コースタイム写真
高川山(973m)
2025.3.13

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■コースタイム写真・目次
【計画書から】────「地理院地図」を使用しています
◆糸の会山行[1337]
◆高川山
たかがわやま────973m
街路3p→稜線12p→登り16p→下り21p────52パワー
日の出0600、日の入り1751────3.13山梨県で
◆JR中央本線・大月駅から────2025.3.13(木)実施
◆集合
3.13(木)────0900ごろ大月駅出発としましょう
◆ポイント
*ご存じ、高川山です。山旅索引カレンダーの「3月12日」に2016年3月12日の高川山がありました。シラノサワから登って大月へと下ったのですが、素晴らしい大雪だったのですね。
*このところの「南岸低気圧」では先日「3月4日」の日連アルプス&鉢岡山で、大雪の先触れとなる雪が降り出したところで(中央本線の運休が怖くて)逃げ帰ったのです。その後安全圏の高尾の極楽湯では、サウナの体を雪降る中でととのえてみたりしました。
*今年の3月13日には暖気が東日本を覆うようです。足元に春の訪れなど見つかるかもしれません。とりあえず大月駅から高川山への直登です。ゆっくりと。
◆往路
*JR中央線・中央特快・高尾行き(0642新宿→0729高尾)
(0628東京始発→0642新宿→0711立川→0722八王子→0729高尾)
*JR中央本線・普通・甲府行き(0740高尾始発→0823大月)
◆往路参考
*あずさ3号(0638千葉→0730新宿→0830大月)
0638千葉→0653船橋→0708錦糸町→0730新宿→0752立川→0802八王子→0830大月
◆現地行動
0900ごろ_JR中央本線・大月駅を出発────街路3パワー(約1km)を20分とし
大月市立中央病院の先からの登山道────登り2パワーを10分として
0930ごろ_むすび山展望台────稜線10パワーを1時間15分として
1045ごろ_花咲トンネル────登り16パワーを2時間として
1245ごろ_高川山────下り21パワーを2時間30として
1515ごろ_富士急行線・壬生(かせい)駅
◆費用の目安
JR_中央本線_新宿→大月────2,360円
JR_中央本線_特急券_新宿→大月────1,020円
富士急行線_壬生→都留市────230円
富士急行線_都留市→大月────470円
JR_中央線_大月→新宿────2,360円







【行動記録から】
★最寄り駅はJR中央本線・大月駅
0840ごろ_JR大月駅を出発(標高約360m)
・国道20号(旧道)を高川山に向かって歩く
0855ごろ_大月橋をわたって左折
0900ごろ_大月市立中央病院を通過(標高約370m)
0905ごろ_民家の庭先から登山道に(標高約380m)
0905-10ごろ_出発準備
0920-25ごろ_おむすび山展望台(旧陸軍防空監視所跡・標高=463m)
1000-15_無名峰で休憩(標高=584m)
1020ごろ_天神峠(花咲トンネル)を通過(標高約510m)
1030-40ごろ_休憩(標高約560m)
・「爺(じじい)返し」という名札のある急登
1105-10ごろ_休憩(標高約700m)
1120-25ごろ_休憩(標高約770m)
1140-1210ごろ_標高800〜900mで、脚のトラブルなど複数発生
・道は岩場をたどる
1225-30ごろ_急登が終わり、休憩(標高約950m)
1235ごろ_壬生(かせい)駅方面下山路を通過(標高約950m)
1240-1320ごろ_富士山の見えない高川山山頂でのんびり過ごす(標高=975m)
1325ごろ_禾生駅方面分岐まで戻る
1345ごろ_田野倉駅方面下山路との分岐を通過(標高約750m)
1400ごろ_林道に出る(標高約650m)
1405ごろ_シラノサワコース分岐(標高約600m)
1425ごろ_大棚地区に残る一軒家(標高約540m)
1435ごろ_古宿で沢にぶつかり、T字路(標高約480m)
・「田野倉駅方面」という標識しかないようだが、壬生駅方面は右へ折れて、すぐに橋を渡る
1455ごろ_川茂橋で桂川を渡る(標高約430m)
1500ごろ_富士急行線・壬生駅着(標高約430m)
・じつは駅の踏切に阻止されて改札口に回れず、予定の下り電車に乗れず。
・つぎの電車まで30分以上待ち。大月行きの上り電車がすぐにくるというので、みなさんここで帰途。
・伊藤は(じつはあまり風呂好きではないこともあり)下山後の入浴が健康のために重要と考えていて、ひとり残留。都留市駅の「より道の湯」へ。



