朝日カルチャーセンター千葉――初歩の山歩き・新講座講義資料
………1996.4.10(配布資料)


■朝日カルチャーセンター千葉――初歩の山歩き
■楽に楽しい登り方・下り方――第1期
■主旨
1)この講座は、月に1回の日帰り登山を続けると、半年後には北アルプスの山歩きも可能という私の主張の入門編です。
2)山の有名・無名、高い・低いに関わらず、一般コースの登山道は1km先で300mという高度差が標準的です。そこで山の大きさを「1時間モデル」で計ってエネルギー配分すると、山登りは楽で楽しいものになります。
3)また弱い運動を長時間続けることから、登山は血管を若返らせるもっともよい運動になります。
■スケジュール
1)4/10 (水)講義…足ごしらえと服装
2)4/24 (水)実技…大月・高川山
3)5/8 (水)講義…水と食べ物、休み方
4)5/22 (水)実技…湯河原・幕山
5)6/12 (水)講義…道具と危機管理
6)6/26 (水)実技…奥武蔵・伊豆ヶ岳
7)7/10 (水)講義…まとめと写真交換


■初歩の山歩き――1996.4.10講義資料

■最初に必要な道具(執筆中の原稿から)
●山歩きに限らず、なにか新しいジャンルに挑戦するとなると、最小限必要な基本的な用具が必要になります。3点セットとか5点セットというやつです。
●私が大学で探検部というクラブに入ったときに、最初に買わされたのは特大のキスリング型ザック(横幅が2尺4寸)と革の登山靴、それにフォーシーズン用の寝袋の3点セットでした。靴はワンゲル(ワンダーフォーゲル部)御用達の靴屋でオーダーメイドにすると担保も保証もなしに月賦になりました。いま冒険小説の第一人者といわれる船戸与一(先輩)も「3点セットを買わされたから、部をやめられなかった」という口だったと記憶しています。
●ただし、そういう強引な道具のそろえ方はあくまでも基本セットにとどまるべきで、なにからなにまでおそろいというのではお粗末です。
●そういう思いで見ていると、カタログ雑誌などの影響か、いまや、みんながペアルックという感じに思えます。それだけなら文句をつける筋合いではないのですが、本来なら技術の受け皿であったはずの道具が、道具の受け皿になりさがった技術を従えて歩いているような印象がしてなりません。そういう点で、最近はやりの「道具から入る」というかたちに、私は不満です。
●とくに、ハードウェアをそろえることによってソフトウェアの比重を軽くできそうな錯覚に陥ることがこわいのです。この本ではとくに靴の悪口をたくさんいうことになると思いますが、足を守ってくれるだろうと思って大金を払って買った山歩き用の靴が、多くの人の足を傷めているという現実があることを明記しておきます。道具から入る愚かさについて語るのに、いまは登山靴を引き合いに出すべき時期だと考えています。
●で、いま、山歩きを始めるのにどうしても必要な道具は何かと聞かれたら、登山用品店で買ってもらいたい道具を一点だけ挙げることにしています。肌を湿らさないタイプの登山用Tシャツです。
●それ以外は何があればいいのか。私が主宰する山歩き講座の会「糸の会」で初参加者に求める装備をすこしくわしく解説しながら、ここではあくまで概観的に紹介してみたいと思います。


