発見写真旅・展(120)――2016.9.27 明神ヶ岳(52パワー/計画時)<b> 発見写真旅・展120)――2016.9.27 明神ヶ岳(52パワー/計画時)


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★糸の会山行 1005 明神ヶ岳(52パワー/計画)────2016.9.27
*登り27p→稜線13p→下り12p

*大雄山最乗寺から登って、明星ヶ岳から宮城野へと下るオーソドックスな計画でしたが、登り始めたところでスズメバチに行く手を阻まれ、下山予定の宮城野支所バス停まで移動、明星ヶ岳から明神ヶ岳へと登り、引き返して宮城野バス停へと下山しました。
*その結果、実際の登山は登り12p→稜線13p→下り20pの55パワーとなりました。
*ドタバタしましたが、秋らしい好天に恵まれて楽しい1日を過ごすことができました。


9月27日
・1035……大雄山最乗寺=道了尊(標高約300m)を出発
・1105……すぐにスズメバチに追われ、登山口に引き返し、計画変更
*道了尊バス停→大雄山駅→小田原駅→宮城野支所バス停と移動
・1240……宮城野支所バス停(標高約450m)を出発
・1300……登山口(標高約550m)
・1310-15……休憩(標高約650m)
・1340-50……休憩(標高約800m)
・1420-30……明星ヶ岳(標高924m)
・1515……宮城野への分岐(標高約900m)
・1525-30……休憩(標高約1,000m)
・1600-20……明神ヶ岳(標高1,169m)
・1655……宮城野への分岐(標高約900m)
・1800……宮城野バス停(標高約500m)に到着


今回の写真出展メンバー(提出順)は以下の3人です。
三浦 陽子(4点)
小林 美子(11点)
伊藤 幸司(62点)


このalbumシリーズは糸の会の山行を参加者のみなさんと記録した写真集です。
(期間を限定せずに)ご覧いただいたみなさんのコメントをお待ちしています。
★メールはこちらへ ito-no-kai@nifty.com

