発見写真旅・展(141)――2017.3.11 本社ヶ丸(56パワー)<b> 発見写真旅・展(141)――2017.3.11 本社ヶ丸(56パワー)


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撮影者全員の展示写真が撮影時刻順に並んでいます。
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ご覧いただいたみなさんからのコメントはキャプションの後に掲載させていただきます。


★糸の会山行 No.1026 本社ヶ丸(56パワー)────2017.3.11
*登り18p→稜線19p→下り19p

*富士山の展望といえば三ッ峠山ですが、その三ツ峠越しに富士山の見える稜線を楽しめるのが本社ヶ丸。「ほんしゃ」ではなくて「ほんじゃ」です。
*JR中央本線の笹子駅から登って下る周回ルートなのですが、私たちは軟弱なので、大月駅からタクシーで奥野沢川の変電所まで一気に登ってしまいます。笹子駅から歩くなら車道を約4H、標高差約350m(15パワー)を加えなければいけません。その道でタクシーは何人かの登山者を追い越しました。


3月11日
・0920……奥野沢川・変電所(舗装車道終点)を出発(標高約900m)4度C
・0955……植林地終了(標高約1,100m)
・1005-10……休憩(標高約1,200m)
・1025-35……アイゼン装着(標高約1,300m)
・1120-30……清八峠で休憩(標高約1,550m)少し先でアイゼンはずす
・1230-45……本社ヶ丸山頂(標高1,631m)
・1310-20……アイゼン装着(標高約1,550m)
・1350-1400……地形図にある高圧送電線の手前で休憩(標高約1,400m)
・1430……以前怪しかった下山路に赤布を信じて入る(標高約1,350m)
・1905-25……林道を横断(標高約10,00m)
・1700……笹子駅(標高約600m)


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の1人です。
伊藤 幸司(58点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:伊藤 幸司























