*「コロナとともにシリーズ」の2回目は、従来から通勤時間帯でも下り電車がガラガラの東武東上線としました。そして終点というべき小川町駅から直接歩き出せる山として「仙元山」を選んで、ネット上にあった小川町観光協会発行の「自然と歴史に触れる〜仙元山見晴らしの丘公園コース〜」で計画を立てたのです。
*その間、何度も「仙元山はどこ?」と思ってはいたのですが、仙元山が「仙元山見晴らしの丘公園」とかなり離れていて、しかもその地図には「→仙元山」などという表示はおろか、その方面へのルートの存在さえ抹殺状態だったのに気づかなかったのです。
*小川町駅から県道・飯能寄居線を南に下ると、青山陸橋(西)という交差点の先で、左に入ります。ルートマップによると円城寺の先でJR八高線の線路を渡り、川向公衆トイレのところから仙元山見晴らしの丘公園への登りが始まるはずでした。ところが、円城寺のところに「青山城址・仙元山 登り口方面」という標識が現れたので、トップの人がそちらへ行くことを決定。同行していた稲葉さんから「仙元山へは行くの?」と繰り返し聞かれていた疑問が、ここではっきりしたのです。以後、私は手元に地図を持たないまま、くっついていくだけの状態になったのです。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。

【撮影】11時14分=伊藤 幸司
「コロナとともにno.2」は池袋→小川町の東武東上線を選びました。これまでの経験で、通勤時間帯のこの路線は上りは超満員でも下りはガラガラ。ならばアベノコロナへの恐怖心もなかろうということと、千葉方面からの人は山手線や地下鉄を使って池袋に来なくても、武蔵野線で北朝霞/朝霞台乗換という手があるので安心なのです。
私は西武新宿線から東武東上線に乗り換えたら、ガラガラの電車が来たので、ちょっと早かったのですが乗ってしまって、小川町駅で皆さんを待つ間に「忠七めし」の二葉を見にきたのです。
このご時世ですからいちおう入浴と食事の目星だけはつけておきたいと思って事前にネットで調べてみたのですが、最近よく利用している花和楽の湯は休業中、それ以前によく利用してきた町営総合福祉センターの入浴施設・パトリアおがわは施設の老朽化により閉鎖されたそうです。
そこで二葉はやっているかな?……というのは、この20年間にいろいろあって、一時期は入浴付きの食事もあったので、いまどきそういうサービスもあるかな、と思ったのですが、昼食中心での営業を続けているようでした。
ネット上のいろいろな情報のなかで2015年の倒産情報があって、新館オープンに伴う積極経営などが経営を圧迫して(株)二葉本店から(株)二葉楼への事業譲渡があったのとのこと。経営の波間で色々な試みをしてきたのだろうなと想像しながら、国の登録有形文化財に指定されている二葉楼本館とその庭園は、とりあえず守り抜かれているようだと確認しました。

【撮影】11時51分=伊藤 幸司
アベノコロナのおかげで、これまでは1日かけて歩くにはものたりないミニサイズの駅前登山を試みることができる、ともいえます。
正面に山は見えないのに、とりあえず駅から南に伸びる道を行きます。
『タウンフォトネット』というのだそうですが『オリジナル写真が満載の地域紹介サイト。25都府県の街並み・風景等を7万枚以上掲載』だそうで、『小川町駅前』がありました。
駅正面の花水木通りの2014年1月の写真が並んでいます。6年前、左手の割烹二葉(支店)はすでに営業していないようです。そして右側の店には【ぴっかり】という大きな看板が出ています。
私の写真だと、左側の二葉のところは同じような状態ですが、右側の店の看板が全然違っています。黄色い看板が「三愛不動産」で赤い看板が「三金」(食べ処・飲み処)、二階の白い看板には「ギャラリーレストラン・エシカル」とあります。
どうでもいいことですけれど2014年の写真の「ぴっかり」を調べてみると
『ローカリーナ』という(たぶん)比企郡+東松山市(比企圏域というのだそうです)の生活情報サイトにありました。
【小川町駅前『居酒屋ぴっかり』閉店。次にできるお店は?! (2019.5.22/10.7)
おはようございます。
ローカリーナ副編集長のたっちです。
小川町駅前にあった『居酒屋ぴっかり』がいつの間にか閉店していました(゚д゚)!
場所はココ!
小川町駅前のロータリー内という最高立地にありました!
住所:埼玉県比企郡小川町大塚1147-6
いつのまにか閉店…
店内はすっからかんになっていました…(゚д゚)!
営業中の時と変化は分かりますか?!
看板は残っていましたが、入口脇の木枠などが外されていますね!!
店内もきれいさっぱりしていました!!
新しくできる店舗の準備がすでに始まっていたので、工事業者さんに直撃してみました(‘◇’)ゞ
次なる店舗は?!
新らしくできるのは…
不動産屋さんだそうです(‘◇’)ゞ】
【『居酒屋ぴっかり』は酒蔵「帝松」が運営していたお店!
帝松は、2019年4月に新しく酒蔵レストラン『松風庵(しょうふうあん)』をオープンしたので撤退したようです(‘◇’)ゞ】
この道をもう少し行くと左側に二葉の本館があるのです。その並びには安政二年創業の「女郎うなぎ 福助」もあります。以前この店の親戚筋だという人が糸の会にいて「私は入らない」といわれたので(理由を聞かないまま)私はまだ未体験です。

【撮影】11時54分=伊藤 幸司
花水木通りに小川町の観光案内所がありました。じつはここも私は事前に立ち寄っていて、ハイキングマップを皆さんに持ってもらえるようにしていたのです。
それは【自然と歴史に触れる〜仙元山見晴らしの丘公園コース〜】という地図で、すでにネットからダウンロードしたものを計画書には入れてありましたから、できることならオリジナルを各人に持ってもらいたいと考えていたのです。
……というのは、じつは私に少々後ろめたいものがあったのです。私は計画を立てるときに1/25,000地形図でシミュレーションマップを作ります。標高50mごとの太い等高線(計測線)と約500mごとの距離をマーキングして、8個=30分という目安時間を確認します。
でも今回は駅前の山ひとつなので、地形図を見ていないのです。じつは「仙元山見晴らしの丘公園」に山ならあるべき標高が示されていない疑問を感じながら、済ませていたのです。……で「地図どおりに歩きましょう」と10分交代制のトップにルート判断をまかせたのです。
というわけで、この観光案内所に立ち寄ったのです。

