2007.8.15_林 智子――ワンポイントレポート「富士山もの」


■2007.8.15_林 智子――ワンポイントレポート「富士山もの」
*久々に登場したワンポイントレポート。最低文字数1,000文字を軽く突破した分量も、ですが、林さんのものとしては初めて見る文章形式(行頭のバラバラ下げや字間のバラバラ空け、改行の大胆不敵など)の「フツー」さゆえに、そのまま提示できることを評価して2ポイント差し上げます。

山歩きを始めてから 富士山を まじかに 仰ぎ見ることが多くなった。
その 美しさと 神々しさには 言葉もなく 自然に 手を あわせたくなってしまう。

街の中で見つけた <富士山もの>にも 手を合わせたくなり
それらしきものにも背を向けては とおれなくなっていた この 何年かだった。

京都 寺町は 古物市通り。
手ごろな アンティク茶碗が どっさり そろっていた。
もしや? と 感が働き 覗いてみると やっぱり あるではないか。
富士山ものが。

富士山もの とは 富士山の模様が 入っている 食器類や 飾り物のことを
自己流に <富士山もの> と決めて そう 呼んでいるのだが。
さすが 京都。アンティーク街。
富士山模様の お皿が 私を待っていた。
<ヤッタワ・ウフフ・・>で 即決。 1000円也。
これは 鯖などの焼き魚を 大根おろしと共に
ちょこっと 乗せるのに ふさわしいから 私専用のお皿としよう。

前回 清水焼の工房でみつけた 私の朝のお楽しみ 
<寝起きに カフェオレ>用に ピッタリサイズの
お茶碗。
美しい。欲しい。
しかし これには 問題が 一つ あった。
息子と 雰囲気が よく似た 工房のお兄さん作の この お茶碗は 
なんと 12000円と まるが一つ多い。

そばにいた <ソンナモノ カウキ?> 光線じっとりの 姉の
視線にも 負けて あきらめはしたが なにやら
<ホシイヨ・ホシイヨ> <ムネンナリ・・・>の
悔しい思いが 胸の底に 残っていたらしい。

今回 また ふっと <カフェオレドンブリ ダ!>と 胸の底が うずき
<アサノ サワヤカナ コオヒイタイムニ ピッタリナ ドンブリクーーン>と
目を キラキラと 輝かせつつ 探した結果 見つけた。

これは 富士山ものでは 無いのだけれど けだるい朝の
<イヤイヤ・・ワタシハ アサダケハ イヨウニ ゲンキナノダ ケダルク
ナンカ ゼッタイニ ナラナイノダ>私に ぴったんこの もやもやした 模様。
昭和の初期に 普通の家庭で 散々 使った 古いものらしい。
これで 私の朝は かんぺきだー。

願わくば <あら?>なんて 間に ぶっ飛んで 壊れたり
欠けたり われたり しませんようにネ。 おねがい!

我が 林家は なにゆえか この 何十年もの 間 多少の
変動は あったものの それらを 経ても 家族構成は いっこうに
変ることがない。 人間が ぞろぞろ 存在している。なぜなんだ?
台所を 預かる おかーーさん役が いっこうに 変らない
わたしは 家事の 簡略化には 命をかける 日々なのだ。

結論として 生活用品は 最低限の物で暮らすのが 一番だ。
無ければ無いほど 暮らしやすい。其れは 山と同じ。
特に 毎回 つかう 食器などは 目を瞑っても 出し入れの
できる食器棚と 飛ばしても ふんでも 絶対に 割れない
頑丈な 一枚が あればいい。 
台所は 常に 物一つない 即 戦える場である事が 一番だ。 

シンプルと言うよりは 殺風景 殺伐 あばら家風
いながらにして サバイバル・・・・
ではあるけれど 実は 其れが一番 暮らしやすい。

おかーーさん役を やりつつも  山にも行き 実力も
つけんと 何がしか じたばたする日々には お茶碗も
お皿も <あれ・ま?>などと言う間も 有らばこそ
私の手を 勝手にすり抜け 勝手に トンで行き 一人で
勝手に 砕け散り 減っていくのだ。 
ご飯つくりは 力技の戦いであり お皿や お茶碗を 洗うのも
また 力技の戦いなのである。
アンティークであれ 新品であれ 物は 増やしたくはない のである。