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【01】撮影:09時30分=伊藤 幸司
笹子駅方面へと流れ下る奥野沢川の標高約900mのところにかなり巨大な変電所があります。歩くと15パワーになりますが舗装路を4Hですから1時間ちょっとで歩ける距離です。が、私たちは大月駅からダイレクトにそこまでタクシーで上がりました。これはそこから歩きだして10分ほどのところです。
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【02】撮影:09時43分=伊藤 幸司
広大な植林地の林道から、登山道に入りました。
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【03】撮影:09時45分=伊藤 幸司
かなり広い斜面に新しい木が植えられていました。明るい世界が広がっていました。
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【04】撮影:09時52分=伊藤 幸司
雪がパラパラと、足元に残っています。標高約1,100mあたりでこの状態、標高にして、あと500m以上登ります。周囲の山には雪面が見えますから、雪の状態によってはやっかいな場所も登場するかもしれません。
初めての道だったらどこかで引き返すことになった場合に……という時間的な余裕も考えながら前進することになります。もちろん知っている道なので、ここでは下りの急斜面がこちらと同じ北斜面ゆえ、同じような積雪のはず、という推量で登っていきます。
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【05】撮影:09時53分=伊藤 幸司
振り返ると変電所は尾根の陰に消えかかっています。背後の山は笹子雁ヶ腹摺山から連なる山々。遠くに大菩薩嶺(たぶん)が見えていますが、画面右手に稜線をたどると、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山を経て大菩薩へと伸びていきます。その縦走路を小金沢連嶺と呼ぶようですが、わかりやすくいえば南大菩薩の山々です。もうすこしわかりやすい展望があれば……。
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【06】撮影:09時54分=伊藤 幸司
植林地の中を抜ける道から、小さな尾根に取りついて、登山道らしくなってきました。
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【07】撮影:10時36分=伊藤 幸司
10時25-35分の休憩でアイゼンをつけました。標高約1,300m。稜線まで標高差約250mのところで連続的な雪面が始まるとわかりました。軽く凍っている部分もあるので、早めに装着することにしたのです。
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【08】撮影:10時55分=伊藤 幸司
じつは計画書に「念のためアイゼン必要」などとも書いてありませんでした。参加者7人のうち5人は常備していましたが、2人が持ってきていませんでした。そこで靴にロープを巻いて歩いていただくことにしました。私も同様にして、これで危険を感じたら即撤退という余裕のない状態になりました。
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【09】撮影:11時05分=伊藤 幸司
雪は斜面の微妙な方向によって、多かったり少なかったりしています。積もった量も、溶けた量も色々なんだと思います。これくらいの雪と、こんな傾斜の登山道なら、むしろ雪があった方が楽なくらいです。
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【10】撮影:11時12分=伊藤 幸司
植林から自然林になるとブナの木が出てきました。気持ちのいい稜線がもうすぐという気配です。
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【11】撮影:11時13分=伊藤 幸司
この斜面、標準的な「30度の斜面」です。もうちょっと急かもしれませんが、そこにトラバースの登山道。通った人の少ない道をたどっていきます。
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【12】撮影:11時28分=伊藤 幸司
清八峠です。ここで私はホッとしました。稜線は日当たりがいいので、雪はかなり溶けているようでした。そこでとりあえず休憩し、アイゼンを外しました。
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【13】撮影:11時30分=伊藤 幸司
青空のもと、気持ちいい稜線歩きが始まりました。期待の展望も遅からず現れてくるはずです。
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【14】撮影:11時43分=伊藤 幸司
雪が終わったと思ったら、岩っぽい稜線です。でも岩っぽいということは展望が良い、ということです。
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【15】撮影:11時47分=伊藤 幸司
展望が開けました。この見事なピラミッドは御坂山地の盟主・黒岳です。背後には南アルプス。赤石岳のあたりだと思います。
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【16】撮影:11時47分=伊藤 幸司
こちらは鳳凰三山。中央が最高峰の観音岳で、右に地蔵岳のオベリスクが黒々とそびえています。ちなみに左肩の白い峰が薬師岳。そこから下っていくと夜叉神峠になります。
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【17】撮影:11時48分=伊藤 幸司
見えました。富士山。富士山山頂の右側、一番高く見えるところに以前は測候所のドームがあったのですが……。正面の窪みは吉田大沢。背面の大沢崩れほどではありませんが、ここでも崩落が進みつつあります。その左側に見える稜線に短かな横筋が何本も入っています。吉田口登山道です。
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【18】撮影:11時48分=伊藤 幸司
眼前に三ッ峠山があります。3つの峰からなる三ッ峠山の最高峰・開運山が左奥に見えています。手前にあるのが御巣鷹山、一番低い木無山は開運山の陰になります。
じつは三ッ峠山は富士山展望の山として山頂部の2つの山小屋は多くの写真家たちの定宿となっているのですが、富士山→三ッ峠山の延長線上に、旧五百円札の富士山撮影地点・雁ヶ腹摺山(雁ヶ腹摺山の本家です。写真05には入っていません)があり、→大菩薩嶺→雲取山と続きます。そういう意味では、本社ヶ丸も北面の富士の好展望台のひとつといえます。
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【19】撮影:11時56分=伊藤 幸司
これぐらいの岩場は、ストックを足元について、腕で後ろから押し上げるように使うと楽ですし、安全です。ストックが本来岩場でも使われるように作られていると認識できないベテラン登山者は道具に関するセンスのない人と考えていいのです。
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【20】撮影:11時56分=伊藤 幸司