撮影:三浦 陽子


撮影:小林 美子






撮影:伊藤 幸司

























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【01】撮影:10時07分=伊藤 幸司
小田原から伊豆箱根鉄道大雄山線で大雄山駅へ。そこからバスで道了尊へと向かいました。これはバスの車窓から。大雄山駅から少し歩くとこの杉林が始まるという感じ。広大な森という感じがしました。
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【02】撮影:10時13分=伊藤 幸司
道了尊という名の方が有名なようですが、大雄山最乗寺は曹洞宗の霊場で境内の山林は130町歩に及ぶといいます。600年前、了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師が足柄山中に開山。そこに同郷の相模坊道了尊者が三井寺(みいでら)から天狗となって飛来したとのこと。その道了尊が十一面観音の化身となって、大雄山を護っているというのです。
三井寺は大津にある名刹、園城寺(おんじょうじ)のことです。近江八景「三井の晩鐘」のあの三井寺なのですが、念のためにそちらのホームページを見てみると主要な伝説として「相模坊と天狗杉」があるのだそうです。密教の修行をしていた相模坊道了という僧が、ある夜突如として天狗になって、金堂向かいに現在も聳えている「天狗杉」の上からはるか相模の国へ飛び去ったと伝えられているのだそうです。道了が修行していた勧学院の「天狗の間」は道了尊を偲ぶ場だそうですから、ただ者ではない、ということになります。
実は私が写真編集者として深く関わった安村浩さん(キュウフォトインターナショナル)が若くして突然亡くなった時、葬儀場となったのが大雄山東京別院でした。安村さんは写真の単なるエージェントから脱して、写真家に対して画商のような、あるいはキュレーター的立場をとって活動の場を広げていたのです。残念でした。
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【03】撮影:10時21分=小林 美子
大雄山最乗寺。
巨大下駄・天狗の銅像が見所。
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【04】撮影:10時30分=伊藤 幸司
碧落門をくぐって本堂へ。この日は「道了尊大祭」だそうなんですが、午前10時を過ぎてこの静けさ。帰って調べてみると、ホームページには「九月大祭では仏像を彫る教室の作品展が催される。平日の参拝とはまたひと味違った日を過ごされてはいかがでしょうか」とありました。
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【05】撮影:10時32分=伊藤 幸司
昭和29年(1954)に再建された本堂。「昭和を代表する仏教建築家の伊藤忠太の設計」とホームページにありましたが「仏教建築家」という言葉を初めて知りました。そんなことは知らなかったのですが、なんというか、軽い厳かさというようなものを感じました。
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【06】撮影:10時40分=伊藤 幸司
有名な「高下駄」は御真殿のところにあって、こちらは「和合下駄」。明神ヶ岳への登山口のところにあります。
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【07】撮影:10時43分=伊藤 幸司
実は登山口に、スズメバチが出ていて、刺された人がいるという立て札があったのです。よく見かける「蜂に注意」より具体的でしたから、出てきたらどうするかという心づもりをしながら登っています。
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【08】撮影:10時45分=伊藤 幸司
この先で尾根に出るのですが、私たちの前に男性がひとりいました。露払いならぬ蜂払いになってくるれるので、心配はビリビリしたものではなくなっていました。
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【09】撮影:10時48分=伊藤 幸司
尾根道に出ると、すぐに石仏があって、スギ林が伸びています。先頭の2人が前方にいますが、男性登山者がその前にいるので、私はスズメバチを気にしていません。
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【10】撮影:10時48分=伊藤 幸司
これがその石仏群。拾い集めたような感じもしますが、全部顔が壊れていません。近年、誰かが一揃い奉納したという感じがします。でも最乗寺との関係はどうなっているのでしょうかね。
★次の写真まで1時間半ほどの空白があります。この写真を撮ってすぐに、先に行っていた男性が引き返してきたのです。スズメバチにやられたとのこと。その男性がスズメバチに追われてきたかたちになったので、私たちの周りにも偵察バチが飛び始めました。全員姿勢を低くして後退。先頭グループは少々危険な状態になりましたが、無事に脱出することができました。首都圏での日帰り登山で最も危険な存在は、クマでもマムシでもありません。先制攻撃を仕掛けてくるスズメバチです。しかも蜂毒はアナフィラキシーショックによって死に至る危険も内在していますから、絶対に刺されないことを基本に考えないといけないのです。これまでもスズメバチによってルートを変えたことがありますが、とりあえず最乗寺まで撤退しました。
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【11】撮影:13時01分=伊藤 幸司
道了尊バス停から伊豆箱根鉄道大雄山線を経て、小田原駅へと逆戻り。そこからバスで宮城野支所前下車で、明星ヶ岳への登山口にたどり着いたのが13時でした。計画の下山地点から逆方向で明神ヶ岳を目指しました。登り始めてすぐに振り返った写真です。箱根の中央火口丘、神山は画面左に隠れていて、ここに見える山並みは明星ヶ岳〜明神ヶ岳から先に連なる外輪山の、金時山から始まる稜線です。
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【12】撮影:13時04分=伊藤 幸司
箱根外輪山は外見から想像する以上の厚い緑に覆われています。
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【13】撮影:13時11分=伊藤 幸司
この写真、調べてみるとイヌセンボンタケのようです。それも旬の姿。一瞬、楽しい気分になりました。
