アサヒグラフ 巻頭カラー特集「秋の一日 山歩き」――1998.10.30





●1996.10.06
一〇月六日の尾瀬の紅葉。尾瀬ヶ原から尾瀬沼に抜ける白砂峠を超えると、標高一六〇〇メートルあたりで白砂田代に出る。朝日の中に錦秋が輝いた。









●1997.9.27
九月二七日、標高三〇三三メートルの南アルプス・仙丈ヶ岳山頂。前日雨の中を登ってきた私たちは、山頂一帯では一面に霧氷がついたということを知った。日の出とともに白いものは急速に消え始めたが、名残はなかなか消えなかった。





●1997.10.25
奥秩父の紅葉の名所・西沢渓谷はいまや観光バスでやってくる人々の混雑にのまれそうだが、一本一本の紅葉はさすが。一〇月二五日のみごとな紅葉。





■乾徳山と西沢渓谷

●1997.10.25
徳和の民宿に泊まって、暗いうちから登りはじめると、標高一六〇〇メートルあたりの国師ヶ原で風景が開けた。関東甲信地方の山歩きではいつも富士山の姿をさがしてしまう。
●1997.10.25
西沢渓谷をひとめぐりするには、沢沿いの遊歩道を七ツ釜五段の滝まで行って、軌道跡の歩きやすい道を戻ってくる周回コースをたどるのがふつう。水の流れに沿った道は全体として標高差が小さいというのが登山道の大原則。
●1997.10.25
乾徳山から黒金山を超えてあとひとがんばりで西沢渓谷へと下れるというカラマツ林で大休止。すでに一〇時間近く歩いてきた疲れが開放される。山で寝転がるほど気持ちのいい体験はない。
●1997.10.25
乾徳山に登るには何カ所かのクサリ場を超える。腕力を使わずに、クサリをあくまでも安全確保にした岩場歩きの練習には絶好のところ。

●ガイド
 乾徳山は標高二〇一六メートル。ごくありふれた山容なのに、岩峰の山頂をそなえているところから人気が高い。スリルがあって展望がすばらしいからである。
 標高八三〇メートルの徳和集落からだと標高差が一二〇〇メートルもあるので、かなり大きな山ということになる。そこで標高一三〇〇メートルの大平牧場まで車で上がってしまうと首都圏からの日帰りが可能になる。
 さらに背後の黒金山を超えて西沢渓谷へと下りていく道は、典型的な奥秩父の縦走路で、道標も少ないから経験者向きとなっている。私たちは初日に西沢渓谷を見たあと、翌日は乾徳山から縦走したが、西沢渓谷と乾徳山を切り離せば、それぞれに一日かけて、家族でも楽しめる。

●情報
▼新宿〜塩山間は特急かいじの自由席で往復できる割安の「かいじきっぷ」が四日間有効で四一八〇円。帰路は始発駅の甲府までいったん出ればほとんど座れる。
▼塩山からは登山客を上得意とする塩山タクシー(0553・32・3200)を利用すると安心で、大平牧場まで約五五〇〇円。
▼西沢渓谷に入るバス(0553・33・3141)は一一月三〇日までの土・日・祝日には日に六本ほどあって、塩山駅から一〇二〇円、所要時間約五〇分。このバスの何本かは徳和集落の乾徳山登山口を経由するので所要時間が二〇分ほど多くかかる。タクシーだと約六〇〇〇円で約四〇分。
▼下山時にタクシーを呼ぶときには地元の三富タクシー(0553・35・2063)が早いかもしれない。
▼マイカーの場合には中央自動車道勝沼インターから塩山駅経由で国道一四〇号の雁坂道に入るのがいいが、雁坂トンネルの開通で秩父方面からも来られるようになった。
▼徳和の宿泊問い合わせは三富村総合観光案内所(0553・39・2726)。西沢渓谷入口の山小屋東沢山荘(0553・39・2256)は通年営業で収容一〇〇人。
▼下山後の入浴施設は三富村営笛吹の湯(0553・39・2610)が一〇〜二〇時。火曜定休で五〇〇円。ほかに牧の湯(0553・35・4126)、牧丘町営鼓川温泉(0553・35・4611)、笛吹川温泉(0553・32・0011)などが利用できる。





