コースタイム写真 (& コーチのひとこと・ふたこと)
戸倉三山
刈寄山(かりよせやま 687m)
市道山(いちみちやま 795m)
臼杵山(うすきさん 842m)
2024.6.13

■山旅図鑑・目次
■コースタイム写真・目次
【計画書から】────「地理院地図」を使用しています
◆糸の会【1306】
◆戸倉三山
かりよせやま(刈寄山)────687m
いちみちやま(市道山)────795m
うすきさん(臼杵山)────842m
稜線60p→下り18p────78パワー
日の出0425、日の入り1858────6.13東京で
◆JR五日市線・武蔵五日市駅から────2024.6.13(木)実施
◆集合
●6.13(木)────立川発の五日市線、前方2両目に集結してください
◆ポイント
●長い距離をゆっくりとねばり強く歩きます。小さな登り下りが続きます。
●入浴と食事は行動終了後に時間を見て考えましょう。
◆往路
0701東京駅始発(JR中央線・快速高尾行き)────立川0754
(0701東京→0705御茶ノ水→0715新宿→0741武蔵小金井→0749西国分寺→立川0754)
0805立川始発(JR五日市線・武蔵五日市駅行き)────0837武蔵五日市
タクシーで今熊神社社務所へ(1台約2,000円)
◆往路参考
0730新宿(中央本線特急あずさ3号・松本行き)────0752立川
(0638千葉→0653船橋→0708錦糸町→0730新宿→0752立川)
◆現地行動
0930ごろ_今熊神社社務所を出発────稜線19パワーを2時間半として
1200ごろ_刈寄山────稜線20パワーを2時間半として
1430ごろ_市道山────稜線15パワーを2時間として
1630ごろ_臼杵山────下り19パワーを2時間半として
1900ごろ_上元郷バス停
*臼杵山からはグミ尾根をたどって荷田子バス停へ(18パワー)と下るかもしれません。
*小さなアップダウンの縦走なので、1時間以上短縮されるかと思います。その場合は徒歩あるいはタクシーで瀬音の湯へ
◆帰路参考
*JR五日市線(武蔵五日市駅始発。立川まで約40分、拝島での乗換を含む)
1842、1911、1928、1945、2002、2019、2036、2052、2109、2127、2145、2223、……
◆費用の目安
新宿→武蔵五日市────830円
taxi_武蔵五日市駅→今熊神社社務所────1台約2,000円
*入浴・食事などにタクシーなどを利用するかもしれません
JR_武蔵五日市→新宿────830円
◆電話
*タクシー(武蔵五日市駅)
横川タクシー…042-596-3558…桧原村_0120-489083
*入浴
秋川渓谷・瀬音の湯…042-595-2614…1000-2200_ほぼ無休_1,000円_食事可_バスあり、十里木から歩いても8分
◆持ち物
*食べ物・飲み物——水筒+行動食+おやつ
*足まわり……運動靴、軽登山靴
*行動着……ドライタイプの登山用Tシャツ+長ズボン+長袖シャツ
*雨具……アウターウェアとしてゴアテックスレインスーツ
*小物……地図+健康保険証+時計+ポケットライト


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【行動記録から】
★最寄り駅はJR五日市線・武蔵五日市駅
・0805立川始発(JR青梅線・五日市線・武蔵五日市行き)→0837武蔵五日市
・タクシーが出払っていて、予約も不可、戻り車を待ちました
・0840ごろ_タクシー2台で武蔵五日市駅を出発
・0850-0905ごろ_今熊神社下社で出発準備
0905ごろ_今熊神社下社を出発(標高約300m)
0925-30ごろ_展望ベンチで休憩(標高約420m)
0940-45ごろ_公衆便所あり(標高約470m)
0945ごろ_「今熊山頂0.1km」(標高約480m)
0950-1000ごろ_今熊山山頂(標高=505m)
1000ごろ_「今熊山頂0.1km」標識にもどる「刈寄山2.9km」(標高約480m)
1020ごろ_「菱鉱建材㈱」の「警告 発破作業中キケン」という標識あり
・進行方向左手に砕石区域が広がり、以前は樹間にその光景が見えたが、今回はほとんど見えなくなっていた。発破音や重機の音によって作業が活発に行われていることは確認されたけれど
1030-40ごろ_「刈寄山1.5km←→今熊山1.5m」という標識。(たぶん標高約600m)
・尾根に上がると北面は広大な伐採斜面となっていたので休憩
・この先は、巻道があればそちらを優先的に考えるということに
1045ごろ_「刈寄山(まき道)」の標識に従う(たぶん標高約600)
1100ごろ_「市道山(いちみちやま)」方面分岐標識を「刈寄山」方面へ。送電線を見上げる位置で(標高約620m)
1105ごろ_再び「市道山」方面分岐を通過(標高約630m)
1120-35ごろ_刈寄山で休憩(標高=687m)
1140ごろ_市道山分岐手前から足元の林道に下る道へ(標高約630m)
1145ごろ_林道(刈寄作業道)に出る(標高約610m)
1150ごろ_林道ゲートを出ると入山峠(標高約600m)
・地理院地図では「入山峠」という表記の北側、自動車道路のヘアピンカーブのところ
1150ごろ_林道ゲートを出て自動車道路を渡ったところから稜線に上がる登山道へ
1200ごろ_「入山峠」という手書き文字のある道標。頭上に送電線があるので、ここが地理院地図の「入山峠」(標高約550m)
1220ごろ_「市道山3.5km←→刈寄山1.6km」の道標に対して左に進むと「鳥切場を経て市道山」という表示。私たちは直進(たぶん標高約580m)
1225ごろ_ピーク(標高約620m)のピークを超えずに巻道に逃げたら「ここが鳥切場」と手書きで加えられた道標に。そのまま下れば「森久保・関場バス停」へ、戻りつついま来たピークの巻道に入れば「市道山」へ(標高約600m)
・700m級のピークを次々に超える縦走路になる
1305ごろ_「市道山2.6km←→鳥切場0.8km、刈寄山2.5km」という道標
1320-25ごろ_休憩(標高約720m)
1345ごろ_「市道山1.6km←→鳥切場1.8km、刈寄山3.5km」という道標
・「日本山岳耐久レース10km地点」という標識があり、そこには「鳥屋戸720m」と手書き文字
1430ごろ_「市道山0.1km←→鳥切場3.3km、刈寄山5.0km」という道標。さらに分岐方向として「和田峠4.5km・陣馬山5.2km」
・並んで「日本山岳耐久レース11.7km地点」という標識があり「市道山分岐775m」と
1440-50ごろ_市道山(標高=795m)
1455ごろ_「笹平(ささだいら)」への下山路分岐の道標(標高約790m)
1525ごろ_広大な森林伐採現場に出る
1545-50ごろ_森林伐採の最上部で休憩_(標高約720m)
1635-45ごろ_臼杵山(標高=842m)
1650ごろ_元郷バス停と荷田子(にたご)バス停への分岐(標高約840m)
・計画書では元郷バスに下るとしたけれど、荷田子に向かう「グミ尾根」を選択する可能性もある、としていました。私が未体験のため、行動の終盤に問題がなければ試みたいと考えていました。
1710ごろ「←荷田子峠・城山」という標識。標高=737mピークのところか?
1725ごろ_「戸倉山茱莄(ぐみ)御前」という石碑(標高約620m)のところから本格的な下りに
1810-20_荷田子峠で休憩(標高約400m)
1840ごろ_荷田子集落に出る(標高約250m)
1855ごろ_瀬音の湯(標高約230m)
・入浴・食事
・2037・瀬音の湯発のバスでJR武蔵五日市駅へ
・2052・JR武蔵五日市駅始発の立川行き電車で帰途へ



