★ITOの失敗談(3つ連続の1回目になる可能性大です)
*富士山展望に期待するシーズンになったので、2016.10.6のパノラマ台を思い出しました。(「10月の花」でご覧いただけます)
*富士急行線はすごい減便のままですが、富士山麓の富士急バスはけっこうきちんと動いているようで、時刻表もしっかり出ているので、バスだけで計画できそうでした。
*ただ、富士五湖地区ではタクシーを利用しやすいので、いったんタクシーに傾くとちょっと麻薬的な使い方になってしまいます。今回もちょっとしたミスからそのパターンに落ち込みました。
*失敗の発端は富士急行・河口湖駅で到着14分後に出る本栖湖行きのバスに乗りそこなったことです。以前利用したことのあるバス停で待っていたのです。本栖湖方面行きバスの停留所であることは確かだった……と思うのです。後で考えれば本栖湖ルートに関する道路状況のプリントが貼られていたというあたりが主要な根拠だったかと思います。
*その「本栖湖行きバス」は駅前のレーンに駐車していて、私はそのバスのフロント部分にある行き先表示まで確認していたのです。ですからドライバーに一声かけておけばよかったのです。もっといえば、バスの向こう側に立っていたバスストップの標識に気づくべきでした。時間待ちの高速バスが前後にいましたから、時間になったら私たちの前にくるはず、と思い込んでいたのが、間違いでした。バスは時間どおりに動き出すと、ほとんどカラのまま駅前広場から出ていってしまったのです。
*さてどうする? これまでの常識からいえば駅前広場の隅にある富士急ハイヤーの営業所には数台が常駐していて、なんとでもなる……はずでした。その富士急ハイヤーの1台だけが客待ちしていたので、4人が先行し、もう1台呼んでもらったのです。
*後発の4人が来るべき1台を待っていたのですが、なかなかきません。ようやく1台入ってきたので乗ろうとすると富士急ハイヤーではなくて忍野タクシー。私たち後発の4人は富士急ハイヤーをキャンセルして、忍野タクシーでパノラマ台下バス停へと急いだのです。
*以前は河口湖駅で忍野タクシーを見ることはなかったと思います。だから私の好奇心からも積極的にそちらに切り替えて乗ったのです。
*忍野タクシーはその名のとおり、忍野八海の忍野にあります。その忍野の向こう、山中湖には共和タクシーがあって登山口や入浴施設から高速バスのバス停や富士山駅(旧富士吉田駅)へ送ってもらうのに便利でしたが、いつのまにか忍野タクシーを使うことが多くなりました。
*なぜかというと、人数によってジャンボがあり、ときにはミニバスまで出してくれたりしてくれるので、ついつい電話してしまうことになったのです。そしてその場合、大月駅まで出るのであれば、富士吉田駅(現富士山駅)までのバス代に富士急行の電車の、ひとり1,000円前後の運賃を加算すると、大月駅まで行っちゃったほうが合理的、というセールストークに乗ってしまうのです。高速道路を使えば時間にも余裕が生まれる……し、と。
*その忍野タクシーが河口湖まで進出してきたのか! と思ったのです。ドライバー氏は観光タクシー向きの性格のようで、走りながらいろいろ教えてくれますが、だんだん私のほうがしゃべることになり、後部座席に乗った3人の方には迷惑だったかもしれません。
*じつは忍野タクシーが元気なのは、そこに産業用ロボットで世界のトップとされるファナックの本社と工場群があるからです。すなわちファナック帝国のおかかえタクシー会社という存在なのです。富士登山の際に山中湖を見下ろすと日本にはまれな黄色い建物群がありますが、あれがファナック帝国。車で走っているときにはほとんど気がつかないように樹林の中に沈み込んでいます。
*その創業者(にして帝王)というべき稲葉清右衛門がこの10月2日(2020年)に95歳で亡くなったと聞いて、私の話は一気にファナック帝国誕生時のことになりました。ウィキペディアを見ると「1984年7月、昭仁親王(当時皇太子)が会社をご視察された」とありますが、そのとき私は4人の写真班のひとりとして新築なった工場群のひとつでスタンバイしていたのです。
*2年後には「昭和天皇が本社に行幸した」とありますから富士通の子会社として1976年に東京証券取引所2部に上場した会社としては異例中の異例ということになります。