【撮影】12時03分=伊藤 幸司
正面に見えてきたのが古い長屋。ハイキング地図には「たまりんど」と書かれています。
『じてんしゃでグルメ! 2』というブログに『カフェ・ド・たまりんど 2017年08月19日』がありました。
【ぱんだです。小川町の街なかに、かき氷の美味しい古民家カフェが誕生したにゃ。場所は小川町駅前通りをひたすら真っ直ぐ進んで、新しくなった旧国道254号を横切ってにゃ、
カフェ・ド・たまりんど (Cafe de Tamarindo)_c0337875_17165969.jpg
正面にある明治時代に建てられた長屋の真ん中にあるのがイベントスペース「たまりんど」さんにゃ。その内にオープンした「カフェ・ド・たまりんど」さんですぞ。「わらしべ」さんの奥様に教えていただいたにゃ。旧「アーチャン」さんの並びといった方がわかりやすいのかもしれないにゃ。小川の七夕祭りの時にオープンしたそうにゃ。
自転車や車はお店の裏に置けるにょ。長屋なので同じ建物でも両隣は違う人が入っていますのでご注意ぞ。店内は禁煙でにゃ、靴を脱いで上がるのにゃ。風が通りやすい間取りと、静かで落ち着いた昔ながらの雰囲気が魅力にゃにょ。
マスターは東京下北沢で20年以上続く人気カレー店「茄子おやじ」さんのオーナーさんだった方で(お店はまだあるにょ)、少し前にこちらに移住されたそうにゃ。とても気さくな方にゃ。
メニューは今のところかき氷、コーヒーとアイスティー等にゃ。かき氷屋さんは100店以上巡って来られたそうにゃ。なのでにゃ、シロップはもちろん自家製で氷は貫目氷使用にゃ。かき氷は8月19日現在「スパイシーレモン」、「桃」、「いちご」の3種類にゃ。カレーは厨房の広さの関係などで今のところ出来ないそうです。
今回はもちろんかき氷を注文したぞ。手前は「桃」、そしてマスター一押しの「スパイシーレモン」、どちらも500円にゃ。蜜は別添えだぞ。
「スパイシーレモン」着氷〜にゃ。
スパイシーレモンはにゃ、スパイスの効いたスライスレモンがとっても大人なお味でにゃ、添え蜜の甘さもやさしいまろやかでにゃ、酸味も効いていておいしいにょ。器の底の方にも蜜があってにゃ、上と下の蜜を混ぜて食べるとにゃ、大人の香りと味でとても美味にゃにょ。おいしかったにゃ〜。
「桃」着氷〜にゃ。添え蜜が桃の果実感あるシロップでにゃ、ウマウマにゃにょ。底には桃の果肉もあってにゃ、蜜との相性もとってもよいにょ。おいしかったにゃ〜。
「スパイシーレモン」2つ目、着氷〜にゃ。「スパイシーレモン」がとっても美味しかったんでにゃ、お替わりしちゃったにょ。そしてにゃ、急遽新メニューなにょかにゃ?「イチゴとアンズ」をいただけることになったにょ。
「イチゴとアンズ」着氷〜にゃ。別添えのいちごシロップににゃ、氷の底にはあんずシロップにゃ。いちごシロップはにゃ、いちごの香りと味のするほんのり甘い蜜でにゃ、氷の底のあんずシロップの酸味のある甘味と合わさるといい感じにゃ。ジメジメした気分も爽快になるおいしさにゃ。ウマウマだったにゃ〜。
昔ながらの長屋でいただくかき氷はどれもおいしくってにゃ、ぱんだ達も大満足にゃ〜。再訪決定にゃ〜。
13:00〜18:00(この日は13時前から営業していました)、木曜定休。】
こういうことは知らなくても、覗いてみたい騒動はあったのです。でもだめでした。入口に張り紙がありました。
【閉店のお知らせ
たまりんどは2020年5月末をもって閉店いたします。
これまでのご愛顧に感謝いたします。
なお、まちぶん(小川町創り文化プロジェクト)の活動は今後も続けます。よろしくお願いいたします。ヒラヤマ090-9845-0819】
残念! アベノコロナの影響ですかね。

【撮影】12時07分=伊藤 幸司
古い長屋の裏道(ハイキングルート)から埼玉県道30号飯能寄居線に出る直前、民家(無人かもしれない)の脇にこの花が、小さいながらひとつの王国をつくっていました。花の一つひとつはなかなかノーブルな感じがして、一般的な雑草とは雰囲気が違うので帰って調べてみるとヒガンバナ科のアガパンサスではないかと思いました。和名は「紫君子蘭」というのだそうです。私は「紫色の花を咲かせるキク科の雑草」で調べ初めたレベルなので、もとよりアタリかどうかはわかりませんけれど。

【撮影】12時08分=伊藤 幸司
紫色の花のすぐ隣の空間は、今度はドクダミが王国を作り上げていました。どういう土地柄なんでしょうかね、このあたりは。

【撮影】12時14分=伊藤 幸司
橋を渡って広い道路を越えると、すぐに左に入ります。曲がり角の道標に【ハイキングコース 見晴らしの丘公園】とあります。見えてきた山が、恐らく仙元山なのでしょう。
手元のハイキングマップによれば、この道を道なりに行けば、鉄道線路を越えて、川向公衆トイレというところから仙元山遊歩道に入れるようです。

【撮影】12時19分=伊藤 幸司
鉄道線路を超える手前に円城寺というわりと大きな寺があって、そこにこの道標があったのです。予定どおり真っ直ぐ行くと龍谷薬師堂(初出です。ハイキングマップにもありません)となっており、その下に【(右矢印)青山城址 仙元山 登り口方面】という標識が加えられていました。
私はもう、そのような地名にぜんぜん対応できなくなっていたので、出発時のルールとして、手元のハイキングマップに従って、とりあえず【仙元山見晴らしの丘公園】へ行ってみるしかないと考えたのです。ところが、埼玉県内の山なら顔を出すしかないか、という感じで参加してくれた稲葉さんが「仙元山回りで行きましょうか?」と言ってくれたので、即座にお願いしたのです。とりあえず最初の目的地は【仙元山】になりました。