08:00

★最寄り駅はJR五日市線・武蔵五日市駅
・0805立川始発(JR青梅線・五日市線・武蔵五日市行き)→0837武蔵五日市
・タクシーが出払っていて、予約も不可、戻り車を待ちました
・0840ごろ_タクシー2台で武蔵五日市駅を出発
・0850-0905ごろ_今熊神社下社で出発準備



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【撮影】08時51分=伊藤 幸司=006

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【撮影】08時58分=伊藤 幸司=009

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【撮影】08時58分=伊藤 幸司=010

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【撮影】08時59分=伊藤 幸司=011

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【撮影】08時59分=伊藤 幸司=012

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【撮影】08時59分=伊藤 幸司=014



09:00

────・0850-0905ごろ_今熊神社下社で出発準備
0905ごろ_今熊神社下社を出発(標高約300m)
0925-30ごろ_展望ベンチで休憩(標高約420m)
0940-45ごろ_公衆便所あり(標高約470m)
0945ごろ_「今熊山頂0.1km」(標高約480m)
0950-1000ごろ_今熊山山頂(標高=505m)



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【撮影】09時00分=伊藤 幸司=015

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【撮影】09時02分=伊藤 幸司=017

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【撮影】09時02分=伊藤 幸司=018

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【撮影】09時03分=伊藤 幸司=020

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【撮影】09時05分=伊藤 幸司=021
糸の会では「準備運動」なしに歩き始めます。各人が、それぞれゆっくりとペースを作っていき、頭がカラダに「ガンバレ」などという命令をしないようにスタートするだけです。『がんばらない山歩き』(1998年・講談社)を出したのは糸の会創設3年目でした。

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【撮影】09時07分=伊藤 幸司=024

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【撮影】09時08分=伊藤 幸司=028

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【撮影】09時10分=伊藤 幸司=030

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【撮影】09時11分=伊藤 幸司=031

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【撮影】09時11分=伊藤 幸司=032

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【撮影】09時11分=伊藤 幸司=033

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【撮影】09時12分=伊藤 幸司=034

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【撮影】09時19分=伊藤 幸司=037

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【撮影】09時21分=伊藤 幸司=040
みなさん、ダブルストックを出していません。今日は特別長いルートだということはみなさん知っていますし、ほとんどの人は2回目、3回目というベテラン揃い。出発時にストックを出していておかしくないのに、どうしてでしょうね。どうなるか、興味があります。

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【撮影】09時23分=伊藤 幸司=043

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【撮影】09時24分=伊藤 幸司=045

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【撮影】09時25分=伊藤 幸司=046

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【撮影】09時27分=伊藤 幸司=047

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【撮影】09時27分=伊藤 幸司=049
歩きだして20分ほどで休憩をとりました。標高差約120m、休むにはまだ早いかとも思いますが、ベンチがあって、これだけの展望があって、下界の風から山の風へと切り替わった感じがあるのですから、精神的なリフレッシュメントとしては素通りできません。リーダーはここでフロア・ディレクターとなって「駅が見えた!」などとやりました。

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【撮影】09時28分=伊藤 幸司=050

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【撮影】09時28分=伊藤 幸司=051

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【撮影】09時30分=伊藤 幸司=054

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【撮影】09時31分=伊藤 幸司=055

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【撮影】09時32分=伊藤 幸司=057

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【撮影】09時34分=伊藤 幸司=059
1回目の休憩のあと、Kさんがストックを出しました。このルートを単独でも歩いているという最ベテランです。

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【撮影】09時35分=伊藤 幸司=061

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【撮影】09時37分=伊藤 幸司=062

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【撮影】09時38分=伊藤 幸司=063

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【撮影】09時40分=伊藤 幸司=064
最初の休憩からたった10分、山頂までも10分かからないというところに「公衆トイレ」が出てきました。山ではトイレがあったらかならず利用させていただきます。利用させてもらえる状態なら。

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【撮影】09時41分=伊藤 幸司=066

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【撮影】09時41分=伊藤 幸司=067

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【撮影】09時45分=伊藤 幸司=069

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【撮影】09時45分=伊藤 幸司=070

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【撮影】09時46分=伊藤 幸司=072

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【撮影】09時47分=伊藤 幸司=073

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【撮影】09時47分=伊藤 幸司=075

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【撮影】09時48分=伊藤 幸司=076
今熊山はこの「戸倉三山」には入っていません。スタート地点というべきでしょうか。私はリーダーの1番のシゴトは「ペースメイク」ではなくて「メリハリの演出」だと思っています。参加されたみなさんにとって有効かどうかはわかりませんが、全権を握っています。

