山旅図鑑目次

写真アルバム(時系列速報)目次


糸の会(コロナとともに no.1)
2020.6.8
八王子城跡
24パワー

登り8p→稜線5p→下り11p

*3月には新型コロナウイルスの危険を避けながら、ぎりぎり頑張って3月24日の小田原・石垣山が最後となりました。それから2か月間のブランクがあって、首都圏の1都3県内の(不要不急でない)行動解禁に従って、6月から「コロナとともに」シリーズを開始しました。
*漠然とした段階では千葉発のあずさ3号も利用可能な大月の高川山というイメージでしたが、小仏峠を越えて山梨県にまで出かけるのは遠慮するということで、その手前、東京都内のJR/京王線・高尾駅から軽く歩くという計画にしました。

*それまでの、糸の会としてのコロナ対策に関しては順次掲示板に書いてきました。長くなりますが、「コロナとともに」シリーズに対する伊藤のコーチとしての考え方が示されていると思いますので、再録しておきます。

★2020年4月4日
【コーチ】から「コロナの日々に・1……2〜3月の対応」
*新型コロナウィルスというものを意識して予定を変更して実施したのは「2d曽我梅林」からでした。「3a越生梅林」「3b高尾梅郷」(3c大菩薩は中止になり)「3d石垣山」と、往路の混雑を避けるため10時ごろに山手線駅を出発するという計画にして実施しました。
*しかし風雲急を告げる状態になったので、3月26日に次のようなメッセージを出しました。
◎「4A京都弾丸ツアー」「4b裏つくば」を中止させていただきます。
*これまで、新型コロナウイルス関係の報道を注意深く見ながら、まだ実施可能と判断してやってきたつもりです。糸の会もいわば(極小の)イベントなので、主催者としての判断責任があると考えています。
*そこでこの時期での判断ですが、いよいよ見えない敵がその姿を見せ始めたと思わざるを得ない状況になりました。これまでのように感染リスクの隙間を突いて出かけるということは考え方を大きく変えなければならないと思います。
*とくに4月の「A」と「b」は休日がからみますから、電車での往復は提案できません。自分たちの問題だけでなく、首都圏の住民として全体的なキケンに向かう1票を投じることには加わるべきでないと思います。
*主催者としては残念ですが、まずはその2つを中止として、これからの2週間をしっかり見ていきたいと考えています。……今後は内容の変更も含めて、できるだけ「月イチ」は最低条件として確保したいと考えながら、状況の推移を見ていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

★2020年4月4日
【コーチ】から「コロナの日々に2……4〜5月の対応」
*3月下旬になるとコロナウィルスの感染状態が明らかに変化してきました。3月20〜22日の三連休が花見気分の行楽を引き起こして、感染拡大状況には不穏な動きが加わりました。
*本来なら「4A桜・京都弾丸ツアー」に当たる今日、4〜5月の見通しをなんとか表明したく、考えてきましたが、なかなか難しい状況になってきました。
*少なくとも5月の連休過ぎまでは良くても悪くても高齢者の外出には極めてキケンな状態だと想像します。感染能力がものすごく高いというのが新型コロナの第一の特徴で、高齢者には一発アウトとなるキケンが明らかになってきました。自分たち自身のために感染のキケンは犯すべきでない時期になると思います(もっと悲惨な状態になるかも知れませんが)。
*そういうわけで、4〜5月の糸の計画は白紙とさせてください。
*ただ、糸の会の基本精神としては「月イチ登山」は「健康」と「人生」とにとってきわめて重要なものだと考えていますので、状況を見て日帰りの山を少人数で実施する可能性は捨てまいと考えています。
*その場合の候補はJR高尾駅周辺、東武東上線・小川町駅周辺、西武秩父線・飯能駅〜西武秩父駅周辺、東武日光駅周辺、JR高崎駅周辺が(運行状況にもよりますが)考えやすいかと思います。それをもちろん平日に、少人数で実施できそうなら、考えてみたいと思います。
*あるいはジャンボタクシーで往復するという可能性も考えられるかな、と思っています。そうすれば集合地点を複数設定できますし。
*いずれにしても、4月半ばまでは世の中がどんなふうになるか、予測もつきません。私は糸の会の「月イチ登山」だけはなんとか実現したいという可能性を求めて、元気を維持していきたいと考えています。

★2020年4月20日
【コーチ】から「コロナの日々に・3……5月以降の対応」
*医療崩壊のギリギリのところで、医療体制が厚労省のセコい枠組みから開放されて、平時から戦時へと大きくシフトし始めました。これからはいろいろなところで、いろいろな人たちが、いろいろな試みをして、いいものは取り入れるという知恵がコロナと対決することになるのでしょう。
*その可能性を糸の会としてはどう期待するかですが、ひとつだけ絶対に譲れない一線は厳として存在しています。
*それは高齢者は新型コロナウイルスに感染してはならないということです。若い人なら抗体を持って行動の自由を獲得できるチャンスもあるのですが、高齢者はワクチンができるまで「絶対に感染してはならない」ということです。
*そのことは、現在の行動自粛が緩められるか、あるいは解除されたとしても、一発アウトの危険がなくなると考えるわけにはいかないということです。院内感染が床面や医療機器やパソコンのキーボードから接触感染して広がるというようなゲリラ的な攻撃によっても起こるということから、すいた電車でも手を触れたあらゆるところから敵が侵入してくる危険はそのまま残っているわけですから、自分たちの警戒レベルを下げるわけにはいきません。
*でも、私たちも「戦時下的行動」を考えてはいけないという理由はありません。
*現時点で私が注目しているのは「アビガン」です。日本で生産されるアビガンが軽症者に投与された場合の薬効については各国での症例で報告されているところです。それがその薬の攻撃力ですが、副作用などこちら側へのダメージについてはなお1〜2か月の正式な治験が必要だとされてきましたが、胎児への影響以外のものはほとんど伝えられていません。おそらくこの戦時下で、早急に投入されてくるのだと思われます。
*高齢者がワクチンが登場するまで現在のように、敵の銃弾1発で死ぬかも知れないという状態のまま取り残されてしまうのかもしれません。軽症者が抗体保持者となってどんどん社会復帰していくという状態になっても、いまのこの閉塞状態が高齢者だけのものとして継続されるということになりかねないのです。
*ワクチン接種ができるようになるまでの期間を1年と見たとして、それまで現在のままの閉塞した生活を維持するのはあきらかに「健康によくない」のはおわかりでしょう。

*結論です。
*5月の連休が終わると、良い、悪いは別として、日本は次のフェイズに移ります。そのときにアビガンが軽症者に使われて、現在言われているような高い回復力を示すようなら、あとは各自の接触感染に対する自己防衛によって行動の自由をかなり回復させることができます。(または、高齢者だって抗体保持者になれば、それによってかなりの自由を獲得したことになります)
*したがって、5月からは「月イチ登山」のささやかな回復のためのプランを用意して、連休後のいろいろな情報を自分なりに解釈して、糸の会としての活動を提案できたらと考えます。
*連休後に、日本がどのようになっているか、私にはまだ想像できませんけれど。