*私がなぜそんな場にいたかというと、そのとき、ファナックの、海外からの賓客に向けた贈答用豪華写真集『富士山』(1984.11・ファナック非売品)を作っていたのです。当時全く無名の大山行男という青年の写真に、ファナックの空撮を加えたものでした。
*いまや富士山写真の大御所となった大山さんを見つけてきたのはフォトエージェントを作家主義の画商的な方向に進めようとしていた安村浩さん(故人)です。大山行男さんのデビュー作『富士山』(1984.12・グラフィック社)を準備していたのですが、そのデザインを担当していた浅沼剛さんにこちらにきてもらい、デビュー作のデザインは後に大山さんとのコンビで多くの作品を世に送り出す三村淳さんんにやってもらうこととし、こちらの『富士山』を先に出すとしたのです。
*……という昔話はさておいて、あの黄色、米国イーストマン・コダック社のコーポレートカラーとして有名なあの黄色と似た象徴的な色なのですが、違います。コダックは日本の富士フイルムに負けたので、いまでは論外です。そこでその黄色を中国のロイヤルカラーとしての黄色と関連づけて説明されているとドライバー氏はいうのです。
*違うんです、あれは。1972年に富士通から4社だったかの子会社が巣立つときに、事務用のコクヨのバインダーの色を各社に割り振ったら、黄色が当たったという話なんです。ファナックの贈答用写真集の表紙も正確にファナック・イエローにしなければならないので厳密にチェックしたのですが、そのときに当時の担当常務から直接聞いたのです。
*さてさて、そんな話をしているうちに例のセールストークがでてきました。私は下山後の入浴を富士急行・都留市駅脇にある「より道の湯」にして、千葉行きの「あずさ50号」までの時間をみながら、大月の濱野屋で夕食と胸算用していました。しかし激しい減便運行の富士急線だと待ち時間がどういう影響を与えるか見えません。そこにドライバー氏から「ジャンボをもってきますから」という帰路の提案。ふつうではタクシー会社ではジャンボの運用は別枠でドライバーも決まっていることが多いのですが、乗客9人までのジャンボタクシーだと私たち「8名」分のバス代+電車代がおよそ15,000円なので、それにいくらぐらい上乗せすればいいのだろうかと考え始めてしまったのです。
*山の多い地域のバスは、タクシーに4人で乗ったときの金額と似た料金であることが多いので、4人だったらバス料金の500円アップまでならタクシーをどんどん使うと決めています。しかもメーター料金が10,000円ぐらいまでなら。
*ジャンボの場合は地域によって中型料金の2割増しから5割増しといった差があるので注意しなければいけないのですが、7人以上(すなわち7〜8〜9人)なら往路ででちょっと贅沢に使っておいて、帰路もお願いしておく、というふうに考えることも多いのです。下山時刻が変動する場合にも、連絡を密にしておけば、かなりのところまで対応してくれると考えるのです(会社によってその対応はずいぶん違いますけれど)。
*ジャンボタクシーの結果は本栖湖から河口湖へ出て、市街地の混雑を高速道路で避けて都留市駅まで17,460円となりました。各人プラス300円というあたりでしょうか。でも往路のタクシーはなぜか、4人で乗って約7,000円でしたからバス代の2倍に近い運賃になってしまいました。
0920ごろ_千葉始発のJR/富士急行特急・富士回遊3号で河口湖到着
*バスに乗れずにタクシーで
1030ごろ_パノラマ台下バス停を出発(標高約900m)
1110-15ごろ_給水休憩(標高約1,150m)22℃
1145ごろ_稜線の縦走路に合流(標高約1,250m)
1150-1215ごろ_パノラマ台山頂(標高=1,328m)
1240-45ごろ_烏帽子岳山頂(標高=1,257m)
1326ごろ_国道・本栖隧道入口(標高約900m)
1400ごろ_本栖でタクシーと合流(標高約900m)
1500ごろ_より道の湯(都留市駅そば)
1630ごろ_濱野屋(大月駅そば)
1905ごろ_大月駅で千葉行きの特急あずさ50号に乗車
今回の写真出展メンバーは(現在のところ)1人です。
伊藤 幸司
*速報写真は「粗選び」のもの、メンバー相互の「記念写真」、「道標」や「解説板」なども含めて何枚でもお送りください。追加でも簡単に挿入できます。
*写真はWeb上に表示された画面から簡単に取り出すことができ、プリントも可能ですのでメンバー間の相互利用にもおすすめします(ここに載ると公開されてしまいますけれど)。