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【撮影】09時48分=伊藤 幸司077

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【撮影】09時49分=伊藤 幸司=078

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【撮影】09時49分=伊藤 幸司=079

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【撮影】09時49分=伊藤 幸司=080

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【撮影】09時50分=伊藤 幸司=081

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【撮影】09時50分=伊藤 幸司=082

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【撮影】09時55分=伊藤 幸司=084

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【撮影】09時58分=伊藤 幸司=085

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【撮影】09時58分=伊藤 幸司=087



10:00

1000ごろ_「今熊山頂0.1km」標識にもどる「刈寄山2.9km」(標高約480m)
1020ごろ_「菱鉱建材㈱」の「警告 発破作業中キケン」という標識あり
・進行方向左手に砕石区域が広がり、以前は樹間にその光景が見えたが、今回はほとんど見えなくなっていた。発破音や重機の音によって作業が活発に行われていることは確認されたけれど
1030-40ごろ_「刈寄山1.5km←→今熊山1.5m」という標識。(たぶん標高約600m)
・尾根に上がると北面は広大な伐採斜面となっていたので休憩
・この先は、巻道があればそちらを優先的に考えるということに
1045ごろ_「刈寄山(まき道)」の標識に従う(たぶん標高約600)
────1100ごろ_「市道山(いちみちやま)」方面分岐標識を「刈寄山」方面へ。送電線を見上げる位置で(標高約620m)



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【撮影】10時00分=伊藤 幸司=088

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【撮影】10時00分=伊藤 幸司=089
次の刈寄山まで「2.9km」と出ています。一応、実測値だと思います。地図上での私の計測では500mごとの青◇が6つありますから3km強、それを1時間20分ほどで歩いたので時速2kmほど。縦走路としては最高に歩きやすい道、といえるでしょう。ちなみに高度50mごとの等高線を拾った赤○は6個ありますから合わせて12個として、私たちは平地を「時速4km」で歩く以上のエネルギーを出さないように「1時間で8個」のスピードを目安に歩くので、12個は1時間半。なんだか嘘みたいにうまくいきましたね。

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【撮影】10時04分=伊藤 幸司=091
日本山岳耐久レースの「5km地点」という標識で、ここが走る人たちの有名なルートらしいと知りました。24時間以内に走破する「長谷川恒男Cap 」というのがあるそうですが、すごいですね。
長谷川恒男さんとは、私が(あまり好きじゃなかった)登山というシゴトの最初に出会いました。山と溪谷社から出た『地図を歩く手帳』(1980年)を仲立ちにして1984年から朝日カルチャーセンター横浜の中高年向け登山講座に地図担当講師となったとき、最初の実技講師として長谷川恒男さんを招いて、丹沢の四十八瀬川の勘七ノ沢で沢登りをやりました。その顔合わせパーティとして講師5人が集まっての丹沢でのバーベキューパーティに息子を連れて行ったら、長谷川さんに(息子が)えらく怒られました。その理由はわからなかったけれど。

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【撮影】10時04分=伊藤 幸司=093

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【撮影】10時10分=伊藤 幸司=098

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【撮影】10時13分=伊藤 幸司=100

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【撮影】10時18分=伊藤 幸司=103

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【撮影】10時18分=伊藤 幸司=104
発破の音を最初に聞いたのは今熊山の山頂あたりでした。それからは重機が動き回る音が切れ目なく続きました。首都圏の山を歩くと、街からは見えない裏側で砕石だとか、山砂だとかの採取が驚くほど広範に行われています。以前は歩きながら樹間に見えたその現場が、今回はほとんど見えませんでしたが、やはり見るべき光景として見えたほうがいいと思いました。

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【撮影】10時18分=伊藤 幸司=105
糸の会の初期にはこういうルートを茨城県で巡視している東京電力のSさんが参加されていました。合宿行動も多いので飯作りの腕を競い合うことも多いらしく、筑波山麓に「ゐ田」という恐ろしくかみごたえのある蕎麦屋ができたという情報をいち早く教えてくれて、糸の会の筑波山では入浴後「ゐ田」で講釈つきの鴨汁そばを食べるのが定番となりました。Sさんは糸の会の劔岳に仲間を連れてきて、ちょっとヤバい落石事件を起こしました。

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【撮影】10時19分=伊藤 幸司=106

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【撮影】10時20分=伊藤 幸司=107

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【撮影】10時20分=伊藤 幸司=108

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【撮影】10時20分=伊藤 幸司=110

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【撮影】10時20分=伊藤 幸司=111
刈寄山は「カンアオイの名所」なんだそうです。いろいろあって、それぞれ葉の文様が違うとのことなので、もちろんわかりません。ギフチョウの食草だということでどこか敬意を払って見る気分になっちゃうんですけれどね。

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【撮影】10時23分=伊藤 幸司=112

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【撮影】10時25分=伊藤 幸司=113

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【撮影】10時26分=伊藤 幸司=114

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【撮影】10時27分=伊藤 幸司=116

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【撮影】10時32分=伊藤 幸司=119

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【撮影】10時35分=伊藤 幸司=120

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【撮影】10時35分=伊藤 幸司=121

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【撮影】10時35分=伊藤 幸司=123

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【撮影】10時38分=伊藤 幸司=124

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【撮影】10時38分=伊藤 幸司=125

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【撮影】10時38分=伊藤 幸司=126

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【撮影】10時39分=伊藤 幸司=127

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【撮影】10時42分=伊藤 幸司=129

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【撮影】10時43分=伊藤 幸司=130
私は最後尾についていて「10分交代」の「トップ」の人に「基本的判断」をお任せしています。なにせ、10年、20年というお付き合いのみなさんですし、トップの「10分交代」というシステムも始めて10年になりますかね。
一般的な登山技術でいえば、サブリーダーが先頭に立って、リーダーがしんがりを務めるというかたちです。でもそれを「10分ずつ」というのが糸の会のオリジナルで、ペースメイクという領域で新しい意味を持たせています。
さて、トップの人が悩むのが「巻道」です。わたしは基本的には「巻道」は「逃げ道」だと思っているのですが、この戸倉三山縦走では最終的な下山時刻に余裕がないので、巻道を積極的に利用する、と決めていました。

