軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座035】再び「登山用の靴」について――2007.3.25



■新しい防水運動靴――1998.1.20
1998年の1月の写真だが、雪の陣馬山への登山口で。左はミズノの空気穴のない合成皮革の防水運動靴(アシックスのスノトレと同等品)。右はナイキのゴアテックス防水運動靴。



■モントレイルの防水ウォーキングブーツ――2006.12.16
モントレイルの本命は、おそらくゴアテックス防水のないトレイルランニングシューズなのだろう。ゴアテックスはランニングの発汗を処理しきれないから。



■ブルックスの防水ウォーキングブーツ――2006.12.19
これは3Eだったか、4Eだったか。注文すれば全国のスポーツ用品店で買えるのではないかと思う。山靴が合わなくて苦労している人はぜひお試しあれ。


●「足元」を見られた話

 足ごしらえについては、この講座の第3回「最初に用意する装備」(2005.11.15)と第5回「登山靴を買う前に」(2005.12.20)に書いたので今回はその続きということになる。
 結論からいうと、世の中は私が永らく望んできた方向に大きく動いているといえる。山歩き用の靴が限りなくウォーキングシューズに近づいてきた。
 話はちょっとずれるが、先日(2月下旬)北八ヶ岳の北部を歩いた。ある小屋に泊まって、翌日は蓼科山までというスケジュールだった。
 着いた早々、小屋の人に注意された。
「足ごしらえを見ると、蓼科山までは無理ですね」
 翌朝、出発の前にも、もう一度、
「あなたの足ごしらえと、メンバーのようすでは、無理だと思う。止めることはできないけれど、事故が起きたらどういわれるか、わかっていますね」
 真冬の北八ヶ岳にはここ10年間、ほとんど毎年来ているけれど面と向かってそういわれたの初めてだった。
 以前、テレビの仕事で冬の山小屋を連続取材したときに、黒百合ヒュッテの米川正利さんと下ったが、私が運動靴にレジ袋(手提げポリ袋)をはいて軽アイゼンをつけているのを見て、
「私らはゴム長靴1本ですけれどね」
 と、ちょっと微妙な言い方をしていた。
 それ以外、だいたいの山小屋に泊まったけれど、マナーにうるさい小屋も含めて、北八ヶ岳でそういわれたことはなかった。
 すなおな感想が聞けて、じつはうれしかったといっていい。
 真冬のマイナス10度Cの山で、メッシュのランニングシューズはやはり問題だ。見過ごしにはできないはずだ。山小屋の責任者として、注意すべきは注意するというその小屋の姿勢は好感を持てた。
 まったくそのことによって、私が年間100日前後を、1足の運動靴(ランニングシューズやスニーカー)ですませているデモンストレーションが、まだどうしても危険思想としか理解されないことが明らかになる。
 山の本でも、入門登山のリーダー的存在が「足ごしらえ」を説いている。スニーカーで山に行くなどもってのほかだと。
 山の常識がそうなので、私にそそのかされて運動靴派になった人が登山ツアーに参加したり、山のグループに加わったりすると、お叱りを受けるという。「足元」を見られるのだ。
 私はもちろん、粋がりで運動靴を履いているのではない。きちんとした軽登山靴を履いている人に対しては、下りでつま先が下げられなかったり、老齢化による脚力の衰えを感じる場合、それと足に合う靴がなかなか見つからない人に対して、運動靴への履き替えを強くすすめてきた。
 いわば救命救急の方法として、足裏の感覚と重心移動の微妙な感覚を取り戻すために運動靴を利用してきた。


