林 智子……あたまをつかったちいさいおばあさん
天使を見た人――2008.6.27
■天使を見た人――2008.6.27
ある年 20名程の 3歳児の中に 自閉症の子が いた。
おおちゃんといった。
新入式が 終わって 4月の 日常的な 保育が始まった。
3歳児たちは それは それは 混沌としたものだった。
生まれて初めて お母さんから 離れて ぐちゃぐちゃの 中に入ったのだ。
見るもの 聞くもの やること 全てが 初めての経験に 3歳児たちは
泣き わめき しがみつき また 其の逆の子は うれしさのあまり 興奮し 走り回る・・・
一日は なんとも 阿鼻叫喚のきわみだった。
大声で 泣き喚いたり ひそかに しくしく泣いている子も 多い中にあって
ひときわ 明るくて 無邪気で 何事に対しても 興味津々の おおちゃんは 特別に
元気そのものだった。
しかし 日が過ぎていき 他の子供たちが 少しづつ 幼稚園の生活にも
慣れ 落ち着きを見せ始めていった頃 おおちゃんが ほかの子とは
少し 違うことが はっきりしていった。
結果的に おおくんは 軽度の 自閉症だと 診断され 3歳児のクラスには
補助の教師が 一人 増えることになった。
おおちゃんは 他の子供との 接触が とても 苦手だった。
まったく 悪気はなくても 持っているもので 他の子を たたいたり 押したり
髪の毛を引っ張ったりする。
特に 水が 好きで 水道の水を 周囲に撒き散らしながら ジャージャー出したり
クレヨンを 箱ごと ひっくり返して 喜ぶ。
止めさせようとすると パニックを起こしてしまう 独特の 特徴があった。
ある時 自由あそびから いっせい保育が始まる時間になっても おおちゃんが教室に 帰ってこなかった。
時々 居なくはなるので 他の クラスの 教師たちも おおちゃんの事を 心に かけていたのだけれど
またまた おおちゃんが いなくなってしまった。
この年 幼稚園には 神学校に 通っている K君という 若者が 時々 子供たちの
遊び相手として 週に何回か 応援に 来ていた。
K君は 大学を 卒業し 一般の会社で 数年働いた後 牧師になるために
神学校に入っていた。
おおちゃんが 何処にも 居ないことがわかって 幼稚園中は 大変なことになった。
子供が 居なくなるなど 絶対に 許されるものでは ないのだ。
手のあいている 事務も 園長も 他の 教師たちも 幼稚園の近辺を含めて
探し歩いたが おおちゃんは どこにも 居なかった。
幼稚園というところは 何時も お祭りのようで おもしろい所だ。
ハプニング続きで 阿鼻叫喚は あるものの おもしろいことの連続だ。
しかし 子供は怪我もするし おおちゃんのように 居なくなったりもする。
そんな どうしようもない状況が 起こってしまった時は 必死だ。
どのような 状況であっても いいわけ無用・・ 責任があるのだ。
この日 たまたま K君が 幼稚園に 応援に来ていた。
しばらくしてから <林先生・林先生・おおちゃんが 居たよ>の K君の 声に
私は 飛んで行った。
<林先生・おおちゃんは 天使だよ。きてごらん。おおちゃんが 天使になって
踊ってるよ!・・・すごい! おうちゃんは天使だ>
おおちゃんは 幼稚園の 階段の 踊り場にいた。
一階から ニ階へ上がる 踊り場で 手のひらを ひらひらと
陽の光に かざしながら きゃきゃと わらい 踊っていた。
陽の光は おおちゃんの上に ふりそそいで おおちゃんの 身体も 手も
透けて見えるよう・・・ 光の中の おおちゃんは 本当に 天使だった。
おうちゃんは うれしかったのだ。あまりに其の光が うれしくて 踊らずには
居られなかったのだ。いつもいつも 天使の おうちゃんだったのだ。
K君のことは 決して 忘れない。
はじめて K君と 教会で 出会ったとき 彼は まだ 大学の2年生位だった。
ぼろぼろと言えるほどの ジーンズをはき カーキイの袋を持って アルバイトに 道路工事をやっていた。
私はまだ 教師として 復帰はしていなかったが 日曜日 教会学校で 彼とは一緒だった。
<はやしさん・道路工事の人たちは すごく 苦労が 多いんです。
ぼくは なんていっていいか わからないんだ>・・と 若く くちべたな K君は 言った。
彼はいったい 何者だったのだろう。
まだ 大学生だったK君は 教会学校の先生の 中心だった。
子供たちは 彼にぶらさがり 彼から 離れなかった。
私は K君や 他の 神学生たちと 触れ合うことも 多かったが 彼は
素朴な 自分を まったく 飾ることもなく 率直でもあった。
おおちゃんを 踊り場で 見つけたとき K君は こういった。
おおちゃんを 抱きしめて <おおちゃん よかったねえ・・・うれしかったのか。
よかったねえ・・・>と。
私は おうちゃんの中の 天使に 会わせてくれた K君を 忘れない。
K君が 今も どこかで 牧師をしていることは わたしを 何時も 勇気付ける。
K君は 痛みを知る人であり 朴訥な言葉で・・・其の痛みを 共に持つ。
K君との 出会いは 私への 大きな プレゼントだった。
私は もう一人 天使を知っている。
わたしの母が 晩年 寝たきり状態になり 立ち上がることが出来なくなった。
弘前に 母を 尋ねたとき 母は 静かに 穏やかに 寝ていたが ふっと 目を覚ました。
そのとき 母は 何か 楽しい夢でも 見ていたのだろか?
夢見るように うっとりとしたまなざしで わたしをみた。
<アラ?智子ちゃん きたの?>と ほほえんだ。前より もっと 小さくなった 母だった。
母は とても 美しくて 幸せそうで・・・母は 天使のようだった。
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