コースタイム写真
パノラマ台(1,328m)
2024.9.3
■コーチのひとこと・ふたこと
■写真参加──矢野 博子、
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【計画書から】────「地理院地図」を使用しています
◆糸の会【1316】
◆パノラマ台
ぱのらまだい────1,328m
えぼしだけ(烏帽子岳)────1,257m
登り12p→稜線4p→下り11p────27パワー
日の出0519、日の入1810────9.3山梨県で
◆富士急行線・河口湖駅から────2024.9.3(火)実施
◆集合
●9.3(火)
*JR・富士急行直通特急「富士回遊3号」はあずさ3号に接続している1〜3号車です
*席が取れたら、一応2号車に集結ということで
◆ポイント
*一番軽いルートにしてあります。
*基本計画としては、入浴は都留市駅の「より道の湯」、食事は大月駅の濱野屋のつもりです。
*大月駅で千葉行きの「あずさ50号」に乗るつもりですが、早く帰りたい方はどこからでもどうぞ。
*もちろん「あずさ50号」に乗れないという場合もないとはかぎりません。「計画」は「心づもり」かもしれません。
◆往路
*0730新宿(JR特急・富士回遊3号・河口湖行)────0928河口湖
(0638千葉始発→0653船橋→0708錦糸町→0730新宿→0752立川→0802八王子→0830大月0840→0928河口湖)
0935河口湖駅始発(本栖湖行きバス)────1023パノラマ台下
◆現地行動
1030ごろ_パノラマ台下を出発────登り12パワーを1時間半として
1200ごろ_パノラマ台────稜線4パワーを30分として
1230ごろ_烏帽子岳────下り11パワーを1時間半として
1400ごろ_本栖湖
*入浴は都留市駅の「より道の湯」、食事は大月駅の濱野屋のつもりです
……が、場合によっては河口湖駅前の河口湖ステーションインでの入浴も
◆帰路参考
*バス(本栖湖→河口湖駅)
1325→1412、1446→1545、1525→1612、1525→1612、1646→1745
*富士急行線(河口湖→都留市→大月)
1424河口湖→1501都留市→1516大月
(富士回遊)1455河口湖→1557大月→1657新宿
1518河口湖→1606都留市→1621大月
(富士急特急)1539河口湖→1627大月
(富士回遊)1539河口湖→1629大月→1744新宿
1556河口湖→1634都留市→1650大月
(富士急特急)1610河口湖→1705大月
1628河口湖→1706都留市→1722大月
(富士回遊)1642河口湖→1745大月→1845新宿
1700河口湖→1740都留市→1758大月
(富士回遊)1733河口湖→1830大月→1931新宿
★あずさ50号に乗れるケースは
富士急行線……1750河口湖→1827都留市→1842大月
あずさ50号……1905大月→1933八王子→1941立川→2008新宿→2050千葉
*河口湖駅からは、このほかに高速バスがいろいろ出ています。
【行動記録から】
★最寄り駅は富士急行線・河口湖駅
・0935河口湖駅始発(本栖湖行きバス)────1023パノラマ台下
1045ごろ_パノラマ台下バス停を出発(標高約910m)
1110-15ごろ_休憩(標高約1,040m)24℃
1120-25ごろ_展望休憩(標高約1,100m)
1155ごろ_根子峠(三方分山方面分岐・標高約1,230m)
1215-45ごろ_パノラマ台で富士山の出現待ち休憩(標高=1,328m)
1315-30ごろ_烏帽子岳で富士山の出現待ち休憩(標高=1,257m)
・下山路のキノコ群
1400-05ごろ_雨具準備
1415ごろ_国道「本栖みち」に出る(標高=914m)
1430ごろ_本栖湖観光案内所バス停に到着・トイレあり(標高約910m)
・1446本栖湖観光案内所始発(河口湖駅行きバス)────1545河口湖駅
・1556河口湖始発(富士急行・大月行き)────1634都留市
・「寄り道の湯」で入浴・食事
・1827都留市(富士急行・大月行き)────1842大月