●防水運動靴への試行錯誤

 以前、ナイキがACG(オールコンディションズギア)ブランドでゴアテックス防水のランニングシューズを冬期限定販売していたことがある。ほしいサイズがすぐになくなるので、みんなで情報を交換しながら買い歩いたことがある。
 その前はアシックスのスノトレだった。スノトレ・ブランドが地域限定販売に縮小されたときには、出先の雪国で探し回ったこともある。
 もちろん私も最初は登山靴から入った。高校や大学の山岳系のクラブ員が最初にオーダーメイドの山靴をつくるのがごく常識的な時代だった。
 軽登山靴の時代にさしかかったころ、各メーカーがそれぞれ自前のソール(靴底)をつけはじめたのに大いなる不審を抱いたのも、ビブラムソールが圧倒的な世界基準だと思っていたからだ。
 まったくの初心者に山歩きを指導するようになって、山靴がヒザや足首の関節まわりをいためやすい構造になっていたことに思い当たった。それについては単行本で段階的に論を進めてきたけれど、重登山靴から平地の歩行性能重視に切り替えたのが軽登山靴となり、もう一段進めれば下りで関節への衝撃を与えないしなやかな歩きを実現する「柔登山靴」への進化が残されていると信じるようになった。
 運動靴の提唱は、そのしなやかな歩きの実現に向けてのことだったが、現実には大きな問題が残っていた。雨対策だ。
 いまでも、とっくに運動靴派になった人が、天気予報で雨らしいと考えたときには登山靴を履いてきたりする。軽登山靴の買い換え時期の判断が「雨がしみる」ことによるというケースが多い。
 運動靴、とくにランニング用トレーニングシューズは軽くてしなやかで、濡れても乾きやすくて理想的なのだが、首都圏周辺の冬の山では、0度C前後の湿った雪は濡れたスポンジを踏んで歩くようで足を濡らす。(マイナス10度Cぐらいになると低温だけが問題になってくるのでかえって扱いやすいのだが)
 そこでいろいろな防水対策を試みた。冬にスノトレやナイキのゴアテックス防水シューズを使ったのはその時期だ。
 その後、靴は単純なアウターシェルと考えて、その内側で水濡れに対抗すべく、防水ソックスを試みる。ゴアテックスの防水ソックスももちろん使ってみたが、シールスキンズ社のものが決定版という結論になった。以来、私自身はメッシュのランニングシューズで、必要なときに防水ソックスをはくという方法で、1年間100日の山歩きを1足ではきつぶしてきた。
 しかし運動靴は、山では白い目で見られる。ほかのグループに参加したり、登山ツアーに参加したりする人はダブルスタンダードが求められる。私自身も困ったもんだと思っていたが、光明がさしてきた。山歩きの靴市場が、登山靴メーカーとスニーカーメーカーの合戦場になってきたのだ。


●ゴアテックス防水のウォーキングブーツ

 ナイキの季節限定ゴアテックス防水シューズの後に登場したのはトレクスタ(TrekSta)だった。軽登山靴より軽くて、私がいうしなやかさも備えているということで、何人かの人がはいていた。
 私は当面、反対だった。格安価格のトレッキングブーツやハイキングシューズのように、重苦しい顔つきをしただけの安物靴にゴアテックス防水を加えただけに思えたからだ。
 しかし、今回、調べてみて謎が解けた。登山後進国の韓国は一時、世界の安物靴の製造現場となり、それが中国などへとシフトされた。90年代のその凋落の中から立ち上がった登山靴メーカーがトレクスタであったという。
 トレクスタが最初に開発目標として定めたのは「世界の常識を超える290g」であったという。
 その話が本当なら、次の超軽量登山靴の時代は韓国のトレクスタが切り開くかもしれないと思う。残念ながら日本ではまだ、290gの登山靴などだれも買わないにちがいない。だからごくありふれた安物のトレクスタだけしか目にしていないのかもしれない。
 ほぼ同時に視野の端にあったのは米国のモントレイル(montrail)だ。トレクスタと比べると価格は高めで、周囲に買った人がいなかった。軽快感はあったが、とりたててアピールされた感じはなかった。
 1980年代後半、米国シアトルで主流だった重く、硬いブーツに対して新しい波として登場したという。モントレイルというブランドになったのは1997年というから、比較的早い段階から日本に入り始めていたといえそうだ。モントレイルは「トレイルランニング」という分野に向かって走りはじめる。
 そして「活動的なトレイルランニング・シューズ」と「安定感と耐久性に優れるハイキング・ブーツ」という「異なるふたつのカテゴリーを結びつけ、融合(フュージョン)させたのがフュージョン・ライン」だという。
 山野を走るというイメージを積極的に押し進めて、いまや注目ブランドとして成長してきた。ただ、ナイキと同様、日本人にはむずかしい細身の木型が使われているようだ。ゴアテックス防水のものは値段も20,000円に近く、それだけの価値を感じるかどうか……。