8:00

★最寄り駅はJR中央本線・大月駅
0840ごろ_JR大月駅を出発(標高約360m)
・国道20号(旧道)を高川山に向かって歩く
0855ごろ_大月橋をわたって左折
────0900ごろ_大月市立中央病院を通過(標高約370m)


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【撮影】08時42分=伊藤 幸司=003

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【撮影】08時42分=伊藤 幸司=004
大月駅の正面にあるのは菊花山(標高=804m)、左には岩殿山(標高=634m)、右には、これから行く高川山(標高=973m)という3つの山。どれも一度は登りたい魅力があるので「大月三山」といえそうです。

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【撮影】08時43分=伊藤 幸司=005
「月Cafe」とその奥にある「濱野屋」とは、駅前開発でこんなふうになる以前から、帰途の「あずさ3号」(千葉行特急)を待ちながら、ドタバタと食事させていただきましたね。大月駅周辺の入浴施設が次々に消えて、そういう機会が減りました。

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【撮影】08時45分=伊藤 幸司=007
JRの線路に沿って桂川の上流へと向かう国道20号線(旧道)。高川山へ、まっすぐ伸びていきます。

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【撮影】08時46分=伊藤 幸司=008

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【撮影】08時47分=伊藤 幸司=009

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【撮影】08時49分=伊藤 幸司=011

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【撮影】08時51分=伊藤 幸司=015

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【撮影】08時52分=伊藤 幸司=017

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【撮影】08時53分=伊藤 幸司=018

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【撮影】08時53分=伊藤 幸司=020

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【撮影】08時54分=伊藤 幸司=023

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【撮影】08時54分=伊藤 幸司=024
大月市立中央病院の向こうに見えるのが「おむすび山」。スタート地点です。

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【撮影】08時59分=伊藤 幸司=026

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【撮影】08時59分=伊藤 幸司=027



9:00

0900ごろ_大月市立中央病院を通過(標高約370m)
0905ごろ_民家の庭先から登山道に(標高約380m)
0905-10ごろ_出発準備
0920-25ごろ_おむすび山展望台(旧陸軍防空監視所跡・標高=463m)
────1000-15_無名峰で休憩(標高=584m)


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【撮影】09時01分=伊藤 幸司=028

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【撮影】09時02分=伊藤 幸司=029

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【撮影】09時02分=伊藤 幸司=030

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【撮影】09時03分=伊藤 幸司=031

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【撮影】09時04分=伊藤 幸司=034

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【撮影】09時07分=伊藤 幸司=035

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【撮影】09時12分=伊藤 幸司=038

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【撮影】09時17分=伊藤 幸司=039

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【撮影】09時17分=伊藤 幸司=040

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【撮影】09時18分=伊藤 幸司=042

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【撮影】09時18分=伊藤 幸司=043

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【撮影】09時21分=伊藤 幸司=046

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【撮影】09時24分=伊藤 幸司=050

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【撮影】09時24分=伊藤 幸司=051

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【撮影】09時25分=伊藤 幸司=052

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【撮影】09時28分=伊藤 幸司=054

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【撮影】09時35分=伊藤 幸司=056

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【撮影】09時36分=伊藤 幸司=057

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【撮影】09時40分=伊藤 幸司=059

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【撮影】09時40分=伊藤 幸司=060

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【撮影】09時41分=伊藤 幸司=061

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【撮影】09時47分=伊藤 幸司=062

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【撮影】09時49分=伊藤 幸司=065

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【撮影】09時54分=伊藤 幸司=067

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【撮影】09時56分=伊藤 幸司=069
シカの食害を防ぐ仕掛けはいろいろ見てきましたが、これは初めて。要するにシカが角に引っかかる異物を嫌うという点を攻める簡易な手法の(私が見たものとしては)最新バージョンとなります。

