟蒻粉問屋松浦政二商店という看板が上がっていた。通り過ぎ様に中をのぞくと、大きな鉢にたっぷりの菊の花が生けられていた。その鮮やかな黄色に目を奪われた。ただ古いだけでなく、今も現役で活躍している建物には風格のようなものが滲み出ていて、心惹かれる。
【撮影】1日目 15時47分=秋田 守
松浦政二商店の隣は古民家カフェだった。daigo cafeというお店。30年ほど空き家として放置されていた民家を1年がかりでリフォームして2013年にカフェをオープン。その後、2017年には国指定有形登録文化財にもなったそうだ。室内の雰囲気もインテリアもいいセンス。実に昭和な感じ。いやあゆっくりコーヒーでも飲みたかったなあ。実は、翌日、下山後、ここで食事したいねという話が出たが、水曜日はあいにく定休日だった。誠に残念なり。
【撮影】1日目 16時06分=秋田 守
本日のお宿、ホテル奥久慈館は、久慈川を渡り、高台に登った所にあった。駐車場が満杯らしく車の誘導をしていた。ここは伊東園ホテルズの1軒。元々は農協経営の施設。1週間前に同じグループの四万温泉に泊まってきたばかり。そちらは館内の掃除が本当に杜撰で部屋の隅にクモの巣が張っていて驚いたが、こちらの洋室ツインルームはなかなか快適だった。フロントで長々と予約内容のことを文句言っているおじさんには閉口したが。
【撮影】1日目 19時14分=秋田 守
宿に入ったのが16時過ぎ。まずは温泉に浸かり、風呂上がりはビールを飲みながら大相撲観戦。夕食は2部制で、我々は遅い方、19時15分スタートということで、さらにコンビニで買ってきた茨城県内の木内酒造の菊盛ワンカップをグビリと。で、食事タイムは伊東園ホテル売り物、90分間飲み放題。日本酒は4種類。3種類はアル添酒。地元大子の蔵元家久長の八溝だけが純米酒だった。これはまずまず呑めるお酒。生ビールと八溝で杯を重ねた。
【撮影】1日目 19時23分=秋田 守
夕食の料理は食べ放題のバイキング形式。これは伊東園ホテルいずこも同じスタイル。コンニャクや豆腐、山菜など酒の肴的なおかずを中心に取ってきた。あくまで野菜や魚介系をメインに。決して美味しいとは言えないが、こうした宿ではもともと料理に期待してないから、ただ割り切るだけ。先週泊まった伊東園ホテル四万で働いていたのは高齢者と外国の若者ばかりだったけど、ここはそうではなかった。地域によって労働環境が違うのかなあ。
【撮影】1日目 22時38分=秋田 守
食事の後、若井さんとカラオケ部屋をのぞいた。夕食前は大勢入って賑やかだったが、先客は女性3名のみ。離れたテーブルに着くと、マイクとコントローラーを回してくれた。さらに、缶チューハイも吞んで下さいと渡された。慌てて自販機へ買いに走り、お返しを。そのうち隣のテーブルへ移動してご一緒することになった。米沢からお越しのグループ。皆さん、カラオケお上手。ぼくはデュエット苦手だが、若井さんはかなり盛り上がっていた。
【撮影】2日目 08時23分=秋田 守
朝風呂に入って身支度をして、7時から朝食。野菜をたっぷり食べるようにした。7時30分過ぎ、タクシー2台に分乗してコンビニ経由で大円地登山口へ。今日も幸い快晴。気持ちよく青空が広がっている。目の前に奥久慈男体山の山頂があった。標高はさほどでもないが、山頂下は険しく切り立っている。かなり寒いのではないかとしっかり防寒対策をしてきたが、それほど寒さは感じない。登り始めて間もなく厚手のシャツは脱いでしまったくらい。
【撮影】2日目 08時29分=秋田 守
歩き始めてすぐに、急傾斜の斜面に茶畑が見えた。その上にはミカンの木。網が張り巡らされているのはイノシシ対策だろう。タクシーの運転手もクマはいないがイノシシは多いと話していた。数日前に聴いた講演で、日本全国で1年間に捕獲されるイノシシは約60万頭、ニホンジカもほぼ同じ頭数と教えられた。その9割近くは狩猟ではなく、有害駆除の結果だという。それでもイノシシもニホンジカも増え続けているのが現状。共存の道は遠い。
【撮影】2日目 09時14分=秋田 守
岩場がちな急斜面を登り、山頂手前の見晴らしのきく尾根に出た。筑波山も見えたが、雪をかぶった富士山が見えると分かって、思わず声を上げた。真ん中当たりに写っているのだが、この画面ではおそらく判別できないだろう。誰かに言われたが、筑波山と富士山を一度に眺められるのは貴重。そう言われてみれば確かにそうだ。遠くの山も見応えあるが、近くの延々と続く低い山並みはこのあたりならではの景色。奥が深いと改めて実感した。