●新しい一般登山道用登山靴へ

 登山用品店に行くと、この2社を含めて、おそらく10種類ぐらいのゴアテック防水のウォーキングシューズ/ブーツが並んでいる。いちおう防水だし、軽めだし、柔らかさもあるので私の運動靴論からすればおそらく合格点……ということで周囲のみなさんに積極的に買ってみたいただいた。
 私も、10,000円を切るナイキのものを買ってみた。
 これまでの軽登山靴と比べたら、もちろん二歩も三歩も前進したという感じがする。登山用品店ではおそらく「これは登山靴ではありませんよ」というだろうが、登山靴に混じっても白い目では見られない。「いずれちゃんとした登山靴を買ってくださいね」という程度の執行猶予というところ。安心してすすめられるようになった。
 だが、そこのところに、やはり問題が残っている。これまでの安物のトレッキングブーツやハイキングシューズにゴアテックス防水がついただけ、ともいえるのだ。ブランドはいろいろあっても作っているのは中国だし。
 日本の登山者の常識的イメージの範囲内で売られているので、そういうことになる。ところがランニングシューズの専門店に行くとそこにはトレールランニングというジャンルが成立し始めていて、ランニングにはゴアテックス防水は不要という排他意識が少しずつ変わりつつあるようだ。
 そのうちにうれしい発見があったブルックス(BROOKS)も同様の防水ウォーキングブーツを出しているのだが、これは日本の最大手の運動靴メーカー「アサヒ靴」が1983年から契約している国内生産に対するブランドで、事実上日本の靴なので日本人の足に合わせた3E、4Eの靴を用意している。軽登山靴が足に合わないで苦しんでいる人には朗報といえる。
 世界に冠たるスポーツシューズメーカーのミズノやアシックスもこのカテゴリーの靴を出しているのだが、ウォーキングのイメージに固執して、トレイルランニングにはまだ走り出せないでいるみたいだ。とくにアシックスにはスノトレのゴアテックスバージョンの復活を期待したいのだが。
 価格帯としては8,000円から19,000円あたりで、おおよそ10,000円前後で買えるゴアテックスのウォーキングブーツは脱登山靴の大きな流れを作り出すだけでなく、私の目には非常に危険に見える格安トレッキングブーツやハイキングシューズを駆逐する力を持っている。山で運動靴よりこわいのがその手の格安山靴だということに、山小屋の人も、登山の指導員もあまり認識がないようだ。ゴアテックスもこれまでのような厳しい品質保証をメーカーに求める立場ではなくなっているのだろうが、ゴアテック防水をひとつの土俵にとして登山靴メーカーも、スポーツシューズメーカーも競い合うというマーケットが成立してきた。
 そのなかで、デザイン的にひときわ目立つのがメレル(MERRELL)だが、これは米国ユタ州の靴職人ランディ・メレルのカスタムブーツをスプリングボードにして、ロシニョールスキーにかかわっていたクラークとジョンが立ち上げた総合靴メーカーということらしい。19881年が創立で、ランディ・メレルは自分の名を冠した会社から早々に去っている。
 メレルという会社は生産拠点を世界各地に置きながら、登山靴、テレマークスキー用ブーツ、スキーブーツ、ハイキングブーツ、ロッククライミングシューズ、スポーツサンダルと事業規模を拡大して、2000年に「スピードハイキングやファーストパッキングといった新しい形のスポーツに対するハイカーのニーズに応えるべく、ビブラム社と共同開発したニューアウトソールを身にまとったカメレオン(Chameleon)シリーズを発売」とホームページにある。
 こういう新しい流れが、一般登山道(登山技術全体から見ればアプローチルート)で肉体の解放感を味わいながら歩きたいと考えている多くの一般登山者のところまで届きはじめている。
 ……で、ナイキのゴアテックス防水ウォーキングブーツを購入した私はどうなったかというと、足裏の感覚が鈍ったまでは我慢できたのだが、雪の山に行くとなるとスパッツが必要だということに気づいた。メッシュの運動靴なら防水ソックスのなかにズボンの裾を巻き込んで、ゴアテックスパンツはふつうにはいたままで、深い雪の中も問題なく歩ける。雪の期間は結局運動靴+防水ソックス+貼るカイロがいい……というわけで、2月の北八ヶ岳もそのスタイルで出かけたのだった。


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