■仙丈ヶ岳

●1997.9.27
標高二九〇〇メートルに避難小屋の仙丈小屋があって、そこが氷河跡の薮沢カールの末端になっている。はるか下の樹林帯に小さく見える馬ノ背ヒュッテを暗いうちに発って、九月二八日の日の出前にそこを通過したのだが、一〇張り近くのテントの近くでライチョウの親子が朝の散歩。私たちは霧氷のついた急斜面を残り高度差一〇〇メートルの最後の登りにかかった。





●1997.9.27
一日目は午後に北沢峠について、薮沢沿いに標高約二六三〇メートルの馬ノ背ヒュッテに入った。天気は雨。見上げる両岸の木々が濃い霧に包まれていた。
●1997.9.27
仙丈ヶ岳から小仙丈ヶ岳を経て、ゆるやかな山頂稜線をのんびりと下る。快晴だから許される心地よさ。ハイマツの間にも赤が混じる。この広々とした稜線が、仙丈ヶ岳をたおやかな、南アルプスの女王と呼ばせている。
●1997.9.27
馬ノ背ヒュッテのすぐ下で、空がいくぶん明るくなった。とたんに秋の色が迫ってくる。森林限界付近はすでに秋たけなわといった風情。
●1997.9.27
小仙丈尾根を北沢峠に下っていく。森林限界からふたたび森林帯に入るころ、薮沢の谷の向こう側斜面に馬ノ背ヒュッテが見えてきた。

●ガイド
南アルプススーパー林道を芦安村か長谷村の村営バスで北沢峠まで上がると、そこが標高二〇五〇メートル。仙丈ヶ岳の山頂は三〇三三メートルだから、標高差は約一〇〇〇メートル。その一〇〇〇メートルの標高差を森林帯の七〇〇メートルと高山帯の三〇〇メートルに分けて考えると安全だ。上部に高さ三〇〇メートルの山が乗っていて、それは天気によって登れたり、登れなかったりすると考える。また同時に、森林限界の前後から、一〇人にひとりぐらい、軽い高山病の出るひとがいるので、その面でも上の山に登れるかどうかは慎重に判断する――としておくのが賢明だ。
そういう戦術的な判断がしっかりしていれば、仙丈ヶ岳はまさに女性的な山で、だれにでもチャレンジの可能性を与えてくれる。

●情報
▼仙丈ヶ岳に登るには北沢峠か馬ノ背の山小屋で一泊するのが合理的なので、山梨県側なら広河原を一二時三〇分発、一四時一〇分発のバス(芦安村役場0552・88・2111)に乗ればいい。運賃五五〇円で所要時間は約二五分。ここを歩くと三時間ほどかかる。
長野県側は戸台口を一〇時一五分発、一四時〇五分発のバス(長谷村役場0265・98・2211)があって運賃一二〇〇円で所要時間約一時間。いずれもお客を積み残すことはないのでご安心を。ただし営業は一一月上〜中旬まで。
▼甲府駅から広河原ロッジへのバス(0552・23・0821)が約二時間で連絡するので、甲府駅発一〇時〇五分か一二時〇〇分に乗れば北沢峠行きに接続する。運賃一九五〇円と高いが、タクシーだと約一万三〇〇〇円。約一時間三〇分。甲府からだと山梨貸切自動車(0552・37・2121)が大手だが、登山客優先のタクシードライバーも携帯電話でつかまる。人数が多いときには地元の芦安観光タクシー(0552・88・2053)を予約すると、九人乗車のジャンボタクシーや二五人乗車のマイクロバスなどを配車してくれる。
▼宿泊は森林限界近くの馬ノ背ヒュッテ(0265・98・2523)に泊まるのがスケジュールの柔軟さでは理想的なのだが、小屋の営業方針が功利的で、開くのは混むとき、すいているときは休業という感じ。そこで北沢峠の長衛荘(0265・98・2211)、大平山荘(0265・78・3761)、北沢長衛小屋(0552・88・2117)をベースにする。
▼山小屋に泊まるときには防寒用としてセーター(あるいはフリース)のジャケットが必要で、寒いときには貼るカイロを登山用のアンダーウエアの外側に貼る。吸湿性のある肌着だと低温火傷の危険が大きい。夕食は頼んで、朝食・昼食は行動食(短時間の休憩に分割して食べられるもの)を用意したい。日の出の時刻の一時間前に出発できると、夜明けのドラマを堪能できる。秋と冬の境界にあるこの時期には、行動の安全のためにも透湿防水素材の登山用レインウエアが必要となってくる。防風ジャケットとしても使うが、寝具としてもすばらしいエアコン機能を発揮してくれるので持つべき衣類を最少にできる。
▼なお、下山は北沢峠発一五時一〇分(広河原行き)と一五時〇五分(戸台口行き)が最終バスとなるので要注意。