★2020.5.5
【コーチ】から「コロナの日々に・4……6月の対応」
*すでに■2020.4.20——【コーチ】から「コロナの日々に・3──5月以降の対応」で書きましたが、それに対して新しい2つの目安が得られました。
*ひとつは「緊急事態宣言」の5月末までの延長(途中解除もありうる)です。
*私は登山講座の責任者としては社会的規制に反しないということが、危機管理上、重要だと考えています。
*それからもうひとつは「アビガンの5月中の承認の可能性」です。私たち高齢者は世の中の基準がどうなるにせよ、潜伏するコロナウイルスとの1対1の対決が終わるわけではありません。しかもこのウイルスは感染力が強いようです。ですから若い人たちのように抗体をもって生活を平常化するという方法をとることができません。したがって、ステイホームをワクチンが入手できるまで続けなければならないことを運命づけられているといわざるを得ません。
*しかし、免疫学的にいえば「受け身」が最善と言い切ることもできません。私自身の体験では「月イチ」の山歩きが、こういうときの、個人個人のパワーアップに驚くべき効果を発揮すると信じています。だから世の中の冷たい目があったとしても社会規範に触れない限りは行動すべきだと考えます(登山者と遭難の危険との関係に似ています)。
*ですから往復の交通機関で手すり・つり革やボタン・レバー、コイン・紙幣などでウイルスをちょこっと拾っただけで、感染する可能性が(確実に)あるんですね。つまり「敵地を歩いている」ことにかわりはないわけです。自衛隊のように防御が完全なら100%安全とはいえ、マスクの外し方さえ知らない人間にはとても無理、敵はステンレスやプラスチックの表面では2〜3日の生存力があるともいわれます。
*そうなると100%の安全を求めると外に出られる状態ではありません。そこで私が「神の救い」(ずるいエクスキュース)と考えているのが軽症段階でのアビガンの投与(と重症化したときのレムデシビル)です。効く、効かないなど、もちろん100%の効果を期待しているわけではありませんが「かかったらアウト」という世界からは脱出できるわけです。私はもう何十年もインフルエンザにかからない生活をしていますから、ワクチンなしでも大きなマイナスだとは考えません。10%か20%の弱点をアビガンが救ってくれる可能性があるなら、そのために山歩きの効用を失うのはイヤダ! と思うだけです。
*すでに「コロナの日々に・2」で触れたことですが、6月にはそれを手探りですすめてみます。
『その場合の候補はJR高尾駅周辺、東武東上線・小川町駅周辺、西武秩父線・飯能駅〜西武秩父駅周辺、東武日光駅周辺、JR高崎駅周辺が(運行状況にもよりますが)考えやすいかと思います。それをもちろん平日に、少人数で実施できそうなら、考えてみたいと思います。』
*やはり「少人数」が重要だと思いますので、目安を「参加7人以下」(タクシー2台)としてやってみたいと思います。
*伊藤の都合もあるので「月曜」「火曜」「水曜」を週替りで設定して往復の交通路を探りながら計画を立てていきたいと思います。すでにみなさんご存知の山ばかりですから計画はゆっくり出かけて、早めに帰る、風呂と食事もナシを覚悟で、というつもりです。
*6月の第1週は今回、様子見のために計画を外しておきました。が、たぶん5月14日になると、いろいろな見通しが立てられるようになると期待しています。7月以降の計画はそのあたりから考え始めてみたいと思います。

……という流れの上で決まった「コロナとともに no.1……八王子城跡+α」の計画は以下のようになりました。

◆糸の会山行[コロナ対策no.1]────2020.6.8
◆八王子城跡
はちおうじじょうあと(深沢山)────445m
登り8p→稜線5p→下り11p→登り7p→下り10p────41パワー
日の出0425、日の入り1856────6.8東京都で
◆JR中央線・高尾駅から────2020.6.8(月)実施
◆集合
6.8(月)11:10ごろ────JR中央線・高尾駅北口改札口付近
◆ポイント
*予告編では「北高尾山稜」としましたが、往路と帰路の時間を考えて、高尾駅からはタクシーで八王子城跡へ。八王子城の稜線が終わった富士見台のところから蛇滝口バス停へと下ります。
*そこから蛇滝ルートで十一丁目茶屋に登って、2号路を琵琶滝へと下って高尾山ケーブルカーの清滝駅へというルートを考えてみました。
*ですから北高尾山稜は入口のところだけになります。その先へ行くとだいぶ長い旅になってしまいます。
*ともかく、丸2か月のブランクがありますから「体慣らし」が基本です。現地判断で行動をさらに軽くしたい場合には、蛇滝ルートには入らずに、蛇滝口バス停のところから小仏川の自然歩道をのんびりたどって高尾駅へと戻ります。
*まずは、人のいない山の中をゆっくりと歩いてみたいと思います。どんな気持ちを味わうことができるか。そういう貴重な体験をしてみて、これからの山旅の方針を考えてみたいと思います。
*6月1日から「埼玉・千葉・東京・神奈川で県をまたぐ不要不休の移動は慎重に」という条件で一応「○」になりました。その範囲内でとりえず軽く歩いてみたいと思います。新型コロナウイルスがなくなったわけではありませんから「慎重に」。
◆往路参考
*JR中央線
0948東京→0952御茶ノ水→1005新宿→1022三鷹→1034西国分寺→1041立川→1052八王子→1059高尾
*JR武蔵野線
0902海浜幕張→0915西船橋→0931新松戸→0948南越谷→0959南浦和→1009北朝霞→1019新秋津→1028西国分寺
◆帰路参考
一応、次の電車を帰路の目安としておきます。
1553高尾始発(中央特快)→1600八王子→1610立川→1635新宿→1648東京
ちなみに千葉行きあずさは1933八王子→2051千葉
◆持ち物……周囲のひとたちを刺激しないハイキングスタイルで結構です
*飲み物、食べ物については、高尾駅北口にファミリーマートとセブンイレブンがあります。
*当日の急な欠席、問題ありません。お気づかいなく。ヤバイと思ったら逃げるが勝ちです。
────以上計画書から


◆行動

・1135ごろ……八王子城跡入口(トイレあり)を出発(標高約250m)
・1220ごろ……本丸跡(標高約450m)
・1225-35ごろ……八王子神社前で休憩(標高約450m)
・1320-25ごろ……休憩(標高約500m)
・1335-45ごろ……富士見台で休憩(標高約550m)
・1535ごろ……駒木野病院前(標高約200m)
・1545ごろ……JR/京王・高尾駅(標高約200m)

今回の写真出展メンバーは(現在のところ)1人です。
伊藤 幸司

*速報写真が「粗選び」だとすれば、この「山旅図鑑」にはキャプションが添えられた「最終的セレクト」の写真のみ(順次)掲載させていただきます。
*キャプションはタイトルではありません。文字数自由(できれば40字以上、数百字でも。一律200字と決めている方もあります)としているのは、写真と撮影者との関係を軸にした自由な「フォトエッセイ」を理想と考えているからです。
*また撮影者以外のかたの自由なコメントも順次掲載させていただきます。その場合はWeb画面で取り出した写真に文章(と氏名)を加えて、メールでお送りください。どなたからのものでもありがたく掲載させていただきます(若干の編集作業を加える場合がありますから、問題があればお知らせください)。
■コメント履歴
■コメント1:岡田 恭子(2020.6.20)八王子城跡の私のブログを貼っておきます。


