山旅図鑑 no.298
二子山
2021.2.24

山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(コロナとともに no.35)
2021.2.24
二子山
39パワー

登り20p→下り19p

★計画書には次のように書きました。
*スガノコロナに対する今回の緊急事態宣言は3月7日まで延長されていますから、糸の会の活動は3月から開始と決めました。が、そのひとつ手前の「2.24二子山」を早期解除された場合も考え、かつ気持ちのブランクを埋められれば……とリストアップしておきました。
*秋田さんが手を上げてくれたので、宣言解除の時期にかかわらず、シンプルに実施したいと思いました。

*今回、往路のルート・バリエーションをできるだけたくさん考えようとしていたところ、秩父鉄道利用の東武東上線経由や、JR高崎線経由など従来利用したものとは違うJR川越線経由のルートを見つけました。
*JR武蔵野線からなら武蔵浦和乗り換えのJR埼京線で大宮へ、大宮からJR川越線がJR八高線・八王子まで直通運転しているので東飯能で西武秩父線に乗り換えられます。埼京線は新宿〜池袋などからも乗車できるので、今回、池袋駅の西武線や東武東上線をパスして川越線経由を体験していただける方がいらっしゃれば、嬉しいです。

*二子山は秩父にもう一つあって、皆さんが登った記憶のある岩山は、両神山のとなりで、こちらではありません。こちらは武甲山のとなりです。武甲山の表参道(一の鳥居登山口)から反対側に登って武川岳から二子山を経て芦ケ久保駅へと下ったことのある方がいらっしゃるかもしれません。そのころ使っていた地形図とはルートが変わったようですが、いずれにしても小さくて、技術的な問題のない山です。ただしこの時期ですから急斜面に雪があったり薄氷があったりすると、やっかいなので、軽アイゼン(チェーンスパイク)は必携です。
*下ったところには「あしがくぼの氷柱」がありますが、今年はどうでしょうか。

最寄り駅は西武秩父線・芦ケ久保駅
1200ごろ_芦ヶ久保駅(標高約300m)を出発
1245-50ごろ_休憩(標高約550m)8℃
1340-45ごろ_二子山雌岳で休憩(標高約850m)
1355-1410ごろ_二子山・雄岳山頂(標高=883m)
*浅間神社のある尾根道は「あしがくぼの氷柱」のため通行禁止、ということで登ってきた谷筋の道を下ることにしました。 1440-45ごろ_休憩(標高約700m)
1525ごろ_芦ヶ久保駅(標高約300m)
1540-1600ごろ_あしがくぼの氷柱を見学(標高約300m)

今回の写真出展メンバーは(現在のところ)
秋田 守、伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。


二子山
【撮影】11時23分=伊藤 幸司
*西武秩父線・西武秩父行きの鈍行列車が芦ヶ久保駅に到着する直前です。車窓から芦ケ久保の中心部と思われる南向き斜面を見渡せたので撮りました。
*じつは今回この瞬間を待つ間、あまりにも長いトンネルに驚き、イライラしていたのです。国土地理院の電子地図で調べてみると、ひとつ手前の正丸駅を出た直後に正丸トンネルに入ると、芦ヶ久保の直前まで潜りっぱなしなんですね。まだか、まだかとジリジリさせられてのこの風景ですから、私はちょっと感激しました。この写真だと右に切れていますが、丸山(960m)に登って、秩父三十四所観音霊場4番金昌寺へと下るためにこの果樹園の斜面を何度も登っています。
*念のため「正丸トンネル」で検索してみると「正丸トンネルを歩こう!」を開催!という西武鉄道の「西武秩父線開通50周年記念40名限定 特別限定企画」があったんですね。なんと今回のコロナ騒ぎのど真ん中、2020年3月28日ですよ。
*それがどうなったかかまで調べていませんが、私は「西武秩父線開通50周年記念」というところに興味がわきました。ウィキペディアの「西武秩父線」によると、西武池袋線は戦前すでに吾野駅まで伸びていて、吾野〜西武秩父間の19.0kmを昭和42年(1967)から2年間で開通させたのだそうです。そのとき全長4,811mの正丸トンネルは私鉄で最長の山岳トンネルとされたといいます。
*私の疑問は単線の山岳鉄道というべき西武秩父線にこんな長大なトンネルをあえて掘る理由はなんだったんだろうか、ということでしたが、東京オリンピック後の日本の経済力と技術力ならあり得ただろうな、ということがひとつ。それから単線の輸送力でよく決断できたなという素人的な印象については、この鉄道が秩父鉄道同様に武甲山からのセメント輸送に当たって、私鉄では最大級の電気機関車で最大1,000トンの重量貨物列車を走らせたというのです。貨物輸送は平成8年(1996)に終了しますが、正丸トンネルを掘るだけの要因はあったわけです。
*ただ、生活路線としては平成25年(2013)に西武鉄道全体の経営問題から廃線がささやかれる事態となり、たとえば秩父地域で「西武秩父線利用促進協議会」が結成されたということです。


二子山
【撮影】11時28分=伊藤 幸司
*車窓から見た南斜面が「あしがくぼ果樹公園村」という大型の絵地図です。芦ヶ久保駅前の広場にありました。左上に「ようこそ横瀬町へ」とあります。
ウィキペディアの「横瀬町」によると、昭和30年(1955)に秩父郡の横瀬村と芦ヶ久保村が合併して横瀬村、昭和59年(1984)に横瀬町になったといいます。
*どんなフルーツ? ということについてはあまり積極的な情報が見つかりませんでしたが、イチゴ、ブドウ、リンゴあたりの「味覚狩り」が2月下旬から11月下旬まで可能なようです。


