2007.5.29_林智子――ワンポイントレポート「オカン」


■2007.5.29_林智子――ワンポイントレポート「オカン」

仙台の香りは やや 北のほうの 緑の香りがしました。
仙山線に ゆられてついた 山寺は 不思議なところでした。
やや 翳ってきた それでも 時折の 木漏れ日の 新緑に
はっとしながら 一茶の後を たどりました。
知識欲よりも 感性よりも 絶対に 食べなくてはいけない
<ちからこんにゃく>と <ラフランス・アイスクリーム>を
奥のほうまで しっかりと 見ているであろう コーチたちを
ウフフなどと  思いながら しっかりと いただきました。

仙台で 食べるべき お勧めとして やはり <牛タン>が
一番にあげられていますが 昭和初期に 夏のラーメンの研究が
行われ 元祖 冷やし中華が 生まれた<龍亭>なるところが
あるそうです。

山形名物として 冷やしラーメンなるものがあるということで
これは 今回の 面白山歩きの どこぞで いただきましょう!
と 私の 頭のどこかに インプットされておりましたが
チャンスを のがしました。

が・・・捨てる神あれば 拾う神あり・・・。
今日 千葉<三越デパート>では なんと 山形物産展が開催。
もしやと思い 出かけてみると メインが<冷やしラーメン・がっさん>
と きていました。
ウフフ と さっそく です。 お味はネ・お味はネ・和風で冷たい
ラーメン・・・・・ムムム・・・ま・良しとしましょう。

仙台の 行きと帰りに コーチが 牛タンの研究に 走り
回っておられたころ 私たちは 行きも帰りも 同じおすし屋さんで
海の幸を いただいておりましたが <ほや>がだーーいすきという
河田さんから 一口 ほやを ご馳走になりました。

ほやは 弘前の家庭では ごくごく 普通の食べ物であり
小さい頃は はたはたや 数の子や なまこなどと 同様に
食卓に 当然のように 出されていたものでしたが
なまこと同様 ほやの あの不気味な 怪しいすがた 形
色 においには とても 小さい私は 太刀打ちができない
わけのわからん 食べ物でありました。
河田さんの 暖かいお勧めに 一切れいただき とても おいしい
酒の肴であるなあ・・・・と 心を入れ替えることになりました。

そういえば 昔々 我ら夫婦が それぞれ 独身であった頃
孝二郎氏が 夏休みに 岩手山と岩木山登山を試み 夏休みで
帰省していた 私を たずねて 弘前に来訪しました。

そのときですね!
喜んだ 我が母が 弘前が誇るほやを ご馳走したのですね。
<おいしいです!>と 孝二郎氏はおっしゃいましたのよ。きっと。
それから めでたく 結婚などし 帰省のおりには <ほや>は
我が母の歓迎の ご馳走として ながーく ながーく 母の
元気がなくなるまで 続きました。 千葉県人にとり ほやは
珍味。 そう信じた母によって ほやは 孝二郎氏にとっての
母の味と なりました。

母といえば 今日 <東京タワー・オカンと・時々・オトン>を
見てきました。
これは オカンのことが 切なくて 見るのはやだ! と思って
いたのですが ぼちぼち 終わっちゃうという 今になって
やっぱり <ないてもいいから 見てこよう>と でかけました。

私の オカンと リリー・フランキーさんの オカンとは ぜんぜん
違うのに オカンが 癌で苦しむところなど 切なくて切なくて
私は たいへんでした。
私の オカンは 95歳まで 生きたのだし 苦しい病気などでは
なかったけれど。

北のほうの 駅に降り立つと 必ず 故郷・弘前と似ている
香りがしてきます。それは 弘前に 近づくほど 香りは
同じです。
私が 小さいとき 味わった 桜の 木の香りや 春の。
そして 夏の香り。
仙台ももちろん 山寺も 面白山高原駅も 同じ 弘前の
なんて いい香り。
そう・・ 山は おそらく 木々の香りに満ちているから 故郷へ
帰ったような 母の 元へ帰ったような そんな 安心感があるのでしょう。

白神山地は 本当に 私の故郷に近いのです。
私は 別のことがあって 不参加ですが その頃
<かあさん お願い> フランスの子供の歌 や <故郷>を
練習しているでしょう。
<故郷>は 私 歌えないの・・・と いう 友達と。
その友達は 数年前に 母を なくしました。

大人になって 母を失い<父もそう> 心に多くの
ひだひだができました。 自分がその オカンにちかくなりました。
子供たちも 心にひだひだが できてきたことでしょう。
その子供たちに 甘えながら これからもしばらくは 山に行くでしょう。
かつて コーチに <子育てについて・どんな風に 育ってほしい
とか 思っていましたか?>と 聞きたがりの
わたしは 聞いたことがありました。 そのころコーチは
そんな資格は無いのです・・みたいなことをおっしゃっていました。
私の父も そんな風に 思ってたのかなあ。
私は 私の子供たちには <こんなでゴメンネ!>と 誤りたい
感じできました。

次回の山歩きは 六甲山です。
京都の姉から 電話があり 神戸にもう一泊したあと 私は
姉を たずねて 京都にもよることに 決めました。
64歳に なった 姉が 今日見た オカン<きぎきりん>と
あまりにも 似ていたので 胸をつかれました。
元気者の 母に 育てられて 元気印の姉も はや 64歳。
元気印の末っ子の私も あら 61歳。
強くも 賢くも 何にも なれず いまだに <おかーさーん>
などと 言っているのです。


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