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【撮影】11時17分=伊藤 幸司
これは登山口にあった解説案内板のひとつです。正確にいうと八王子城跡管理棟の外壁にあったもの。撮ったときには全く気づかなかったのですが、山城というもののすごさがうまく表現されているようですね。ただ、秋田のイージス・アショアで問題になった山の仰角のように、これも高さが2〜3倍に誇張されています。北斎の富士山とほぼ同じでしょう。
念のためウィキペディアで『八王子城』を見ると、なかなか堅固な城だったようです。
【縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 - 3 kmの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。】
【城全体があまりに広大であったため、落城時には未完成であったと言う説もある[要出典]。】という記述があったのですが、[要出典]という部分は執筆者の個人的見解か根拠のある解説か未定という意味ですね。じつはこの [要出典] カードがたくさん出ている解説こそ、ウィキペディアの魅力だと感じることが多いので好きなんですけれど。

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【撮影】11時19分=伊藤 幸司
これは八王子城跡管理棟の前庭に設置されていたプリントタイルによる【八王子城の縄張】の解説。残念ながら行く前に読んでもピンとこなかったのですが【全国的にみても、これら戦国時代の遺構をよく残す代表的な山城跡といえるでしょう】とのことです。
その落城の日のことは『ウィキペディア』に『八王子城合戦』があって、次のように書かれています。
【豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやった。その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、一時は攻撃の足が止まったが、搦め手側別働隊の奇襲が成功し、総崩れの状態となり、その日のうちに城は陥落した。氏照正室、比左を初めとする城内の婦女子は自刃、あるいは御主殿の滝に身を投げ、滝は三日三晩、血に染まったと言い伝えられている。】

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【撮影】11時20分=伊藤 幸司
実に気持ちのいい木陰があったので、トイレやら腹ごしらえやら、出発前の準備をしました。
アベノコロナ対策として出発を大幅に遅らせているので時間的には昼食ですが、通常の場合でも早い時間に出かけてくる千葉方面の皆さんは、出発前に腹ごしらえするのが糸の会での定例になっています。ともかくここは最高の登山口でした。都心部では2020年度初の真夏日となった日でした。

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【撮影】11時36分=伊藤 幸司
これが八王子城跡管理棟で、立派な車道のどんづまりなのですが、タクシーの運転手さんにパッと伝えられる固有名詞がどうもないらしいのです。
今回も分散して乗ったタクシーがこの地点まであがるかどうか、ちょっとドタバタしたのです。
というのは、すぐ手前なのですが「八王子城跡ガイダンス施設」というのがあって、その駐車場に客を降ろすというのが一般的であるらしいのです。大型バス4台、普通車50台という駐車場があって、最大72人が利用できる休憩スペースは「山城散策前の準備や、お帰り前の休憩などに御利用ください」とのこと。タクシーを呼んだら、雨の中でもパッと乗れるという便利な施設なのです。ですからタクシーは歩いてわずか数分先のこの場所まで上がるのがサービスだとは思っていない気配なのです。

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【撮影】11時37分=伊藤 幸司
これが八王子神社の表参道の登山口。今回わかったのですが、八王子城跡ガイダンス施設で出発準備して歩きだすと簡単にここに来るのですが、私たちが出発準備をした城跡管理棟のあたりにいると、落城のときに血で真っ赤に染まったという御主殿の滝や「金子曲輪を経て本丸」というような表示もあってルートの選択に迷います。
そういうルートバリエーションについては『オフィシャルガイドの会』の『八王子城跡』『ツアーマップ』がわかりやすいと思います。
ちなみに「曲輪(くるわ)」が八王子城跡のあちこちに散らばっていますが、曲輪は中世の山城の守備拠点の呼び名、近世になると「丸」となって、本丸、二の丸、北の丸……などと呼ばれるのだそうです。ただ、平城の「丸」と山城の「曲輪」とは当然様相が違ってくるようですけれど。

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【撮影】11時39分=伊藤 幸司
登山道(八王子神社表参道)に踏み込んだ途端、私たちは瞬時に特別な空間に包み込まれたという感じがしました。マスクをはずして間隔を空け、緑の中を歩くだけで、生き返る感覚。アベノコロナによって自粛した2か月を背負っての山歩きになりました。

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【撮影】11時50分=伊藤 幸司
じつは私たちの山歩きは「登山道」を歩かせてもらうことで成立しています。この足元の(ほどよい)悪さに価値があるのです。
最近は(あえて)裸足で歩く人もいるようですが、かつてのわらじ(あるいはかかとのない足半=あしなか)や強力さんの地下足袋、現在山仕事で活躍するゴム長などで登山道を歩くと、足に負担をかけない「やさしい歩き方」を身につけることができるのです。ただ……私たちはみな老齢の常識人ですから「跳んだりはねたりできるスポーツシューズ」が体のためにいいというあたりで満足していますけれど。

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【撮影】11時55分=伊藤 幸司
この白い花、ノイバラ(野バラ)ですよね。大きな花が1輪だけ咲いていたので、野イチゴのたぐいかと思っていろいろ調べてしまいましたが、このトゲトゲの茎の様子と、葉の付き方は同じバラ科のノウゴウイチゴやシロバナノヘビイチゴの周囲には候補がありませんでした。
この状態について『ウィキペディア』の『ノイバラ』にピッタリはまる感じの解説がありました。
【高さ2 mほどに伸びて斜めに立ち上がるようになると、茎はしなだれるようになり、他の木にとげを引っかけて持たれるようにして伸びていく。】
まさにそのような成長段階だったのでしょうかね。

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【撮影】11時55分=伊藤 幸司
首都圏の住民は県境を越えてその外へは出ないようにという要請があったので、山梨県との県境手前の高尾山あたりで考えてみたのです。最初に浮かんだのは、陣馬山から堂所山を経て八王子城跡にたどってくる北高尾山稜をみなさん何度も歩いているので、それを逆に行けるところまで行って林道のたぐいを高尾方面へと下るというイメージでした。
ところが、帰りの電車を17時前にJR山手線と設定すると、八王子城跡を終えた富士見台から旧甲州街道の蛇滝口バス停に下って、時間があれば高尾山の十一丁目茶屋に登り返して、高尾山口に下るとして、時間がなければ旧甲州街道を高尾駅まで歩くか、それと並行する南浅川沿いの遊歩道をたどるか……などと考えていたのです。
でも、歩きはじめからこんな緑に包まれているのですから、この緑の中にいること自体に価値がある……ということで、富士見台に出るまで、その後のことは考えないと決めました。

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【撮影】11時56分=伊藤 幸司
名前はもちろんわかりませんが、シダはいつも元気ですね。
『高尾山全植物』(山田隆彦 著・文一総合出版・2018)には【草・木・シダ1500種】のうち約1割の144種のシダがすべて2点の写真で効率よく紹介されています。
が、この(標準的な)顔つきのシダだと、最低でも裏面の写真も撮っておかないと犯人の絞り込みは無理ですね。ただ、私がここで、軽く挨拶したという感じは伝わるでしょうか。