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【撮影】09時57分=伊藤 幸司=070



10:00

1000-15_無名峰で休憩(標高=584m)
1020ごろ_天神峠(花咲トンネル)を通過(標高約510m)
1030-40ごろ_休憩(標高約560m)
・「爺(じじい)返し」という名札のある急登
────1105-10ごろ_休憩(標高約700m)


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【撮影】10時00分=伊藤 幸司=071

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【撮影】10時07分=伊藤 幸司=072

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【撮影】10時11分=伊藤 幸司=073

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【撮影】10時12分=伊藤 幸司=074

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【撮影】10時15分=伊藤 幸司=076

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【撮影】10時16分=伊藤 幸司=078

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【撮影】10時17分=伊藤 幸司=081

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【撮影】10時22分=伊藤 幸司=084

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【撮影】10時22分=伊藤 幸司=085

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【撮影】10時22分=伊藤 幸司=086

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【撮影】10時23分=伊藤 幸司=088

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【撮影】10時28分=伊藤 幸司=090

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【撮影】10時32分=伊藤 幸司=091

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【撮影】10時52分=伊藤 幸司=094

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【撮影】10時56分=伊藤 幸司=095

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【撮影】10時57分=伊藤 幸司=097

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【撮影】10時58分=伊藤 幸司=100



11:00

────1030-40ごろ_休憩(標高約560m)
・「爺(じじい)返し」という名札のある急登
1105-10ごろ_休憩(標高約700m)
1120-25ごろ_休憩(標高約770m)
1140-1210ごろ_標高800〜900mで、脚のトラブルなど複数発生


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【撮影】11時00分=伊藤 幸司=102
計画書の地図を見ていただくと、標高600m等高線の赤丸から先で、高度差50mごとにつけた赤丸が接近したり、接したりしています。標高50mごとの等高線(計曲線)につけた赤丸は直径100mの円(2万5000分1の地形図では正確でしたが、デジタルマップでは目安です)なので、赤丸が接していれば「100m先で50m登る(あるいは下る。目安として30度。富士山の5合目以上の勾配)」という斜面の勾配を示しています。それをほぼ直登するのがこのあたりなんですね。通常は登山道を拓いた(道つけした)人たちが、ジグザグにして20度以下の「軟弱な登山者向けの登山道」にしてくれているんです。

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【撮影】11時03分=伊藤 幸司=103

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【撮影】11時03分=伊藤 幸司=104

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【撮影】11時04分=伊藤 幸司=105

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【撮影】11時12分=伊藤 幸司=108

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【撮影】11時24分=伊藤 幸司=113

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【撮影】11時30分=伊藤 幸司=116

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【撮影】11時35分=伊藤 幸司=119

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【撮影】11時40分=伊藤 幸司=121

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【撮影】11時47分=伊藤 幸司=122
Mさんの脚が痙りました。およそ1年前の滝子山で脚が攣ってから、これまでの元気印にちょっと弱点が現れたようです。70歳を超えると「自然老化」がからだのあちこちに出てきます。このあとNさんも軽い不調に見舞われたようですが、私自身も最近の「木曜シリーズ」では、皆さんについていくことがかなりつらくなり、今回もリーダー特権で何度か、私自身のための休憩を要求しました。リーダーの「10分交代制」に加えて「体調管理の小休憩」を各人が請求できるようにして、こまかな脚調整ができるようにする段階かな、と感じ始めています。「がんばらない山歩き」を基本にして30年間やってきましたから。