・長野県内での大雨により、松本始発の千葉行き「あずさ50号」(大月発1905)が茅野駅で停車中とのこと。甲府始発の特急「かいじ」や普通列車は通常運転とわかり、みなさん順次帰途へ。
・なおこれが「中央線高尾〜大月間降雨に伴う運転中止」であったら、私たちは大月駅で難民状態に陥っているところでした。
09:00
★最寄り駅は富士急行線・河口湖駅
・0935河口湖駅始発(本栖湖行きバス)────1023パノラマ台下
【撮影】09時18分=伊藤 幸司=004
これは富士急行線の富士山駅(以前の富士吉田駅)。ホームから富士山が見えるはずなんですね。
【撮影】09時22分=伊藤 幸司=005
【撮影】09時37分=伊藤 幸司=009
バスが河口湖駅を出ることろが、雨が一番激しかったのではないでしょうか。
ちなみに、今回も出発ギリギリ時刻にバス停さがしで右往左往しました。本栖湖へ行くバスは本数がかなりあるのですが、JR新富士駅や下部温泉郷行きバスのほかに本栖湖行きバスと「周遊バス・本栖湖行き」とがあるんですね。私たちに都合の良いバスはその「周遊バス・本栖湖行き」(あるいは「鳴沢・精進湖・本栖湖周遊バス」)で「ブルーライン」と呼ばれていて、改札口を出た瞬間にぶつかる、というところにあったのです。いつだったか、前回も、それを見過ごして「本栖湖方面」のバス停に直行したら、ないんですね、乗りたいバスが。そのときの右往左往も、出発時刻ぎりぎりに停まっていたバスに聞くと「行きますよ」ということで、今回もまったく同じドタバタになりました。私が悪かったんでしょうね、きっと。雨の中で。
なお、駅前のバスターミナルを出たところの温度計では「気温22.8℃」でした。
【撮影】09時58分=矢野 博子=
【撮影】09時58分=矢野 博子=30341
10:00
────・0935河口湖駅始発(本栖湖行きバス)────1023パノラマ台下
1045ごろ_パノラマ台下バス停を出発(標高約910m)
────1110-15ごろ_休憩(標高約1,040m)24℃
【撮影】10時10分=伊藤 幸司=012
【撮影】10時20分=伊藤 幸司=013
【撮影】10時27分=伊藤 幸司=014
「パノラマ台下」バス停で下車すると、この天気。雨雲がやってくるかもしれないと思う一方、急激に暑くなるかもしれないという両面対策。まあ、雨具をザックからすぐ取り出せるようにしておく、というのが基本でしょうかね。私は雨が降るとカメラのレンズに雨粒がつかないように(撮影用具として)カサを持つのが基本なので、ザックカバーをつければよりよく、雨具のズボンを履けばさらに強固になります。ただし登山用ズボンは濡れてもあっという間に乾くので、濡らしたくないのはポケット(の中身)とパンツだけです。ですから夏には古い雨具のズボンを切った短パンを用意しています。
ただ、皆さんの場合、ダブルストックなのでカサを持てません。そこで雨対策は雨具をつけるか、つけないかというおおきな判断になるようです。そこで登場するのがザックごとかぶるポンチョで、昔のようなそれ一本ということではく、軽い雨対応の自転車用ポンチョみたいなものでいいものが出てきているようです。夏の雨では「雨で濡れずに汗で濡れる」という危険も避けなくてならないので、いろいろな考え方が出てきます。
ちなみに、一時期、ストックを1本にしてカサをもっと活用しようという試みにしました(一部の地域では「カサを指しながらの登山は危険」と指摘されましたが、それよりも、ストックを1本で使うとなると、トラバースでは「谷側」の手で使うことになります。すると、みなさん、ダブルストックを右手と左手でフィフティ・フィフティで使えてないんですね。平均的に見て「利き手で8割」。そういう人のストックさばきはダブルで使っているときにもほぼ、わかりますけれどね。せいぜい6対4ぐらいかなと思っていたのですが……。でカサをさすためにストック1本というのはかえって危険だと思うようになりました。
【撮影】10時28分=伊藤 幸司=015
【撮影】10時28分=伊藤 幸司=016
【撮影】10時35分=伊藤 幸司=018
【撮影】10時35分=伊藤 幸司=019
【撮影】10時35分=伊藤 幸司=020
【撮影】10時44分=伊藤 幸司=021
【撮影】10時44分=伊藤 幸司=022
