箭内和子……山笑う・山眠る
遠くの山 16
金凍山(新潟県東蒲原郡上川村)――2010.3.20



■金凍山(かなこりやま・H924m)新潟県東蒲原郡上川村
二万五千分の一「安座」
日時 2010年3月20日(土) 曇り時々晴れ
メンバー 大関、Sさん、克行、和子

 石井光造さんの「山の本」に掲載されている記事を読んで、金凍山の事を知った。いつか登ってみたいと思いながら、月日が流れた。‘かなこり‘とは、方言で、つららの事らしい。昨年の春、新潟楽山会のHPで、2月に柴倉から登っている事を知った。この季節に登れるのか・・・と思った。早速、山都町の大関さんに相談してみた。でも、2009年は、登りに行く事が出来なかった。
 「今年こそ」と、気合いを入れて、晴れマークの日を待った。最初の予定では、3月6日だったが、天候が悪くて中止。次の予定は、3月20日。低気圧が21日に通過するという予報だった。なんとか行けるだろうと判断して、20日に登ることになった。

6時10分────自宅発(郡山IC〜東北道〜磐越道〜西会津IC)
7時15分────西会津のセブンイレブンへ(大関さんと須藤さんと合流)それぞれの車3台で、安座の集落から、採石場跡へ
7時40分────準備をして、スノーシューを履いて、入山。杉林の中を上へ、上へ、登る。杉林から、ナラ林に変わる。枯れたナラの木に黒っぽくなったナメコが、びっしり着いている。今になっては、採っても、美味しくないらしいが、登りながら、何本もナメコの着いた木を見た。細いブナの木も混生してきた。H700mあたり、自然林の大きな杉がある。大倉山に向かう稜線にも、所々に天然杉がある。雪は適度に締まっていて歩きやすい。前回より、一つ南の尾根を登った。飯豊は残念ながら、かすんでいて、ぼんやりとしか見えない。
10時────大倉山山頂。Sさんは、昨夜、飲みすぎて体調悪し。ここから下山するとの事。私達は、金凍山へ向かう。
10時10分────2時間くらいで行けるかな???木地夜鷹に向かう稜線を下り始める。急な下りで、私のペースが遅くなる。
11時30分────H896m分岐。雪堤歩きと藪こぎを繰り返し、時間がかかる。日向倉山や台倉山夜鷹山、木地夜鷹山、奥に国土山と、星さん命名の雪倉山などが見える。分岐を南西に新潟側・金凍尾根に入る。セッピの上は怖いので、尾根上に林立する天然杉の下を藪こぎしながら、進む。
12時00分────安全そうなセッピの上を歩き、難儀しながら、一つ目のピーク。ここが頂上???大関さんに「地図を見たら・・」と言われる。まだ、最初のピークだった。この先の二つ目のピークが山頂らしい。藪こぎをしながら、二つ目のピークを目指す。山頂までは、藪こぎなしの急な雪原歩きになった。
12時20分────やっと、着きました。金凍山山頂です。ぶなの木にマジックで「金凍山・H21年3月」と書いてあった。遠くに真っ白な御神楽が、わずかだが、見える。ゆっくりと景色を眺めながら、ランチタイム。スラブ帯の上に乗っている雪が今にも崩れそう。所々で、ひび割れしている。一つ一つの山の名前は分かりませんが、会越稜線の山々。1000mに満たない山頂ですが、素晴らしい景色を見せてくれます。
13時20分────往路を辿りながら、下山開始
13時55分────分岐・5分休憩
14時────分岐発
15時05分────大倉山下・H850mあたりで、休憩
15時15分────大倉山山頂。ここまで来れば、後は、下り一方だ。山頂には、数人の足跡がちらばっていた。山スキーで登って来た人たちのようだ。下山は、スキーのトレースと交差しながら、下るようになった。
15時30分────山頂発。今日は、気温が高く、大関さんはTシャツ1枚だった。私は、バテないように意識的に水分を1500CC位取った。下山途中1時間くらい歩いた所で、右腿の付け根が、痛くなった。小休止してもらう。大関さんも、克行も、疲れたようだ。
17時────入山口着。

 今年の山歩きの中で、一番長い1日だったなあ〜。
 念願の山に登れて、満足感一杯の気分。私と克行の2人だったら、随所でどう歩く? と、迷うだろうから、後1時間くらい余計に時間が、かかっただろうな・・・。
 大関さんのお蔭で、早く下山出来ました。感謝です。大関さんは、今年の夏も、飯豊・三国小屋の小屋番に入るそうだ。事故のないようにね。ロータスインの温泉に入って、汗を流し、大関さんとお別れして、帰途に着く。
 夕食の総菜を購入して、7時20分頃、自宅着。
 家に帰ってからは、どうしようもなく、体が重かった。疲れすぎて、なかなか、眠れなかった。


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