二子山
【撮影】11時28分=秋田 守
今回の集合場所は、西武秩父線芦ヶ久保駅。昔、山歩きを始めたばかりの頃、ここから北側の果樹園方面へ丸山まで登ったことがあるが、南側へは足を踏み入れたことがない。芦ヶ久保駅までは、自宅から、東武野田線、常磐線、武蔵野線と乗り継ぎ、新秋津駅で西武秋津駅へ歩いて移動し、飯能経由でやってきた。池袋へ出る方が料金も安く、所要時間も短くて済むのは分かっているが、東京都心部を避けたいため、このルートにしたのである。


二子山
【撮影】11時30分=伊藤 幸司
*11時23分の写真の左奥に小さく見えるブルー系のものがこの源寿院・埼玉別院・芦ヶ久保大観音です。モアライフによると永代使用料(記名式)は石板・骨壺一組で100,000円。【遺骨は個々に小さい骨壺に入れて安置し、残りの遺骨は久遠の碑の合同埋葬区画に合埋葬いたします。維持費や管理料といった追加料金が一切かからず、何体でも納骨できます。】とのことです。
*この観音様については、いたみわけ.comに「珍スポット旅行家」さんのレポートがありました。
*【さぁよく見てごらんなさい。なんとまぁこの観音様、正座してらっしゃいます。基本的に仏像ってのは、結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる、あぐらをかくような形で座っています。結跏趺坐は仏教界では最高にイカしてる座り方とされています。
ではなぜ芦ヶ久保大観音は結跏趺坐ではなく、正座なのでしょうか?答えは簡単、彼が伝統や文化に背くロックンロール精神の持ち主だからです。
なのかどうかは知りませんが、もう1つ原因を考えてみましょう。芦ヶ久保大観音が作られたのは平成12年のことです。現代での正座は、その名の通り正しい座り方と認識されています。なので現代の文化を反映させる意図で作られたのかもしれませんね。】……というぐあい。


二子山
【撮影】11時46分=秋田 守
芦ヶ久保駅を出て、左手に下りていくと、道の駅がある。秩父方面へ車で行き来する時にトイレ休憩によく使う場所だ。ぼくとコーチは、計画書の列車より1本前の列車で着いていたので、もう1人の参加者、若井さんを待つ間、道の駅でおにぎりとお茶を購入していた。日当たりのいいテラスのテーブルで、のんびり支度をしていると、目の前の食堂に、名物ずりあげうどん、という幟が立っていた。よし、下山後はこれを食べるぞ、と思った。


二子山
【撮影】12時01分=秋田 守
道の駅から登山口へ向かうと、何やらチケットボックスみたいなものがあり、協力金300円とある。入山料を取るつもりかなとも思ったが、誰もいない。後で分かったのは、1月12日から昨日、2月23日まで行われていた「あしがくぼの氷柱2021」というイベントのためのものだった。今回は、滞在1時間以内、入場規制、土日祝は事前予約制、場内飲食禁止などのコロナ対策がとられていた。7年前から広く一般公開されるようになったらしい。


二子山
【撮影】12時02分=秋田 守
氷柱イベント開催期間中は、この日、下山路に使おうと予定していた浅間神社コースを通行禁止にしていたようで、その旨の張り紙がしてあった。昨日で終わっているのだから、もう開放されているのではないかとも思ったが、この張り紙を外していないというのは、まだ物理的に閉ざされているのではないかともとれる。とりあえず、山頂まで行ってから考えましょう、というコーチのいつもの行き当たりばったり的なお言葉を聞きつつ、前進。


二子山
【撮影】12時05分=伊藤 幸司
*芦ヶ久保駅では北側に駅前広場があって、背後に山を背負っています。その山に登ろうというのですから線路を越えなければいけないのです。駅広場から秩父側へ行くと人専用の地下通路がありました。これに似た地下通路はたしか吾野駅にもありましたね。


二子山
【撮影】12時06分=伊藤 幸司
*この写真でわかるのは、この道が左折れ専用だということです。しかも人専用のトンネルです。もっといえば登山者専用。通過しながら「ヘェ─ッ」と思って撮ったのですから、ほかではあまり体験していないのだと思います。線路横断の方法としては特殊なんでしょうかね。
*……と書いたところで思い出しました。JR仙山線の面白高原駅から紅葉川の渓谷ルートを下って千太滝のところでハイキングコースが終わり、自動車道に出るところで、仙山線の線路をくぐるトンネルがありました。2020.11.17-18「蔵王・面白山紅葉川・山寺」の「2日目11時48分」の写真です。


二子山
【撮影】12時19分=秋田 守
西武秩父線の線路を小さなトンネルでくぐり抜け、登山道に入る。九十九折りの道をぐいぐい登る。山を歩くのは、昨年末に昔の会社の仲間たちと忘年山行で陣馬山に出かけて以来のこと。コーチも糸の会をしばらくお休みしていたから久しぶりとおっしゃる。若井さんだけは、外出自粛もものともせず、一人でせっせと近郊の山を歩き続けていらっしゃる。そのせいか、足取りも軽い。山には木々は生えているが、下草が全く生えていない。