【撮影】12時22分=伊藤 幸司
南に伸びるJR八高線(東飯能・八王子方面)の線路と、それに沿う小川の脇を、山裾を南に回り込むような格好で進みました。

【撮影】12時28分=稲葉 和平
ザクロ(ミソハギ科)。初めて見たけど、なかなかインパクトがある。

【撮影】12時28分=稲葉 和平
八高線の手前に仙元山登山口の標識。ほとんどのガイドブックで八高線の踏切を過ぎてから右手に入るコース(いくつもある)が紹介されているが、取り立てて面白い道でもないので西側から回り込むことに。

【撮影】12時28分=稲葉 和平
仙元山には何回も来ているが、このルートははじめて。コロナで籠り続けていた後の久しぶりの外出、お天気もいいし時間もあるからのんびりと。

【撮影】12時29分=伊藤 幸司
仙元山は正面ではなくて、左手にあります。もう少し先に行くと仙元山の登山口があるらしいのです。

【撮影】12時32分=稲葉 和平
なんだかわからなかったが、アーティチョーク! と言われて了解。最近は海外に出ることもないのでお目にかかることはなくなった。あまり人気のある野菜とは言えないようで、ホテルのバフェなどでも大体残っているので結構よく食べた。

【撮影】12時32分=伊藤 幸司
ここでJR八高線を渡ります。前の踏切のところから10分ちょっと歩いたことになります。これから正面の山に向かって登っていくのでしょう。

【撮影】12時33分=稲葉 和平
たぶん、ヤブヘビイチゴ。美味しくないというけれど、それほど不味くもない。

【撮影】12時33分=伊藤 幸司
踏切を渡ってまだほんの1分です。畑の縁を回って、落ちた梅の実を踏みつけながらこの道を抜けると、舗装林道という感じの道に出るのです。この道は集落から山林に入るちょうど境界だったように思われました。

【撮影】12時37分=伊藤 幸司
街なかの暑さのなかを歩きながら、途中で一休みしたいという声もありましたが、先を急いでここまで。初めて風が吹き抜ける緑陰が登場しました。「山の風」の心地よさとは比べるべくもありませんが、一息も、ふた息もつけました。……でもまだ登山道ではないんですね。

【撮影】12時38分=伊藤 幸司
たまたま休憩したところに半鐘がありました。私は一時期、国立公園の取材で日本各地を車で走り回っていましたが、火の見櫓を見つけるとそこに登ってみるということを続けていました。ですからこういうものにかなり興味があります。
ここは周囲の見通しはほとんどないところなので、山裾の集落に対する、一定の約束事(たとえばある特定の異常事態など)に特定した警鐘なのでしょう。利点といえばここまで車で来られるということと、ひょっとすると風向きが集落に向かうような音響効果のいい場所なのかもしれせん。そこで造林事業と半鐘設置に関係があるかどうか軽く調べてみたのですが膨大な防災関係文書のいくつかにあるらしい気配だけで、見つかりませんでした。

【撮影】12時47分=稲葉 和平
仙元山を西側からかなり回り込んだところでやっと登山口。山頂への途中で青山城址への分岐があるが、青山城址を経て嵐山渓谷への長いハイキングコースは、涼しい紅葉の時期などにのんびり歩くのもいいかもしれない。

【撮影】12時47分=伊藤 幸司
休憩地点から歩きだすとすぐに【仙元山登山口】という標識があって、車道からこの歩道に変わりました。その上にもう1枚あって【青山城址・仙元山分岐まで約35分】とありました。いったいどうなっているのかわかりませんが、35分後にはいろんなことがわかるのだろうということです。
ともかく、かなり積極的な林業が行われているかのようにも思われて、調べてみると
平成22年度に『小川町林業研究連合会』が(たぶん埼玉県の)『全林研会長賞』を受賞したという文書がありました。
そこに小川町の林業の顔が見える文章が散在するので、勝手ながら都合いい部分だけ拾い集めてみました。
【町の人口はおよそ3万4,000人、土地総面積は6,045ha、森林面積は3,348haで、森林率は55%となっております。そのうち人工林は1,920haで、人工林率57%となっており、埼玉県平均の50%より高くなっています。当地域の人工林も戦後造林されたものがほとんどで、主な樹種はスギとヒノキとなっています。】
【小規模な山林所有者が大多数を占めており、それらの小規模山林を集約化し、このような低コスト作業路を密に網羅していく事によって、現存の森林資源の有効な生産・活用の実現が可能となるのではないでしょうか。そして何よりも、山林所有者にとって新たなる展望が開けていく道となるかもしれません。】
【山間部の住民減少、不在村地主の増加、高齢化、林地境界の不明確、材価低迷による森林整備への意欲減退など、これら全国と同様の問題が山積している現状であります。しかしながら、長い歳月にわたり手間をかけて育んできた山を放り出してしまうわけにはいきません。】

【撮影】12時48分=伊藤 幸司
足元に珍しく花が出てきたので撮りました。葉っぱと花の印象からカタバミだとは思いました。調べてみるとごくごく見た目どおりにムラサキカタバミだそうです。
『ウィキペディア』の『ムラサキカタバミ』によると、【南アメリカ原産であるが、江戸時代末期に観賞用として導入されて以降、日本に広く帰化している】そうで【現在では庭園から畑地、芝地を中心に広く見られる。土の中の鱗茎を取り尽くすのが非常に難しいので、駆除の困難な雑草である】とのこと。
『松江の花図鑑』で『ムラサキカタバミ』を見ると、花はかなり美形ですね。
どうもこの花の特徴は【花茎は葉より高くぬき出て、高さ30cm内外となり、先端に散形花序に数花をつける。】という部分でしょうか。

【撮影】12時48分=伊藤 幸司
ムラサキカタバミの花です。
『松江の花図鑑』の『ムラサキカタバミ』によると、【良く似た「イモカタバミ」は葯が黄色、「ベニカタバミ」は、葉が直径約2cmと小さく、小葉は切れ込みの浅い倒心形】だそうです。
私もあちこちで何度もお目にかかってきたのでしょうが、まったく初対面みたいな感じです。葉の「カタバミ」と花の「ムラサキ」は記憶にしっかりあるはずですが「ムラサキカタバミ」という名が次に出てくるか、自信がないですね。また初対面の気分を楽しめるでしょうけれど。