【撮影】10時44分=伊藤 幸司=023
【撮影】10時49分=伊藤 幸司=026
【撮影】10時51分=伊藤 幸司=027
【撮影】10時55分=伊藤 幸司=029
【撮影】10時59分=伊藤 幸司=032
11:00
────1045ごろ_パノラマ台下バス停を出発(標高約910m)
1110-15ごろ_休憩(標高約1,040m)24℃
1120-25ごろ_展望休憩(標高約1,100m)
1155ごろ_根子峠(三方分山方面分岐・標高約1,230m)
────1215-45ごろ_パノラマ台で富士山の出現待ち休憩(標高=1,328m)
【撮影】11時00分=伊藤 幸司=035
【撮影】11時06分=江面 正子=00
【撮影】11時06分=伊藤 幸司=037
【撮影】11時06分=伊藤 幸司=038
【撮影】11時07分=伊藤 幸司=039
【撮影】11時07分=伊藤 幸司=040
【撮影】11時07分=伊藤 幸司=041
【撮影】11時08分=伊藤 幸司=042
歩きだして30分近くなるとカラダが熱くなってきますから雨具が負担になります。脱ぎたい欲求を叶える休憩となりました。
【撮影】11時13分=伊藤 幸司=043
【撮影】11時19分=伊藤 幸司=045
【撮影】11時21分=伊藤 幸司=046
【撮影】11時21分=伊藤 幸司=048
【撮影】11時21分=伊藤 幸司=049
【撮影】11時23分=伊藤 幸司=051
【撮影】11時24分=伊藤 幸司=052
さすがに、雨雲がちぎれて、こちらにやってくる、というような危険な状態ではないという感じになりました。10分ほど前の休憩は「雨具調整」、これは「展望休憩」でした。糸の会ではいまや先頭の「(約)10分交代制」が基本となっていて、「水飲み休憩」とされる「5分休憩」はトップの人が決められます。ここではその「5分休憩」が「展望休憩」として設定されました。
でも休憩をみなさんが自由にできるというのではなくて、リーダーとしての伊藤のもっとも重要な決定が「10分休憩」となっています。「1時間に10分」などといわれる休憩もそうですが、糸の会では「昼食休憩」はなくなっていて、標準的には「コンビニのおにぎり」を1個ずつ、「10分休憩で食べる」という感じです。その「10分休憩」には他の目的もあって、調子の出ない人がいたりすると、その「10分」がすこし伸ばされたりするのです。もちろんそれもリーダー特権としての私の仕事で、休憩のとり方で、全体のペースをできるだけうまく維持しようと考えているのです。そううまくいくとはいえませんけれど、わたしはそれを危機管理的な観点からだいじにしているのです。休憩時のこの雰囲気、なんとなくいいですね。だから、もちろん、口出しはしませんでした。
【撮影】11時27分=伊藤 幸司=054
【撮影】11時28分=伊藤 幸司=055
【撮影】11時31分=伊藤 幸司=056
【撮影】11時33分=伊藤 幸司=057
【撮影】11時33分=伊藤 幸司=058
【撮影】11時36分=伊藤 幸司=059
【撮影】11時43分=伊藤 幸司=065
【撮影】11時46分=伊藤 幸司=067
【撮影】11時46分=伊藤 幸司=068
何年前かわかりませんが、小規模な土砂崩れがあって登山道が崩壊したんでしょうね。それでかなり立派な土留めをしたんですね、まるで橋をかけたかのように。
道は問題なく通れるのでいいのですが、この「土留め橋」を作ったときの気合はたいしたものですね。何年でこうなるかということは「土留め橋」そのものの寿命というより、いつ次の土砂崩れがあるかによるのだろうと思うのです。どのときにここはどんなふうに整備されるのだろうか、と想像しながら渡りました。
【撮影】11時47分=伊藤 幸司=070
【撮影】11時48分=伊藤 幸司=072
【撮影】11時49分=伊藤 幸司=073
【撮影】11時52分=伊藤 幸司=074
【撮影】11時52分=伊藤 幸司=075
【撮影】11時52分=伊藤 幸司=076
【撮影】11時52分=伊藤 幸司=077
【撮影】11時56分=伊藤 幸司=079
【撮影】11時56分=伊藤 幸司=080
