発見写真旅・展(121)――2016.10.6 パノラマ台(27パワー)<b> 発見写真旅・展(121)――2016.10.6 パノラマ台(27パワー)


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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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追加1……2012年9月18日のパノラマ台=伊藤 幸司
追加2……2010年1月19日のパノラマ台=伊藤 幸司
追加3……2009年11月21日のパノラマ台=伊藤 幸司
追加4……2004年7月27日のパノラマ台=伊藤 幸司
追加5……2000年9月19日のパノラマ台=伊藤 幸司

★糸の会山行 1006 パノラマ台(27パワー)────2016.10.6
*登り11p→稜線4p→下り12p

*ものすごく軽く登れて、記憶に残る。そういう意味では標高約950mの本栖湖から軽く登れるパノラマ台に価値があります。なにしろ明治時代、世界放浪の果に富士山展望の絶好ポイントを発見して観光ホテルを建設した英国人の「目」が、いまだにその価値を失っていないからです。
*今回はちょっとした事情があって、27パワー(8パワーを1時間として3時間半)という計画にしたため、バス待ちの時間も含めてちょっと時間が余ったりしました。
*計画書に「今回は軽く、ゆっくり歩きたいと思います。秋の気配の富士山と精進湖に期待しつつ……」と書きましたが、20年余で数百回参加している超ベテランにはやはりちょっと「軽すぎた」ようです。


10月6日
・1045……本栖湖バス停を出発(標高約900m)
・1100……本栖隧道で国道から登山道へ(標高約900m)
・1100-05……ストックを出す(標高約900m)
・1200-05……烏帽子岳(標高1,257m)
・1240-1300……パノラマ台(標高1,328m)
・1320……下山路分岐(標高約1,250m)
・1400……パノラマ台下バス停(標高約950m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。
齊藤 紀久子(6点)
小松 恒彦(5点)
伊藤 幸司(53点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:齊藤 紀久子