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【撮影】10時47分=伊藤 幸司=131

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【撮影】10時49分=伊藤 幸司=133

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【撮影】10時51分=伊藤 幸司=135

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【撮影】10時51分=伊藤 幸司=137

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【撮影】10時55分=伊藤 幸司=140

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【撮影】10時55分=伊藤 幸司=142

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【撮影】10時55分=伊藤 幸司=143

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【撮影】10時57分=伊藤 幸司=145

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【撮影】10時59分=伊藤 幸司=148



11:00

1100ごろ_「市道山(いちみちやま)」方面分岐標識を「刈寄山」方面へ。送電線を見上げる位置で(標高約620m)
1105ごろ_再び「市道山」方面分岐を通過(標高約630m)
1120-35ごろ_刈寄山で休憩(標高=687m)
1140ごろ_市道山分岐手前から足元の林道に下る道へ(標高約630m)
1145ごろ_林道(刈寄作業道)に出る(標高約610m)
1150ごろ_林道ゲートを出ると入山峠(標高約600m)
・地理院地図では「入山峠」という表記の北側、自動車道路のヘアピンカーブのところ
1150ごろ_林道ゲートを出て自動車道路を渡ったところから稜線に上がる登山道へ
────1200ごろ_「入山峠」という手書き文字のある道標。頭上に送電線があるので、ここが地理院地図の「入山峠」(標高約550m)



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【撮影】11時00分=伊藤 幸司=150

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【撮影】11時04分=伊藤 幸司=152

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【撮影】11時05分=伊藤 幸司=154

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【撮影】11時07分=伊藤 幸司=156

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【撮影】11時09分=伊藤 幸司=162

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【撮影】11時10分=伊藤 幸司=163

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【撮影】11時10分=伊藤 幸司=164

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【撮影】11時12分=伊藤 幸司=166

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【撮影】11時13分=伊藤 幸司=168

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【撮影】11時17分=伊藤 幸司=170

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【撮影】11時18分=伊藤 幸司=172

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【撮影】11時33分=伊藤 幸司=174

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【撮影】11時33分=伊藤 幸司=175

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【撮影】11時33分=伊藤 幸司=176
山頂の立派な山頂標識の、これは裏側です。ここには「奥多摩登山の入門コース」書かれていますが、三山縦走となると、レベルはかなり高くなります。なにしろ、ここでようやく三山のひとつ目ですから。6月でないと結構早い段階から夕闇に追いかけられることになります。

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【撮影】11時34分=伊藤 幸司=177

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【撮影】11時34分=伊藤 幸司=178

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【撮影】11時35分=伊藤 幸司=180

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【撮影】11時36分=伊藤 幸司=181

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【撮影】11時37分=伊藤 幸司=182

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【撮影】11時37分=伊藤 幸司=183

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【撮影】11時37分=伊藤 幸司=185

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【撮影】11時38分=伊藤 幸司=187

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【撮影】11時38分=伊藤 幸司=188

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【撮影】11時39分=伊藤 幸司=189

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【撮影】11時39分=伊藤 幸司=190

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【撮影】11時42分=伊藤 幸司=193

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【撮影】11時43分=伊藤 幸司=194
来たときは左上方からでした。登り返すと10時59分の分岐になるのですが、ここでは足元に見えてきたきた林道に下ります。以前は刈寄山の山頂から直接林道に降りる道があったように記憶していて、皆さんとちょっと探してみたのですが、使われなくなっているようでした。時間に追われて「近道」を探すという気持ちのときだと、しばしば大きな代償を払わなければならなくなりますから、深追いはしませんでした。

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【撮影】11時43分=伊藤 幸司=196

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【撮影】11時44分=伊藤 幸司=197

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【撮影】11時45分=伊藤 幸司=198

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【撮影】11時45分=伊藤 幸司=199

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【撮影】11時46分=伊藤 幸司=200

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【撮影】11時47分=伊藤 幸司=202

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【撮影】11時49分=伊藤 幸司=205

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【撮影】11時49分=伊藤 幸司=206

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【撮影】11時49分=伊藤 幸司=207

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【撮影】11時50分=伊藤 幸司=208

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【撮影】11時50分=伊藤 幸司=209

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【撮影】11時50分=伊藤 幸司=210

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【撮影】11時50分=伊藤 幸司=211
入山峠で八王子市とあきる野市に分かれる林道は東に下ると醍醐川に沿って八王子市街に下っていきます。東に下ると本堀川から秋川へと流れ出て、沢戸橋から武蔵五日市駅へと出られるというのです。どちらの道も歩いて面白いかどうか、わかりませんが。

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【撮影】11時51分=伊藤 幸司=212
入山峠の、ヘアピンカーブのところで切断された尾根道への登り口がありました。先行きに対する不吉な予感がありましたかね。みなさんの表情には。ここでは全員がダブルストックを出していますが、もともとこの中には「ダブルストックは下りだけ」という人もいますから、刈寄山から下るときに「フル装備」にしたという感じかもしれません。

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【撮影】11時51分=伊藤 幸司=213

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【撮影】11時52分=伊藤 幸司=215

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【撮影】11時53分=伊藤 幸司=217

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【撮影】11時54分=伊藤 幸司=219

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【撮影】11時54分=伊藤 幸司=220

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【撮影】11時55分=伊藤 幸司=221
なんでこんな写真を撮っているかというと、10時57分の写真と一緒です。首都圏の山では展望がきかないかわりに、驚くほどたくさんの高圧送電線をくぐります。尾根筋の道ではその鉄塔自体をくぐることも多々あります。そして、その高圧送電線が国土地理院の紙の地形図にかなりしっかりと示されていたので、「現在位置を地形図で確定できるポイント」になるのです。先を急いで地形図で確認などしていられない場合でも、ここでこんな写真でも撮っておくと、写真の方に撮影時刻が記録されているので、地形図のどの地点に何時何分にいたかがわかります。地形図なんて持ってないという場合でも、スマホの電波が通じるところなら「地理院地図」を開くことが可能です。たとえば遭難状態になったときでも、送電線鉄塔のその位置から何分ぐらいのところ、というだけでかなり正確な情報になります。
ただし……日本の電力会社は送電線情報を出すのを渋っていて、近年、全部の送電線が地図にのっているとは考えることができなくなっています。