稜線に出ると、そこは「根子峠」と名付けられているようです。私たちは左手の「パノラマ台」に向かいますが、右手に行くと「三ツ沢峠」とあります。峠の名前はどちらもローカルな名前ですから地図をみないとわかりませんが、誰かが補助的につけた表示には「三方分山」とあります「さんぽうぶんざん」と読むとなるとなにか深い意味がありそうですが、どうなんですかね。以前、本栖湖からパノラマ台に登って、ここから三方分山まで行って精進湖の精進に下りましたが、その山は昔、精進村、古関村、八坂村の境界だったとか。
そしてその山(1,422m)の妙な名前と出会ったのは糸の会で山歩きのプランを立て始めたころ、三ッ峠山(1,785m)から御坂山、黒岳、十二ヶ岳、節刀ヶ岳、鬼ヶ岳、王岳(1,623m)と続く御坂山地が河口湖〜西湖〜精進湖という富士山の溶岩流が作り出した湖の縁をたどって、この山に行き着き、そこから尻尾を振るように、パノラマ台〜烏帽子岳という尻尾が本栖湖へと下っていく、というふうに見え始めたのです。
12:00
────1155ごろ_根子峠(三方分山方面分岐・標高約1,230m)
1215-45ごろ_パノラマ台で富士山の出現待ち休憩(標高=1,328m)
────1315-30ごろ_烏帽子岳で富士山の出現待ち休憩(標高=1,257m)
【撮影】12時00分=伊藤 幸司=082
【撮影】12時03分=伊藤 幸司=083
【撮影】12時07分=伊藤 幸司=084
【撮影】12時07分=伊藤 幸司=085
【撮影】12時09分=伊藤 幸司=086
【撮影】12時09分=伊藤 幸司=087
【撮影】12時09分=伊藤 幸司=088
【撮影】12時09分=伊藤 幸司=089br>
【撮影】12時11分=伊藤 幸司=091
【撮影】12時11分=伊藤 幸司=092
【撮影】12時12分=伊藤 幸司=093
パノラマ台には薄日がさしていました。今回参加したみなさんは(全員ではありませんが)「初」ではありません。でもみなさん「富士山はどこ?」なんてはしゃいでいます。かつて、そんな展望台に横浜の太ったオバチャンたちを立たせたいと思った人がいました。私の最初の著書『富士山・地図を手に』(1980年・東京新聞出版局)にこう書いています。
────そこに明治28年(1895)に星野芳春という人が発見したパノラマ台があり、ヨーロピアン・スタイルの精進ホテルがありました。
じつは星野芳春というのはハリー・スチュワーㇳ・ウォールズという英国人の帰化名で、奥さんは日本人ではあるとはいえ、精進ホテルはいわば異人館でした。そこは知る人ぞ知るといった避暑地となって、村人たちはパノラマ台や樹海の洞穴に異人さんたちを案内するようにもなり、観光業のはしりというべき乗馬組合やチヤ組合がつくられました。チヤというのは英語のチェアーのことで、二本のサオに籐椅子をのせ、4人でかついだといいます。────
今回参加の皆さんのどなたかは、精進ホテル(上野精養軒の経営時代)で昼食を食べてからパノラマ台に上がるという計画に参加された経験があるはずです。
【撮影】12時14分=伊藤 幸司=094
【撮影】12時17分=矢野 博子=41085
【撮影】12時19分=伊藤 幸司=095
手前が西湖、その奥が河口湖。右に張り出した山が足和田山、左の斜面を登ると十二ヶ岳。どちらも糸の会では定番の山ですね。
【撮影】12時20分=伊藤 幸司=096
【撮影】12時22分=矢野 博子=24749
【撮影】12時27分=江面 正子=36
【撮影】12時35分=矢野 博子=17242
【撮影】12時35分=伊藤 幸司=098
【撮影】12時36分=伊藤 幸司=089
【撮影】12時36分=伊藤 幸司=100
【撮影】12時37分=伊藤 幸司=102
【撮影】12時37分=伊藤 幸司=103
【撮影】12時37分=伊藤 幸司=104
パノラマ台の滞在時間をギリギリまで伸ばしましたが、富士山はけっきょく、ここまで。何度も何度もここまででした。
【撮影】12時38分=伊藤 幸司=107
【撮影】12時38分=伊藤 幸司=108
【撮影】12時39分=伊藤 幸司=109
【撮影】12時39分=伊藤 幸司=110
【撮影】12時40分=伊藤 幸司=111
【撮影】12時44分=伊藤 幸司=113