【撮影】12時50分=伊藤 幸司
遊歩道という感じの道が登山道らしくなってきました。するとこの岩、私には全くわかりませんが、詳しい人ならパッと名前が出てくるような有名人(岩)かもしれません。
そこで気安く「仙元山の岩石」と検索してみたら
『[PDF]3.史跡指定地の調査 - 小川町役場』という文書がドン、と出てきたのです。
【下里・青山板碑製作遺跡】というのがあるんですね。下里は仙元山東側の旧下里村で、青山というのはこの先にあるという青山城址由来の、仙元山西側の地区名です。つまり仙元山の東西に鎌倉時代から寺院に求められた板碑(いたび)の有力な産地であったことが平成13年(2001)以降明らかになってきたというのです。その材料が「緑泥石片岩」というのだそうです。
さて、『[PDF]3.史跡指定地の調査 - 小川町役場』には、その【緑泥石片岩の分布】という見出しがありました。
【下里・青山地域では、ほぼJR八高線に沿って南北に走る前谷津断層の東側に三波川結晶片岩、同西側に御荷鉾緑色岩類が分布する。三波川結晶片岩は黒色~灰色の泥質片岩(石墨片岩など)が広い地域を占めるが、緑色~淡緑色の苦鉄質片岩(緑泥石片岩など)が仙元山の北東麓と南麓に東西に延びる二筋の帯状に分布する。北東麓のものは北東ないし北へ 10~30°傾斜し、青山地内見田地区から見晴らしの丘公園と仙元山の間を通って東へ延び、槻川を横切り下里地内北根地区北方の愛宕山へ至る。南麓のものは南へ 20~40°傾斜し、青山城跡の西から東へ延び、割谷を経て槻川右岸沿いに西坂下前へ至る。これら二列の苦鉄質片岩(緑泥石片岩など)は、一枚の岩層が仙元山を通り西北西-東南東方向の軸を持つ背斜の北翼と南翼に現れたもので、同一のものである。】
じつは読んでいてもよくわからないのですが、写真のこの岩に関する説明が含まれているのはまちがいないところでしょう。
次の【緑泥石片岩の特徴】だともうすこしわかりやすいかと思います。
【緑泥石片岩は、海底火山から噴出した玄武岩質の溶岩や火山灰が堆積してできた岩石が、地殻の変動で地中深くに沈み込み強い圧力を受けて変成したものである。そのときに受けた圧力によって、それらの岩石は再結晶して緑色の鉱物(緑泥石など)を作り出し、それが平面状に並んだことから、青緑色で薄く剥がれやすい性質(片理)が発達した。また、より変成度の高い緑泥石片岩には、曹長石の白い点紋(斑状変晶)が見られる。
緑泥石片岩はその青緑色から「青石」と呼ばれ、薄く剥がれやすく加工しやすいという利点から、縄文時代の石皿や石棒、石斧などの石器、古墳の石室や石棺、竪穴式住居の敷石やカマド補強材、中世の板碑をはじめ、石碑、墓石、石垣、石段、水路、橋、貼石、飛石、庭園など多くの用途を生み出した。】

【撮影】12時51分=伊藤 幸司
登山道にかなり激しい浸食があったところですね。ちっぽけで穏やかな山というわけではないのでしょう。駅前登山だからといって、バカにしてはいけない、ということでしょう。

【撮影】12時57分=伊藤 幸司
名札がついていてほしいようなみごとな葉っぱですね。カンアオイの仲間だと思いますが、これだけ立派なものもあるのでしょうか? まったく自信はありません。画像検索で探してみるとタイリンアオイとサンヨウアオイが候補グループかなという感じ。でもそれより、名にとらわれず、孤高の生涯を送っていると考えたほうがこの葉にはふさわしいかも。

【撮影】13時02分=伊藤 幸司
完全に林業の山、という雰囲気ですね。これだけ下草の緑があるというのはいい状態なのか悪い状態なのかわかりませんが、遠くの方にはツタが絡まった木が何本もあるように見えます。ちょっと手入れを怠っている植林地なんでしょうか。

【撮影】13時03分=伊藤 幸司
広角画面にして見渡すと、なんだか自然に戻りつつある森林という気分になります。一時期は首都圏の低山歩きをしているとおばけが出そうな雰囲気に包み込まれることがありましたが、この状態だと、日差しがほどよく踊っている森、ともいえます。

【撮影】13時05分=伊藤 幸司
シダが元気に生きていました。稲葉さんのご指摘でリョウメンシダだとわかりました。
『日本のシダ植物 Ferns and Fern Relatives of Japan』というサイトに『リョウメンシダの観察』がありました。
【リョウメンシダは、北海道から九州まで広く分布しており、常緑性で普通に見られるシダである。杉林の陰湿な場所では広く群落を形成し、リョウメンシダ下の地上は暗く光合成が阻害されて他の植物が成長できないほどである。
観察会に初心者がこられると、葉の一部を切り取ってどちらが表か裏かを当てさせる。少なくとも名前はすぐに覚えられるシダである。】

【撮影】13時05分=伊藤 幸司
こちらはリョウメンシダではないシダ。でも首都圏の日帰りの山で見るシダの中では際立って細工が細かいのです。調べればわかるかと思うのですが、どうせすぐ忘れるので顔だけわかっていればいいじゃないかというシダです。