*「山旅図鑑」にはキャプションが送られてきた写真のみ(順次)掲載させていただきます。たとえば自分が撮影した写真をメール欄に取り出して、そこにキャプションをつけて送っていただければデータ管理上完璧です。写真点数の少ない方には簡単な方法かと思います。
【撮影】07時54分=伊藤 幸司
【撮影】09時29分=伊藤 幸司
【撮影】10時22分=伊藤 幸司
【撮影】10時32分=伊藤 幸司
【撮影】10時32分=伊藤 幸司
【撮影】10時32分=伊藤 幸司
【撮影】10時35分=伊藤 幸司
【撮影】10時38分=伊藤 幸司
【撮影】10時43分=伊藤 幸司
【撮影】10時46分=伊藤 幸司
【撮影】10時51分=伊藤 幸司
【撮影】10時56分=伊藤 幸司
【撮影】11時00分=伊藤 幸司
【撮影】11時10分=伊藤 幸司
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
【撮影】11時11分=伊藤 幸司
【撮影】11時17分=伊藤 幸司
【撮影】11時17分=伊藤 幸司
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
【撮影】11時23分=伊藤 幸司
【撮影】11時24分=伊藤 幸司
【撮影】11時26分=伊藤 幸司
【撮影】11時27分=伊藤 幸司
【撮影】11時30分=伊藤 幸司
【撮影】11時30分=伊藤 幸司
【撮影】11時30分=伊藤 幸司
【撮影】11時31分=伊藤 幸司
【撮影】11時32分=伊藤 幸司
【撮影】11時38分=伊藤 幸司
【撮影】11時39分=伊藤 幸司
【撮影】11時39分=伊藤 幸司
【撮影】11時43分=伊藤 幸司
【撮影】11時44分=伊藤 幸司
【撮影】11時45分=伊藤 幸司
【撮影】11時45分=伊藤 幸司
【撮影】11時45分=伊藤 幸司
【撮影】11時46分=伊藤 幸司
【撮影】11時49分=伊藤 幸司
【撮影】11時49分=伊藤 幸司
【撮影】11時50分=伊藤 幸司
【撮影】11時51分=伊藤 幸司
【撮影】11時53分=伊藤 幸司
【撮影】11時54分=伊藤 幸司
【撮影】11時54分=伊藤 幸司
【撮影】12時08分=伊藤 幸司
【撮影】12時08分=伊藤 幸司
【撮影】12時09分=伊藤 幸司
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
【撮影】12時16分=伊藤 幸司
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
【撮影】12時19分=伊藤 幸司
【撮影】12時21分=伊藤 幸司
【撮影】12時23分=伊藤 幸司
【撮影】12時29分=伊藤 幸司
【撮影】12時35分=伊藤 幸司
【撮影】12時36分=伊藤 幸司
【撮影】12時42分=伊藤 幸司
【撮影】12時42分=伊藤 幸司
【撮影】12時42分=伊藤 幸司
【撮影】12時45分=伊藤 幸司
【撮影】12時45分=伊藤 幸司
【撮影】12時46分=伊藤 幸司
【撮影】12時46分=伊藤 幸司
【撮影】12時47分=伊藤 幸司
【撮影】12時47分=伊藤 幸司
【撮影】12時49分=伊藤 幸司
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
【撮影】12時51分=伊藤 幸司
【撮影】12時55分=伊藤 幸司
【撮影】12時57分=伊藤 幸司
【撮影】13時04分=伊藤 幸司
【撮影】13時18分=伊藤 幸司
【撮影】13時21分=伊藤 幸司
【撮影】13時22分=伊藤 幸司
【撮影】13時26分=伊藤 幸司
【撮影】13時30分=伊藤 幸司
【撮影】13時59分=伊藤 幸司
【撮影】13時59分=伊藤 幸司
【撮影】14時00分=伊藤 幸司
【撮影】14時00分=伊藤 幸司
【撮影】14時00分=伊藤 幸司
【撮影】14時01分=伊藤 幸司
【撮影】14時02分=伊藤 幸司
【撮影】16時25分=伊藤 幸司
【撮影】16時28分=伊藤 幸司
【撮影】17時02分=伊藤 幸司
【撮影】17時04分=伊藤 幸司
【撮影】17時10分=伊藤 幸司
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