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【撮影】11時58分=伊藤 幸司
難物のシダに続いてアザミです。花がついていれば幾分かわかりやすいと思いますが、葉っぱだけではとうていわかりません。でも花がついて名前を調べないといけない気配があるよりも、元気いっぱいの葉っぱと素直に接しられるので、むしろ気が楽です。
たとえば丹沢のアザミを調べようとすると、アチラコチラで混血が生じていて専門家も困惑するほどふしだらな状況が広がっている、というような学術報告がいろいろ出てきます。純血を前提に種を決めようとするのは人間側の勝手ですけどね。
『高尾山全植物』(山田隆彦 著・文一総合出版・2018)で見ると、キク科アザミ属はノアザミ、アズマヤマアザミ、タイアザミ、ノハラアザミ、タカアザミ、ホソエノアザミの6種です。

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【撮影】11時59分=伊藤 幸司
今度は、この華やかなフラワー・ウォール。私などはジンジソウ? なんて思いましたが、さにあらず。

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【撮影】12時00分=伊藤 幸司
これが「人」という字のジンジソウなら、ずいぶん抽象書道、前衛書道の「人」ですよね。……では何か? 私が初めて聞く名前をつぶやいた人がいましたが、何でしたっけ?

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【撮影】12時00分=伊藤 幸司
アップで撮ると、なんともいいようのない緻密な細工ですね。
解剖学的植物図鑑の『松江の花図鑑』で『ユキノシタ』を見ると、【花は上側の花弁3個は卵形、数個の紅斑があり、長さ4mm内外、下側の花弁2個は不同で長く白色、長さ1.5〜2cmに達する。】とのことです。分解写真のひとつには【上部の花弁には紅斑と黄斑がある】とのこと。
ユキノシタは、寺社の庭などで何度も見ているのですが、葉っぱしか印象に残っていないのはどうしてだろうと考えてしまいました。

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【撮影】12時01分=伊藤 幸司
この赤い実は、見た目どうにも美味しそうにないので野イチゴではない別のところで探さなければいけないのかな、と思っていましたが……
『田舎センセイによる田舎暮らしでの悩み解決情報サイト』の『野イチゴの種類と味|食べられる野生のイチゴ8種類まとめ』で解説されているクサイチゴ、ニガイチゴ、モミジイチゴ、クマイチゴ、ナワシロイチゴ、バライチゴ、フユイチゴ、ヘビイチゴの8種類をパラパラと見ていくと、その最後に、これとほとんど同じ写真がありました。こんな角度で撮っていいいのかなと思っていたので、びっくりしました。
その解説によると【ヘビイチゴという名前や別名の「毒イチゴ」から毒があると思われていることも多いですが、実際には毒はなく食べることが出来ます。しかし、甘みがなく生で食べても美味しくはありませんが、ジャムに加工することはできます。】
【ヘビイチゴ属には「ヘビイチゴ」と「ヤブヘビイチゴ」の2種類がありますが、そのいずれも「花のガクが内外と2列になっている」という特徴があります。その他の食べられるキイチゴ属の野イチゴにはこの特徴は無いので、ヘビイチゴか他の野イチゴかどうか見分け方に困ったらガクの部分をよく観察するようにしましょう。】
【ヘビイチゴとその他の野イチゴとの大きな違いの一つとして「花の色」があります。ナワシロイチゴは赤く開かない花で、その他の野イチゴは白い花を持つ物がほとんどですが、ヘビイチゴ属のイチゴはいずれも黄色い花を咲かせるのが特徴です。】
……だそうです。

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【撮影】12時01分=伊藤 幸司
これは見た瞬間「馴染みの花」という感じがしました。しかし写真としてじっくり見ると、早トチリかも……という気がしてきました。
なにしろ白い花びら(総苞片)は4枚のハズなのに。でもよく見ると上の1枚がまだ開いていないんですね。それからドクダミといえば自分の葉っぱと花で一面びっしりと埋め尽くしてしまうような強烈な生命力が全面に浮かび上がってくるのですが、ここでは左上から別の葉がどんどん伸びてくる気配です。
『草木図譜 植物図鑑を目指すサイト』の『ドクダミ』にていねいな解説がありました。
【ドクダミはやや日陰の湿った場所を好む草で、野山や空き地などいたる所で見ることができます。開花期は6~7月で、ほの暗い木立の下などに咲くドクダミの花の白さには、いつもはっとさせられます。この白い部分、4枚の花弁のように見える部分はじつは本当の花弁ではありません。これは総苞片(そうほうへん)と呼ばれる器官で、そして中心部の黄色い部分、しべのように見える部分はたくさんの花の集合体です。つまりたくさんの小さな花が集まって、ひとつの大きな花のように見える形を作っているのです。なお本当の花、小さなひとつひとつの花に花弁はありません。】
【ドクダミは日本ではまぎれもない雑草で、わざわざ庭に植えたりする方も少ないことでしょう。しかし、総苞片をたくさん付ける八重咲きのものや葉に乳白色の斑が入るものもあり、これらは珍重されています。この斑入りのドクダミは日本では ‘ゴシキドクダミ’、海外では ‘カメレオン’ と呼ばれているもので、やや強めの日光を当てて乾燥気味に管理すると葉全体が赤みを帯びてとても美しくなります。欧米ではこの斑入りのドクダミはもちろん、緑一色の葉を付ける原種も大切に栽培されているようです。】

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【撮影】12時02分=伊藤 幸司
この黄色い花は細くて直線的な茎の分岐のあちこちについていて、全体がシダの上に倒れかかっている状態です。
花から見ると明らかにニガナやノニガナ、ヤブタビラコの仲間で、黄色い花びら(舌状花)の枚数で名前が違ってきます。ニガナ、ハナニガナ、オオジシバリ、ノニガナ、イワニガナ、コオニタビラコ、ヤブタビラコと、白花のシロバナニガナの8種が『高尾山全植物』(山田隆彦 著・文一総合出版・2018)に並んでいました。
ですが、これはひょっとするとナタネタビラコではないかと思うのです(確信はありませんが)。その情報はあちこちにあるのですが、私の気分に一番近いものがありました。
『雑草をめぐる物語』の『ナタネカタビラでいいかしら/2019.7.1』です。
【オニタビラコは大きくて見ためが凶暴(※主観です)そうなので見分けがつくが、問題は他のタビラコである。その区別は花びら(舌状花)の枚数で判断できるという。コオニタビラコの舌状花は6〜12枚、ヤブタビラコは15〜20枚である。そうなるとこの植物はヤブタビラコの可能性がある。ここに載せた写真だと小さくて見えないが実際は花弁が20枚近くあるものもいる。また、ヤブタビラコは花が終わると種子の部分が下を向くそうだ。それに写真を見比べる限りでは茎がヤブタビラコよりかなり細い感じがする。なのでナタネタビラコにした。これが正解だといいが。在来種か外来種かで迷った場合、なぜか外来種の方を選んじゃうんだよなあ。】
【「1959年に神奈川で見出された」との記載がある。その後、東海地方を中心に帰化が進んだという。ここは名古屋だ。条件は合っている。】

