三洋化成ニュース・月1回の山登り12……パッキングという思想
………2004.3



●三洋化成工業株式会社「三洋化成ニュース」2004年春号 No.423(2004.3)




●写真番号1998.2.21-135
●同じメーカーの同じ40リットルザック。使い方で大きくも小さくも……というのが理想。冬の小屋泊まりだと重さは10キロ前後となる。北八ヶ岳メルヘン街道で。




●写真番号2002.4.16-128
●私の「60-100リットル」ザックを背負った64歳の女性は、約1時間平気で登った。しっかりしたウエストベルトが効果を発揮する。御坂山地・釈迦ヶ岳で。




●写真番号1998.7.19-303
●「2尺4寸」のキスリングザックの、昔ならワンダーフォーゲルという雰囲気の学生。いまはハイキングクラブか。南アルプスの北岳で。




●写真番号2003.10.15b-321
●小雪舞う晩秋の妙高山・山頂で出会った若者は、バテた彼女のザックまで背負っていた。これが男女ひと組の、野営登山装備一式。




◆キスリング型ザックの時代

●日本における歴史上最大の登山ブームは昭和30年代といわれています。
●1953年に英国のアルパインクラブは第9次遠征隊をエベレストに送って初登頂に成功します。そして56年(昭和31年)に日本山岳会(ジャパニーズアルパインクラブ)の第3次登山隊がマナスルに初登頂。8,000m峰14座のひとつを攻略したのでした。
●このマナスル登山隊がベースキャンプまでの荷揚げのため現地ポーターに支給した靴が、あの「キャラバンシューズ」でした。
●その後日本では、キャラバンシューズをはいて、キスリング型ザックをかついだサラリーマン登山家たちがありとあらゆる山に登山道を開いたのでした。山小屋もたくさんできました。テントは綿の帆布か人工綿のテビロン布、クッキングバーナーは灯油ならプリムス(日本製でマナスルというのもありました)、ガソリンならホエーブス、羽毛の寝袋はたいてい米軍の放出品でした。
●サラリーマン登山家の標準的なスケジュールは土曜日に昼まで仕事をして、夜行列車で出発。そのまま登り始めて日曜日中に下山、帰宅できなければ夜行で月曜日朝に会社へ直行というものでした。後に新田次郎が『孤高の人』のモデルとした戦前のスーパーサラリーマン登山家・加藤文太郎の『単独行』が大きな影響を与えていました。
(蛇足ですが、アウトドア雑誌で三菱自動車のGDIエンジンの取材をしたときに大発見がありました。神戸造船所の職工コースから設計技師になった加藤が北アルプスの厳冬期単独縦走中の雪洞ビバークで思いついたとされるディーゼル噴霧方式があります。これが帝国海軍の燃費改善に大きく貢献したまでは新田次郎の小説に書かれているのですが、それが三菱自動車の基本方式として残存してガソリンの直噴という新しい方式を生み出したのです。希薄燃焼を実現したリーンバーンエンジンは燃焼室内に効果的なヨコ渦を作るのが一般的なのですが、それが苦手だった三菱では従来からのタテ渦を生かすことで点火プラグ周辺で標準的な15対1という空燃費を持ちながら、燃焼室全体で30対1から40対1という空燃費を実現したのです。もちろん京都工場の開発担当者は加藤文太郎という名を知りませんでしたが……)
●横道にそれましたが、キスリング型ザックの全盛期は北海道でのカニ族の時代まで続くのです。
●じつは今もなお、登山技術のひとつとして書かれている「パッキング」にはこの時代の尻尾が残っています。それはすぐにおにぎり型になってしまうキスリング型ザックをカニ族のように横長にしてきちんと背負えるようにするにはちょっとした技術がいる、ということです。

◆柔構造、剛構造

●キスリング型ザックは大きな四角い袋の両側に大型のポケットがついています。じつは最初にそのポケットにものを詰め込んで柱状にします。
●本体の底にモノを詰めるに当たって「軽いモノを下に」という常識が語られるのですが、本当はそれでは不十分なのです。比重の軽い衣類や寝具を最初に入れて、左右に押し広げながら詰め込みます。それによって柱にはさまれた空間に壁構造を作るのです。
●それは構造材となるのに加えて、腰から背中に当たってやわらかく、かつ重量分散が発揮されるようにていねいに作られなければいけないのです。
●そのあと、必要な装備を(ヨコへ広げながら)上へ上へと詰めていって、袋の口を折り曲げて綴じ、背負いベルトの付け根のリングと背面側につけられたリングとをひもで結んで固定するのです。その際、比重の大きなモノを上に入れて、背負ったときのザックの重心をできるだけ背中に近づけるのです。
●そういう技を不要にしたいと思ったアメリカ人たちはパイプのフレームにナイロン製の袋を取り付けました。日本的にいえば、背負子に引き出しをつけたような剛構造のザックです。フレームがあるのでモノは放り込めばいいのです。本体を「2気室」「3気室」というように分割するのが一般的でした。それが「バックパック」というブームを引き起こしたのです。パッキング技術のいらないパックとして。
●山の道具と技術には帆布やロープの扱いに始まって、船の技術が多かったのですが、登山に航空スポーツの素材が入り始めます。パラシュートのリップストップナイロン布やロープの代わりに活用できるナイロンテープが装備の軽量化を劇的に進めます。
●その結果、ザックもしなやかなフレームを入れ、テープであちこち締め上げることができるようになりました。柔構造ながら体との接触面を整えるようになったのです。
●もちろんタテ型が基本になって、(大型ザックでは)腰から肩までの長さをカバーするようになりました。腰椎の受け皿となる腰骨側にウエストベルトを当て、肩のショルダーベルトとの間での加重分担を自由に調節できるようになったのです。
●肉体側とのインターフェースが整えられると、柔構造のザックでありながら、パッキングは自由度の高いものになったのです。極端にいえば横たえたザックにモノを放り込んでゆさゆさと揺すってなじませてから、ザック側面についているコンプレッションベルトを締めて厚みを取ります。立てても中身がずれなければいい……のです。
●私の超大型ザックは通常25kg前後ですが、ときどき勇気ある女性が担いでみると「あ、軽い」といいます。加重分散のインターフェースがザックそのものに備わっているので、持った印象よりずっと軽いのです。


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