■足ごしらえ
●足ごしらえについては、とりあえず、普段はいている運動靴とソックスでOKです。ただ、「運動靴でいい」のではなくて「運動靴がいい」と強調することにしています。
●どういう運動靴がいいかと聞かれた場合には、こう答えることにしています。
「普段はいていて足にあっているものならなんでもけっこうです。靴の種類より、歩き方の方が決定的ですから」
●適当な運動靴を持っていないという人には買ってもらうことになりますが、その場合はふたつの答えを用意しています。
「安売りの運動靴でいいです。1980円なんていうので十分です」
●というのと、
「きちんとした店できちんとしたテニスシューズかランニングシューズを足にあわせて選んでもらってください」
●安売りの運動靴でも、スポーツ種目にきちんと対応した運動靴でも実際にはどちらでもいいのですが、運動靴を山ではくと、ひとつだけ困った問題が起こるのです。下りで足指の爪をいためる危険があるのです。これは靴の中で足が前にずれたときに、靴の爪先と足の爪先との微妙な関係から爪を刺激して、ひどい場合には爪を殺してしまいます。ベテランになれば爪の1枚、2枚へしゃげていてもいいとしても、軽い気持ちでトライした最初の山歩きで爪をはがしたりしたら困ります。
●それは歩き方でかなりのところまでフォローできるのですが、靴と足の相性は、歩いてみないと分かりません。
●登山靴なら足首のところできちんとひもを締めれば、靴の中で足が勝手に前方にずれることを防げるということになっています。たとえそういかなくても、登山靴を買って爪をつぶしたのならシロウトさんに「しょうがない」と思わせる説明はいくつでも用意できるのです。が、運動靴となると、山歩きなんぞにわざわざはかせた人間の責任が大きい――という感じですから不思議です。たぶん登山靴風のダメ靴がたくさん売られているのは、商売人たちのエクスキュースのためなのでしょう。
●だから相性にかかわる不安があるときには、テニスやバスケットのように激しいブレーキングを必要とする種目の靴を、きちんとした店で相談して買えば、爪を傷める危険がかなり低下する――という意味なのです。この場合も運動靴の種目は問いません。したがって靴底の形状も気にしないでだいじょうぶです。
●足に合いさえすれば安物の運動靴でも歩くには問題ないので、十中八、九は問題ないのですが、とくにこの「安物の運動靴」というのは重要な伏線となっているのです。
●たとえ日帰りの低山歩きでも、冬、悪天候の場合を考えると、足ごしらえは定価で3万円以上のしっかりした登山靴(最上級の軽登山靴)でないと安心できなくなります。それに匹敵できる安価版が、わたしが知る限り、スキー用品店や雪国の靴屋で買える(実売価格5000円以下の)雪国用運動靴「スノトレ」なのです。価格帯から見てスノトレの上に位置する見てくれだけの軽登山靴/トレッキングブーツ/ハイキングシューズ/ウォーキングシューズなどは、冬にはまったく信用ならないものに成り下がります。
●じつは北八ヶ岳の真冬の山歩きに一番ふさわしいのがスノトレだとわたしは信じているのですが、安物の運動靴をはけない人には不安で歩けないだろうと思います。安物運動靴の通気性をゼロにし、防水靴にしただけのものが、わたしのすすめるスノトレだからです。だから、冬の山歩きの足回りをスノトレで万全にしてもらうために、夏は運動靴で存分に歩いてもらいたいというのが本心なのです。(スノトレについてはあとで詳しく語ります)
●ソックスについても後でくわしく語りますが、とりあえず、普段はいているものでけっこうですとしています。


■行動着
●山歩きの服装については、簡単に「登山用肌着+長袖シャツ+長ズボン」と書くのですが、よほど寒い時期を除いて一年中これでいいと思います。
●一般にいうアウトドアスポーツは「屋外運動」という意味のものがほとんどなので、行動が終わったらすぐに着替えてサッパリするというのが常識になっています。海水浴もゲレンデスキーもゴルフも、困ったら逃げ込めるところがあるので「オープンエア」を満喫すればいいのです。はやりのオートキャンプも逃げ込めるドアが近くにあるという意味でのアウトドアだから、別荘生活に限りなく近いかたちといえそうです。
●それに対して山歩きは、どんなにレベルを落としても野外完結型の行動です。途中で動けなくなるかもしれないという不安がある間は、衣服は第二の肌であり、環境から身を守るバリアという重い役目を与えられています。
●めいっぱい汗をかいて、パッと着替える――というのの対極にあって、濡らさないように歩く、濡れたら歩きながら乾かすということが基本的な考え方になっています。そういう汗くささが善良な市民のみなさんに嫌われるところだとは思いますが、それゆえに、帰りがけに温泉につかって、着替えて帰る、というのが登山者の至福の瞬間ともなるわけです。
●行動着の長袖シャツと長ズボンはゆったりしていて丈夫ならなんでもいいと私は考えています。夏は夏らしい、冬は冬らしい生地のものをはくに越したことはないのですが、私などは関東平野の周辺に限定される日帰り登山では、一年中ほとんど同じ服で過ごしてしまいます。
●これらは登山用品店やアウトドア用品店で買うと安心に思えるのですが、専門店で買ってほしいのはもう少し機能を限定した衣類で、普通の登山用行動着は割高なだけで、払った分だけの価値があると思えないものが多いという印象をもっています。
●登山用品店にあるカッターシャツはチェック模様ばかり、と文句を言っている人がありましたが、もっとおしゃれなシャツを、自由に、積極的に山で着てみていただきたいと思います。
●山歩きを始めるに当たって最初にこれだけは買ってもらいたいというのが登山用肌着ですが、これは毛細管現象によって肌の湿りを外へ吐き出してくれる新素材のシャツのことです。日常用の肌着でも次第に認知されてきている機能ですから同様のものが近くの店にもあるかもしれません。しかし私は「登山用品店で定価3000円前後のTシャツを買うこと」と言明します。
●近くの店でもいい品物を買えるかもしれませんが、一般のユーザーには肌触りをよくしたり、ポカポカと暖かく感じるような付加価値をつけないと売れないらしく、「肌を湿らさない」という本来の機能を見失ってしまうものも多いようです。まずは一枚、登山用品店で買ってほしいのはそのためです。
●その一枚のTシャツで行動中の着替えが不要になり、普段と違う環境の中で風邪をひくなどの失敗を未然に防いでくれる効果は想像以上のものがあります。冬なら保温用の服が一枚減らせるのですが、誤解を招くといけないので詳しい説明は防寒と保温についてきちんと書いてからにしたいと思います。