撮影:小松 恒彦


撮影:伊藤 幸司






















追加1……2012年9月18日のパノラマ台=伊藤 幸司




追加2……2010年1月19日のパノラマ台=伊藤 幸司




追加3……2009年11月21日のパノラマ台=伊藤 幸司






追加4……2004年7月27日のパノラマ台=伊藤 幸司




追加5……1994年9月19日のパノラマ台=伊藤 幸司



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【01】撮影:09時05分=伊藤 幸司
午前8時35分に大月駅を出た富士急行電車は9時6分に三つ峠駅に停まります。この写真は三つ峠駅付近から撮った三ッ峠山山頂です。
私が登山にほとんど興味を持っていなかった少年時代、この駅からこの山に登る人たちには「夜行日帰り」が人気だったと記憶しています。「半ドン」の土曜日の夕方からか夜からか、この駅に向かい、どういう電車だったかは知りませんが、早朝に登り始めて日曜日中に帰宅、というスケジュールだったようです。ちなみにその当時、日本隊のマナスル登頂に始まる一大登山ブームには土曜日の午後から日曜日の朝までという週末フル登山もあったようです。今も夜行の登山バスなどがありますが、この山への夜行日帰りはもうないでしょう。私が企画してきた三ッ峠山はすべて裏口からですし、こちら側から上ったときには山頂で1泊しています。
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【02】撮影:09時08分=伊藤 幸司
このとき、三つ峠駅では9時6分から1分間停車しましたが、「フジサン特急2号」がすれ違っていきました。単線なので、ここで通過待ちをしたようです。
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【03】撮影:09時10分=齊藤 紀久子
これぞ日本の秋。台風一過青空も広がりました。
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【04】撮影:09時10分=伊藤 幸司
時刻表では三つ峠駅を9時7分に出て、9時12分が寿駅ですから、この写真はその間で撮っています。三つ峠駅の前後では車窓に注意したいとお知らせしておきます。
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【05】撮影:09時10分=伊藤 幸司
じつは私はいま2台のカメラを使い分けています。これはデジタル一眼レフ。もう一台はデジタルコンパクトカメラです。大柄な一眼レフカメラを持ちたくないのですが、これを2万円台のコンパクトカメラで撮ろうとすると、走っている車や眼前を横切る電柱などシャッターが切れるときに、どこにどんなふうに写っているか全く計算できません。連写したり、動画から1コマ取り出したりすればまあなんとかなるのかもしれませんが、いい悪いは別にして、イライラがつのってしまったのです。自分の意志でシャッターを切りたいというために、私はけっきょく、一眼レフカメラを使っているのです。
ちなみにコンパクトカメラも手放さないのは、1cmまで接近できるクローズアップの能力と、13倍(現行機種では30倍)という超望遠撮影はまさにスーパーカメラです。ここに出している私の写真はカメラ任せで、かつ完全無修正ですから、並べて見ると良さも悪さも見てとれると思います。
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【06】撮影:09時19分=伊藤 幸司
時刻表では9時19分は月江寺(げっこうじ)駅となっていますが、これは9時17分の下吉田駅。鉄道音痴の私にも「ブルートレインみたい」と思わせる車両がありました。とりあえず撮っておいたら、あとでわりと簡単に調べられる。……すごい時代になったものです。
これは「スハネフ14 20」という客車だそうで、寝台特急「富士」のプレートをつけて、土休日には有料で開放されている「下吉田ブルートレインテラス」(おとなもこどもも100円)だそうです。けれど、ネットで見ると、これ自身は「富士」になったことはなく、JR東日本で「さくら」「みずほ」「あさかぜ」「北陸」として運行された車両だそうです。
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【07】撮影:09時24分=齊藤 紀久子
富士急 富士山駅にて、パチリ!
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【08】撮影:09時25分=伊藤 幸司
これは富士山駅のテラス。富士吉田駅が富士山駅と名前を変えたのですが、時々困ったことになります。たとえばここでは「ふじさん、ふじさん」とアナウンスされますが、富士登山のバスは河口湖駅から出ます。
電車は富士山でスイッチバックするので、一旦プラットホームに降りる時間ができるのですが、プラットホームを板張りにして、富士山との関係を表現したこの椅子たちが目に止まりました。そしてこの椅子たち、じつは固定されていてその位置関係を絶対に変えないということがわかった瞬間に、ただの乗客サービスというより展示美術だと感じました。やるなぁ〜、富士山。
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【09】撮影:09時25分=伊藤 幸司
針金細工様の椅子が置かれていたプラットホームは画面右端にちらりと見える板張りのところから先になります。その位置関係は駐車場に止まっている車でわかると思います。つまりこちらはフツーのプラットホーム。富士山はどこからでも見えますが。
じつは、私は未体験ですが、いつだったか、タクシー待ちの時間にみなさんが見つけた富士山のビューポイントは富士山駅の駅ビル屋上。遮るものが何もない絶景とか。電車を1本遅らせるだけの価値ありという感じのようです。
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【10】撮影:09時26分=齊藤 紀久子
「アタマを 電車の〜上に〜だ〜し〜〜」
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【11】撮影:09時30分=伊藤 幸司
富士山駅と終点の河口湖駅との間にあるのが富士急ハイランド駅。有名な絶叫マシンと富士山が重なり合いながら車窓をよぎります。なかなか上手く撮れないけれど。
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【12】撮影:09時40分=伊藤 幸司
河口湖駅の駅舎内にある「ゲートウェイフジヤマ河口湖駅店」は08時〜20時・無休という営業時間で、ものすごく貴重な存在になっています。この「吉田うどん」がスタンダードかどうかわかりませんが、麺の腰と素朴さがイメージの吉田うどんとして不満はありません。