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【撮影】11時55分=伊藤 幸司=124

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【撮影】11時58分=伊藤 幸司=125

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【撮影】11時59分=伊藤 幸司=126



12:00

────1140-1210ごろ_標高800〜900mで、脚のトラブルなど複数発生
・道は岩場をたどる
1225-30ごろ_急登が終わり、休憩(標高約950m)
1235ごろ_壬生(かせい)駅方面下山路を通過(標高約950m)
1240-1320ごろ_富士山の見えない高川山山頂でのんびり過ごす(標高=975m)


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【撮影】12時06分=伊藤 幸司=128

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【撮影】12時23分=伊藤 幸司=130

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【撮影】12時24分=伊藤 幸司=131

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【撮影】12時26分=伊藤 幸司=132

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【撮影】12時27分=伊藤 幸司=134
標高950mラインに到達して、ホッと一息。大月駅から標高差約600mのこのルートは上部に小さいながら岩場もあって、かつては、山歩きになじみ始めた皆さんに「10kg」のザックを背負っていただき、北アルプスのお花畑というエサで歩いていただく「次のステップ」への足場としてずいぶん利用させていただいてきました。下りでも岩場でのストックワークや、長く楽しいロング・ウォーキングなど、それなりの魅力がありますし。

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【撮影】12時33分=伊藤 幸司=135

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【撮影】12時34分=伊藤 幸司=136

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【撮影】12時35分=伊藤 幸司=137

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【撮影】12時35分=伊藤 幸司=138

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【撮影】12時41分=伊藤 幸司=140

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【撮影】12時41分=伊藤 幸司=142

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【撮影】12時46分=伊藤 幸司=143

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【撮影】12時46分=伊藤 幸司=144
30年前、私は高川山なんて知りませんでしたが、これまで23回登っている最初は、1994年10月の東急セミナーBEでした。ひょんなことから「ひとりで自己流にやらせてもらう」ことになった「初めての山歩き──運動靴できちんと歩くことから」の最初の山がここでした。1996年4月には朝日カルチャーセンター千葉の最初の山が、またここでした。Nさんはその時に参加されていた、ということから、私の昔話がえんえんと続くことになりました。

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【撮影】12時50分=伊藤 幸司=146

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【撮影】12時51分=伊藤 幸司=147



13:00

────1240-1320ごろ_富士山の見えない高川山山頂でのんびり過ごす(標高=975m)
1325ごろ_禾生駅方面分岐まで戻る
1345ごろ_田野倉駅方面下山路との分岐を通過(標高約750m)
────1400ごろ_林道に出る(標高約650m)


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【撮影】13時16分=伊藤 幸司=148

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【撮影】13時17分=伊藤 幸司=149

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【撮影】13時18分=伊藤 幸司=150

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【撮影】13時18分=伊藤 幸司=152

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【撮影】13時19分=伊藤 幸司=154

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【撮影】13時19分=伊藤 幸司=155
山頂で長々と昔話をしたこともあって、下り口のこの場所で、みなさんの写真をとらせてもらいました。じつはこのシーンも私にとっては重要で、カルチャーセンター千葉の初回にも、山頂からの下り口のこの場所で、写真を取りながら観察させてもらったのです。(山旅索引カレンダーの「1996年4月24日=高川山」にこの場所での写真があり、Nさんの姿もあります)
ともかくこの山で「走ったり跳んだりできる、履き慣れた運動靴」が「靴底に滑り止めを用意した登山靴や軽登山靴」より絶対に合理的だということを、まったくの初心者のみなさんの重心位置から確信をもったのです。その、糸の会の基本中の基本技術にその後ダブルストックが加わって、下りに不安の残る女性のみなさんを日本アルプスでも一般ルートならほとんどすべて、安心してお連れできると確信するに至るのです。

