みなさんから
………1996.9.5(糸の会お知らせ)


*前回のお願いに応えていただいて、絵入りのハガキを何通かいただいています。カラースキャナーで読みとってそのままプリントしたいという考えなのですが、当方の機材に不足がありまして、今回はまだご紹介できません。もう少しお待ちいただきたく……。


■K.山川さん――1996.6.23
●御坂山、黒岳では大変お世話になりましてありがとうございました。河口湖駅前でお見送りいただきましたタクシー、その後中央線もとてもスムーズに連絡がつきました。リーダーは車での帰途お疲れではなかったでしょうか。電車組一同で案じておりました。
●さてプリント15枚山から戻ると届いておりました。ありがとうございました。山では前日に届いたという方もいらして楽しみにしておりましたので早速封を開けてみました。北八ヶ岳のプリントと比べると格段の差があって、ほんとにどれもいいなと思いました。とくに風景のがとてもいいと思いました。今回リーダーがシャッターを切っていらっしゃるところを後ろから見ていましたので、あの場面、場面がどのようなプリントになるかと今から楽しみです。
●今回はしょっぱなからこけてしまいました。家を出るのが少し遅くなってしまったので駅まで息子が自転車で送ってくれたのですが、歩道の段差をお尻に受けながら後ろの荷台で息子のTシャツにしっかりつかまり、かなりのスピードでダッシュしたのですが、川崎での待ち合わせに遅れてしまい、川崎発05:41に乗れませんでした。
●東神奈川に向かおうとホームに下りたら南武線ホームに永山さんがいて下さって先に行って下さったとばかり思っていたのでうれしいやら申し訳ないやらで、何とか追いつけたらと後発の登戸行きで、乗り換えて立川まで行き、立川06:46→大月07:53/08:15→河口湖09:05と乗り継ぎました。「駅前でタクシーがまだ待っててくれるといいね」と話しながら……。
●河口湖の駅に着きドアの開くのももどかしく思えたほど急いで改札口に向かいました。ホームから知った顔が何人か見えたときは、間にあったんだとホッとしました。遅れて申し訳ありませんでした。「すんなり予定どおりの電車でなく、いろいろ方法を考えてなんとか結果的に間に合い楽しかったじゃない!」と永山さんが言って下さり、とてもうれしかったです。
●今回は花が多く見られてとてもよかったです。ヒトリシズカ、多人数シズカ?、エンレイソウ、ウラシマソウ?、ウマノアシガタ、ミヤマナルコユリ、日本タンポポ、西洋タンポポ、二色タンポポ、ギンリョウソウ、アヤメ、オダマキ、カモメラン、シギンカラマツ、マイズルソウ、カンゾウorキスゲ、グンナイフウロ……。名前を知らない多くの花も見ました。斉藤さんが花にとてもくわしいので知らない花を見つけるといつも教えてもらって、斉藤さんは花の先生とひそかに思っています、これからも花をたくさん見て歩き、名を覚えたいと思います。
●また鳥も間近で見ることができ、楽しさも倍増でした。あのヒナ鳥の口元の愛らしさは忘れられません。そしてミニルーペで見た虫のかわいらしい姿。ルーペで異なった世界が広がりました。
●また前回木の枝を杖がわりに歩いていらした方がいらしたのでストックを今回持っていったのですが、使わずにすんでよかったです。私自身は大石峠の辺りから左膝が痛くなり始めて足を引きずりながら歩いていました。加瀬さんからいただいたイトメシンコーワゾルを痛いところに塗って歩きましたらずいぶん楽になりました。それにしてもアスファルトの道は登山靴には当たりがきつすぎます。今履いている靴をリーダーが推奨の運動靴にしようと物色中です。
●今回も雨やガスもあり、雨具を着たり脱いだり、ずっと頭のてっぺんは見せてもらえなかった富士山と、天気も変化があって、花や鳥や虫といっしょの楽しい1日でした。
●お風呂も着替えを持っていなかったのでよそうと思っていたのですが、すすめて下さり、入ってとても気持ちがよいお風呂で、湯上がりのビールと“ほうとう”でしめくくることができ、帰路も順調で1日も楽しく終わりました。ただ前日のキャンプには時間の都合で参加できなかったのが残念でした。