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【撮影】11時58分=伊藤 幸司=223
楽しい道ですね。若干下り気味の平坦な道で、直線的でもなければ蛇行というほどでもない。右側が植林地で左側が自然林(たぶん昔は生活に関わっていた雑木林)ですから眺めも単調ではありません。



12:00

1200ごろ_「入山峠」という手書き文字のある道標。頭上に送電線があるので、ここが地理院地図の「入山峠」(標高約550m)
1220ごろ_「市道山3.5km←→刈寄山1.6km」の道標に対して左に進むと「鳥切場を経て市道山」という表示。私たちは直進(たぶん標高約580m)
1225ごろ_ピーク(標高約620m)のピークを超えずに巻道に逃げたら「ここが鳥切場」と手書きで加えられた道標に。そのまま下れば「森久保・関場バス停」へ、戻りつついま来たピークの巻道に入れば「市道山」へ(標高約600m)
・700m級のピークを次々に超える縦走路になる
────1305ごろ_「市道山2.6km←→鳥切場0.8km、刈寄山2.5km」という道標



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【撮影】12時00分=伊藤 幸司=225

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【撮影】12時01分=伊藤 幸司=227

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【撮影】12時02分=伊藤 幸司=230

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【撮影】12時03分=伊藤 幸司=233

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【撮影】12時05分=伊藤 幸司=234

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【撮影】12時05分=伊藤 幸司=235

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【撮影】12時07分=伊藤 幸司=238

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【撮影】12時07分=伊藤 幸司=240

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【撮影】12時07分=伊藤 幸司=241

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【撮影】12時08分=伊藤 幸司=242

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【撮影】12時11分=伊藤 幸司=243

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【撮影】12時12分=伊藤 幸司=246

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【撮影】12時12分=伊藤 幸司=247

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【撮影】12時15分=伊藤 幸司=249

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【撮影】12時18分=伊藤 幸司=252
あとできちんと調べてみると、この分岐で左の道をとると「鳥切場を経て市道山、森久保・関場バス停」となり、直進すると「市道山・臼杵山」となるのだそうですが、どちらの道をとっても私たちが向かっている市道山には通じている……というわけでトップの人がどちらを選択するかと見ていたら直進して「市道山3.5km←→刈寄山1.6km」を選びました。
じつはその鳥切場(とっきりば)というのがふしぎな魅力をもったコトバらしく、なんだか重要な地点というふうに記憶されるんですね。故事来歴を調べようとしましたが、わかりません。
この場合の「常識的判断はどちらかな?」と後で考えてみたのですが、一般論としては直線的に「ひと山越える」道と、巻道という構造でしょうか。今回は巻道の選択がOKですから、まっすぐ登るのを見て「オオ元気!」と思ったのですが、トップの人は「鳥切場」という意味ありげなコトバを敬遠したのかもしれません。私は「鳥切場」をパスするので、ちょっと残念だと思いました。

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【撮影】12時18分=伊藤 幸司=253

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【撮影】12時18分=伊藤 幸司=254

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【撮影】12時20分=伊藤 幸司=258

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【撮影】12時23分=伊藤 幸司=259

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【撮影】12時26分=伊藤 幸司=261

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【撮影】12時27分=伊藤 幸司=263

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【撮影】12時27分=伊藤 幸司=264
鳥切場にいかずに次の市道山に向かって眼前の小ピークに立ち向かった私たちでしたが、10分後には「ここが鳥切場」というところに居て、休憩をしたのです。どうしてか、というと、標高差40mほどの小ピークを登り切る前に、次の巻道が登場して、そちらに逃げたら「鳥切場」に出てしまいました。
あとで調べてみると、高尾駅から出ている陣馬高原下行きバスが通っている陣馬街道の方向に下っていくのですね。入山峠から「醍醐」へと下る林道まですぐなので、それがかなりの近道にもなりそうです。「鳥切場」はそういう意味で、戸倉三山の真ん中あたりに「夕やけ小やけ」の恩方へと逃げられる地点として重宝されているのかもしれません。

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【撮影】12時43分=伊藤 幸司=265

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【撮影】12時45分=伊藤 幸司=266

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【撮影】12時45分=伊藤 幸司=267

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【撮影】12時45分=伊藤 幸司=268

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【撮影】12時46分=伊藤 幸司=269

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【撮影】12時47分=伊藤 幸司=270

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【撮影】12時47分=伊藤 幸司=271

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【撮影】12時47分=伊藤 幸司=273
鳥切場から、さきほど登りきらなかった約620mの小ピークを巻く道にはいりました。5分ほど先にこの道標があって、その支柱には「右・弾左衛門の峰」と手書きされていました。たぶん地図上の標高669mのピークでしょう。

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【撮影】12時47分=伊藤 幸司=274

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【撮影】12時50分=伊藤 幸司=276

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【撮影】12時53分=伊藤 幸司=279

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【撮影】12時53分=伊藤 幸司=280

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【撮影】12時53分=伊藤 幸司=281

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【撮影】12時55分=伊藤 幸司=282

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【撮影】12時56分=伊藤 幸司=286

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【撮影】12時56分=伊藤 幸司=287

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【撮影】12時57分=伊藤 幸司=288

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【撮影】12時57分=伊藤 幸司=289

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【撮影】12時57分=伊藤 幸司=290

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【撮影】12時57分=伊藤 幸司=291



13:00

────1225ごろ_ピーク(標高約620m)のピークを超えずに巻道に逃げたら「ここが鳥切場」と手書きで加えられた道標に。そのまま下れば「森久保・関場バス停」へ、戻りつついま来たピークの巻道に入れば「市道山」へ(標高約600m)
・700m級のピークを次々に超える縦走路になる
1305ごろ_「市道山2.6km←→鳥切場0.8km、刈寄山2.5km」という道標
1320-25ごろ_休憩(標高約720m)
1345ごろ_「市道山1.6km←→鳥切場1.8km、刈寄山3.5km」という道標
・「日本山岳耐久レース10km地点」という標識があり、そこには「鳥屋戸720m」と手書き文字
────1430ごろ_「市道山0.1km←→鳥切場3.3km、刈寄山5.0km」という道標。さらに分岐方向として「和田峠4.5km・陣馬山5.2km」



