箭内和子……山笑う・山眠る
福島県の山 7
磐梯山・その1――1969.7



■磐梯山・その1

 福島県の山で、一番有名な山は、磐梯山でしょう。山歩きをしない人にも名前は知られている山です。私は、福島県人の夫と結婚するまで、地方に住んだことのない、東京生まれの東京育ち。そんな私でも知っていた山の名前です。
 私は、小学生の頃からJR(国鉄)に乗って、遠くに出かけることが好きでした。中学生の頃、友人2人をそそのかして、走り出したばかりの東海道新幹線に乗って、京都まで小旅行。保護者なしの小旅行だったので、担任の許可を取るのに苦労しました。
 大学生になってからは、旅費をつくるためにアルバイト。お金が出来ると、時刻表片手にあちらこちらに出かけていました。資金に余裕が無かったので、食べ歩きは出来ませんでした。今思うと、それだけが残念です。せっかく、色々な所に出かけたのだから、名物は食しておくべきでした。
 1969年 7月、大学1年の時に磐梯山と、裏磐梯へ出かけました。寿子さんと、由美子さんと、由美子さんの妹・恭子さんと私の4人です。上野の駅で、寿子さんが、列車のホームを間違えて、あやうく乗り遅れる所でした。もしかしたら、乗り遅れて一列車遅らせたのかもしれません。はっきり覚えていないのです。
 郡山から磐越西線に乗り、猪苗代へ。この日は、表磐梯にあった磐梯友愛山荘に宿泊。(今、この宿があるのかどうか不明です) 翌日、磐梯山の南側の登山道から山頂へ。
 晴れやかな青空の下の登山でした。恭子さんの履いていた靴下から、泡が吹き出して大笑い。すすぎが不十分で、石鹸分が残っていたらしいのです。
 山頂から裏磐梯へ下山。五色沼ロッジに宿泊。翌日は、五色沼のハイキングコースを歩いてから、帰京しました。五色沼に点在するそれぞれの沼の水の色の違い、不思議な青さ・蒼さ・藍さが印象に残った山旅でした。
 山の事を何も知らなかったのにベストコースを選んで歩いています。昔の私も、今の私と同様にガイド本を何冊も読んで、結構下調べをして、出かけてきていたのだな・・・と思います。
 今の私は、いつでも気が向けば、磐梯山へ登りに行ける環境です。家族が健康でいてくれて、私に山を歩く体力と気力があることを心から有りがたい事だと、感謝しています。

――2008.1.25 記


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