■防風・防雨
●ここで対象とする山歩きは、山岳雑誌などでは「低山」と分類する範囲です。本州中央部(たとえば日本アルプス)で標高2500m以上に現われる高山帯、すなわち森林限界の上の世界とは一線を画しています。
●「低山」対象とはずいぶん読者をバカにしているように思われるかもしれませんが、日本アルプスだって、下から登れば八割方は森林帯の中の登山。そういう意味では日本の山登りの基本的な部分について考えている――というふうにもいえます。
●覚えておいてほしいのは、森林帯の中では雨はほとんどまっすぐに落ちてくるということです。最近の都市のビル風による風雨などよりずっとやさしい雨が降る。これは嵐の日に山に出かけてみるとよくわかることです。したがって、山道では折り畳みのカサがもっとも合理的な雨具です。
●ただ、行程上の特定の場所で強風と共に横殴りに吹き付けてくる雨もあります。ほんの一時的のことですが、非常用バリアとしてのカッパ、レインコート、ポンチョ、レインスーツなどがほしいということになります。非常用ですから、最初は使い捨てのビニールガッパでもかまいません。あるいはゴミ袋を何枚か用意しておくと、かなり実用的な非常用バリアを適切に用意することが可能です。私は「ゴミ袋キャンプ」なるものの提唱者を自認していますから、それについても後で少しページを割きたいと考えています。
●防風は、夏はあまり気にならないのですが、寒い季節にはバリアに求められる機能として比重がどんどん大きくなってきます。しかも必ずしも完全防風がいいわけでもありません。風に対する自在な対応は、かなり高度な技術ということになるでしょう。
●そういうことの一切合切を含めて、野外完結型の行動である山歩きでの安全性を高め、持つべき衣類をコンパクトに保つために、いずれは購入してほしいのがゴアテックスのレインスーツです。これなどは雨具としてのみ評価するのではおばかさん、非常用バリアとしていまのところ絶大な価値をそなえているという多目的装備という視点で選びます。


■食べ物・飲み物
●経口燃料としての水と食糧については、書き出せばきりのないところです。とりあえず次のように列記することにしています。
「水筒+昼食用飲み物+昼食+おやつ」
●水筒の容量はここでは問いません。休憩ごとに取り出して一口ごと口を湿らせることが、ここでいう水筒の一番重要な役目です。容量よりも扱いやすさが重要です。
●そこで昼食時にお茶代わりに飲むものは別に考えます。紙パック入りの飲み物や、缶飲料を臨機応変に用意すると無駄がありません。途中に茶店があるときにはそれを当てにしてもいいわけで、計算が狂った場合のために、缶飲料一本を非常用としてザックに放り込んでおくようにすればいいのです。この非常用を自動販売機でホットでも売られる缶飲料にしておくと、冬には缶ごと暖めて値千金のホットドリンクとすることができます。
●昼食は「駅で買える弁当も可」としています。私の場合、妻が弁当を作ってくれないわけではないのですが、出がけに駅でおにぎり3つ買っていくというのがスタンダードになっています。ポケットに入れておいて歩きながら食べられるし、何回かに分けても食べられるという臨機応変が身上の行動食として、おにぎりは、まあ、上出来な選択なのではないかと思っています。安いですしね。
●そしておやつについては、凝り出せばきりなしです。私のように持たないという原則でもいいのですが、日帰り登山なら、予備の行動食と非常食を兼用するようなもので、ちょっとぜいたくなものを持ってみることから始めてみることをすすめます。