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【撮影】13時00分=伊藤 幸司=293

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【撮影】13時03分=伊藤 幸司=296

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【撮影】13時04分=伊藤 幸司=298

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【撮影】13時06分=伊藤 幸司=300
鳥切場から20分ほどでこの道標がありました。鳥切場から0.8kmですから時速にすると約2.5km、快調な巻道でした。しかしここから標高700m前後のピークが並んで律儀にアップダウンを繰り返す消耗戦になるのです。

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【撮影】13時08分=伊藤 幸司=302

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【撮影】13時10分=伊藤 幸司=304

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【撮影】13時11分=伊藤 幸司=305

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【撮影】13時13分=伊藤 幸司=307

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【撮影】13時20分=伊藤 幸司=310

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【撮影】13時26分=伊藤 幸司=313

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【撮影】13時29分=伊藤 幸司=314

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【撮影】13時31分=伊藤 幸司=315

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【撮影】13時32分=伊藤 幸司=317

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【撮影】13時35分=伊藤 幸司=321

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【撮影】13時36分=伊藤 幸司=322

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【撮影】13時37分=伊藤 幸司=323

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【撮影】13時40分=伊藤 幸司=324

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【撮影】13時43分=伊藤 幸司=325

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【撮影】13時44分=伊藤 幸司=326

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【撮影】13時45分=伊藤 幸司=327

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【撮影】13時45分=伊藤 幸司=328

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【撮影】13時49分=伊藤 幸司=330

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【撮影】13時50分=伊藤 幸司=332

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【撮影】13時52分=伊藤 幸司=336

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【撮影】13時54分=伊藤 幸司=338



14:00

────1345ごろ_「市道山1.6km←→鳥切場1.8km、刈寄山3.5km」という道標
・「日本山岳耐久レース10km地点」という標識があり、そこには「鳥屋戸720m」と手書き文字
1430ごろ_「市道山0.1km←→鳥切場3.3km、刈寄山5.0km」という道標。さらに分岐方向として「和田峠4.5km・陣馬山5.2km」
・並んで「日本山岳耐久レース11.7km地点」という標識があり「市道山分岐775m」と
1440-50ごろ_市道山(標高=795m)
1455ごろ_「笹平(ささだいら)」への下山路分岐の道標(標高約790m)
────1525ごろ_広大な森林伐採現場に出る(標高約0m)



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【撮影】14時02分=伊藤 幸司=340

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【撮影】14時02分=伊藤 幸司=341

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【撮影】14時05分=伊藤 幸司=346

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【撮影】14時08分=伊藤 幸司=350

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【撮影】14時08分=伊藤 幸司=351

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【撮影】14時17分=伊藤 幸司=353

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【撮影】14時17分=伊藤 幸司=354

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【撮影】14時23分=伊藤 幸司=355

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【撮影】14時23分=伊藤 幸司=356

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【撮影】14時24分=伊藤 幸司=357

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【撮影】14時25分=伊藤 幸司=358

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【撮影】14時29分=伊藤 幸司=359

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【撮影】14時33分=伊藤 幸司=361
この「市道山分岐」は標高=795mの山頂まであと一息というところ。道標には「市道山0.1km」とありました。

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【撮影】14時33分=伊藤 幸司=362

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【撮影】14時34分=伊藤 幸司=363

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【撮影】14時38分=伊藤 幸司=365

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【撮影】14時38分=伊藤 幸司=366

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【撮影】14時38分=伊藤 幸司=367

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【撮影】14時41分=伊藤 幸司=368

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【撮影】14時48分=伊藤 幸司=369
Kさんが新しい靴を履いてきました。アルトラというトレイルランニング・シューズでアメリカからの新しい風のようです。オフロードを高速で走りたいという人のための最新機能が詰まっているようです。2万円はするみたいですから私の関心域からははみ出していますが、足を濡らしたくないという(ただそれだけ)のために高価で足を過保護にする「登山靴」やら「軽登山靴」「トレッキングシューズ」に頼っている人たちには(不安を感じさせない範囲内で)是非はいてみていただきたい靴だと直感しました。モンブランにいくだけの登山技術を長野県の(ほぼ公的な)技術講習会に何度も参加して獲得した人であり、百名山は車で家を出て単独行だったというKさんがなぜこの靴を買ったかというと、その新しい価値にではなく「私の足に合う小さいサイズがあったから」ということでした。
さて、私が初参加の人に絶対に勧めたい「アシックスかミズノの1万円以下のトレーニング用のランニングシューズ」についてはこれから何度も書きたいのでここでは触れませんが、初心者に(高価ながら)足を守ってくれる靴を選択・紹介してくれる立場の人の、この靴の初体験レポートがありました。YAMAP STOREの「大人の登山者にふさわしい、高級SUVのよう」2つのALTRA新作シューズをひげ隊長がレビューでです。
それによると────トレランシューズみたいに水抜けがよくて、乾きがいいと、水と友達になった方がかえっていいじゃん。完全防水よりも、こっちの方が全天候なのかもって思っちゃうくらい。────とか、
────「トレランシューズなんか履かない」という気持ちでいたけど、アルトラに出会って、シューズの進化には本当に驚いた。何度もいうけれど、20代の頃の足取りを思い出すほどだったから。初めて『ローンピーク4.0』を履いたとき、「時代は変わったんだなぁ…」としみじみ思った。もう令和なんだから、技術が進んでないはずがないよね。「使わず嫌い」はもったいない。今までトレランシューズを毛嫌いしてた昭和のおじさんが言うんだから間違いない(笑)。────などと語っています。