■K.高橋さん――1996.7.3
●さっそくご案内お送りいただきありがとう。至れり尽くせりの内容ですね。しかも、もう名前が登録されていたのにはビックリ。7月13日ぜひ参加させて下さい。雨でも行くのですか? それと、靴は革のザンバランフジヤマでもいいですか? とかいろいろ考えています。


■H.加瀬さん――1996.7.11
●先日の大岳山の山行は滝あり、ブナの林ありで、東京の山にもあんなブナの林があるなどとは思いませんでした。大好きな樹木なので大感激です。ギンリョウソウにも逢えましたし。
●白馬行は大変楽しみにしております。もちろん期待と不安と。山川、永山、岡田さん親子、伊藤のりこさん、私と計7名は知り合いの白馬みそら野のペンションに泊まります。7.27の白馬駅集合時間に行きます。7.26.10:00新宿発の指定と、7.28白馬発17:11の切符が手に入りましたのでご安心下さい。
●行動食として、天狗に登ったとき初めて持参したケーキ類が、いまではちょっと一口のおやつになりました。菓子作り大好き人間としてはうれしく思っています。失敗作も持っていきますのでおゆるし下さい(やり直しがききません)。おやつ付きの山行もなかなかいいなと思っておりますので、どうぞお気になさらないで下さい。


■A.石側さん――1996.7.12
●楽しみにしておりました明神ヶ岳、ギックリ腰のため残念ながら参加できなくなりましたのでよろしくお願いいたします。


■K.岡田さん――1996.7.30
■私の軽量化ゲーム
●1995年春、横浜朝日カルチャー憧れの登山教室を申し込んでから、急に左肩・手に激痛が走り、頚椎症とのこと。整形外科では「重い荷物を背負った登山はもってのほか。趣味を変えなさい」と言われ落ち込んでしまいました。ま、講義だけならいいか、と通い始め、実技登山に行くとき、内田良平先生に伺ったところ「みんな、医者に止められても来てる連中ばかりですよ。まずカメラを持ってこないこと。リュックを軽くすれば大丈夫」と言われて本当にコワゴワ、デイパックで参加しました。このときの気持ちは「バテてほかの人に迷惑をかけるかもしれないので参加を遠慮しようか、と悩んでいる人もいる」(『初めての山歩き』伊藤幸司著、主婦と生活社、p16)の通りでした。あ、この気持ちのわかっていてくれる先生なら安心だな、と思ったのも、この本の読後感のひとつです。(途中からこの会に参加した方には、ぜひ一読をお薦めします。先生はこの本はもう古く、来春新しい本が出るので、とおっしゃっていましたが)
●そして実技当日、天城山で一睡もしないで不安の中で見た野生のシャクナゲの群落。涙で見ました。下山したら、なんだか肩も体も調子がよいのです。
●それから私の軽量化作戦が始まりました。日帰りの基本の荷物(昼食+水を抜いたもの)は合計2.5〜3.0kg
1)25リットルザック――500g
2)傘――190g
3)ゴアテックス――500g
4)非常食+おやつ
5)小物(地図、ポケットライト、救急用品……)
●これにおにぎり1〜2個と、水が、その日の天候や、途中で補給できるかどうかで、1000〜1500g以上加わります。何をそろえるにしても、まず重さを台所用計りで試します。水筒は「一番軽いのを下さい」といって買ったもので20g。セーターはカシミヤで150g、160g、320gの中から、白馬岳では160gのものを選択。財布もコンパクトなものに必要なものだけを入れる。泊まりとなると化粧品が入るので、容器を取ると100g節約。これはもう楽しいゲームです。ちなみに7.27-28の白馬岳では、
恭子(ベース4.0kg+昼食+水) 5.2kg
彩斗子 2.5kg
英佑 3.2kg
●白馬山荘の感想はみなさん書かれると思ったのでパスしました。私はおどされていたのがきいたのか、思ったより快適でした。1枚の布団に3人で寝れました。(先生の“怒り”とは調子がズレますが)子供達に“最悪”を経験させたいと思ったのですが、なんともなかったようです。「土と健康を守る会」という有機農法の会で生産者の作業小屋で雑魚寝とポットントイレも小さいころから経験ずみだったからかもしれません。