二子山
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
*登山道が駅裏からすぐに始まったので、20分もすると本格的な登りになっていました。


二子山
【撮影】12時26分=秋田 守
登山道の脇には細い渓流が流れていて、時折、小さな滝となって落ちている。この流れは、芦ヶ久保駅近くで横瀬川へ流れ込む。横瀬川は秩父市内で荒川と合流し、あの長瀞の舟下りの流れとなっていく。コーチによれば、昔の二子山への登山ルートは、この沢筋ではなく、別の尾根筋だったそうだ。どうして替わってしまったのだろうか。この沢には大きな岩がゴロゴロ落ちていて、いつ何時、登山道が崩れてもおかしくないというのに不思議。


二子山
【撮影】12時31分=伊藤 幸司
*登山道としては歩くのに問題はないのですが、こういう林の中を歩いていると、気持ちが明るくなりません。斜めに倒れかかってる木が風景の気分を大きく左右しているのだと思いますが。
*東北の山でも、もちろん斜めに倒れかかった木がないわけではありません。悲惨な気分になる森もあります。でも、どこかが、ちょっと違うのです。
*たとえば、ですけれど、屋久島の屋久杉は樹齢千年以上といわれますが、巨木ではあっても高木とはいえないのが普通です。おそらく他を圧してスクスクと育ったノッポの木が台風なんかに立ち向って、へし折られたんだと想像するのです。
*周囲の杉がどんどん成長して百年、二百年、三百年……と育った状態は(たしか花山歩道で)江戸時代の植林として見ましたが、立派でした。屋久杉はさらに数百年、千年、二千年という長い年月、伸びる意欲を太る方向に切り替えてずんぐりむっくりに歳を重ねたとしか見えません。
*いろいろな木を見てきましたが、それぞれの木が受け止めた生涯を感じることが山では多かったと思うのです。でも首都圏で最近思うのは、風や雪で倒されて、惨めな姿のままヒトに伐られる日を待っているという斜めの木のなんと多いことか。ひょっとすると根の深い問題をかかえた光景なのかもしれませんが。


二子山
【撮影】12時34分=伊藤 幸司
*「兵ノ沢 490m」という道標のところでこの沢を渡りました。気温8℃、このささやかな流れが山頂手前の急斜面でなかなか楽しい小滝の連続になるそうですが「兵ノ沢ルート」の登山道はここで(上流から見て)左岸から右岸へと変わります。
*私が使っている古い地形図ではこのすこし下から右岸の尾根に上がって標高770mの水準点のところに出るのですが、今の地形図に描かれているこの道は(この地点が標高420mとなっていて)標高約600mあたりで沢筋をはなれて770m水準点に向かって登るようです。


二子山
【撮影】12時35分=伊藤 幸司
*手入れの行き届いた植林地となりました。素人目ですけれど、間伐もうまくいって、おとなしい感じの下生えがきれいです。シカの害がないのかなと思って調べてみると横瀬町のホームページにニホンザルの群れの位置情報(2021年3月2日)というのがありました。芦ヶ久保群の地図んいよると、駅から見渡せる果樹園地帯と西隣の武甲山には分布していますが、この二子山には全く生息していないという結果のようです。シカについての情報はないみたいで、クマの行動域に入っている可能性はあるかもしれないという程度。


二子山
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
一応気になった植林地なので、樹冠の様子も撮っておきました。


二子山
【撮影】12時44分=秋田 守
自分の顔をさらけ出すのはお恥ずかしい限りですが、この日の状況を知っていただきたくて。実は、前の日も秩父に。毎年の恒例行事で、セツブンソウ目当てです。で、山を見れば、杉の木から花粉が舞い散ってるのが霞のように見えて、案の定、帰宅後、夜中に眼がかゆくて目が覚めました。で、この日も、しっかりマスク(ぼくにとってはコロナ対策ではなく花粉対策)とゴーグル、そして帽子でガード。ゴーグルが汗で曇って見づらいこと。


二子山
【撮影】12時57分=伊藤 幸司
*ほんの20分前の植林地と比べると、兵ノ沢の沢筋は雰囲気がだいぶ違います。管理者が違うのは明らかです。でもわからない。
*ごく一般的な常識の範囲でいうと、河川はすべて公的な管理下にあるようです。一級河川が国や都道府県、二級河川が都道府県の管理下にあるほか、河川法が適用されない「それ以外」の普通河川も市町村長の管理下にあって、例外はないようです。
*国土地理院では川は「地下水や雪渓などの水源」から水が流れ出る地点を水源としているそうですが、その流れが「平常時1.5m以上」になると「1条河川」として青い実線で描かれます。この兵ノ沢は最新の地形図では標高490mの等高線のところから下がその「1条河川」となっていますから、このあたりから上は水量が減ったり、枯れたりすることもあるということになります。


二子山
【撮影】12時58分=秋田 守
尾根筋に出るまではひたすら登るだけ。葉っぱは落ちているものの、雑木が多くて周囲の景色もあまり楽しめず。ひたすら歩く。そしてようやく行く手に、目指す二子山の雌岳が見えてきた。ここまでで約1時間、あと30分ほどの登りだろうか。目的地が実際に見えると、心理的に楽になる。あそこまで行けば山頂だという安心感というか、具体的な目標感が、この登りはいつまで続くのだろうかという不安な思いを和らげてくれるのだと思う。