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【撮影】14時50分=伊藤 幸司=370

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【撮影】14時50分=伊藤 幸司=371

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【撮影】14時52分=伊藤 幸司=372

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【撮影】14時52分=伊藤 幸司=373

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【撮影】14時53分=伊藤 幸司=374

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【撮影】14時54分=伊藤 幸司=376

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【撮影】14時54分=伊藤 幸司=377

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【撮影】14時55分=伊藤 幸司=378

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【撮影】14時56分=伊藤 幸司=379

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【撮影】14時57分=伊藤 幸司=380

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【撮影】14時57分=伊藤 幸司=381

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【撮影】14時57分=伊藤 幸司=382

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【撮影】14時58分=伊藤 幸司=383



15:00

────1455ごろ_「笹平(ささだいら)」への下山路分岐の道標(標高約790m)
1525ごろ_広大な森林伐採現場に出る(標高約0m)
1545-50ごろ_森林伐採の最上部で休憩_(標高約720m)
────1635-45ごろ_臼杵山(標高=842m)



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【撮影】15時00分=伊藤 幸司=385
この、「フタバ」という森林所有者のマークが、このあたりからず〜っと出てきました。首都圏のスギ・ヒノキの樹林がお化け屋敷状態だったときにはあまり見なかった所有者印が目立つようになったのは、植林地の価値が高くなってきたということとつながっているのでしょうか。私が登山道脇の「事業名:森林再生間伐事業」の立て札をとりあえず写真に撮るようにし始めたのも、首都圏のスギ・ヒノキ林がきれいになったことと深く関係していると感じるからです。でも……林業用の色テープがあちこちにつけられて、私たちの「10分交代トップ」がときにとんでもない方向に進もうとしたり、するようにもなりました。

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【撮影】15時01分=伊藤 幸司=387

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【撮影】15時01分=伊藤 幸司=388

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【撮影】15時04分=伊藤 幸司=389
「東京都森林組合」という名前が出てきました。なんと東京都で唯一の森林組合なんですね。奥多摩の森林が変貌してきた流れのなかには、2002年に八王子市、青梅市、あきる野市、日の出町、檜原村、奥多摩町の森林組合が合併して、森林の維持・育成のほか、たとえば森林経営効率化支援事業として「境界の確認、測量」などをする場合に「都からの補助金を受けられるため、森林所有者の費用負担はありません」とのこと、など、などが。

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【撮影】15時05分=伊藤 幸司=392

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【撮影】15時06分=伊藤 幸司=393

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【撮影】15時06分=伊藤 幸司=395

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【撮影】15時10分=伊藤 幸司=399

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【撮影】15時10分=伊藤 幸司=401

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【撮影】15時11分=伊藤 幸司=402

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【撮影】15時13分=伊藤 幸司=404

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【撮影】15時16分=伊藤 幸司=408

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【撮影】15時16分=伊藤 幸司=409

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【撮影】15時22分=伊藤 幸司=411

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【撮影】15時22分=伊藤 幸司=412

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【撮影】15時23分=伊藤 幸司=415

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【撮影】15時25分=伊藤 幸司=418
市道山から30分ほどでこの広大な伐採地に出ました。

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【撮影】15時25分=伊藤 幸司=420

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【撮影】15時25分=伊藤 幸司=422

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【撮影】15時26分=伊藤 幸司=425

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【撮影】15時27分=伊藤 幸司=428

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【撮影】15時27分=伊藤 幸司=429

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【撮影】15時31分=伊藤 幸司=430

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【撮影】15時32分=伊藤 幸司=432

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【撮影】15時33分=伊藤 幸司=435

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【撮影】15時35分=伊藤 幸司=438

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【撮影】15時36分=伊藤 幸司=440

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【撮影】15時40分=伊藤 幸司=443

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【撮影】15時43分=伊藤 幸司=445

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【撮影】15時43分=伊藤 幸司=446

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【撮影】15時46分=伊藤 幸司=447

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【撮影】15時47分=伊藤 幸司=449

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【撮影】15時51分=伊藤 幸司=450

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【撮影】15時52分=伊藤 幸司=451

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【撮影】15時58分=伊藤 幸司=457



16:00

────1545-50ごろ_森林伐採の最上部で休憩_(標高約720m)
1635-45ごろ_臼杵山(標高=842m)
1650ごろ_元郷バス停と荷田子(にたご)バス停への分岐(標高約840m)
・計画書では元郷バスに下るとしたけれど、荷田子に向かう「グミ尾根」を選択する可能性もある、としていました。私が未体験のため、行動の終盤に問題がなければ試みたいと考えていました。
1710ごろ「←荷田子峠・城山」という標識。標高=737mピークのところか?



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【撮影】16時01分=伊藤 幸司=459

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【撮影】16時01分=伊藤 幸司=460

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【撮影】16時04分=伊藤 幸司=464

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【撮影】16時05分=伊藤 幸司=467

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【撮影】16時06分=伊藤 幸司=470

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【撮影】16時08分=伊藤 幸司=471

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【撮影】16時11分=伊藤 幸司=473

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【撮影】16時12分=伊藤 幸司=475

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【撮影】16時13分=伊藤 幸司=478

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【撮影】16時15分=伊藤 幸司=479

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【撮影】16時16分=伊藤 幸司=481

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【撮影】16時17分=伊藤 幸司=483

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【撮影】16時19分=伊藤 幸司=484

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【撮影】16時22分=伊藤 幸司=487

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【撮影】16時29分=伊藤 幸司=493

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【撮影】16時33分=伊藤 幸司=496

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【撮影】16時34分=伊藤 幸司=497

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【撮影】16時34分=伊藤 幸司=498

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【撮影】16時41分=伊藤 幸司=499

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【撮影】16時44分=伊藤 幸司=501

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【撮影】16時44分=伊藤 幸司=503

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【撮影】16時48分=伊藤 幸司=505

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【撮影】16時49分=伊藤 幸司=506
臼杵山のすぐ先で道は2つに分かれます。左に行けば「元郷バス停」、右に行けば「荷田子(にたご)峠・(戸倉)城山」となっています。計画書では元郷バス停へ下るとしていましたが、同時に「臼杵山からはグミ尾根をたどって荷田子バス停へ(18パワー)と下るかもしれません。」と書きました。この日の日没は18時58分でしたからまだ2時間先でしかも日没後30分は樹林の中でも無灯火で問題なく歩けます。計画書での臼杵山到着が16時30分できたから、行動は(休憩時間も含めて)計算どおりだったし、メンバーの調子もまだ不安を感じませんでした。じつは私には荷田子峠までの「グミ尾根」と名付けられたこの部分が未経験、問題なしならぜひこの機会に歩いておきたいと考えていたのです。だから、そうすることに決めました。