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【撮影】12時05分=伊藤 幸司
12時04分に「九合目」という石柱がありました。つまりここはほぼ九合目。稜線を西に向かってゆるゆると登っています。そして進行左手が開けました。初めてです、東京方面の展望がある……はずです。

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【撮影】12時06分=伊藤 幸司
「九合目」の石柱から2分です。パッと開けた東京方面。じつはよくわかりません。

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【撮影】12時06分=伊藤 幸司
これは黄色い花びら(舌状花)が5〜6枚。おなじみのニガナですね。

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【撮影】12時08分=伊藤 幸司
道標があって、来た方向に【八王子城跡入口バス停2.2km】行き先は【八王子神社44m、富士見台1.3km】。そしてこの石段を登りました。

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【撮影】12時09分=伊藤 幸司
これが八王子神社。
じつは私はここでかなり強烈にうろたえていたのです。ここへ下ってきた経験は何度かあるのです。1995年から2018年まで12月、1月、12月、12月、11月、11月、9月、1月として、じつは今年も9月に予定していたのです。
今回は突如、輝く新緑のなかにいて、この神社と、広々とした展望広場と山頂との関係がなかなか浮かび上がってこなかったのです。
それよりも、晩秋にこの広場を落ち葉でまっ黄色に染めてしまう大銀杏はどこだ? どこだ? と探し回っていたのです。たしか神楽殿の脇だったように記憶しています。
皆さんには休憩をとってもらって、山頂部をひとまわりして、いちおうこの後の予定は立てられたのですが、それでもちょっぴり狐に騙された気分でした。
帰って調べてみると、わかりました。「八王子神社の銀杏の木」で調べていると、突然、ツイッターの2018年のページが出てきました。
【2018年10月3日
9月30日深夜に通過した台風の倒木で、八王子城の山頂部にある八王子神社が中破。折れた直径20センチ以上の木が屋根を突き破った。
(写真は)午前中に地元の氏子隊(爺さん4名)が一部片付けた後。[八王子城1000人隊]】
【2018年10月3日
折れたのはイチョウの大木。高さ10mくらいから上が全て折れた。等身大より少し小振りの天狗様が間一髪で難を逃れた。神社前には、食用には適さない小振りの銀杏の実が散乱。[八王子城1000人隊]】

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【撮影】12時10分=伊藤 幸司
倒れたイチョウに代わって御神木という地位に昇格したのはこのモミジのようでした。まったく記憶の中にありませんでしたが、見上げれば巨木です。

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【撮影】12時12分=伊藤 幸司
八王子神社の向かって左手から背後の高みに、向かいました。その道筋にこれがありました。マムシグサの仲間というか、テンナンショウの仲間というか、きちんと調べようとするとたちまちお手上げなので私などは「マムシグサ」か「ミミガタテンナンショウ」か「ウラシマソウ」(これはわかりやすい)か「なんちゃらテンナンショウ」ですませます。
ちなみに、今回多用している『高尾山全植物』(山田隆彦 著・文一総合出版・2018)には、テンナンショウ属としてホソバテンナンショウ、ミミガタテンナンショウ、ヒトツバテンナンショウ、カントウマムシグサ、オオマムシグサ、ウラシマソウの6種が紹介されています。これがそのどれかに当たるという確信もありませんけれど。

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【撮影】12時13分=伊藤 幸司
八王子神社の脇から登り始めたのが12時11分、カメラが記録した時刻によれば、山頂にたどり着いて記念写真を撮るのが12時16分ですからこの写真は5分の登りのひとコマです。着くまでわからないという感じですから「深い森」といっていいのでしょう。

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【撮影】12時13分=伊藤 幸司
蝶が出てきたら、『山の花1200』(青山潤三 著・平凡社・2003年)の「巻末付録・山の蝶117種」を見ることにしています。そこになかったら諦めると決めています。
この白い蝶の候補は2つあって、ヒメシロチョウとエゾヒメシロチョウ。だったらまず、ヒメシロチョウでしょう。念のためにグーグルの画像検索で見てみると。羽の先端部の黒ずみもバリエーションのなかに含まれると確認できました。

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【撮影】12時14分=伊藤 幸司
12時01分に見た赤い実は、ヘビイチゴ属の「ヘビイチゴ」と「ヤブヘビイチゴ」のどちらか、までは確定したと思ったのですが、これは葉の形がずいぶん違いますし「花のガクが内外と2列になっている」という最大の特徴がないようです。
確信は持てないのですが小低木(つまり木本)のクサイチゴだと思います。
『ウィキペディア』の『クサイチゴ』には次のように書かれています。
【葉は奇数羽状複葉で、花枝には3小葉、徒長枝には5小葉がつく。頂小葉は卵形または長楕円状卵形、側小葉は卵形、先はとがり、縁には細かい重鋸歯がある。】
そしてさらに【果実は大型で赤熟し、食用となり、酸味は少なく、とても甘い味がする。】

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【撮影】12時16分=伊藤 幸司
【八王子城本丸址】という石碑のところで記念写真を撮りました。糸の会は女性が多い、というのは高齢者集団としては当たり前として、常連の男性会員が1人か2人参加してくださることが多いのですが、女性のみということも多くなりました。私が酒宴を好まないというのが学生時代からの一貫した姿勢ゆえ……だと思ってはいるのですが。

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【撮影】12時18分=伊藤 幸司
コアジサイがありました。私は鼻があまり利かないのでわかありませんが、コアジサイは「香る」んだそうです。
『あいまるの森呼吸 日常の出来事や心に感じたことを直感で書き記しています。一緒に森呼吸しませんか?』という「あいまる」さんのブログの『香りの効能 2019-06-06』を見つけました。
【今日山へ行って来ました。
山道を歩いていると、
ほのかにとてもいい香りが漂っていました。
最初は何の香りなのか?
わからずにいましたが、咲いている花々の
香りを嗅いで、突き止めました!
コアジサイと言われる花でした。
コアジサイは日本で唯一
香りがあるアジサイのようです。
よ~く見ると線香花火みたいで可憐な
可愛いお花です。
その優しいお花は山道に漂うように
香っていました。】

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【撮影】12時18分=伊藤 幸司
この状態ではないですね、コアジサイのピークは。あのなんともいえないブルーを、年に一度は見たいと思っています。

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【撮影】12時22分=伊藤 幸司
下って、また八王子神社前の広場に戻りました。右回りに回ってきたというわけです。11分かけて。

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【撮影】12時24分=伊藤 幸司
なぜだったか覚えていませんが、ここで再び休憩。本当なら展望広場でやりたかったところですが、そちらへ行ったほうがいいのか、ここでもうすこし時間をとったほうがいいのか悩んで、ここで2度めの休憩としたのです。
石段の左側にあるのが大モミジ。個人的言えば、この木に強く惹かれていました。

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【撮影】12時25分=伊藤 幸司
八王子神社の大モミジ。

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【撮影】12時29分=伊藤 幸司
神様にお尻を向けるという大きな欠点はあるものの、気持ちいい日陰でのお弁当タイム。

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【撮影】12時29分=伊藤 幸司
こちらはまた、古代ギリシャの円形劇場の最上段みたいな気分の特等席。
トルコには古代ギリシャの遺跡がたくさん残っていますが、海辺にある円形劇場だと海風や山風を利用して、驚くほど効率的な拡声機能を備えていることがわかります。それを思い出す特等席でしたね。
私はまだ、記憶に残っている大銀杏を探し回っていました。

