箭内 和子――山笑う・山眠る
東北の山 11
3シーズン目・ゲレンデスキーの報告――2012.1〜3
■3シーズン目・ゲレンデスキーの報告
2012年 1月〜3月
2009年の4月から両親の介護をはじめて、自由に使える自分の時間が、窮屈になった。数日かけて泊まりで歩く長い山歩きや、早朝発 深夜帰宅の山歩きも、出来なくなるかもしれない。私は、焦燥感におそわれた。
「ゲレンデスキーなら、天候を見てゆっくり出かけても、夕方に帰宅が可能だ。」と思い、2010年1月から、40年ぶりにゲレンデスキーを再開した。
再開と言っても、そう簡単ではなかった。私がやった事のあるスキーと、今のスキーは、まったく別物だったから・・・。
2010年は、蔵王(1泊)と、裏磐梯、安達太良のスキー場で、4日間(日帰り)滑る。裏磐梯では、午前中2時間のスクールへ入校。午後は、自由に滑った。なんとか、ボーゲンで、中級コースを滑り降りる事が出来るようになった。ただ、単純に斜面を滑って降りる事が、楽しかった。
2011年は、裏磐梯へ5日間(日帰り)、南会津のスキー場へは、1泊で出かけた。その後、大震災で、近隣のスキー場は、すべてクローズになった。中途半端なシーズンだった。スタイルうんぬんより、恐怖感を持たずに斜面を滑り降りる事が出来れば、良いな〜と思った。
2012年は、少しカッコよく滑りたいと思うようになり、蔵王で開講されている合宿タイプ(3泊4日)のスキー教室に参加した。
参加者は、中高年(中ではなく高年かな???)10名(男性3・女性7)
スキーのレベルは、上級者1・中級者5・初級者4で、私が一番ヘッタピー。
朝7時15分から、ストレッチ、その後朝食、午前は9時30分から11時30分。昼食時間をはさんで、13時30分から15時30分が、スキーのレッスン。夜は、夕食後7時30分から、自分達の滑りをビデオで見ながら、あ〜だ、こ〜だ・・・。
泊まりは、横倉ゲレンデのすぐ脇のアストリアホテルだったので、早めにゲレンデに出て自由に滑ったり、レッスン終了後も、適当に滑る事が出来た。
追突事故の件
レッスン中に私の後方から滑ってきたSさんが、私の上に重なるように転び、私のスキーとSさんのスキーが、××にからみました。Sさんが、起き上がってくれないと、私は動けない状態。接触後も、Sさんが、元気に滑っていたので、異常なしと思っていた。私はレッスン終了後、少し滑ってからホテルに戻った。
丁度その時、Sさんが車いすで病院に行く所だったので、驚いた。Sさんは、スキーとブーツを脱いで、フロントへ上がった所で、どんどん出血が始まったらしい。寒さで収縮していた血管が、温かくなって一気に拡張したのでしょう。整形外科で、3針縫う怪我でしたが、神経とかに触っていないので比較的軽症です。抜糸は、10日後くらいとの事。翌日、Sさんは、その後のレッスンを中止して帰宅されました。
コーチが言うには、転ぶ時に私のスキーのエッジにSさんの膝が接触したのだろう・・・との事。Sさんは、気にしないでと言ってくれたが、なんとなく、気持ちが沈んだ。スキーの場合は、後方にいる人に注意義務があるそうですが・・・。
天気は、毎日、曇り時々雪。最終日は、初級クラスはワンラインのデモ。中級クラスは、ショートターンで、V字形で同調しながら滑るデモ。ラストは、コーチ2人による、同調と交差、同調と交差の繰り返しデモ。このイベントが楽しかった。
2月は、裏磐梯(日帰り)で滑る。
3月は、白馬八方尾根スキー場に2泊で出かける。このスキー場は、急な斜面が多く、初心者向けのゲレンデは少ない。私に滑る事が出来るか、ヒヤヒヤしながら出かけたが、中級斜面をなんとか、滑る事が出来た。さすが、本場です。中国や台湾、オーストラリアからのスキー客が沢山滑りに来ていた。
上手なパラレルターンや、テレマークターンをしながら滑っているスキーヤーをどのゲレンデでも見る事が出来て、楽しかった。あんな風に滑れたらと、憧れた。還暦になって、今さらとも思うが、バランス良く、カッコ良く、早く滑れるようになったら、良いなと思う。
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