2007.3.23_宮田 禎子――ワンポイント・レポート「おてんじんさん」


■2007.3.23_宮田 禎子――ワンポイント・レポート「おてんじんさん」

●伊藤幸司様
●この度、糸の会に入会させていただきました。有難うございます。
●桜湯さんから糸の会の魅力についていろいろ伺っていましたが、この度頂きました2007年度予定一覧を見て、歳と共に重くなっていた私の腰がやっとあがりました。体力やその他と相談しながらできるだけ参加させていただきたく思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
●ここで、いきなりポイントねらいです。
●糸の会の山行に一度も参加したことがないのにナンテずうずうしいと思われるでしょうが、それは、全く正解でその通りです。
●山道を歩きながら考えた。と、漱石さんじゃーあるまいし、私の考え休むに似たりだろうなーと思いながら駄文を書いてみました。ただ、ひたすら、1000文字達成だけを目標にして。少し引き伸ばし過ぎた感がなきにしもあらずですが。
●ハイキングは20数年ぶりです。作文は約60年ぶりです。

■「おてんじんさん」
 2月17日は心配していた曇り空も甲府盆地に近づくにつれすっかりいいお天気になっていた。高川山ハイキングである。お天気はいいし、頂いた案内書には「超初心者向きの山」という伊藤コーチの言葉があり、昨年6月から朝日カルチャーの「山登り入門」で歩きはじめた超初心者の私は、やったー、私向きの山だーとばかりるんるん気分で歩きだした。しかし、やっぱり登りはきついし、下りもきつかった。そして何より、やっと下りきったかなと思ってからの歩きはけっこうすごいものがあった。出発前に地図で見たところでは、くだりというか帰りは等高線にそったなだらかな坂道をのんびり下ってくるものとばかり思っていたからである。そこで見えてきたコブのような眼前の山は当然避けて通るものとばかり思っていた。が、コーチは登っていくのです。マッサカーと思いながらもとぼとぼとついていくしかない私です。そしてやっと下ってきてふと見ると前には又コブみたいな山。今度は避けるよねと思いきや又登る。下りると又コブ山。又登る。何回繰り返したことか。
 その登り下りを3回か4回繰り返して小休止をとったところに不思議なものを見つけた。誰も知らん顔をしているところをみると、知らないのは私だけらしい。谷に下る少し前に小さな祠があったのである。見たところまだ新しそうだがその側にたっている棒杭はちょっと年季が入っていて古そう。杭には丸みを帯びた柔らかな筆致で「おてんじんさん」と書かれていた。祠の前にはいくらかのお賽銭もあげられている。ほとんどは1円玉と5円玉であるがなかには10円玉も散見された。こんな所に祠を建てた人はなにを祈ったのだろうかと気になった。なんせ山道である。天神様である。
 浅学無知な私は、咄嗟に天神様といえば菅原道真公しか思い浮かばなかった。まさか道真様が恨み骨頂に達して京都を通過して山梨まで来てしまったかと、そんな馬鹿なことはないよね。とか、道真公は神様になってしまったのだから、全国津々浦々どこでも出没可能であることは分かるけど、それはあくまで祈りを捧げる人のいるところに出てきてくれるわけで、仏様ではあるまいし、蛇やモグラやましてや松喰い虫のために現れるなんてことあるわけないよね。とか、悩みながら歩いた。
 しばらく考えてやっと天神様はもともと日本古来からある八百万の神の一人、雷神様だったことを思い出した。つまり、雨の神様である。
 地元の方々が雷のためか、天候不測がちの盆地の天気の何かを祈ったのかは聞いて見なければ分からないが、要するに雷神様を祀ったのかも知れないと思い到りやっと腑に落ちた。でもこれって勝手に腑に落ちているだけで全く違っているのかも知れない。第一、普通は「天神様」と「さま」付けだがこれは「さん」付け、しかも上には丁寧に「お」がついている。親しみと尊敬の念を込めたのか、はたまた別のものなのかやっぱり分からない。本当のことをご存知の方がおられたら教えていただきたいと思っています。
下りきる直前には内裏様があった。それを見てあの「おてんじんさん」はやっぱり藤原道真公だったのかしらん、と、またまた謎に包まれてしまった。
 しかし、あの長い下山道を、飽きることなく無事に下りてくることが出来たのは、伊藤コーチの御指導とあの「おてんじんさん」のご利益だったかと感謝している。
■追伸
●気がついて、これまでの皆様のレポートを拝見しました。私の書いたものがあまりにも稚拙であったため一度は引っ込めましたが、一応1000文字は達成したので送ってみました。あしからず。


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