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【14】撮影:13時23分=伊藤 幸司
神奈川県にはお金があるからか、かなり大掛かりな登山道整備を各地で同時進行しています。でも破壊を力で抑えようとする姿勢が強いので、自然とのパワーゲームになってしまいます。
神奈川県には有力な山岳組織も多く、ヒマラヤ登山のトレーニングを丹沢山地で続けている人も多いとか。私の友人によると、登山道を外れて登山をしている人たちの裏情報がネット上にたくさん流れているとも。丹沢のバカ尾根(大倉尾根)でのボッカ競争も、元々は登山道整備のための石運び運動から始まったといわれています。
登山道の整備状態を、土との戦いから、水との戦いへ、視点を変えないと、こういう「立派」な設備が次々に作られていくだけに終わります。
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【15】撮影:13時25分=伊藤 幸司
箱根の山を象徴するのがこのハコネダケ。アズマネザサの一種で、いわゆるシノダケ、ということのようです。
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【16】撮影:13時59分=伊藤 幸司
道の幅を見てください。歩きながらすれ違える感じのハイウェイ。ハイキングルートというべき感じでしょうか。
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【17】撮影:14時00分=小林 美子
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【18】撮影:14時01分=伊藤 幸司
毎年8月16日に明星ヶ岳の中腹で大文字焼きが行われます。標高約850m付近の、その大文字に出ると展望が開けました。正面に見えるのが箱根火山の中央火口丘。右側が箱根最高峰の神山(標高1,438m)、左側が箱根神社のある駒ヶ岳(1,356m)。神山の右端に谷間が見えますが大涌谷、下がってきたところが強羅です。
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【19】撮影:14時01分=伊藤 幸司
大文字のところで初めて富士山を見ました。手前の稜線は金時山から降ってきたところ。初夏にヤマボウシの巨木が白く輝くあたりです。
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【20】撮影:14時01分=伊藤 幸司
大文字焼きの現場から登山道はハコネダケの密林へと潜り込んで行きます。
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【21】撮影:14時03分=伊藤 幸司
大文字焼きの展望地点から、お別れの気分でもう一度。富士山の手前の稜線、右端のおにぎり山が金時山です。足元にたくさん見える家屋は別荘群と考えていいでしょう。
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【22】撮影:14時03分=伊藤 幸司
箱根ならではの気持ちのいいトンネルです。
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【23】撮影:14時04分=伊藤 幸司
ホトトギスの花がありました。箱根にはヤマホトトギスとヤマジノホトトギスの両方があって、花の柄が長くて枝分かれしないのがヤマジノホトトギス、花弁が大きく反り返るのがヤマホトトギスらしいのですが、ここで見た花は驚くほど立派なうえ、私などにはどちらか判断できません。
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【24】撮影:14時32分=伊藤 幸司
標高924mの明星ヶ岳での休憩が終わって、外輪山縦走路を明神ヶ岳に向かって歩き始めました。箱根にはススキノ名所がありますが、外輪山縦走路にもススキは登場してきます。
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【25】撮影:14時35分=伊藤 幸司
これはトネアザミだと思います。ナンブアザミの仲間で、東北南部から関東〜中部地方、特に太平洋岸でごく一般的なアザミとのこと。私はこのパワフルな葉っぱに、今魅せられています。
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【26】撮影:14時39分=三浦 陽子
ススキの向こうに微かに富士山が。箱根に来たなと感じる景色。
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【27】撮影:14時39分=三浦 陽子
秋は青のきれいな花が多い? ような。
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【28】撮影:14時39分=小林 美子
このマツムシソウは、小さくてかわいかった。
ひ弱な感じのマツムシソウでした。
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【29】撮影:14時39分=小林 美子
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【30】撮影:14時40分=伊藤 幸司
稜線の展望が開けました。正面に明神ヶ岳が姿を現しました。近いと思った人と、遠いと思った人とがいたようですが。
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【31】撮影:14時40分=伊藤 幸司
ススキと富士山。この時期のお定まりの構図でしょうか。
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【32】撮影:14時40分=伊藤 幸司
マツムシソウが出てきました。
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【33】撮影:14時40分=小林 美子
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【34】撮影:14時42分=伊藤 幸司
ヤマボウシが実をつけていました。
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【35】撮影:14時42分=伊藤 幸司
ヤマボウシの実は食べられるのだそうです。生のまま、乾燥して、ジャムにして、お酒にして……とか。
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【36】撮影:14時42分=三浦 陽子