こちらは本栖湖。パノラマ台は精進湖と本栖湖の間にあるのです。
【撮影】12時44分=伊藤 幸司=115
【撮影】12時45分=伊藤 幸司=116
【撮影】12時47分=伊藤 幸司=117
【撮影】12時47分=伊藤 幸司=118
【撮影】12時49分=伊藤 幸司=119
【撮影】12時51分=伊藤 幸司=121
【撮影】12時52分=伊藤 幸司=122
【撮影】12時56分=伊藤 幸司=123
【撮影】12時56分=伊藤 幸司=124
13:00
────1215-45ごろ_パノラマ台で富士山の出現待ち休憩(標高=1,328m)
1315-30ごろ_烏帽子岳で富士山の出現待ち休憩(標高=1,257m)
・下山路のキノコ群
────1400-05ごろ_雨具準備
【撮影】13時03分=伊藤 幸司=126
【撮影】13時03分=伊藤 幸司=127
パノラマ台から下り始めるとすぐ、火炎茸(カエンタケ)が登場しました。ウィキペディアによれば────キノコの中では、唯一触ってはいけない猛毒キノコといわれている。致死量はわずか3g────とのこと、ここから「キノコ道」が始まりました。
【撮影】13時03分=伊藤 幸司=128
【撮影】13時03分=伊藤 幸司=129
【撮影】13時04分=伊藤 幸司=130
【撮影】13時04分=伊藤 幸司=131
【撮影】13時05分=伊藤 幸司=132
【撮影】13時14分=伊藤 幸司=135
【撮影】13時15分=伊藤 幸司=137
【撮影】13時15分=伊藤 幸司=138
【撮影】13時16分=伊藤 幸司=139
【撮影】13時22分=伊藤 幸司=140
【撮影】13時28分=伊藤 幸司=141
【撮影】13時29分=伊藤 幸司=144
【撮影】13時30分=伊藤 幸司=145
【撮影】13時30分=伊藤 幸司=146
【撮影】13時30分=伊藤 幸司=147
【撮影】13時30分=伊藤 幸司=148
【撮影】13時31分=伊藤 幸司=149
【撮影】13時31分=伊藤 幸司=150
【撮影】13時31分=伊藤 幸司=151
【撮影】13時31分=伊藤 幸司=152
【撮影】13時31分=伊藤 幸司=153
【撮影】13時32分=伊藤 幸司=154
【撮影】13時34分=伊藤 幸司=156
【撮影】13時36分=伊藤 幸司=158
【撮影】13時38分=矢野 博子=37172
【撮影】13時40分=伊藤 幸司=160
【撮影】13時40分=伊藤 幸司=161
【撮影】13時41分=伊藤 幸司=163
【撮影】13時41分=伊藤 幸司=164
【撮影】13時41分=伊藤 幸司=166
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=168
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=169
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=170
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=171
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=172
【撮影】13時47分=矢野 博子=20171
【撮影】13時48分=伊藤 幸司=173
【撮影】13時48分=伊藤 幸司175
【撮影】13時49分=伊藤 幸司=177
【撮影】13時49分=伊藤 幸司=178
【撮影】13時49分=伊藤 幸司=179
【撮影】13時50分=伊藤 幸司=180
【撮影】13時50分=伊藤 幸司=181
【撮影】13時50分=伊藤 幸司=182
【撮影】13時51分=伊藤 幸司=183
【撮影】13時52分=伊藤 幸司=184
【撮影】13時52分=伊藤 幸司=185
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=186
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=187
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=188
