2008.12.25――稲葉 和平さんからレポート「1年を振り返って」


■2008.12.25――稲葉 和平さんからレポート「1年を振り返って」
 今日はクリスマスだから、というわけではありませんが、久しぶりにのんびりとした一日を過ごしています。

 今年の3月で会社も終わり、4月からたっぷりと自分の時間があるはずだったのに、なぜか貧乏暇ナシの生活が続いています。ただし、貧乏の方はその通りとして、「暇ナシ」の方は自分で自由にできる時間が充分にあるのに、気分として時間が足りないのだから、『暇ナシ』とは言わないのかもしれません。
 その、忙しい気分を生み出す最大の要因は山歩きです。手帳に最初にスケジュールが書き込まれてしまうので、他のことはその合間を縫って、ということになります。サラリーマン時代とは時間を使う優先順位が逆転してしまったという事実を改めて知らされました。

 このような山歩き中心の生活は、一年前にはまったく想像していませんでした。昨年の秋ごろから健康管理のために何か運動をしなければ、と軽い気持ちで東上線沿線の外秩父の山を歩き始めましたが、飽きの来ないウォーキングという程度以上のものを求めていたわけではありませんでした。
 糸の会に参加するときにも書いたと思いますが、高校のときに当時流行のワンゲルで山歩きをして以来、ほぼ40年間、スキーというシーズン・スポーツを除いてまともな運動をしてこなかったので本格的な山歩きは二度と出来ないだろうとあきらめていた、というのが本当のところです。

 糸の会に入るきっかけとなったのは、たとえ外秩父のハイキングコースでも山は山、道標が完備されているとは言えず、基礎的な山歩きの知識と経験が必要、とネットでいろいろ読んでいるうちにボンビバンの講座に行き当たったことです。そしてWASEDA講座に参加し、「厳冬期の安達太良山」に釣り込まれてしまいました。
 正直言って、60歳を超えてからでも基礎を身につければ三千メートル級の高山や、厳冬期の雪山にも行けるというのは、「行けることもある」という単なる可能性の話だと思っていたのです。にもかかわらず、伊藤コーチの拒否ではない言葉に、ついつい無謀にも初参加で「厳冬期の安達太良山」に挑戦してしまいました。
 思い返せば、これがいけなかった!! あとはシャブ漬けになるがごとく2月の足和田山、3月は西穂高スノーハイク、高松山、4月は笠山、と山歩きの深みへ一直線。
 5月の連休前に帯状疱疹などという厄介な病気(?)にかかったにもかかわらず、山歩きに眼がくらんでいたせいで体調が戻っていないことに気が付かず7月の平標山に参加して・・・・(ご迷惑おかけしました。以下省略)。9月の仙丈・甲斐駒、大菩薩嶺、10月は巻機山、有笠山、浅間隠山、11月は八ヶ岳・赤岳鉱泉、鶏頂山、12月は伊予が岳・富山、秩父・御岳山、と糸の会だけでも15回、その他にも小さな山に6回出かけているので合計20回以上も山歩きにでかけたことになります。しかも4月の終わりから6月末までは帯状疱疹でほとんど身動きでず、7月後半以降も平標山でバテたので9月の半ばまでは我慢せざるを得なかったにもかかわらず、です。

 今から考えると、よくこれだけの山に出かけることができたし、気分的に忙しかったのも当たり前、でしょう。天候に恵まれたことを割り引いても、糸の会の季節に合わせた山歩きのコース選定の素晴らしさと、メンバーの皆さんのいい雰囲気がなければ、このようなことにはならなかったのではないか、と思っています。
 ここまで来ると、これからもしばらく山歩き中心の生活から離れることはできそうにありません。というより、山歩きを続けられるように身体を、そして頭を、管理していかなければいけないと思っています。

 伊藤コーチはじめ、糸の会のメンバーのみなさん、これからもよろしくお願いします。よいお年をお迎えください。


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