雲の帽子がちょっとズレた感じ。9月はずっと雨もよう。この日だけ晴れ! 暑かった!
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【37】撮影:14時47分=小林 美子
田舎育ちの私には珍しくないクモだが、久しぶりに見るジョロウクモ。
ちょっとさわると怒って網を揺さぶる。
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【38】撮影:14時51分=小林 美子
マルハフジバカマとアサギマダラ。
大好物のマルハフジバカマの蜜の栄養を補給して、
適温の25度(日中)の地域を求めて移動する。
どうしてあの薄い羽根で一千キロ以上もの渡りができるのか。
不思議な蝶だ。
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【39】撮影:14時53分=伊藤 幸司
不思議な雰囲気の花がありました。この花が群落を作っているところにカメラを持った男性が2人いて、マルバフジバカマだとわかりました。フジバカマは日本の秋の七草ですが、これは「1896年に渡来した」とはっきりわかっている北米からの帰化植物だそうです。しかも強羅公園に植栽されたものが、広がったと考えられているとか。この草を食べた家畜の乳を飲むと「ミルク病」で死亡者も出るという毒草とか。なかなか怖い花らしいのです。
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【40】撮影:14時53分=伊藤 幸司
どこが「マルバ」なのかわからないのですが、ネット上の写真を色々見ても「マルバフジバカマ」みたいです。
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【41】撮影:14時53分=伊藤 幸司
素通りする間にかろうじてこのチョウ(セセリチョウの仲間?)を撮りましたが、撮りたかったのはアサギマダラ。カメラを持った男性二人も、アサギマダラが目的でこの場所に来たとのこと。ヨツバヒヨドリのあるところにアサギマダラ舞うという体験を何度もしていますが、このマルバフジバカマもアサギマダラと浅からぬ関係を持っているようです。加えて、飛び交っているアサギマダラは、実際に(実験によって)長距離飛行していると確認しているのだそうです。1,000kmも飛行するという割にボロボロの姿を見たことがないので「……という個体もある」という意味にとっていたのですが、みんな大旅行しているのかもしれません。
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【42】撮影:14時55分=伊藤 幸司
箱根との関係浅からぬマルバフジバカマは外輪山稜線ではこんな風に咲いていました。
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【43】撮影:14時59分=伊藤 幸司
大型のミミズが道路に出ていました。フトミミズの仲間といえばいいのでしょうか。ミミズは皮膚呼吸で、体温調節もできないので、土中にいられない状況が生じることがあると、それに対する避難行動がしばしば地上への自殺行為につながってしまうというのです。まだ元気そうなミミズさんでしたが。
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【44】撮影:15時01分=伊藤 幸司
花だけからの印象ですが、これはユウガギクのように思われます。秋の白い野菊、あるいはヨメナで花が似ているのはノコンギク、シラヤマギク、カントウヨメナ、シロヨメナなどがあるとのこと。ちなみにユウガギクはノコンギクと間違いやすいとのこと。枝が細くて、横に直角に伸びているとか、葉が両面ともザラついないとかが特徴とか。
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【45】撮影:15時04分=伊藤 幸司
箱根にあるというヤマジノホトトギスとヤマホトトギスのどちらか。相変わらず写真からでは判断がつかないのですが、雌しべを支える花柱に斑点があればヤマホトトギスということです。ホトトギスの花を撮るときには横からも撮っておかなければ。
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【46】撮影:15時15分=伊藤 幸司
オミナエシも道端にありました。
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【47】撮影:15時15分=伊藤 幸司
ツリガネニンジンは盛りを過ぎつつありました。
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【48】撮影:15時19分=伊藤 幸司
ヤマホトトギスかヤマジノホトトギスか相変わらず不明なままでの写真ですが、立派な枝が道際に垂れ下がっていました。
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【49】撮影:15時23分=伊藤 幸司
宮城野へ下る道の分岐を過ぎて、稜線は標高1,000mへと近づいていきます。強羅から中央火口丘の神山が一望できる展望のいい尾根歩きとなりました。
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【50】撮影:15時29分=伊藤 幸司
望遠レンズで捉えた大涌谷。噴煙か水蒸気か、その中にロープウェイのゴンドラが見えています。
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【51】撮影:15時29分=伊藤 幸司
前の写真をもうすこし引いて撮ると最高峰の神山が見えました。山頂部をおおう雲が激しく動いています。
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【52】撮影:15時33分=伊藤 幸司
再びハコネダケのトンネルを潜り抜けました。
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【53】撮影:15時44分=小林 美子
9月、毎日雨続きというのに、この日は晴れ。
ススキの道。
気持ちいい道でした。
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【54】撮影:15時45分=伊藤 幸司
神山のあたりには相変わらず雲が勢いよく動いています。見上げれば秋の空。ススキ越しに見る心地よい景色でした。