■石割山

●1997.9.20
秋草におおわれたこの道には予想外に豊かな花があった。標高一四一三メートルの石割山から水面標高九八一メートルの山中湖までと標高が高いので秋の訪れも早い。九月二〇日の風景である。
●1997.9.20
登山道はしばしば別荘地に接近する。アケビの実を発見して臨時休憩。試食会という流れになる。
●1997.9.20
足元に繁茂していたノコンギク。こういう調子で、ホタルブクロ、ツリフネソウ、ナデシコ、フシグロセンノウ、ハギ、マツヨイグサといった花があらわれた。
●ガイド
夏休みには林間学校の子どもたちが元気に登っている石割山も、秋になるとほんとうに静かになる。山中湖の北に連なるなだらかな尾根を富士山に向かって下る。見晴らしのいい草原の道なので、雨の日はつらいが、晴れていればすばらしい。

●情報
▼新宿から平野行きの高速バス(03・5376・2222)で約二時間二〇分、全席指定で運賃二〇五〇円。電話をすると簡単に席を予約できて安い。
▼下山後公衆電話から電話予約(0555・72・5111)すれば、ホテルマウント富士入口バス停から帰路のバスに乗れる。





■桜山

●1997.12.4
関東ふれあいの道は埼玉・群馬県境の神流湖から野外活動センターを経て、桜山へと続いている。秋の山村風景の中を縫っていく道はなかなか楽しい。一二月四日の名残の秋の風景。
●1997.12.4
花見の気分になれるかどうかは保証できないが、一一月から一二月にかけて忘年会兼お花見が企画できるという息の長い花期がこの山の人気の秘密。一二月一日が桜祭り。
●1996.12.17
桜山の冬桜は日露戦争の戦勝記念に植えたソメイヨシノの多くが思いもかけず冬咲きであったところから。一度山火事で全滅の危機に貧して、いまその再生中。木はまだ若くて、冬花は梅花のような雰囲気をもっている。
●1997.12.4
この時期に鬼石町で見たのは残ったカキとこのナシ。いよいよ桜山への登りにかかる。

●ガイド
山としてはほとんど特徴がないけれど、冬桜の名所として年々その名を高めているのが群馬県鬼石町の桜山。
標高五九一メートルのこの山には、神流湖北岸の野外活動センターから長い助走ののちに登るのがいい。スタート地点がすでに標高四五〇メートルだが、いったん標高二〇〇メートルまで下がるなど、なかなか歩きごたえもある。師走の好天の日に、おすすめのルート。

●情報
▼鬼石へはJR高崎線の本庄駅南口から鬼石行きのバス(0495・22・4231)がある。一時間に一本見当で所要時間約四〇分、六四〇円。
▼鬼石町には鬼石タクシー(0274・52・2621)とニコニコタクシー(0274・52・5252)があるので、坂元の野外活動センターまで送ってもらう。これが約二〇〇〇円。桜山からの下山も、公衆電話で呼ぶことになる。こちらは公営の桜山温泉センターに送ってもらって約三〇〇〇円。
▼桜山温泉センターは一〇時〜二一時で五〇〇円。




■山歩きのススメ……文=伊藤幸司

■初雪と紅葉が季節を区切る
 今年の紅葉はどうだろうか?
 じつは当たり年でも、はずれ年でも、私たち中高年の山歩き愛好家は、かまわずに山に出かける。月に一度、あるいは二度という頻度の山歩きで秋を堪能するには問題ないからだ。
 秋の山歩きは、カレンダーでいえば九月から一二月だと私は考えている。九月になると「富士山に初冠雪」というニュースが伝わるが、その平年値が九月一〇日。それが最初の冬の兆しということになる。初冠雪と紅葉は相前後してやってくるのが普通だから、紅葉のころまでが秋の山歩きの季節といってもいい。技術的にいえば、雪への備えが必要な、初冬への切り替えの時期ということになる。
 つまり日本アルプスの標高三〇〇〇メートルの稜線では九月に紅葉が始まるが、関東平野を取り巻く低山では一二月の半ばまで。紅葉と初雪というふたつの目印を手がかりにしながら、できるだけうまく秋の山をエンジョイしようというのである。

