山咲 野乃香……花いかだ
その時を愛し、その時を惜しむ――2008.4.24



■その時を愛し、その時を惜しむ――2008.4.24

 奥多摩を庭のように熟知している人の「川苔山はとてもよい」という一言を小耳にはさんで以来、「カワノリ」は耳穴深くこびりつき、苦節10年。ついにその日が。そして、長年の私の熱き思いに天も最上の日和で応えてくれた。
 15日の笠山と、2週連続で極上の春を満喫。

 今回楽しませてくれた花はスミレ。いつもの控えめで楚々とした風情ではなく、横を向かずに顔を上げ、凛々しく背筋を伸ばしていたのが印象的。ナガバノスミレサイシン、タチツボスミレ、ヒカゲスミレもあった? (花名のレパートリーは遅々として増えぬ私。
 以前、月2で、1回は植物の机上学習をして、2回めは山歩きというカルチャーセンターの講座を3ヶ月でリタイアした前科あり。)(感動を伴わないと固い頭には入らないノダ。)

 素晴らしかったのは、百尋の滝までの渓谷沿いの道。快い陽ざし、新緑、山桜、清流、渡る涼風、沢音と変化のある道中だった。まるで「水百景」を地で行く感じ。(「水百景」とはテレビ東京、火曜10時前2〜3分の番組。たまにしか見られないのだが、千変万化の水模様にいつでもうっとりする。)

 強いて難を言えば、奥多摩の名瀑、百尋の滝をもう少しゆっくり見たかった。私の老後の夢は全国滝行脚。数年前には沢登りの爽快さが忘れられず、書道の作品展で「瀧」と書いた。私としては千枚ほど書いた後の自己満足度100%の出来。来客に「なにこれ?ヨメナーイ!」と立ち止まってもらえる自信も100%。身内には「あんだけ練習してコレ?」という評。淡墨を思い切りにじませて、苔むす岩と水しぶきを再現した力作のはずだったが。
 先月末からの入眠読書は「滝王国ニッポン」(北中康文著、えい文庫)。「日本の滝」は寝床で眺めるにはヘビーだが、こちらは文庫でちょうどよい。昨年8aで訪れた神蛇滝も載っている。

 山では、ある場面で、「完璧な瞬間」と感じることがある。
 その時、相対するのは、風景、眺望、花、木々、風、天候、予期せぬこと、森羅万象、五感を超えるもの。
 それは、それまでの脈絡のない全ての時系列がその一点で整合性をもってしまうような。
 今までの不や非や否が全て許されるような。あらゆるへだてがなくなるような。
 次はいつそんな瞬間に出会えるだろうか。


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