【撮影】13時06分=伊藤 幸司
この写真の主役は中央で葉をひろげている(だけ)の植物で、その右下の葉が先端部を長く伸ばしているので撮りました。
この尻尾、亀の尻尾に似ているというのでカメバヒキオコシという名がついています。シソ科ヤマハッカ属のヒキオコシの仲間で「亀の尻尾葉」という意味なんでしょう。これはあまり似ていませんが、笑いたくなってしまうほどの「亀の尻尾」もよく見ます。
そこで心配だったのは、尻尾の出来で「カメバ」とはいわないものもあるかもしれないと思い続けてきたのです。まさにこれなどは「カメバじゃない」といわれそうな尻尾なので別物かもしれないと思い、調べてみようと思ったのです。
結論からいえばこれも亀の尻尾です。
さて、ヒキオコシというのもちょっと想像のつかない名前です。漢字では「引起」だそうです。
『Tam7s 素人植物図鑑』の『ヒキオコシ(シソ科)[引起]』には次のように書かれています。
【名は、古くから薬草として用いられ、起死回生の効力があるということからついたもの。弘法大師が倒れている修験者にこの草を与えて治したという伝説がある。別名をエンメイソウ(延命草)という。】
【生薬名で延命草(総称)とよばれるものはほかにカメバヒキオコシとクロバナノヒキオコシがあり、カメバヒキオコシは葉の先が3裂して中央裂片が尾状に伸びる。】
このカメバヒキオコシという名前を最初に知ったのは高尾山情報としてシソ科のシモバシラとの組み合わせでした。2005年12月20日の糸の会の計画書「高尾山」に「シモバシラ」情報をいろいろ書いています。
【シモバシラについて(3)
(見頃)12月初旬頃〜1月下旬、冷え込みの厳しい日の夜半から早朝にかけて、茎に吸い上げた水分が冷気によって噴出し、氷結して結晶体を作り出します。お互いに押し合い揉み合って形作られていきます。この氷の花をシモバシラといいます。
高尾山で初冬に氷の花を作る植物:シモバシラ、カメバヒキオコシ、カシワバハグマ、アズマヤマアザミ】
シモバシラの花を作り出すのは冬枯れの茎ですから「亀葉」を見たのはかなり後でした。……というわけで、それから15年もたって、写真のこれも「カメバヒキオコシなんだ」と確信するに至りました。
……という報告。バンザイ!

【撮影】13時06分=伊藤 幸司
もちろん名前は知りませんが、シダさんです。好きなシダさんです。

【撮影】13時12分=伊藤 幸司
道はほとんど平坦になりました。このあたりではササがかなり進出しています。

【撮影】13時16分=稲葉 和平
仙元山山頂。ここにはほとんど展望はないが、山頂直下の高床の東屋はなかなか気分がいい。

【撮影】13時17分=伊藤 幸司
仙元山山頂(標高299m)は平坦な道の先に突然現れました。

【撮影】13時18分=伊藤 幸司
山頂から小川町の中心部が見えました。オリジナル画像を調べてみると、画面中央の緑の木の先端の小枝と小川町駅が重なっています。その左大きな屋上を持つクリーム色のビルは「ヤオコー小川ショッピングセンター」でした。

【撮影】13時29分=伊藤 幸司
山頂部にあるあづまやに入ると、素晴らしい山の風が吹いていました。
標高はたったの299m、小川町駅は92mですから比高は約200m。池袋のサンシャイン60や東京タワーの展望台に上がって見下ろすよりちょっと低いだけですが、東京スカイツリーになると第1展望台が350m、第2展望台が450mですから、全く歯が立ちません。
それにも関わらず、素晴らしい涼風、山の風が肌を心地よくなでていきます。まだ真夏ではありませんが、真夏の低山でも、同様のことを何度も体験しています。下界の暑い空気層の上を山の風が吹き抜けているのだと思います。そうでないはずはないのです。
絶対に金では買えない涼風を私たちは30分間楽しみました。アベノコロナなんかまったく忘れて。

【撮影】13時47分=伊藤 幸司
このあづまや、当初は展望台だったという気配がありますが、周囲の木々だけが成長して何年経ったか。ともかく風が通り抜けるだけで御の字です。

【撮影】13時50分=伊藤 幸司
仙元山の山頂から「仙元山見晴らしの丘公園」へと向かおうとすると、道標のタイプがガラリと変わりました。誰でも散策できる道という感じです。

【撮影】13時50分=伊藤 幸司
足元にキノコが出てきました。もちろんなんだかわかりませんが、不思議な色、不思議な質感……

【撮影】13時50分=伊藤 幸司
足元のキノコは地面から直接出ていて、(前の写真を拡大してみると)縁がギザギザの色白のまろやかなキノコだったのが、大きくなるにつれてフレアスカートのダンサーが踊りだしたような雰囲気になるようです。
ヌメリツバタケモドキとか、ウスヒラタケとか、シロナメツルタケなど、ちらりと似ているかなというキノコを含めてグーグルの画像検索で探し回ってみましたが、このユニークな顔つきのキノコは私には見つけられませんでした。

【撮影】13時52分=伊藤 幸司
変わったキノコを見てから1分後の樹林。あのキノコがあったあたりはこんな感じの自然林だったかもしれません。まったく見ていませんでしたが。

【撮影】13時54分=伊藤 幸司
でも、また、気がつけば、ずっと歩いてきたようなスギ・ヒノキの人工林なんですね。

【撮影】13時55分=稲葉 和平
パラグライダーのスタート台。吹き流しは立っていたけれど、今は使われていないかも。

【撮影】13時55分=伊藤 幸司
珍しく展望が開けました。向こうの山を覆う緑もこちら側と同じようなものなのでしょうか。小川町の面積の半分を占める小規模林業の山なのでしょうか。

【撮影】13時55分=伊藤 幸司
おそらく東松山市とか坂戸市の方向なのでしょうが、大きな工場がいくつも見えています。こういうときにはひとつでも、超望遠でビルに書かれた名前やマークを撮っておくべきだったと反省。どの建物も確定できません。

【撮影】14時01分=伊藤 幸司
突如、この不思議な木が現れました。こんなふうに1本の木が自己主張するという例をこの山ではまだ見ていませんでした。
この木には「下里の大モミジ」という名がつけられて、解説板がありました。
これはヤマモミジで、昭和38年(1963)の写真が添えられていますが【目通り4.06m、樹高7.2m、推定樹齢600年の稀にみる大木でした。盛りの頃には、麓からもその生い茂った姿が眺められ、多くの人達から親しまれたと言われています。】とのこと。

【撮影】14時03分=伊藤 幸司
大モミジの先にまたあづまやがありました。

【撮影】14時04分=稲葉 和平
オカトラノオ。アップで撮っては見たものの、花としては面白みはない。

【撮影】14時04分=伊藤 幸司
大きな白いビルの右に小さな赤い看板が見えますがそれがケーズデンキピオニウォーク東松山店だと思います。その右に緑の看板があって「ニトリ」のようですが、そこにニトリがあるかどうかは確認できていません。白い大きなビルにも左肩に名前がついているのですが、私の写真では確認できません。