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【55】撮影:15時54分=小林 美子
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【56】撮影:15時55分=伊藤 幸司
明神ヶ岳の山頂が見えてきました。雲が新しい風景を作り出しているような気分でした。
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【57】撮影:15時58分=伊藤 幸司
トリカブトがありました。箱根にあるのはヤマトリカブトで、その中でも風の強いところで見られる背丈が低く、花が密集しているものがハコネトリカブトとされているそうです。その写真を見ると花が密集してひとかたまりになっていて、トリカブトしては完全な異端児という感じです。これはふつうのヤマトリカブトなんでしょうね。
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【58】撮影:15時58分=三浦 陽子
大涌谷の煙のなか、ロープウェイの小さな箱が動いているのが見えた。
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【59】撮影:16時00分=伊藤 幸司
さっき見た大涌谷と同じ風景ですが、その風景がわかりやすく見えてきました。
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【60】撮影:16時03分=小林 美子
富士山の周辺に多い事から名付けられたというフジアザミ。
綺麗というよりすごい!
下を向いて咲いている。
下からのぞいてみようにも大きなトゲが邪魔になる。
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【61】撮影:16時04分=伊藤 幸司
明神ヶ岳の山頂ではフジアザミが主役でした。堂々と、存在感を示していました。
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【62】撮影:16時05分=小林 美子
大湧谷。
煙のなかにロープウェーがかすかに見えた。
噴火騒ぎて止まっていたロープウェー。
今は動いています。
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【63】撮影:16時07分=伊藤 幸司
これが明神ヶ岳からの富士山。金時山との父子鷹という感じになります。
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【64】撮影:16時11分=伊藤 幸司
山頂の保護地区にこの花がありました。トウヤクリンドウに見えますが、9月下旬でこの状態というのは不思議です。帰って調べてみてもわかりません。これから咲く秋の花です。
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【65】撮影:16時20分=伊藤 幸司
神山を背景にして、ま逆光の記念写真です。
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【66】撮影:16時21分=伊藤 幸司
富士山が出るかと思ってもう一枚。富士山も顔もかろうじて見える範囲でした。
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【67】撮影:16時23分=伊藤 幸司
帰りがけにもう一度フジアザミを。
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【68】撮影:16時24分=伊藤 幸司
雲の向こうに海がチラリと見えました。湘南の海なんですが。
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【69】撮影:16時28分=伊藤 幸司
山頂から下り始めるとすぐにこの木がありました。登るときにはほとんど気づかなかったのですが、なんだ? このモジャモジャ感は? と思わせる光線が差し込んでいました。
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【70】撮影:16時28分=伊藤 幸司
秋の日はつるべ落としという実感を感じるために日没時刻を過ぎたところまで山の中にいるような計画をしばしば立ててきました。主目的は日没後いつまで無灯火で歩けるかという体験なのですが、そうすると夕日が作り上げる斜光線の風景をゆったりした気分で味わえるようにもなります。稜線のススキも雰囲気がガラリと変わってきました。この日の日没時刻は横浜で17時31分。
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【71】撮影:16時36分=伊藤 幸司
宮城野へと下る道の分岐まで、同じ道を戻ります。
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【72】撮影:16時45分=伊藤 幸司
稜線の道とは言え、下る道は深くえぐられています。ここが激流になった姿を想像しながら歩きます。
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【73】撮影:16時48分=伊藤 幸司
ここは箱根外輪山の中でもかなりポピュラーな道なのですが、それでも変化に富んだ様相を見せてくれます。
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【74】撮影:16時49分=伊藤 幸司
そろそろ宮城野へと下る分岐です。最後の展望という感じでシャッターを押しました。
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【75】撮影:16時56分=伊藤 幸司
宮城野へ下る分岐点にあった、たしかサルナシの実。マタタビの仲間で、ニュージーランドでキウイとなったのがこの実とか。そこにいた男性登山者のお陰で知りました。
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【76】撮影:16時58分=伊藤 幸司
宮城野へと一気に豪快に下っていくのですが、別荘地へ出たところで舗装路に出ず、暗い登山道をそのまま下ることになりました。
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【77】撮影:19時43分=伊藤 幸司
勘太郎の湯は店じまいギリギリに飛び込んで、食事は小田原駅ビルの魚國でした。

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