箭内和子……山笑う・山眠る
福島県の山 3
初めての安達太良山――1992.10



■初めての安達太良山

 私が初めて安達太良山に登ったのは、1992年10月です。
 これ以前の登山の経験は、学生時代を別にすると、87年8月に磐梯山、89年8月に尾瀬・燧ケ岳、91年3月に大菩薩峠、92年9月に北アルプス・立山です。これらの山は、すべてファミリー登山でした。
 夫・長男・次男・私の4人で登った山や、私の両親を交えて登った山でした。あわただしい日常の中で一瞬、山の時間をひねり出すといった感じで、山に行きました。
 この頃になると子供達が成長し、私達が泊りがけで山に出かけても、留守番を出来るようになっていました。
 毎年、郡山市の秋の行事の一つに市民登山があります。92年は、安達太良山でした。夫と2人で、参加しました。家族以外の方と初めて登る山でした。
 私達は、本格的な登山靴も、雨具も、所持していません。登山の世話役をやってくださった郡山市にある山岳会の方達のスパッツ姿を見て、登山をする人は、格好が良いなあ〜と、思ったものです。言われるままに奥岳からの登山道を歩き、山頂で記念写真を撮って、下山しました。
 下山にどのルートをとったのか、よく分からずに下山しました。粘土質の滑る登山道をドロドロになりながら、下ったことを憶えています。この時の安達太良山は、曇っていたので、展望もなく、山に対しても、何の印象もありません。今思うと、連れて行ってもらっただけの山だったからだと思います。
 ただ、ゴアテックスの雨具は必要だと思い、翌年の会津駒ケ岳の登山の時は、家族4人分の雨具を揃えました。 安達太良登山の後は、93年8月にファミリーで登った会津駒ケ岳、9月に私の両親と私達夫婦の4人で登った西穂高の独標。自分達で、企画して登る山は、連れて行ってもらうだけの山より、面白いです。私は、だんだん、山にのめり込み始めました。
 94年4月に長男が大学生になり、郡山を離れて首都圏に行ってしまいました。私の心にポッカリ隙間が出来たようです。この時に「山登り」をこれからの自分の生きていく糧にしようと思いました。
 何の印象も残っていない最初の安達太良登山なのですが、他人と始めて登った山で、登山用具や、地形図の事やその他、色々刺激になったことは間違いありません。

――2008.1.25 記


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