■2010.3.25――矢野 博子さんから戸倉三山レポート


■2010.3.25――矢野 博子さんから戸倉三山レポート

 2010年3月23日(火)戸倉三山に登った。厳密に言えば今熊山も登ったのでピークは4箇所。
 今回のテーマは”ゆっくり ねばり強く歩く”  あわて者の私は 資料を見落としていて 行動時間7時間と思っていた。この所の”c”の行動時間は 5時間前後だったので 果たして7時間も大丈夫だろうかと不安だったが それが7時間ではなく 現場で 9時間半!と分かり 一瞬 くらっと来たが もう行くしかないと覚悟を決めた。気温9度。無風、時々陽が差し込む 曇り空だった。終わってみると この気象条件だったから 何とか乗り越えられたと思う。 
 9時半 今熊神社社務所出発。 途中 足元に薄紫の小さなスミレが チラホラ咲いていたが まだまだ春は遠い感じ。30分で最初のピークの今熊山到着。見晴らし台から 今下車した武蔵五日市の駅と遠くに西武ドームが見える。最初のピークで一枚目の集合写真を撮影。最後のピークの集合写真での 皆の表情の変化に期待がかかる。
 黙々とやや早めのペースで アップダウンを何回も繰り返し 次ぎのピーク刈寄山に向かう。11時40分到着。 次の市道山までは 2時間20分と道路標識にある。気の遠くなるような長い時間だが 単調な尾根を ひたすら会話もなく歩いた。時計を見て 半分過ぎた事を知ると 残りの半分は早く過ぎた。いつまで続くのか?とあてもなく歩くより 時計を眺めては確実に目的地に近づいていることを知り また地図で自分の位置を確かめる事は 疲れ軽減には 有効な手段だと思った。
 二回の休憩を入れて2時間20分で到着。案内板より20分早いペースだ。ここで10分の休憩をしている間に体が冷えてきたので 上着を着て最後のピークの臼杵山に向かった。この最後のピークまでの一時間は 休憩もなく 汗が流れ落ちた。十分に水分の摂取もせず また上着を脱がずに 歩き出したことを後悔した。正直 ここが一番 きつかった。これが限界!と内心思った。
 16時 最後のピーク到着。やった!できた!万歳! しかも 予定より一時間早い。 これだけ歩いても ヒザが痛くならず喜んでいたが この後の長い一時間半の連続の下りで 両ヒザが痛み出した。最後の30分は 殆どストックにしがみ付いて下った。こんな時 ダブルストックの有難みを感じる。
”瀬音の湯”でゆっくりと体をほぐす。完歩できた充足感に浸った。この達成感を味わう為に 歩いているのかもしれない。
 カラカラの喉に冷たいビールが浸みる。(この時は この後に起こる事件は予想だにしなかった) 帰路の電車に揺られて 暫くは快調だったのだが 急に気分が悪くなり 冷や汗がたらたらと流れだし フラフラしだした。隣に座っている仲間に 声もかけられない。 今食べたものがいけなかったのだろうか?と考えたが 同じ物を皆食べているから それが原因とは考え難いなどと思い巡らした。何とか下車駅まで 持つようにと 眼を閉じて 早く着く事を願うばかりだった。
 拝島の駅のホームによれよれと座り込んでしまった。”容態が回復するまで付き添いますよ”と Sさんが申し出て下さり とても有り難かった。Sさんは 明日も早起きして 山歩きがあるのを知っていたので 申し訳ない気持で一杯だった。
 暫く椅子に掛け トイレに行ったら 殆どウソのように回復した。”一体 何が 何ゆえに 起こったのか”と 初めての事で驚いたが 多分一種の脱水症状では?なかったかと思う。 かなりの汗をかいたのに 水分補給がいつもより少なかったこと。休憩時間が 最後の二時間は一時間に一度だったこと(と言う事は 水分補給もできない、衣服の調節も その間できない) その上 入浴で 更に脱水。そこへもってきて ビールを流し込む(脱水状態のときにアルコールは禁物)。疲労、加齢もこれに追い討ちをかけたかもしれない。
 皆様 お騒がせしました、そしてコーチ、Sさんありがとうございました。良い反省材料になりました。


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