■小物・袋物
●私の「糸の会」ではその他の装備を「小物・袋物」とくくって、次のように列記しています。
「地図+時計+ポケットライト+(高度計)+(カメラ)+デイパック」
●出発前に地図上でどのようなシミュレーションをするかについてはこの本の重要な骨格のひとつなので見ていただくとして、その地図に行動時間を重ねていけばナビゲーションはほとんどOKというのが私の考え方です。(もっとも「一般コース」で「道をはずれない」という条件を前提にしているわけですが)
●森林帯の登山道は天候の悪化に対してはきわめて安全なのですが、展望がきかないために、道標がしっかりしていないと道に迷います。これが「低山」の一長一短というわけです。
●そこでナビゲーションの基本として、ルートをはずさないためには、日本の山では高度計によって現在位置を把握するのが合理的です。(現在地点を経度・緯度のかたちで直接知ることのできるGPSはまだすこしおおげさかもしれません)
●中高年の登山者はその社会的な環境から単独行が多くなり、ゆるい関係で結びついたチームのリーダー役をやることになる可能性も大きいようです。そこで高度計内蔵の腕時計を使うことを常識としたいと私は考えています。
●ポケットライトは安くて小さくて、口にくわえられて、もちろんポケットに入れておけるような正真正銘のポケットライトという意味です。これの使い方には十分なスペースが必要なので後で書きますが、とくに秋の山歩きには忘れてならない第一級の非常用装備です。
●そしてデイパック。入れ物は、ここまでの装備ならデイパックで十分でしょう。あわてて中途半端な登山用ザックを買うことに私は反対なのですが、それは靴と同じくらいいい加減なものを買わされてしまうことが多いからです。登山用ザックは目が肥えてから、きちんとした店で、十分に時間をかけて選ぶことをすすめます。
●それに対してデイパックというのは、いまや若者たちの日常的な道具にもなっていて、どこで買っても、シロウト考えで選んでも、まあ安全です。こまかな機能にこだわるよりも、むしろ全体的なデザインなど、自由な目で気に入ったものを選んだ方が賢いかもしれません。あえて付け加えれば、「大きめのものがいいですよ」というくらいです。


実技資料
■大月=高川山(執筆中の原稿から)

■日本中どこにでもありそうな、鉄道沿いの小さな里山なのです
●常識的に考えてみて、近間の小さな山で登るのにおもしろい山というのがゴロゴロとあるはずはないのです。かといって山を単なる坂道、トレーニングジムと考えるのも貧相です。
●頂上に立ったとき、登ってよかったという感動――まではいかなくても感激は味わいたいと思います。そういう意味でなら、小さい山でも、歩ける喜び、生きている喜びのようなものをしっかりと与えてくれる山はかなりたくさんあります。中高年の方々と山に登るようになって、どのような人にも、多少なりとも人生とかかわり合う山登りがあるということに気づいてから、私は小さな山を馬鹿にしなくなりました。
●この高川山は、JR中央線で甲府方面に向かうとき、大月を過ぎてから次の初狩駅までのあいだ、左手の車窓に映る小さな山です。日本中どこでも、山間部を走る鉄道や国道から見られる、ごく普通の里山のひとつです。
●標高が975.7mありますが、登山口の初狩駅が標高450mですから標高差は525mほど。この山の規模はだいたい「1時間モデル」を2つ積み上げた程度ということがわかります。ですからアプローチが長くないということと、道がしっかりついているという二つの条件がクリアされれば手頃な山ということになります。