■秋の山道の目の楽しみ
 最初は秋の花々だ。夏にハイカーたちがドッと押し寄せた山でも、秋風が吹くころには花々が道におおいかぶさるように咲き乱れていたりする。山に寂しさが訪れる前に、豊潤な実りの季節を迎えようという風景だ。
 そのころから、木々の葉があちらこちらで色づいてきて、紅葉や黄葉の季節になる。観光地の紅葉が山全体を彩るイベントであるとすれば、山歩きでは木を見上げて楽しむことが多い。
 葉っぱを裏側から見上げるので、一本だけの紅葉でも、質がよければ十分に堪能できる。山を見渡すのはドラマチックだが、ところどころの展望地点に限られるので、歩きながら紅葉の木の一本一本と出合うたびに見上げるのが基本的視野になるというわけだ。
 このころには、足元に、クリやドングリが転がっていることが多いからそちらにも目配りが必要で、落ちたばかりでまだ虫が入っていないクリなら、そのまま生で食べてみる。
 色とりどりのキノコも出るが、こちらはなかなか手が出せない。一度マツタケを発見してみたいと思っている。一本見つけたら、たぶん十本ばかりが数珠つながりに発見できるはずなので、山歩きは即時中止と決めてあるが、アカマツの林があってもそういうチャンスに恵まれたことがない。
 そして紅葉が終わると雪、とばかりは限らない。太平洋側の地域では、冬将軍の到来とともに、快晴の日が多くなってくる。小春日和の「日だまり登山」は、冬枯れという気分にもなるけれど、枯れた葉が山に舞い、散り敷かれていくなかを歩いていくと、秋の深まりをしみじみと感じる。
 どの山を選んでも、そこには秋がある、というのが私たちの確信なのだ。台風がきても、秋雨前線につかまっても、やはり、出かけてみるほうがいいと思ってしまう。

■森林という環境バリア
 この時期の山歩きの計画でいちばん注意しなければいけないのは、森林限界を超えるかどうかということだ。
 森林限界というのは、登るにしたがって樹林がしだいに矮小化して、ハイマツなどがあらわれ、それから上にはもう樹木がないという高山帯との境界線のこと。本州中央部の日本アルプスで標高二五〇〇メートル前後が森林限界となっている。富士山なら五合目。
 木がないということは、すなわち土壌がほとんどないということでもあり、登山道は岩稜上についている。雪が薄く積もっただけで、すぐに見えなくなってしまうような道である。
 そこは見晴らしがすばらしくいいかわりに、天気の影響を直接受ける。森林という屋根の上に出てしまったので、しょうがない。悪天候のときには生身で環境に身をさらさなければならなくなる。だから秋には、森林限界を超える計画のときには、「条件がよければ」という限定をかならずつけておくべきなのだ。
 そのかわり、森林の中にいる限り、天気のことは考えなくていい。雨ガサと安直なレインウエアだけで問題ない。私たちはゴミ袋だけでかなり合理的なカッパや靴カバーを作れるようになっている。
 登りの服装は夏とほとんど同じと考えていい。登山用の肌を湿らさない半袖Tシャツに、薄い長袖シャツを着れば十分。寒さが心配だったら、軽い風よけを持てばいい。この風よけが下りの夕冷えも防いでくれる。
 着るものよりも、むしろ手袋と、耳までおおえる帽子を用意しておくのがいい。薄いものでいいのだが、ないとつらい思いをする場面もあるからだ。

