■2010.6.2――ふじもと喜弘さんからレポート「独標を目指して」
■2010.6.2――ふじもと喜弘さんからレポート「独標を目指して」
懸案だった西穂独標をむすめ2人と目指しましたが、途中までしか行けませんでした。
槍見荘(1日目)
信州へ行くときは いつも 千葉 06:38 のあずさ3号を利用するのですが、この時間では新穂高温泉に早く着き過ぎるので、新宿発 10:00 のスーパーあずさ11号を予定していました。
しかし、その2時間半の時間差をもてあましてしまい、1時間早い 09:00 のあずさ9号に乗りましたが、この列車は各駅停車(?)で、松本には 予定より 30分だけ早くつきました。いつも通り「こばやし」でおそばをたべて バスターミナルから平湯温泉に向かいました。
その後は予定通りに、平湯温泉で乗り換えて 槍見荘に16時に着きましたが、宿が前よりもきれいになっていてびっくりでした。あとで聞いたところでは十数年前に改築したとのこと。荷をほどいて さっそく槍見の湯に直行しましたが、昔のままの石組みの露天風呂で やっと ほっとしました。
乳頭温泉、白馬槍と槍見館の露天風呂、すれ違って行けなかった御岳の濁河温泉、など何十年も前に訪れた懐かしいお湯を巡ることができて、とても幸せです・・・。
西穂山荘から上高地(2日目)
当初は、一番早いロープウエイに乗って独標まで行く予定でしたが、宿の朝食が 8時ということで まずは 当て外れです。それでも早めに食べさせてはもらったのですが、バスの時間には間に合わず、次の便ではロープウエイの乗り場はすでに観光バスのお客様の行列ができていて、西穂高口に着いたのは10時前でした。
お昼過ぎには下山に掛かることが絶対でしたから、丸山までしか行かないと決めて、歩き始めました。
林間の雪は2mほども残っていて、さっそくストックと軽アイゼンのお世話になりました。伊藤流シミュレーションマップで西穂山荘の手前の急登は覚悟していましたが、ひとり登山用の用意のないお方がついてこられて、そちらのペースが気になりました。そのお方は、山荘に着いたとき、諦めないでついてきて良かったと感謝をされましたが、ついでだからと丸山にもご一緒しました。独標の上の沢山の人々を羨ましく遠望して、山荘の名物ラーメンにありつけたのはまさにお昼時でした。
さて下山をと歩き始めたとたんに、すごい急坂に出会いました。無理をしながら少し下がってみたところで、マップでは 初めは緩い坂だったはずよ と注意され、山荘まで戻ってルートを確認して(初めにどうして見えなかったのか?)赤いマークを見つけて下山を始めました。なんと その後には ご丁寧な案内板が次々に用意されていて、先ほどの戸惑いが馬鹿みたい・・・という感じでした。
焼岳への分岐点での表示もわかりやすく、私たちの前に通った方々の足跡を順調に追いながら、急坂を滑りながら下りました。雪の表面が弛んでいて、勾配が変わるところではざくっと崩れて、ずずーと流されます。立ったままで ほどほどに 流されるに任せるまでには ちょっと 時間が掛かりましが、それに慣れてからは、随分気が楽になりましたが・・・。
残雪が無くなるあたりで道を見失いました。たぶん 他の方々も迷ったのだろうかと後で思ったのですが、踏み跡を辿ったつもりが すごい急坂に出会ってしまい、どどっと滑ってしまいました。一つはクレバスに足を取られて慌てたところで滑落。続いて 笹の上の薄い雪に乗ってしまい見事に流されました。それでストックの両方ともひどく曲げてしまって、悔しいこと悔しいこと・・・。
随分下まで滑り降りてしまったのですが、その先がどうしても読めないので戻ることにしました。表面はぐさぐさに弛んでいる雪が 直ぐ下の層は堅く締まっていて 軽アイゼンでの直登はとてもできません。靴先でのキッキングも深くは入らないので、無理をすると膝を痛めそうです。(スキーで何と言ったのか忘れましたが)横を向いての段々登りで元のところまで やっと 辿り着きました。
探し探して ず〜と右の方に下山道を見つけた時は思わず万歳を叫びました。その後は、ベアーと残雪の繰り返しでしたが、もう迷うことはありませんでした。
多少の擦り傷はあったものの、大過なく、予想していた時刻に少し遅れて田代橋に辿り着いて下山届けを投函できたのですが、最後の水飲み場という「宝泉」から先の細尾根が、地図ではどうしても読めません。別に入手していた案内図でその存在とその後は木の根が露出していて歩き難いという記事は読んでいましたので、助かりましたが、地図頼りだけでは心許ないのだなぁと思いました。
上高地から明神(3日目)
上高地に泊まって、帰るまでの時間を明神までお花を眺めながらゆっくり往復しました。奥宮ではお嫁さんが山のお友達に囲まれて嬉しそうでした。翌日はそのみなさんとご一緒での新婚登山でしょうか?
私たちは、「嘉門次」を一杯頂いて「きのこそば」でおなかを満たして、無事に戻って参りました。
来年は、横尾泊まりで涸沢にチャレンジしたいなぁ・・・と思っています。
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