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【13】撮影:10時31分=伊藤 幸司
接続の都合で河口湖駅でなんと50分ほど待って富士山駅始発の下部温泉行きバスに乗りました。これは本栖湖バス停で下車したところ。
その時間差は計画では「軽い食事可能です」としましたが、食べたのは私だけ。みなさんはベンチで時間待ち状態でした。
計画としては問題ありとなりましたが、以前ならこのルートでは精進ホテルで昼食してからの登山、あるいはパノラマ台から三方分山まで縦走して精進バス停に下るという長めの計画にしたのですが、今回は参加メンバーのなかに特殊な事情があって、パノラマ台だけで下山するという超軽い計画(27パワー)にしたため、余る時間をどうしようかといろいろ悩んだ末に無駄な時間ロスが生じてしまいました。最近はJR中央本線の特急を千葉発着の特急あずさにしているため、途中の時間をはめ込みパズルのように考えているのです。
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【14】撮影:10時50分=伊藤 幸司
まだこれは登山口へと移動中の国道わきです。なんとも魅力的なキノコがありました。これならネット上で簡単に見つかるだろうと思ったのですが、不明です。
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【15】撮影:10時52分=伊藤 幸司
みごとな赤い実がありました。ガマズミの仲間でオトコヨウゾメという木のようです。ガマズミだと赤い実はたくさん固まっていますが、オトコヨウゾメでは枝分かれして数個だそうです。オリジナル写真を拡大してみると、赤い実はもともと2つか3つずつついていたようです。
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【16】撮影:10時53分=伊藤 幸司
なんとも特徴のあるこの実はムラサキシキブです。
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【17】撮影:10時57分=伊藤 幸司
これはノコンギクだと思いますが、国道沿いなのでヨメナかもしれません。ずいぶん元気に咲いているなと思いました。
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【18】撮影:11時01分=伊藤 幸司
本栖隧道のところから登山道に入ります。青木ヶ原樹海の末端部に当たります。
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【19】撮影:11時09分=伊藤 幸司
道はすぐに登りになります。烏帽子岳(標高1,257m)に向かって標高差約350mの登りです。
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【20】撮影:11時19分=伊藤 幸司
タマゴダケだと思います。最初全体が真っ白な外皮膜に包まれていてまるでゆで卵なのですが、その中からこの真紅の卵が現れてカサを開きます。根本に白い外皮膜が残っていないので、ちょっと違和感を感じましたが。
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【21】撮影:11時24分=伊藤 幸司
登山道はジグザグを描きながら、登り続けていきます。
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【22】撮影:11時37分=伊藤 幸司
これは青木ヶ原樹海の森ではなく、三ッ峠山から河口湖〜西湖〜精進湖の北面に連なる御坂山地の森です。このあたりは御坂山地の末端部に当たります。
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【23】撮影:11時49分=伊藤 幸司
秋晴れの青空、明るい陽射し、紅葉にはちょっと早いとはいえ、気持ちのいい登りです。
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【24】撮影:11時52分=伊藤 幸司
ヤマボウシの実が落ちていました。果実酒にできるそうですが、生食ではマンゴーに似た甘みがあるということなので、口に含んでみた人もいました。
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【25】撮影:11時56分=伊藤 幸司
見上げると紅葉した木もあるのですが、秋の風情という印象ではありません。
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【26】撮影:11時57分=伊藤 幸司
いかにも元気なトリカブトですが、何トリカブトかはわかりません。本州の東北〜関東〜中部地方の低山に分布するというヤマトリカブトとしておくのが無難なように思えますが……。
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【27】撮影:12時00分=伊藤 幸司
烏帽子岳の山頂です。大きな空の下、この時刻でも富士山がくっきりと見えていました。
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【28】撮影:12時01分=小松 恒彦
ススキ越しに見る秋の富士山。さえぎる雲もなくその雄姿にしばし感動。
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【29】撮影:12時02分=小松 恒彦
別の場所からアップ気味にもう1枚。
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【30】撮影:12時05分=伊藤 幸司
烏帽子岳からパノラマ台への稜線を歩きだすと、すぐにマムシグサ(の仲間?)が現れました。
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【31】撮影:12時19分=伊藤 幸司
見上げると枯れ枝の先に小さな実が残っていました。
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【32】撮影:12時27分=伊藤 幸司
このアザミは花を上に向けていないのでノハラアザミではなく、トネアザミだと考えていいようです。関東〜中部地方のごくふつのアザミだということです。
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【33】撮影:12時28分=伊藤 幸司
あちこちに栗の実も落ちていました。落ちたヤマグリの実にはすぐに虫が入ってしまうので、食べられるものは案外少ないのですが、生のヤマグリを一粒口に含んでみるのは、やったことのない人にはおすすめです。
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【34】撮影:12時29分=伊藤 幸司