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【撮影】12時33分=伊藤 幸司
八王子神社の大モミジの葉です。どれをみてもかなりはっきり「5裂」です。カエデ類で葉が「5〜7裂」となるとイロハモミジとオオモミジだそうです。まずはそのどちらかだと思いますが『葉と枝による樹木検索図鑑』の『イロハモミジ ー ヤマモミジ ー オオモミジ』には次のように書かれています。
【見分け方のポイント
イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジは、ムクロジ科カエデ属の中で葉縁が5~9つに掌状分裂し、葉の形もほぼ円形という点でよく似ているが、以下の点で見分けることができる。
(1)葉の大きさは、イロハモミジが長さ6cm未満と一番小さく、ヤマモミジとオオモミジの葉は長さ6cm以上でほぼ同じ大きさである。
(2)オオモミジは、葉が大きく、裂片は細かく整った単きょ歯と重きょ歯が混ざるに対し、イロハモミジ、ヤマモミジは重きょ歯がある。
(3)イロハモミジとヤマモミジは、どちらも不揃いな重きょ歯があるが、ヤマモミジは、葉の大きさがイロハモミジより大きく、葉柄の上部に溝がある場合が多いに対し、イロハモミジは葉が小さく、葉柄に溝がない。
(4)ヤマモミジは、主として日本海側に分布する。
注:この3種から多くの園芸品種が作られており、正確な区別は難しい。】

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【撮影】12時40分=伊藤 幸司
八王子城跡本丸の展望台からの風景です。足元に見えるのが高尾駅の周辺だと思いますが、グーグル・マップの航空写真で見てみましたが、ビルのひとつも確定できていません。
ただ、写真の右端の山の上ににほんのちょっと、ちらりと見えている金色のゴミ粒状のものが「高尾みころも霊堂」だと思います。新宿の高層ビル群が見えるとすれば、画面を外れてずっと左側だと思います。

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【撮影】12時44分=伊藤 幸司
本丸から富士見台への道(1.2km)をたどります。

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【撮影】12時44分=伊藤 幸司
古い井戸がありました。まだ水が出るらしいことは、この写真でわかります。

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【撮影】12時45分=伊藤 幸司
道はたちまちフツーの登山道になりました。ガイドマップによると30分ほど先に「詰城」があって、そこまでが八王子城のようです。

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【撮影】12時50分=伊藤 幸司
道端の標識には「大天守跡を経て富士見台」とあります。陣馬山や堂所山から北高尾山稜を縦走してくると城内に入ったという感覚でルンルン気分なのですが、逆にハイキングの道から登山道に入ると道の性格がガラリと変わって感じられます。
私は登山道と、高速で長時間歩くウォーキングやリフレッシュ効果の高いハイキングの道とでは決定的に違う部分があると考えています。「標準的登山道」という考え方も私の中では明快になってきましたが、それを「がんばらない」で、運動強度を上げずに長時間続けることがほかのどのようなスポーツでも得られない効用をもたらしてくれると確信しています。
この写真で(ちょっと乱暴ですが)わかるとすれば、登山道は画面に見えている3人の人に対して、少しずつ違う刺激を与えているのではないか、ということです。技術論としては、どれをどのように活用できるか、ということです。

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【撮影】12時55分=伊藤 幸司
道の左右の感じが情報としてうまく写っていませんが、痩せ尾根の上を歩いています。恐らくここを、敵からの防御の目で歩いた人がたくさんいたことでしょう。

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【撮影】13時04分=伊藤 幸司
ここが「詰の城」で「大天守跡」で、私たちは素通りしてしまいましたからよくわかりませんが、石垣で囲まれている出城であったそうで、八王子城最大の「大堀切」も見られるそうです。
……が、なぜここに? という「大天守閣」についての情報が妙な展開になっていました。
『攻城団』という『あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするため』のサイトに『詰の城/史跡 八王子城天守閣跡 2018年10月08日』があったのです。
それによると【かつては天守閣跡と呼ばれていた石垣で囲まれている出城です】とのこと。そのように刻まれている石柱の証拠写真も出ています。
『八王子城跡 オフィシャルガイドの会』の『よくある質問』に『天守閣は(どこに)あったんですか?』がありました。
【■天守閣は(どこに)あったんですか?
八王子城は敵と戦うことを旨として創られた山城です。
聳え立つ天守閣はもともとありませんでした。
その根拠は1992-93年の発掘調査など数次におよぶ調査でも瓦が1枚も見つからなかったことです。
■でもこのような表示がありますよ
確かに詰の城には「八王子城大天守」と彫り込まれた石標があります。
ですがここに天守閣があったわけではありません。林野庁サイドが立てたものです。
■天守閣は復元しないんですか?
その予定はありません。
戦国時代の城ではもともと天守閣はないんです。
ひとつ例外がありまして、織田信長の安土城です。
今、復元したり観光用にコンクリートで作っている城(天守閣)は江戸の初期に一斉に全国的に作られた城をイメージしたものです。】
……ですって。

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【撮影】13時06分=伊藤 幸司
詰の城の先も、同じような痩せ尾根が続きました。このあたりから道標には【富士見台を経て堂所山 明王峠】というような表示が現れました。
そして【富士見台を経て高尾山口駅へ 徒歩約2時間20分】という表示も。
私の計画には富士見台から旧甲州街道の蛇滝口バス停に下り、蛇滝から高尾山の十一丁目茶屋へ登り、そこから琵琶滝に下って高尾山口というルートを掲げていましたが、伊藤式のシミュレーションマップでは27パワー=約3時間半と出ていました。よほど歩きやすい道ならともかく、糸の会ではだいたいその計算で歩きます。コースタイムより1時間多くかけて。
すると16時半。下山は蛇滝口バス停までにとどめて、あとは高尾駅へまっすぐ向かうしかないな、と決めたのです。

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【撮影】13時33分=伊藤 幸司
富士見台で休憩しました。富士山は見えません。天気の具合で見えなかったはずですが、周囲の樹木が立派になって、ちゃんと富士山の方向が見えるようになっているのか、確信はもてません。

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【撮影】13時46分=伊藤 幸司
下山路にかかると、一瞬展望が開けました。
画面中央部の上に黒い高層ビルがありますが、これがどうも八王子駅南口の「サザンスカイタワー八王子」らしいのです。
『Room's Bar』という不動産店が『八王子駅南口直結サザンスカイタワーレジデンス 最上階はいかがでしょうか?』という記事を出しています。
【八王子不動産ルームズバー 中川です。
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【撮影】13時48分=伊藤 幸司
下るとなったら一気呵成に、かと思ったらこういう障害物も。その後、登山道が一瞬曖昧になったりして、標高差約300mはそれなりに歯ごたえのあるものでした。道に迷ってどうこうということはないにしても、何か所かで慎重に道を選ぶ必要はありました。

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【撮影】13時51分=伊藤 幸司
こういう道だと、ダブルストックを使う女性陣は下りに強いのでペースはどんどん上がります。