■足ごしらえと歩き方
 雨で靴が濡れることによるダメージも、紅葉のころまでだったらあまりない。心配だったら貼るタイプのカイロを足裏か甲にアンダーソックスの上から貼っておけば、濡れても冷えは防げる。気温が五度を割るくらいまで、有効な方法である。
 足が濡れることを心配して靴底の鈍重な登山用の靴を買うより、軽くてしなやかな運動靴、たとえばランニング、バスケットボール、テニスなどのトレーニングシューズのたぐい、あるいは足になじんだスニーカーなどで、歩き方をきちんとした方が滑らないし、膝を痛める心配もない。じつは登山靴が工夫する靴底の形状より、歩く姿勢をきちんとするほうが滑る、滑らないということでは圧倒的に重要なのである。
 秋〜冬用の運動靴としては、雪国用のスノートレーニングシューズや、最近ではゴアテックス防水の運動靴も手に入る。私たちはそういう防水運動靴を濡れたくない冬の山歩きに使っているので、濡れるのがどうしてもいやというなら、おすすめしたい。
 その歩き方の基本だが、一言でいえば、登りはかかとで歩く。振り出した足のヒザを後ろに送るだけでいい。曲がったひざが伸びたぶんだけカラダが持ち上がっていく。歩幅が広がると後ろ足で蹴ることになり、そうなるとすぐにバテるということが理解できれば、小さな歩幅でゆっくりと歩くコツがつかめるはずだ。
 下りはつま先で、平均台に乗ったようにバランス重視で歩けばいい。着地は当然つま先から。段差はできるだけ先端に踏み出して、その足のひざを曲げていくと振り出した足のつま先が着地するというしかけ。また靴底の柔らかい靴では、尖った岩のアタマを踏んで歩くのが気持ちいいし、安全だということもわかってくる。
 だいじなのは急がないこと。登りでは平地の早歩き同様に後ろ足で蹴るようになってしまうし、下りでは歩幅を広げてかかと着地になってしまう。かかと着地のときにはヒザがのびきっているので、衝撃がそのヒザに蓄積する。

■登山道は時速一キロ
 理想的にいえば、平地を時速四キロで歩くエネルギーで、登山道を時速一キロで歩けるようにしたい。平地ならさらに三キロ進める分のエネルギーを山道では高さで三〇〇メートル登ったり、下ったりするために使うのである。その移動のエネルギーの使い方の違いが、すなわち歩き方の違いになる。
 日本の山は平地から急に三〇〜四〇度の傾斜でそびえているので、登山道はジグザグに切られておおよそ二〇度の傾斜になっている。だから一キロメートル先で三〇〇メートル登る(下る)のを約一時間という時間目盛りに換算すると時間の予算化がしやすくなる。
 登りより下りの方がもちろん早い。しかし下りも登りの時間で一律に計算しておくと、リーダーの時間配分のやりくりに自由度が大きくなる。自由裁量の大きな予算の方が仕事が進めやすいというわけだ。
 休憩は、休みたいところでたっぷりと休むのがいい。楽しい休憩のために山を歩いているという感覚がふつうになってきたら、山を歩いている時間全部が、心楽しいものと感じられるようになってくる。与えられた時間をいかに楽しめるものにするかという演出力がリーダーの腕の見せどころというわけだ。
 登頂主義が登山なら、山歩きは山中の滞在時間を楽しむ行動技術ということになるだろうか。



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■チャレンジ金峰山……同行ルポ=高橋健次(翻訳家)+撮影=矢嶋宰(出版写真部)

●予報どおりの雨のこの日、山は濃い雲の中にあった。吹きさらしの山頂部から、樹林帯に向かって一気に下る。残念ながら、展望はほとんどなかったが、幽玄の雰囲気は堪能した。
●雨の日の出発は心が重い。リーダーのいちばん大きな役目は雨の日にGOサインを出すことだろうか。歩き出してしまえば気持ちはだんだん切り替わってくる。
●沢筋での休憩にシャキッとしようとするひとも出る。腕カバーを足首にはめて泥除けのスパッツにするのはわが会のささやかな伝統のひとつ。雪の山ではビニール製の水仕事用腕カバーが活躍する。
●元林道は崩落して一度沢に下りる。いくぶんの緊張感が、山歩きの態勢をつくっていく。メンバーが使用するダブルストックは石突き部分の金属が良質で岩への食い込みが抜群にいいので、命を預けるような使い方もできる。
●森林の中ではカサが合理的なのだが、両手にストックを持つひとが増えて、カサの使用はマイナーになってしまった。強い雨の中ではザックから回り込んだ雨がズボンを腰から濡らしてしまうので、下半身は雨具をつけた方がいい。