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【撮影】16時51分=伊藤 幸司=507

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【撮影】16時56分=伊藤 幸司=511

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【撮影】16時58分=伊藤 幸司=513

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【撮影】16時59分=伊藤 幸司=514



17:00

1650ごろ_元郷バス停と荷田子(にたご)バス停への分岐(標高約840m)
・計画書では元郷バスに下るとしたけれど、荷田子に向かう「グミ尾根」を選択する可能性もある、としていました。私が未体験のため、行動の終盤に問題がなければ試みたいと考えていました。
1710ごろ「←荷田子峠・城山」という標識。標高=737mピークのところか?
1725ごろ_「戸倉山茱莄(ぐみ)御前」という石碑(標高約620m)のところから本格的な下りに
────1810-20_荷田子峠で休憩(標高約400m)



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【撮影】17時07分=伊藤 幸司=517

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【撮影】17時08分=伊藤 幸司=518

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【撮影】17時10分=伊藤 幸司=520

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【撮影】17時11分=伊藤 幸司=521

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【撮影】17時11分=伊藤 幸司=522

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【撮影】17時12分=伊藤 幸司=523

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【撮影】17時12分=伊藤 幸司=524

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【撮影】17時13分=伊藤 幸司=525

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【撮影】17時13分=伊藤 幸司=526

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【撮影】17時16分=伊藤 幸司=528

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【撮影】17時17分=伊藤 幸司=530

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【撮影】17時17分=伊藤 幸司=531

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【撮影】17時20分=伊藤 幸司=533

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【撮影】17時24分=伊藤 幸司=535

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【撮影】17時24分=伊藤 幸司=536

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【撮影】17時25分=伊藤 幸司=539

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【撮影】17時26分=伊藤 幸司=540

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【撮影】17時27分=伊藤 幸司=542

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【撮影】17時27分=伊藤 幸司=543

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【撮影】17時30分=伊藤 幸司=545

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【撮影】17時32分=伊藤 幸司=547

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【撮影】17時36分=伊藤 幸司=579

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【撮影】17時37分=伊藤 幸司=551

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【撮影】17時37分=伊藤 幸司=552

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【撮影】17時39分=伊藤 幸司=554
「戸倉山茱莄(ぐみ)御前」という石碑が標高約620mのところにありました。この「茱莄(ぐみ)御前」については、ネット上でもまだ調べられていません。
たしか大岳山から馬頭刈尾根を下ったとき、山旅図鑑の「ま・馬頭刈尾根(2023.3.16)」で「光明山」にかかわる疑問を解こうとしたときに「郷土の古文書・その31…乙津村「字高嶽」誤謬訂正願」という古文書をネット上に見つけました。
そこでこう書いたのです
────日本の村は時代を経るごとに合併を繰り返して、江戸時代にあった村(のちに小字や大字となったもの)にまでさかのぼるような「郷土の歴史」はローカルな保存体制でかろうじて生き延びている状態だと思うのです。それをコピーするのに近い手間でWebサイトに放り込んでいただければ、どこからでもアクセスでき、必要部分を探し出すのも驚異的に簡単、なんですよね。日立ソリューションズの説明を見ると、CMSの中規模サイトで数千~数万ページ程度、大規模サイトとなると数万ページ以上を想定しているというのです。全国の無数の郷土史がWeb空間でつながったら、日本人の生活の歴史はもっと分厚いものになるんじゃないかと思ったのです。────

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【撮影】17時40分=伊藤 幸司=555

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【撮影】17時49分=伊藤 幸司=559

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【撮影】17時50分=伊藤 幸司=562

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【撮影】17時51分=伊藤 幸司=563

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【撮影】17時56分=伊藤 幸司=566



18:00

────1725ごろ_「戸倉山茱莄(ぐみ)御前」という石碑(標高約620m)のところから本格的な下りに
1810-20_荷田子峠で休憩(標高約400m)
1840ごろ_荷田子集落に出る(標高約250m)
1855ごろ_瀬音の湯(標高約230m)
────・入浴・食事



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【撮影】18時06分=伊藤 幸司=573

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【撮影】18時08分=伊藤 幸司=577

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【撮影】18時20分=伊藤 幸司=579
荷田子峠で10分間休憩しました。峠からの下りの最初に(記憶では)それなりに急な斜面があったと記憶していたからです。みなさんダブルストックを使えば男性のベテラン登山者と同等の技量ですから心配はしていませんし、疲労度も見えません。注意力が散漫になっていたりすると、やっかいなことにもなりかねませんが、日の入りまでまだ30分以上ありますから、急ぐことはないのです。

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【撮影】18時21分=伊藤 幸司=582

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【撮影】18時24分=伊藤 幸司=591

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【撮影】18時26分=伊藤 幸司=598

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【撮影】18時27分=伊藤 幸司=600
下り始めるとすぐに、私たちは落日の光を浴びることになりました。すばらしい光のシャワー、の中を下りました。

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【撮影】18時37分=伊藤 幸司=606

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【撮影】18時38分=伊藤 幸司=608
なかば壊れた電気柵をくぐって、下山は終了したのです。

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【撮影】18時38分=伊藤 幸司=609

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【撮影】18時39分=伊藤 幸司=610

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【撮影】18時42分=伊藤 幸司=611

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【撮影】18時56分=伊藤 幸司=615
日没時刻に、瀬音の湯に到着しました。正面に見えているのが、荷田子峠で下りなければその先にあった戸倉・城山(434m)です。次回の「今熊山(505m)」では戸倉三山とは逆に、金剛の滝に下って、そこからあの城山に登って、またこの瀬音の湯に下って来る予定です。



19:00
20:00

────1855ごろ_瀬音の湯(標高約230m)
・入浴・食事
・2037・瀬音の湯発のバスでJR武蔵五日市駅へ
・2052・JR武蔵五日市駅始発の立川行き電車で帰途へ



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【撮影】19時56分=伊藤 幸司=617

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【撮影】20時24分=伊藤 幸司=622

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【撮影】20時36分=伊藤 幸司=623

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【撮影】20時52分=伊藤 幸司=624



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