【撮影】14時04分=伊藤 幸司
ひと休みしたあづまやの前で何をしているのかというと、オカトラノオが小さな群落をつくっていたのです。

【撮影】14時05分=稲葉 和平
虎の尾には見えないけれど、オカトラノオはやはりこのくらい離れてみたほうがいい。

【撮影】14時06分=伊藤 幸司
みごと、という花はありませんでしたが、この未成年という感じの花はちょっとおもしろいと思いました。根本から先端に向けてこれから順々と花が開いていくというところ。思春期ですかね。最先端についている小さな黒い点はカメムシみたいな昆虫です。悪い虫じゃないといいんですが。

【撮影】14時08分=伊藤 幸司
あづまやの下が林道の行き止まりになっていました。それをゆっくりと下っていきます。まだ山のど真ん中という雰囲気なんですが。

【撮影】14時10分=伊藤 幸司
これが「見晴らしの丘」なのか、という感じです。

【撮影】14時15分=伊藤 幸司
展望台に上ってみると、小京都と呼ばれたことがあるという小川町が一望できました。
高くそびえるビルはダイアパレス小川。1989年建築の15階建てのマンションで285戸。小川駅から徒歩12分。賃貸だと約68平米の3LDKで6.9万円というネット情報。

【撮影】14時16分=稲葉 和平
展望台から仙元山、右奥に笠山。

【撮影】14時17分=伊藤 幸司
ここでは画面右端に切られてしまいましたが、ダイアパレス小川のところからビルの幅2つ分ほど左に、屋根が斜めに切られた茶色いビルがあるんです。手前が600席の劇場を備えたリリックおがわ(小川町民会館)で奥の四角いビルがまるでホテルのような中村産婦人科(内科・小児科)病院です。それがほとんど駅前で、右奥に駅舎が見えます。

【撮影】14時19分=稲葉 和平
スマホの望遠撮影。デジタルズーム倍率5.01倍。スマホでの望遠は焦点を合わせるのが難しく、あまり使ってこなかったが、10倍までの能力があるらしい。

【撮影】14時19分=伊藤 幸司
展望台の下に「ローラーすべり台のりば入口」と書かれたアーチがあったのですが、この一帯にいるのは私たちだけで雰囲気としてはコロナ休みでした。
ところがトイレを終えた女性陣がそれをくぐってトコトコ登っていったらしいのです。見るとスタート地点から下ろうとしているじゃぁないですか。

【撮影】14時20分=伊藤 幸司
ローラー滑り台ですから、ジャラジャラという音が聞こえて(いたかどうか)、それなりのスピードで滑り降りてくるのです。

【撮影】14時21分=稲葉 和平
これもデジタルズーム倍率5.01倍。落ち着いてズームの操作をすれば、10倍も問題なさそうだ。

【撮影】14時21分=伊藤 幸司
ローラーすべり台は、見ているだけでも気分良さそう。70歳でも80歳でも。……失礼! 60歳代でも。

【撮影】14時23分=伊藤 幸司
手で持っているのをなんと呼ぶんですかね。ヒップソリでいいんですかね。それがないと地獄のすべり台になるんでしょうね。

【撮影】14時24分=伊藤 幸司
この写真で見ると1個300円〜500円とかいうようなプラスチック製ではなくて、ダンボール製みたいですね。

【撮影】14時26分=伊藤 幸司
展望台からはこの建物が見えました。堂所山の天文台です。かつては国立天文台の主力観測施設で、広くて気持ちのいい芝生の斜面でお茶など飲もうとして火を点けると、たちまち警備員が飛んでくるようなところでした。
ある雑誌の漫画のネタ作りのひとつとして、当時恋人たちに人気のグリーンライン(奥武蔵の観光林道)をドライブして、コンビニで急遽買い揃えた道具や食材で、星空を眺めながらゆったりと夜を過ごすという設定を、漫画家と編集者と一緒に体験したのがあそこでした。いまでは都幾川町のリクリエーション&教育施設となっているようです。

【撮影】14時27分=伊藤 幸司
また小川町の中心街です。先ほどのダイアパレス小川は画面右端に切れてしまいました。そのあたり、画面の右端ギリギリのところで弧を描いて左下へと伸びているのがJR八高線、画面下部を左右に横切っているのが埼玉県道11号「熊谷小川秩父線」です。
そのJR八高線は画面右端中央から左へ急カーブして、画面上から1/3、右から1/3あたりにある小川駅で東武東上線と一緒になります。
頭が斜めになった茶色い建物は駅前で600席の劇場を備えた小川町民会館です。

【撮影】14時27分=伊藤 幸司
これは日本赤十字社の小川赤十字病院です。前の写真で右端に切れたダイアパレス小川の、もうすこし右奥にそびえています。一般病棟252床の総合病院です。

【撮影】14時36分=稲葉 和平
当初予定のコースはここから八宮神社に下り、あとは舗装道路を旧下里分校、大聖寺、伝統工芸会館を経て小川町駅まで歩くことになっていた。舗装道路を延々と歩くのはご免なのでカタクリとオオムラサキの里へとショートカットしたけれど、春先なら八宮神社からカタクリとニリンソウの里をまわるのがいい。

【撮影】14時36分=伊藤 幸司
それぞれに楽しかった「仙元山見晴らしの丘公園」を去る時刻になりました。道標には【小川町駅・道の駅おがわまち(伝統工芸会館)・遊歩道下山口】とありました。

【撮影】14時37分=伊藤 幸司
気持ちのいい遊歩道です。

【撮影】14時38分=伊藤 幸司
勾配が急になって土留がほどこされ、軽く階段状になっていますが、浸食があまり起きていません。雨が流れはじめて浸食を起こす前に、右手の斜面に流れてしまうのです。
つまり新しく整備した道を土留めでがっちり仕上げずに「右なりゆき」みたいに一見半端な造作にしておいたので、雨水は階段を下に下る前に斜面を落ちていってしまうのです。
こういう簡単な原理が、多くの登山道造成現場で理解されていないのが不思議です。「50年に一度」とか「1時間に50mm以上」とかの集中豪雨が毎年のように起こる時代になりました。登山道は「水切り」という考えなしに整備できる時代は終わったのです。
そういう意味で、山を愛する皆さんには、この登山道の「賢さ」を理解できる登山者、ハイカーとなってほしいと思います。

