■2010.4.21――こばやし美子さんからレポート「丹沢・尊仏山荘」


■2010.4.21――こばやし美子さんからレポート「丹沢・尊仏山荘」

 この頃1日の温度差がはげしい、やはりこの日も温度差15度。13・14日は雨に囲まれた。たった二日間の晴れ間だった。
 人数が少なかったのでどうしようと迷って○に出来ないでいた。人数が少なくても行くとあったので○に変更したが、又又行く人が変わったりして、最終的には女性二人だった。
 初めての小屋泊まりの人に体験させたくてこの計画を立てた様だが、希望者は少なかった。
 尊仏山荘は見晴らしもいい。以前具なしカレーで話題になったと聞くが、具、ありました。大きなジャガイモ、人参が入っていたのです。
 大倉尾根(バカ尾根)をひたすら登る。休憩をたっぷり取りながら15時半に尊仏山荘に着く。
 私達3人だけだ。外の温度8度、部屋が18度。風が強い。何も見えない。明日の朝に期待しよう。
 17時15分頃 70歳(後で聞いた)の男性がリックを前後に背負って入ってきた。連れの女性が途中で動けなくなっているという。そこまでだましだまし連れてきたがとうとう動けなくなった。
 コーチはもう靴をはいて助けに行く用意をしている。薄着のままとびだして行った。その後をその男の人も追いかけて出て行った。
 15分・・20分・・まだみえない。
 小屋の主人は、だましだまし連れてこなくてもよいのになぁ〜〜とか 言って、6時になってもこなかったら行ってみるかぁ〜。
 あっきた!
 3人の姿が雲の中からボンヤリと見えてきた。女性も何とかかかえられて頑張って歩いている。よかった!
 中に入ってきた。みてびっくり若い女性だった。70歳の連れだから60歳を想像していた。
 息が苦しそう。長いすの上に寝かせる。コーチは低血糖で脱力感だろう、何か甘いものをと。ブドウ糖を口に入れて水で飲ませる。靴を脱がせてあげる。もう少しがんばって二階のふとんに横になったほうがよいからと二階へ抱えて移動。
 大丈夫と思うけど、すこしそばについている方がよいので連れの男性が行く。その間私達は夕飯(具のあるカレー)を食べる。
 すこし横になって眠って元気になって、お腹空いたと言う様になるといいのにね。
 少ししたら本当に元気になって下りてきた。お腹空いたといってカレーが食べられる様になった。
 皆大喜び。山の御主人、だましだまし連れてこなくてもよいのに・・・な〜んて言っていたのに若い魅力的な女性だったので、一気にテンションあがっちゃって大ご機嫌。迎えにいかなかった事を悔やんでいただろうなぁ〜。
 ご主人の話もはずむ。名前を聞いてサインを計画書にしてもらう。花立(はなたて)昭雄さん。
 この小屋の下の小屋が花立山荘なので同じ経営かと思ったら全然関係なしで偶然同じだという。花立なんてほとんどない。苗字なのにすごい偶然だ。
 山小屋の土地は国からの借地で売り上げの20%を支払う。外のトイレは県の物。トイレの近くにドアがあるのに使えないおもてのドアからでてぐる〜と回ってトイレに行く。この近くのドアから出る許可がでてないので使えない。役所にお願いしてるけど、きてみてくれない。今度役所の人が山好きの人にかわったので明日か明後日、ここまで登ってみにきてくれる事になっている。来年はもしかしたらこのドアが使えてるかもしれない、期待しょう
 丹沢山→三堺山、檜洞丸→青ヶ岳、蛭ヶ岳→薬師岳、と昔は呼んでいたそうだ。また大倉→花立までロープウェーイの計画があったそうだ。等々、花立さんの話がはずんだ。
 登山道。あまり知られていない大山へ続く道を花立さんに聞く。大丈夫行かれるらしい、地図を見るとヤビツ峠に出ないで途中左へ行く。諸戸山林事務所の所を右に。地図には途中で線がなくなっている(カンスコロバシ沢)。人数少なくて3人だし未知の道を行くのもいいもんだ・・・。明日はこの道を行くことになった。
 7時出発。Oさんに先頭をまかせる。烏尾山・三ノ塔とすぎ(塔ノ岳からみた時は、はるか遠くに見えたのに)車道に出る。ヤビツ峠は右。
 私達は左へ。すぐに護摩屋敷の水(湧き水)。2カ所ある。商売人らしき人がペットポトルに水を入れていた。あれを箱詰めにして送るのだろう。
 諸戸山林事務所があった。その前を入る登山道らしき道はないが、大山としるしはあった。
 だんだんはっきりした登山道になってホットするが、この道がまっすぐ登る急斜面だ。ず〜とヤビツ峠の方に行った方が楽だったかなぁ〜。
 大山のどこに出るか? とコーチ。以前大山の山頂から下山道を探したがわからなかったそうだ。山頂から少し下の黒い鳥居の所に出た。山頂からではわからないはずだ
 さぁ〜下りは私が先頭。初めは調子よく石ころもなんのそのでどんどん下りる(明日は足が痛いだろうなぁ〜)
 タイムを計るからなお調子づく。道しるべの下社を目印にどんどん下りるが、どこかで道を間違えてしまった。ぜんぜん気づかない。
 間違えても下社に着くからよかったけど、他の山では大変。やはり先頭というのは分岐点では注意しなくては・・。
 分岐があったのも気づかなかった。後で地図を見た。(後ではダメだけど)
 1000メートルのところに分岐点がある、ここで間違えた様だ。阿夫利神社の下社に無事着いた。
 豆腐料理は美味しかった。とてもいい感じの女将で、風呂がなかったので帰りかけたのを戻って食事をした。商売はこういうふうにお客様に接しなくては・・と商売している私としても勉強になった。
 Oさんと途中で別れ、最後の最後コーチを犠牲にして一人特急に乗りかえってきた。
 ありがとうございました。お陰様で早く家につくことができました。
 ストックの指導、特訓したのだから忘れない様にしなくては・・・ガッカリさせない為にも・・・。


★トップページに戻ります