【撮影】2日目 09時52分=秋田 守
大円地登山口から奥久慈男体山山頂までは一気に急斜面を登る。その大半は、礫岩と言うのだろうか、礫を含む大きな岩塊をよじ登るルートだった。鎖やロープがあちこちに張り巡らせてあった。こうした箇所は、ストックはぶら下げて、両手両足の4点のうち、3点確保をしっかり心がけるようにとコーチから注意があった。つるつるの岩ではないので、とっかかりはたくさんあって、手がかりに困ることが少なかったのがありがたいと感じた。
【撮影】2日目 10時20分=秋田 守
昨日、永源寺からもよく見えた山頂のパラボラアンテナはテレビ電波の中継塔らしい。作業員が数名いて、工事が終わり、新しく完成したばかりのようだった。時折、冷たく強い風が吹き付けるが、日差しがたっぷり注ぎ、体感温度的には寒くはなかった。山頂の標高は653.7m。三角点もある。標高の割には険しい登りだった。後から分かったが、一番楽に登れるルートは、東斜面から登るようだった。よくよく見れば、出発地点の駐車場も見えた。
【撮影】2日目 11時10分=秋田 守
男体山山頂から先は、袋田の滝に向かって北へ、ひたすら尾根筋を下っては登り、下っては登りを繰り返した。尾根の両側のほとんどは広葉樹林で見事に紅葉している。紅葉の葉っぱ越しに柔らかな日差しが差し込み、目の前も、見上げても、足下にも、すべて赤や黄の葉っぱばかり。これほど紅葉を堪能した山歩きは初めてと言ってもいいほどだった。息をするたびに体の中までも真っ赤に染まりそうで、すがすがしく最高の気分を味わった。
【撮影】2日目 13時11分=秋田 守
こうなると、もう説明は不要でしょう。幸せなひとときでした。
【撮影】2日目 13時30分=秋田 守
登山道脇になぜかツツジが咲いていた。ツツジは時々、季節違いに咲いているのを見かけることがある。毎年、秋に京都へ出かけるが、今年訪れた時、東寺へ行くと、五重塔近くの池の畔にやはりツツジがたくさん咲いていて驚いたのを思い出す。10月だったがまだ暑かったなあ。調べてみると、台風の後や異常気象の年に咲くという「不時現象」や、偕楽園の桜のように二季咲ツツジというのもあるらしい。これは不時現象のためだろうか。
【撮影】2日目 14時38分=秋田 守
ずっと男体山から尾根筋を歩き続け、月居トンネルの上あたりを過ぎ、袋田の滝が近づく頃、月居城跡の石碑があった。佐竹氏の一族によって築城され、その後、佐竹氏自体が秋田に転封される時に城主野内氏も共に秋田へ移り廃城となった。野内氏は後に月居姓を名乗ったという。この石碑の裏面を見ると、寄進者の名前が並んでいるが、北海道並びに秋田在住の月居姓がずらりと記されていて驚いた。秋田から北海道へ移住したのだろうか。
【撮影】2日目 15時28分=秋田 守
尾根歩きの最後は、袋田の滝の上から下っていったわけだが、そのおかげで生瀬の滝という、下からは見えない袋田の滝最上段部を見ることができた。こんなに上の方の奥深くまで滝が続いているとは知らなかった。
【撮影】2日目 15時50分=秋田 守
袋田の滝には昔来たことがあるが、エレベーターなんてあったかしらと思った。平成20年にできたものらしい。確かに、上から眺める袋田の滝は迫力があった。紅葉時期もいいけど、冬の凍った滝も見てみたいなあ。
【撮影】2日目 16時04分=秋田 守
こちらは下の展望台からの眺め。よくよく見たら、この日ずっと登ってきた礫岩が滝の岩盤だった。周辺の山全体が同じ岩盤でできているということか。本日の貴重な山歩きの締めくくりとしては首尾一貫した終わり方だなあと感じ入った。
【撮影】2日目 17時15分=秋田 守
下山後の温泉入浴は、常陸大子に戻り、大子温泉保養センター森林の温泉へ。内風呂にはリンゴがぷかぷか浮かんでいた。よく見たら、囓られたリンゴもあった。誰や、風呂の中で齧りついたヤツは。汗を流した後は、施設内の食事処で大相撲テレビ観戦しながら。生ビール、豆腐、焼き鳥。追加で家久長冷やで1本と〆のカレーうどん。出発時間が前倒しになって、慌ててうどんを食べることになったが、ご馳走様でした。外へ出ると寒かった。