二子山
【撮影】12時59分=秋田 守
登山道脇の所々にこのような看板が立っていた。雨衣(カッパ)! なんて昭和の響きでしょうか。今時の若者たちには通じないのではないかしら。右横の芦ヶ久保の獅子舞が気になる。そもそも秩父一帯は、今も村歌舞伎が伝えられていたり、伝統芸能が盛んなイメージがある。WEBで調べたら、なかなか立派で面白そうな獅子舞で、道の駅の向かいの神社で毎年8月16日に行われるそうだけど、昨年は新型コロナ感染防止のため中止だったとか。


二子山
【撮影】13時01分=伊藤 幸司
*この登山道には、杉材を利用したと思われるこの道標が点々と置かれています。下部には「横瀬村」とあり、最上部の金属プレートには「道標 18-8 横瀬町」とあります。横瀬村が横瀬町となったのは昭和59年(1984)ですから一連のこの道標は40年ほど前に設置されたということでしょうか。


二子山
【撮影】13時08分=秋田 守
尾根へ上がるまでは基本的には北斜面を登っているので、日陰が多く、少し登ってきたこのあたりからは、足下に霜柱もここそこに見られた。こんな立派な霜柱だと、踏んでは申し訳ないような気になるので、崩さないように気をつけながら避けて通らねば。昨日までは秩父でも気温が高くなっていたのが、今日からはまた冷え込んでいる。でもこのあたりは風がないので、助かる。脱いだ厚手のシャツを着込む必要はない。むしろ汗ばむほど。


二子山
【撮影】13時09分=秋田 守
今日は参加者は若井さんとぼくしかいない。でも、コーチからは、自分の前を歩く人がずっと同じというのは嫌だ、いつも通りにしてほしいとのわがままリクエスト。しょうがないので、二人で適当に前になったり後になったりしながら、登った。そういえば、コーチの写真を撮ることはこれまであまりなかったなと思い、1ショット。いつものスニーカーに、大きなザック。毛糸の帽子は暖かそうだけど、暑いんじゃないの、と余計な心配を。


二子山
【撮影】13時09分=秋田 守
前をゆく若井さんの足下を見て驚いた。いわゆる登山靴ではなく、スニーカー風。訊いてみると、スニーカー風だけど一応山歩き仕様で、靴底は厚く、しっかりした凹凸も刻まれており、グリップ力は強そうだ。ただし、防水仕様にはなっていないとのこと。いいなあ、当然軽量だろうし。そろそろ山靴替え時なので、いろいろ探してみようと思う。コーチのようなスニーカーにするつもりはないけど。決め手は、防水と靴底のグリップ力、かな。


二子山
【撮影】13時13分=秋田 守
登り始めてから1時間あまりで、やっと尾根筋に出た。日差しがあって気持ちいい。道標は、右が二子山、左は山道行き止まり、となっていた。後で分かったが、左の道がかつての登山道らしい。その後、雌岳の山頂で出会った地元の方によれば、かなりきつい傾斜だけど歩くことはできるとのこと。そういえば、ここの手前で、コーチから登りの時のストックの使い方について指導を受けた。踵近くに突いて後ろから体を押し上げるように、と。


二子山
【撮影】13時15分=秋田 守
尾根の上の道は歩きやすいのだが、強い風が吹き抜けるようになって、そうなると寒く感じる。たしかこのあたりで5℃とコーチが言っていたような気がする。このあたりから、実は右手に両神山などが見えるようになったのだが、常に樹の枝に邪魔されて、すっきり見させてくれない。そのうち、枝の合間から山が見えるような場所があるだろうと思っていたのだが、そんな場所はひとつもないまま、思いもよらぬ難所へと辿り着いてしまった。


二子山
【撮影】13時17分=伊藤 幸司
*この道標は地形図にある標高770mの無名峰の脇、最新の地形図によると740m等高線のところで770m峰から二子山に向かう尾根に出たのです。秋田さんのカメラはこの道標を13時13分に撮っていますが、4分の差はなかったと思います。カメラが正確な撮影時刻を記録してくれるので道迷い防止のための記録撮影にも最適なのですが、お互いの時刻合わせをしないと、小さな差が気になったりしてしまいます。動画撮影では時刻管理がさらに重要になったりするでしょうから、ぜひ電波時計にしていただきたいと思います。
*さてこの道標ですが「山道行き止まり」の方に進むとほんの数分で770m峰があるはずです。そこから尾根を下ると、標高400mあたりでこの兵ノ沢へと下ったはずです。


二子山
【撮影】13時20分=伊藤 幸司
山頂へと向かう尾根道は最初平坦です。私の地形図には、登山道が50mごとの等高線(計測線と呼ばれる太い線)を踏むごとに半径50mの赤丸を描いています。標高700mの赤丸が2つあって、そのあいだに赤丸ひとつ分の空間があるので、約200mの平坦な尾根ということができます。それがここ、頂上稜線まで登りきってホッとした気分です。
*ただしこの後、赤丸が接して50/100、すなわち50%勾配(約27度)の斜面が待っているのです。