■K.山川さん――1996.7.30
■スリルとお花畑の大雪渓
●96.7.27は天候にも恵まれさい先のよいスタートでした。猿倉より雪解け水がドーッと豪快に落ちる流れを見ながら白馬岳に到着。冷たい水でのどを喜ばせてからアイゼンを付けて大雪渓にトライです。思っていたより歩きやすく、ときおり立ち止まり、周囲を見渡したり、振り返ったりしながら雪渓を楽しんで歩いていました。
●でもカラカラッ、カラカラッと杓子岳から小石が落ちる音がときおり聞こえ、ちょっと不気味でした。それが、アイゼンをはずし、葱平より少し登ったところでドドーンと大きな音とともに転げ落ちていった電話BOXほどの落石を目の当たりにしたときは一瞬にして心臓が凍りつき、そしてあまりの恐怖で涙とともに鳥肌が立ってしまいました。私は気が小さいので(目も小さいのですが)ほんとうに怖がり屋です
●そしてこの後、白馬山荘は近年最高の宿泊者8,200名(定員の5.5倍)が待っていたのでした。


■Y.春日さん――1996.8.1
■白馬岳夏山体験
●大きな岩石が地響きを立てて、大雪渓を跳ねる不気味な音にドキッとする。白馬尻小屋から頂上小屋まで登山者の行列は果てしなく前後に続き、山小屋は大混雑の状況でした。落石と渋滞で「この山に2度と来たくない」そんな言葉を幾度か聞く。
●白馬山荘に到着して、6畳の部屋を仲間10人で使う。当初心配していた酒、タバコ、トイレの臭いなど悪条件は皆無で気楽な雰囲気だった。2,900mの高山でビーフステーキの夕食を味わったのであります。こんなことに感動できる感覚がとてもうれしい。限られた季節を、限られた時間を使って、自然を楽しませてもらう。そんな私達に与えてくれる感動にこそ「この山にもう1度来たい」と思うのではないでしょうか。そんなことを考えながら眠りにつく。部屋は暑く女性7人は寝付かれなかったようです。風通しのきく廊下も案外よい寝場所となる。
●今回は、リーダーから心拍計「ポーラハートレイトモニター」を付けさせてもらった。両手指先も脈打つ感じがする。歩幅を縮め、歩数を数えながら呼吸を整えてみると150〜160に下がる。苦しさをひとつクリアしたような体感を得た。
●翌朝ご来光を待つ。槍ヶ岳も姿を見せる。湧き昇る雲は龍のようだ。この日は白馬大池から栂池へ出ることになった。12kmばかりの行程である。小石の隙に咲くコマクサは高山植物の女王と呼ぶにふさわしく美しい。足場の悪い岩道や雪渓、滑りやすい雪どけ道を歩きとおした皆様の勇気が心に残る白馬岳夏山体験でした。皆様ありがとうございました。


■M.志村さん――1996.8.7
●朝日カルチャー教室(朝日カルチャーセンター千葉)では数回の出会いでしたが素晴らしい皆様との出会いがありました。先生に撮っていただいた数枚の写真、特に南郷山(湯河原)での買い物袋の靴カバーをつけてのライン・ダンスの写真等、何度見ても吹き出してしまいます。朝日カルチャー教室で学んだ事柄と先生の著書『初めての山歩き』を読み、少しでも自分のものになるようにいたしたいと思います。
●糸の会会報をお送りいただきながら参加できず残念です。自分達のスケジュールが決まって居りました後ですので参加できないのです。糸の会会報は3回送った段階で予約がない時は郵送は打ち切りにしますと言われたように私は記憶していますが(伊藤注=そういうことはありません)……9月の桧洞丸も参加できませんのでわがままを承知でお願いをさせていただきたいのです。3回目の郵送を来年度の山行一覧に変えていただけませんでしょうか。すみません、よろしくお願いいたします。伊豆ヶ岳の写真代(8枚分)先生とご縁が切れないように、絶対に糸の会の山行に参加してお会いできた時にお支払いしますので、それまでお借りしておきます。