<アンティイクだわ・美しいわ・大好きだわ・・・>と 我が家にやってきた
京都の 富士山ものも おそらくは はかない命と 終わるだろう。
シンプルライフと言いつつ 物はいらないと言いつつ 買ってきては
壊し 壊れ 結果的に 望んでいる 物の少ない 暮らしだけれど。

優雅に 楽しみながら お茶碗を洗う日々が 来るのだろうか。
京都の アンティーク街で 見つけた一枚を めでつつ
ゆったりと ご飯を作り 家事をする 日々は くるだろうか。
<イイヤ・ナニゴトモ・ケセラセラ・ソウヨ・ケセラセラダ>
<ナニセヨウゾ・クルワバクルエ・・・ハナノシタニテ・ワレシナン>

方丈には ほどとおい この 無欲でない 
混沌とした日々は 実は それはそれで 最高に 面白く 
最高に 燃える 日々なのだ。

いまや おじさん・おばさんにならんとしている 3匹の子豚たちが
むかしむかし チビラとして 暴れていた頃に みんなが 大好きな
絵本があって それは <あたまをつかった ちいさい おばあさん>と
いいました。
そのおばあさんは とても 貧乏だけれど あたまがいいので
そのびんぼうを 頭のよさで 乗り越えますが 実に
まとが はずれた 笑っちゃう 頭のよさなのです。
お団子を結った 大きなエプロンスタイルの ちいさな おばあさんが
おだいどころで 奮闘する さまは どこかの 誰かさんを
思わせました。 
やっぱり わたしは <あたまをつかったちいさいおばあさん>になちゃった!
いいえ・・・ <あたまをつかわない ちいさいおばあさん>!
なにやら たのしい 日々が つづきます。



     旅 ーニューヨークでー

つい先日 A C C <名高い 朝日カルチャー・千葉>の さるメンバーからの
<ばーば・ニューヨークを行く>と 題する メールが 仲間内を
駆け巡った。
息子さんの赴任先 ニューヨークに 孫のお世話か はたまた ニューヨーク見物か。
とにもかくにも おのぼりさん・ばーばは 美術館やら 街めぐりに
目を ぐるぐる させてきた 模様だ。

偶然にも 我が林家も この夏のバカンス<アラ・お金持ち!>は
ニューヨーク貧乏旅行 と きめていた。

こちら ちいさい・ばーば の 興味は なんだろう。
ニューヨークでは 富士山ものは どういう立場だろう?
ニューヨークに行って 富士山ものなんてものが あるのだろうか?
人種の坩堝ということだからして 富士山ものが ど真ん中にあっても
不思議じゃなかったりしてね。
うーーーーん。見当もつきませんなあ。

自由の女神が 目に飛び込み 摩天楼の あの すさまじい
天を突く ビル群が がっと 立ちふさがった瞬間から
富士山もの などという のどかな 思いは ぶっ飛んだ。
これは これは スパイダーマンの街なんだ。
ポリスアカデミーの 街なんだ。
ギャング・オブ・ニューヨークの街なんだ。
キャー・これまで見てきた アメリカの映画そのままの 街なんだ。

ジャズを聴き ミュージカルを見 ホイットニー美術館では 今回の第一の
目的であった 我が生涯の憧れ ジャージア・オキーフの
白と黒<油絵>や 大輪の花<油絵>にも 出会った。
願わくは オキーフには また 会いに行きたい。
私が オキーフの絵なら 孝二郎は 専門の 街つくり・町並みの
勉強だ。ハリウッドスター デイカプリオ 扮する ギャングなどが 暗躍していたであろう
かつての倉庫群が 今は 現代美術の 斬新な ギャラリーとして 姿を
変えようとしている。 其れも まさしく いま 発展途上そのものとして。
かつての 倉庫が 今は チェルシーマーケットとして 姿を
かえた。
小手先の やわな 物じゃない。

そして なによりも グラウンド・ゼロ は 衝撃だった。
当時 粉々に ガラスなどが 崩れ落ちたという 近くの教会も。
悲惨な 出来事は 決して 過去のものとは ならないのだ。

