2009.1.12――林 智子さんの「哲学する ちいさい おばあさん」


■2009.1.12――林 智子さんの「哲学する ちいさい おばあさん」

私の母のことは なぜか 書かずには いられなかった。
母は いつも 私の思いの中にあって 母のことを 思わずには いられないのだ。
母が 老いていって いなくなってしまったことは 私にとって 私の人生 最低の
嫌なことだった。
私は きっと すごく 幸せな 道を 歩いてきて 大きな 絶体絶命というような
凄いことが なかったからだろうか。

自分なりには あれやこれやと 人生の道を 尋ねて <私は一体何者?>
<私は何をする人間?>などと これは 私にとっては 大ことなのだけれど
そういうことで いつも じたばたと やってきた と 思っていたのだが
ラッキイなことに 大きな不幸というものを 味わうことは なかった。

もうじき 63歳になろうという今 私の前には 年齢というものが
大きな 意味があるようになってきてはいるが それでも 日々は ピチピチと
面白いことや 面白い人や わくわくすることばっかりで 毎日 毎日
たびれ果ててはいるが それでも <今日も 元気よく やるぜい!> みたいな
気分で やっているんだし・・・。

ちっとも 大人になりはしないし 回りを見ても <大人デース>という人がいないのが
物凄く 物凄く 不思議だ。
人って そういうもんでも ないんじゃない? そういうもんなのか?
どこかに <私の おとうさんのような 大人>ってものが いると 思い込んでいたけれど
実は 大人って何だ? 実は 大人ってものは 存在しないってことなんじゃないの?と
実に 不思議な思いを 持ちながら 色々なものを みたり 聞いたりしている。
きっと 私の中にある 大人の 民主的なお父さんって言うのは 幻想かもな・・・とか
あれこれ思う。
でも 今は あれこれと 父母 千葉じいちゃん 千葉ばあちゃんのことなんか
思ってみるのは おもしろいなあ。
私の中に あれこれと 保留していることが 山のように 積んであって
答えは でないんでしょうね・・と思っていたけれど。
ひょっとすると 答えが なかった 私の保留事項は もしかすると 全部 パズルが
とかれるみたいに するすると 判って 死ぬ時は ばっちし すっきり 楽チンだったりして。
案外 いいかもしれない。 それを 楽しみにしていようかな。

そういえば 私の 両親は 私にとっては 最初から 両手を広げるごとくに
私ってものを いつくしんでくれたけれど。
お母さんは いろんなことで 怒ったり 笑ったり 泣いたり いつも 凄く
頑張っていて 学校から 帰ってくるときの 姿なんて 両手に 食料を 山のように
ぶら下げて 毎日 いたけどね。 あんなとき <くっそー!>などと 案外
思っていたりして。お父さんは マージャン大好きで タバコぷかぷかふかし 仲良しと
碁 なんかやって あそんでいたしね。

あんな時 彼らは 今の 私なんかと おんなじで これからどうやっていこうかな・・とか
人生ってなんじゃらほい? なんて 思っていたのかもね。

テイちゃんにしたって 偉そうに 大きいイスに 一人座って 時々は ウイスキーなんか
こう かっこよく気取って 持って 考え深げに クラシックきいて いたけどね・・・
あんなときって 何を 一体 考えていたんだろうなあ・・・
もしかして <ぼくちゃんも 年 取っちゃったなあ・・・とかさ・・彼は 数学とか
勉強大好き人間だったから 数式なんか 案外 考えていたかもなあ・・・>
きっと なんかかんか てつがくしていたのだろうなあ。

彼らは 一生懸命に生きて 去っていったのだね。
私たちに 実に 多くのものを 残して。
私は しばらく 彼らのことを 思っていたい。


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