【撮影】14時40分=伊藤 幸司
登山道のことについては一家言もっているワタクシですが、登山道の足元にこんなキノコがいとも簡単に出てくる不思議に関しては一言もありません。前を歩いていたみなさんも一言も出なかったみたいですけれど。

【撮影】14時40分=伊藤 幸司
キノコは地面から直接(地上に、というみたいですけれど)出ているのか、朽木上に発生したのかで大きく分かれるようですので、樹木と地面との関係がわかるように撮っておきました。

【撮影】14時42分=伊藤 幸司
さらに大きさも重要なので、靴の爪先を入れて撮っておきました。
でももっと重要な、柄の部分や傘の裏側は撮ってません!
だからわからないのですが、候補はこれかも。
まずは
『昼耕夜読―Jack's Diary』にあった『突然庭に出現した白いキノコ 2006年07月19日』です。
【梅雨の雨続きの中、庭に白いキノコが出現した。
シメジ科オオイチョウタケ属のオオイチョウタケみたいだ。これは傘の直径6㎝程度だが、25㎝あるいは50㎝の大きさにもなることがあるという。ツバも壺もない真っ白のキノコで、傘の表面が光沢があり、傘が細かく裂け始めるところが特徴。】
『キノコ図鑑』の『オオイチョウタケ』も。
【可食。初夏と秋に、竹林や各種林内の腐葉土が堆積した場所に群生、あるいは散生する。富養な場所を好むようで、公園や畑、人家の庭などでも見かけることがある。時には、カサの径25cmを超えることもあり、極めて大型になるキノコの一つである。カサは白色で絹糸状の光沢があり、表面は平滑。周辺にしわ様の条線がある。初め饅頭型から漏斗型に開くが、カサの縁はかなり成長するまで内側に巻き込んでいる。ヒダは垂生し密。淡いクリーム色でヒダの幅は狭い。柄は太く、下方に向かって細まる。中実。柄の基部の地中に、土塊をコンニャクで固めたような不完全な根塊がある。肉はカサ部では薄く、白色。比較的に緻密。】

【撮影】14時45分=伊藤 幸司
キノコを撮っていて直接見ていなかったのですが、ここでどなたかが転んだようです。
下りの難しいところで転倒というのは、リーダーに責任があります。登りの疲労と下りのスピードがかさなって、そのしわ寄せが原因となるので、リーダーの安全管理が原因の大きな要素と考えていいかと思います。転倒というようなものはともかく、足首や膝関節を痛めたという場合は、リーダーに大きな責任があると考えるべきです。
ここでは滑ってズボンを汚した(程度)らしいのですが、アベノコロナ対応の軽い計画で小さなザックの場合には、私はかなり心配します。本来ならコケるはずのない、歩きやすい下山路で転ぶのは、注意力の散漫が原因といえるので、それ自体も問題ですが、心配するのは転び方です。私はだから「転ぶときにはザックで」と繰り返すようにしているのですが、ザックが受けてくれない場合には手が出ます。
素早い運動神経(のつもり)で手を出すと、手首あたりの骨折という危険が大きいのです。なんでもない道で転んで手の骨折というケースは私も複数回見ています。「きれいに転んでくださいね」という事あるごとの注意を聞いてくださってのことかどうかわかりませんが、ズボンをちょっと汚しただけで終わりました。山で汚したズボンは、ほとんどは電車に乗るまでには乾いて気にならない状態になっています。ザックがそこそこの大きさの場合には「しまった!」と思ったら尻のかわりにザックで着地すればいいのです。

【撮影】14時50分=伊藤 幸司
ドクダミがびっしりと生えていました。じつは私の好きな花なんですが、名前の語感からしてなんとなく重っ苦しい感じがしちゃうんですね。
『ウィキペディア』の『ドクダミ』に名前情報がたっぷりありました。
【ドクダミ(蕺草、蕺、学名:Houttuynia cordata)はドクダミ科ドクダミ属の多年草。別名、ドクダメ(毒溜め)、ジュウヤク(十薬)、ギョセイソウ(魚腥草)、ジゴクソバ(地獄蕎麦)、ウマゼリなど。湿った陰地などに群生し、草全体に独特の香りを持つ。古くから民間薬としても広く知られる。】
わざわざ【名称】という見出しが立っています。ここでは脚注番号をそのまま残しました。
【和名ドクダミの名称は、民間薬で毒下しの薬効が顕著であるので、毒を抑えることを意味する「毒を矯(た)める」から、「毒矯め(ドクダメ)」が転訛して「毒矯み(ドクダミ)」と呼ばれるようになったというのが通説である[1][2]。異説として、「毒痛み」の意味で毒や痛みに効くことから名付けられたという説[3][4]、群落地に漂う特有の臭気から毒気が溜まった場所を意味する「毒溜め(ドクダメ)」、あるいは植物自体が毒を溜めていると解されたものが転じてドクダミと呼ばれるようになったとする説もある[5]。ただし、あくまで植物に毒が入っているというのは誤った解釈であり、ドクダミ自体に毒はない[6]。
地方によって様々な呼び名があり、ドクダン[7]、ハッチョウグサ[7]、ドクダメ[2]の地方名でも呼ばれていて、日本全国にわたる方言名は160余りを数えるといわれている[8]。古くは、之布岐(シブキ)と呼ばれていた[9][10]。各地の方言名は、薬効や生態に関するものを由来とする呼び名はわずかで、あとはこの植物特有の臭気に関するもの、あるいはこの植物をあたかも有毒植物であるかのように表現したものが多い[8]。旧陸奥国(特に青森県下北郡・三戸郡・八戸市、秋田県鹿角郡・北秋田郡、岩手県盛岡市・紫波郡、福島県の会津)、旧常陸国(現茨城県)、栃木県、旧武蔵国、千葉県(東葛飾郡、山武郡、印旛郡)ではジゴクソバ[11]、大分県旧大分郡ではウマゼリ[11]と呼ばれてきた。
中国植物名(漢名)は、蕺菜(しゅうさい/じゅうさい)[7][1]。日本で生薬名として通称されているジュウヤク(十薬)は、民間薬として用途が広く、応用範囲が10を数えるというところから、漢名の蕺菜の蕺の字を十に読み換えものだとされている[1]。中国語と同様の魚腥草(腥の意味は「生臭い」)、ベトナム語のザウザプカーまたはザウジエプカー(ベトナム語:rau giấp cá/ rau diếp cá、意味は「魚の野菜の葉」)、英語のフィッシュミント(fish mint)・フィッシュハーブ(fish herb)・フィッシュウワート(fishwort)など、魚の匂いにまつわる名称も多い[10]。英語にはそのほか、リザードテイル(lizard tail:トカゲの尻尾の意)、カメレオンプラント(chameleon plant:カメレオンの植物の意)、ハートリーフ(heartleaf:心臓形の葉の意)や、ビショップズ・ウィード(bishop's weed:司教の雑草の意)という表現もある[10]。】
ウィキペディアには他に【利用】【食用】【薬用】という見出しも立っています。