●登山道はかなり奥まで沢沿いに登る。ところどころに紅葉らしい点景を見つけるが、今年は色も悪ければ、タイミングもそろわない感じ。取材カメラマンの溜息が聞こえてくる。
●最近の山では元気のいい大木がネジ折れているのをよく見る。大雪があると、枝を張った木が上から巨大な力で圧殺される。ゴジラの襲来をほうふつとさせる雪害。
●山小屋泊まりで安眠を確保するために透湿防水素材の寝袋型カバーをたいていの人は持っている。KさんとYさんは緊急野営用のテントもどき(ツェルト)で雨の一夜にトライした。外見はみじめでも体は濡れっこないしかけ。
●参加者は花を見る余裕などなかったが、こちらも必死のカメラマン氏はかたわらに咲くアキノキリンソウを撮っていた。
●リーダーのプランでは臨時列車のチェックがもれていた。参加者が裏ネットワークで勝手に計画変更。旅行気分にひたる。豪雨の中とはいえ、貸切同然とはいえ、村営バスの行き先延長までやってしまった。
●ほんとうは秋空の下、本格的な焚き火と鍋料理というイメージだったが、ときどき猛烈な雨が来るので布屋根の下で闇鍋状態。食べてビックリ味の半屋内宴会となった。
●焚き火は外、別に布屋根の下にV字型の股釘でゴトク型のかまどをつくって鍋を置いたが、鍋を囲むと屋根からはみ出た背中が濡れる。半分逃げ腰状態ながら、鍋を五回だか、六回炊いた。
●キャンプ場に着いたときはすごい雨。とりあえずアズマ屋に逃げ込んだ。ロッククライミングのゲレンデとして知られる岸壁を双眼鏡でチェックするも、もちろんクレージーなクライマーなどいやしない。
●何タイプかのテントを雨の中で張るが、指導はしない。教わったってすぐに忘れるし、応用力がつかない。あれこれと、試行錯誤のチャンスを与えられることが重要なので、無制限一本勝負。
●キャンプ場内の落ち枝はみごとに拾われているのがこのキャンプ場の特徴。でも五分も林に入ればこんなぐあい。すばらしい薪をいただいた。





●山頂の濃い雲の中に沈んでいたのが金峰山名物の五丈岩。城の廃虚のように見えるけれど、南アルプスや八ヶ岳方面からこの山を見ると、まろやかに盛り上がった山頂稜線にポチンと乳房みたいな突起がひとつ。それもちょっと印象的な不安定さが目印になる。





●標高二五九八メートルの金峰山山頂に露出した五丈岩で記念写真。全一五人とカメラマン氏。お疲れさまでした。
●一泊ひとり五〇〇円でキャンプしたのは、ちゃんとした自然木の焚き火をしたかったから。ホンモノの焚き火だから何度もの豪雨をくぐり抜けて、じっくりと熟成していた。

■雨に濡れて露恐ろしからずの中高年……文=高橋健次(翻訳家)