本社ヶ丸山頂まではまだ少し距離があります。ここは稜線上の展望台のひとつですが、この写真で三ッ峠山と富士山の位置関係がわかります。ここから(左方向に)進むと、両者は次第に近づいていくでしょう。
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【21】撮影:12時04分=伊藤 幸司
展望台は稜線上の小突起でしたから、そこから始まるのは下りでした。
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【22】撮影:12時06分=伊藤 幸司
また富士山が見えました。富士山は表側というべき駿河湾側(たとえば東海道)から見ると左側(西)が急斜面で右側(東)が山裾を長く広げています。ところが北側から見る富士山は左右に、のびやかな裾野を広げているため、優美な姿に見えます。
その山裾のなだらかさに影響されて山頂部はそそり立っているように見えるのですが、きちんと見れば、雪をまとって白くなっている五合目以上は左右とも30度の傾斜です。そこに拓かれているジグザグの登山道のひとつ、吉田口登山道は県道なので、詳細な道路図面があります。1980年の『富士山・地図を手に』(東京新聞出版局)は雑誌「岳人」に連載したものの単行本化ですが、そこでは富士山の登山道の基本を「30度の斜面に20度のジグザグ道」と表現しました。それが富士山を見る上で一番重要な骨格となりました。
雲取山まで下がってこの富士山を見ると、遥かな富士山がその優美さによって風景全体を支えているということに感動します。
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【23】撮影:12時09分=伊藤 幸司
富士山が見えた後は、また下りです。
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【24】撮影:12時13分=伊藤 幸司
日当たりのいい稜線なのに雪が残っている場所があります。とりあえず降った雪が多かったと考えてみます。ここが風の通り道で、それだけ積雪が多かった……かもしれないと推理します。
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【25】撮影:12時21分=伊藤 幸司
稜線の道は左右の斜面にトラバース(斜面横断)道が拓かれていることもあります。北斜面になるとこのとおり。ここが岩場だったりすると、アイゼンが必要になるかもしれません。
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【26】撮影:12時24分=伊藤 幸司
こういう岩場の通過は縦走路ではごく一般的なことです。放っておけばみなさん、どんなふうにでも通過していきます。でも入門編として、きちんとした三点支持を教わっておくことが重要だと考えます。自己流でも登れてしまうのですが、三点支持という面倒くさい方法をとるとどこがどう安全かという技術的考え方を、こういう易しところでも使えるように、身に着けておいてほしいのです。
次の「写真27」に続きます。
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【27】撮影:12時26分=伊藤 幸司
私は基本的に岩場でもダブルストックを標準装備としています。(北アルプスの岩稜縦走などでは山側の手をハンドホールドとし、谷側を腕を長く伸ばした状態にしてストックを使うと有効なので、邪魔になるイライラを避けるため、ストックを谷側1本にして使うという場合もありますが)バランスを維持できる状態では、大きな段差で体を持ち上げるためにストックを使うのは極めて有効です。
この写真ではストックはリングを腕に通してぶら下げた状態にして、両手・両足の四点のうち三点は必ず保持されているという三点支持になっています。つまり片側ストックという余裕もなくなって三点支持というレベルに移行したということがわかります。その技術的移行段階に、この岩場と、この人の技術水準とが表現されているわけですから、後ろから見ている私はそれぞれの技術レベルを確認しながら「安全」を考えています。(危険というよりあやふやさを感じたらストップを掛けます)
登りと下りでは少し違いますが、その人が何種類かの技術グレードをもっていると、その人が危険な状態にあれば、それを後ろから指示することができます。
一番恐ろしいのは恐怖心が次の行動をセカしてしまうことだと思うのです。その時、その人が技術範囲の上限に直面しているかどうかを知ることが重要です。その意味で、ダブルストックを使っていると、その使用を放棄したときに最初の黄色信号として受け取ることができるので、リーダーにとっては安全管理の目印として大きな味方になります。
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【28】撮影:12時29分=伊藤 幸司
本社ヶ丸の山頂です。手前の三ッ峠山が大きく重なってくるので、11時47-48分の写真を撮った、最初の展望岩場が写真撮影の絶好地だったことがわかりました。
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【29】撮影:12時33分=伊藤 幸司
これは奥秩父(東アルプスと呼ぶ運動をしている人もいます)の金峰山。ランドマークの五丈岩が黒々と見えています。そこから左(正確には左奥)に下ったところにある岩山は瑞牆山です。
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【30】撮影:12時33分=伊藤 幸司
奥の山が荒川岳ではないかと思いますが、どうでしょう。手前は塩見岳から分岐する蝙蝠岳〜徳右衛門岳、だといいのですが。黒いピラミッドはもちろん黒岳です。
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【31】撮影:12時34分=伊藤 幸司
これは左肩の摩利支天によって、甲斐・駒ヶ岳だとわかります。
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【32】撮影:12時34分=伊藤 幸司
これは(たぶん)仙丈ヶ岳です。甲斐・駒ヶ岳の左手にあったはずですが、それが確認できないのと、藪沢カールの壁面があまりにも荒々しいので、本当だろうか? と思ってしまいます。手前に回り込んでくる稜線は北沢峠へと延びてくる小仙丈尾根のはずです。
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【33】撮影:12時35分=伊藤 幸司
ギラギラと輝く富士山ですが、これから太陽の動きで表情をどんどん変えていくのだと思います。ここで夕方まで座っていたら、どんなことになるのでしょうか。
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【34】撮影:12時35分=伊藤 幸司
周囲から雲が湧き出してきました。富士山を見ていると雲の動きがものすごく速いことに驚きます。
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【35】撮影:12時38分=伊藤 幸司
写真中央にある電波塔は開運山山頂にあるNHKFM、FM富士、山梨県防災行政無線など、写真に見えませんが平板状の四角いテレビ用電波反射板が、NHK、山梨放送、テレビ山梨……とあるのだそうです。写真左端に見える建物付きのアンテナはNTTだそうです。それも開運山の一郭。
写真右端は御巣鷹山の山頂です。ほとんどは東京電力の施設だそうですが、山梨日日新聞のアンテナもあるそうです。
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【36】撮影:12時38分=伊藤 幸司