二子山
【撮影】13時27分=伊藤 幸司
*いよいよ頂上直下の50%勾配への登りです。登りのときのストックの使い方です。この写真で若井さんの足元の斜面角度を分度器で計ってみると30度です。この傾斜になると多くの人はストックを前に振りかざして、バランスの不安を補おうとします。
*私が山歩きのリーダーをするとき、みなさんに理解してもらいたいのはここのところです。若井さんはストックをいま、パワーアシストとして使っています。不安を解消するために前方に振り出すバランスアシストと違うことから、リーダーとしての観察ではマイナス解消というレベルではなく、プラスの付加という観点で見ていくことになります。
*とにかく重要なのは足のかかとに2本のストックを置いて、カラダを真上に持ち上げるパワーをプラスすることです。この写真によって、斜面が急でも鉛直(重力にまっすぐ対応)に立っていることがよくわかります。靴底全体を使っているのでこの路面ではまだ滑らないという技術的な確認もできています。
*降り出した軸足にきちんと立って、伸び上がる次の動作に対してパワーアシストする、というストックの使い方がよくわかります。
*ただ一点、若井さんは若い頃からストック無しでガンガン登ってきた人なので男性に多い欠点がまだ残っています。後ろ足です。
*たまたま写真に写ってしまったかとも思いますが、後ろ足で蹴っていますね。何分の一ぐらいのパワーかわかりませんが、平地の歩き方の延長線上で上りにかかるという「力まかせ」の登り方が残っていると見えるのです。この場面では軸足となりつつある左足に体重を100%載せてしまって、右足はフリーな状態で前に振り出し、前方に置きます。
*するとその次はいま前に出ている軸足をストックでサポートしながら真上(鉛直方向が重要です)に伸び上がりつつ、右足に重心を移動するのです。
*じつはそこの体験は大きな段差や急な斜面でないとできにくいので、北アルプスなどの岩の急斜面を歩くときにしかきちんと指導してきませんでした。説明しやすい写真もあまり撮っていないのです。若井さんは、若い頃には相当無茶をしたとお見受けするので、たぶん、この「安定感」は今回の収穫だったのではないかと想像する写真です。まあ辛口でいえば60%程度の出来だと思いますが、いい写真をありがとうございました。


二子山
【撮影】13時28分=秋田 守
雌岳の山頂まであと一息、というあたりで、突然、急斜面が出てきた。クサリ場、ならぬロープ場。写真は上から見ているので、さほどでもないように見えるが、なかなかの傾斜。なるべくロープを使わないようにと、ストックを駆使しながら登ってみたが、足のとっかかりがなく、へたするとズズッと滑ってしまいそうな感じ。乾いているからいいようなものの、これで雨上がりなら、ズルズル滑りまくること間違いなし。やっとこさ登り終えた。


二子山
【撮影】13時32分=伊藤 幸司
*前の写真でずいぶん褒めた若井さんのダブルストックですが、「広がって」「前に突く」という不安感の表現がここでは出てしまいました。じつは私はストック無しでどこまで行けるかやっていたのですが、このあたりは斜面も急なら、砂礫がかぶさって靴底が定まりません。私はとっくにロープやら立木のお世話になっていましたから技術的な注釈はありませんが、リーダー役の方々に知っておいていただきたいのは、ストックを使ってもらうと、その人の技術的なレベルや、精神的な状態が順次見えてくるということです。若井さんにはまだストックでどこまでやれるかというチャレンジ精神が残っているというふうに見えますね。「後ろ足に体重を残さない」というあたりを工夫してみていただきたい、というところですかね。


二子山
【撮影】13時23分=秋田 守
登り始めて1時間半、雌岳山頂到着。看板には雌岳882.7mとあるが、間違い。それは雄岳の標高で、こちらは少し低いはず。雌岳山頂から浅間神社へ下るルートがあるが、山麓同様、通行禁止の看板が立つ。同じ道を引き返すしかないのか。と、そこへ地元のご夫婦がやってきたので訊ねると、氷柱イベント会場へ先日入った時には、登山道方面への道は板で塞がれていたそうだ。山頂からの展望はきかない。おにぎり1個食べてお茶を飲んだ。


二子山
【撮影】13時37分=伊藤 幸司
*雌岳の山頂です。ここには三角点も水準点もなくて地形図では870mの等高線が小さな円で描かれているだけです。
*道標には「二子山雄岳・約10分」とも書かれていましたが、ここで休憩しました。
*問題は赤字で書かれた【この先 立入禁止】という表示。【なお、巡回ルートの浅間神社コースは「あしがくぼの氷柱」形成のため下山できませんので、ご了承ください】という同じ標識が画面奥の浅間神社コースへの下り口にも置かれていてロープで封鎖してありました。
*私はこの「あしがくぼの氷柱」が登山道とどういう関係になっているのかわかりませんでしたから、裏から侵入してくる登山者を遮断したいというケースを想定しました。しかしそれなら昨日で完全終了したのですから地元の登山者が下っていてもよさそうなのに、どうもその気配がありません。ひょっとすると物理的な通行不能部分があるのかもしれないという想像に至ったのです。


二子山
【撮影】13時52分=伊藤 幸司
*二子山の雌岳から雄岳からは道標に「10分」とありましたが、外から「二子」に見えるだけに、これぐらいの段差がなければいけないんだろうな、という感じでした。以前、初歩の皆さんと登った体験は何度かあって、雌岳山頂直下のロープは登りも下りも覚えていましたが、ここはまったく記憶の外でした。