トリカブトの葉が、ずいぶんはっきりと写りました。ヤマトリカブトでいいんでしょうかね。
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【35】撮影:12時32分=伊藤 幸司
コウヤボウキの花だと思います。葉っぱも合わせて、間違いないように思われます。
この頼りない枝を使って、高野山で実際に箒として使われたという話、本当かどうか確かめてみると本当でした。高野山で箒として使われたからコウヤボウキだということ。じつは妻が庭仕事を業としてやっているので助っ人として手箒を使うこともあるのですが、頼りない感じの箒のくせに落ち葉などを効率よく掃くことができます。ブロアーで吹き飛ばすのにはかなわないという感じがしますが。
でも妻が使っているのは篠竹を下手くそに束ねたようなもの。コウヤボウキの枝を真似たのでしょうか。高野山では果樹やタケノコの採れる竹を栽培することができなかったのでコウヤボウキの枝を束ねたというのです。でもその遥か以前、正倉院に保存されている「玉箒」がやはりコウヤボウキ(高野山のまだない時代、何という名前の植物だったか)で作られているとか。
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【36】撮影:12時35分=伊藤 幸司
パノラマ台に近づいたところで前方右手に水面が見えました。精進湖です。じつはこのルート、本栖湖の岸辺から登り始めたのに湖面がきちんと見える場所がありませんでした。それほど濃い緑で覆われていたといえます。冬に向かうともうすこし水っぽい風景を楽しめるのですが。
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【37】撮影:12時35分=伊藤 幸司
また立派なトリカブトが出てきました。さっきのものとは葉の形がちょっと違うように思えるのですが、わかりません。
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【38】撮影:12時36分=伊藤 幸司
さてこれは、花の形からするとユウガギクのようです。漢字では柚香菊だそうです。なんだか、野菊の仲間としてはおっとりして、優雅という感じではないでしょうか。
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【39】撮影:12時38分=伊藤 幸司
パノラマ台に着きました。富士山はまだクッキリと見えています。午後になると光線の角度によって、急速にリアリティを失っていくことが多いので、ホッとします。
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【40】撮影:12時39分=小松 恒彦
パノラマ台もススキと富士山が出迎えてくれました。
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【41】撮影:12時40分=伊藤 幸司
これは精進民宿村。1965年9月25日に、台風26号によって発生した集中豪雨によって、西湖の根場(ねんば)集落が壊滅状態になる土石流が発生したのです。そして精進湖の南に位置する青木ヶ原樹海の一角を切り開いた民宿村に移住したのです。
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【42】撮影:12時41分=齊藤 紀久子
富士にはススキも良く似合う。
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【43】撮影:12時41分=伊藤 幸司
精進民宿村は国道139号線のすぐ脇にあるのですが、パノラマ台から見下ろしてもその気配は感じられません。じつはいくつかの人工物が見えないわけではないのですが、このパノラマ台からの展望は後で語りたい精進ホテルのところでちょっと思い出していただきたいのでこの写真を出しておきます。
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【44】撮影:12時42分=伊藤 幸司
パノラマ台からのこの日の眺めは、こういう感じだったという写真です。
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【45】撮影:12時42分=伊藤 幸司
パノラマ台から北の方角を見ると御坂山地が一望できます。写真のほぼ中央にある山が足和田山。その向こうに河口湖の水面がちょっと見えます。足和田山の手前側には西湖があるのですが見えません。
足和田山から左手に登ったところの最初のピークが十二ヶ岳、さらに伸び上がった稜線をこちら側に辿ってくると、画面左端に目立っている三角ピークが王岳。河口湖の向こう側の稜線は三ッ峠山から河口湖駅へと下っています。
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【46】撮影:12時44分=伊藤 幸司
この写真だと西湖と河口湖の関係がよくわかります。
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【47】撮影:12時54分=伊藤 幸司
御坂山地を詳しく見ます。パノラマ台はそのいわば南端。写真の一番奥に見えている三ッ峠山が北端になります。三ッ峠山から稜線をたどってここまで来るのは技術的にはむずかしくありませんが、1日ではとても無理。途中で下りて泊まって登り返そうとするのであれば、首都圏の登山者にはむしろ日帰りを何度か繰り返してすこしずつ足跡を伸ばしていくほうがいいかと思います。私が何度も計画してきたのは冬の三ッ峠山、レンゲショウマの黒岳、クサリ場体験の十二ヶ岳、そして富士山展望のパノラマ台というあたりでしょうか。
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【48】撮影:12時56分=齊藤 紀久子
確かに、ず〜っと見ていたい風景でした。
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【49】撮影:12時56分=伊藤 幸司
露出をちょっとアンダーにし過ぎたようです。
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【50】撮影:12時58分=伊藤 幸司
富士山が見えて、顔もわかるかどうか……という記念写真。
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【51】撮影:13時17分=伊藤 幸司
パノラマ台から下り始めると、再び精進湖が見えました。そしてこの赤い屋根が今は閉鎖されている精進ホテル。
このホテルに関しては1980年(昭和55)に東京新聞出版局から出た『富士山・地図を手に』で紹介しています。1979年の「岳人」6月号から16回連載したものの単行本化で、全面書き直しから編集まで自分でやらせてもらいました。私にとっては人生唯一の活版印刷の仕事でした。