■ガイドブックが自信をもって紹介しているのです
●ところが困ったことに、地形図には登山道が載っていません。里山で地形図に道がないという山は、とりあえず敬遠するのが常道なのですが、ガイドブックなどではこの山をかなり高く評価して書いているようです。
●山と溪谷社のアルペンガイド別冊に550コースを一覧できる『東京周辺の山』がありますがそこでは「低い山を歩く会」の阿部健さんが高川山をガイドしています。それによると「山は高くないが展望がよく、とりわけ空気の澄んだ秋から冬にかけては、富士山をはじめ、道志、奥多摩、奥秩父、丹沢と360度の大パノラマを楽しむことができる。東京周辺からの家族向きハイキングコースとしては最適な山のひとつだろう」ということです。
●さらに、「975.9mのこの高さでこれほどの景観が楽しめる山は、ちょっと他には見あたらない」とダメを押しているのです。信頼のできるガイドブックで、こう確信をもって語られると登ってみたくなります。


■岩場の記号が地形図で確認できます
●そこで地形図を見直してみます。山頂の三角点を取り囲む標高970mと960mの等高線はこの山頂が円錐形のてっぺん部分のかなり狭いものであることを示しています。その円錐形は標高950m等高線のところで大きく崩れて、北に細い尾根を張り出し、東がえぐられて急斜面となっており、南にはわずかながら岩の記号がついています。「高川山」の川の字の頭のところにその岩の記号が見えますから、頂上から南の方向は(樹木に視界を遮られずに)展望がいいという可能性が大きいわけです。そしてガイドブックはその景観が並々ならぬものだと告げているということになります。
●初狩駅の方に視線を下げていくと北東に延びる尾根の中腹に天狗岩というのがあります。標高650m等高線に沿うようにして、ここには岸壁を表わす記号がついています。登山道がそこを通っているなら、登り道の絶好の休憩所になるところです。
●低い山は前山が樹林に覆われているのが普通なだけに、岩の記号のある山はドラマチックな展開を期待できるのです。


■ガイドブックのコース図も詳しく見ると疑問が出てきます
●中高年向きの登山ガイドで私が信頼しているのに浅野孝一さんの『中高年向きの山100コース・関東編』の正・続2冊(山と溪谷社)があります。高川山について注目すべき記述があります。
「本コースの登路、初狩からの道は、最近要所要所に指導標が設置され登りやすくなった。かつての道は、多岐に分かれ、試行錯誤を重ねながらトレースしたもので、隔世の感がある」
●地形図に登山道が載っていないのはそういう経緯があってのことだということがわかります。
●さてそのコースですが、『東京周辺の山』では地形図を背景にして色刷りでコースが描かれています。『続中高年向きの山100コース・関東編』の地図は書き起こしたもので、山は等高線ではなしに尾根筋だけで概観させようとしています。
●どちらも概念図として示されているだけなのでコースの細部はかならずしも明確ではないのですが、複数のものを見比べてみると思わぬ問題点が浮かび上がってくることがあります。
●ここでは下山路が両者でちがっています。そういうことについての最新情報は地元の市町村役場の観光課などに問い合わせて道に迷う危険がないかどうか確かめてみることが必要です。新しく書かれたガイドブックを探してみたり、山岳雑誌の記事を調べてみたりするのが常道ですが、偵察と称して、同じ道を戻ってくる覚悟で出かけてみるというかたちの登山をすすめたいと思います。案外得るものが多いのです。


■町を出るまでは用心深く歩かないといけません
●とりあえず、手元のガイドブックで、そういう問題がどこに潜んでいるか分かりませんから、解説図から自分の地形図にコース情報を写し取る作業をしてみるわけです。はっきりしているところと、曖昧なところを明らかにしていければいいわけです。
●まずは起点となるJR初狩駅の標高を調べます。駅から国道に出ると水準点があって453mと記されています。しかし駅前に一本等高線が走っています。460mの等高線です。
●次に駅から登山口までの確認。ここでは駅を(北側に)出ると右手にしばらく行って、東京方面に200mほど戻ったところで線路をくぐります。そのあたりに標識があれば問題ないのですが、なければ早めに誰かに聞いて確かめることが必要です。ポピュラーな山の場合には、きちんとした案内表がない場合には何回も聞かれてたまらんという人が小さな標識を街角につけてくれていることが多いので、そういう小さな目印にも目を配りたいところです。
●線路をくぐるはおろか、またぐ記号も地形図にはありませんが、山側に小さな集落があって車の通れる道(一条線)がありますからそこに入っていけばいいのです。500m地点にお寺の記号があります。それを過ぎると道は斜面を本格的に登り始めます。
●この道は地形図に描かれている破線の道ですが、実際に歩いてみると一条線で描かれる林道で、車で上がれます。