二子山
【撮影】13時54分=伊藤 幸司
*これぐらいの段差をストックでサポートできるようにすると、ストックの価値が一段と上がると思うのですが、使わないほうが確実に安全なので私はあまり積極的に考えないようにしてきました。むしろ不要になったストックのさばき方を見て、その人の行動に余力があるかどうか判断するほうに価値があると思います。
*じつは日本に導入され始めたLEKIを登山初歩のみなさんに積極的に導入したのは、下りでの時間管理と安全性のアップのために大きな価値があると考えたからです。その結果、糸の会の女性メンバーは(最近は高齢でもありますが)下りでは見た目をはるかに超える上級レベルです。下りで「事故を起こさずに時間を管理する」には最高の登山用品だという考えは20年以上変わっていません。


二子山
【撮影】13時57分=伊藤 幸司
*これは二子山(雄岳)の山頂。三角点はありましたが、山頂らしい表示はどこかにあったのでしょうか。気がつかず、恒例の記念写真も撮り忘れて下山することになりました。


二子山
【撮影】13時57分=伊藤 幸司
*ここは武甲山の非常に重要な展望台……なのに、よく見えません。葉の落ちた冬でもこれですから夏だと絶望的ですね。
*武甲山の山頂は現在1,304mとされ、三角点は1,295.4mとなっています。しかし昭和55年(1980)ごろ山頂が削られる前は標高1,336mだったといいます。YamaRecoの「武甲山…削られる前の山頂写真を追加」が参考になりました。
*武甲山の中腹になんとなく横線が見えますが、そこがすでに広大な広場になっていて。爆破して取り出した石灰岩は大きな穴に放り込まれてトンネルで麓のセメント工場へと送り込まれます。
*首都圏の山を歩くと、里の生活では気づかない「山砂」採取の現場が驚くほどたくさんあるのを知ります。山陰でコソコソという感じです。この武甲山での石灰岩採取はのちに大きな反対運動となり、清水武甲さんがその写真を撮り続けましたが、秩父中心街に面したところから掘り始めた経緯に関しては、秩父特有の事情もあったようです。ここに展望台をつくっていただけるとありがたいと思いました。


二子山
【撮影】13時57分=秋田 守
雌岳から雄岳までは、下って登って10分ほど。こちらもあまり展望はきかないが、雌岳よりはまし。山頂には相当年季の入った三等三角点が立っている。もちろん、タッチする。ここは正真正銘、882.7m。今日これまでに出会った登山者は、先ほどの夫婦連れ2名、彼らに下山ルートを教えてもらっていた女性1名、脇をするするっと高速で追い越していった若い男性1名。誰にも会わないかもしれないと思っていたので、それよりは多かった。


二子山
【撮影】13時57分=秋田 守
雄岳山頂から木の間越しに見た武甲山。さすがに近い。武甲山には17年前に登ったことがある。まだ山歩きを始めて間もない頃のこと。武甲山山頂から浅間山を見ていたら、煙を吹き始めて驚いた。山頂直下の採石場の様子も迫力満点だった。うーん、しかし、じゃまになる枝がなければ、いいのになあ。障害物がない状態で、雄岳山頂から武甲山の写真を撮っている人もいるようなので、時期によっては刈り払ったりすることもあるのだろうか。


二子山
【撮影】13時57分=秋田 守
こちらは、木の枝と枝の隙間を探して、やっとこさ撮影した雪を被った遠くの山。浅間山だろうか。本当に頭だけ出しているので、はっきり分からないのがもどかしい。若井さんが、浅間山は最近、噴火警戒レベルが2から1へ下がって、前掛山まで登れるようになったと教えてくれた。バリバリ現役の活火山だからいつ何時、また警戒レベルが引き上げられるか分からないから、登れる時に登っておこうかなあ。ちょっと怖そうではあるけれど。


二子山
【撮影】13時59分=伊藤 幸司
*秩父では外すことのできない両神山も、かろうじて見えました。清滝小屋泊まりや、両神山荘泊まり、国民宿舎・両神荘泊まりなどいろいろやりましたが、最近は白井差ルートの日帰りが簡便です。一時は八丁尾根のあの大規模なクサリ場が定番でしたけれど。


二子山
【撮影】14時03分=秋田 守
周囲の山々を苦労しながら撮影していて、ふと足下を見ると、カワイイものが目に留まった。小さな青い陶器の狛犬。誰が何のために置いていったのだろうか。何かの供養のためか、それとも願い事のためか。自宅の玄関や部屋の入り口などに魔除けとして、こうしたものを置く人もいらっしゃるようだが、山の上で魔除けもあるまいしなあ。あれこれ想像を巡らさせてくれることよ。しかも、これ、獅子なのか犬なのか、微妙ってのも気になる。


二子山
【撮影】14時07分=伊藤 幸司
*青い小さな狛犬人形? を秋田さんが撮ったのが14時03分。それを撮っていた秋田さんを私が撮ったのが14時07分。4分の時間差は行動の差ではなくて、カメラ内臓の時計の違いなんですね。どちらが「正」かはわかりませんが。
*私がここでシャッターを切ったのは、武甲山の山裾の雰囲気がチラリと見えたからです。記念写真を撮っておけばよかったところです。