ちょっと長くなりますが、引用しておきたいと思います。
────
 昭和30年代までの一色刷りの5万分の1地形図には「大正道」という名がしるされていました。西湖西岸の根場から青木ヶ原の御殿庭をぬけて精進湖にいたる道すじです。
 それは大正11年(1922)に皇太子(昭和天皇)が通られた道で、その当時はまだ、河口湖の船津から船で長浜にわたり、徒歩で西湖に出て、ふたたび船で根場へというルートがつかわれていたようです。現在の国道139号線になる道は富士吉田から船津を経て鳴沢までは通じていて車が入れるようになっており、木材搬出用の鉄道軌道も敷かれていました。しかしその道が青木ヶ原樹海をくぐってのばされるのは大正末年で、御殿庭で大正道に合流するというかたちになりました。そして昭和10年(1935)には、富士吉田から精進湖を経て静岡県の富士宮までバスが走るまでになったのです。
 このような道路開発は地元の人たちに大きな恩恵をあたえましたが、その引き金となった皇太子のご訪問は、精進湖を目的としたものであったようです。そこに明治28年(1895)に星野芳春という人が発見したパノラマ台があり、ヨーロピアン・スタイルの精進ホテルがありました。
 じつは星野芳春というのはハリー・スチュアート・ウォールズという英国人の帰化名で、奥さんは日本人とはいえ、精進ホテルはいわば異人館でした。そこは知る人ぞ知るといった避暑地となって、村人たちはパノラマ台や樹海の洞穴に異人さんたちを案内するようにもなり、観光業のはしりともいうべき乗馬組合やチヤ組合がつくられました。チヤというのは英語のチェアーのことで、2本のサオに籐椅子をのせ、4人でかついだといいます。
 河口湖や西湖をわたってやってきた異人さんたちにとって精進湖は地の果てとも思えたことでしょうが、そこはもうひとつの道、中道往還の宿場でもありました。池田屋旅館(東照館)と山田屋旅館という2つの古い宿があり、とくに東照館は信玄時代からのものといわれています。
 中道往還は甲府盆地南端の市川大門から芦川にそってのぼり、古関から御坂山地を越えて精進湖畔におりてきます。甲府から海岸への最短コースであるために古くは甲斐の国の塩の道であり、富士川水運がひらかれた江戸時代にもずっと、生鮮魚介類の輸送路として重要なものでした。古関はいまもなお精進、本栖の含まれる上九一色村の本村になっていて、精進、本栖地区が甲府盆地と強く結ばれていたことが地図の上にもあらわれています。
────
精進ホテルは戦後永く上野精養軒が経営するプチホテルで、私はそこでランチを食べてパノラマ台に登るという、かつて外国人避暑客が味わった富士山体験にけっこうこだわって計画を立てていました。……というのは、かの英国人は、富士山展望の最高のポイントとしてパノラマ台を発見し、最高のロケーションにホテルを建てたのです。最近はあまり言われなくなったかもしれませんが、私が海外に出た1960年代には、ヒルトンホテルやインター・コンチネンタルホテルなど、最高級の国際ホテルは贅沢なロケーションに建てられて、それがランドマークになっているというのが常識でした。英国人のハリー・スチュアート・ウォールズが発見した場所も、そういう展望の特異点だったのです。現在でも(まったくと言っていいほど)ほとんど人工物が見えない富士山展望のレストランをそなえているはずです。
精進ホテルは上野精養軒から富士急行の手に渡り、現在では廃屋マニアに知られる存在のようですが、モッタイナイ……のです。
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【52】撮影:13時23分=伊藤 幸司
精進峠〜三方分山へと向かう御坂山地縦走路から別れて、パノラマ台下バス停へと下ります。
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【53】撮影:13時24分=伊藤 幸司
純白のキノコです。希望を込めていえばオトメノカサ。もしそうなら食べられるキノコですが、食べる、食べないより、純白のこんなキノコを見つけただけで嬉しくなります。
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【54】撮影:13時31分=小松 恒彦
紅葉にはまだ早いようですが、さわやかな秋の日差しのなか気持よい下山でした。
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【55】撮影:13時39分=伊藤 幸司
下る途中で一瞬、富士山が見えました。午後になって、やっぱり富士山の見え方に大きな変化が現れました。
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【56】撮影:13時46分=伊藤 幸司
こういう雰囲気、下山が最終段階になるとしばしば体験するのですが、なんというか、手入れをした人の考えどおりに作られたジグザグ道、という印象が強いのです。山裾に住む人達の日常の視野の中にあるからでしょうか、植林地であれ、雑木林であれ、人の手が行き届いている道になったという感じがするのです。あと少し、という気分になります。
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【57】撮影:13時48分=伊藤 幸司
ミミズさんが1匹、自殺行為といわれる地表での迷走をしていました。
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【58】撮影:13時56分=伊藤 幸司
何というキノコかわかりませんし、どういう歳頃かもわかりませんが、いいですね〜、こういう存在感。
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【59】撮影:14時03分=齊藤 紀久子
予定より1時間も早く下山。おまけにタイミングよく、貸切同様のバスが到着してお風呂に向かいました。珍しいことです。
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【60】撮影:14時03分=伊藤 幸司
ここがパノラマ台下バス停。登山口です。
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【61】撮影:14時06分=小松 恒彦
精進湖に着いた時も富士山の姿は健在でした。
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【62】撮影:16時49分=伊藤 幸司
精進湖畔からです。バスの窓から富士山を撮りました。
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【63】撮影:18時30分=伊藤 幸司
とりあえず大月へ出て濱野屋へ。
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【64】撮影:18時30分=伊藤 幸司
初めての人には、三段重ねの濱野家御膳をすすめます。