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【撮影】13時20分=伊藤 幸司=158

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【撮影】13時25分=伊藤 幸司=159

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【撮影】13時25分=伊藤 幸司=160

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【撮影】13時32分=伊藤 幸司=163

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【撮影】13時36分=伊藤 幸司=165

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【撮影】13時43分=伊藤 幸司=167

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【撮影】13時47分=伊藤 幸司=169

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【撮影】13時55分=伊藤 幸司=170

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【撮影】13時59分=伊藤 幸司=175

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【撮影】13時59分=伊藤 幸司=176



14:00

1400ごろ_林道に出る(標高約650m)
1405ごろ_シラノサワコース分岐(標高約600m)
1425ごろ_大棚地区に残る一軒家(標高約540m)
1435ごろ_古宿で沢にぶつかり、T字路(標高約480m)
・「田野倉駅方面」という標識しかないようだが、壬生駅方面は右へ折れて、すぐに橋を渡る
1455ごろ_川茂橋で桂川を渡る(標高約430m)
────1500ごろ_富士急行線・壬生駅着(標高約430m)


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【撮影】14時01分=伊藤 幸司=177

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【撮影】14時05分=伊藤 幸司=179

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【撮影】14時19分=伊藤 幸司=181

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【撮影】14時23分=伊藤 幸司=183

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【撮影】14時23分=伊藤 幸司=184

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【撮影】14時23分=伊藤 幸司=185

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【撮影】14時23分=伊藤 幸司=186

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【撮影】14時24分=伊藤 幸司=187

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【撮影】14時35分=伊藤 幸司=189

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【撮影】14時38分=伊藤 幸司=190

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【撮影】14時44分=伊藤 幸司=196

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【撮影】14時44分=伊藤 幸司=197

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【撮影】14時44分=伊藤 幸司=200

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【撮影】14時46分=伊藤 幸司=203

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【撮影】14時47分=伊藤 幸司=208

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【撮影】14時47分=伊藤 幸司=209

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【撮影】14時48分=伊藤 幸司=211

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【撮影】14時49分=伊藤 幸司=212

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【撮影】14時50分=伊藤 幸司=213

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【撮影】14時53分=伊藤 幸司=215

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【撮影】14時54分=伊藤 幸司=216

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【撮影】14時54分=伊藤 幸司=217



15:00
16:00
17:00
18:00

1500ごろ_富士急行線・壬生駅着(標高約430m)
・じつは駅の踏切に阻止されて改札口に回れず、予定の下り電車に乗れず。
・つぎの電車まで30分以上待ち。大月行きの上り電車がすぐにくるというので、みなさんここで帰途。
・伊藤は(じつはあまり風呂好きではないこともあり)下山後の入浴が健康のために重要と考えていて、ひとり残留。都留市駅の「より道の湯」へ。


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【撮影】15時09分=伊藤 幸司=219
吹きさらしの寒いホームで30分も待つのはイヤ、という感じで、みなさん帰途へ。入浴も食事もなしにして、たぶん高尾から無料お披露目中の中央線グリーン車で非常食をお食べになった、のではなかろうかと想像しました。

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【撮影】15時47分=伊藤 幸司=223

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【撮影】17時53分=伊藤 幸司=224

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【撮影】17時56分=伊藤 幸司=225
「よりみちの湯」は大月からわざわざ戻ってもいい入浴施設ですが、今回はひとりで時間にも余裕があったので、のんびり過ごしつつ、いろいろ見て回りました。そして「どなたでもご自由にどうぞ……」という「うたたね処(仮眠室)」でこの本と出会ったのです。
私はまったく読書家ではありません。大学でも専門書は1冊も読まず、7年間在籍して、単位を落としたまま(事務所の人が勝手に努力してくれて)追い出されるように卒業したのです。家にはそれなりの本棚はありましたし、シゴトで図書館にこもることもありましたが、本をきちんと読むという習慣はないまま、いまはもう、パソコンのディスプレイは使えますが、新聞でも本でも活字はほとんど読まない生活をしています。この本は、私に「きちんとおつきあいしましょう」と語りかけてくれたのです。

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【撮影】17時56分=伊藤 幸司=226

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【撮影】17時59分=伊藤 幸司=227

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【撮影】17時59分=伊藤 幸司=228

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【撮影】18時00分=伊藤 幸司=229

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【撮影】18時07分=伊藤 幸司=230

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【撮影】18時25分=伊藤 幸司=232

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【撮影】18時27分=伊藤 幸司=234



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