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【撮影】14時05分=伊藤 幸司
造林作業が進行している地帯らしく、登山ルートが怪しくなったのはこの先でした。前方の木に役割不明の幅広のテープが巻かれていますが、登山道でいう「赤布」と造林作業にかかわるさまざまな色テープなどとが混在する地域に踏み込んでいきました。
一時、私が周囲を偵察したりもしました。登山道よりちょっと立派な作業道が複数あったりして、時間があれば、逆に道迷い体験にいいところでした。

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【撮影】14時09分=伊藤 幸司
この倒木が意味を持ったものなのかどうか。ナタで枝を落とされたこの木がこの場所でこの角度で置かれているのに意味があるのかどうか。
じつはこの道とは別に右に分かれる道があったのですが、道標がなく、たまたまの色テープが登山者に対するものなのか、林業関係のものなのか判断できないうえに、斜面を2方向に分かれて下る分岐のように思えたので、こちらを進んでみることにしたのです。

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【撮影】14時10分=伊藤 幸司
道は斜面を右方向に回り込んでいき、すこし先で、先ほど右手に分かれた道と合流しました。

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【撮影】14時16分=伊藤 幸司
ふたたび尾根筋の歩きやすい道になりました。

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【撮影】14時39分=伊藤 幸司
こういう写真があると、30分ほど前にちょっと怪しくなったルート・ファインディングがまた? という感じになりますが、日本の一般的な登山道では別に異常なものではありません。「道筋がしっかりしている」からです。
草や灌木、ちょっと厄介なのはササですが、そういうもので道が塞がれるような状態になっても、道筋が見えれば問題ないのです。
その感覚を知ってもらうために、私は以前は、秋になると日没後にこういう状態の登山道を歩くような時間調整をするように心がけていました。日没後30分は十分な明るさが残っていますが、そこからの30分は地形や、森の状態でライトをつけないと「危険」な状態になってきます。
ですからライトは出してもらうのですが、使いません。ただし事故が起きるとやっかいなので、危険を感じたら一瞬点灯してもいい、ということにしています。
無灯火の夜間行動の入口を体験してもらうのですが「道を見ようとする」のではなくおおまかに「道筋に視線を向けて、周辺視野で路面を“感じる”」のです。
人間の目は単レンズと網膜だけのシンプルな構造です。スマホが完全にそれを再現しようとしているわけですが、視細胞を並べた網膜の性能はまだ人間の方が圧倒的です。
中心部にものすごく精細な中心窩(ちゅうしんか)の視野を持っていて、新聞の活字を一文字ずつ見ることができます。テーブルに向かい合った恋人たちが相手の眼を見て話している、という情景を自分のものとして思い出してみてください。どうやっても、相手の眼は、片方しか見えません。
遠く離れたところからテレビ画面を見ても、きちんと見られるのはこの高精細・超望遠視野のおかげです。
でも、美術館に行くと美術品には鑑賞距離というものがあります。全体をきちんと見る、微妙な色使いを楽しむというときには1.5mぐらいですかね「鑑賞距離」というものが必要になります。これは網膜の黄斑部にある視細胞が伝えてくれる画像情報で、階調豊かな色情報となっています。
グラフ雑誌などでページをめくったときに見開き写真があると、衝撃的に迫ってきたりしますが、それは穏やかな鑑賞距離(画角)を無視して衝撃的演出をしているわけです。
そして人間の眼は驚くべき高感度の白黒映像の視野も用意しています。左右ほぼ180度まで、周辺視野と呼ばれる部分が使えるのです。サッカーの中田英寿が首を左右に振りながら走っている姿を覚えていますが、その周辺視野を有効活用すると自分の周りの360度を監視することが可能なようです。
そしてこの視野は長い人類史のなかで、ものすごく重要だったと思うのです。私の仲間には「サハラ砂漠でほんとうの星明かりで歩けた」(星を目印に……ではありません)という体験をもつ人もいますが、江戸時代を想定した時代劇の夜のシーンでは、この周辺視野を使わずに動くことはできなかかったと思います。人類の長い戦争の歴史ではこの周辺視野が夜間の歩哨任務に欠かせないものでした。
日没後の登山道をライト無しで歩いていると、自分の目でも案外見えると感じます。でも見れば見るほど見えなくなるというジレンマに陥ります。見ようとするから見えなくなるんです。
そこで道筋の前方に目を向けながら、その視野の下側、足元までの周辺視野をぼんやりと「感じとろう」としてみます。見るのではなく、感じようとすると、路面に白と黒、つまり明るいところと暗いところが描き出す模様が浮き出てきます。暗いところは水たまりのように、明るいところは石か岩のように見えますが、それはあくまで勝手な推測、何がどう見えるかを一瞬ライトをつけて確認します。
ライトがあるんなら使えばいいじゃん? という人は奥義にたどりつけません。明るい光を投影すると自分の周辺視野に悪影響が出てしまうので、私が夜登山道を歩くときには指先ぐらいの小さなキーライトを握って指で発光部を抑え、必要なときだけ光を漏らして、周辺視野の感度を落とさないようにこころがけます。もちろん私は予備のライトは何種類か常備していますが、登山道を歩くときにはキーライトがベストです。(ちなみに登山用ヘッドライトの人たちには、頭につけて強烈な光を振り回されるのは迷惑なので、点灯する場合には首にかけて、足元を照らしてもらいます)
明るいライトがあるのに、利用しないのはアホじゃん? という人は人間として不幸です。自分の眼がどれほどの高機能をもっているのか知らないまま人生を終えていくわけですから。
余分なことをいえば現代人のほとんどは本当の「暗黒」を見ることなしに人生を終えていきます。「烏の濡羽色」は見えているのですから暗黒ではありません。世の中に多くある「暗室」だって、本当の暗黒となるとき、そこに人はいないはずです。私は人類としてはごく少数派の「暗黒を見た人間」として、眼がまったく使えなくなると「肌が見ようとする」という体験をしたのです。
横道にそれたかもしれませんが、文明化というのは人間の能力を補うものの発明によって行動圏を拡大してきたわけで、車のヘッドライトは、世界を「中心窩で見える世界」と「周辺視野では全く見えない世界」とにわけて、暗闇を切り開いて進めるようにしたのです。
夕闇に包まれながらこの写真のような場所を歩くと、足元だけでなく道筋も周辺視野で見ていきます。強力なライトを振り回して道筋を探していると光と影が踊りだして、つまらないものを道と見誤る危険がどんどん増大してきます。周辺視野を使って歩くと、おそらくこの写真の足元にある土の部分と、人がすり抜けていく狭い隙間が、ぼんやりと感じ取れるのではないかと思います。
暗くなったら、目を見開いて見ようとしてはいけない……ということを、この写真で思い出したのです。いまはアベノコロナのおかげで、夕方の通勤時間帯にはできれば都心部を抜けて帰路についていたいので、のんびり夕闇を待ってなどいられませんけれど。

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【撮影】14時40分=伊藤 幸司
富士見台から標高差わずか300mの下りなのに、堂々たる面構えの下りです。標高差が300mを割るとしだいに下界の匂いが伝わってきて「もう一息」という感じになるのですが、まだまだ、山は終わらないぞ、という深さを感じました。