二子山
【撮影】14時11分=伊藤 幸司
*雄岳を下って、雌岳へと戻ります。パソコンで簡単に見ることのできる地理院地図(GSI map)では1/25,000地形図の情報を簡単に見ることができます。それによると標高882.8mの雄岳からいったん850m等高線まで下って、雌岳の870m等高線まで戻るということがわかります。計算上は10階建てのビルを下って、7階建てのビルの屋上に上がるという感じ。都会でそんなビルが2棟並んでいたら二子ビルなんて呼ばれるでしょうかね。


二子山
【撮影】14時18分=伊藤 幸司
*結局「あしがくぼ氷柱」の強制突破下山はナシとして、登ったときのロープ付き斜面を下りました。おふたりとも生真面目に、ストックでどこまで下れるか、自主的な挑戦です。私は下りもストック無しで、このあたりでもう、ロープを視野に入れて下っています。私がストック無しで下れる領域と、参加者のみなさんがストックで下れる領域とのすり合わせは、見るだけではわかりません。


二子山
【撮影】14時20分=伊藤 幸司
*今回、路面状況が悪いことも想定して軽アイゼンを用意してもらっていましたが、この斜面を、ほとんど同じような状態で、初心者の皆さんをお連れした、というときはどうだったのでしょうか。けが人が出たという記憶はありません。土が湿っていて往生したような記憶はあります。ここに張られたロープがものすごく大きな効果を発揮してきたということなんですね。


二子山
【撮影】14時23分=秋田 守
山頂からも両神山は見えたが、このカットは下山中に撮影したもの。実はこの手前が、難所だった箇所。登りも苦労したが、それ以上に下りはきつかった。結局、ぼくは下る時、片手でストックを突きながら、片手はしっかりロープを握って、下った。何のことはない、それならハナから両手でロープ頼みで下れば良かった、とは後になって気がついたこと。妙に踏ん張るから、普段使わない筋肉を酷使したようで、翌日は太腿が張って痛かった。


二子山
【撮影】14時34分=伊藤 幸司
*ここで再び兵ノ沢への下りになります。「山道行き止まり」が気になって、気になってしょうがないので、その地点まで行ってみたいと思いましたが、そういうことまでリーダー判断としてやらせてもらってお金をいただいてきたことを反省するトシになりました。


二子山
【撮影】14時37分=伊藤 幸司
*これは下りの快適な気分を撮った写真だと思ってください。どこでもいいのですが、足場が安定していさえすれば傾斜はよほど急でないかぎり問題ありません。スントの登山用時計についている高度計には上昇・下降のスピードメーター機能がついています。腕時計だと毎分の昇降メートル、私が使っているポケットタイプは「時速」です。
*登りでは糸の会の基準速度は300m/毎時として250〜400m/毎時あたりの速度変化に対して登山道状況やメンバーの調子などを勘案しながら見ていきます。それが、下りになると300〜900m/毎時という速度幅に広がります。写真のこの場面で確認していませんが、おそらく600m/毎時というスピードは越えていたはずです。ルンルン気分で下っている感じ、を撮ったからです。
*……だとすると、アッというまに下山が終了してしまうのかというと、そう甘くはありません。下りでも足場がよくないと登りとほとんど変わらない速度になるんです。登山道はともかく整備された道ですから、外からくるお客さんのために、サービス精神で作られています。だから山仕事用のプロの道と比べると明らかに観光道路という性格です。平均的にいえば7割の時間、約1.5倍のスピードという感じになります。平均450m/毎時というあたりでしょうか。だからここでは「飛ばしている」と感じるスピードを楽しんでいたという記録なんです。こんな文章をつけるんなら、速度を計っておけばよかったのですが。


二子山
【撮影】14時39分=秋田 守
下りは結局、登った道を引き返したのだが、かなり速いペースで下った。さすがに書くネタも尽きてきた。登山中に最近読んだ面白い本のことを話したので、ご紹介。本は「蓑虫放浪」、幕末から明治に生きた、蓑虫山人と呼ばれた人。ぼくと同じ岐阜出身、蓑虫のように折り畳み式の簡易庵を背負って全国を放浪した。まるで元祖バックパッカー。全国行く先々で絵を描いたり、庭を造ったりし、亀ヶ岡遺跡発見にも一役買った。粋人の極み。


二子山
【撮影】15時03分=伊藤 幸司
*登りのときに感じた「きれいな植林地」がこれです。撮ったときに「これがあの、」と思ったわけではなく、下りながら手入れの行き届いた林だなと思って、先行する二人からちょっと距離をとって写したのです。この1分後に兵ノ沢の流れを横切って右岸から左岸へと移ります。地形図では420m等高線のところで。


二子山
【撮影】15時04分=伊藤 幸司
*念のため、兵ノ沢を右岸から左岸へと渡った場所を出しておきます。この写真からわかることは、水量が増えたときには3本丸太の橋を渡ったほうがいいぐらいになるのかもしれませんが、その橋が流されないくらいの水量だったら、どこでも通れるんじゃないかという感じ。