三ッ峠山から向こうに下ると河口湖ですが、その河口湖の一部も見えていました。
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【37】撮影:12時44分=伊藤 幸司
山頂での記念写真は露出を人に合わせれば富士山が見えず、富士山に露出を合わせれば人の顔がわからなくなるという状態。中古で買ったばかりの私のカメラにはこういう場面で活用できる機能もあるのですが、うまく使えませんでした。仕上がりを現場できちんと確認できれば、もうちょっとのところだったようですが。
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【38】撮影:13時00分=伊藤 幸司
長い稜線歩きが始まりました。
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【39】撮影:13時02分=伊藤 幸司
広い尾根を軽い気持ちで歩いていきます。
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【40】撮影:13時27分=伊藤 幸司
なぜか積雪が多くなってきました。13時10-20分の休憩時に再びアイゼンをつけました。
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【41】撮影:13時29分=伊藤 幸司
1,541m峰の先で、下り傾斜になっていきます。
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【42】撮影:13時42分=伊藤 幸司
気持ちのいい雪道がどんどん続いていきます。
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【43】撮影:13時43分=伊藤 幸司
1,400mあたりまで下って、ルートはこれから大きく変化する気配です。
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【44】撮影:13時45分=伊藤 幸司
急な下りが始まりました。地形図にある高圧送電線に向かって下りていく感じです。
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【45】撮影:14時02分=伊藤 幸司
送電線の鉄塔が見えてきました。
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【46】撮影:14時05分=伊藤 幸司
送電線鉄塔の周囲は笹原になっていました。前方に見えるピークが鶴ヶ鳥屋山のように思われます。その手前に笹子駅に向かって下る道があるはずです。
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【47】撮影:14時54分=伊藤 幸司
じつは14時30分に、怪しい道を下り始めたのです。以前、快適に歩いていたら踏み込んでしまった道で、下り始めたところに登山者が落としたらしいピルケースがありました。それで安心して下り始めたのですが、道はすぐに怪しくなって、みなさんを留めて、稜線まで戻ってみると、縦走路からあやしい道に踏み込んでしまったことが明らかになりました。笹子駅へと下る道は(地形図にはもともとありませんでしたが)、その先に見つかりました。
今回、その場所に来たときに「笹子駅」という小さな標識があったのです。前回も、下っていけそうに思えた道でしたが、最後に断崖絶壁が待っているというような危険を犯したくなくて、戻りました。今回はメモ書きのようなものですが標識があり、下り始めたところに小さな赤布(ピンクテープでしたが)がありました。これは地元の人達が利用する下山路に違いないと思ったのです。たとえば六甲山にはそういう脇道が驚くほどたくさんありますし、友人によれば、丹沢には無数にあるということです。ともかく北に延びる尾根をガンガン下っていく道に違いないことは地形図で想像できました。
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【48】撮影:14時59分=伊藤 幸司
道は下って、下って下ります。糸の会の皆さんはダブルストックを使えれば、下りではかなりの上級者ですから、ガンガン下っていきます。
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【49】撮影:15時28分=伊藤 幸司
下り始めてはや1時間、このあたりが最も急なところでした。
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【50】撮影:15時48分=伊藤 幸司
地形図にある林道に出ました。ところが最後のところがあまりにも急な斜面、加えて最後の最後に石垣がありました。ひとりが足跡をたどって下りましたが、誰かが怪我しそうな状態なので、このルートは断念。
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【51】撮影:15時56分=伊藤 幸司
脇から下りましたが、斜面が急なため、立って下れない人も出ました。
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【52】撮影:15時59分=伊藤 幸司
難易度は高いけれど危険ではないこのような体験は、ときに重要です。恐怖心がなければなんとかなるはずの斜面なのですが。
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【53】撮影:16時16分=伊藤 幸司
標高約1,000mのところで林道を渡ってさらに標高約600mの笹子駅まで下ります。標識のある登山道ですが、急斜面が続きます。
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【54】撮影:16時25分=伊藤 幸司
とにかくまっすぐ下るので足元が滑りさえしなければ快適です。
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【55】撮影:16時28分=伊藤 幸司
急な下りで体を斜滑降の向きにするのは恐怖心の表現です。あくまでも直滑降の体勢で下りきる努力をしたいところです。私はダブルストックを使わずに下っていますから、みなさんの技術的な力量がいろいろ見えてきます。
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【56】撮影:16時29分=伊藤 幸司
いいですねぇ〜、こういう急斜面。ダブルストックの技量を上げるためにものすごく有効です。スキーで上級者向けの急斜面に飛び出すときの深い前傾姿勢がとれさえすればこの下りではきれいに下れるはずですから。ストックにどれだけ荷重できるかも重要な要素になります。
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【57】撮影:17時23分=伊藤 幸司
笹子駅では待ち時間がありました。最近落語を学び始めたSさんの小咄「雷様」の開演です。
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【58】撮影:18時27分=伊藤 幸司
この日は時間があれば勝沼のぶどうの丘で天空の湯+展望レストランという計画でしたが、やはり千葉方面のみなさんが19時05分大月駅発の千葉行きあずさを優先したため、風呂はパスして濱野屋で夕食としました。

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