 小淵沢のホームに降り立ったときには薄日がさしていた。しばしホームで待機するうちに、今回の参加者の顔ぶれが集まりはじめる。
 ほどなく十六名がそろい、たがいにあいさつを交わしていると、「ぜったい駅弁を買うべきよ」という大きな声が耳にはいってくる。「ここの駅弁は全国駅弁コンクールで一等になったの」とY嬢が真顔で説明している。そこで一同ホームの売店まで移動し、駅弁を買い求める。「元気甲斐」という名の、堂々たる二段重ねだ。
 小海線に乗り換え、車中でその駅弁を開く。西と東の味を盛り合わせたそうで、ごはんも二種類入っていて、たしかに実力がある。ボリュームがありすぎる、とこの駅弁を敬遠していたはずのK嬢とS嬢の膝にも、なぜか同じものが乗っている。
 腹いっぱになったころにはみんなもうち解け、これからのキャンプと山登りの話題に花を咲かせる。
 ところが、いつのまにか窓ガラスに雨滴が。と、思うまもなく、外は土砂降りの雨に変わった。天気予報ではここしばらく雨だといっていたから、なんのふしぎもないのだが。それでも全員が、「今回はTさんがいっしょだから、きっと明日は晴れるだろう」とたかをくくっている。T君は「晴おとこ」として定評があり、これまでの確率九九パーセントという実績を誇っているのだ。
 バスでキャンプ場へ到着。さっそく二手に分かれてテントの設営と夕食の準備。テントは大型が二張りと二人用が三張り。それに、集会場用として、大きなフライシートを張る。伊藤先生のかけ声とともに作業はてきぱきと進んだ、といいたいところだが、「そっちのロープをそこの枝に結んで」と指令を受けても、どうすればいいのか、まるでわからない。「あとから長さを調節できるようになっていれば、どんな結び方でもいい」といわれると、いっそう困惑する。しかし、だれもどなったり、いらついたりはしない。なにしろみんな、多少のことには動じない中高年者ばかりだ。
 いっぽう、流し場を担当した連中は、屋根の下で雨をしのぎながら、野菜を刻んだり、食器を洗ったり。いつもは口ばかりで面倒なことには手を出さないN君が、意外に手ぎわよく包丁を使うのを見て、「家でやらされているのね」と女性連中がひやかす。「あたりまえだ、女房の料理よりうまいものを食いたいからね」とN君が応じる。
 いよいよ夕食。自分たちで拾い集めたたきぎを燃やし、エビやホタテの入ったぜいたくな鍋料理をつつく。いつものようにS君が「十六茶」のペットボトル取り出し、中に詰めてきた美酒を飲み助どもにふるまうにつれ、宴会はひときわ盛り上がる……はずだったが、滝のように流れ落ちる雨とテントをばたつかせる強風に、だれもが不安を感じていたらしく、あまり酔いがまわらない。
 そこで一気に景気をつけようと、地元信州出身のI嬢に一曲所望。今回のような顔ぶれだと、めったに歌などうたわないのだが、今宵は例外だ。ところがなんと、I嬢がうたいはじめたのは「横浜市民の歌」だった。ともかくもこの場は、すべて絶好調のヨコハマにあやかることにして、一曲聞き終わったところで宴はお開きに。
 翌朝三時半、カッカッという音で目が覚める。伊藤先生が薪を割って、火をおこしている。寒い。吐いた息が白く見える。雨はやみそうにもない。みんなが起き出してきたところで、H君が昨夜の悪戦苦闘ぶりを披露する。二人用テントに一人で寝たから楽勝のはずだったのだが、足下が濡れてきたので立ち上がろうとしたとたん、頭が触れてテントの内側から水がしたたり、上半身もずぶ濡れになった、という。
 予定より大幅に遅れて、午前六時半、登山開始。まずは左手に川を見ながら、ゆるやかな林道をのぼる。川はごうごうという音とともに濁流さかまく状態だったが、全面が真っ白に見え、まるで日本画の「奥入瀬の渓流」そっくり。
 とろとろ二時間ちかく歩いたところで丸木橋を渡ると、山道に入り、きついのぼり坂となる。木の幹が雨に濡れて黒く、左右の林は薄暗い。前方を行く人びとの赤や黄のザックカバーだけが、やたら目につく。
 不意に「あれ食べられますよ」とS君がいう。こちらはなんのことかわからず、立ち止まる。S君のゆびさす方角を見るのだが、なにも見えない。しばらくたってようやく、二〇メートルほど先に白いキノコが群生していることがわかった。「味は?」と質問してみると、S君の答えは「いや、たいしたことないですよ」。これは彼の口ぐせで、彼のような山のベテランにとってはすべてたいしたことないらしいが、こちらは足下の地面を見ながら進むだけでせいいっぱい。同じ道を歩いていても、こんなとろこに経験の差がはっきりあらわれる。
 歩きくたびれて少し隊列が乱れてきたころ、「あ、小屋が見えた」というかん高い女性の声が前方から。ところがすぐ、どうやらナナカマドかなにかの紅葉を山小屋の屋根と勘違いしたらしいことが判明する。そこで気合いを入れなおし、と思ったとき、しんがりを歩いていたK君が、体調がよくないので引き返すという。
 これには一同びっくり、がっくり。というのも、彼も山男だから本人のことは任せておいて心配ないのだが、なにしろみんなは「晴おとこK君」にいまなお期待をつないでいたので、ここで彼に見放されるとおしまいだからだ。
 事実、その通りになった。地にへばりつくようなハイマツとダケカンバの低木のあいだを抜け、山頂に出たが、雨と霧でなにも見えない。そんな状況のなかで、平均年齢五七・五歳のおじさん・おばさんたちは、めいめい好物のラーメンやおにぎりを取り出し、小学生の遠足みたいにはしゃぎながら、たっぷり昼食を楽しむ。
 午後四時すぎ、もとのキャンプ場にたどりついたころには、雨はいっそう激しくなっていた。みんながそろったところで、伊藤先生がまとめのあいさをつした――「今回はほんとうに秋らしい山を経験できましたね。これほど秋雨前線が活発なときはそうありませんよ」
 ほんとかなあ。こんどは晴天の日にのぼって、自分で確かめてみよう。


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