二子山
【撮影】15時08分=伊藤 幸司
*これは倒木なんですが、似た太さの木が似た長さで倒れているということからすると、間伐されて放置された木が、豪雨のときに流された……という感じがします。そういう目で見ると左奥に見える木は、白っぽくありませんか? 光線の加減かと思って手前の木を見てみると、細い木の肌が、なんとなく怪しい色に感じます。そんなことも考えずに撮った写真ですが、こういう乱雑さの風景が増えているように感じます。
*じつは補助金をもらって間伐作業をしたところでは、間伐材を材として搬出できない場合にはこんなふうに乱雑な状態にならないように、きちんと整頓しておく、という条件がつくそうです。……ということは、これはそういう補助金なしに、全体の生産性を高めるために細い木をバッタ、バッタと切り倒したというのでしょう。
*じつは登っていくときに、この山は国有林ではないと思いました。県有林や市町村林で、なかに私有林もある……という感じでした。秩父地域森林林業活性化協議会によると横瀬町の森林面積は4,084haで国有林はゼロ、私有林が約8割、県営林が14%、市町村林が3%となっています。そしてその人工林は66%、天然林は33%、その他少々、とのこと。
*同じサイトに私有林について次のような文章がありました。【売り上げを見込むと、面積が5ヘクタールから10ヘクタールのまとまりがないと厳しいかもしれません。実際は、そんなに広い森林をもっている方もそうはいませんので、所有地の周囲の森林もまとめて施業できるかを見ます。これを「施業の集約化」といいます。】


二子山
【撮影】15時17分=伊藤 幸司
*地形図情報によれば、標高380mの等高線のところで兵ノ沢を右岸に渡り直して芦ヶ久保の駅の上に向かいます。駅広場から見上げたら、これが二子山の森に見える、ということでしょうか。

二子山
【撮影】15時20分=伊藤 幸司
*いよいよ最後です。もうほとんど芦ヶ久保駅の上にいます。ず〜っと注意しながら下ってきたのですが、見通しのいい場所は1か所もありませんでした。ここの木の所有者がだれなのかわかりませんが、どこかで木を2〜3本切るなり、道の曲がり角にベンチなど置いて「芦ヶ久保展望台」としていただけるとありがたいな、と思いました。


二子山
【撮影】15時23分=秋田 守
下りは結局1時間15分ほど。西武秩父線の線路の下を小さなトンネルでくぐり抜けて終点。この時点で15時半前。登る前に気になっていた、道の駅の名物ずりあげうどんに間に合うのではないかと、胸を躍らせ、店に向かうと、無情なことに閉店していて、従業員のお姉さん方が周囲のお掃除をしていた。残念。ちゃんと時間を確かめておけば良かったと後悔。何事も準備不足はあかんですね。機会あらば、ずりあげうどん、ぜひ食べてみたい。


二子山
【撮影】15時42分=秋田 守
昨日で終了しているのは分かっているが、せっかくなので氷柱とはどんなものか観に行ってみた。歩行者専用道路の脇には、照明用の電球がたくさん付いていて、作業員の人たちが片付けをしていた。で、辿り着いた線路脇の渓谷は、人工的に造った氷で埋め尽くされていた。まだそこそこ氷塊は残っていて、それなりに見事な景色。これでライトアップしたら、さぞ、インスタ映えすることだろう。地域活性化の取り組みのひとつなんだろうな。


二子山
【撮影】15時47分=伊藤 幸司
*これが氷柱群の背景になる部分です。雌岳から浅間神社の尾根を下ってくると、最後にこの画面の右手からこの谷に出ってくるようです。するとそこが兵ノ沢。私たちがこのちょっと上で左側の斜面に逃げたあの兵ノ沢の最終地点がここなんですね。登山道は氷柱の右縁を通って終わるのです。浅間神社コースの登山口が画面右にはずれたところにありました。通行止めはやはり危険防止だけでなく、無料侵入を避けたい気持ちが加わったものみたいだな、と思いました。


二子山
【撮影】15時49分=伊藤 幸司
*戻りながら振り返ってみると、富士浅間神社の鳥居があるここが登山口で、奥の氷柱の手前から右に登る登山道があるのです。


二子山
【撮影】15時58分=伊藤 幸司
*一段上の展望台(キャンプ施設でしたかね)に上がると兵ノ沢の右岸部分が見えました。これだけの氷柱を放水作業でつくったのでしょうから、大仕事ですよね。これが最奥部ですが、夜にはエリアごとに黄色や青、無色の白、赤みなど幻想的な風景を作り出すという作戦のようで、西武秩父線の線路はこれが見える一瞬だけトンネルから出るので、車窓からの光景は衝撃的かもしれません。
*じつは「秩父三大氷柱」というのがあって、第1が三十槌の氷柱(みそつちのつらら)
第2があしがくぼの氷柱
第3が尾ノ内氷柱
だそうです。
*三十槌の氷柱は見ていますが、岸壁から滴り落ちる水流が自然に凍ったのを主役にして、放水で人工的につくった氷柱でボリュームアップしていました。こちらはほぼ完全に人工的なしつらえですね。



二子山
【撮影】16時15分=秋田 守
氷柱を見て、駅へ引き返すと、ちょうどいいタイミングで列車が入ってきた。ギリギリセーフで乗車。コーチは、飯能駅からバスで立ち寄り温泉に行くプランもあると言うが、わざわざバスに乗ってまで、ということでパス。帰路を、東飯能から八高線経由という選択肢もあると教えられたが、調べてみると列車本数が少なく、結局は、ぼくと若井さんは、西武秋津駅から飲み屋街の誘惑を振り切り、JR新秋津駅へ乗り換えて、武蔵野線で帰宅した。






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