■T.高松さん――1996.8.8
●白馬岳への山行では、大変お世話になりましてどうもありがとうございました。下りの小雪渓で腿に力が入りすぎたため、脚がガタガタになり、帰京後1週間ほど階段の上がり降りに難儀をしましたが、やっと直りました。聞きしにまさる大混雑にちょっと閉口しましたが、平日等の空いているときならまた行ってみてもいいかなという気分になってきました。


■E.大西さん――1996.8.9
●白馬登山では大変お世話になりました。帰ってきて3日間はかなりきつい筋肉痛でしたが、念願の白馬へ登れてとても幸せでした。


■K.山川さん――1996.8.29
●松本のお蕎麦とコーヒーはいかがでしたか。私たちは16:10の高速バスにて帰路につきました。槍ヶ岳にずっと見まもられていたかのような稜線歩きの心地よく楽しかった余韻にひたりながら……。途中、小仏トンネルで渋滞にあい、新宿は19:55でした。


■H.加瀬さん――1996.8.29
●下記の山行を予約いたします。
●尾瀬=草もみじがたのしみです。
●瑞墻山=足のコンパスを必要とするところだと鈴木早苗さんが申していました。では私はシコの練習する必要あり(?)と尋ねましたら爆笑されました。
●天子ヶ岳=晴れたら眺望抜群?
●上高地=交通網が遮断されている(?)ところの入山は興味シンシン。
●西沢渓谷=行ってみたいところでした。
●北八ヶ岳=何度行っても好きなところです。


■H.鈴木さん――1996.8.29
●翌日(27日)は「こばやし」は全店臨時休業でした。「もとき」でそばを食べました。
●喫茶店で「信毎」新聞を読んでいたら、穂高で25日朝、女性が滑落死、とありました。同日昼過ぎ救助隊が遺体を発見と、伝えていました。われわれがなにげなく見ていたヘリコプターも、そんな動きに関係あったかと思っています。ふしぎな目撃の感触です。


■H.鈴木さん――1996.8.31
●稜線を一方向に歩いたため、顔の片側だけが日に焼け、皮フがポロポロむけつづけた今週でした。


■K.西沢さん――1996.9.1
●燕岳〜常念岳登山の際は大変お世話になり、まことにありがとうございました。下山日の松本城から松本駅までの最後のラッシュは大変こたえました。今回は珍しくゆっくりできると喜んでおりましたのにやはり最後はあのような結果に終わりました。これも、糸の会の糸の会たる所以と列車の中で皆で笑ったところです。また、脚が痛くやっと歩いていたはずの自分が列車に遅れてはならじとよくもあの速度で歩けたと、今考えると不思議でなりません。火事場の何とか力というものだったのでしょう。その代わり、下山後の2日間は食欲も出ないほどの疲労感を覚え、何も出来ず、全くの死に体でした。
●私は、約2カ月ぐらい前より右足下腿部に痛みを覚え、冷えに対しかなり敏感になり、冷気、特に機械的な冷気に当たると非常な痛みを感じていました。しかし、当初はこの痛みも歩行中は血行が良くなるためか解消していましたが、日がたつにつれ、その痛みが残るようになっていましたので、今回の燕岳〜常念岳登山も、参加することに大変な不安を感じておりました。現に23日に穂高に入り、穂高神社、碌山美術館等を皆で歩いている時は体調を含め最悪となりました。が、同夜同行の皆様のお手当で元気を取り戻し、お陰様で素晴らしい感動の日本アルプス登山をどうにか最後まで体験することが出来ました。しかし、山小屋宿泊中、夜は脚の痛みから薬を取り出したり、脚をマッサージしたりで皆様の睡眠の邪魔をしてしまい大変なご迷惑をお掛けすることになりました。ここに深くお詫びいたします。
●行動中一番疲労を覚えつらかったのは、やはり2日目の燕岳から常念岳への長い行程でした。しかし、すべての行程を歩き終えることが出来たのは、やはり同行の皆様の暖かい励まし、恵まれたお天気、素晴らしいアルプスの山々でした。この感動は一生忘れることはないでしょう。
●そして、下山後、日常生活に支障を来たさないためにはどう歩いたらよいか、また持ち物をどうしたらよいか等々、いろいろ勉強させられた登山でもありました。何とか脚の回復に努め、今後も素晴らしい登山が続けられるよう願っています。


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