2009.1.6――林 智子さんから「自由のままで・・私の父」


■2009.1.6――林 智子さんから「自由のままで・・私の父」
69歳の夏 父は 死んだ。
肺がんだった。

< お父さん あなたは いつも ソファにもたれて タバコを 美味しそうに
吸っていたネ。私が 其の頃の お父さんの 年に 近づいてきて 同じ年頃のお父さんが
どんなことを 思いながら 日々をすごしていたのか 少し 想像できるかな?
お父さんは どんなことを 思いながら 生きていたのですか?
あたしたちと 同じような 皺や 背中の丸みなんかも あったのかなあ?>

私は 父親っ子だった。
母が 働いていたから 其れは 必然的なことだった。
父は 私専用の 保護者だった。
私は 一度も 父に 怒られたことがない。
いわれなく 怒られたり 理解してもらえぬと 思ったことがない。
父はなんでも 話せば判る人で 私の全てを受け入れてくれた人だった。

父と母は 同じ小学校に 勤務している時に 職場結婚した。
東北の 山のふもとで 若い父と母は 結婚をし 転勤があるたびに 家族ぐるみで
転勤をし 引越しをした。

弘前の 田舎の風景。
幼い姉が 小さいちゃんちゃんこを着て 懐に 手を突っ込んで
岩木山を背景に 立っている。 この姉は 腕白だ。 
近所の ちびっ子たちと一緒に 岩木川に げをを流して 競争した。
誰もいない台所の 米びつのご飯を 全部 近所の子等と 食べてしまった。
冬は 箱ぞりで 山のてっぺんから すべり 途中で ばらばらに はこぞりが 分解してしまった。
2階の 貸家にいた時には おまるをひっくり返して それは 修羅場のごとくであった。
住み込みの 子守<当時 津軽では あだこと言った>を 頼みに 父母は 姉の 腕白ぶりに
あたふたしながらも 若い日々を 過ごしてきた。
そして 家族が 落ち着き 職場も 山のふもとから 市街地に 落着いてきた頃に 4番目の
私が生まれた。 

明治の終わりに 生まれた 父と母は 勉強をしたければ 師範学校だった。
師範学校は 学費が免除されたからだ。
父の父は 学校の先生。そのまた 父は のん兵衛な お医者さんだった。
祖父は 父が若い頃に 亡くなった。
私の父は 当時は 珍しい 今で言う ニューファミリーの 走り だった。
父は 家事を すべて やった。 掃除 洗濯 買い物 ご飯つくり 子供の世話。 
編み物も 出来たし すべて家事を 日々 実行した。男だから 家事は やらない などという
発想が そもそも なかった。
共働きの家庭というものは 男だ 女だ 子供だ・・・などと言っていては
生活が なりたたない。 男であれ 女であれ 子供であれ 其の時 手の空いている人が
家事は やるのであり そこでは 男らしいだの 女らしいだのという 意味は いっさいない。
われわれ 4人の子供たちは 共働き家庭であったこと 父と 母の 物事の考え方からくる
<男らしくあれ><女らしくあれ>という言うことの まったくない 自由な 育てられ方をし 成長した。

後に 大人となり ごく普通の家庭・・ 父親が働き 母親が 家事を 分担するという 家庭を
目の当たりにし 私は 驚き あきれた。これはいったい どういうことだ。
まったく 我が家とは 違う。
私は 男性というものは 当然 すべて 家事を するものだと 思っていたから。
共働きの 我が家のような 体制は 少数派だったと 後に 判明した。

忙しい母に成り代わり 私の父は 末っ子の私の 育児係であった。
私の人生 初の 記憶は 父の宿直にくっついて 小学校に泊まったことだし
同じ頃だと思うが 白い毛糸のケープなど着せられた私が 自転車の前にのせられ
雪の降り続く道を 父と何処までも走っていく。

また 忙しい母に代わり 父は 私の入学式にきた。あんなに お母さんが多い中にあって
父親が来たのは 二人だけだった。私はそれを はっきりと覚えている。
お風呂に行くのも 髪の毛を切るのも父。 
父は 男であっても 家事をやり 母は 女であっても 仕事をする。
父は 割合 感情を あらわさないが 実に さっぱりと きっぱりとした人で 一言で言うと
民主的な人・・ということばがピッタリだった。
人の話を 最後まできく。 頭ごなしに おこるなど 絶対無い。
私は 父が 大好きだった。
あんなふうな 男らしさを 私は ほかにしらない。 男は黙って・・ しかも ジェントルマンだ。
家事だって 編み物だって なんだってやるんだ。
いいわけなんかしないんだ。

父に最期に会ったのは がんとわかって 入院したときだ。
父は ベッドの上で 浴衣を着て 座っていた。
<お父さん 病院は 退屈しない?> きくと <これまでの人生の 来し方を 思っている。
いい人生だと 思っているから 退屈していないよ> といった。
父の髪の毛は ことさらに さらさらと 細く やせた父は 文学者のように 思えた。
そのあと 手術をし 父は 夏の真っ盛りに 帰らぬ人となった。
母や 姉たちは <お父さんは いさぎよすぎた。かっこよすぎたままで 逝ってしまった> といった。
最期まで 家族と 話しをし ふっと 火が消えるように 逝ったのだ。
でも でも でも・・・<其の時 確かに おとうさんは 智子ちゃんのことを 探していたよ・・・>と
後に 姉が 話したとき・・・・・。

私は 娘が生まれる直前で お葬式にも 出ることができなかった。

<だからかしら? お父さん・今もおとうさんが いるみたいで・・凄く 不思議なんだ。
それは わたしにとって ラッキイなことよ。お父さん。
お父さんが さらさらと どこかに消え・・・でも 今も どこかにいる。
多分・・ いつも 私の 心の中の 魂のありどころに おとうさんがいるのね。
このごろ 魂のありどころが とても わかる。
それは わたしが すごく わたしらしいということなんだ。>


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