追加1……2012年9月18日のパノラマ台=伊藤 幸司

*糸の会No.839。計画書には次のように書きました。
 パノラマ台は明治27年(1895)にハリー・スチュワート・ウォールズという英国人(星野芳春)が発見した展望台といわれています。彼は南洋方面からやってきたバガボンドで、精進湖畔に外国人向けの小さなリゾートホテルを建てました。そのホテルは精進ホテルという名で長く上野精養軒がシーズン営業してきましたが、富士急行に売却された後、再開のめどが立っていないようです。
 パノラマ台そのものは観光施設ともいえますが、富士山の眺めは圧倒的です。今回は「軽く」に徹して湖畔で無為の時間を過ごすというチャンスも生かしてみたいと思います。
*この日は1030パノラマ台下バス停(標高約900m)を出発→1100-05休憩(標高約1,100m)→1135-40休憩(標高約1,250m)→1150-1205パノラマ台山頂(標高1,328m)→1225-35烏帽子岳山頂(標高1,257m)→1315本栖隧道(標高約950m)→1355本栖湖岸を経て本栖湖バス停(標高約900m)

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【65】撮影:09時35分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【66】撮影:10時13分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【67】撮影:10時47分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【68】撮影:11時14分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【69】撮影:11時53分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【70】撮影:12時06分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【71】撮影:13時27分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【72】撮影:13時29分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【73】撮影:16時05分=伊藤 幸司=2012.9.18
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【74】撮影:18時01分=伊藤 幸司=2012.9.18

追加2……2010年1月19日のパノラマ台=伊藤 幸司

*糸の会No.665。計画書には次のように書きました。
 パノラマ台というのは本来は精進湖畔に建つ精進ホテルの展望台。精進ホテルは1895年(明治28)にソロモン方面から流れてきたという英国人旅行家ハリー・スチュワード・ホイットウォーズによって建てられた外国人向けリゾートホテルで、富士山の展望では現在もなお第一級。1937年(昭和12)からは上野晴洋軒の営業となっていたのですが、現在は富士急行に買収されて新規オープンを待っているところとか。
 その精進ホテルからの眺め自体、創業から100年以上経っているにもかかわらず、富士山展望にほとんど人工建築物を見ることがないことに驚きます。第一級のリゾートホテルといえるのですが、その裏山に上がるとパノラマ台があるという仕掛け。お楽しみに。
 今回は本栖湖畔からパノラマ台に上り、三方分山(さんぽうぶんさん)を経て精進集落に下るという計画です。
 おそらく雪がついていると思いますので、軽アイゼン必携です。(伊藤が予備を持参します)
*この日は1035本栖湖バス停(標高約900m)を出発→1045本栖隧道(標高約950m)を通過→1100-05休憩(標高約1,000m)→1145-55烏帽子岳山頂(標高1,257m)→1220-45パノラマ台山頂(標高1,328m)→1345-55精進峠(標高約1,300m)→1435-45三方分山(標高1,422m)→1515-20女坂峠(標高約1,200m)→1555精進の大杉(標高約950m)→1600精進バス停(標高約900m)。御坂山地縦走路を三方分山まで歩いたので運動量は「48パワー」となりました。