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【撮影】14時43分=伊藤 幸司
【もうすぐ唐沢山】という手書きのプレートがあったところで、これまで下ってきた尾根から外れます。通行止めの先に唐沢山があるのか、左に下ると出てくるのかわかりませんけれど。

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【撮影】14時52分=伊藤 幸司
杉林の雰囲気がガラリと変わりました。間伐がなされていないからでしょうが、ツタが明らかに害を及ぼしそうな勢いでせり上がっていく光景は、最近の首都圏の山(の登山道)ではあまり見なくなりました。石原都知事の時代以降のことですけれど。

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【撮影】14時54分=伊藤 幸司
杉林で見たツタの葉の大きな方ですが、ツルアジサイ(ゴトウヅル)かイワカガミだといいなと思ったのですが、葉の外側がツルンとして鋸歯がありません。よってお手上げなんですが、この杉さまの運命はどうなるんですかね。

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【撮影】14時55分=伊藤 幸司
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これはアオキの葉っぱでしたか。妙な形をしていたので開いてみました。
こんな写真が画像検索で見つかるかとやってみたのですが、なかなか出てこないうちに、ここに虫がいたらこんなふうに撮りたいという力作に捕まってしましました。「葉っぱについた虫」をいっぱい見た人のレポートを是非、ぜひ、紹介したくって。
『鈴木梅花の「虫目で歩けば」 自然のディテールの美しさ、面白さを見つける「虫目」で見た、身近な虫や植物の観察や飼育の記録』の『北杜市で山口進さんと虫探し 2015-06-13』
【この日は「必殺虫目人」が、事前にグーグルで付近を検索し、植物に食痕のあるあたりを調べてくれていたので、そっちのほうへ行ってみる、というゆるい計画。
マルアワフキ。背中に黒いキスマークが!
横から見ると、カエルみたいでもある。
ミドリカミキリ?アオカミキリ?
華やかにスカートを広げているようなマドガ。
フキの葉裏にエグリグンバイ。
ヒメシロコブゾウムシ。
真珠色に光るカメムシの卵。
カメノコハムシかジンガサハムシの幼虫。脱皮がらを体の上にくっつけている。
オニグルミノキモンカミキリ。
サジクヌギカメムシ?
セスジナガカメムシ。
肉食のカメムシ、クチブトカメムシの幼虫。もう翅芽があるから終齢かな?
美味しいおそばでお昼ごはんをしたあとは、山口さんのとっておきのフィールドへ。
初めて見たシリアゲアリ。
産卵するツマキチョウを撮る山口さん
産んでたー
薄暗いところにはキンモンガがひらひら
カメムシの卵。採集して飼育中。まだ種名はわかりません。卵が黒ずんていたので
もしかしてハチに寄生されているかな、と思ったが、大丈夫でした。
光沢が美しいドロハマチョッキリ。
イタドリの葉を巻いて揺籃をつくっていた。
ハバチの幼虫
雑木林に囲まれた山口さんのお宅で、撮影のため飼育しているオオトビモンエダシャクを見せていただいた。
枝にしか見えない!トビモンオオエダシャクの胴
爪で葉のふちをつまんで、顔を伏せているトビモンオオエダシャク、6センチ。
後ろから見たところ。
ハガタキスジアオシャク。緑色のシャクガってきれいだなあ。
ナナフシモドキの幼虫
テントウムシの幼虫か?
不明幼虫だけど、只者ではない雰囲気が・・・
(昆虫写真家森上信夫さんから、これは鳥の糞擬態のヤマトカギバの幼虫だよ、と教ええていただきましたー)
これも不明幼虫
何の卵かなあ
毎年オオムラサキが卵を産むという山口さんの庭のエノキ。
庭でオオムラサキが繁殖しているなんて、さすが北杜市。
帰り道、金精軒に寄って、「極上 生信玄餅」をおみやげにいただきました。
こんな風に、気ままに野山を歩いて虫を探す一日は、ほんとにいいな。】
ちなみに最後に出てきた「金精軒の生信玄餅」は、小淵沢駅の立ち食いそば(元気甲斐弁当の丸政)でも買えると思います。

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【撮影】15時00分=伊藤 幸司
ここは地蔵峰と呼ばれているようです。だれかが勝手に置いたという雰囲気で、これが唐沢山かな? と思ったりしたのですが、あとで調べてみると、木の幹にテープを巻いて「唐沢山」と手書きしたところが、この手前にあったらしいのです。この地蔵峰のところには【駒木野】方面という手書きの道標がありました。

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【撮影】15時03分=伊藤 幸司
ここでまた一気に下る場面。登山道もそろそろ終わるらしいという雰囲気になってきました。

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【撮影】15時06分=伊藤 幸司
足元にまだ花を開いていないイチヤクソウがひと株、ポンと出てきました。
『公益社団法人 日本薬学会』の『生薬の花』に『イチヤクソウ』がありました。 【民間では生の葉汁を打撲傷、切り傷の外用に、また保温を目的に浴湯料とします。煎液には利尿作用があり、脚気やむくみによいとされています。また、中国では粉末状にしたものを避妊薬に、また、お茶がわりに飲むと婦人薬として月経が順調とあります。日本ではイチヤクソウエキスが配合された日焼け止めローションが市販されています。
ちなみに、イチヤクソウは東京都では絶滅危惧種に、また奈良県と鹿児島県では準絶滅危惧種に指定されています。】

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【撮影】15時20分=伊藤 幸司
このすごそうな岩場は、右手に中央自動車道があって、その下に潜り込もうとする最後の土壇場という感じなのです。別に危険ではありませんが、最後の最後にクサリ場が出てきたと、いえばいえる場面です。

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【撮影】15時21分=伊藤 幸司
とにかく、この道路の下まで下がっていくようです。

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【撮影】15時22分=伊藤 幸司
ここで高速道路の下をくぐります。蛇滝口に出ようとしていたのに駒木野ですから、どんなところへ飛び出すのか、全く見当がつきません。

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【撮影】15時24分=伊藤 幸司
いったんくぐり抜けた高速道路をくぐり直すのかと思いましたが、くぐる直前でUターンするのです。

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【撮影】15時29分=伊藤 幸司
あっという間にとびだしたところがバス道路。今では小仏峠で行き止まりになっている旧甲州街道です。

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【撮影】15時33分=伊藤 幸司
すぐに病院前バス停がありました。小仏行きのバスが毎時1便程度あるようです。
駒木野病院は規模が大きくて清潔感があるので地域の基幹病院なのかなと思ったのですが【精神科専門医療(チーム医療、認知症、アルコール治療など)に特化した病院】だそうです。
今回の計画書ではアベノコロナ対策として、帰路の目安となる電車をJR高尾駅15時53分始発の中央特快 東京行きとしておいたので、タクシーを呼ぼうとしたのですが、元気な女性陣は「歩く」と言ってどんどん先へ。

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【撮影】15時49分=伊藤 幸司
駒木野はJR高尾駅まで徒歩約15分のところでした。みなさん15時53分の中央特快に乗ることができて、私ひとりは高尾山口の極楽湯へ偵察入浴&食事、となりました。
ちなみに12時40分に本丸の展望台から見た風景の一番手前のビル群の右端の3〜4棟がこの写真に写っています。



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