【撮影】14時53分=稲葉 和平
カタクリとオオムラサキの林。10年前は掘っ立て小屋があっただけ?と思うけど、ずいぶん立派になった。

【撮影】14時54分=稲葉 和平
少し前までは木にビニールをかぶせてサナギを保護しているだけだった。

【撮影】14時54分=伊藤 幸司
しっかりした木造建築の休憩所がありました。【カタクリとオオムラサキの林】の展示館を兼ねているそうです。ブルーのネットで覆われたハウスにはオオムラサキがいるのでしょうが、外から覗いてみたものの、まったくわかりませんでした。
『小川町』のホームページに『カタクリとオオムラサキの林 2018年10月22日』がありました。
【昔の小川町の里山風景を取り戻そうと地域住民が保護活動をはじめ、今ではあたり一面にカタクリが咲き誇る一大群生地となっています。
カタクリとニリンソウの里・西光寺境内の3か所で見ることができます。
埼玉伝統工芸会館(道の駅おがわまち)から30分~1時間の散策コースがあり、初春には可憐な薄紫色のカタクリや純白のニリンソウ、枝垂桜などの花々が咲き誇る人気の散策コースとなっています。
見ごろの時期
カタクリ 3月下旬~4月上旬
ニリンソウ 4月上旬~4月中旬
枝垂桜 3月下旬
カタクリが咲く3月下旬には、地元ボランティア主催のカタクリ祭りが開催されます。
7月上旬には、オオムラサキの放蝶会も行われます。
また、カタクリとオオムラサキの林には展示館兼休憩所があり、国蝶であるオオムラサキをはじめ、世界中の蝶や昆虫が展示してあります。ぜひみなさんでお出掛けください。】

【撮影】14時55分=伊藤 幸司
カタクリよりもオオムラサキよりも、休憩所前でたわわに実っていたビワが私たちの心に残りました。

【撮影】14時57分=伊藤 幸司
看板には【オオムラサキ飼育舎】とありました。オオムラサキの特徴はきれいなブルーですが、それとの関連でブルーのネットを張った……のでしょうね。

【撮影】15時02分=伊藤 幸司
ここで街路に出ました。12時19分に円城寺のところから【青山城址 仙元山 登り口方面】へと向かったのですが、予定どおりまっすぐ来ていればこの道だったのです。
14時36分の写真のところで仙元山見晴らしの丘公園から下ったのですが、14時45分のところで転んだ人がいて、その二俣を私たちは右の【埼玉伝統工芸会館・カタクリとオオムラサキの林】へと進んだので手元のハイキングマップにない道を下ったことになります。そこで二俣を左に下っていれば、この道をすこし左に行ったところ、ハイキングマップの【川向公衆トイレ】の登山口に出たのです。

【撮影】15時15分=伊藤 幸司
下界の舗装路は暑い。太陽がジリジリと照りつけていました。

【撮影】15時16分=稲葉 和平
ハンゲショウ(ドクダミ科)。旧暦で夏至から11日目を半夏生といい、この時期に白い花を咲かせ葉の下半分が白くなる。俳句の季語になっている。

【撮影】15時17分=伊藤 幸司
12時19分に右折れした円城寺前まで戻ってきました。
もう小川町駅へ戻るだけですから考えることはなにも……あるんです。今日は入浴がないので、このまま電車に乗るのでは不快感ばかりが残りそうです。午後5時都心部通過という帰路の時間目安もありますが、涼しいところで一息ついて、ちょっとなにか一口食べてリフレッシュしたいところです。
12時03分の写真に見える長屋の、5月末に閉店したという「たまりんど」でかき氷など食べられたら最高だったのに、とかなり残念でした。二葉のコーヒーラウンジも14時15分で終わっているし。
でも、もしかして、というかすかな期待はあったので、とにかく駅を目指しました。

【撮影】15時34分=伊藤 幸司
空いててよかったのはほとんど駅前という場所にあるF ALLONE(Cafe エフ アローン)という【雑貨とカフェの店】。
なんだ? これは? という無国籍ではなくて無分類の【無料WiFi & 無料漫画】で【写真ギャラリー カフェ & バー】だそうです。
『OGAWA'N Project』というサイトに『CAFE&BAR F ALLONE(エフアローン)』がありました。
【2018年6月にオープンしたカフェ。経営するのは、携帯電話アクセサリーを製作するアローン社。小川町在住の社長が、「駅前に魅力ある場を」と開業した。白と青を基調にした開放的なカフェ空間と、ぬいぐるみや雑貨、ガチャガチャのある楽しいお店。おすすめは、おがわん野菜を使ったサラダ付きのランチメニュー。ドリンクも豊富で、中でもタピオカは大人気。無料Wi-Fiはありがたいサービス。
おすすめメニュー:ランチ(¥500or¥700)、ワッフル(¥380)、パンケーキ(¥580)、お子様うどんセット(¥380)、カフェラテ(¥300)、フレーバーソーダ(各¥350)、タピオカドリンク(各¥420)、スムージー(¥300〜)】
意味のわからない店名に違和感を感じていましたが、アローン社の店なんですね。その涼しい空間に入ることができました。

【撮影】15時58分=伊藤 幸司
Cafe エフ アローンの店内空間。駅前通りが完璧に見えています。向かいは仙元山見晴らしの丘公園展望台からよく見えた(茶色い屋根の)小川町民会館の隣りの中村産婦人科(内科・小児科)病院です。

【撮影】16時19分=伊藤 幸司
かくして私たちは16時29分始発の東武東上線 急行 池袋行きに乗車したのです。帰路の電車の目安は15時22分始発でしたけれど。