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【75】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【76】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【77】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【78】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【79】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【80】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【81】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【82】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【83】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19
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【84】撮影:伊藤 幸司=2010.1.19

追加3……2009年11月21日のパノラマ台=伊藤 幸司

*朝日カルチャーセンター千葉。本栖湖側から登って、三方分山(さんぽうぶんさん)を経て精進集落へと下る48パワーの計画です。
*この日は1035本栖湖バス停(標高約900m)を出発→1045本栖隧道(標高約950m)を通過→1055-1100休憩(標高約950m)→1140-50烏帽子岳山頂(標高1,257m)→1215-40パノラマ台山頂(標高1,328m)→1325-35精進峠(標高約1,300m)→1420-30三方分山山頂(標高1,422m)→1455-1500女坂峠(標高約1,200m)→1535精進バス停(標高約900m)。

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【85】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【86】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【87】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【88】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【89】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【90】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【91】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【92】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【93】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【94】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【95】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【96】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【97】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【98】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【99】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【100】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【101】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【102】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【103】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21
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【104】撮影:伊藤 幸司=2009.11.21

追加4……2004年7月27日のパノラマ台=伊藤 幸司

*東武カルチュアスクールの52回目。精進ホテルでランチと富士山展望を楽しんでから軽くパノラマ台へという観光型プラン。山登りの前にきちんとした食事をするというのは、じつはかなりの危険球です。食事の印象が強すぎるからでしょうか。でもこのときには、精進ホテルあってのパノラマ台でしたから。計画書には次のように書きました。
 すごく軽〜い歩きですが、富士山の展望ということでは(天気によりますが)絶品です。
 まず、精進ホテル。現在は上野の精養軒が経営するこのプチホテルでランチを食べましょう。なによりのごちそうは、ここの風景。1895年にハリー・スチュワート・ウォールズという英国人(星野芳春)が発見した第一級の異人館リゾートホテルの百年後の眺めを楽しんでください。食事は以前3,200円だったAランチ(一番安いのです)が3,500円になっていて税込み3,675円です。絶対に、それだけの価値があります。
*この日は1200-1305精進ホテル(標高約950m)でランチ→1320パノラマ台下バス停(標高約950m)を出発→1355-1400休憩(標高約1,100m)→1450-1505パノラマ台山頂(標高1,328m)→1535-45烏帽子岳山頂(標高1,257m)→1625本栖隧道(標高約950m)通過。樹林を抜けて→1715本栖湖バス停。

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【105】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【106】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【107】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【108】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【109】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【110】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【111】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27
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【112】撮影:伊藤 幸司=2004.7.27

追加5……2000年9月19日のパノラマ台=伊藤 幸司

*糸の会としてはNo.184になりますが、第3火曜日の「d」シリーズが2年目に入ったところで「すごく軽〜い歩きですが、富士山の展望ということでは(天気によりますが)絶品です」というパノラマ台をデビューさせました。東急セミナーBEでの登山講座が1年で突如、本社(東急電鉄法務部)から「危険な講座」として取り潰しになって、受講生の救済措置として私が個人的に始めたのが糸の会なのですが、現場は承服できず、「登山」ではなく「ハイキング」として関東ふれあいの道のシリーズを再開したのが1年後の1996年10月で、1999年まで33回開催されました。これはその「第3火曜日」を再び糸の会で引き継いだシリーズで1999年8月から2012年まで130回続きます。その12回目ですから、中心メンバーは東急セミナー第2期のみなさんです。
*もちろん、精進ホテルからの富士山を見るべく、ランチからスタートしました。
*この日は1140-1310精進ホテル(標高約950m)でランチ→1325パノラマ台下バス停(標高約950m)を出発→1350-1400休憩(標高約1,100m)→1435-1500パノラマ台山頂(標高1,328m)→1525-30烏帽子岳山頂(標高1,257m)→1615本栖隧道(標高約950m)通過→1655本栖湖バス停。

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【113】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【114】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【115】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【116】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【117】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【118】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【119】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【120】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【121】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19
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【122】撮影:伊藤 幸司=2000.9.19

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