林 智子……あたまをつかったちいさいおばあさん
北海道1「層雲峡・黒岳でスノウシュー」――2010.2.17



■北海道1「層雲峡・黒岳でスノウシュー」――2010.2.17

この間 糸の会の <層雲峡・黒岳でスノウシュー>に 参加した。
一日目は 目いっぱい 寒さ対策をしてきて下さい。 旭川の動物園でペンギン行列を見て 夜は 
氷暴祭りを 見に行きましょうネ・・・なんて 甘い お誘いですこと。
  
しかし この 15年の 長きに渡り さまざまな サヴァイヴァル経験を 積んできた 私。
冬の北海道で ぬくぬくと 厚着して あったかくって ウフフなーんて 微笑んでいられるほど
甘いもんじゃないことなんか とっくに 知っております。。
きっと 2月の北海道は 涙も氷り 吐息だって コオッチャウぐらい しばれているにちがいないもの。
愛なんか ささやいている場合じゃ ございませんのよ。
それに コーチは<服装は いつもの冬山ふうで 良いです> と 朗らかに言うに 違いないし。

申し込んだ 去年の暮れ 私は やおら 人生 守りの姿勢に入りそうなぐらい 気が小さく 淋しく 
賢く つまらなく わけ判らなく いやーな 気分であった。
相棒は <勉強・勉強・・また・勉強の日々>で これらは 彼にとっての 今後の必須事項なのだ。

<じゃあ 私だって 歌だ ダンスだなどと フワフワ 言っていられるもんじゃないわ>。
<真摯に ゼロから 自分と向かいあわなくては ならないわ>
きたる老境ってやつの 準備段階に ぼちぼち 入る 潮時なのか などと
賢いような 賢くないような 人生の重大事などを じんわり 考えたりしていたわけだったが
ある日 カッと <つまらん。守りの姿勢などはつまらんことだ!>と いきなり 悟る日があって
其の日 <北海道でスノウシュー>に 申し込んだのだ。
<だれが 守りの姿勢なんかに入るもんかい>と。

よし まだ 守りの人生には 入らない。
一年でいちばん 寒い時に 一番 寒い 北海道で 流す涙も 凍らせながら スノウシューで
転げ落ちてやる。
思えば 最近は スノウシューにも 雪景色にも ご無沙汰で 北国
生まれの私としては ピーンと 張った 凍える空気が 切ないほど 懐かしい。
あーあ・弘前に帰りたいなー・おかーさーん。雪も見たいよー。

2月の 一番 寒い時こそ 北海道だ。
寒さが何だ。地吹雪がどうした。私の 覚悟は決まった。

ところが ところが なぜか <今回は 目いっぱい 寒さ対策をしてきて下さい>と 書いてある。
<エ・どうして?><そんなに 着るものが いっぱいいるの?>

それにしても 珍しいと 私は 思った。 
自称 花の50歳組みも そろそろ 60代半ばとなり なにやら おばあさん予備軍だ。
全体的に 疲れも 見えるから 寒いであろう 北海道では あったかくしようね。
もう 無理しなくてもいいからね・・いっぱいいっぱい あったかい物 着てらっしゃい!
と コーチも 考えているのかなあ。
<E>は 70歳対応ということだし 其れもありかもね。
多少 疑問符のままではあったが  厚手のコートで参加と 決めた。

前 やはり 糸の会で <3月の利尻・礼文でスノウシュー>に参加した時 
<先生。冬の北海道は 何を着ていけばいいのでしょうか?>と お伺いを たてた。
きょとんとした様子の コーチが <普段の冬山ふうで いいでしょう・ラララ〜>みたいな
お答えを 下さった。
<其れでいいのか?><北の果ての利尻・礼文で?>。
それらを チラリともれ聞いた Sさん。
北海道に 3年住んだこともある Sさんの <北の果てよ・北の。北海道様をなめたら いけません>の
一言で 恐れおののいた 私とNさんだけは 分厚いダウンで 北海道に渡り それでも 多少は 震えたのだった。
ちなみに <冬の雲丹も 絶対 食べる>と浮かれた私に <真冬に雲丹なんか とれるはず ありません>と
暖かい 助言を下さったのも Sさんでした。
事実 3月の 礼文では 荒れ狂う 地吹雪の中で ずらり 干した ほっけやいかが 激しく 風雪に舞っていた。
衝撃だったなあ・・・あれも。 

今回 コーチとしては なにやら <耐寒>の 実験を やってらっしゃる風だった!!