■登りの目玉は天狗岩であるようです
●その破線の道は地形図では頂上直下の標高800mあたりまで登っているのですが、登山道は標高550mと600mの間ぐらいでこの道から分かれるのです。
『続中高年向きの山100コース』ではここのところがこう書かれています。「小さな橋を渡って10分ぐらい歩くとシイタケ栽培地に着く。栽培地の中ほどから指導標に導かれ、左手の林の中に入る。下ばえのヤブが若干気になるが、登山道はしっかりしている。やがて左へ斜面をトラバース気味に登るようになり、天狗岩に達する」
●この解説はじつに的確で、地図なしでも行けるという感じがします。しかし地形図で構造的に理解しておくと、見え方が違ってきます。
●標高600mの(たぶん)手前から登山道は地図上に「天狗岩」とある崖の記号の下に入り込んでいきます。等高線の密なところを斜め上に登りながら、天狗岩の尾根の先端に回り込んでいくのです。
●コースは地図上で想像するだけですが、登山道の分岐が1.2km、天狗岩の先端が1.5kmとすれば距離はわずか300m(ジグザグ道なら距離は五割増しぐらい)で標高差は50mといったところです。数字を入れるとずいぶん箱庭的な話ですが、初心者にはこれからいったいどうなるのだろうかという不安を感じさせるきつい登りに思われます。天狗岩の先端の展望休憩所で眺めのいい長めの休憩を楽しんでみてください、かなり長い間記憶に残る休憩になるはずです。規模は小さいながらドラマチックな登りがここにはあるのです。


■私はここの登りに二時間半を計上します
●コースは天狗岩の上部の尾根をしばらく登ってから特徴のない樹林の道になって、ひたすら登り続けます。頂上は私の計算で2.7km地点です。天狗の先端からは距離で1.2km、標高差で350mほどですから、「1時間モデル」ひとつ載せたかこうです。起点の初狩駅からでは2.7kmで標高差約500mですから距離1km=15分、高度100m=15分という時間目盛りで計ってみると合計1時間55分30秒と出ます。あくまでも概算ですから2時間です。
●私は初心者向きの登山実習をここで何回かやっていますが、天狗岩の展望を楽しみながら長い休憩を楽しむだけでなく、急坂で滑りやすいところや、岩っぽいところでていねいな歩き方講習をやります。それは登山道の傾斜に歩き方がフィットしていない人たちにそのコツをつかんでもらえる絶好の場所だからですし、頂上を越えてから、向こう側で、事故や故障を起こさずに下ってもらうための歩き方講習の導入も意図しているからです。
●リーダーが全員の足運びをきちんと見る機会をできるだけたくさん作っておく、という意味でも、コース上の難しいところを講習会の場にしてしまうというのが合理的な方法だと考えています。それによって、歩き方が下手くそゆえにバテている人には休憩が与えられ、長い休憩だったら退屈を感じるベテランには技術の向上のチャンスとなるのです。このへんはスキー教室の呼吸と似ているのではないかと思います。したがって、私なら登りの2時間に30分の休憩兼講習を加えます。


■下り口に確信がもてなくて、最初はとまどいました
●頂上で昼食というのが低い山では原則です。風が強かったり、雨に降られたら、その時は頂上の前後の林の中に場所を見つければいいのです。天気が良ければ、一時間は確保して、ぜいたくな時間をゆっくりと楽しむべきだと思います。小さな山ひとつを妙にせかせか歩いてもしょうがありません。
●いよいよ下りなのですが、下りのコースについては『東京周辺の山』(山と溪谷社、初版年不明)も『続中高年向き100コース』(山と溪谷社、1984年初版)のどちらも結果的に違っていました。これについては中央線沿線の山にこだわって登り続けている山村正光さんが『中央本線各駅登山』(山と溪谷社、1994年)に簡潔に書いているとおりでした。
「さて下りであるが、東に、しっかりとした尾根の踏み跡をたどる。すぐに、小形山への岐路となり、さらに下って中谷への道を左に見送る。ヒノキの植林地を抜け、沢を渡って林道が現れ、前方が開ける。大棚の集落(といっても大きな家が2軒)を過ぎて古宿となる」
●地図上に落とせた情報だけでは疑問符がいっぱいありましたが、たくさんの人が問題なく歩いている山なら道標が整っているはずです。行ってみた方が早いということも多いのです。