まさしく あれもこれも 欲張りに欲張った 旅であった。
思い出の一品を メトロポリタンミュージアムで 探した。
老年の オキーフの 胸には 常に 銀の 渦巻きの ブローチがあったが
ミュージアムショップには 金の渦巻きの ブローチがあった。
しかし 私としては 絶対に 同じ 銀でなければ いやだ。
オキーフのまねをして 私も 銀の渦巻きを つけるんだ。

今度は オキーフの本場 サンタフェの美術館で 必ず あいましょう と 
密かに 金の渦巻きブローチに 誓った。
代わりに 息子の好きな亀 それも エジプトの 幸運のしるし スカラベを
思わせる なにやら いわくありげな 金の亀の ブローチを 一個。
息子へ と言うよりは <へへ・ニューヨークだっせ・・・>と 楽しみたい
私が 胸に つけるために。

ニューヨークはこれだ・行って来たのだ・の 記念の 一品は
やっぱり こーひいどんぶりだった。
外側が 銀で 中は 真っ白。
真っ白の器が 大好きなのは もともとだが 最近の 社交ダンスの
ドレス<ジーンズ以外は すべて ドレスであると称する わたし>や
きんきらきんの 装身具の影響で 金銀の光物も 好きになってしまった。
金ぴかの 成金だが いいのだ。
娘も 成金の お・ドレスを一枚 記念に。
孝二郎は 黒人の 青年たちが 必ず着ていた おおきめな おしゃれな
シャツを記念に 一枚。

ニューヨークでは 何が 一番 印象に 残ったか。

腕っ節の強そうな 屈強な 其れでいて スタイリッシュな 黒背広の ガードマンと
まさしく ポリスアカデミー<映画です>で見たような 朴訥そうだったり 全身に
どくろの 刺青などが 入っていそうな ポリスと言うよりは 巨人のようだったり
腰が 爆発的に 大きい 若い 女の子や おばあさんだったり・・・
とにかく あらゆる タイプの ポリスが 町中いたるところで 目を光らせ
戦う様子を 見せていたことであろうか。  
これは 決して 泥棒や 盗人を とっ捕まえるためなどではなく
もっと 恐ろしい敵を やっつけるためだろうと 思われた。
2001年 9月の 悲劇ゆえなのか。

そそり立つ 華麗なるデザインの ビルが 夜ともなると
少しずつ 暗闇が 増してゆく。ビルの トンがりが 怪しい。
その暗闇には スパイダーマンが 息をひそめ 闇を見つめている。
ビルには ゴシックあり 大理石あり スパイダーマンが よじ登るのに
おあつらえ向きの 壁が あるのだ。
どこかの 暗闇には スパイダーマンの 助けを求めている 誰かが
いるんだ と 私は 実感した。

マンハッタンを 歩いている あらゆる人種の 多くは ほぼ 観光客であり
お金のある ニューヨークっこは 避暑に 出かけているのだそうだ。
短パンに ゴムぞうりという 緩めスタイルの 人々のなかを 時々
バシッと スーツできめた 都会人が 見られるが 彼らが 
夏も 働くニューヨークっ子なのであろうか。
ミュージカル<オペラ座の怪人>を 見に行った時も ジャズを
聞きに言った時も ドレスアップした おしゃれな人々が 多くいたが
彼らが 旅行者なのか どうかは わからなかった。

さて 富士山ものは どうだったろうか。
銀の カフェオレどんぶりを 見つけた店に 富士山ものが
あった。パン皿だ。
真ん中に げいしゃ。その背景に<ふじやま>。これは きっと
日本が作ったものじゃない バタ臭さが あったが 見れば ドイツ製だった。
私が 買った カフェオレドンブリも ドイツ製だったし そもそも
マンハッタンが アメリカらしいアメリカである と 言っていいのかどうかなんて
たったの 5日間滞在しただけの 旅行者には わからない。
形を 変えた 巨大な デイズニーランドのようにも 見えるし。
どのくらい 広いかも わからない 広いであろうアメリカの ニューヨークの
ほんの 点を 見てきたのだから。 

働く黒人は 多く見た。
ホテルの 入り口の 回転ドアの ガラスを拭いていた おじいさんは
悲しげな 寂しげな 諦めたような しかし あじわいのある とても
良い表情を していたように思う。
そんな 味わいのある おじいさんを たくさん 見たような 気がしている。

       * コーチは 今頃 本物の 富士山ですね!


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