わたくしなんか ぬくぬくの コートに 毛の帽子に ぬくぬく襟巻きに あれこれ すべて ぬくぬくづくし。
ぜんぜん 耐寒をしようなどと いう 意識が無かった。
とにかく 一日目は シティだ・・と 信じ込んでいたし。

<耐寒>に関していえば 私の 歴史は 長い。
何しろ  生まれた其の日からだ。
一年で 一番寒い日に さっさと 北国に生まれてから 好きも嫌いも しのごもなく
寒さの 中だった。
青春時代は ミニスカートに 薄手の ストッキングで 耐寒していた。
どうせ死ぬなら 凍えて死にたい。
北国の あの ぴんと張り詰めた 空気には 真っ赤な口紅も よく似合うし。

常日頃の 私の耐寒生活。 
私は 雨が降ろうと 槍が降ろうとも 寒いから 外に出たくない などということは
ホボ 皆無だ。
それなりに 身支度を整えて 外に行く。男は狩へ 女は洗濯へ・・など 誰が決めたの。
女だって 狩に行くのだ。
時には 鼻水だって こうりそうになるけど かまいはしない。
野蛮人。シティにいながらにして  サヴァイバルの気分。
見た目 シティ・ガール バレエだ何だと 騒いでいても 実情は 野蛮だ。
ぬくぬくと コートを 着はするが  ハートは 常に サヴァイバル。
北国に生まれたことも 働く女だった母も 頑丈な 私をつくったのか。
<しかし・・我思う・・なんと・・か弱い・・精神力。この落差は いったい なんなのだ?>

多分。
どんなに 寒くても 私は なんとか なるだろう。
そこらへんに 落ちている 毛布でも 座布団でも なんでも 巻いたり 着たりして 耐寒する。
家の すぐ近くには <100円ショップ>があって 朝 異様に早い 5時半なんて時間に
ちょっくら 卵を買いに ひとっ走りする時の 己が姿などは 公園あたりでしのいでいらっしゃる放浪の叔父様方に 
一歩も引けを取らぬ。
これは 女としては ずいぶんと まずい状況のような 気がしないでも ないのだけれども。

つまり 今回 層雲峡では ぬくぬくとしていたけれど<大丈夫・・やるときはやるわよ・・
耐寒だって 何だって> ということを言いたいので あります。 まわりくどかったけれど。

そういえば ある日 九州の山を コーチの車で 巡ったときにも 
夜 <テントの下に敷くものには 銀のシートがいい>と 言われ 私は 超うすの 
銀シートを 半信半疑のまま 持参した。
限り無く 寒い夜という 得がたい経験を得て 無事 帰還を果たし・・なんとか なった。
色々と ありまして サヴァイバルには 俄然 強くなりましたの。わたくし。

そういえば ある日 夕張岳での すばらしい メロンは 一人 2分の一個が どんと割り当てられて
<どうしたものか?>と 途方にくれそうになったが コーチの
<みそしるおわんで えぐって すくって食べる>やり方で 事なきを得たこともあった。
そう・・なんにも 悩むことは無い。いつも 何とかし 何とかなってきた。
今では アボガドの まるかじりなども お手のものに なっちゃった。

そういえば 私の好きな 加藤登喜子と よーじやまもとが 対談で <地べたの似合う人と
一緒にやりたいね>と 話していた。
<あら わたくし ジベタリアンよ>
<北海道の 雪よ あられよ 雨 あらしよ 何だって来い。>


★トップページに戻ります