■下りの急坂で靴に頼らない自信をもてます
●結果として、私にはこの山に忘れがたい思い出が残りました。それは頂上から下山路にかかる急な下りのところで、一群の登山者が往生しながら下った後、運動靴の私たちが全員きちんと下れたのです。もちろんその中には「超」のつく初心者もいましたから、滑らないためには靴よりも歩き方の方が重要という私の考えを見事に証明してくれた瞬間でした。
●ぜひみなさんにやってみていただきたいのですが、山頂の隅からその急坂をのぞいたとき、直滑降の姿勢をとって前傾姿勢を確認し、そのままゆっくりと下りてみて下さい。滑るかもしれないという危険を感じながらギリギリのところで10歩ほどのその急坂を下れるだろうと思うのです。もちろん地面の湿り具合などによっても条件は変わりますが。
●下山路は北に向かう狭い尾根を50mぐらい下ったところから東側のかなり急な斜面に下りていきます。地形図で見ると950m等高線のところから八〇〇メートル等高線あたりまでは等高線の密度が高く、天狗岩の下と同じような急傾斜をここではジグザグを切りながらどんどん下っていきます。
●杉の植林地に切れられたジグザグ道は砂礫が表面に浮いているところでは足裏が滑りやすく、転ぶと斜面をどこまでも転落しそうな感じがするのでバランスに自信のない人はどうしても身構えてしまいます。どうするのかというと、10人が10人、腰が引けたり、体を開いて足をハの字や横置きにして、頭では滑りたくないのに、体の方はいたって滑りやすいフォームになっていきます。


■スリップする覚悟で下ってみることもだいじです
●ですから滑りやすい急斜面では、歩幅をできるだけ小さく(足幅の半分程度に)して足踏みするような感じで歩いてみたり、地面の形状のちょっとした凹凸を見つけるポイントを探してみたり、土の中に埋まっている小石の頭を上手に踏むことなど、いろいろ体験してもらうのです。
●それはけっきょく、前傾姿勢をきちんと保っていれば、足裏が滑っても姿勢は崩れないから、転ばない、ということなのです。車であれば車輪がスリップし始めてからの操縦法にあたるかなり高度な技術で、雪山では必須の技術になります。しかしわざわざ雪山に出かけなくても、高川山の下り斜面でやれるのです。滑らずに歩くということと、滑りながら歩くということの境界線で歩くということが、この程度の急斜面なら体験できるということです。
●そのコースが地図上のどの部分を通っているのかわかりませんが、標高800m等高線ではっきりと描かれている谷に、まっすぐ下っていくというふうに考えておけばいいのではないかと思います。私は地図上にコースをまっすぐに引きましたが、道は小さくジグザグを描いています。


■下りは最後まできちんと歩いて、関節回りを強化します
●谷筋を下っていくと標高650mまで上がってくる林道に出ます。それが3.5km地点とすれば、頂上からの下りは距離で800m、標高差で約300m。「1時間モデル」ひとつ分ということになります。ベテランはここを6〜7割の時間で駆け下りるかもしれませんが、私は登りと同じ一時間を取っておいて、その中に下りの歩き方講習をはさみながら、危険地帯を安全、かつ有意義に通過しようと考えます。
●車の通れる林道に出たら、もう標高差を考えずに時速4kmで計算しておいて大きな狂いは生じません。最終地点が富士急行電鉄の禾生駅の6.5kmですから車道を3km歩くということになります。ダラダラ歩くとたちまち足を痛めますから、きちんと、メリハリをつけて歩かなければいけませんが、おしゃべりは存分に楽しめます。こういうところは緊張感を失わないために、早歩きという意識で歩いた方がいいように思います。この3kmにも1時間用意しておくと、もし足を痛めた人がいたとしたら無理をしないですみます。
●高川山が私の評価でも際だっているのは、小さいのにしっかりした骨格を備えているからです。いずれベテランになってきた人たちと、いまやほとんど消えてしまっているいるかもしれない東尾根コースで本格的なヤブ漕ぎを体験してみようかなどと考えています。若い人たちとならヤブの中でのゴミ袋キャンプもおもしろそうだなぁと思います。そういう意味で一級品の里山だと思うのです。


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