【撮影】13時53分=伊藤 幸司=189
【撮影】13時57分=伊藤 幸司=192
【撮影】13時59分=伊藤 幸司=193
【撮影】13時59分=伊藤 幸司=194
14:00
1400-05ごろ_雨具準備
1415ごろ_国道「本栖みち」に出る(標高=914m)
1430ごろ_本栖湖観光案内所バス停に到着・トイレあり(標高約910m)
・1446本栖湖観光案内所始発(河口湖駅行きバス)────1545河口湖駅
【撮影】14時00分=伊藤 幸司=195
突然、雨粒がパラパラと落ちてきました。雨雲の端っこが頭上にあるという感じ。本降りになるかどうかはわかりませんが「準備だけはしておかないと」という休憩。稜線では風の心配が加わって、一瞬にしてずぶ濡れになる危険も想定しないといけませんが、樹林帯ではカサ1本とか、安直なポンチョでもいいんですがね。……結局、雨は外れました。
【撮影】14時05分=伊藤 幸司=196
【撮影】14時05分=伊藤 幸司=197
【撮影】14時06分=伊藤 幸司=198
【撮影】14時07分=伊藤 幸司=199
【撮影】14時08分=伊藤 幸司=200
【撮影】14時09分=伊藤 幸司=203
【撮影】14時11分=伊藤 幸司=204
【撮影】14時11分=伊藤 幸司=205
【撮影】14時12分=伊藤 幸司=206
【撮影】14時12分=伊藤 幸司=207
【撮影】14時12分=伊藤 幸司=208
【撮影】14時14分=伊藤 幸司=212
【撮影】14時14分=伊藤 幸司=213
【撮影】14時15分=伊藤 幸司=215
【撮影】14時16分=伊藤 幸司=216
【撮影】14時17分=伊藤 幸司=218
【撮影】14時24分=伊藤 幸司=220
【撮影】14時24分=伊藤 幸司=221
【撮影】14時45分=伊藤 幸司=222
駐車場があって、問手があって、向かい側には「本栖湖観光案内所」があって、そこにバス停もありました。でも、以前の本栖湖バス停はもう少し先、ソフトクリームを売っている店舗のあるあたり、公衆トイレもあるあたりで、「本栖湖」バス停だったと思うのです。ここにあるのは「本栖湖観光案内所」ですから、予定の時刻に河口湖駅へのバスはくるのでしょうが、なんだか不安で「あちら」まで調べに行ったのです。いわゆる「本栖湖」バス停というのはいまや「本栖湖レストハウス前」と「本栖湖観光案内所」のふたつあって、どちらでもいいような気配はあるものの、無視されてしまうかもしれない……という乗客の不安を払拭させてはくれない、ということがわかりました。富士急バスの関係者は本栖湖周遊バスの本数が増えて便利になったとお考えになっているようですが、近くにある2つの「本栖湖」バス停は旅行者を大いに惑わせてくださります、よね、行きも、帰りも。
【撮影】14時45分=伊藤 幸司=223
15:00
────・1446本栖湖観光案内所始発(河口湖駅行きバス)────1545河口湖駅
・1556河口湖始発(富士急行・大月行き)────1634都留市
【撮影】15時58分=伊藤 幸司=224
16:00
────・1556河口湖始発(富士急行・大月行き)────1634都留市
・「寄り道の湯」で入浴・食事
・1827都留市(富士急行・大月行き)────1842大月
【撮影】16時00分=伊藤 幸司=225
【撮影】16時36分=伊藤 幸司=227
【撮影】16時39分=伊藤 幸司=228
17:00
18:00
────・1556河口湖始発(富士急行・大月行き)────1634都留市
────・「寄り道の湯」で入浴・食事
・1827都留市(富士急行・大月行き)────1842大月
・長野県内での大雨により、松本始発の千葉行き「あずさ50号」(大月発1905)が茅野駅で停車中とのこと。甲府始発の特急「かいじ」や普通列車は通常運転とわかり、みなさん順次帰途へ。
・なおこれが「中央線高尾〜大月間降雨に伴う運転中止」であったら、私たちは大月駅で難民状態に陥っているところでした。
【撮影】18時15分=伊藤 幸司=230
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