2007.5.6_国木田 之彦――ワンポイントレポート「6e六甲山」によせて
■2007.5.6_国木田 之彦――ワンポイントレポート「6e六甲山」によせて
小中高と神戸ですごしました。今期6eで六甲山が計画されたので子供のころを思い出しました。
神戸は山と海にはさまれた東西に細長くのびた街です。北を指すとき「山側」、南を指すとき「浜側」といいます。どこからでも山を見れば方角がわかり、坂を上っていくとそこが山です。
毎朝、山にのぼる会があります。小学生の頃、昭和25年ごろです。日曜日の朝、祖父と再度山(ふたたびさん)に登っていました。山あいの女子高や山肌にへばりついている人家のあいだを歩いていくといつのまにか山道になっている。今おもえば距離はたいしたことはなかったのでしょう。30分も歩けば茶店に着きます。パンを食べて、それもトースト、ホットミルクを飲む。定番のおでんやうどんというメニューはなかったのかこれしか思い出せません。すでに定連さんが何人かいて新聞などよんでいる。つぎつぎ登ってきた人があいさつをかわす。毎朝登っている人はここで記帳をします。「山を歩けば」(共同通信社)によるとこの「毎朝登山」は大正時代から始まり戦前から盛んだったようです。現在は東西に9つのコースが設定されています。千回ごとに市長表彰があり多い人は1万6千回をこえるということです。
再度山の奥に修法ヶ原(しおがはら)があります。池があり人工的につくったような公園です。小中学校の遠足で何度も行きました。外人墓地があります。そのころは自由に入れたのです。山の上なのに広々としていて横浜の外人墓地とは印象が違います。今は車がいっぱいかもしれません。
もう一度登ってみたいのが菊水山、458m、です。六甲全山縦走大会のコースになっています。中学生のとき友人と3人で何度も登りました。南の登り口は木がまったくない草っ原です。ゴルフ場はまだできていませんでした。裏へ下りると沢筋があります。ここを開拓し隠れ家的お気に入りルートとなりました。人とであったことはありません。弁当とおやつを持って一日がかりです。途中の岩のうえに陣取り火をたきお湯をわかす。お腹をすかせて沢ガニを煮たことがあります。食べるほどのボリュームはなかったのですが。沢の途中に滝があります。10mはあったでしょう。巻き道をとって木にぶらさがりながら下りました。踏み跡があったのでしょう。下におり神戸電鉄の線路づたいに駅まで歩く。地図を見るといまはトンネルになっています。
すでに半世紀も前のこととなりました。
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